電話するぞと考えたとたん心臓は早鐘のようになり、良彦は慌ててビールを流し込んだ。
どうやらまだ酒が足りない。
良彦は空になったジョッキを高々と掲げ、新たな勇気の源を注文した。
二時間後、良彦は少しふらつく足どりで、駅からの道を辿っていた。
勇気の源は、肝心のものをくれるよりも先に、良彦をすっかり酔わせてしまった。
言い換えれば、良彦の意気地のなさが相当なものであるということ。
海のマンションの前までくると、いつも自然と足が止まる。
こうしてしばらくの間建物を見上げるのが、毎晩の恒例となっていた。
(…これじゃまるで、ストーカーじゃないか)
酒に酔った頭で、自分を冷ややかに評する。
いつもならこのまま自宅に向けて歩き出すところだが、今夜は少し気が大きくなっている。
マンションを鑑賞するうちに、電話をかけるよりも直接会いに行ったほうがよさそうに思えてきた。
顔を見て話ができる分、余計な緊張に頭を悩ます必要もないだろう。
連絡無しで訪ねるには少し遅い時間だったが、酔いが回っている良彦は、束の間ためらいを挟んだだけで、マンションの入り口に向かって歩き出した。
およそ一週間ぶりとなる、海の部屋。
その玄関ドアの前に立って、良彦はまだぐずぐずと悩んでいた。
訪問の理由を考えに考えた挙句、素直に顔を見に来たと伝えるのが一番いいだろうという結論に達した。
深呼吸をして、インターホンに指を伸ばしたところで、鍵を開けるガチャッという重い音がした。
それは海が表に出てくることを、内側からドアが開くことを意味し、衝突を避けるため慌てて後ろに下がった。
目の前で扉が大きく開き、甘ったるい香水と、煙草の苦みが入り混じった匂いが鼻先に漂った。
良彦と同じくらいの身長の、良彦よりは細い体つきをした男の背中が、開いたドアの隙間を塞いでいる。
「久しぶりによかったよ」
「疲れてるんじゃない?泊まって行ってもいいのに」
一週間ぶりに聞く海の声。
だがそれは自分ではなく、背を見せる男に向けられたものだ。
頭の中では、今すぐ立ち去れという警告が鳴り響いているが、あまりに思いがけない事態にぴくりとも動けない。
「仕事が残っているからね、今から会社に戻らなくちゃならないんだ」
「ごめんね、急に呼び出して」
「いや、オレは嬉しかったよ。またいつでも呼んでくれ…」
わずかな沈黙の後に聞こえる、小さな水音。
それはまぎれもないキスの音。
ほんの一週間前には、自分と海との間でたっぷり交わされた甘い音だ。
胸をかきむしられるような激しい怒り、そして胸を押しつぶされるような悲しみ。
これ以上傷つくのを恐れた本能が、うずまく混乱を押し退けて良彦の体を動かしたとき、目の前の男の背中が横にずれた。笑みを浮かべた海と、正面から視線があう。
「良彦…さん?」
さすがに驚いたようで、海は目を見開いている。
見知らぬ男が振り返り、男は値踏みでもするような視線を良彦の全身にすばやく走らせた。
身長だけでなく、年齢も良彦と同じくらいだろうか。
外見もどことなく似ているような気がするが、良彦には無い、どこか浮ついた派手さがあった。
「おいおい…。いくら若いからって、一晩に二人も相手するのは、少しやり過ぎじゃないのか?」
茶化すような響きに、頬がかっと熱くなる。
「遊びもほどほどにしないと、勉学に差し支えるぞ」
笑いを含んだ声でそう言うと、男は軽い足取りでエレベーターへと去っていった。
「中、入りませんか?」
きつく歯を食いしばり、怒りに震えだしそうになる体を必死で押さえていると、海がそっと声をかけてきた。
固い表情のまま首を横に振る。
「入ってください、良彦さん」
今度は頼むように言われ、海の手に腕をとられた。
絶対に中には入らない、今すぐ右を向いて廊下を走り階段を駆け下りる。
頭の中では本気でそうするつもりでいたのに、腕を軽く引かれただけで、良彦の体は魔法のように海の部屋に吸い込まれていった。
廊下を抜けた先は、玄関先で嗅いだあの男の匂いで満ちていた。
あの日と全く変わらない海の部屋が、まるでさっきの男の色で塗り替えられているような、そんな気持ちの悪さを覚えた。
そんな心情を知ってか知らずか、部屋の真ん中まで良彦を引っ張ってくると、海はくるりと体の向きを変え首に腕を絡めてきた。
少し下から良彦を見上げ、挑発するような微笑みを浮かべると、すぐに顔を寄せ唇を重ねてくる。
いまだ怒りは胸に吹き荒れていたが、久しぶりに見る海の顔、そして久しぶりに感じる海の唇の感触に、良彦はすっかり拒む気をなくし、押し当てられるキスを受け入れようと目を閉じた。
だが、それがいざ深まりをみせると、良彦はおもむろに海の体を押しやり、唇をぐいと拭った。
煙草の苦味が海の口内から伝わり、言いようのない嫌悪感を覚えたのだ。
「ひどいな、そっちから会いに来ておいて。…それとも、酔って体が疼きましたか?」
薄い唇をちろりと舐め、海はにやりと頬を歪めた。
短いキスで、酒が入っていることを知られたのだ。
挑発的な仕草と言葉は、良彦の思考から冷静さを奪い取っていく。
怒りや嫌悪感を忘れさせるほどの欲情が、体内のどこか知らない部分から溢れ、全身を熱くさせる。
そんな自身の変化を悟りたくなくて、悟られたくなくて、良彦は海の唇から目をそらして答えた。
「ち、違う。そんな…そんなつもりじゃないんだ」
言葉とは裏腹の、かすれた弱々しい声が終わるか終わらないかのうちに、おもむろに距離を詰めてきた海に、今度は良彦が押しやられた。吸い込まれるように後ろにあったソファに腰を落とすと、開いた股の間に海の膝がぐっと入り込んできた。
まるで覆いかぶさろうとするように、背もたれに両手を突くと、海は至近距離からじっと良彦の目を覗き込んだ。
「それなら、教えてくれませんか、どんなつもりでここに来たのか?さぞかし深い事情があったんでしょう――それとも、姉の連絡先でも聞きに?」
「違う!俺はただ、君がどうしてるか気になって、顔を見に寄っただけだよ」
かっとした良彦は、弾かれたように顔を上げ声を張る。
すると海は、ぽかんとして良彦を見つめた後、肩を揺らし派手に笑いはじめた。
「な、なにがおかしいんだ!俺が会いに来るのが、そんなにおかしいことか?」
いきり立つ良彦が、思わず腰を浮かしかけた時、海の声がぴたりと止んだ。
次の瞬間、海の手が首に巻きついた。
その手に力がこもり、良彦はソファに体を押し戻された。
呼吸こそ出来るものの結構な力で首を絞められ、苦しさに顔をゆがめる。
そんな良彦の耳に、冷えた刺々しい声が響いた。
「可笑しいを通り越して、怒りがこみ上げてきましたよ。――もしかして、僕のことからかっているんですか?」
「は…」
からかっているのはどっちだと言いたい所だが、首を絞められていては声も出せない。
「お互い忘れようと言った良彦さんが、今度は僕のことが気になって会いに来た。…どう考えればいいんです?この一週間、僕がどれだけ苦しんだか…」
それでも何か言おうと開いた口は、海の唇にふさがれる。
小さな音とともに、柔らかな口枷はすぐに離れた。
「言葉が欲しいわけじゃないんです。確かに、お互いに忘れた方がいいんですから」
咄嗟に口から出たとはいえ、それは紛れも無い自分の発言だった。
すっかり忘れていた、別れの気まずさを隠すための何気ない発言。
なのに良彦は今、海の口から出た自分の言葉に深い悲しみを覚えていた。
言葉が見えない刃となって胸を切りつける、そんなはっきりとした痛みを感じていた。
「どうして来たりしたんです?顔を見たら、また…また僕は、自分が抑えられなくなる。…良彦さんを傷つけてしまう…」
「ん…」
今度はしっかりと、唇が押し付けられた。
同時に、締まる首に一段と力がこもり、良彦の意識はぼうとかすれていく。
柔らかな舌で歯列をこじあけられると、またあの男の残り香を感じたが、意識と一緒に理性まで薄れたようで、今度はすぐに気にならなくなった。
遊ぶように絡めた舌を誘い出され、海の口内できつく吸われると、頭は一層ぼんやり薄れ、鼻から甘ったるいくぐもりが漏れた。
ぎりぎり 7
「ん…ふ、ぅ…」
自分のものだとは到底認められない、ねだるような卑しさを含んだ声音も、海になら聞かれても構わないと思った。
唇を触れさせ、舌を絡めるだけで、空白の一週間はすっかり消し飛び、そのことが逆に、会わない間自分がどれだけ寂しがっていたのかを、痛切なまでに思い知らせるようだった。
海に自分によく似た恋人がいたことも。
海の行動の理由が、おそらく自分があの男に似ているが故のほんの気まぐれ、ただの遊びでしかないのだろうということも。
今夜を過ぎれば、次は押しかけても会ってもらえないかもしれないということも。
すべて忘れて、互いの体にのめり込みたかった。
一週間前のあの夜と、自分でも知らない自分を海に教えてもらったあの夜と同じように――。
いつしか良彦は自分から手を伸ばし、覆いかぶさる体を抱き寄せていた。
首にかかる手が離れ、重なった唇が微かに上方に歪むのを感じた。
「逃げるなら、今のうちですよ」
深いキスが終わると、海がささやくように言った。
すでに意識も表情も蕩けきっている良彦は、かすれた声で答えた。
「…逃げない、よ」
「意外だな。薬が無くても従順なんですね。でも…今夜は前と違って、少し辛いかも知れませんよ?心は従順でも、体は正直でしょうから」
「いい。それでも…いいんだ」
少し俯き、海の胸に向かって答えると、軽いキスが額に降って来た。
優しいキスが、まぶたに、鼻先に、頬に、まるで印でもつけるように順におりてくるのを、じっと目を閉じたまま皮膚で感じる。
シャツのボタンに海の指先がかかると、もうそれだけで体が震え、背筋はゾクゾクと細波をたてた。
それが伝わったのか、あご先に押し付けられていた唇から、くく…と笑い声が響いた。
「嬉しいな、そんなに期待してくれて。今夜一晩かけて、じっくり期待に応えてあげますよ」
「…海君……」
あご先から首筋へと舌が這い下りると、たまらず泣きそうな声で名前を呼んだ。
「良彦さんが求めてくれるなら、僕は何度だって応じますよ。…そうやって、僕から離れられなくなればいい…」
「ああっ!」
はだけたシャツの間から滑り込んだ指先が、胸の突起に爪をたてる。
良彦は頭を仰け反らせて、唇を震わせた。
「薬も無いのに、随分感度が良いですね。もしかして、自分で触ったりしてたんですか?」
「ん…してた、よ…。あれからずっと…毎日…ああっ、あ…」
「本当に、可愛い人ですね」
そう言うと、海はすっと体をずらし、ぷくりと膨れて刺激を待つ突起を口に含んだ。
「ん、んあっ、海君…」
舌で転がされると、声はさらに甘さを帯びる。
空いた方を指で摘まれると、今度は腰がはねた。
自分でするのとは桁違いの快感が、一週間ぶりに脳を突き抜け、その跡をじわじわと侵食していった。
侵食の触手は下方にも伸び、良彦はすぐに下腹部の辺りに窮屈さを感じはじめた。
海の舌が奏でる淫猥な水音に合わせるように、か細い喘ぎを漏らしながら、少しでも生地に余裕のある部分を探そうとして、尻をもぞもぞ動かす。
すると、その動きに感づいた海が、ただでさえ膨らみきった箇所に軽く指先で触れ、すっと先端を撫でた。
「んっ!…あ、あ…」
再び腰がはね、ソファが揺れたが、海は無言のまま執拗に良彦の乳首に甘い刺激を加え、下半身にあてた指先を上下させる。
「は、あっ…あぁ…」
大きく足を広げ、座った体勢で出来るだけ腰を突き出し、だらりと両側に垂らした手は、何かをつかもうとして虚しくソファの表面を滑る。
与えられる快楽を、ただ貪り、さらにと強請るような仕草も、海の愛撫を激しくさせることは出来なかった。
いつしか良彦は胸元でゆれる頭をしっかりと抱きこみ、突き出した腰を微かに動かし始めた。
「か、い君…早く、いきたい…。もっと、強く…して…」
「駄目ですよ、良彦さん。そう言われたら、ますます焦らして、苛めたくなるじゃないですか」
「あっ…」
良彦の腕の中からすり抜けた海は、立ち上がり、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
もどかしさをこらえきれず、じっと見上げると、伸びてきた指先が頬を優しく撫で、それと同じくらい優しい声が聞こえた。
「いかせて欲しい?」
「あ、ああ…」
「ふふっ。そんな素っ気無い頼み方じゃ、全く応える気になりませんね」
「どうしたら、いい?」
「体を使って、直接示して下さい」
「直接…?」
「そう、ここを使って、ね」
ぽかんと開いた唇に指が軽く触れた。
しばらく考え込んだ良彦は、ハッと大きく目を見はると、海の股間に視線を移した。
「出来ないなら、それでも構いませんよ。その代わり、一度もいかせないまま、朝まで焦らし続けてあげますから」
「そ、んな…嫌だ…」
「ちゃんと出来たら、後でたっぷりいかせてあげますよ」
甘い甘いささやきに導かれるように、良彦は小さく頷き、やがておずおずと手を伸ばした。
部屋着なのだろうか、海の体には少し大きいTシャツの裾を、そっとたくし上げる。
それを持ったまま、どうやってジーンズを脱がせればいいだろうかと迷っていると、海の手が裾を奪い、さっさと自分でシャツを脱いでしまった。
一週間前は観察する余裕もなかったが、こうして改めて見上げると、程よく筋肉のついた非常に均整の取れた体をしている。
滑らかな肌は照明をうけて明るく輝き、妖しい色気を含み指先を誘う。
抗しきれず手を伸ばそうとしたが、海の腹部に見慣れた赤い印を見つけ、良彦の腕は中空で止まった。
「…俺と、同じ」
鏡の中の自分も、首元や胸にそっくり同じ印をつけていた。
それは日が経つにつれ薄まったが、目の前にあるのは、たった今散ったばかりの際立つ赤い花びら。
「さっきの人につけられたのか?」
どうしても硬くなる声に、それでも海は嬉しそうにくくっとのどを鳴らした。
「もしかして、妬いてくれてるんですか?」
「…ただ、聞きたかっただけだよ」
俯きかけたあご先をつかまれ、強引に上向けさせられる。
柔らかく綻んだ海の唇が、耳に心地いい音を紡いだ。
「そうですよ。さっきの彼が残したものです。――ほんの一時間前まで、そこのベッドでさんざん鳴かせてあげたんです。一週間前のあなたと同じように、ね」
「………」
こみ上げたのは、恥ずかしさよりも嫉妬だった。
この部屋に入った瞬間目に入った、くしゃくしゃに乱れたベッドを思い出し、きつく唇を噛んだ。
「その後きれいに舐めてくれたから、きっとその時つけたんでしょう」
そう言って、海はにっこりと笑った。
冷たい表情で求められたかと思えば、極上の笑顔で胸をえぐる言葉を聞かされる。
捉えようの無い海の言動に、翻弄されながら、かすかな喜びを感じ、傷つきながらも魅了されてしまう。
矛盾した感情に不思議を覚え、その不思議の原因を探ろうとして、さらに大きな矛盾を植えつけられる。
堂々巡りの罠、抜け出せない迷路、知りたいと願う分傷ついてしまう。
それなのにどうして、こんなに喜んでいるのだろう。
捕らわれたことで得られる幸福。そんな奇妙な感情が本当にあるとすれば、今の良彦はまさにその状態だった。海だけではない、自分自身も十分に不可解な――。
「どうしたんですか、ぼんやりして。そんなにショックでした?でも、良彦さんも今から同じことをするんですよ」
「え?あっ…」
思考に夢中になっていたところを、ネクタイをつかまれぐっと引かれた。
さして抵抗もせずあっさりとソファを下り、ぺたんと床に座り込んだ。
更にネクタイを引っ張られたので、体を前に倒すと、すぐ目の前に海の下半身が迫った。
ジーンズを履いてはいるが、そこはしっかりと膨らみをみせていて、その下にあるものを、そしてそれを自分が今からどうするのかを、いやでも意識させた。
「続けて」
短い声は、命令のような響きを持ち、良彦の手を急かす。
相変わらずネクタイの先は海の手に握られたままで、情けなく床に座り込んだ姿を上から見下ろされるのは、まるで犬にでもなったような気分にさせられた。
だが、射精という餌のために、海のものを咥えようとしている今の自分は、飼い犬そのものといってもいい存在かも知れない。
そんな自虐的な考えすら、体内の興奮を高める材料にしかならず、良彦は拙い動きでジーンズに手をかけた。
ぎこちない動きでジーンズを下ろすと、濃灰色が視界に広がった。
ボクサータイプの下着が、勃起したものにぴったりと張り付き、その形状を浮き上がらせていた。
生地を内側から押し上げる強張りの先端にできたわずかな黒い滲みが、生々しい淫猥さを感じさせ、良彦は思わずゴクリとのどを鳴らした。
「し、下着も脱がせていいのかな…?」
「良彦さんの好きにして下さい」
「あ、ああ…」
好きにして下さいなどと、聞きようによってはえらく従順な言葉。
床に跪いた自分、首輪代わりのネクタイを手中にする海、実際の互いの立ち位置からすれば、それはあまりに似つかわしくない台詞だ。
そっと見上げると思った通り、良彦の反応を試しているような、悪戯っぽい表情をしている。
だが、反応を楽しまれているからといって、後に退くわけにはいかない。
勃起したままおさまる気配すら見せない自身が、約束された餌を求めて体内からせっついているのだから。
良彦は覚悟を決めると、ためらいがちに下着のゴムに指をかけ、慎重に下ろしていった。
「っ…」
あの男が漂わせていた煙草のにおいに混じって、わずかなゴム臭さと、精液のにおい。
明白な情事の名残を嗅覚に突きつけられ、思わずたじろぎ身を引いた。
「せめて…風呂に入ってからにしてくれないか」
嫉妬に歪む顔を隠し切れないまま頼むが返事は無く、代わりに海の手が、握ったネクタイを巻き取り、力任せに良彦を手繰り寄せた。
「海君っ…」
「屈辱に歪む顔も素敵ですよ。…このまま、して下さい」
屈辱など、すでに欠片も感じなくなっているのだが、嫌がる理由が嫉妬だなどととても言えない。
かといって、これほどあの男の影を色濃く残した箇所に、素直に口をつけることもできなかった。
ほんの数センチのところに下半身を突きつけられたまま、良彦は唇を固く引き結び、精一杯の抗議の意を示した。
「意外と抵抗しますね。…仕方ない」
「ぅあっ!」
海の片足が動き、股間を軽く踏まれた。
足先にこめる力を変え、嬲るような愛撫を加えられると、良彦は体を震わせだらしなく喘いだ。
「あっ、う、ああっ!」
「ふふっ、踏まれてもそんな声が出るんですね。本当に、はしたない人だな」
「あっ、ち、が…ああっ、や、め…」
「やめても平気なんですか?ここ、こんなになってますけど?」
そう言って海は、足の指で良彦のものを数回突付き、足を退けた。
一度味わった強烈な刺激は、ただそれのみを欲する快楽の奴隷へと、自身をたやすく変貌させる。
「や…やめないでくれ…」
「はっきり教えて下さい。どうしてほしいんですか?」
「…足で…してほしい…」
「足で、どうしてほしいんです?」
「ふ…踏…んで…くれ…」
「踏まれたいんですか?」
かすれ声でようやく言った答えを繰り返され、良彦は羞恥と欲求の間で身もだえしながら、何度もうなずいた。
海の足が再び股間にあてがわれるのを感じると同時に、目の前の腰がぐっと突き出された。
薄く開いた口元に、少し湿った先端が押し付けられ、刺激ほしさに自分から唇を開く。
あれほど強かった抵抗感も、とうに霧散していた。
「んっ…ん、ふ…ぅ…」
ズボン越しに、勃ちきったものを足先で踏まれながら、口内のものに舌を這わせる。
くぐもった喘ぎと水音とが耳朶をくすぐり、自分のたてる音にまで興奮させられてしまう。
男のものを咥えたことなど、これまでの人生で一度も無いが、女性にしてもらったことなら経験がある。
記憶の彼方から引っ張り出したおぼろげな知識を頼りに、良彦は懸命に舌を動かしていった。
ぎりぎり 8
「意外だな、もっと嫌がるかと思ったのに…」
ぽつりと聞こえた小さな声に、せわしなく舌を動かしながら視線だけを上に向けた。
「男のものを咥えるのに、少しは抵抗とかないんですか?」
「んんっ!」
じり…と、下半身を踏む足に力が加わり、わずかな隙間も無い口内を震わせて低く呻いた。
まるで良彦が勝手に自分のものをしゃぶっていると言わんばかりの突き放した言い方をされ、さすがに眉根を寄せて目を眇める。
だが、そんな自分以上に不機嫌な顔つきをしている海は、さらに足に力をこめた。
「んん、ぐっ…ふ、ぅ…」
「気に入らないな。…まさか、初めてじゃない――なんてこと、ありませんよね?」
「んんっ?」
あらぬ疑いをかけられ、良彦はギョッとして、口内のものを傷つけない範囲で首を横に振った。
「それならいいんですけど。――いや、よくはないですね。初めてなのに、嬉々として口を汚されたがるなんて、いつの間にそんな、淫らな人間になり下がったんです?」
「んんっ!ひ、ひあう、ほんな……へああっ!ひぇああ、ああっ!」
顔を後ろにずらして、あいまいな発音で抗議するが、下半身に圧力をかける海の足が、わずかににじられ、良彦はだらしなく口を開けたまま喘いだ。
こうさせたのは、こうなるように仕向けたのは海なのに、何という勝手な言い草だろうと、頭の端っこでかすかな怒りを覚えるのだが、股間を踏みにじられる凄まじい刺激の前には、そんな感情も消し飛んでしまう。
快楽が痛みに変わる寸前のところで、足先をぐりぐりと動かし、勃ちきったものを蹂躙される。
開いた口からよだれが垂れるのも構わず喘ぎ続ける姿を、海は上から無表情に見下ろしていたが、そのうちその観察にも飽きたのか、不意に良彦の頭を両手でつかむと、腰をぐっと押しつけてきた。
「ん、んぐっ、ぐうううっ!!」
生まれて初めての口淫で、ただでさえ持て余していたものを、楔のように喉奥に突き立てられる。
海が荒々しく腰を前後に動かすたび、嗚咽のような苦鳴に喉が震えた。
「ああ、それ…最高にいいですよ。もっと呻いて…」
「うう、うぶっ、うぐぅううっ」
こみ上げる嘔吐感を必死で耐える良彦をあざ笑うように、海は好き勝手に、そして力任せに腰を打ちつけ喉を犯す。
ボロボロとこぼれる涙が頬を伝い、口元に溢れ泡立つ唾液と一緒になって、あご先と床とをねっとりとした糸でつないだ。
自分が口を開けているだけの人形にでもなった気分で、良彦は一刻も早く海の気がおさまり、この窒息しそうな苦行から解放されるよう祈った。
その祈りが通じたのか、ぐぼっという音を響かせ、喉を貫いていた楔が強引に引き抜かれた。
苦しげに咳きこむ良彦の顔に、唾液で光る強張りの先端が押し付けられる。
ぐちゃぐちゃに濡れた頬に、たっぷりと先走りを擦りつけ、ようやく海は満足しきった表情になり口元を緩めた。
「これでいい。良彦さんは、汚れている方が魅力的ですよ…」
「うう…か、海…く…?」
「休まないで、ほら」
「んん、む…」
唇を割って、再び口内に押し入ったものは、それでも先ほどのように無理矢理突き立てられることはなかった。
「先を吸って…そう。舌もちゃんと使って?ああ…。なかなか…上手に出来るじゃないですか。ふふっ、そんな顔しないで。もう疑ったりしませんから…。さっきのは、ただの――」
言われるままに、先端を音を立てて吸い、ピチャピチャと水音を響かせながら舐めていた良彦は、海が飲み込んだ言葉の先を促すように見上げ、問いかけるように小首を傾げる。
「んう…?」
「いえ、何でもありません。それより…」
「ふむううっ、ん、んんん…」
「もう、すっかりこれが気に入ったみたいですね、良彦さん?…ねえ、踏まれるの好きでしょう?」
「んう、ふひっ…ふひいっ!」
「ふふっ、えらく素直ですね。それじゃ、ご褒美をあげますから、下…脱いで下さい」
それを聞くなり、良彦はあたふたとベルトに手をかけた。
だが、すぐに海の手に短い髪を鷲掴みにされ、ぐいと顔を上向けさせられる。
「ううっ…」
痛みに呻くと、海の冷たい声が降り注いだ。
「口を休めろとは言っていませんよ?」
「あ、あぁ…」
肯定とも喘ぎともつかない音を漏らし、すぐに目の前で誘うように揺れる強張りを口に含んだ。
すでに冷静な判断力など欠片も無く、海の言葉に服従するだけの存在と化し、頬を窄め先走りを吸い上げ、表面に浮き出た筋の一本一本を丁寧に舌で舐め辿る。
頭の中を巡るのは、どうすれば海を喜ばせられるかだけ。
そのため手の動きは疎かになりがちで、時間をかけてようやくベルトを外し、時折動きを止めながら、なんとかジッパーと下着とを引きおろすまで至った。
「んふっ、ぅ…」
べたべたに汚れきった下着がぬるりと表面を撫でる感触だけでも、甘ったるい声が鼻から漏れ、自身がビクビクといきり立つのが分かる。
「んん…」
口淫を続けたまま呻き、準備ができたことを知らせると、海はさり気ない調子で答えた。
「どうしました?遠慮しないで、好きなだけ弄って下さい」
「んぅ…」
海がしてくれるものだとばかり思い込んでいた。
ほんの少しの非難をこめて海を見上げるが、両手で良彦の頭を固定し、深く浅く口内を犯し、じっくりと楽しむのに夢中な様子だ。
それは本心か、それとも良彦を焦らす演技かは分からなかったが、一つ確かなことは、刺激を与えるのは海ではなく自分自身だということ。
突き上げる欲求には到底勝てるわけもなく、良彦はむき出しの下半身へと手を伸ばした。
「んぶっ、うむっ、ううう…」
そっと握りこむだけでも達してしまいそうなほど、股間の猛りは敏感になっていて、海のものがゆっくりと出入りする口から、はしたない音を漏らしてしまう。
「良彦さん」
呼ぶ声に目を向ければ、海がじっと見下ろしていた。
慌てて目を伏せると、優しい声が降ってきた。
「逸らさないで。いやらしい顔を観察されていること、ちゃんと意識して下さい」
「んんっ…んふぅ…」
「そう、目を合わせたまま――ふふっ、蕩けきった顔して、すぐにでも出してしまいそうですね。でも、勝手にいくのは許しませんよ」
「ふ、んうぅ…うむぅっ、ほ、あ…ああっ、へああっ」
「そんなはしたない声で喘いでないで、口を閉じてもっとしっかり吸って下さい。自分だけ気持ちよくなろうなんて、どこまで浅ましいんですか」
「んっ、んんーっ…」
羞恥を煽られれば煽られるほど、手の中のものはビクビクと跳ね、先端からは半透明の液がとめどなく零れる。
いつもの癖で片手を胸にやり、シャツの上から乳首を押しつぶし爪に引っ掛けると、腰がガクガクと揺れた。
海がかすかに瞠目し、そして楽しげに目を細めた。
全てを観察されていることを思い知らされ、体はさらに燃え立っていく。
「んっ、んぐっ、むうっ、んんっ、んんんっ!」
危うく射精してしまいそうになり、良彦は寸前で自身から手を離した。
もどかしさが形となって、体中をのた打ち回るような辛さに襲われ激しく身悶える。
「ううーっ、うううっ!」
「あっけなく出してしまうと思っていたのに、よく我慢できましたね」
優しく頭を撫でられるが、辛さが消えるわけではない。
うっすら涙を浮かべ、切なげな縋るような目つきで海を見上げた。
「ああ、その目をされると弱いな…。もう少し苛めてあげたかったけど、そろそろベッドに行きましょうか」
そう言って海が腰を引き、ぐぼりと音を立てて口内のものが抜かれた。
「立って…」
言われるままに、うまく力の入らない足を何とか動かし、良彦はヨロヨロと立ち上がった。
そのまま腰を支えられながら、寝乱れたままのベッドに転がされる。
「全部脱いで、四つんばいになって下さい」
「……わ、わかった」
恥ずかしさも何もない、ただただ体内で暴れるもどかしさを鎮めて欲しくて、良彦はせわしない手つきでシャツのボタンを外し、半分脱げたズボンを下半身から取り去った。
マットレスの上に膝立ちになり、残ったトランクスを脱いでから四つんばいになるべきか、四つんばいになってからトランクスを脱ぐべきかで悩み、おたおたしていると、海がクスクス笑い出した。
「いや、その…慣れないものだから…」
「いえ、とても可愛いですよ。ずっとそのままの良彦さんでいて下さい」
言いながら海は、マットを軋ませ良彦の傍に来ると、ちゅっと音を立てて軽いキスを寄こした。
可愛いなどと言われ、情けないような照れくさいような、複雑な気持ちになる。
どんな顔をすればいいのか分からず、良彦は逃げるようにベッドに突っ伏し、四つんばいの体勢をとった。
「あ…」
下着の存在を思い出し、慌てて無理に体をひねって脱ごうとする。
だがその前に、海の手が良彦の固い尻を撫で、一気にトランクスをひき下ろした。
特有の生臭さがぷんと鼻先に漂い、頬が焼けるような熱をもつ。
大量に漏らした先走りに気づかれまいとして、体を動かしかけた。
だが、尻に冷たいものを感じ、良彦はビクリとして動くのを止めた。
「ひっ…」
「滑りを良くする為のジェルです。良彦さんのここ、しっかり広げないといけないですから…」
「んうぅっ」
後孔に軽く指を押し当てられ、良彦は呻いた。
無意識に甘い響きが混ざるのが、自分でも分かる。
「あぅっ!」
つぷりと押入れられた指に息を呑むと、後ろで驚きを滲ませた声がした。
「いくらジェルを塗ったからって、こんなにすんなり入るなんておかしいですね…。そう思いません?」
「わ、分からない、よ…。お、俺はしら、ない…」
「そうですか、良彦さんの体のことなのに、知らないんですか」
「ああっ!」
ほんの入り口を割っただけの指が深く差し込まれ、良彦は頭を仰け反らせた。
「それに…やけに反応がいい。一度でこうなるなんて、やっぱりおかしいですよ」
「ああっ、う…」
「ねえ、良彦さん。乳首だけじゃなくて、ここもお気に入りだったんでしょう?」
「な…に?」
「してたんでしょう、自分で。教えて下さい、いくときはどちらを触りながらでしたか?」
「そっ、そんな、ことは…」
「隠すと、後で辛くなるのは良彦さんの方ですよ?」
「うっ、後ろ!…後ろの方、だよ。ああ…嫌だ…恥ずかしい…」
首元まで羞恥の色に染め、良彦は額をマットにこすりつける。
「ふふっ、それじゃこの次は、実際に目の前でして見せて下さいね」
「次…?ま、また、ここに来ても…?」
「言ったはずですよ。あなたが求めてくれるなら、僕は何度でも応じるって。でもまずは、素直に答えたご褒美ですね」
「うああっ!や、やめっ、ああっ、そんな、に、動かさない、で…ああっ!」
「ああ、二本目も楽に飲み込みましたね。一体どれだけ弄ったんですか」
「ううっ、は、ああっ、だ、め…そんなっ、あっひ、ぃ、ああ…」
だめだという言葉とは裏腹に、良彦の体は一番感じる部分を探られようと、ゆるゆると腰を振っていた。
ぎりぎり 9
毎晩のように海を思い浮かべながら、植えつけられた強烈な記憶を現実にと求める体を慰めた。
はじめはただ下半身を弄るだけ。
乳首にも触れてみたが、すぐにそれだけでは物足りなくなった。
迷いと怖れも、忘れられないあの夜の乱れきった記憶には勝てず、良彦の無骨な指は、ようやくヒリつきもおさまった後孔へと伸びたのだ。
とても素面では口に出来ない自慰の内容も、あっさり白状してしまった。
己を抑制するものはもう何も無く、また暴露の反動からくるやけっぱちの開放感ともいうべき感情に襲われ、良彦はベッドに突っ伏した状態で尻を高く掲げ、欲望を素直に口に上らせた。
「もう、だめ…。海君…前っ、前も…触って。俺、もういきたい…」
「しようのない人ですね」
「ああ…」