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文章简介

作者:日-纸森けい 当前章节:15361 字 更新时间:2026-6-15 18:51

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- Slow Luv -

作者:紙森けい(作者名で検索) 掲載サイト:卯月屋文庫 作品の長さ:長編(完結)

検索キーワード:音楽,現代,クラシック

[冒頭あらすじ]

ピアニストの道をあきらめて調律師になった青年は、片想いの相手でチェリストの親友との再会と、稀有な才能を持ったヴァイオリニストとの出会いによって、忘れていたクラシックの世界に引き戻される(連載は完結)。

Character of 『Slow Luv』

■ 加納悦嗣 (31~)

3月31日生  B型  182cm  70kg

ピアノ調律師

ピアノは6才から。絶対音感の持ち主。

その演奏に対して周りの評価は高いが、本人は自分の才能を信じていない。

もっぱらの悩みは、親友?曽和英介に対する恋愛感情。

上と下に4つ違いの兄弟と、9つ下に妹の4人兄弟。

趣味はピアノとサッカー

誕生日花:アルメリア(はまかんざし)=心遣い、同情、共感

誕生日石:イエロー?オーソクレーズ=愛のパイロット、成功の鍵

■ 中原さく也 (26~)

12月25日生  血液型は不明  175cm  60kg

ヴァイオリニスト ウィーンのWフィル所属。

ザルツブルグ国際コンクール ヴァイオリン部門で史上最年少(14才)のセミファイナリスト。

右目の下、涙の通り道にホクロ。美人だが愛想なし。

加納悦嗣に片想い中。

二卵性双生児の弟有り。

趣味は寝ること。

誕生日花:ホーリー(西洋ひいらぎ)=先見の明、永遠の輝き、清廉

誕生日石:キャストライト(クロスストーン)=聖なる契約

■ 曽和英介  (32~)

9月1日生  A型  168cm  60kg

チェリスト  ウィーンのWフィル所属。

月島芸術大学初の海外プレーヤーで、通称『月島の奇跡』

人当たりが良く、その笑顔はは最強とも無敵とも評される。

悦嗣のピアニストとしての資質を、誰よりも信じている。

6才下に妹。

趣味は読書。

誕生日花:桔梗=変わらぬ愛、優しい愛情、誠実、従順

誕生日石:タンザナイト=誇り深き人

■ 加納夏季  (21~)                               

8月8日生  B型  160cm  53kg

月島芸術大学音楽学部弦楽科チェロ専攻

悦嗣の妹で、加納家待望の女の子。

天真爛漫で物怖じしない性格。悦嗣はうるさがりながらも可愛がっている。

趣味はショッピング。悩みは体重。

誕生日花:アンスリューム=情熱、強烈な印象、恋にもだえる心

誕生日石:ダイヤモンド(ラウンド?カット)=永遠の愛

■ 中原りく也  (登場時は27才)                               

12月25日生  AB型  180cm  70kg

祖父江財閥の元御曹司。全てを捨てて出奔。

さく也の二卵性双生児の弟。骨の髄までブラザー?コンプレックス

多少、性格に欠陥あり。

誕生日花、誕生日石:中原さく也参照

■ ユアン?グリフィス  (登場時は28才)                               

6月15日生  血液型は不明  190cm  80kg

ピアニスト。ショパン国際コンクール他多数のファイナリスト。

あだ名は『黄金のグリフィン』 ベートーヴェン弾き。

中原さく也を音楽と人生のパートナーにしたいと思っている真性ゲイ。

誕生日花:タチアオイ=平安、単純な愛、熱烈な愛、威厳、高貴、大望

誕生日石:サードオニキス(赤縞瑪瑙)=夫婦(恋人)の幸福、集中力

 Slow Luv op.1 -1-

 その感情に気づいた時は、すでに遅かった。高校の時に知り合って九年。大学も、所属サークルも同じであったにも関わらず、よりによって、その結婚披露宴で気づくというのもまぬけな話だが、それよりも何よりも、彼に対してそう言った感情を持っていたということに驚いてしまって、スピーチの途中で詰まっている自分の姿も、結構まぬけだった。

 詰まったと言っても一瞬のことで、次には滑るように言葉が流れていた。

 自分の意思とは、関係なく…。

〔月曜日〕

 ピアノと言う楽器は、全身が木で出来ている。

 植物は、木でも野菜でも切られて尚、芽吹こうとする。それだけ生命力が強く、生きる念に溢れていると言えた。  

 だからピアノは、生き物なのだ。とても神経質で、とても繊細。そしてとても正直だ。気温?湿度の変化にすら反応し、音色もたちまち悪くなる。

 それゆえにピアノの所有者は、常にそのコンディションを気遣ってやらなければならない。

「だからね、奥さん。年に一回はメンテナンスしないと。このピアノ、前に調律してから十五年経ってますよ、十五年!」

 ピアノを持ってる資格なんかあるか…と言ってやりたいのを、悦嗣はぐっと我慢した。

 加納悦嗣は調律師をしている。七年前までは普通の会社に勤めていたが、脱サラしてこれを始めた。もともと芸術大学の器楽科(ピアノ専攻)を卒業していて――と言っても、三流大学だが――、こちらの方がそれを生かした職業だろう。

 ピアノ教師はガラじゃない。プロのピアニストには才能が追いつかない。しかし幼少時からの音楽教育の賜物か、絶対音感の持ち主だった。それが調律に役立つかと言われれば疑問ではあるが、要は音楽の世界に身を置きたかったのである。

 人に使われる為の忍耐は、三年で使い果たされてしまっていたので。

「これが限界。ここまで放って置かれたピアノはへそを曲げるから、またすぐ狂ってきますよ。しばらくは三ヶ月に一度調律することをお勧めします」

 顔の広さも手伝って、仕事の依頼は順調だった。しかし歯に衣着せぬ物言いが好き嫌いを呼んで、二度とお呼びのかからない客もいる。逆に、その自信が裏打ちする調律の腕を買って、彼を専属に使いたがるピアニストもいて、リサイタルに同行することもあった。

 今日の客は多分、前者。十年も調律していないピアノだと聞いていたが、実際はそれ以上の代物で、その上ほとんど弾いていないのか、音の狂いは相当なものだった。ピアノに特別思い入れがある方ではないが、職人としての悦嗣には許せない範疇で、物言いも冷たくなろうってものだ。

「まったく、ピアノは置物だとでも思ってんのか」

 車に仕事道具を放り込みながら、悦嗣は独りごちた。

 時計を見ると、次の仕事の時間まで余裕がない。〝放置ピアノ?に思いの外、手がかかってしまっていたらしい。

「連絡、連絡っと」

 取り出した携帯電話に、メールの着信マークがついている。開いてみると、曽和英介からだった。

〝トラブル発生。今夜遅れるかも?

〝ok?と短く返信した後、浅く溜息をついた。

 四年前にウィーンのWフィルのオーデションに受かって渡欧した英介が、久しぶりに帰国していた。仕事がらみであったが、オフも兼ねて一ヶ月近く滞在するとの事で、飲みに行く約束をしていたのだ。

 人生最大の衝撃とも言える、感情に気づいた彼の結婚式から、七年が経っていた。

高校以来の親友に対する気持ちが、実は友情以上のものだったことは、悦嗣の中にギクシャク感を残した。転職による忙しさを理由に、会う機会も減らした.

 だから四年前、英介がウィーンに行くことが決まった時は、友人として寂しい反面、ホッとしたものだ。

「ま、四年も経ってるしな」

 渡欧してからは英介も多忙でほとんど帰国せず、メールのやりとり程度のつきあいで済んでいた。

 少しは自分の気持ちに整理がついているかも…と言うより、あの感情は錯覚だったかも知れない…と思えるようになっていた。

 悦嗣は次の仕事先に連絡を入れ、アクセルを踏んだ。

 ローズテールはピアノやジャズバンドの生演奏が売りの店で、悦嗣も週に一、二度の割合でピアノ弾きのアルバイトをしている。英介とはそこで飲む約束をしていた。

 彼は小一時間ほど遅れてやってきた。二人はカウンターに並んで座り、それぞれ好みのドリンクをオーダーした。

 今夜はジャズの日で、スローテンポの曲が店内を満たしている。テーブル席はカップルが占めていた。

「どうしてた?」「忙しそうだな?」の言葉から、二人は会話を広げていく。

 曽和英介は『月島の奇跡』と呼ばれていた。

 二人が卒業した私立月島芸術大学は、歴史が浅い上に、多少腕に自信がある人間なら、大抵入ってしまう三流大学である。従って卒業後の進路も、芸術系とは無縁な所に決まる学生がほとんどであった。

 その日本国内でも無名の芸大?月島から、Wフィルのチェリストになったのが、曽和英介なのだ――並居る世界のライバルを押しのけて。

「おまえは技術的には申し分なかったからな。月島にいたこと自体、七不思議だ」

「だって俺、英語最低だったし、聴音が鬼門だったから」

「聴音は記符がトロかっただけだろ? 英語だって受験英語がダメだっただけで、今じゃペラペラじゃねえか。ドイツ語だって喋ってるし、実践向きってことさ」

「そっかぁ、じゃあ俺、天才型ってこと?」

「ぬかせ」

 久しぶりの再会、久しぶりの会話に酒量も増える。

 英介は以前と変わらず、屈託のない笑みを絶やさない。

 そして悦嗣は…その笑顔を見て思い知る。七年前に気づいた想いは、やはり錯覚などではなかったことを。

「小夜子、元気か? あいつは日本に居るんだよな?」

 それを振り切るように、話題を曽和小夜子に移した。英介の妻であり、悦嗣にとっては大学時代の友人でもある。

「あいつの仕事も忙しそうだよな。出版社だっけ?」

 学生時代はサークルが同じだったこともあり、三人でいつもつるんでいた。

「編集長になったらしい。彼女とは、今、離婚調停中」

 快活で、華やかで、気取りのない彼女に、英介は一目ぼれだった。友人の一人としてしか見なかった悦嗣と違い、英介は常に小夜子を女性として扱っていた。

「ええ!?」

 卒業後は就職先も別々で、悦嗣は小夜子と間遠くなったが、英介はこまめに連絡を取っていたらしい。そして二人は結婚した。

「この四年、別居みたいなものだったから。そろそろ結論出した方がいいかなって」

 その英介の口からは、二人の離婚が語られる。

「だって、おまえ、小夜子にベタ惚れだったじゃねぇか」

 ちょうど音楽が途切れて、興奮して大きくなった悦嗣の声に、周りの客が一瞬、振り返った。

 英介が苦笑う。

「うん、俺はベタ惚れだったけど、小夜子は元々エツが好きだったんだよ。周りは彼女にプロポーズするのは、おまえが先か、俺が先かって言ってたくらいだから」

「俺は小夜子に恋愛感情なんて、持ってなかったぞ」

「エツは友達に男女の区別ないからな」

「あいつにそれ、確認したのか?」

 英介は首を振った。

「それだけじゃないんだ。小夜子の仕事が順調で、日本を離れられなくなったって言うのもある。時間が合わなくて、ここ二~三年はほとんど会ってないし。そうなったら別に夫婦でいる意味はないしね」

 淡々と話す英介だったが、悦嗣は「らしくなさ」を感じていた。

 二人がこの話を、ちゃんと話し合っているかどうか。

「トラブル発生って、小夜子のことだったのか」

 もしかしたら、昨日今日、そういうことになったのかも知れない。

 悦嗣のつぶやきに、英介は「違う違う」と笑って手を振った。

「前から出ていたんだ、この話は。具体的になったのは最近だけど。もう少し気持ちに整理がついて形になったら、おまえに話そうと思ってたんだ。それに今回は仕事で帰ってきてるし。離婚の話より、そのトラブルの件で、エツに頼みがあるんだけどな」

 英介は話題を変えた。話したくない時、彼は多少不自然であっても、話を刷りかえることがある。

 今はまだ話したくない…と、笑んだ目が語る。仕方なく悦嗣も、逸らされた話に耳を移した。

「今回アンサンブルのコンサートで回っているんだけど、ピアニストが腹膜炎で倒れちゃって、代役探してるんだ」

「俺の知り合いに、腕の良いピアニストなんていないぜ」

 悦嗣の頭の中には、まだ離婚の二文字が残っている。だから次の話題に素っ気ない。

 英介は構わず続けた。

「エツに頼みたいんだけど」

 グラスに近づけた口を、悦嗣は離した。

「何言ってやがる。何年弾いてないと思ってるんだ」

 さっきの話題が吹き飛んで、意識が彼に戻ると、あきれたように言った。

「そうかな、時々バイトで弾いてるって聞いたけど?」

「あのなぁ、アンサンブル?ピアノと、結婚式やカフェのバイトと同じにするなよ」

「曲目はブラームスのピアノ五重奏。学生の時に弾いたことあるだろ?」

「おい」

 英介はカバンの中から、楽譜を取り出していた。用意周到である。

 目の前に差し出されたそれを、悦嗣は軽く払った。

「だから、卒業してから何百年経ってると思ってんだ」

「俺はエツの腕を惜しいと思ってるよ。機会があれば、もう一度一緒に弾きたいと思ってた」

 英介の顔から笑みは消えていた。思いつきの冗談ではなさそうだ。

 悦嗣はグラスの酒をあおった。

「エースケ、そのチケット、いくらなんだ?」

「五千円」

「五千円払って来る客に、カフェバーのバイトのピアノを聴かせんのか? 客を馬鹿にすんのはよせよ」

 昔からそうだが、英介は悦嗣をピアニストとして過大評価する嫌いがある。三流とは言え、芸大でピアノを専攻した身にとって、海外で活躍する人間から評価されるのは、悪い気はしない。

 しかし英介が知っている悦嗣の腕前は、学生時代=全盛期の頃のもので、遠い過去のものなのだ。

 卒業してから悦嗣が彼の前で弾いたのは、結婚披露宴での即席デュオの一曲。その評価が適正とは言い難い。

 悦嗣の言葉に一瞬詰まった英介だが、尚も話を続けようと口を開きかけた。

「久しぶりに会ったんだから、そんな実にならない話はやめて、飲もうぜ」

「エツ」

「いい加減にしろよ、エースケ。離婚話、蒸し返すぞ」

 それを冗談めかして、しかし脅し半分で抑えつけ、無理やり話を終わらせた。

 仕方なく英介は、それ以上その話を続けなかった。

 そうしてやっと、『久しぶりの再会に酔いしれる夜』に戻ったのである。

Slow Luv op.1 -2-

〔火曜日〕

「やられた…」

 悦嗣が大きく溜息をついたのは、飲んだ翌日の夕方のことである.

 朝一番で仕事の依頼がきた。どうしても今日ピアノを使いたいから、調律してほしいとのことだった。

 きっと二日酔いになると思って、一日オフにしていた。マンションに戻ってベッドに入ったのが朝の三時半。アルコールはまだ抜けずに残っていて、コンディションは最悪だ。

 そう言って断ると、夕方からでも構わないと相手は答えた。それに大学の恩師の名前を出されて――卒業単位を大目に見てくれた立浪教授で、文字通りの恩師だったことから――断りきれず、引き受けたのだ。

 今日どうしても使いたいピアノの調律を、夕方でも構わないと言うのもおかしな話だと気づいたのは、指定された場所への道すがらだった。

 そして現場の音楽スタジオに着いた悦嗣を、

「どーも」

ニコニコと人懐こい笑顔で、チェロを持った英介が迎えたのである。

 彼の他に男が三人。ヴァイオリン二台にヴィオラが一台。そして部屋の中央に、グランドピアノが据えられていた。

 どう見てもアンサンブルの構成だ。事情が飲み込めて出たのが、肩も揺れるほどの溜息なのである。

「俺は調律を頼まれたんだけど」

「勿論、それもしてもらうけど、でも先に合わせてくれないかな。待ってもらってたから。あ、紹介するよ。ファーストのサクヤにヴィオラのウィル、それからセカンドのミハイル」

「エースケ!」

 英介はおかまいなしに、英語で悦嗣を三人に紹介していく。

「いい加減にしろよ、エースケ!」

 肩を掴んで、自分の方に向かせた。

 舌打ちする音が聞こえた。ヴィオラの男が、不快な顔で悦嗣を見ていた。一言二言、隣の男に耳打ちする。された男は肩を竦めた。この二人は白人で、残りの一人は東洋人である。彼はさして興味もなさそうに、部屋の隅の用意された机の方に向った。

 英介がヴィオラに話しかける。相手はチラチラと悦嗣を見ながら、英語でまくしたてた。

 英会話も早くなるとわからない。しかしその表情から、悦嗣に対する不快感が読みとれる。どうやら代役のピアニストが調律師だったことに、驚いているらしい。

「こいつにピアノが弾けるのか」とでも言っているのだろう。

 このメンバーの中で、英介のポジションはどの程度なのか。困ったような笑顔で、仲間を取り成す英介の形勢は、あきらかに不利だった。

 上背のある白人二人が言葉をたたみかける様と、我関せず的態度の東洋人に対して、だんだん悦嗣は腹が立ってきた。

「楽譜、寄越せ、エースケ!」

 上着を脱ぎ捨てピアノの前に座る。英介が楽譜を悦嗣に手渡す。

 ブラームス ピアノ五重奏曲へ短調Op34――この楽譜面を見るのは十二年ぶりだった。大学三回生の学内演奏会で、英介と組んで弾いたきりだ。

 彼の好きな曲で、アンサンブルするならこの曲が良いと言って、引かなかったことを覚えている。今回の選曲も、彼が噛んでいるのかもしれない。

 悦嗣はどちらかと言うと、ブラームスには苦手意識を持っていた。

 覚えているだろうか、この指が。

 グッと拳を握った。

「とっとと位置につきやがれ」

 チューニング用にA音を鳴らした。ピアノはちゃんと調律されている。ハンマーの重さもほどよく、悦嗣好みだった。

 部屋の隅にいた東洋人がスタスタと位置に着き、チューニングを始めた。後の三人もそれぞれの位置に着いた。

 第一楽章は、ピアノと第一ヴァイオリン、チェロのユニゾンから入る。

――成るように成れだ

 とりあえず全楽章を通し終え、休憩が取られた。

 悦嗣はピアノから離れて、スタジオから出て行った。残った四人は、ドリンクが乗った机の周りに座っていた。

 ヴィオラのウィルヘルム=ブルナーの隣に、英介は席を取った。

「どう、あいつ?」

 額の汗をタオルでふき取りながら、ウィルは英介を見た。

「悪くない。ブランクがあった割にはタッチが荒れてないし、何より耳がいい」

「ミハイルは?」

 第二ヴァイオリンのミハイル=クルセヴィッツは、クッキーに手を伸ばす。

「ファーストのクセをよく見抜いてるよね。って言うか、感性が似てる。タイミングの取り方とか、テンポ感とか」

「さく也とは合うと思うよ。エツ好みの弾き手だから。で、さく也?」

 第一ヴァイオリンの中原さく也は、ミネラルウォーターのペットボトルから口を外した。

「何でもいい。人前で弾ける奴なら、誰だって」

「サクヤも好みなんだろ、あのタッチ? 途中で止めずに弾いたじゃん」

 ミハイルがさく也の背後に回って抱きすくめた。その手を彼が払う。

「何にしても今のままじゃダメだろ。練習させとけよ、エースケ。俺達の足を引っ張らないようにな」

「くっくっく、今日はウィルが足、引っ張ってたくせに」

「あれはだなぁ、どんなピアノが鳴るか気になってだなぁ」

 ミハイルにからかわれて、ウィルは首まで赤くして反論する。

 演奏前の険悪なムードは払拭され、いつもの調子に戻っていた。

 悦嗣は完璧だったわけではない。ミスタッチも多く、強弱?緩急のタイミングのズレも否めない。

 しかし一度も止まらなかった。ミスタッチは巧くカヴァし、耳障りに感じさせない。タイミングのズレは、何の予備知識もなくぶっつけで合わせたのだから、ブランクを考えると仕方がない。 だが止まることなく、弾ききったことは、大して期待していなかった、むしろ、無理に違いないと思っていた英介以外の人間の口を、黙らせるに十分だった。

「じゃあ、彼でいいね?」

「彼で行きたいんだろ、エースケは?」

 ウィルの言葉に英介はにっこり笑って、

「エツに話してくる」

と、部屋を出た。

 喫煙フロアのソファに、悦嗣はぐったりと座り込んでいた。手には缶コーヒーが握られていたが、プルトップは上がっていない。

「つっかれた…」

 煙草を立て続けに二本吸ったせいか、頭の奥がクラクラする。

 あんなに真剣に楽譜を見たのは、大学の卒業試験以来。目と耳と脳みそをフル稼動した気分だ。

「エツ」

 背後で英介の声がした。悦嗣は振り返らなかった。疲労もあったが、怒りもあったから。

「合格だってさ」

 悦嗣の隣に英介が座る。

「何が合格だ。おまえ、わかってんのか? 俺は素人同然なんだぞ。立浪の名前まで出しやがって。いつの間に、そんな小賢しい真似、覚えたんだ」

「エツ」

 もう一本、煙草を咥えて火を点けた。

「おまえはいつも、俺の欲目が過ぎるっていうけど、」

 英介は悦嗣の口から煙草を取り上げて、灰皿に突っ込む。

「彼らがおまえで良いって言ってるんだぞ。ずっと友達やってる俺じゃなく、プロが言ってるんだ。少しは自分の評価を上げろよ。弾けてたじゃないか」

「あれが弾けてたって言うか」

 ケンカ腰のタッチだった。途中で止まるものか…という意地で、ただ弾ききった。あれ以上、英介の困惑した顔を、見たくなかったからだ。

「とにかく、早く代わりをあたれ。義理は果たしたぞ。おまえの超過大評価に対しても、教授の恩に対してもな」

「エツ」

 飲まなかった缶コーヒーを英介に突きつけるようにして渡すと、悦嗣は立ち上がった。

「もうこの話は終わりだ。俺は帰って寝るからな!」

 そう言うと足元に置いた商売道具を抱え、エレベーターの方へ踏み出した。

〔水曜日〕

 加納家の末っ子?夏希は、玄関のドアを開けようとした時、離れのレッスン室に灯りが点いていることに気がついた。

 腕時計を見ると、十時を回っている。生徒が来ているはずがなかった。

「ただいまぁ」

 それでは母が指ならしか何かしているのかと思ったら、居間の方からその母の声が返ってきた。

「お帰り。遅かったわね。ごはんは?」

 居間に入ると、父と母が仲良く並んでテレビを観ていた。

「食べてきた。レッスン室、電気点けっぱなしだよ」

「エツが使ってるのよ」

「エツ兄が? 調律に来てるの?」

「弾いてるのよ。夕方からずっと。自分とこじゃ、防音になってないとかなんとかってね」

 母は時計を見やると、立ち上がってキッチンに入った。

 トレイにマグカップを一つ置いて、コーヒーメーカーに残っているコーヒーを注いだ。

「エツ兄がうちで弾くのって、卒業以来じゃない?」

 夏希は自分のマグカップを戸棚から取り出すと、母の前に差し出した。

「そうなのよ。今、英介君が帰国してるって言うから、刺激されたのかしらね」

「ふーん、これエツ兄の? 私、持ってく」

 母が持ち上げたトレイに自分のカップを乗せて引き取ると、夏希は居間を出た。

 加納家は少子化の現代では珍しく、四人きょうだいである。上三人が男――悦嗣は二番目――で、皆、独立して家を出ている。末の夏希は両親待望の女の子で、悦嗣と同じ月島芸大に在学中。器楽科で弦楽(チェロ)を専攻している。

 ちなみにきょうだいは母親が開いているピアノ教室の出身者だった。音楽の道に進んだのは二番目と末っ子で、特に悦嗣は期待をかけられていたが、演奏家にはならなかった。

「エツ兄!」

 ノックもなしにいきなりドアを開けると、ピアノの音は鳴り止んだ。

 悦嗣はムスッとした表情で、夏希を見る。

「相変わらず、プライベートのない家だな。ノックぐらいしろよ」

 夏希はピアノの脇のテーブルにトレイを乗せた。

「久しぶりだねぇ、うちで弾くの。何かあるの?」

 カップを手に取ると、悦嗣は口をつけた。

 好奇心満々で、夏希は彼の答えを待っているが、

「ねえよ」

と、素気無く悦嗣は答えた。

 彼女は譜面台に乗っている楽譜に、目を移した。手を伸ばして表紙を見る。『ブラームス』という文字を辛うじて見止めた時、横から悦嗣の手がそれをさらって、譜面台の脇に追いやってしまった。

「珍しいね、ブラームス? エツ兄、ブラームス嫌いだったじゃない」

「嫌いじゃない。苦手なだけだ」

 ブラームスの楽譜は、ピアノ五重奏曲ヘ短調Op.34である。

 結局、悦嗣は今回の件を引き受けてしまったのだ。

 無理やり音合わせさせられた日の夜、英介から何度もメールと留守電が入っていた。

 内容はどれも同じ。

〝代わりは探さない?

 温和な性質でありながら、英介のしつこさ、粘り強さは周知だった。

 惚れた弱みという言葉は、自分には縁遠いと思っていた悦嗣だが、振り返ってみるに、一度も彼に逆らったことがないような気がする。

 翌日――つまり今日だが、仕事先に英介がやってきて、「代わりは探さない。エツが必要なんだ」と言われるに至って、承諾してしまったのだ。その十分後に、都合してもらった大昔の卒業単位を盾にした、立浪教授からの電話が入ったのは、とんだおまけだった。たった一つの単位が、一生ついて回るかも知れない。英介の駒として。

「いつもこんなに遅いのか?」

「ううん、今日ねぇ、英介さんが大学に来たんだよ。公開レッスンで。終わった後、教授達とごはんに行くってんで、連れてってもらったの」

「公開レッスン! あいつもお偉くなったもんだな」

「なんたって月島の奇跡、なんたってWフィルのチェリストだもの。英介さんったら、ちーっとも変わってないね。相変わらずの笑顔良しさん。もう、惚れ直しちゃった」

 「その笑顔が曲者なんだよ」と口から出そうになるのを、悦嗣は抑えた。

「今回、アンサンブルのコンサートで来てるんだよね? 他に二人、連れて来てたよ。そんでチケット、もらっちゃった」

 口に含んだコーヒーが、思わず吹き出る。咄嗟に向きを変えたので、ピアノにはかからなかった。鍵盤にかかろうものなら、母の雷直撃である。ピアノの上で飲み食いするなと、幼い頃から叱られ続けた悦嗣であった。三十過ぎても同じ事で叱られては、立場がない。それに後始末を自らの手――それもただ働き――でつけるのも、情けない。

「やーねー、お兄ちゃん。ほら、これで拭きなよ」

 夏希はポケットからハンカチを取り出し、悦嗣に渡した。

「エースケ、何か言ってたか?」

「うーんと、そうそう、今回は東京公演だけプログラムも違うし、サプライズも用意してるから、絶対聴きにおいでって。エツ兄ももらってるんでしょう、チケット?」

――あのヤロー、いつかシメる。

と、実際出来もしないことを、心に誓う悦嗣であった。

 夏希と会うのは久しぶりで、相変わらずのマシンガン?トークは、兄に喋る隙をなかなか与えない。

 レッスン室の時計を見ると十一時を越していた。

 明日の夜に合わせがある。その前に午後、英介がダイナミクスのタイミングなどを、レクチャーしてくれることになっていた。

 練習を始めて七時間余り。ミスタッチは減ってきたが、まだその程度である。引き受けたからには、生半可なものは出したくない。何しろ、五千円のチケットなのだ。

「おまえ、明日も学校だろ? 早く寝ろよ」

 夏希の息継ぎを見計らって、割り込んだ。

「いいよ、明日は二コマ目からだし。まだ弾くの? だったら聴いてていい? エツ兄のピアノなんて、近頃なかなか聴けないしさ」

「気が散るんだよ。今度のバイトはお気軽なもんじゃねぇんだから」

「珍しー、練習嫌いのエツ兄が?」

「いいから、寝ろ」

 トレイに飲み終えたカップとハンカチを乗せて、夏希の前に突き出した。頬をぷっくり膨らませて、彼女はそれを受け取った。渋々と言ったところか。

 ドアノブに手をかけ、彼女は振り返った。

「そだ、今回、中原さく也もメンバーなんだってね。今日は来てなかったけど」

さく也――第一ヴァイオリンの日本人は、「サクヤ」と呼ばれていた。

「中原さく也?」

「ほら、十四才でザルツブルグの二位取って、昔、騒がれてた子いたじゃん。この人が超美形なのよね。今回のメンバーって、当たりだわ」

と、また話が長くなりそうな気配を察し、悦嗣は「しっしっ」と手を振った。

 夏希は「ベー」と舌を出して、出て行った。

 賑やかな彼女がいなくなると、レッスン室はたちまち静かになった。楽譜を譜面台に戻し、第三楽章のページを開ける。

「中原さく也か。そう言や、そう言う奴がいたな」

 悦嗣とさく也が月島に入学した年、ザルツブルグ国際コンクールのヴァイオリン部門で、二位の成績を取った日本人がいた。まだ十四才の少年だった上に、そこら辺のアイドルも逃げ出す容姿を持っていたので、音楽雑誌はもとより、芸能雑誌までが騒がしく取り上げていたことを、悦嗣は思い出した。彼の名が中原さく也と言った。

 日本の音楽界が凱旋演奏会を、芸能界が帰国後のメディア露出を、それぞれの思惑で切望したが、中原さく也は日本には帰らなかった。後にわかったことだが、アメリカ生まれで二つの国籍を持つ彼の生活圏はボストンで、日本に思い入れが――これっぽっちの興味も――なかったらしい。

 それから十数年、いつの間にか彼は忘れられていた。時折り『あの人は今』的に思い出されることもあったが、足跡を辿ることは出来なかった。十四才で才能と運を使い果たしたのだと、結論付ける評論家もいた。

「そんなこたぁ、どうでもいい」

 悦嗣は鍵盤に指を落とした。

 Slow Luv op.1 -3-

〔木曜日〕

「太陽が黄色い」

と、悦嗣は独りごちた。

 六月に入ったばかりだというのに、気温はすでに夏である。「太陽が黄色い」と言う比喩は、決して大げさなものではなかったが、彼の場合は、極度の寝不足がその言葉を生み出したのだ。

 明け方までピアノの前にいた。居間のソファでうたた寝していたら、夏希のやかましい朝の身支度で邪魔をされた。午前十時に彼女が家を出て行き、やっと熟睡。しかし感覚的にその睡眠時間は一瞬だ。

 練習用にと用意されたスタジオに、十四時という約束だった。もっとも太陽が黄色い時間である。だからと言って、一時間近い遅刻の言い訳にはならなかった。

「遅れてすまん」

 スタジオの重いドアを開けるなり、悦嗣は言った。

 しかし部屋の中には英介の姿はなく、中原さく也がピアノの傍に立っていた。

「え…っと、エースケは?」

 顎の下からヴァイオリンを外し、

「夜まで来れない。代わりが俺」

抑揚の無い声が答えた。それから壁にかかる時計を見やる。

「エースケから、二時の約束だって聞いてたけど」

 これが中原さく也か。悦嗣はあらためて彼を見た。

 ザルツブルグから十三、四年経っている。あの頃の顔は覚えていないが、当時の芸能界が追いかけまわしたことは、納得出来た。夏希が言った通り、美形に分類されるのだろう。右目の下にある小さなホクロが、印象的だった。

 そのホクロに目が釘付けになった時、彼と目が合った。

「寝過ごしたんだ、ごめん」

「じゃあ、他のパートは俺が弾くから、第一楽章から通す?」

「お願いします」

 ピアノの椅子の脚元にカバンを無雑作に置き、中から楽譜とペンを取り出した。

 スケールでハンマーの重さやピッチ、鳴り具合を確かめる。今日のピアノは軽く、ピッチも高めで華やかな音色がした。

 Aを鳴らすと、さく也がチューニングを始める。

 前回は合わすのでいっぱいいっぱいだった悦嗣は、第一ヴァイオリンの音など覚えていない。中原さく也はザルツブルグ以後、姿を消してしまったので――と言うより、日本で演奏しなかったので、生で演奏を聴くのは初めてだった。

 第一楽章は第一主題のユニゾンから。今回のクインテットは、この第一主題をたっぷり聴かせる。

 三拍の空振りで入りのテンポを示し、中原さく也の弓が弦を滑った。

 悦嗣の耳は、いつの間にか観客のそれになっていた。第一楽章第二主題の後半に差し掛かった時、我知らず彼の手は止まる。

「なんだ?」

と言う、さく也の問いに、

「なんで?」

と、悦嗣は疑問形を発した。

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