饭饭TXT > 海外名作 > 《初恋是血肉色的(日文版)》作者:[日]えりじうむ【完结】 > 初恋时血肉色的@txtnovel.com.txt

文章简介

作者:日-えりじうむ 当前章节:15393 字 更新时间:2026-6-23 02:25

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ハツコイ☆血肉色

☆1 ユリカ

 目的の場所に到着したのは、山道を小一時間ほど走ったあとだった。

 丸と四角と三角のつみ木で組み立てたものを、そのまま大きくして豪華にしたようなヘンテコリンな家だ。夜の闇のなか、大げさなくらいにライトアップされている。

「夏はここに来ることが多いかな。海も近いからね」

 円城寺くんはそう言うと、BMWのエンジンを止めてそそくさと車を降りた。

 彼につづいて助手席から降りると、外は相変わらずのむし暑さだった。ジジジ、という虫の声を聞きながら、円城寺くんとふたりで玄関のほうに向かう。

 近ごろの医大生は、別荘くらい持っていて当たり前なのだろうか。それとも、泣く子もだまる円城寺財閥の御曹司なればこそか。とにもかくにも、わたしなんかとは住む世界がまったく違う。

 円城寺くんが玄関のぶあついドアを開けると、ひんやりとした空気がわたしの頬をなでた。

「あれ? 冷房きいてる。誰かいるのかな?」

「いや、空調は年中動いてるんだよ。デリケートな観葉植物なんかもあるからね」

 彼は長い前髪を首の動きだけでかき上げた。

 吹き抜けになった玄関の広間は、ちょっとしたホテルのロビーみたいだった。天井に燦然と輝くゴージャスなシャンデリアが、大理石の床をまぶしいくらいに照らしている。黒いえんび服を着こんだ執事が突然あらわれて、「お帰りなさいませお坊ちゃま」と言いだしてもまったく違和感なし。

 すると、奥につづくうす暗い廊下の先に黒い影があらわれた。

 執事さん……?

 黒い影が、ものすごいスピードで近づいてくる。

 ドーベルマンだった。低くうなりながら、鋭い牙をむきだしにして、あきらかにわたしのほうに向かってきている。

「ひええっ!」

「ハービー! シット! シット!」

 円城寺くんが命令すると、ドーベルマンはすんでのところで動きを止めて、その場にお座りをした。

「ごめんね、驚かせちゃって」

「ひ、ひい……」

「奥の部屋に入れてくるから、ちょっとここで待ってて」

 犬がいなくなるまでのあいだ、わたしがずっと全身を小刻みに震わせていたのは、小学二年生のころにお尻をかみつかれて以来トラウマになっているからだ。チワワに追いかけられて、どぶ川に飛びこんだこともある。そんなわたしにとって今のできごとはあまりにもショッキングで、案の定少し失禁していた。

 しばらくして円城寺くんが戻ってくると、わたしは一階のリビングに案内された。

 部屋はテニスコートくらいの広さで、生活感のないショールームみたいな雰囲気だった。正面の壁に大きなガラス戸があり、その向こう側はテラスになっている。外は真っ暗でなにも見えなかった。

「そのへんに座ってて」

 ツヤツヤの高級ソファを指さして彼が言った。

「飲みものでも出すよ。ワインでいいかな?」

「うん、ワイン大好き」

 アルコールが入っていればなんでもいいのだ。

「赤でいい? マルゴーの八二年ものがあるんだ」

「ほんとに? 飲もう飲もう!」

 マルゴーってなに? って感じだけど、きっと信じられないくらいおいしいに決まってる。

 円城寺くんは、リビングのすみっこにあるカウンターキッチンの中に入っていった。

 わたしはソファに腰を下ろすと、肩にぶら下げていたポーチをとなりに置き、ほっとひと息ついた。なんとも言えない優越感。わたしがいま座っているこの席は、熾烈な戦いをくぐり抜けて勝ち取ったものなのだ。

 合コンという、むきだしの欲望がうずまく泥沼の戦いを。

 今日きていた女の子たちのほとんどは、円城寺くんがお目当てだった。そんななか、綿密な計画と周到な準備、そしてときには卑劣なこともやってのけて、ライバルたちを出しぬき、押しのけ、二次会のカラオケに向かう一行から彼とふたりで抜けだすことに成功した。今さらながら、『虹川めぐみの合コン必勝テク~お持ち帰りされちゃえばいいじゃん!』を熟読しておいてよかったと思う。

 とはいえ、わたしのルックスが一番の勝因だったことは間違いない。今日あつまった男の子の半分くらいはわたしが本命だったようだし、あの場でベストカップルを選ぶとすれば、わたしと円城寺くん以外は考えられない。

 思えば長い道のりだった。ようやく今日、七年越しの夢がかなう。

「BGMがないと寂しいよね」

 円城寺くんはそう言って、キッチンから持ってきたボトルとワイングラスをテーブルに置くと、そのままステレオのところへ行った。

 棚にびっしりと詰まったレコード盤を一枚一枚手に取り、吟味している様子。

「スヴェトラーノフなんてどう?」

 すべとら……?

「うん、いいかも」

 彼は宝ものを扱うような手つきでレコードをプレイヤーにセットして、そっと針を落とした。ぶつりぶつり、という小さなノイズのあとに、オーケストラの演奏がはじまった。クラシックなんてさっぱり理解できないけれど、きっと素晴らしく価値のある音楽なのだろう。

「じゃあ、あらためて乾杯ということで」

 ワイングラスを軽く持ちあげて、円城寺くんはクールにほほえんだ。白い歯がきらりと光る。リアルでそんな光景を目にするのは初めてのことだった。

「ユリカちゃん、かなり強いよね。店でもけっこう飲んでたみたいだけど」

「え? あ、うん。お酒大好きだから! あはは」

 一瞬、誰のことかと思ってしまう。『ユリカ』と名乗っていたことをすっかり忘れていた。

 合コンの顔あわせから、かれこれ三時間くらいたつけれど、円城寺くんがわたしの正体に気づいている様子はまったくない。もっとも、気づくはずはないのだけれど。

 今はまだ、『小松千世子』の名を明かすわけにはいかない。

★2 円城寺

 女を切り刻む瞬間を想像していた。

 甘く熟した極上のシャトー?マルゴーを舌の上で転がしながら、じっくりと女を観察する。

 上玉だ。

 きめ細やかな白い肌。滑らかな質感と弾力性が手に取るようにわかる。艶、潤い、張り、それらが醸し出す健康美。申し分ない。

 ほどよく脂肪を蓄えた肢体が描くグラマラスな曲線は、僕の求めるヴィジョンをまさしく体現している。

 このところ、意味のない過剰なダイエットに狂奔している女ばかりでほとほとうんざりしていたが、この女は一級品だ。

 あるいは、これ迄で最高の素材かもしれない。

「怖いなあ」

 ワインを啜りながら女がそう言った。

「……なにが?」

「今日コンパに来てた女の子たちに恨まれちゃいそうだよ。だって、みんな円城寺くんのこと狙ってたもん」

「そんなことないよ。それに今だから言うけど、僕は初めからユリカちゃんにしか目がいかなかったよ」

「またまたー、えへへ……」

 嘘ではなかった。一目見て釘づけになってしまったのは事実だ。それほどに、この女の持っている“モノ”は際立っていた。

 僕と同じ理由でこの女に惹かれる男も何人かいたようだが、さいわい女のほうから僕に擦り寄ってきたこともあり、あの場を離れてここに連れて来るまでは何の苦労もなかった。

 ここまでの首尾は上々だ。およそ二ヶ月ぶりの“オペ”に、否応なく気分が高揚する。

 リビングのスピーカーからは、ラフマニノフの交響的舞曲が流れていた。スヴェトラーノフの畳み掛けるようなアンサンブルが、神経の昂りをいっそう煽り立てる。

「それにしても、すごくいい部屋だね」

 女がソファから腰を上げた。グラスを片手に部屋の中をうろつき始めたので、僕は女に付いて回った。

「この絵、もしかして円城寺くんが描いたの?」

 女は壁に掛かった額縁を指差している。

「まさか。シャガールのリトグラフだよ」

「ふーん……綺麗だね。なんかラクガキっぽくて面白い」

「はは、そうだね」

 美の到達点とも言うべき至高の逸品を、ラクガキとは恐れ入る。

「あれ? あれとおんなじやつ、わたしの実家にもあるよ」

 女が慌ただしく向かった先は、オブジェを並べたオープンシェルフだった。

「ん? どれ?」

「これ、この壺」

「それは藤原啓の作品だね。有名な陶芸家だよ」

 つまるところ、お前の実家にあるのはただのレプリカだ。

「へえ、そうなんだ? 雑なつくりが逆に可愛いよね。凸凹して」

「はは、そうだね」

 なにが逆なのか意味不明だが、人間国宝の遺作を「雑なつくり」と切って捨てるお前の審美眼がトチ狂っていることは確かだ。

 女は書棚のほうへ移動した。

「円城寺くん、読書家なんだねー」

「それほどでもないよ」

 あくまでも笑みを絶やさず女に応対する。

 女は書棚から一冊を手に取り、ぱらぱらとページを繰りはじめた。

「うわ、全部英語だ。読み終わるのに一〇年くらい掛かりそう、あはは」

「はは」

 一〇〇年掛けたところで、フリードリヒ?フォン?シラーの思想も哲学もお前には毛ほども理解できないだろうし、ついでに言えばそれは英語ではなくドイツ語だ。

 定説どおり、胸のでかい女は頭の中が空っぽのようだ。

 しかし何にせよ、おつむの出来なんてものはどうだっていい。用があるのは、この女の乳房だけなのだから。

 女がワインを一飲みする。口腔に含まれた液体が、舌の上で粘液と溶け合い、口峡を通過し、食道を流れ落ちる。女の喉頭がゆるやかに上下している。その白い首筋から、胸元へと視線を移す。

 そこにある、はち切れんばかりの艶やかな谷間が、僕を魅了してやまなかった。

☆3 ユリカ

 ワインがあまりにもおいしくて、ひと息で飲み干してしまった。

 わたしが家で飲むコンビニワインとは比べものにならないし、これなら大ジョッキ二〇杯はいける。

 おかわりしたいけれど、自分から要求するのはなんとなく気おくれを感じてしまい、かといって断りなしに自分でつぐのもきまりが悪い。空になったグラスをこれ見よがしにもてあそんでいると、横からスっと円城寺くんの手が伸びてきて、わたしのグラスを取った。

「まだ飲むよね?」

「うん、このワインすごくおいしいね」

 彼はグラスに新しくワインをそそぎ、わたしに差しだした。受け取るときに、ふたりの指先がほんの少し触れあった。

 円城寺くんがわたしを見てる。わたしが欲しくてたまらないといった感じで。まるでハネムーンでむかえた初夜に新妻を見つめるような熱いまなざし。

 そんな彼の視線を横顔に受けながら、わたしは七年前のことを思い返す。

 あのときとは、まるで別人のようだと。

 あの、ごみくずを見るような目とは――。

 一四歳。

 心も体も、目まぐるしく成長する激動の時代。

 目にうつるものすべてが新鮮で、毎日あたらしい発見があり、怒涛のように押しよせてはあっという間に過ぎ去っていく濃密な時間。はるか昔のようにも思えるし、ついこの間のようにも思える。

 円城寺くんは当時からすでに一目置かれる存在で、クラスの女の子たちの、いや、学校中の女の子たちからチヤホヤされていた。

 容姿端麗、文武両道、そのうえ円城寺財閥の御曹司ともくれば、それはもうチヤホヤされないわけはない。完璧すぎて近よりがたいという子もいたくらいだ。

 異性を意識しはじめる年ごろなだけに、誰と誰がつきあっているだとか、誰が誰にふられただとか、誰と誰がヤっただとか、持ちあがる話題と言えばそんなものばかり。

 その手の色恋ざたにほとんど興味がなかったわたしも、まわりからの影響と、持ちまえの人並はずれた好奇心とが手伝って、彼氏をつくりたいという気持ちが芽生えてくる。

 そして、誰を彼氏にしたいかと考えたとき、円城寺くんしか思い浮かばなかった。

 ある日の放課後、わたしは校舎裏の中庭に彼を呼びだした。

「どうしたの小松さん」

 さっそうとあらわれた円城寺くんは、八月の猛暑だというのに汗ひとつかいていない。

「僕に用があるって?」

「うん」

 これから告白されるということに感づいている様子はなさそうだった。

「あのさ、円城寺くんってつきあってる子いるの?」

「べつに、いないけど」

「ふーん……そうなんだ」

 神妙にうなずきながら、わたしは意味もなく杉の木の周りをクルリと回り、それから彼の正面に立った。

「じゃあさ、わたしとつきあってみない?」

 肩口の髪をはらい、小悪魔的な流し目で告白。

 円城寺くんの表情は変わらない。

 せみの声がけたたましく響くなか、たっぷりと間を置いてから、ようやく彼は口を開いた。

「本気?」

「うん。わたしね、前から円城寺くんのこと気になってたの」

「小松さんの今後のためにも忠告しておくけど」

 ここでまたひとつ間を置くと、彼は両手を腰にあてて大きく息を吐きだした。

 そして、次に口にした言葉がわたしの人生を変えた。

「身のほどをわきまえたほうがいい」

 なにより、憐れみと侮蔑の入り混じった彼の瞳が忘れられない。

 自分を見つめなおすには十分すぎるひと言だった。

 それまでのわたしは、まったくと言っていいほど自分に無関心で、容姿など気にもしていなかった。陽気で快活なわたしのまわりにはいつもたくさんの人があつまり、気がつけば自然とクラスの輪の中心にいる。自意識が足りない要因はそこにあったのかもしれない。

 毎日が楽しければいい、ただそれだけだった。あの日、円城寺くんに告白するまでは。

 わたしはそのとき初めて知ったのだ。

 自分が並はずれたブスだということを――。

 チヤホヤされたい、もてはやされたい、誰にだってそういう願望はあるけれど、それはほんのひと握りの幸運な人たちだけに与えられた特権で、そうじゃない人たちはどこかであきらめて自分に見切りをつけるしかない。

 でも、わたしには無理だった。

 親しく話す男の子たちから、女としてまったく意識されていない。一四歳にしてようやくそのことに気がつき、そして打ちのめされた。そんな残酷な現実は受け入れられない。自分に見切りをつけるなんてできない。

 だから整形した。

 親からもらった大切な体にメスを入れるなんて――そんな風潮はいまだに根強く残っているけれど、わたしはこれっぽっちも迷わなかった。

 そうして、わたしは生まれ変わった。

「ユリカちゃん、モテるでしょ?」

 今ではこんなセリフも当たり前のように耳にする。

「ううん、ぜんぜん」

 実際はモテモテだった。整形して以来、わたしを見る男の子たちの視線はまったく違うものになった。

「モテないはずないよ。かわいいし、スタイルいいし、性格も明るいし」

「そんなことないってー、ほめすぎだよ円城寺くん! あはは」

 おいしいワイン、甘い言葉、そして円城寺くんの熱烈なまなざし。今こうして満ち足りた気分で、夢見心地の中にいられるのは、『小松千世子』という古い殻を脱ぎ捨てたからだ。

 欲しいと願う“モノ”は、指をくわえて見ているだけじゃ手に入らないのだ。

 唐突に、「ドン」という地響きのような音が聞こえた。

「わ……今のなに?」

 音は外から聞こえたようで、わたしはガラス戸の向こうに目を凝らした。

 もう一度、「ドン」という大きな音がしたかと思うと、おどろくほど近くの空に花火が見えた。

「花火やってるよ!」

 わたしは弾かれたようにソファから立ちあがり、ガラス戸を開けてテラスにおどり出た。

 眼下に見える丘の向こう側から、次々と花火が打ちあがる。

「うわー、きれい」

「毎年、海岸で花火大会があるんだよ。近場の人間しか集まらないささやかなものだけどね」

 テラスに出てきた円城寺くんと、ふたり並んで手すりによりかかる。

「すごーい」

 黄、赤、青、緑、紫。夜空の黒いキャンバスが鮮やかに彩られてゆく。大輪の花が空一面にぱっと広がり、光のしずくが落ちていく間をぬって、また次の花火が尾を引いて空に舞いあがる。

 ムっとする暑さもなんのその、まるで神様が用意してくれたような絶好のシチュエーションに、わたしはますますうっとりとした気持ちになった。

 今こそわたしを落とすタイミングじゃないだろうかと、横目でちらりと円城寺くんを見た。

 彼は横目でわたしの胸をのぞきこんでいた。

★4 円城寺

 乳房にメスを入れる。柔らかな上質のフォアグラにナイフを刺すように。

 まずは大胸筋に沿って楕円を描くように外郭のラインを決め、表皮から内側に向けて徐々に切開していく。

 然るのち、開いた肉の間に剪刀を滑り込ませ、細心の注意を払いながら胸筋膜を剥離し、乳腺は余さず切除する。

 鮮度を保つためにも、作業は迅速に進めなければならない。

 何しろ乳房は二つあるのだ。

 頭の中でオペのシミュレーションをしているうちに、唇の端が吊り上がっていることに気付いた。迂闊だったと内省し、すぐに表情を作り直す。

 女は恍惚として花火に見入っていた。

 次第に花火の打ち上がるペースは速まり、ちっぽけな夏の風物詩も山場を迎えようとしている。女は歓声を上げながら、時折たわいないことで僕に話しかけ、一人で浮かれ騒いでいた。

 僕は差し障りなく女の相手をしながらも、近寄ってくる羽虫を追い払うことに余念がなかった。露出された谷間部分に、虫刺されの跡が残るかもしれないと憂慮してのことだ。切除するまでは、何としても美しいままの状態を保持しておきたかった。

 やがて最後の花火が夜空に消えて、辺りに静寂が訪れた。

「終わっちゃった……」

「うん」

「綺麗だったなあ……。なんかすごい得した気分。まさか今日花火が見れるとも思ってなかったし。来年もここで見れたら嬉しいなっ」

「そうだね」

 残念ながら、お前には来年どころか明日さえやってこない。

「部屋に戻ろう。いつまでもここにいると虫に刺されるよ」

 足早にリビングへ戻ろうとすると、背後から女が僕を呼びとめた。

「あれってなんの明かり? なんか青く光ってる」

 女が指差しているのは、テラスに隣接する側壁のドアだった。全面すりガラスになったドアは、中にあるブラックライトの灯りを受け、ぼんやりと青白く光っている。

「ブラックライトだよ。中に水槽なんかが置いてあるから」

「水槽? 熱帯魚とか?」

「……うん、まあね」

「ほんと? 熱帯魚みたーい」

 女がドアのほうに向かったので、咄嗟に腕を掴んで引きとめた。

「それより、チーズケーキでも食べない?」

「ち、チーズケーキ? 食べる食べる、チーズケーキ大好き」

 女はいきなり腕を掴まれたことに一瞬驚きの表情を見せたが、嬉々として身を翻した。

「あとで熱帯魚みせてもらっていい?」

「うん、いいよ」

 そんなもの、いやしないが。

「あ、さっきのドーベルマンはあの部屋にいないよね?」

「うん。もしかして、犬は苦手?」

「うーん、得意ではないかな……あはは」

「安心して。ハービーは地下の部屋に入れてある」

 今頃はさぞかし、女の肉を待ちわびていることだろう。乳房を取り除いた女の残り滓を。

 リビングに戻るなり、僕はキッチンへ向かった。冷蔵庫からチーズケーキを取り出し、ケーキを切るためのナイフを探していると、女がキッチンに入ってきた。

「なんか手伝う? あ、ケーキわたしが切ろっか?」

「大丈夫だよ、手伝うほどのことでもないから」

「うん、なんか一人でくつろいでるのも悪いなーと思って。うわ、冷蔵庫めちゃくちゃ大きい。うちにもこれくらいのが欲しいなー」

 女は冷蔵庫を開けようとした。

 僕は掌を叩きつけて、そのドアを閉めた。

「わ……」

 不意をつかれて思わず乱暴に振る舞ってしまったが、僕はすかさず笑みを作り、その場を取り繕った。

「いいから、いいから。ユリカちゃんは、あっちでくつろいでて」

「う、うん。わかった」

 女は釈然としない顔でキッチンを出ていった。

 冷蔵庫にあるものを見て、嘔吐でもされたら面倒きわまりない。

 それにしても、と僕は思う。無作為とはいえ油断ならない女だ。くだらない余興はさっさと済ませて、早いところオペに取り掛かろう。

 僕は切り分けたチーズケーキを皿の上に乗せ、リビングのテーブルに運んだ。

 女は何事もなかったような顔で、ワイングラスになみなみとマルゴーを注いでいる。

「お待たせ」

 僕は女の向かいに腰を下ろした。

「わー、美味しそう」

「食べて。けっこういけるよ。最近メディアに取り上げられて評判になってる店のものだから」

「いただきまーす」

 女は喜色満面の笑みを浮かべてフォークを手に取った。

 僕は女に付き合い、とくに食べたくもなかったケーキを口に運び、ワインで胃に流し込んだ。

 取るに足りない退屈な会話を交わしながら、不毛な時間が緩慢に流れていく。

 スヴェトラーノフのマンフレッド交響曲が、リビングの中を反響していた。

 抑制のきいた叙情的な旋律が、密やかな緊張感を紡ぎだしている。嵐の前の静けさを思わせる厳粛な演奏だ。静謐とした湖面に小さな波紋が広がり、やがてそれは荒れ狂う巨大なうねりへと変容する。

 そんな情景を思い浮かべながら、女の胸元に目をやった。

 女はフォークを口に運ぶたびに体を前に傾け、ラウンドネックの襟元がたるんでその奥が見えた。

 ああ、早く。

 早くアレを切り取ってしまいたい。

☆5 ユリカ

 見てる、見てる。めちゃくちゃ見てる。

 本人はたぶん、長い前髪で視線を隠しているつもりなのだろうけど、こっちはバッチリ気がついてる。

 わたしは胸元がのぞける角度をキープしつつ、チーズケーキをぱくついた。

 思ったとおり、チーズケーキはコンビニで売っているものとはえらい違いだった。ここが円城寺邸でなければ、タッパーにつめて持って帰りたいくらいだ。

 それにしても、とわたしは思う。円城寺くんのおっぱい好きは、あのころとちっとも変わっていない。そのことを最初に見破ったのは誰あろう、このわたしなのだ。たぶん。

 円城寺くんに振られてからというもの、わたしはますます彼から目が離せなくなった。気がつけば彼をぼうっと眺めていたり、知らず知らず目で追っていたり、いるはずもない人ごみの中に彼のすがたを探したり。

 そんなアンニュイな日々を送るうちに、わたしはより円城寺くんという人間を知ることになる。

 ある日の授業中、わたしは円城寺くんの様子にちょっとした違和感をおぼえた。

 ほんの些細なものだけれど、日ごろから円城寺くんを観察していたわたしは、その違いを感じ取ることができた。

 彼の目つきが違う。熱心に授業を聞いているという風ではなく、なにかに取りつかれたような目つきだ。そして驚いたことに、ほとんど瞬きをしていない。

 その変化は、決まって英語の授業中におとずれた。なぜだろう? わたしはあれこれと憶測し、やがて真実にたどり着いた。

 円城寺くんは巨乳に目を奪われている――。

 担当の英語教師は、生徒たちからホルスタインと命名されたGカップバストの持ち主だった。四十路も近いオールドミスで、お世辞にも美人とは言えない顔立ちだったけれど、その迫力満点の胸のせいか一部の男子から人気があったとかなかったとか。

 終了のチャイムが鳴り、ホルスタインが教室を出ていくまで、円城寺くんは彼女の胸から一時も目をそらさなかった。

 そしてある日、わたしは決定的な事件を目撃した。

 とある日曜日のこと、ショッピングモールにひとりで買いものに来ていたわたしは、偶然にもそこで円城寺くんを発見した。

 ハンチング帽を目深にかぶり、普段はしていない眼鏡までかけていたけれど、わたしにはひと目でそれが円城寺くんだとわかった。彼もひとりで来ているようだった。

 当然のごとく、わたしは尾行をはじめた。

 彼はその辺りを行きつ戻りつして、とくに目的もなくぶらついているようだったけれど、しばらくすると婦人服店の前で足をとめた。中には入らず、店頭に並べられた商品を物色している。

 わたしは二〇メートルほど離れたものかげから、その様子を眺めていた。

 婦人服店でいったいなにを探しているのかと首をかしげていると、そのうちに彼はきょろきょろと周囲を気にしはじめた。あきらかに挙動不審だった。

 万引き……? まさか円城寺くんにかぎって――そう思った次の瞬間、彼は目の前にあったマネキンの胸を両手でわしづかみにした。

 エレガントなポーズで挑発的な微笑を浮かべるマネキンの胸をひとしきり揉みしだくと、彼は足早にその場から立ち去った。

 その光景を目にして、わたしは確信するにいたった。

 円城寺くんはおっぱいが大好きなんだ――。

 それを裏づける彼の怪しい挙動は、その日以降もたびたび目撃することとなる。

 おっぱいが嫌いな男の子なんていないのかもしれない。ただ円城寺くんの場合は、度を越えているといっても過言ではなかった。

 でもだからといって、彼を軽蔑したり、嫌悪感を抱くようなことはなかった。むしろ、ほほえましく思えたほどだ。

 けれど――。

 そこでまたひとつ、重大な問題が発生したのだ。

 そう、わたしは貧乳だった。それも並はずれて。ささやかな膨らみもなにもない、見晴らしの良すぎる大平原がそこにあった。

 母を見ても、祖母を見ても、遺伝的に胸が大きくなる見込みは絶望的だったし、わたしの中に貧乳のDNAが息づいているのは、自分の胸を見ればあきらかだった。そのことについては早々にあきらめていたのだ。

 でも、円城寺くんがおっぱいをこよなく愛する男の子である以上、そういうわけにはいかない。

 だから豊胸した。

 整形、豊胸、レーザー脱毛、ついでにお尻のイボも取って、総額四〇〇万円。わたしにとっては法外な金額だったけれど、見返りは十分すぎるくらいにあった。

 色んなところでチヤホヤされ、色んな男の子がわたしに近づいてくる。それまでも男友達はたくさんできたけれど、近づいてくる目的が違うのだ。わたしはそれを肌で感じることができたし、巨乳という武器に秘められた力には、わたし自身おどろかされた。

 そして、その力が存分に発揮される相手は、今わたしの目の前にいる。

「ごちそうさまっ。こんなにおいしいチーズケーキ食べたの生まれて初めてだよ」

「まだあるけど、食べる?」

「うーん、もうお腹いっぱい」

 わたしは断腸の思いでチーズケーキの誘惑を打ち払った。

 合コンのときから飲みっぱなし、食べっぱなしだったこともあって、下腹がぽっこりと膨らみはじめている。ここらでセーブしておかないとまずい。

 なにしろこのあと、夢にまでみた大人の時間がやってくるのだから。

「シャワー浴びようか」

 なんの前触れもなく彼が言った。それまでの会話の流れから脈絡がなさすぎる。少しずつそういう雰囲気にもっていくのだろうと踏んでいたわたしは、意表をつかれて少しうろたえてしまった。

「えっと……シャワー?」

「うん。暑かったし、けっこう汗かいたでしょ? 一緒にシャワー浴びよう」

 ファーストフード店でポテトを注文するくらいの気軽さで、円城寺くんは言ってのけた。

 予想外のストレートな攻め方に、わたしの心拍数は急上昇していた。当然、この時間に男と女がふたりきりでいるのだから、そうなるのは自然な成り行きだし、わたしもそのつもりでここに来ているし、スケスケヒラヒラの勝負パンツもちゃんとはいてきているし――

「ユリカちゃんの裸が見たいんだ」

 ずきゅーん、という音がどこかから聞こえた。

「円城寺くんって、けっこう大胆なんだね? あはは……」

 彼はソファからゆっくりと立ちあがり、わたしの座っている側へ近づいてきた。

 心臓がものすごいペースで早鐘を打っている。

 円城寺くんはなにも言わず、ひざ元にあるわたしの手を握った。

 そして、そのまま彼に手を引かれ、ふたりでリビングを出た。

★6 円城寺

 女の手を引いてオペ室へ向かう。

 ほの暗い廊下を黙然と歩きながら、僕は身震いするほどの興奮に襲われていた。

 足を一歩踏み出すごとに、止めどなく活力が溢れ出てくる。細胞が活性化し、神経は研ぎ澄まされ、血液が沸き立っている。体感できるほどに、脳内ホルモンが大量に分泌されている。

 ようやく、この時が来た。

 僕は一度大きく息を吸い込み、ゆっくりと静かに吐き出した。

 浮き立つのはまだ早い。気を鎮めて平静を保たなければ、ともすると相手に付け入る隙を与えかねない。まずは術前処置を確実にこなさなくてはならないのだ。

 首筋にメスを突き刺す。頚動脈を切断する。飛沫が上がる。一〇秒後に絶命。

 単純きわまりない作業だが、滞りなく適切に処理しなければ不測の事態だって起こり得る。万一にでも、足をすくわれるようなことがあってはならない。

 ふと、左手に湿り気を感じた。握った女の掌が汗ばんでいる。女のほうを振り返ると、見るからに顔を強張らせていた。

「緊張してる?」

「う、うん。それはまあ……」

「僕もだよ」

 久しぶりのオペであることのみならず、これほどの上物との巡りあわせは、そう滅多にあることではない。過剰に意気込んでしまうのも無理はなかった。

 僕は脱衣所のドアを開けると、念のために室内を素早くチェックした。清潔な状態で整頓され、浴室へのドアも閉まっている。問題ない。

 浴室に常備されたオペセットは、先立ってメンテナンスを終えたばかりだ。何一つ手抜かりはない。

「さ、服を脱ごう」

「なんかちょっと、いきなりすぎない? あはは……」

「そう?」

 またか、と内心辟易するが、顔には出さない。女という生き物は得てして、裸になるまでのプロセスに拘泥する。肩を抱き寄せ、耳元で求愛の言葉を囁き、キスをする。あいにくだが、そんな面倒なことには付き合っていられない。そもそも、もうじきただの肉塊に成り果てるものを愛せるわけがない。

 僕は無言で服を脱ぎはじめた。シャツを脱ぎ、スラックスを脱ぎ、ボクサーブリーフを脱ぐ。

 僕が全裸になってもなお、女は服を着たまま突っ立っていた。

「ユリカちゃんも脱いで」

 これ以上、僕を焦らすな。

「う、うん!」

 女は慌ててウエストのファスナーを下げ、プリーツスカートをすとんと床に落とした。品性のかけらもない下着を身に着けている。

 女はそれから必要以上に時間を掛けてシフォンのブラウスを脱ぎ、ようやく下着だけの格好となった。

 想像どおり、肉づきのいい体をしていた。もぎ立てのプラムのような瑞々しさが、躍動感あふれる豊満な肉体に凝縮されている。非の打ち所がない素材だ。

 女が背中に手を回し、ブラジャーのホックに指をかける。

 そこで僕は女を止めた。

「待って」

「え? な、なに……?」

「ブラは僕が外そう」

 鏡台の前に立つ女の背後へ回り、微かに震える指先でホックをつまむ。

 今ついに、秘境への扉が開かれた。

☆7 ユリカ

 はらりとブラが落ちる。

 寸前、わたしは両手で胸を覆った。

 ここは一度、じらしたほうがいい。じらしてもったいぶるほどに、その効果は発揮されるのだ。なにしろ相手は、筋金入りのおっぱいフェチなのだから。

「恥ずかしい……」

 正面の鏡にうつった彼に向かって、いかにも照れくさそうに言ってみる。

 後ろから、円城寺くんの腕がヌっと伸びてきた。

 彼はわたしの手首をつかみ、胸から手を引きはがそうとした。少し力を入れて彼に抵抗してみたけれど、尋常じゃない力ですぐに引きはがされた。

 円城寺くんは、かっと目を見開いた。

 鏡にうつったわたしの胸を凝視したまま、金縛りにあったようにピクリとも動かない。

 そこはかとなく張りつめた空気が漂うなか、ゴクリという唾を飲みこむ音が聞こえたかと思うと、円城寺くんはつかんでいたわたしの手首を離し、胸をわしづかみにした。

 かなり興奮しているらしく、彼の荒々しい鼻息がわたしの耳に吹きかかった。

「あ……」

 と、切なげな声を出してみる。

 円城寺くんはなにも言わず、一心不乱に胸を揉みつづけていた。

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