妙に懐きたがる ?心当たりが全くないわけではない。今までなら一笑に付すべき質問だったのかもしれない。だが、仁科と関わるようになって、それが出来なくなってしまった。
自意識過剰だと思う部分はあるにはあるのだが。
「残念ながら、お前のことは大好きであるんだが、そこの少年を帰してまで ?とは思わないんだよな。
と、いうことで、本当の邪魔者である俺は退散しますよ。じゃ、あとはよろしく ?」
茶目っ気たっぷりに笑ってから去っていく高梨。そこには真鍋と仁科の二人が残される。
何ともいえぬ気まずい空気が漂った。
仁科に対し、どんな言葉をかけてやればいいかが思いつかなかった。
第15夜
そこに何十分立っていたのだろうか。
とにかく時間の流れが分からなかった。それはごくわずかな時間だったのだろうが、数時間にも感じられる。
自分が声をかけるべきだとは分かっているが、そんなときに限っていい言葉が思い浮かばない。
「俺ね ?振られたんだ ?」
結局沈黙を破ったのは仁科だった。
「そうか ?」
ここまで思いつめた顔をしているのだから、それ以外には思いつかなかった。だからこそ、気の利いた言葉をかけてやれなかった。今どんな言葉をかけても、仁科の傷が癒せるとは思えなかった。
「俺のこと、気持ち悪いんだって」
「そんなこと ?」
ないとは言えなかった。真鍋がそう思うのは、結局のところ、彼と仁科が赤の他人だからだ。だから嫌悪を感じない。
だが、実際に行為を受けたほうはどうなのか?同性に性の対象にされ、何も思うなというほうが酷だろう。
とは言え、それを言うことも出来なかった。少年の傷口を広げる必要はない。
「分かってるよ。所詮はホモだもん。真鍋さんのように理解してくれる人のほうが少ないよ ?」
それは軽く否定しておいた。真鍋はそこまで物分りのよい人間ではない。
ホモを気持ち悪いと思わないのは、彼が社会人だからだ。性癖がどうのこうのより大切なことを知っているから、仁科のことをどうも思わない ?それが根底にあるだろう。
「分かってはいるんだけど ?やっぱり辛いものは辛い。俺の今まではなんだったんだろう?
ずっと友達だと思っていた。それなのに、たった一言でこんなことになるなんて ?告らなければよかったのかな?ずっと黙っていればよかったのかな?
もう俺にはどうしたらいいのか分からなかった。そしたら、急に真鍋さんの顔が浮かんだんだ。これ以上甘えちゃいけないことくらい、分かってた。
でも ?気づいたらここに来てた。真鍋さんしか頼る人がいなかった ?」
気がつけば仁科を抱きしめていた。こうするのは何度目かと思ったが、そんなことは今はどうでもよかった。
自分しか頼る人がいないという仁科を見るのが辛かった。
友達などたくさんいるだろうに、大親友に振られてしまい、誰にも相談できない。それで、年の離れた男のところに向かう。
自分だけが頼られている ?真鍋はそれを喜ぶことは出来なかった。
「 ?無理するな。無理は身体に悪いぞ。どうせ佑君の前でも笑ってたんだろ?」
くわしく聞かなくても、そのくらいの想像はできる。仁科はそういう少年なのだ。自分ひとりで傷を抱え込もうとする。
「そうでもしてないと、やってられないよ!」
「なんだか高梨がイライラする気持ちが分かるな。お前は自分を抑えすぎなんだ。もう少し自分のやりたいようにしたらどうだ ?って、したからこうなったのか。
別に怒ったっていいだろう。ずっとお前は我慢してきたんだ。だから報われなければいけない ?とまでは行かないけどな。それでも ?」
もう少し仁科がここまで追い詰められないですむ方法もあったのではないか。このままでは仁科独りだけが辛い想いをするだけではないか。
「いいよ。あいつを好きになったのは俺の勝手。告白したのも俺の勝手だから。自業自得ってやつだよ」
高梨だったら、絶対殴ってる ?彼を帰した自分の選択が間違えていないことを確信した。
自分の勝手なら、どうしてここに来たのだろうか?独りで心を凍てつかせ、何故待ち続けていたのだろうか?
それは、我慢したいからではない。救われたいと願うからではなかろうか。
「そう思うのなら、何で俺のところに来たんだ。独りでひざ抱えて丸くなっていればいい。
だが ?本当は違うんだろ?誰かに解ってほしかったんだろうが。
お前は自分に嘘ついてるだけだ。そう思っていれば、自分の傷をごまかすことができるから。
でも ?せめて俺の前ではそんな強がりをしないでくれ。心配で仕方ないんだよ」
「真鍋さんの言うとおりだよ ?。俺あなたみたいに強い人間じゃない。だから、傷つくのだって怖い。
今、強がっとかないと、俺自身がばらばらになってしまいそうで怖いんだ ?」
「そうか ?」
真鍋は沈黙した。そうせざるを得なかった。仁科の悲鳴が直に伝わってきたから。
守ってやりたいと思う一方で、これだけ大きな傷を抱え込めるのかどうかという不安もある。
今までここまで深く人と接してこなかった真鍋の変化に戸惑いが生まれていることも事実だ。今までのツケが回ってきた ?苦笑すら出来なかった。
第16夜
仁科の心に深く刻まれた傷を真鍋は目の当たりにした。それは付け焼刃の言葉では決して癒されることはないだろうことを確信する。最善の策はなんなのか ?それをここで考えてもすぐ答えは見つからない。
「その ?別に真鍋さんを信頼していないわけじゃないんだけど ?」
「わかった。無理強いはしないよ」
その傷をどうにかしてやりたいという気持ちはあるが、仁科自身心の整理が出来る状況には思えない。強引に前に進ませることに関してはどうしても躊躇ってしまう。
だから仁科の言葉をさえぎることにした。これ以上言わせる必要はない。
「まぁ ?今すぐは変えられないだろうし、そんなお前もお前なんだからな。だけど、お願いだから今日だけは無理しないでくれ。
じゃないと ?同僚に恨まれてもお前を選んだ俺の立場がないんだよ ?」
次の日高梨に絞られるだろうことを想像してため息をつく。
せっかく乗り気になったところにこのハプニングだ。彼がおとなしく引き下がるとは思わない。
同じつつかれるのなら中途半端にしておくよりも、悔いのないようにしておいたほうがいい。
「その人と ?仲いいんですね」
少年が拗ねているような気がするのは、気のせいだろうか?高梨のことを恋人扱いをするなど ?意識自体はしているようだ。
そのような誤解をされても嬉しくないので、何度目かの否定をしておくことにする。
「あいつとは高校からの付き合いなだけだ。たまたまここまで腐れ縁が続いただけで、お前の思っているような関係ではないぞ?」
もしここに高梨がいれば、絶対拗ねるだろうな ?自分の物言いに苦笑する真鍋。
なぜか高梨は人に懐きたがる。害はそんなになかったので真鍋もずっと黙認してきたのだが、今回はどうしても否定しておきたかった。
(どうしてって ?どうして?)
ここまで真剣に高梨との関係を否定する必要があるのだろうか?
仁科も冷静になれば自分たちの関係がいかがわしいことでないくらい分かるはずだ。
だが、どうしても勘違いされたくなかった。別に高梨が嫌いなわけではない。うっとうしいと思うことはしばしばあるが、そばにいて悪いやつではない。だが ?。
(まるで、浮気と思われて否定するやつだな ?)
事実をはっきりしたいのではなく、『仁科には勘違いされたくない』ということなのかもしれない。自分でそれに気づき、苦笑する。
どうやらつい最近知り合ったばかりのこの少年を想像以上に大切に思っているらしい。
「だから ?安心することだ」
一体何に安心すればいいのだろうか ?気休めのつもりで言ったものだったが、効果はあったのかもしれない。仁科から力が抜けたような気がした。
そんな仁科を抱きしめながら真鍋は考え込む。仁科は自分のことをどう思っているのだろうか?少なくとも嫌われていないことは分かっている。
懐かれていることも知っている。だが、彼には好きな人がいる。つまり自分は一番ではないということだ。
(兄みたいな ?ものか ?)
心の奥に小さなとげが刺さるのを感じる。その予想の出来ぬ痛みに彼はうろたえる。
それはずっと分かっていたはずなのではないか。仁科が誰を好きでいようと、自分には関係なかったのではないか。
だが、関係ないのならこの胸の痛みをどう説明したらいいのだろうか。
「真鍋 ?さん ??」
腕の中の仁科が、一瞬震える。真鍋の複雑な気持ちが腕から伝わってきたのかもしれない。
「い、いや ?なんでもない」
自分の心の戸惑いを無視し、抱きしめる腕の力を強くする。そんな彼の行動に更に仁科が戸惑うことになる。
「ま ?真鍋 ?さん ?」
腕をはがそうとする動きを封じる。
「無理 ?するな ?」
「でも ?」
「辛いんだろ?ほんとは泣きたいんだろ?」
「これ以上真鍋さんに迷惑は ?」
なおも拒絶しようとする仁科。これ以上甘えることに不安があるのだろう。その先の結果を恐れて ?。
第17夜
「ったく、俺を何だと思ってる。誰が迷惑だと言った!本当に迷惑なら ?こんなこと、するわけがないだろう!」
本当は励ましたいのに、優しく接してやりたいのに、多少言葉が乱暴になる。傷ついている少年に対する話し方ではないことは分かっている。
だが、それは気の利いたことが出来ない自分への意苛立ちでもあった。
「ははは ?本当に ?お人よしなんだから ?」
それから仁科は何も言わなかった。
ただ声を堪えてひたすら涙を流していた。
真鍋にしがみつく指先の辺りがちょっと痛くて ?それが痛々しかった。真鍋に対する遠慮がまだあるのだろう。
だが、泣けるようになった分、まだましか ?安堵もする真鍋。
ずっと堪えてきたのだ。そうかんたんに全てを流すことは出来まい。まだまだ傷がいえるのも時間はかかるだろう。
それでも、どんなにわずかでもいい。前に進んでくれればそれでいい。
「言っとくけど ?インプリンティングされてるかもしれないが、俺はそんなに人はよくないからな。周りにはもう少し優しくなれと言われている」
天を仰ぎ、苦笑する。謙遜でもなんでもなかった。
決して感情がないというわけではないのだが、真鍋は人に優しくすることが苦手だ。
本人の名誉を考えると不器用と言えばいいのかもしれないが、周りの人は冷たいと言うことが多い。しかもその筆頭は高梨だ。
「充分今でも優しいよ。みんなそれに気づかないだけ ?」
「まぁ、人は人だからな。別に何と言おうともかまわない」
仁科のほめ言葉をあっさり切り捨てる。言われ慣れない言葉に対する照れ隠しもあるが、これも真鍋の本質だ。ドライと言ったほうがいいのかもしれない。
だから、自分らしくないことをしている彼が一番戸惑っている。
「強いね、真鍋さん。俺、そんなこと思えない」
人の言葉を気にしてしまう ?仁科の考えが別に変ではないことは真鍋も知っている。
当然、好きな人には好かれたいと思うだろうし、自分の言葉が相手にどう伝わるかを気にするのはおかしいことでもなんでもない。
「勘違いするな。そういうのが強さだとは限らない。泣きたいときに泣けるのも強さだ ?と俺は思うけどな」
ただ打たれ強いだけが強さだとは、真鍋は思っていない。自分の心を素直に出すこともまた強さの一つだろう。
よく指摘されるのだが、真鍋に関しては強いのではなく、鈍いのかもしれない ?自分でもそう思う部分はある。だから、泣くことが弱いことだとは思わない。
泣きたいときに泣くことも時には必要だ。
「真鍋さんも泣きたいと思うときあるんだ?」
「今が一番泣きたいけどな」
それはある意味本心だった。本来は全く接点はない二人。
たまたま酔いつぶれた少年を拾い、食事をし、挙句の果てに腕の中で泣かせている。
独りのことでここまで頭一杯になり、おまけに優しいとまで言われる。
今までなかったことが立て続けに起こり、真鍋自身頭がパンクしそうなくらいだ。
「その ?ごめんなさい ?」
それを迷惑だと感じてしまったか。
「馬鹿が。ここは謝るところではなく、甘えるところだろう。一つ聞きたいんだが、お前は謝ることが好きなのか ??」
「違うけど ?」
そんなことは聞かなくても分かっている。おそらく仁科の抱える『後ろめたい』想いが大きな原因だろう。
男同士を開き直ることが出来ないから、どこかで悪いことだと思っているから、まず謝ることを考えてしまう。罪悪感を取り除いてやることが肝心だ。
「謝るときは悪いことをしたときだけでいい。別に俺は悪いことをされたと思ってないから、謝られても迷惑なだけだ」
「 ?ありがと」
再び沈黙して真鍋に身を預ける。そんな仁科を強く真鍋は抱きしめてやる。
それからは真鍋も仁科も言葉を発することはしなかった。ただ、仁科を大切にしたいという気持ちだけをこめて、真鍋はつつみこんでやった。
傷ついた少年を放っておけない ?それもあったが、自分自身が離したくなかった。この腕の中に抱きとめておきたかった。
そんな複雑な真鍋の気持ちを知っているのかどうか、ただ仁科は声を殺して泣き続けたのであった。
第18夜
本当は会社を休んでも仁科についてやりたかった。
だが、仁科がそれを遠慮したので、叶わなかった。
いろいろと理由をつけて無理を通してもよかったのだが、そうすれば仁科は気に病むことになるだろう。
それは真鍋の望みではなかったので、本当にしぶしぶと後ろ髪を引かれる思いで出社する。
「よぉ、昨日はどんな一夜だったかい?」
そんな真鍋の気持ちを知っているのかいないのか、無駄に明るい声をかけてくるのが、悪友の高梨。
知っていたところで彼は気を使うようなことはないだろう ?真鍋は心の中で愚痴ることにする。
「別に ?お前の期待に添えるようなことはしてないぞ」
それは紛れもない真実だった。心に隙だらけの仁科だ。ちょっと優しくすればかんたんに落ちるのかもしれないが、困ったことに真鍋のほうにその気がない。
もともとそのケがないということもあるのだが、好きな人がいる ?それを気にしたことが大きな理由だった。
結局真鍋は優しい兄のようにそばにいただけで、そこには色気のかけらもなかったのだった。
「 ?甲斐性ないな。そういうときには心の傷に付け込んでやりたい放題してみればいいじゃないか。あの子なら拒まないと思うがな」
高梨の言うことは的を射ている ?痛いところを突かれた真鍋は沈黙する。
自分が手を出したところで仁科が拒まないことは分かっている。
喜んで ?とは思えないが、真鍋に捨てられることをおびえて、少年はおとなしく身体を開くだろう。
そのような実感はあったが、真鍋が嫌だったのだ。その理由はまだわからない。
「ま、俺はあまり賛成できないけどな」
「はぁ?」
高梨から出た意外な言葉に真鍋は耳を疑った。高梨がそのようなニュアンスの言葉を口にするなど、日常生活では考えられなかった。
彼は楽しむことは徹底的に楽しむ ?そのタイプの人間だ。仁科に恋人扱いされたときでさえ柔軟に対応したのに ?つまりそれは高梨にとって気に食わないことであるということに他ならない。
彼は度を過ぎて気に入らないことがあると、かなり容赦がない。そういえば ?最初仁科を前にしてもそうだった。
「俺はあの子に手を出すのは歓迎できないってこと」
「おいおい ?お前には関係ないだろう」
冷たい言い草ではある。だが、真鍋がそういうのも無理はなかった。偶然居合わせはしたが、本来この件は高梨には全く関係のないことだったからだ。
そんな『関係ない』ことに高梨が口を出すことは、まずありえなかった。
ということは ?つまり高梨にも関係あることとなるのだが、その理由が思いつかなかった。
「関係ない、あぁ、関係ないな」
むすっと、わざと嫌みったらしく言っているのが分かる。
「だが、関係なきゃ何も言っちゃいけないのか?」
「何わけのわからないこと言ってるんだ。今日のお前何か変だぞ?」
この一言で大きなひび割れが聞こえたような気がした。真鍋も言いすぎかと後悔したが、時はすでに遅かった。
「変で ?悪かったな。いちゃつきたかったら勝手にしろ!」
-----
(はぁ ?)
お昼休み、高梨は何ともいえないため息をついた。逆切れなんてみっともない、自己嫌悪する。
ただのやきもちだったのだ。いつもつれない真鍋が見知らぬ少年に優しくしている ?これは今までありえなかった光景だった。
最近真鍋も変わった、穏やかになったと思っていたが、その原因が何処の馬の骨かも知らぬガキ。今まであったポジションを奪われたような気がした。
(あいつの前じゃ否定しては見たものの ?)
もしや真鍋のことを ?そう思いかけたところで首を振る。そんなことがあったらとっくに告っている ?苦笑する。
(俺ってば病人ですね)
これだから友情は困るのだ。これが恋情だったら適当に理由をつけてごまかすことが出来る。『ホモ』で片付けることが出来るのだ。
だが、友情はそうもいかない。特に長い付き合いである分、何かあると一気にこじれるのだ。
(どう謝ればいいんだろうな ?)
高梨も自分が簡単に引かない性格であることを自覚している。一度謝ってしまえば楽なことは分かっているのだが、それをすると自分の非を認めることになるので気に食わない。
全てはあのガキのせいだ ?むしゃくしゃしていたところに ?。
「お?君は ?」
そのイライラの張本人が目の前を歩いていた。先日見た制服ときは暗闇で分からなかったが、それなりに整っている少年のようではある。
手入れの行き届いたであろう黒髪、遊びまくっているというよりは、誠実そうな人間。
(こいつに俺のダチはやられたってわけか ?)
ただのじめじめしている男ならまだ救いようがあったのに ?ちょっとムカつく高梨。それを隠して仁科に近づいた。
第19夜
「あなたは ?」
「俺?真鍋のアレです」
『アレ』を強調すると、目の前の少年の表情が暗くなる。恋人とでも思ったのだろう。もう少しいじめてやるか ?高梨はほくそ笑む。
「高梨って言うけど、そういう君は ?真鍋の何なんだ?あいつに弟がいるなんて話は聞いたことないが ?」
これは嫌がらせではなく純粋な疑問でもあった。何故彼が真鍋のそばにいることが出来るのだろうか。
それが弟であれば話は早いが、確か真鍋に弟はいなかった。つまり、真鍋と少年は赤の他人でしかない。
真鍋がそんな『赤の他人』に優しくするような性格ではないことは、高梨もよく知っている。
「俺は仁科っていいます。真鍋さんには ?その ?親切にさせていただいてます」
仁科が言葉を選んだのがよく分かる。高梨を警戒しているのもあるだろうが、根本的な育ちのよさもあるのだろう。
「ふーん。まぁ、いいや。何でここにいるのかい?」
ハンカチで汗を拭きながら高梨が訊く。高梨が勤める会社周辺は、東京でも有数のビジネス街だ。高校生が独りでいるのは、少し不自然。
しかも、夏服だから就職活動ということはまずありえない。おまけに、真鍋の自宅からはかなり遠い。
真鍋は仁科を自宅近くで拾ったという。何かの拍子に楽しみのないビジネス街に寄ったとは考えにくい。
それなら真鍋を追ってきた?それならまだ納得できる話だが、真鍋が会社を教えるとは思えなかった。そして、この少年もそんな真似はしないだろう。
「いえ、なんとなく。真鍋さんはどういうとこで働いてるのかな ?と。別に会社が何処なのかは知らないですけどね」
知らなくても近くに来てしまうとはすごいものである。高梨は内心感心する。
「何処も何も、すぐ近くなんだけどな。さすがにあいつに無断で案内するわけにはいかないが。ところで、今暇なのか?暇なら、茶でもするか?」
-----
どう考えても茶に誘ったのはその場の勢いだった。少しいじめてやろうと高梨は思っていたが、何故こうなったのかが不思議でたまらない。だが、そんな高梨でさえも茶に連れ込んでしまうような空気があったのだ。
「 ?どうかしましたか?」
オレンジジュースを飲んでいた仁科がそれをやめ、困惑気味に聞いていた。どうやらじっと顔を見ていたらしい。
さすがにそれは失礼だったか ?高梨は適当に理由になりそうな言葉を捜す。
「あぁ、君は男と ?したくなるような人間なのか?」
さすがに会社周辺のファミレスだったため、高梨もあえて露骨な表現は避けておいた。
ただ、それは決して彼の思い込みではない。真鍋との関係を恋人同士と思っていたようだから、それに関係することは確かだ。だが、ひとつ疑問なのは ?
(そんな感じはしないんだけどな ?)
別に仁科を見ていてもあまり女っぽさは感じない。普通の少年で、言葉を聞いていても、大して不快な響きはしない。
基本も整っているようだから、そんな性的に困っているような印象は受けなかった。
「まぁ、別にそうでないとだめだって事ではないですけどね。普通にエロ本みてもちゃんと反応しますし」
そのエロ本がどの分野かでも大きく変わっていくのだが、あえてそこは指摘しないでおく。
「なるほど ?好きになったのがたまたま男だったってわけか ?」
『そうです』その答えを聞いて少し考え込む。漫画に良く出てきそうな話だ。
だが、現実にこうして存在している。別に高梨はホモのことなどどうでもいい。自分に降りかかるものなら、どうにかするが、これは他人の話だ。
自分が関わってもそう旨みのなさそうなことだ。
「ほんじゃ、真鍋のことを ?」
ただ事実を知っても面白くはない、それならからかってみようか ?そう考えた高梨の言葉だったが、目の前で盛大に仁科がむせた。咳き込む姿はおかしいを通り越して少し可哀想だとも思えた。
「何言ってるんですか!そんなこと、あるわけないじゃないですか。いや、そりゃ、あの人は尊敬できる人ですけど」
『会って間もないのに』慌てて仁科が否定した。
ただ、真鍋自身のことは否定していない。明確な恋心を抱いているわけではないが、少しくらいは意識している ?そんなところが妥当だろう。
人を好きになるのに時間は要らない ?それは言わないでおいた。そのくらいは少年だって知っているはずだ。
「ま、いいか。好きになるのは勝手だし。ただ、忠告しておくが、あいつを好きになると大変だぞ?真鍋ってものすごく冷たいからな」
第20夜
人の交友関係に口を出すこと自体相当なおせっかいである。だから普段高梨は人の色恋には干渉しない。
ただ、真鍋に泣かされた女の存在があることを彼は知っている。
「別にそんな感じは ?」
「まぁ、お前の思っている冷たいとは違うだろうな。別に人が悪いわけじゃない。まあ ?いい人でもないけど ?ただ、あまり興味ないだけだ。
だから、『他人』が困っていても、手を差し伸べるような真似はしない」
これが高校からつるんでいる高梨の評価だった。見た目だけ見れば、真鍋は上玉の部類に入る。
それでもあまり誰かと付き合わないのは、本人にあまりその気がないのと、相手にとって近寄りがたい存在だからだ。側に居ると萎縮してしまうとの事。
真鍋とつるんでいるのは、彼が真鍋の理解者というより ?そんな真鍋と友達を作りやすい一方で歯に衣着せぬ言葉で敵も作りやすい高梨というあぶれたもの同士ということの方が大きい。
「そんなこと、ないです。真鍋さんは本当に優しいです。
そりゃ、ぱっと見愛想は良くないし、結構言葉に棘はあるし、俺へこむこともあるけど、その場だけのものじゃなくて、真剣に考えてくれてるからだって分かるし ?大体何の面識もない酔っ払いを世話してくれる人の、何処が優しくないんですか」
そうだな ?高梨も真鍋をこき下ろすのはやめた。これ以上は無駄だ。
おそらく仁科は真鍋の本質を知っている。確かに真鍋は他人には冷たい。だが、自分のテリトリーにある人に対しては違う。
表面上はやさしいようには見えないが、彼なりには気遣ったりもする。
おそらく仁科は真鍋が認めた数少ない存在なのだろう。かなりうらやましい。
(さて ?そろそろか)
別に昼休みが終わるからではない。いや、昼休み自体はそろそろ終わりそうなのだが、次の行き先までにはまだ時間がある。そんなことよりも ?。
「高梨さん ?真鍋さんのことが好きなんですか?」
その質問が来た。ずっと来るものだと思っていた。だが、仁科はその話は中々しない。
「好きだったら ?どうする?」
「どうって ?別に、高梨さんが誰を好きでも ?」
無関心を装っているものの、かなり混乱している。それだけ衝撃だったのだろう。
最初、自分と真鍋のことを恋人同士だと勘違いしていた。本当に無関心ならそうは思わないだろう。
そこまで考えてから仁科という少年の性格に気づく。
「まぁ、関係ないわな。これは俺と真鍋のことだし。だけど ?君はアレだな。他人に気を回しすぎ。それで人生どれだけ幸せを逃がしているんだ?」
別に悪い少年ではない。あの真鍋が色々気にするのだ。それは実際に話して高梨もよくわかった。
それなら、もっと幸せになっても良いのではないか。
「そんなの ?わからないです ?」
「そうだな。自分の気持ちでも分からないことってあるよな。俺も、実は分からなかったんだ」
「分からなかった?」
「あぁ、あいつのことだ」
その途端、仁科が幾分落ち込む。
「いや、別に今までは全く意識してはいなかったんだけど ?そりゃ、そうだな、男同士だし。
だけど、君が来てからなぁ、どうも調子が狂って。ったく、喧嘩もしちまったし。あー ?そうだ、喧嘩しちまったんだ ?」
真鍋に切れたことを思い出して、頭を抱える高梨。
「喧嘩ですか?」
「そ。原因は君の事。だって、君が来てからどうも真鍋のやつが穏やかになって。
俺、高校のころからダチやってるけど、そんなこと今まで全くなかったから、何か俺ムカムカしちゃってさ~それでつい喧嘩をしちまってね ?」
「た、高梨さん ?」
仁科の視線が高梨からずれ、苦笑いをする。何か見つけたらしい、高梨は気にするつもりはなかった。
「ま、いいか。もしあいつに会ったら、謝っといてくれないかな。柄になくイラついてわるかった ?と」
第21夜
「そういうのは本人のいるときに言ったらどうだ」
噂をすれば ?というが、高梨はその噂の主、真鍋が後ろにいたことには気づいている。窓際に座っていたため、ガラスから見えたのだ。
おそらく真鍋も座っていた二人に気づいて何も迷わずにこちらに来たのだろう。
「そこまで素直じゃないからな、俺は。悪いことをしたと自覚していても、中々出来ないんだ。そのくらい ?知ってるだろ?」
「そうだな。お前らしいといえばお前らしい。高梨ってずっと昔から謝らないんだよな。自分が悪いと思ってるときだけ妙にまどろっこしい手を使いやがって ?」
こつんと軽く頭を殴る真鍋。仁科が悲しげな顔をしているのは、決して気のせいではあるまい。
自分の楽しみを最重要視する高梨だったが、大切な友人が大切にしている存在を悲しませるわけにはいかない。今日ばかりは余計なお世話をしようかと思った。
「これから忙しいのか?」
「いえ ?そんなには ?」
「そうか。勝手に連れ込んどいて悪いんだが、今から会社に戻らないといけなくてね。勘定はこいつに払わせるから、しばらくゆっくりしてるといい。真鍋も昼休み、取るんだろ?」
「そ、そんな、自分の分くらいは自分で払うからいいですよ」
律儀といえばいいのか、遠慮しすぎるといえばいいのか。自分だったら遠慮せずにご馳走になる ?と思ったが、自分の基準で考えてはいけない。
もし高梨のような性格だったら、真鍋も気にかけはしないだろう
「仁科くんよ、まだまだ学生の君には分からないかもしれないが、おごられるのも年下の仕事なんだよ」
「出すのは俺なんだけど」
「手数料だと思えば安いだろが」
真鍋の文句は一言で封じておいた。これが他の相手だったら意地でも支払わないだろうが、今だったら文句を言いつつも引き受けるだろう。
目の前の少年がそうさせるよう変えてしまった。そんな事実は寂しくもあるが、これ以上野暮なまねはしたくない。
「ったく ?お前じゃなかったらぶん殴ってるぞ」
そんなささやかな言葉にちょっとだけ嬉しくなる高梨。明日根掘り葉掘り聞いてやろう ?こっそりとほくそ笑んだ。
-----
何でこうなるんだ ?高梨から呼び出された真鍋に疲れがどっとのしかかる。
ちょうど外回りから戻ってお昼にしようかと思っていたところだった。そんなときに呼び出し。朝の喧嘩の件かと思ったが、そう簡単に高梨は謝る男ではない。
最悪の場合自分のほうが折れるか ?そんな覚悟で行ったのだが、まさか仁科と一緒だとは思わなかった。
窓の外から見える位置に陣取っていた二人を見たときは、驚きを隠せなかった。
「あいつに、なんか言われたりしなかったか?」
「いえ ?別に何も」
特に表情の変化はないから、特に変わったことはなさそうだ。高梨とは偶然会っただけだろう。
そちらの疑問が解決したが、問題は会話だった。残念ながら真鍋は積極的に会話をするような性格の持ち主ではない。
「そうか。そういえば今日は学校は ?」
と、無難なところから始めることにする。
「えぇ、テストが終わって午前中なんですよ。それで、学校帰りに歩いてたら高梨さんに会って」
こんなところで会うのも珍しいが、会ってしまったものはしょうがない。せっかく会ったのだから何か話題を ?と思ったところで思い出す。
「仁科は休みには遊ぶほうか?」
「まぁ ?人並みには遊びますけど、あ、でも、いちおうそういう遊びはしてないですから ?俺、実はピュアですし」
「いや、そっちの遊びはいいんだけどな」
勘違いをしたのか、それともボケているのか ?苦笑いする仁科につられ、真鍋も苦笑い。
「さっき客先で水族館のチケットもらって。まだ期限はあるから、今度友達と行くといい。
いろいろと大変かもしれないが、たまには気分転換も必要だろう」
ちょうどいい押し付け先があった。いそいそと真鍋はチケットを差し出す。
実はこのチケット、取引先の担当である初老の部長から『彼女と行くといい』と押し付けられたものだった。
その部長、人自体は悪くはなく、こういう気遣いも嫌いではないのだが、残念ながら真鍋には女など居ない。そして、仲良く水族館を楽しめそうな友人もいるわけではない。
処分方法を考えていたところに、仁科と会ったのだ。
「まぁ ?それではそうですけど ?」
急に仁科が暗くなり『まずかった』真鍋は後悔する。『友達』と聞いて真っ先に想像するのは佑のことだろう。
しかも彼は失恋したばかりだ、何も思わないわけではない。軽率すぎる言葉を反省するしかなかった。
第22夜
『友達』の言葉に仁科が傷ついたと思った。佑のことを思い出させたかと思った。
だから真鍋は謝罪の言葉を探したが、今は何を言っても言い訳になるような気がした。
「俺は出来れば真鍋さんと一緒に行ければ ?と」
だが、暗くなったのは別のところにあった様子。真鍋の言葉に対してではなく、真鍋を水族館に誘っても断るだろうと思って落ち込んだのだ。
それで自分が気を悪くするとでも思ったのだろうか。これが他の男だったら気を悪くするだろうが、不思議と仁科が相手なら悪い気はしない。
ただ、本当に不思議なのは ?。
「お前、俺といて楽しいか?」
言い方はきついが、真鍋がそう思うのも無理はない。同年代ならまだしも、真鍋は仁科よりもかなり年上だ。
しかも、性格的に共通する話題があるとも思えない。
彼なら普通に楽しんで遊べる友達だっているだろう。
「えっと ?それは ?」
『ほらみろ』即突っ込みを入れる。自分から話を振っておいて少しショックだったことは言わないでおく。
「楽しいというより ?真鍋さんがいてくれると安心するというか ?」
そんな言葉にノックアウトされ、真鍋が断れなかったのはいうまでもないことだった。