きっと、わざと呆れた口調をしたに違いない。
隠し切れない高揚が、深々と吐かれたため息の裏に隠れている。
それが分かっていてなお、良彦はたやすく羞恥を煽られて、シーツに押し付けた頭の代わりに小さく尻を振ってみせた。
次の瞬間ビシッと乾いた音がして、尻に痛みが走った。
海の手にぶたれたのだと理解する間に、新たな衝撃が二度?三度と加えられる。
「ひっ、あ、あっ、い、たい…」
「自分から尻を振って…、犬や猫でももう少し自制というものを知っていますよ」
嘲りを吐きかけられ、手が振り下ろされるたび、パシッ、パシッと空気が鳴る。
意図的にそうしているのか、指先を滑らせるような打ち方は、脳を直接錐で突かれるような鋭い痛みを刻み、良彦は背を大きく反らせて耐えた。
「あぅっ、ああっ、ぅああっ!」
「何ですか、その声は?それに…ああ、シーツに零れて…先端から糸を引いてますよ。罰にまで感じてしまうなんて、いけない人ですね」
そう言うなり、海は良彦の尻に一瞬だけ歯をたてた。
「ひっ…」
「僕は普通のセックスで充分なのに、良彦さんには物足りないみたいだ…」
「う、嘘っ…嘘だ。海君が…こんな俺に、したんじゃないか」
「僕のせいにされては困りますね。元からいやらしくて浅ましい体をしていたこと、素直に認めたらどうですか?」
「んっ…ち、が…」
「自分でも分かるでしょう?罵りの言葉を聞けば聞くほど、あなたのここは指を締め付けて離さない」
「ああぅっ!」
「ほら、三本目も…楽に入りましたよ」
グジュッ、ジュボッと淫音が響き、ぎっちりと指が埋まった箇所は、海の動きに同調し、ヒクつきながら窄まり拡がる。
「んんっ!んんっ!だめ、そんな…し、たら…んううっ」
「…ああ、そういえば、可愛いおねだりがありましたね」
指を突き立てられる刺激に腰が動くたび脈打ち揺れていたものに、するりと指が巻きつく。
すでに限界まで膨れたものが握りこまれ、ゆっくりと扱きあげられた。
「いああっ!あ、いいっ、いいっ!」
「耳が蕩けそうだ…、本当に、いい鳴き声…」
「も、いくっ、いくっ、ああ…俺、いっても、い?…おねが…いか、せてっ、いかせてっ!」
一息に喋る間にも、問いかけは懇願に切り替わる。
随分前にすぐそこまでやってきていた限界が、早く解放しろと体内からせっつき暴れまわっていた。
内を抉られたまらず逃げれば、握られたものを自ら擦る形になってしまう。
行き場のないまま必死で唇を噛みシーツを手繰り、海の許しを待った。
「いいですよ。ただし、いくときの顔は、しっかり見せて下さいね」
言われた通り、肩で上体を支え、ひっくり返る寸前のような体勢になって振り返る。
まるで深いキスをするように、ねっとりと視線を絡ませると、押し寄せる波は倍にも高まり、良彦は待ち焦がれた瞬間をようやく迎えた。
「ああっ、い…く、いくうっ!あ…う、ああーーっ!」
赤く染まった尻を振りたてながら、びゅくびゅくと白濁を吐き出した。
長く焦らされたせいか、海に見つめられているせいか、全身を走る愉悦は自慰の比ではなく、良彦はマットを軋ませ押し付けた頬をさらにめり込ませた。
「あ…あぁ…」
「こんなにたくさん出してくれるなんて、嬉しいな」
「んっ…」
「もったいないから、こっちで使いましょうか。ほら、もっと腰を上げて」
余韻に浸る暇すら与えられず、突き立てられていた指がぐっと上がった。
「ひっ」
それまでじっくりと解された後孔が、ぐぼっと音をたてて拡がると、良彦はたまらずのどを鳴らした。
体内からの強引な吊り上げに、へたり気味だった腰を持ち上げ、震える膝をなんとか立てる。
「んっ…あ、ああっ…」
射精したばかりですっかり縮こまったものを、柔らかく撫でられる。
受け止めてもらった白濁のせいだろう、後孔とは別の、そこよりも粘性の高い音が股間から耳に届く。
その音が、そして触れられる快感が、無防備に垂れる精袋へとずれ、やわやわと揉みしだかれる。
快感を得ているのかどうかは自分でも分からなかったが、またさらに体から力を抜き取られたようになり、ただでさえ弱々しかった膝ががくがくと震えた。
だが、そんな不思議な感覚もすぐに止み、海の手はまた後ろに動き、敏感な道をひっかくようにしながら後孔へ向かった。
「あうっ…」
同時に、突き立てられていた指が体内から引き抜かれ、良彦は短く鳴いた。
いよいよ海が入ってくる、またあの日のように狂い乱されるのだと思うと、全身が期待に震え、萎えていた部分にまた熱が集まりだした。
だが予想に反して、一瞬の間をおいて入ってきたものは、先ほどと変わらない海の指。
「うぅっ、あ、な、んで…」
「言ったでしょう、もったいないから、ここで使うんですよ。ふふっ、たっぷり塗りこんであげますからね…」
「ひいっ、ああっ、こんなっ、ああ…そ、れ…すご、いぃっ」
「どうなっているか教えてあげましょうか?両手で二本ずつ指を入れて、拡げながら奥をかきまわしているんです」
「うああっ、だめ…ああっ、いいっ、いいっ!」
「気に入りました?それじゃ、これも好きかな。こうして拡げて…」
「いぁあっ!」
四本の指が入り口を左右に拡げ、そこにふっと息を吹きかけられる。
こみ上げた羞恥とは別に、背筋をぞくりとしたものが走った。
「うあっ、あっ、そ、れ…ああ…きもち…よすぎる…」
ぐぼっ、ごぼっというこもった音が響き、入り口を拡げ深くをかきまわす指先が一番いい箇所をかすめると、良彦の声の高さも数段跳ね上がる。
「ふふっ、素敵な楽器ですね、この体は…。どんな刺激にもいい声で鳴いてくれる…」
「ああっ、ああっ、そ、んな、ところ…く、ああっ!」
いまや解れきって、海の指にあわせて収縮する後孔に気をとられていると、そこから精袋へと続く短い道に舌が這った。
強く押し当てた舌で敏感な通路を執拗に舐められ、良彦はまた一つ未知の刺激を体に教えこまれた。
「んあ、あ…か、い君…俺…俺、また、ああっ」
「ええ、見えていますよ。すっかり勃起して、精液まみれでビクビク震えているものが」
「ああっ、苦しっい、さ、わって、さわって…くれ…。ああ、そうじゃない…自分で、自分でさわりたい…さわら、せてっ」
「えらく従順ですね。もう餌が欲しくなりましたか?」
「ほ、しいっ…ほしいっ。なんでも…いい。ああ、もっと…ほしい…」
「何でも…ですか。ふふっ、本当に…煽るのが上手な人だ」
「ああっ!?な、んで…」
指が抜かれ海が離れる。
なりふりかまわず強請ったばかりなのにと、良彦は尻を振って疑問を投げることしかできない。
だが、すぐにその疑問も消えた。
海が再びのしかかってきたかと思うと、時間をかけて解され、杭を求めてヒクつく後孔に、指とは比べ物にならないほど太いものが押し入ろうとしてきたのだ。
「っは!う、ああっ!」
「…くっ、ぅ。良彦…さん、ゆっくり…息して」
強張る背中に、指が線を、柔らかな唇が点を、まるで絵でも描くように優しく触れてなぞる。
最初こそ抵抗したものの、やはり指を四本も埋め込まれ、気ままな動きに翻弄されただけあって、後孔は次第に海を受け入れる様子をみせはじめた。
なだめる指と唇に、そして耳に響く海の声に励まされるように、ゆっくりとした呼吸を繰り返す。
きっとタイミングを計っているのだろう、少し楽になったところで海の腰が進み、またしばらくするとじり…と海が近くなる。
すんなりとはいかなかったし、時間もたっぷりかかったが、良彦は初めてのときよりも遥かにスムーズに体を開くことができた。
「全部入りましたよ。…大丈夫、きつくないですか?」
「ん…前よりは、平気だよ。…海君が、ちゃんとして…くれたから…」
途切れ途切れに答えると、脱力したような吐息が聞こえて、後ろからきつく抱きしめられた。
肩に首に、軽く唇を滑らせて、また一つ息を吐く。
耳にかかる小さな風にまで感じて、肌がさわりと波打つ。
毛ほどの余裕もないくらいに、体内をいっぱいにした海のものが、どくんと脈打って大きさを増すのが分かり、良彦はふるふると身震いした。
「んっ…」
「…そんなに…締め付けないで…」
良彦の背に沿わせるように体を重ね、マットレスについた片手で体を支えていた海が、空いた方の手を動かした。
「あぅっ!だめ、ああっ」
すっかり起ちあがった自身を握られ、それがゆるゆると上下すると、良彦はたまらず声を上げ頭を振る。
押し拡げ入ってきたものは動かされる様子もない。
「あっ、く、うぅ…それ、だめ…俺…また、一人でいくの…いや、だ…よ…」
「ああ…すみません。僕も結構限界で……」
「でも…海君、あの人と――」
良彦の疑問を最後まで聞かず、海は苦笑をもらす。
「ええ、たっぷり出しましたよ。それこそ最後の一滴まで…。だから、今日はじっくり時間をかけてしてあげられると思ってたんですけどね。やっぱり違うな…」
「ち、がう?…そうか…俺…」
「良彦さん?」
「…俺…経験ないから…下手くそで…。でも…だから…、思い切りやってくれ…海君の好きなように」
深くで繋がり体を重ねたまま、ただ沈黙が過ぎていく。
不安になった良彦は、首をひねり後ろを向こうとしたが、やはり体勢が体勢なので、海の頭がわずかに見えただけだった。
「…海君…?」
「どうせ今だけなのに…ひどい人ですね…」
「え?…ああっ!そこ、いやだ、って…んああっ」
「どうして、気持ちいいんでしょう?僕の手の中で、こんなに跳ねて…」
「や、ちがっ、いっしょ、にっ、気持ち…よく、なりたい、んだ…ああ、だめっ」
「一緒に…そう、ですね。じゃあ…」
海の手が股間から離れた。あとほんの数回でもしごかれていたら、耐え切れず射精していただろう。
そのくらい今の良彦は刺激に弱くなっていた。
ほっとしたのもつかの間、海が上体を起こし、腰をがっしりとつかまれるのが分かった。
ぎりぎり 10
「く、あ、ああっ!」
今まで良彦の中でじっとしていたものが、唐突に引き抜かれ、内壁をこすりながら再び突き入れられた。
たった一度の動作で良彦の意識は軽く飛び、かろうじて肩で支えていた上半身も、べたりとマットに沈んでしまう。
「あっ…ああ…」
「ふふっ、好きにしていいんじゃなかったんですか?このくらいでへたってどうするんです?」
「ひっ」
びしりと空気が鳴り、尻に鋭い痛みを感じた。
良彦は上体を起こし両ひじをついて体を支えると、緩慢な動作で後ろを振り返った。
目があうと、海はにっこりと微笑んだ。
「そう、もう少し頑張って下さいね。それから、しっかり根元を握ってて下さい」
「…え?」
意味が分からず戸惑う良彦に、海はゆっくりと言い含める。
「一人でいくのは嫌なんでしょう?射精してしまわないように、自分で、きつく、根元を握るんです」
「そ…んな…」
「ほら、早くしないと…」
「うああ、あっ、ひ、いっ!ま…って、まって!」
海は構わず動き出し、体内のものが我が物顔で暴れ、良彦を蹂躙していく。
荒々しく打ち付けられる腰に意識を奪われないうちにと、おずおずと体をベッドに沈め、腹の下で手を伸ばし自らの精にまみれたものを握りこんだ。
「は、っく、あっ、ああっ、ん、う、ああっ!」
体を揺すられるたびに、滑りのよくなった手の中で、自身がぬるりと前後する。
予期せぬ刺激に寸前まで追い込まれ、良彦はあわてて根元部分をきつく握った。
「う、ぐう…ん、んんっ、んむうう…」
射精できない苦痛は、やがて甘美な焦燥にとってかわり、良彦は強すぎる快感に耐え切れず、口元に当たるシーツを噛んでこらえようとする。
抽送の激しさを物語る、互いの肉がぶつかり合う湿った破裂音。
引き抜かれ、ねじこまれる度に後孔からもれる、ぐぶっ、ぐぼっという篭った音。
口から漏れる低い呻き。
そして――せわしない海の息遣い。
繋がった部分だけではなく、聴覚からも犯されるような気分で、良彦は体中を羞恥に染め、耳を澄ました。
「んんっ、んぐううっ!」
「ああ、その声…たまらないな。ここも、入り口は千切れそうなほど締め上げるのに、奥に行くほど絡み付いて…」
「んむうっ!んん、んふぅっ!」
「ふふっ、恥ずかしがっている振りは無駄ですよ。ほら、聞こえるでしょう?良彦さんの体が喜んでいる音ですよ」
「んはっ、あああっ、だめっ、いき、たいっ、ああっ!出させてっ、ぅ、ああっ!」
「まだ駄目。もう少し…ああ、最高――」
「ああっ、ぅああっ!」
沈み込んだ良彦の体に、ずしりと重みがかかる。
ひんやりした肌とは正反対の、熱のこもった声が耳に直接吹き込まれた。
「僕の名前、呼んで…」
「か、い君っ、かい…海君っ!」
「もっと…」
「海君っ、海…く、うぅっ、ひああっ、あ、あああっ!」
「好きって…言って…」
「あっ、すきっ、海君、すきぃっ!」
「もっと、もっと聞かせて…今だけでいいから…」
「すきっ、ああっ、海くん…すきっ、海君が、す、き、ああっ!」
一度口から零してしまうと、言葉は実態を伴って胸に突き刺さる。
締め付けられるような痛みと、ようやく吐き出せたという安堵感。
そこまでを感じてようやく、良彦は自分の中にある想いに気がついた。
「もっと…もっと…、聞きたいんだ――ずっと…」
「うあっ、あっ、ず、っと、すきっ、すきいっ!あ、ああ、俺…も、だめ、だめっ」
「一緒に…良彦さん…」
穏やかなささやきの後、自身を握っていた手に海の手が重なり、きつい戒めをそっと解かれた。
手をつないだまま斜め上に腕をねじられ、上体が自然と持ち上がる。
「くっ、あっ、やめっ、ああ、深っいっ、だ、めっああっ!」
終着を目指し、それまで以上に荒々しくなる腰の動き。
手をつかまれているせいで、海が突き上げるたびに反動が直に跳ね返り、最奥を容赦なくえぐられた。
やがてマットのきしみに合わせて、良彦のものから白い液がぱたぱたと滴り、シーツにいくつか染みを作りはじめた。
次の瞬間良彦の背が弓なりになり、反り返るのどから締め上げられたような音をだした。
「う…ぅう、ああーーーっ!!」
びゅくびゅくと音が聞こえそうな勢いで、白濁がシーツに散っていく。
一週間前と同じ、触れることなく迎える射精は、長く長く時間をかけ、途方もない快楽で良彦を狂わせた。
全身を硬直させたままビクンビクンと跳ね、そのたびに一度に出し切れなかった精の残りを零す。
「ぅ…くっ」
深く飲み込まされた楔が体内で一段と膨れ上がり、押し殺した呻きが聞こえた。
そして、自分のものではない熱が、体の深くでじわじわ広がっていく。
「あ…あ…、あつ…い…」
その熱ささえも朧になり、良彦はがくりと首を垂れた。
ねじられた腕が解放され、そのままベッドに倒れこむ。
「良彦…さん…」
艶をのせた声がどこか遠くで響く。
無意識の泥沼にゆっくりとのまれゆく意識の片隅で、良彦は決心していた。
一時の気まぐれでも構わない。
恋人がいても構わない。
たとえもう一度傷つくことになったとしても、この気持ちを素直に伝えよう。
すでに自分は海から離れられなくなっているのだから。
体も、そして心も。
ああ、それでも今は、あまりに激しすぎた交わりの余韻に浸るとしよう。
目が覚めたら、きっと…。
ありのままの心を、きっと…。
満ち足りた表情で、良彦は意識を手放した――。
■
■
失神してしまった良彦の体を苦労して動かし、仰向けに寝かせる。
ぴったりと寄り添うようにして横になると、海は元義兄の顔を貪るように見つめた。
やわらかく額に張り付く短い髪。
笑っていても困っているような、下がり気味の眉と目。
口の悪い人間ならば団子鼻と表現しそうな、丸い鼻。
少しぽってりした唇は、薄く開いて海を誘っている。
迷わず顔を寄せ、味わうように吸い上げると、かすかに身じろぎをした良彦は、途切れ途切れに海の名を呼んだ。
「良彦さん…」
そっと呼び返すと、良彦は安心したように微笑んで、またすいよすいよと寝息をたてはじめた。
(まさか、この人を抱く日が来るなんて…)
あどけない寝顔を胸に抱き込むようにして、少し湿り気を帯びた髪を撫でながら思う。
ちょうど一週間前、やはり意識を飛ばしてしまった良彦を眺めている時にも同じことを思ったが、今夜の感慨はまた格別だった。
――こんなはずじゃなかった。
薬に頼って無理やり体を開かせ、獣じみたやり方でしか愛せなかったあの夜は、そんな後悔の念ばかりが浮かんで一睡もできなかった。
だが、今夜は違う。
良彦の方から求めてくれたのだ。
もう二度と会うことはないと思っていたのに…。
開いた玄関ドアの向こうで、気まずそうな、でもすがりつくような、そんな目をして良彦は立っていた。
出会った日と変わらない、大柄な体で子犬のような顔をした、どこかアンバランスな印象の人…。
初めて会ったのは、姉の婚約者として紹介された時だった。
それまで見てきた姉の相手とは正反対の、いかつい体格と扱いやすそうな真っ直ぐな性格をした良彦に、海は少なからず驚き、そして大いに喜んだ。
貞操観念に問題のある姉が、とうとうその華やかすぎる男性遍歴に終止符を打つ決心をしたことと、そしてその相手に選んだのが、良彦のような真面目を絵に描いたような男だったことに。
実家の居間で、両親と自分を前に、緊張を隠しきれずに大きな体を縮こまらせている良彦に、海はすぐに好感を抱いた。
姉が席を外すと、捨てられた子犬のような、途方にくれた顔で自分を見つめる良彦は、八つも年上だとは思えないほど頼りなくて可愛くて。
あまり人に進んで話しかけることのない海だったが、気づけば他愛もないことで何度も話しかけ、緊張を解きほぐしてあげようと心を砕いていた。
思えばあの出会いから、すでに自分は良彦に惹かれていたのかも知れない。
良彦が実家に遊びに来るのを心待ちにするようになり、しつこいくらい姉に良彦の近況を尋ねた。
弟のように可愛がってくれる良彦を、本当の兄のように慕っていた海が、その気持ちがどこかおかしいことに気づいたのは、姉と良彦と三人で一緒に海に行った時のことだった。
あまり泳ぎが得意でない海に、良彦は親身になって泳ぎ方を教えてくれた。
自然な形で触れる手や肌に、なぜか心臓が高鳴り、胸が詰まるような息苦しさを覚えた。
あの日から、海の中で良彦という存在は特別なものになった。
絶対に伝えることは出来ない気持ちをひた隠しにしたまま、気さくな義弟を演じ続ける日々は、辛くはあったがそれなりに幸せだった。
膨らむ一方の欲望も、想い人によく似た面立ちの別の誰かにぶつけることで、解消できたと無理矢理自分を納得させた。
似てはいてもやはり良彦とは違う部分ばかりが目に付き、つい乱暴な行為に及ぶようになり、いつしか相手をいたぶることに快楽を見出すようになっても、良彦の前ではあくまで、気さくで穏やかな義理の弟。
それが海がいるべき位置。
それさえ守れば、傍にいられる。
だがそれも、二人の離婚によってすべてが変わった。
顔を見ない日が一月?二月と過ぎると、たまに会うことで諌めていた想いが募り、じわじわと理性を溶かし暴走をけしかけた。
苛立ちを抑えきれず、さすがに不審がる家族と距離を置くため、一人暮らしをさせれくれと頼んだ。
母から聞き出した良彦の連絡先を頼りに、大学から遠く、不便でしかないこの町で。
ほのかな希望を抱き、やたらと駅前を徘徊すること数ヶ月、ようやく見覚えのあるシルエットを目にしたときは、思わず泣きそうになった。
嫌な顔をされたら、などと考える余裕もなく、遠ざかりつつある背中に声をかけた。
もしも会えたら、声をかけよう。
もしも普通に話ができたら、一緒に酒を飲んで、それを思い出にして今度こそ本当に忘れることにしよう。
そう思っていたはずなのに、部屋でくつろぐ良彦を見ているうちに、邪な想いがむくむくと頭をもたげた。
悪魔に囁かれたというのは、まさにあの瞬間を指すのだろう。
良彦がトイレに立った隙に、ビール缶の中にぽとりと錠剤を落としたあの瞬間を。
それからは、まるで夢の中にいるような、おぼろげな記憶しか残っていない。
欲望が抑えきれないのなら、せめて優しく、時間をかけて体を慣らしてから。
そんな自己満足な気遣いが頭にあったのは、いったいいつまでだったか。
気がつけば、溜め込んだものを全てぶつけるように、良彦の体に溺れていた。
よく似た別の相手にしていたような、相手の身も心も支配し、限界まで追い詰めるやり方で。
翌朝目覚めた良彦に、ぎこちない態度をとられ、お互い忘れようと言われた時も、自業自得だと思うと何も言葉が出なかった。
『お元気で…』
ようやく搾り出した一言は、情けないほど声が震えていた。
それからの海は、荒れに荒れた。
これでもう二度と会えない。
自分から終わらせてしまったのだ。
終始つきまとう自責の念を忘れたくて、絶えず浮かぶ良彦の顔を忘れたくて、毎晩のように酒を飲み、昔体だけの付き合いを持った男に連絡をとった。
狂ったような激しい交わりに没頭し、ただ時間だけが過ぎていった。
永遠にも思われた後悔の日々を、玄関先に現れた良彦が終わらせてくれた。
それまでの性交がもたらす気だるさも、全て吹き飛ぶくらいの、驚くべき奇跡。
その理由が、姉との最後のつながりを信じたからなのか、それともただ単に体が疼いただけなのか、それは最後まで海にも分からなかった。
けれど、良彦は確かにここにいる。
自分の隣で、安らかな寝息をたてて。
人肌が恋しいというのなら、喜んで暖めてあげよう。
未だに姉を想うというのなら、それを忘れさせるほど激しい快楽を体に――いや、魂にまで刻みつけてあげよう。
自分から飛び込んできた以上、もう逃がしはしない。
逃げることもあきらめてしまうほど、海無しでは生きていけない体にするのだ。
だが、まずは…そう、まずは、素直な気持ちを伝えよう。
この愛しい大柄な子犬のような人が目覚めたとき、これまでの想いを全て打ち明けてしまおう。
答えはそれからでも遅くはない。
あの日自分を捕らえた良彦を、ようやくこの手に捕らえたのだから――。
おわり
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