饭饭TXT > 海外名作 > 《王子様はいらないの (日文版)》作者:[日]未知【完结】 > 王子様はいらないの.txt

文章简介

作者:日-未知 当前章节:15410 字 更新时间:2026-6-23 02:24

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王子様はいらないの

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...01

 ひーちゃんは泣くだろうか。頭の隅でそんなことを思いながら、私は目の前にあるクラスメイトの顔を見据えた。ひーちゃんの好きな人。彼は今、緊張した、けれどどこか自信の含まれた表情で、じっと私の返事を待っている。

 幸い私がひーちゃんから、彼のことが好きなのだという話を聞かされたことは一度もない。だってきっと、ひーちゃんはまだ気づいていない。自分が彼に恋をしていることすら。明日私が、彼から告白されたのだと彼女に告げ、そして付き合うことにしたと嬉しそうに笑って言ったとき、彼女は初めて知るのだろう。自分の初恋を、失恋と一緒に。

 だけど私は知っている。ひーちゃんはそこで、お門違いの怒りを私に向けたりはしない。ひーちゃんは優しいし、大人だ。それに私のことが大好きだ。まさか私が、ひーちゃんの彼への恋心に気づいていたなんて考えもしない。そもそも本人ですら気づかないような想いに私が気づくほど、私がずっとひーちゃんを見ているなんてこと、ひーちゃんは知らない。知るよしもない。だから私は恥ずかしそうに目を伏せ、小さく頷いてみせる。そして、え、とわずかに上擦る声で聞き返す彼に、待ち望んでいたであろう言葉を返してあげた。

「――私も、西村くんが好きです」

 夕日に照らされる畦道を彼と二人で歩くのは、今日で三度目だ。

 四日前まではずっと、ひーちゃんと歩いていた道。出来るなら今日もひーちゃんと一緒に歩きたかったのだけれど、気の利く彼女は、ホームルームが終わった後私のほうへ歩いてくる西村くんに気づいたら、すぐに一人で教室を出て行ってしまった。対して気の利かない西村くんは、それまでいつも私と一緒に帰っていたひーちゃんのことなんて気にもせず、当たり前のように一緒に帰ろうと誘ってくるので、ここ最近は毎日彼と二人で下校している。

 ひーちゃんは今頃、一人で帰り道を歩いているのだろうか。それか私たちと鉢合わせないよう、まだ学校に残っているのだろうか。そんなことを考えながら、ふと後ろを振り返ってみたとき

「白雪姫はさ」

 唐突に隣から聞こえてきた、これまでの会話の流れとまったく関係のない単語に、私は思わず「えっ?」と素っ頓狂な声を上げてしまった。西村くんのほうへ視線を戻せば、彼はちょっと眉尻を下げた笑顔で

「あ、聞いてなかった?」

 と確認してきた。私が「ごめんね」と苦笑して頷くと、彼は眉尻を下げた笑顔のまますぐに首を振って

「文化祭の話。うちのクラス、白雪姫の劇やることになってたからさ」

「そうなの?」

 彼の言葉を遮って聞き返すと、西村くんは驚いたような顔で私を見た。それから「知らなかったの?」とさらに聞き返す。私がまた苦笑して頷けば

「この前のホームルームのときに決まったよ。北城さんもちゃんといたと思うけど」

 ああ、たしかにいつだったかそんな話し合いをしていた気がする。真面目に参加していなかったため、よく覚えていなかった。ぼんやりと思い出し、「そういえばそうだったね」と曖昧に頷くと、西村くんはおかしそうに笑った。

「北城さんって、意外にぼうっとしてるよね」

 私も笑って、「そうかも」と相槌を打った。ぼうっとしていたのではなくて、興味がなかったから意識を向けなかっただけだと、心の中でだけ続けておく。文化祭でやるクラスの出し物も、あなたの話も。きっと話し合いの時間は、ひーちゃんの視線の先を辿るのに忙しかったのだ。今、どこかにひーちゃんの姿はないかと探すのに忙しいように。

「今度のホームルームの時間に、配役を決めようって話になってるんだ」

 ふうん、と相槌を打てば、彼はなぜか照れたような調子で「だからさ」と続ける。

「僕、白雪姫の役は、北城さんがいいんじゃないかって思って」

 私は思わず顔を伏せ、苦笑した。冗談じゃない。なにが楽しくて、クラスのためにそんな面倒なことをしなければならないのか。そう思ったけれど、さすがにそんなことは言えず

「無理だよ。私には似合わないもん」

 そう言って、恥ずかしそうに小さく首を振る。すると西村くんは、「そんなことないよ」とすぐに意気込んで声を上げた。

「絶対似合うよ。僕、北城さんほど白雪姫のイメージにぴったりはまる人いないと思うよ」

 力を込めて真剣に語る彼の顔を見ながら、私はまた苦笑する。とりあえず「ありがとう」と言ってから

「でも白雪姫って、キスするような場面とか、あるでしょう」

 ためらいがちに続ければ、え、と西村くんは声を上げてから黙った。一拍遅れて、私の口にした単語に、なんだか気まずそうに目を逸らす。それから微かに頬を赤らめ、「いや、でも」とあわてたように口を開いた。

「実際にはしないと思うよ。振りだけで大丈夫だと思うし……」

「そうだろうけど、でも私、振りでも嫌だな」

 言って、西村くんの顔を見る。まだ慣れないのか、目が合った途端彼は照れたように視線を外した。

「西村くんならいいんだけど」

 何とはなしに続ければ、彼は「へっ?」と間の抜けた声を上げ、こちらを向いた。王子様役、と私は言った。すると彼はとんでもないというように大きく首を振り

「そ、それは絶対無理だよ。王子様なんて柄じゃないし、他にもっとかっこいい人たくさんいるし」

「じゃあ、私も白雪姫は絶対無理だな。西村くん以外の男の子と、そういうことしたくないもん」

 甘えるように言って、にっこり、とびっきりの笑顔を向ける。面白いように彼の顔が赤く染まった。それを見届けてから、私はもう一度後ろを振り返ってみる。ひーちゃんの姿は見あたらない。やっぱりまだ学校に残っているのだろう。なにをするでもなく、一人、まだ癒えてはいないはずの失恋の傷を抱えて。

「北城さん」

 ふいに名前を呼ばれて視線を戻せば、あからさまに緊張した面持ちでこちらを見る西村くんと目が合った。それだけでだいたいの予想はついたけれど、なあに、と一応首を傾げて聞き返す。彼はしばし口ごもっていたが、やがて意を決したように息を吐き

「手、つないでもいい?」

 おずおずと尋ねられた質問は、予想通りのものだった。にこりと笑う。いいよ。答えて、自分から彼の手を取った。驚いたように私の顔を見た西村くんに再びとびっきりと笑顔を向ければ、彼はすぐに赤くなって目を逸らした。代わりに、大げさなほどそうっと私の手を握る。

 ああ、この手だ。つないだ手を見下ろし、思う。

 全部この手を握るためなのだ。ひーちゃんと一緒に過ごす時間を削り、こうして彼と二人歩きながら、面白くもない話を聴いているのだって。全部、この手を、私が握っておくためなのだ。

 高い体温も少し汗ばんだ感触も、心地よいとは言い難いものだったけれど、気にせず私は左手に力を込めた。ふいに、いつか触れたひーちゃんの手のひらの柔らかさを思い出す。あんなにも暖かく優しい体温を、私は他に知らない。きっと他には存在しないのだ。あれは私の、世界で一番心地よい温もりだった。だから、こんな汚らわしいものに触れさせてはいけない。

「ねえ、西村くん」

 呼べば戻ってきた視線と、まっすぐに視線を絡める。目を細め、ゆるやかに唇の端を持ち上げた。つないだ手を一度そっと離してから、今度は指を絡めてつなぎ直す。驚いたように目を見開いた彼に、これ以上なく綺麗に作った笑みを向け、問いかける。

「ずっと、私と一緒にいてくれる?」

 もう十分に赤い色をしていた頬が、よりいっそう赤く染まる。一も二もなく頷いてみせた彼に、よかった、と笑ってから、私はつないだ手を強く握った。

 この手はずっと、私が握っておくのだ。

 強く思って、左手に力を込める。そして、ぎこちない笑顔を浮かべこちらを振り向いた彼に、ふわりと笑みを返した。

 ――この手が、彼女のもとへなんて行かないように。彼女がこの手に、汚されることのないように。

...02

 私がそれに気づいたのは、先月行われた球技大会のときだった。

「バスケの試合、観に行かない?」

 唐突なひーちゃんの提案に、私はきっと怪訝そうな表情を浮かべてしまったのだろう。すぐにひーちゃんはぱっと頬を染め、「ほら、せっかくだし、うちのクラス応援しようよ」とやたら焦った口調で続けた。

 どうせ自分たちの試合は終わって暇をもてあましていたところだったし、その提案自体はなにもおかしなものではない。なのに、ひーちゃんがひどく恥ずかしそうな調子で口にするものだから、私はすぐに察しがついてしまった。

「それにほら、次の試合、安東くんも出るみたいだし」

 ひーちゃんは早口にそう続けたけれど、彼女の目当てがそのクラスメイトではないことはすぐにわかった。横にいた女子のグループが、次安東くん出るんだって、と騒ぐ高い声がたまたま耳に入ったため咄嗟に口にしただけだろう。私はひーちゃんの顔を見た。かすかに赤い頬をしてこちらを見つめる彼女と目が合う。出来るならさっさと更衣室に戻って、汗で濡れた体操服を着替えたいと思っていたところだったけれど、仕方がない。私は心の中でだけため息をついて、にっこりと笑う。それから「いいよ、行こ」と優しく頷いた。

 私たちがコートの中にいたさっきまでとは違い、今は大勢のギャラリーがコートを囲んでいた。その大半が女子生徒で、とくにうちのクラスの女子はほぼ全員そろっているようだ。準決勝ということもあるだろうけれど、きっとクラスの中でとくに目立つ男子が出ているということも大きいのだろう。バスケ部のエースらしい彼は、さすがのフットワークでコートの中を軽やかに駆け回っている。そしてシュートを決めるたび上がる耳に痛いほどの歓声に、いちいち手を振って応えていた。

「安東くん、すごいね」

 歓声にかき消されない程度の声量で話しかけたつもりだったけれど、ひーちゃんの耳には届かなかったらしい。フェンスに肘を載せ熱心にコートを眺めている彼女からは、何の相槌も返ってこなかった。

 私はひーちゃんのほうを見る。そうしてそのまましばし彼女の横顔を見つめた。コートの中で、安東くんがまたシュートを決める。女の子たちが飽きることなく黄色い声を上げ、安東くんはその声に律儀に応える。その間も、ひーちゃんの視線は動かなかった。ギャラリーの注目集めに余念がない安東くんには目もくれず、さほど活躍もできていない一人のクラスメイトのほうばかり見つめていた。

 ああ、彼なのか。私は奇妙に冷静な頭の片隅で考える。

 先ほどからひーちゃんの視線を独占しているそのクラスメイト。とくに目立つような生徒ではない。人目を引くような容姿でもないし、成績も平凡だし、今の様子を見ている限り運動も得意ではなさそうだ。だけどさほど不思議には思わなかった。たしかにひーちゃんの好きそうなタイプだと、ぼんやり思う。ひーちゃんは昔から、前に出て一番にスポットライトを浴びるような人よりも、その陰にいて、目立たないけれどしっかりと仕事はこなすような、そういう人によく目が留まるようだった。そしてそんなところも彼女の魅力だと、私はこっそり思っている。

 私はもう一度ひーちゃんの視線の先を確認する。やはり見ているのは、コートを軽やかに駆け回るクラスメイトではなくて、彼一人だ。端から見ていても彼女の抱く恋心は一目瞭然だった。だけど嫉妬の感情が湧かなかったのは、どうやらひーちゃんはまだ気づいていないらしいことがわかったからだ。今こうして彼の姿を目で追っているのだって、きっと無意識なのだろう。だって気づいていたなら、ひーちゃんは私に教えてくれるはずだ。他の皆には内緒にしても、私にだけは絶対に。

 ああ、それなら。私はコートのほうへ視線を戻す。回ってきたボールを、すぐにまた別のチームメイトへパス。決して目立つことはない。だけど気をつけて見ていれば、チームのためしっかりと仕事をこなしていることはわかる。やっぱり彼は、ひーちゃんの好きそうな人だ。冷たく静まりかえった頭で思いながら、フェンスを掴む手に少し力を込めた。

 それなら、まだ間に合うだろう。なにも焦ることはない。所詮、男なんて単純なのだから。

 ひーちゃんが好きになった人なのだから、少しは素敵に思えるかもしれないと思ったけれど、結局そんなことはないようだった。むしろ思っていた以上に単純で、馬鹿な男らしかった。朝、下駄箱で顔を合わせたら満面の笑みで挨拶をするだとか、さり気なく視線を捉えてにっこりするだとか、あるいは恥ずかしそうに顔を伏せてみせるだとか、そんなことを繰り返していくだけですぐにこちらを意識し始めるようになったのだから。

 一週間後には、わかりやすく目が合う頻度が増えた。そのたび彼のほうも照れたような表情を浮かべるようになってきて、そうなればもう時間はかからなかった。

 彼に呼び出されたのは、球技大会から一ヶ月と経たない日の放課後。

 北城さんのことが好きなのだと、真剣な、しかしこの告白がうまくいくことは確信しているような表情で告げる彼の顔を見つめながら、私はこみ上げる笑いを押し殺すのに必死になる。ほらやっぱり、男なんて単純だ。簡単すぎて笑ってしまいそうだった。ねえひーちゃん、心の中で声を投げる。こんな彼のどこがよかったの。

 私は顔を上げ、目の前の真剣な目を見据えた。まっすぐに視線を絡める。

 もう、駄目だよ。笑みと一緒に、心の中で呟く。あなたの手はずっと私が握っておく。ひーちゃんのもとへは行かせない。だって、あんな可愛くていい子のまっすぐな想いに気づかず、私みたいなのに告白しちゃう馬鹿にひーちゃんはもったいないもの。

 思って、答えを返した。私もあなたのことが好きだと。

 感情の揺らぎをうまく隠すことができるほど、ひーちゃんは器用じゃない。

 西村くんと付き合うことになったんだ。

 告げた瞬間、ひーちゃんの顔はごまかしようもなく強張ったというのに、彼女はけなげにもすぐに笑顔を作って、なんとか取り繕おうとしている。

「でも、知らなかったな。ゆっこ、西村くんのこと好きだったのか」

 思い切り引きつった作り笑いを口元に浮かべ、ひーちゃんが軽い口調で言う。けれどその声もかすかに掠れていて、ちっとも動揺を隠しきれていない。だけど私は気づかない振りをした。

 んー、と少しだけ考える素振りを見せたあとで、今まではね、とはにかむような調子で口を開く。

「はっきり、西村くんのことが好きだって思ったことはなかったんだ。でも、西村くんが好きだって言ってくれたとき、私、すごく嬉しくて、そのときに気づいたの。西村くんが好きだったんだなあって」

 そっか、とひーちゃんは視線を足下に落として呟いた。その口元には、相変わらず引きつった笑みが浮かんでいる。きっとひーちゃんは、早く私の前から立ち去ってしまいたいのだろう。そうしてそのあと、一人で泣くのだろうか。――西村くんを想って。

 ふいに、胸の奥に真っ黒な感情が膨らんだ。ひーちゃんがなにか言わんと口を開きかけたのがわかったけれど、私は遮って「ね、ひーちゃん」と声を投げる。

「私ね、初めてなんだ。男の子と付き合うの」

 言うと、それだけで続く言葉を察したのだろう、彼女は少し表情を曇らせ相槌を打った。私はにっこりと笑ったまま、弾む声で続ける。おそらく、彼女の予想したとおりの言葉を。

「だから、どうすればいいのかよくわからなくて。ひーちゃん、いろいろ相談にのってくれるかな?」

 ひーちゃんが断らないことはわかっていた。私はいかにも無邪気な笑みを浮かべ、小さく首を傾げる。そうして、ついに笑みが剥がれ落ちてしまったひーちゃんの顔をじっと見つめた。

 しばしの間があって、ひーちゃんはまた押し出したように笑ってみせる。それから、「もちろん」とぎこちなく頷いた。その不自然さなんて、私は何一つ気づかない。ただ嬉しそうに笑って「ありがとう」と言えば、ひーちゃんは眉尻を下げた笑顔で

「でも、あたしも男の子と付き合ったことなんてないから、良いアドバイス出来ないと思うよ」

「いいよ。ただ聞いてもらえれば嬉しいんだ」

 ひーちゃんは困ったようにますます眉尻を下げて、わかった、と頷いた。それでも彼女は決して笑顔を崩そうとはしない。気の毒なくらいに引きつった、不格好なその笑みを。

 誰にも渡したくないと、もう何度思っただろう。

 だけど、彼女は絶対に私のものになどならない。それも、もう十分すぎるほどわかっていた。だからせめて。

「ね、ひーちゃん」

「ん?」

「応援してくれる? 西村くんとのこと」

 ひーちゃんはくしゃりと歪んだ笑顔で、当たり前だよ、と大きく頷いてみせる。対して私は、綺麗に作った満面の笑みを彼女に返した。

 誰のものにもさせない。誰にも渡さない。ひーちゃんは、私の綺麗で暖かなひだまりなのだ。あの日からずっと。誰にも汚させない。とくに男の汚い手になんて、絶対に触れさせるものか。

 何度目になるかわからない誓いを胸の中で並べ、私はひーちゃんの手を取った。ありがとう、と笑って、その白い綺麗な手を握る。その手の柔らかさも温かさも、目の前で歪む未完成な作り笑いも、すべてがどうしようもなくいとおしくて、目眩がした。

西村くんが言っていたとおり、次のホームルームの時間に劇の配役決めが行われた。

 最初に白雪姫の役を決めることになり、前に立った学級委員が立候補する人はいないかと呼びかけている。しかし手は一つも挙がることなく、女の子たちは皆窺うように教室を見渡すだけだった。

 誰もこんな面倒な役を引き受ける気はないらしい。誰か立候補してくれないかな、という期待を込めた視線ばかりがしばし教室を飛び交う。何度か私のほうへ視線が向くのも感じたけれど、私は気づかない振りをしていた。

 委員長も、誰かが立候補してくれるとはあまり期待していなかったようだ。すぐに立候補を募るのはやめ、今度は誰か推薦したい人はいるかと聞き始めた。途端、待ってましたとばかりに声が上がる。

「やっぱ北城だろー、ここは」

 振り向くと、窓際の後方の席に座る安東くんが、軽く教壇のほうへ身を乗り出して手を挙げていた。

 彼の声は大きい。すぐに教室中の視線が私へ集まり、かと思うと「そうだよなあ」「北城でいいんじゃねえの」という同意の声が飛び交いだす。さっさと決めてしまいたいのだろう、委員長は早口に

「北城さんという意見が出ていますけど、賛成の人」

 と挙手を求めた。「はーいっ」と真っ先に明るい声を上げ手を挙げたのは、ひーちゃんだった。きらきらと目を輝かせ、まるで自分が褒められたかのように嬉しそうに笑っている。

 一拍遅れて、他のクラスメイトたちも手を挙げ始めた。見ると、西村くんも手を挙げていた。彼は私と目が合うと、少し眉尻を下げ、困ったような笑顔を浮かべる。ごめん、と彼の唇が小さく動くのが見えた。私が白雪姫の役をやりたがっていないことを知っているからだろう。私も小さく笑って、首を振っておく。どうせ西村くん一人が手を挙げなかったところで、結果は変わらなかったばずだ。

 ほぼ全員が手を挙げている教室を見渡してから、委員長はこちらを見る。

「ということだけど、北城さん、やってもらっていい?」

 この状況でどう断れというのか。私は心の中で盛大にため息をつきながら、しかし顔には柔らかな笑みを浮かべ、仕方なく頷いた。

 続いて王子様役を決めることになったが、これも立候補者は出ず、同じように推薦で決められた。選出されたのは安東くんだった。役のイメージがどうこうというより、単に彼の人望の厚さから客寄せ効果を狙ったらしい。主役二人が決まれば、あとは早かった。お妃と魔法の鏡役は、面白そうだからやってみたいという立候補者が出て、こびと役に至ってはクラスの中で背が低い子から七人否応なしに決められた。ひーちゃんはその七人の中に入っていた。

 私はちょっと嬉しくなる。たしか白雪姫とこびとは同じ場面に出ることが多い。ひーちゃんがこびと役なら、劇の練習中も、長い時間ひーちゃんと一緒にいられるはずだ。それに、大きな三角帽子を被ったひーちゃんはきっと、可愛い。そんなことを考えただけで強引な配役決めに苛立っていた気持ちもあっさり凪いた私は、案外単純なのかもしれない。

 部活のほうの出し物で忙しい生徒も多いらしく、部活に入っていない人たちは、劇に出演する人だろうと裏方の仕事も兼ねることになった。ただ白雪姫役と王子様役だけは、台詞も多いし大変だろうということで特別に免除されるらしい。それだけはラッキーだったなとこっそり思う。時間がなくなったため、裏方の仕事についての希望は紙に書いてもらって委員長が集めていた。なるべくそれぞれの希望を優先して、委員長のほうで決めてしまうとのことだった。

「あたし、衣装係がいいって書いたよ」

 ホームルームが終わってからひーちゃんに聞いてみると、彼女はにこにこと笑ってそう言った。

「とくに白雪姫の衣装希望って」ひーちゃんは楽しそうに付け加える。

 なんで、と尋ねれば

「だってこんな可愛い子の衣装作るの、絶対楽しいでしょう。ゆっこなら何着ても似合うだろうし」

 ふふっと笑ったあとで、ひーちゃんは、でも、と少し表情を曇らせる。

「衣装係って、それぞれの役に二人ずつらしいんだよね」

「そんなに少ないの?」

「うん、だからさ、倍率高いかも。もし衣装係になれなかったときの第二希望はね、演出係にしたんだ。ゆっこを可愛さを最大限に引き出せるように!」

 屈託なく笑うひーちゃんの笑顔に、私は思わず目を細めてしまう。それから、ありがとう、と軽く目を伏せて言えば、ひーちゃんは柔らかな笑顔のまま手を伸ばし、私の髪に触れた。そうして何度か軽く撫でる。それから

「白雪姫、頑張ってね」

 思い出したように言われた言葉に、私はにっこり笑って頷いた。

 ごめん、と彼に神妙な顔で謝られたとき、私は一瞬何のことかわからずぽかんとしてしまった。

「北城さん、やりたくないって言ってたのに」

 続いた言葉にようやく思い当たり、ああ、と呟く。一緒に帰ろうと誘ってきたときからどことなく元気がなかったのは、このことを気にしていたのだろうか。私は思わず苦笑する。たしかに白雪姫役は面倒だけれど、そこまで気に病まれるほどのことでもない。思って、いいよ、と私は笑顔で首を振る。しかし西村くんは硬い表情のまま

「それに、王子様の役」

 と、どこかためらいがちに続けた。なに、と続きを促せば、彼は少し頬が赤くして

「僕、立候補できなくて」

 心底申し訳なさそうに言われた言葉に、私はまた一瞬ぽかんとする。それから思い出した。先日、配役決めについての話をしていたときに私が言ったのだった。王子様役が西村くんならいいのに、と。

 私は笑った。それからもう一度、いいよ、と首を振る。

「なんかもう、クラスの中じゃ安東くんで決まってるって雰囲気だったもんね。あれじゃ立候補なんて出来ないよ」

 あっけらかんと言えば、西村くんはようやくほっとしたように表情を解した。それから、「係はさ」と少し明るい口調になって口を開く。

「衣装作る係の希望出したんだ」

 え、と西村くんのほうを見れば、彼は照れたように笑って

「できれば白雪姫がいいって、しっかり書いといた」

 と続けた。それから、いっそう赤くなった頬を指先で掻く。私はちょっと驚いて、へえ、と声を上げると

「衣装作る係って、なんとなく女の子がやるのかなって思ってたな」

「うん。僕もそう思ったんだけどさ、どうしてもやりたくて。好きなんだよ、何か作ったりするの」

 そうなんだ、と相槌を打ってから、私はおもむろに彼の手を取った。驚いたように、へっ、と素っ頓狂な声を上げる彼には構わず、掴んだ手を自分の手と比べて眺めてみる。男の子にしては小さめのその手は指先が細く整っていて、たしかに細かい作業が得意そうな手だと思った。納得して離そうとしたけれど、やはり思い直しそのまま握る。あわてたように、彼もすぐに握りかえしてきた。

「北城さんが着る衣装だから、さ」

 短く息を吸ったあと、意を決したようにして西村くんは再び口を開いた。彼のほうを見ると、眩しそうに目を細めて夕日が沈む空を見つめる横顔があった。長めの髪の間から覗く耳が、少し赤い。

「どうしても、作りたいって思ったんだ。北城さんなら、綺麗なドレスとかすっごい似合うだろうし。やっぱりそういう人に着てもらえると、作り甲斐あるだろうなって」

 ひーちゃんと似たようなことを言っていると思いながら、私は相槌を打った。それからふっと彼女の言葉を思い出し

「でも衣装係って、二人ずつしかなれないんでしょう」

「うん。だから他にも希望出してる人がいたら、なれないかも」

 じゃあ、とふと言葉がこぼれた。

「もし衣装係になれなかったら、何の係になるの」

 西村くんはまた照れたように笑って、空いている手で軽く頬を掻きながら

「演出の係がいいな。せっかく北城さんが主役なんだし、いい劇にしたいから」

 そっか、と呟いて視線を前方へ戻す。彼はひーちゃんの好きな人だったのだと、なぜかふいにそんなことを思い出した。

 大きな、固く骨張った感触。――男の子の手だ。

 思い至った瞬間、全身が強張った。心臓が一度拍を飛ばし、同時に肩が大きく震える。

 弾かれたように振り向くと、驚いたような顔をしてこちらを見つめる安東くんが立っていた。持ち上げた右手を、行き場をなくしたように宙にぶらつかせている。さっき私の肩に載った重みは、それだったらしい。

「ごめん」

 安東くんは困ったように眉を寄せて、早口に言った。

「そんなに驚かれると思わなかった」

 まだ心臓は落ち着きなく鳴っていたけれど、私はなんとか口元に笑みを刻み、首を振る。背中に冷たい汗が滲むのを感じた。一度深く息を吐く。肩にはまだ彼の手の重たさが残っている気がして、振り払うように、私は自分の手でそこに触れてみた。

 安東くんは私のその仕草を気にした様子はなかった。思い出したように、「おはよ」といつもの人懐こい笑顔で挨拶をする。それで少し気持ちが落ち着いた気がして、私も笑って同じ言葉を返した。それから、そのまま二人で教室へ向かい歩き出した。

 しばらく歩いたところで、安東くんはふとこちらを向き

「ああ、そうだ。白雪姫、よろしくな」

 と言って、歯を見せた。たしか私たちが言葉を交わしたことはまだ数えるほどしかなかったはずだけれど、安東くんは仲の良い友達と話すときと何ら変わらない調子で喋りかけてくる。本当に人見知りしない人なんだな、と私はちょっと感心しながら

「うん、よろしくね。そういえば安東くんが王子様役なんだったね」

「そう。なんか、ごめんな」

 なにを謝られたのかわからずきょとんとして、「なにが?」と聞き返せば

「相手、西村じゃなくて」

 言って、安東くんは悪戯っぽい笑みを見せた。ああそういうことか。納得して、「いいよ」と笑顔で首を振る。すると、ふっと安東くんの顔から笑みが消えた。少し眉を寄せ、じっと私の顔を凝視する。それからぼそり、

「あ、やっぱマジなんだ」

 と呟いた。私が、え、と聞き返せば

「北城が西村と付き合ってるっての」

 どうやら、彼はカマをかけたらしかった。そういえばひーちゃん以外の誰かに、西村くんと付き合っていると話したことはなかった。けれど別に隠したいと思っていることでもなかったため、私は気にせず「そうだよ」と短く相槌を打っておく。安東くんは、ふうん、と視線を宙に漂わせながら呟いたあとで

「なーんだ、残念だな」

 あまり残念そうには聞こえない口調で言って、へらりと笑った。ちょうどそのとき、私たちは教室に着いた。すぐに安東くんは「じゃ」と明るい笑顔で手を振り、教室の後方に集まっている友人たちのもとへ歩いていく。すると彼と入れ替わるように、ひーちゃんがこちらへ歩いてきた。

「おはよう、ゆっこ」と笑うひーちゃんの笑顔の暖かさに、未だ右肩に残っていた重たい手の感触も、今度こそきれいに拭い取られた気がした。私も「おはよう」と返そうとしたけれど、それより先にひーちゃんが早口に続けた。

「ゆっこ、あたしね、衣装係に決まったよ。しかも白雪姫の!」

 ひーちゃんの心底嬉しそうな笑顔に、へえ、と私の喉からも弾んだ声がこぼれた。「よかったね」と満面の笑みで返せば、ひーちゃんは「うん」と大きく頷いてから

「頑張って、すっごく可愛いドレス作ってあげるからね。ゆっこの魅力を目一杯引き立てられるような」

 意気込んで語る彼女に、私はなんだか暖かい気持ちになる。ありがとう、と笑ってから、ふと昨日の西村くんの言葉を思い出し

「あ、白雪姫の衣装係、もう一人は誰になったの?」

 尋ねると、さあ、とひーちゃんは小さく肩をすぼめた。

「そこまでは聞かなかった。誰だろうね」

 まあ誰でもいいけど、話しやすい子がいいな、と楽しそうに呟くひーちゃんの言葉に相槌を打ちながら、私は自分の席で今日の予習をしているらしい西村くんのほうへ目をやった。それから、昼休みにでも彼に聞いてみようと考える。けれどなんとなく、聞く前から自分はもうわかっているような気がした。

 付き合っている二人は一緒にお昼を食べるものだよ。ひーちゃんにそんなことを言われてから、私は毎日西村くんと二人で昼休みを過ごすようになった。

 私は、ひーちゃんも一緒に三人で食べようと提案したのだけれど、さすがにそれは断られた。ゆっこは良くても、西村くんに鬱陶しがられちゃいそうだから。相変わらず引きつった笑みを浮かべて、それでも精一杯軽く聞こえるよう努めているらしい口調で言うひーちゃんは、やっぱりいい子だ。もう充分わかっていることだけれど、ここ最近改めてひしひしと感じる。

「衣装係になったよ。白雪姫の」

 何の係に決まったのかという質問に返ってきた彼の答えは、予想通りのものだった。中庭のベンチに並んで座りながら、そっか、と私が笑うと、西村くんも嬉しそうに笑って

「北城さんの衣装作れるなんて、気合い入るな」

「私も、西村くんに衣装作ってもらえるなんて嬉しいな」

 何とはなしに言ってみれば、瞬く間に彼の顔が赤く染まった。それから、え、とか、あ、とか意味のつながらない言葉を並べたあとで、これでもかというほど視線を逸らされる。最初は面白いと思っていたこの反応も、そろそろ飽きてきたとぼんやり思う。けれど彼のほうは、未だ慣れる様子はないらしい。

「ああ、そういえばね」

 なにも気にしない振りをして話題を変えれば、いくらかほっとしたような表情でこちらを向いた西村くんに

「白雪姫の衣装係、もう一人はひーちゃんなんだよ」

「へえ、南さん」

 返ってきた反応には、とくに何の感慨も伴わっていなかった。驚きもなければ、もちろん歓喜や困惑もない。ただ確認するようにその名前を繰り返しただけだった。

 それはそうか、と私は一人心の中で頷く。そして、このあと同じことをひーちゃんに伝えたら、彼女はどんな反応をするのだろう、なんて頭の隅で考えてみる。きっと喜びはしないだろう。彼女の言っていた“話しやすい子”の中に、彼は間違いなく入っていないはずだから。

 そんなことを考えたとき、ふと前から気になっていたことを思い出して

「西村くん、ひーちゃんと喋ったことはあるの?」

 唐突な質問にも、西村くんはとくに怪訝な表情を浮かべることはなく

「あるよ。そんなに多くはないけど」

「どんな話をしたの?」

 重ねて尋ねると、ふいに西村くんは声を立てて笑った。なにを笑われたのかわからず、私はぽかんとして首を傾げる。すると彼は、ごめん、と笑いの混じる声で謝ってから

「北城さんって、南さんのこと本当に好きなんだなあと思って」

 一瞬、顔が強張るのを感じた。しかし西村くんはとくになにも気づかなかったらしい。「どんな話したっけな」とすぐに前の質問に戻って

「そんなに長く話したことはないから、よく覚えてないなあ」

「そっか。じゃあいいんだ」

 言って、その話はそこであっさり切り上げる。それだけ聞けば充分だった。

 お弁当を食べ終わり、そろそろ教室に戻ろうかという話を始めたときだった。「北城さん」と、急に改まった声で西村くんが呼んだ。なに、と聞き返しながら彼のほうを振り向けば、声と同じ、やたら緊張した表情でこちらを見つめる西村くんと目が合う。

 彼は意を決した様子で一度短く息を吸ってから

「今度の日曜日、空いてる?」

 と尋ねてきた。私は少しだけ黙って彼の顔を見つめた。それから

「空いてるよ」

 答えれば、西村くんは少し表情を解した。しかしまだ緊張した声で、じゃあ、と続ける。

「どっか行かない? その、二人で」

 私は柔らかく笑って、いいよ、と頷く。途端西村くんは全身の力を抜くかのように大きく息を吐いた。

 よかった、とかすかに赤い顔をして笑う彼に、私も満面の笑みを向ける。それから「どこに行こっか」と顔を覗き込めば、彼は「ああ、えっと」とあわてたように視線を彷徨わせた。そうして落ち着きなく頬を掻く彼の指先を眺めながら、私はぼんやりと考える。

 教室に戻ったら、ひーちゃんに報告しなくちゃ。

 衣装係のことも、今度の日曜日のことも。そしてどんな格好していけばいいかな、なんて彼女に相談してみよう。――さて、ひーちゃんはどんな顔をするだろうか。

 乾いた空は抜けるように青く、雲一つ浮かんでいない。暦の上では一応秋に入ったけれど、全身を覆うような蒸し暑さはまだ完全に夏のものだ。歩いていると、強い日差しにすぐに汗が滲んだ。

 余裕をもって家を出たのだが、駅にはすでに西村くんの姿があった。私が声を掛けるより先に彼はこちらに気づいて、ぎこちなく片手を挙げる。私も手を振って応えてから、彼のほうへ歩いていった。

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