《 》里面的是发音,没有的就是不是很难的发音,所以没标
白《 》、白、白……。
どちらを向いても、白《 》一色。
まるで、自分の周囲だけを残して、世界が消失してしまったかのような、濃《 》い霧の中を。
赤無《あかむ》海上技術学校の練習船〈曙光丸《しょこうまる》〉は、頼り無さ気に漂っていた。
同船《 》が教官一名と生徒三名を乗せて、赤無港から実習航海に出航したのは三時間前のこと
だ。本来の予定なら雅忠節《まさちゅうせつ》湾を一周して、とっくに帰港している時刻だ。
天気は快《 》晴、波も穏やか、基本的には生徒たちだけで操船させるとは言え、熟練の教官が 監督に就《つ》いている。事故など起きるはずもなかった。
しかし、海《 》は気まぐれだ。
沖に出《 》たところで、突然霧が出始め、あっという間に視界は数メートルにまで低下してしまっ
た。この季《 》節に、この海域で、こんな濃い霧が発生するなど、前例がないことだ。
しかも……。一《 》
「応答願《 》います、応答願います!」
必死で通信機に呼びかけているのは、金髪碧眼の少年だ。作業服の胸に挿《さ》した名札には 〈三年B組?ウィリアム香坂《こうさか》〉と書かれている。ハーフだろうか。
華奢《きゃしゃ》で小柄な体格、柔らかい曲線で構成された優しげな顔立ちは、うっかりすると少女と間違 われそうだ。言《 》っては何だが、これで船乗りが務まるのだろうか。
「こちら、曙光丸! 応《 》答願います……だめだ、通じない」
もう一時《 》間も呼びかけ続けているのに、通信機からはノイズしか返ってこない。
「くそっ、レーダーもGPSもいかれてやがる!」一《 》
何も表示されないモニターに毒づいているのは、ウィリアムとは対照的な、長身の少年だ。名
札には〈端島満《はしまみつる》〉と書かれている。
身長を最大限に活かすかの如《ごと》く、切れ長の双眸《そうぼう》は、常に周囲を見下している。肩まで伸びた髪 は、毛先の跳《 》ね具合までばっちり計算されており、それがまた、憎らしい程似合っている。
「香坂! お前《 》がちゃんと整備しないからだぞ!」
満の怒《 》鳴り声にはしかし、どこか計算めいた響きがある。こいつになら、何を押し付けても大
丈夫《 》だ、と。
彼に間《 》髪入れずに続けて。
「全くだよ。我々の成《 》績に響いたら、どうしてくれるんだ?」
冷たい口調で言ったのは、ひょろりとした体格の、眼鏡の少年だ。名札には〈北条秀一《ほうじょうしゅういち》〉と書《 》かれて いる。
洗練された物腰は育ちの良さを伺《うかが》わせるが、反面、口元には常に媚《こ》びへつらうような笑みを 浮かべている。すすすと音もなく満の背中に回る様子は、まさに虎の威《 》を借る狐。
「あ、あの、その……」一《 》
そんな満《 》と秀一に対して、ウィリアムはおどおどするばかりだ。
確かに、機《 》器の整備を担当したのは、彼なのだが……。
「ご、ごめんなさい……」一《 》
「ごめんで済《 》むなら、海審(海難審査会の略)はいらねーよ!」
満がさらにいきり立って……いるふりをしつつ、このままウィリアムに全《 》責任を押し付けてしま おうと目論《もくろ》んだ、その時。
「おいおい、喧嘩《けんか》はよせって」
さばさばしたその声に、ウィリアムははっと表情を輝かせ、逆に満と秀一は、ぎくりと顔を強張《こわば》ら
せる。
どっと流れ込む霧と共に艦橋《かんきょう》に入ってきたのは、二十代半ばの青年だった。満よりさらに長身 で、加えて制服の袖から覗《のぞ》く腕は、しなやかな鋼のような筋肉に覆われている。
ぴんと跳ね上がった太い眉と、狼《 》を思わせる鋭い目つきは男らしいが、意外に細い顎《あご》や、す っきりした鼻梁《びりょう》など、女性的なパーツもあり、男臭くなり過ぎるのを防いでいる。
名札には〈三年B組担任教官?山本亮《やまもとりょう》〉と書かれている。まだ若いが、学校や生徒の信望厚い、 腕利きの教官だ。彼が曙《 》光丸の乗組員中、唯一の大人だ。
「実習中の事故は、教《 》官の責任だよ。お前らの成績が下がったりはしないから、心配すんなっ
て、な?」一《 》
まるで友達と話しているかのような、気《 》さくな口調。それでいて、大人の威厳も兼ね備えてい
る。そんな師を、ウィリアムは頼《 》もしげに見つめ、一方、満と秀一は叱られた犬のように縮こま
っている。一《 》
「こんな霧の中を、肉《 》眼で進むのは危ねえし……しょうがねえ、霧が晴れるまで待機だな。あ あ、端島と北条、他の船が通りかからないか、甲板《かんぱん》で見ててくれるか? 霧の中悪いが」
「りょ、了《 》解しましたっ!」
これ幸いと甲板に飛び出す二人を、亮は溜息交《 》じりに見送った。それを自分に対するものと誤解 したのか、ウィリアムが慌《 》てて頭を下げる。
「す、すみません、教《 》官。僕がちゃんと整備しなかったから……」
「いいって、いいって。そりゃ一人でやらされたんじゃ、見《 》落としの一つや二つあって当然だよ」
「え?」一《 》
もちろん、彼には全《 》部お見通しだった。
「あの二人に、整《 》備を押し付けられたんだろ、香坂?」
「あ、いや、その……」一《 》
本当なら、班《 》全員でやるべきことなのだ。責任と言うなら、あの二人こそ追及されてしかるべ
きだろう。一《 》
「あの二人にも困《 》ったもんだな。船乗りに何より必要なのは、チームワークだってのに。お前も
嫌なことは嫌《 》だって、はっきり言わなきゃ駄目だぞ?」
「は、はい……」一《 》
うつむくウィリアムに、苦《 》笑する亮。こんな性格だからだろうか、生徒たちの中でも、彼には特
別目をかけてきた。今では、二人は師《 》弟と言うより、歳の離れた友人か、兄弟のような間柄だ
った。一《 》
(しかし、変《 》だな……)
沈黙してしまった機器を見て、亮は内心首を傾《かし》げる。曙光丸は普段から念入りに整備されて
おり、事実、出《 》航前は何の異常もなかった。
にも関わらず、艦橋の機《 》器類の全てが、同時に壊れるとは。
(ま、万全を尽くしても、壊《 》れる時は壊れるか)
亮の顔には、微塵《みじん》の動揺もない。嵐の海を三日間漂流したこともある彼にとっては、こんなも の、トラブルの内《 》にも入らない……のだが。
ちらりと横《 》目で見ると、案の定、ウィリアムの青い瞳は、視界を閉ざす霧を不安げに見つめて
いる。今にも霧《 》を割って、何かが出てくるのではないかと、恐れているかのように。
「あ、あはは、やっぱり海《 》を甘く見ちゃいけないですね。いい勉強になりました」
「……そうだな」一《 》
亮が見《 》ていることに気付いた途端、慌てて笑みを浮かべてみせたが、無理をしているのは明
らかだった。何とか彼の不安を紛らわせられないかと思案した亮の脳裏《のうり》に閃いたのは、故郷の
湘南《しょうなん》の海だった。
江ノ島《えのしま》を背景に、波頭きらめく湘南の海は、亮の原風景だ。
「なあ、香《 》坂。俺の実家の話は覚えてるか?」
「あ、はい、確《 》か代々船乗りの御家系でいらしたとか」
いきなりそんな話題を振られて戸惑いながらも、ウィリアムは律儀《りちぎ》に答える。
「ああ、それで一《 》応、船を持ってるんだ。オンボロだけどな。で、今度の連休に、里帰りがてら、
ひさびさに乗りに行ってみようと思《 》うんだけど……良かったら、お前も来ないか?」
「え? いいんですか?」一《 》
ウィリアムの少《 》女のような顔に、霧も吹き飛ばしそうな笑顔が浮かぶ。
「ああ、お前に操《 》船させてやるからさ。いい練習になると思うぜ。そうそう、海の近くだから、刺
身も旨《 》いぞ~」
「よ、喜んで! うわあ、楽《 》しみだなぁ」
そんな風《 》に、亮がせっかく明るくした雰囲気を。
突如襲い掛《か》かった、突き上げるような衝撃が、跡形もなくぶち壊した。
~2~
「どうした!?」一《 》
甲板に飛び出した亮とウィリアムを出迎えたのは、狼狽《ろうばい》しきった満と秀一だった。
「わ、分《 》かりませ……うわあっ!?」
ぐらりと甲板が傾き、危うく満が海に転げ落ちそうになる。とっさに亮が腕を掴《つか》んで助けたが、
傾きは一向《 》に戻らない。
「何かに掴《 》まれ!」
生徒たちにそう指示し、自らは海に落ちないよう、慎重に船側《せんそく》を覗き込む。
(……!?)一《 》
亮は目を見《 》張った。
鋼鉄製の船体に、直径一メートルにも及《 》ぶ穴が開いている。
(何でこんな穴《 》が……!?)
まるで、魚雷でも打ち込まれたかのようだ。海水が轟々《ごうごう》と穴に流れ込んで……沈没は避けられ ない。一《 》
亮は即決した。危機に陥《おちい》れば陥るほど、冷静になれるのが彼という男だ。
「脱出するぞ、救《 》命ボートの準備だ!」
亮の一《 》喝が、パニックに陥りかけていた生徒たちを、我に返らせる。
見習《 》いとは言え、生徒たちも船乗りの端くれ、救命ボートの使い方は学んでいる。
「よし、出《 》すぞ!」
四人を乗《 》せた救命ボートが離れて間もなく、曙光丸は海底に没していった。
「みんな、怪我《 》はないか?」
「は、はい!」一《 》
「しかし、一体《 》、何があったんだ……?」
亮の経験を以《も》ってしても、判然としない。生徒に操船させることを前提にしている曙光丸は、 小型ながら頑丈《 》に造られている。その船体に、あんな大穴が開くなど……。
「漂流《 》物でもぶつかったんでしょうか?」
ウィリアムの呟《 》きに、すかさず満と秀一が反応する。
「ば、馬《 》鹿言え! 俺らはちゃんと見張ってたぞ!」
「でも、何《 》も見えなかったんだ!」
「べ、別に、端《 》島君たちを責めてる訳じゃ……」
「分かってるって。漂《 》流物がぶつかったぐらいじゃ、あんな大穴は開かねえよ。多分、暗礁《あんしょう》に乗り 上げたか、エンジンが爆《 》発でもしたんだろう」
そう言《 》いながら、亮は自分の推測を、内心疑問に思っていた。この海域には暗礁などないし
――そうでなければ、練《 》習船の航路にはできない――、エンジンの爆発にしては、火も煙も出
なかった。一《 》
「そ、それで、我《 》々、大丈夫なんでしょうか?」
秀一がおずおずと尋《 》ねる。
(おっと、いけねえ。俺《 》としたことが)
一番優《 》先すべきことを、後回しにしていたとは。さすがに、少し動揺していたらしい。
優先すべきこと……言《 》うまでもない。生徒たちを安心させてやることだ。事故原因の究明な
ど、後《 》でもできる。
「なぁに、心《 》配いらねえよ。学校がすぐに救助を手配してくれるさ。位置も大体分かってるんだ
し、長くても一日の辛抱《 》だよ」
亮の保《 》証に、ようやく生徒たちもわずかに緊張を解く。
「よし、一《 》応、備品類の確認をしておこう。まあ、必要ないだろうけどな」
「はい!」一《 》
乾パンや飲《 》料水を数え始めた生徒たちを尻目に、亮は曙光丸が沈んだ辺りを悲しげに見つ
めた。一《 》
まあ、船舶《せんぱく》保険には入っているから、経済的損失は然程《さほど》ではなかろうが……船乗りにとって、船 はただの道《 》具ではないのだ。
(生《 》徒たちとの思い出が詰まった、大切な船だったのにな……)
心の中《 》でだけ、そっと涙を流した、その時。
(……!?)一《 》
「教官、備品は全部揃《そろ》ってます!」
満が代《 》表して報告する。
しかし、返《 》事はない。
「あの、教《 》官?」
「そ、そうか、分《 》かった」
亮は息が詰《つ》まりそうになるのを、必死で堪《こら》えていた。
(何だ、今《 》のは……)
ほんの一《 》瞬だった。しかし、確かに見た。
曙光《 》丸が沈んだ辺り、その波間の下で、巨大な影が蠢《うごめ》くのを。
見えた部《 》分だけでも、曙光丸と同じぐらいの大きさだった。
(鯨《くじら》……いや、藻《も》の塊か?)
理性は無難《ぶなん》な可能性を列挙《れっきょ》するが、本能は猛然と反論する。あれは、そんな見慣れた海の住
人ではない。だって、あれは――。一《 》
――こちらの様子を、じっと窺《うかが》っていた。暗い海中から、悪意に満ちた眼差《まなざ》しで。
もしや、あれが曙光丸を……突拍子《とっぴょうし》もない所に走りそうになる思考を、慌てて引き戻す。
だが、幸《 》いにもと言うべきか、次の瞬間、それどころではなくなった。
「きょ、教《 》官、あれは……!?」
今度は、生《 》徒たちから動揺の叫びが上がる。
「どうした?」一《 》
「前方に……何《 》かが……」
この霧の中でも、輪郭《りんかく》だけは分かった。
「船《 》……!?」
曙光丸とは比《 》較にならない大きさだ。全長は100メートル近いだろう。圧倒的な威圧感を放っ
ている。一《 》
「助《 》かった!」
すかさず、備《 》品の中にあった信号銃を発射する。弾は霧の中でも明るく輝き、船の姿を照ら
し出《 》した。
ほぼ灰色一色の無骨《ぶこつ》な外観。あちこちから突き出している……。
(砲身? ということは、軍《 》艦か?)
動きは見《 》られない。どうやら、停船しているようだ。
「運が良《 》かったですね、教官!」
ウィリアムははしゃいでいる。そう、それが当《 》然の反応のはずなのに。
「あ、ああ、そうだな……」一《 》
亮は素直に喜べない。その軍艦が漂《 》わせる、異様な雰囲気のせいだ。
霧の海に静かに佇《たたず》む様子は、死者を迎えにやって来るという、三途《さんず》の川の渡し舟のようだ。
しばらく待ってみたが、軍《 》艦に反応はない。
「ま、まさか、気《 》付いていないんじゃ……」
「ちくしょう、さっさと気《 》付きやがれ!」
苛立《 》った満が信号銃を連発するが、状況に変化はなかった。
「しょうがない、もう少《 》し近付いてみよう」
万が一、急に相手が動き出した場《 》合を想定して――あんなものに接触されたら、それこそひ とたまりもない――慎重にオールを漕《こ》いだが、杞憂《きゆう》に終わった。
軍艦は動《 》くどころか、物音一つ立てない。海に建てられた壁の如く、ただ静かに亮たちを見
下ろしている。一《 》
近付くにつれ、船《 》側に書かれた船名が見えてきた。英語のようだ。
(アメリカの軍《 》艦か? 変だな、この近くを通過するなんて話は聞いてないが)
船名《 》は……。
USS Eldridge DE173
「エルドリッジ!? フィラデルフィア実験《エクスペリメント》の……!?」
~3~
フィラデルフィア実験《エクスペリメント》。
超常現象に興味のある人《 》間なら、一度は聞いたことがあるだろう。亮たちも、合宿の怪談大
会で聞《 》いたことがあった。
第二次世界大戦の真っ只中《ただなか》の、1943年10月28日。アメリカのペンシルバニア州フィラデルフィ アで、駆逐艦《くちくかん》エルドリッジを使って、大規模な実験が秘密裏に行われた。
それは、磁《 》場発生装置テスラコイルを使って、エルドリッジを強力な磁場で覆い、レーダーに
映らなくするというものであった。成《 》功すれば、アメリカは海戦において、圧倒的に優位に立て
るだろう。海《 》軍上層部の期待は高かった。
そして、実《 》験当日。
エルドリッジの船内に搭載《とうさい》された実験機器のスイッチが入れられると、強力な磁場が発生、同 艦はレーダーに全《 》く映らなくなった。
実験成功。しかし、実験関係者たちの喜びは、次の瞬間、驚愕《きょうがく》に変わった。
海面から突《 》如、発生源不明の緑色の光が湧き出し、エルドリッジを覆い始めたのだ。その姿
は、見る見《 》るぼやけて……何と、レーダー上どころか、現実の空間からも、完全に消えてしま
ったのだ!一《 》
実験関係者たちは通《 》信機でエルドリッジに呼びかけたが、応答はなく……どうすることもでき
ないまま、数《 》分間後。彼らは再び、驚愕の光景を目の当たりにする。
再び発生した緑《 》色の光と共に、エルドリッジが戻ってきたのだ。あたかも、消えた時の様子
を、逆再生するかの如《 》く。
慌てて艦《 》内に入った実験関係者たちが見たのは……惨状だった。
体が燃え上がって火達磨《ひだるま》になっている船員。冷凍の鮪《まぐろ》の如く凍りついてしまった船員。体が甲板 や壁と融合《ゆうごう》してしまった船員。肉体的には無事だった船員も、多くが精神に異常をきたし、エルド リッジの内《 》部はまさに地獄絵図の如くであった。
行方不明?死《 》亡16人、発狂者6人。それが、実験の結果だった。
海軍上層部は説《 》明に困り――あるいは、純然たる恐怖ゆえか――実験を隠蔽《いんぺい》した。
これが世に言う、フィラデルフィア実験の顛末《てんまつ》である。
「でも、確《 》かあの話は……」
「ああ、作《 》り話だよ、もちろん」
エルドリッジは実在する艦《 》だが、後にギリシャ海軍に払い下げられ、1991年に役目を終えて
解体された。その間、超《 》常現象に見舞われたなどという記録は、無論ない。
そもそも、超《 》常現象?フィラデルフィア実験が世に広まったのは、1956年に作家モーリス?ジェ
ソップの元《 》に、カルロス?マイケル?アレンデという人物から手紙が送られてきたことに端を発す
る。一《 》
手紙には実験の詳細《しょうさい》が記されていたというが、おそらくアレンデは、海軍工廠《こうしょう》で様々な実験が行 われていたという事実を元に、これらの逸話《いつわ》を創作したのだろう。むろん、ちょっとしたジョークの つもりで。
世間一般の人《 》々と同じく、そうだとばかり思っていた、亮たちの前に。
エルドリッジの巨《 》体は、冷然とそびえ立っている。
「ど、どういうことでしょう……?」一《 》
「ふふん、決《 》まってるじゃないか」
秀一がしたり顔《 》で語る。
「きっと、ギリシャ海《 》軍に払い下げられたエルドリッジは、偽物だったのさ。同じ型の艦は他にも あるだろうし、船《 》名を書き換えるぐらい、アメリカ海軍の権限があれば何でもない。そして、本 物のエルドリッジは、実《 》際には二度とフィラデルフィアに戻ることはなかった……こうして、五十 年もの間、海を彷徨《さまよ》っていたんだ」
「そ、そうだったんだ!」一《 》
と、まだ若《 》くて、脳が柔軟な生徒たちは、あっさり納得しているが。
(おいおい)一《 》
さすがに亮は大人。そこまで一足飛びに、常識の垣根《かきね》は超えられない。
(しかし、なあ……)一《 》
目の前にEldridgeと名を刻《 》まれた船が浮かんでいるのは、紛れもない現実なのだ。
「I'm sorry! Is there someone?」一《 》
ウィリアムが英《 》語で呼びかけてみたが、返事はない。
「誰も乗《 》っていないんでしょうか?」
「みたいだな……」一《 》
こんな大きな船《 》に、見張りがいないなど、通常なら有り得ない。少なくとも、この船が完全に放
棄されているのは、間《 》違いない。
「す、すげえ! 俺《 》たち、有名人になれるぞ! 伝説の船エルドリッジの発見者として!」
満が興《 》奮した様子で叫ぶ。さっきから黙っていると思ったら、そんなことを考えていたらしい。
「教官、乗《 》り込んで調べてみましょうよ!」
亮もエルドリッジに乗り移ることは考えていた。もちろん、満のような功名心《こうみょうしん》からではなく、生徒た ちの安《 》全のためだ。
救助が来るまで、長くて一日《 》程度とは言え、その間に天候が悪化しないとは限らない。こんな
小さなボートに揺られているより、頑《 》丈で安定した軍艦の方が安全だろう。
にも関わらず、亮《 》はなぜか即答できない。
(何か……引《 》っかかる)
原因不明の事《 》故で曙光丸が沈み、そこへちょうどエルドリッジが現れた……まるで悪しき運 命が、自分たちをあの船へと、誘《おび》き寄せようとしているかのようではないか。
(馬鹿言うな、考《 》えすぎだ)
「そうだな。無《 》断で乗船するのは気が引けるが、緊急事態だ」
自分では、使《 》命を優先したつもりだったが。
さすがの亮《 》も、気付いていなかった。
波間《 》の下に見た、異様な影。もし、あれが姿を現したら……そんな不安が、己の判断に、僅《わず》 かながら間《 》じっていたことにまでは。
~4~
幸い、非常用の梯子《はしご》が下がったままになっていた。それを足がかりに、甲板に上がる。
甲板に並ぶ砲《 》身や機雷の発射機構は、どう見ても本物だ。映画のセットという可能性は消え
た。一《 》
それに加え、その表面は錆《さび》で覆われて、ぼろぼろだった。少なくとも、相当古い船であること は間違《 》いない。
(本当に五十年間、海《 》を彷徨っていたんだろうか?)
だとしたら、こんな巨大な戦《 》艦が、なぜ今まで発見されなかったのだろう。
(まあ、海《 》は広いからな……いずれにせよ)
「この船の通《 》信機が使えないかと思ったんだが、こりゃ無理っぽいな……しょうがない、ここで
一泊《 》か」
正直、こんな所《 》で寝るのはぞっとしないが。
「手分けして、休めそうな場所を探そう。1時間後にここに集合だ。ああ、それと兵器の類《たぐい》には
触《 》るなよ」
「はい!」一《 》
亮とウィリアムは、船《 》体前部を担当することになった。二人きりになってみると、改めて周囲
の静けさを実感する。耳《 》に入るのは、波が船側に当たるちゃぷちゃぷという音だけ。50年前か
ら、時が止《 》まっているかのようだ。
(まるで幽《 》霊船だな……)
という感《 》想は、胸の内にしまっておく。ウィリアムを怯えさせては悪いので。
錆付きかけたドアをこじ開《 》け、船内に入る。
壁や床に、体が融合してしまった船《 》員――あの一節が脳裏をよぎる。そのままの姿で骸骨に なった彼らが、恨めしげにこちらを睨んでいる……そんな幻影を垣間《かいま》見て、さしもの亮も冷や汗 が滲《にじ》んだ。
もちろん、実《 》際には何もなかったのだが。
(やれやれ、昔の船《 》乗りは迷信深かったそうだが……俺にも、その血は流れているってことか
な)一《 》
「……やっぱり、ちょっと気《 》味が悪いですね」
「はは、まあ、ただでお化け屋《 》敷に入れたと思えば、得した気分だろ?」
潮風の影《 》響を受けない分、船内は錆付いておらず、当時の面影を残している。食堂には食
器が並んでいるし、ロッカールームには、船《 》員の制服がハンガーに掛けられたままになってい
た。この船に、大《 》勢の船員が乗り込んでいたことは確かだが……。
(船員は避《 》難したんだろうか。でも、なぜ……)
「きょ、教《 》官!」
反対側の部《 》屋を見ていたウィリアムから、動揺の声が上がる。どう聞いても、さっきの軽口を
真に受けて、冗《 》談で言っている風ではない。
「どうした?」一《 》
続いて覗《 》き込んだ亮も、呆気に取られる。
「何《 》だ、こりゃあ……」
ドアにはRest room(休憩《 》所)と書かれているが、中にはテーブルも椅子もなかった。がらんと
床が広《 》がるばかりだ。
その床全《 》体に、奇妙な絵が描かれている。
円と四角《 》を組み合わせた図形の中に、古代の象形文字をいくつも散りばめたような。
魔方陣。西洋《 》魔術などで、魔力を秘めると信じられた図形……だということは、かろうじて亮
にも分《 》かったが。
それが戦《 》艦の床に描かれている理由は、見当も付かなかった。
~5~
実験《 》当日、エルドリッジの船内にはテスラコイルを始め、多くの実験機材が運び込まれたと
言うが、それらしい物《 》はいくら探しても見つからなかった。
その代わり……と言《 》っても、いいものかどうか。
「こ、ここにも……」一《 》
休憩《 》室だけではなかった。船内の至る所に、あの奇妙な図形……魔方陣が描かれている。
それは、戦《 》艦の無骨な内観と相まって、奇怪極まる光景になっていた。
「何のために描《 》いたんでしょう……?」
「……さっぱり分《 》からないな」
やがて二人は、乗組員の寝室らしき部屋を見つけた。ボロボロの寝台が、棺《ひつぎ》のように並んで
いる。一《 》
(ん? これは……)一《 》
寝台の横《 》のサイドボードに、小さな手帳が置いてある。船員の私物だろうか。手に取った亮
の目に、おそらく持《 》ち主の名だろう、表紙に書かれた文字が飛び込んでくる。
Carlos Michael Allende一《 》
「カルロス?マイケル……アレンデ!?」一《 》
フィラデルフィア実《 》験の詳細を、手紙で密告したという人物だ。
「そうか、エルドリッジの船《 》員だったんだな……」
ぱらぱらとめくってみる。頻繁《ひんぱん》に日付が書かれているので、日記に違いない。この船で何が起こ ったのか、分《 》かるかもしれない。
「香坂、読《 》めるか?」
「や、やってみます」一《 》
ウィリアムの細い指が、文章を慎重に辿《たど》る。
最初の日《 》付は1943年10月24日……フィラデルフィア実験が行われたとされる日の4日前だ。
――1943年《 》10月24日。
実験の準《 》備が始まる。しかし、上層部は本気なのか? これでは、我がアメリカも、オカルト に傾倒《けいとう》しているというヒトラーを笑えないではないか……。
流麗な筆跡だ。亮にも、筆者アレンデの教養の高さは伺《うかが》い知れた。個人的な日記とは言え、 いい加減なことを書《 》く人物ではなさそうだが……。
――1943年《 》10月25日。
船内のあちこちに、魔《 》方陣が描かれた。何でも、ミスカトニック大学が所蔵する、ネクロノミコ ンとかいう魔《 》道書を参考にしているらしいが。魔道書……そんなものが実在するなんて、始め て知《 》った。一《 》
「あの魔《 》方陣は、実験で描かれたのか……」
エルドリッジ内《 》で実験が行われたのは、事実だったらしい。
だが、用いられたのは、テスラコイルではなく……あの魔《 》方陣だったというのか。
――1943年《 》10月26日。
実験で詠唱《えいしょう》する呪文を練習させられた。ざいうぇそ? うぇかと?けおそ? 私は辟易《へきえき》していたが、 我が愛しのエミリア?ハーバー従《 》軍看護士は、結構面白がっている。成功したら、最高のハ ネムーンになるわね、と。一《 》
この船《 》には、アレンデの婚約者も乗っていたらしい。
(ちぇ~、羨《うらや》ましいこって……いやいや、そんなことはどうでもいい)
――1943年《 》10月27日。
明日はいよいよ実《 》験本番だ。何でも天体が、儀式を行うのに最も適した配置(太陽が第五の 宮に入り、土《 》星が三分の一対座になる、だったか?)になるらしい。まあ、何も起きるはずもな いが……。一《 》
「時期は、完《 》全に一致してますよ。やっぱり、フィラデルフィア実験は本当に行われていたん
だ!」一《 》
「けど、なあ……あんな落《 》書きで、何ができるって言うんだ?」
わくわくしているウィリアムには悪《 》いが、亮はアレンデと同意見だった。
だが、ページをめくった途《 》端。
(……!?)一《 》
二人は、全《 》く同じ表情になった。すなわち、当惑の表情に。
英語が読《 》めない亮の目から見てさえ、前のページとの落差は明らかだった。
ミミズがのたくったような字《 》が、ちぐはぐに並んで、かろうじて文章を形成している。まるで、必
死で震えを堪《 》えながら書いたような……。
(何《 》が……あったんだ)
――1943年《 》10月28日。
何が起こったんだ……魔《 》方陣を囲んで、例の呪文を唱えていたことまでは覚えているが…… みんな、いなくなってしまった。一《 》
ここはどこだ……フィラデルフィアにいたはずなのに……一面《 》の霧……レーダーは作動しな い……通《 》信機に呼びかけてみたが、応答はない……。
……どう解《 》釈すればいいのだろう。
「教《 》官……」
亮が困《 》惑しているのを見て、ウィリアムも不安そうにしている。
「ああ、すまん。とりあえず、最《 》後まで読んでみよう」
「は、はい」一《 》
不幸《 》中の幸い、エミリアは無事だった。少し具合が悪そうだが、外傷はない。あいにく彼女 も、何が起こったのかは知《 》らなかった。
救助艇はあるが、ここがどこかも分《 》からないのに、漕ぎ出すのは危険だ。相談の結果、船内 に留まって救助を待つことにした。幸《 》い、食料は十分ある。神よ、我らを守りたまえ……。
~6~
ちょうど、その頃《 》。
満は秀一を従え、意気揚々《いきようよう》と船内を闊歩《かっぽ》していた。
「へへ、やべーよ、やべーよ、テレビの取《 》材とか来ちゃったりして……」
すでに彼《 》の頭の中には、エルドリッジの発見者として、マスコミのインタビューに応じている様
子が浮《 》かんでいるらしい。
そんな調《 》子だから、気付けるはずもなかった。
薄闇が淀《よど》む通路の奥を横切った、幽《かす》かな影に。
(う?)一《 》
下半身に緊《 》張を感じる満。昨夜、こっそり飲んだビールのせいだろうか。
「おい北《 》条、便所ねーか?」
自分で探《 》す気など、毛頭ないらしい。
「は、はい、えーと……あ、あそこにありますね。でも、多《 》分水は出ないですよ」
「構いやしねーよ、ちょっと待《 》ってろ」
慌てて駆け込み、鏡《 》の前を通り過ぎようとした、その時。
(……え?)一《 》
凍りついたように、足《 》が止まる。
本能が激しく訴《 》えている。鏡を見ろ、鏡を見ろ……。ぎぎぎと、錆付いたロボットのような動き
で首を捻り、鏡《 》を見ると……。
自分の顔のすぐ横《 》に、半透明の青白い顔が映っていた。