一
聞き取りの場所はけさとおなじで、|刑部《おさかべ》神社の社務所であった。金田一耕助がそこへ顔を出したのは、七月七日の夜も八時を少し過ぎたころだったが、だいたい聞き取りも一段落ついたのか、社務所のソファでは磯川警部と広瀬警部補、藤田刑事らが茶を飲んでくつろいでいた。
「やあ、遅くなって申し訳ございません」
「ああ、金田一さん、ようお眠れんさったかな」
「おかげさまで。どうやら気分もサッパリしました」
「それはけっこうでした」
と、そばから広瀬警部補が言葉を挟んで、
「金田一先生、あなたが寝ておいでんさったあいだにあったことを、かいつまんでお話ししておきましょう」
警部補はメモを見ながら、
「まず岡山からきた職人の手によって、黄金の矢の|矢《や》|尻《じり》のほうが焼き切られました。それであの矢は抜き取られたんですけえど、その遺体をこれまた岡山から出張しておいでんさった岡田博士……このご仁は警部さんもようご存じのかたですけえど、木下先生立ち会いのもとに、岡田博士の執刀で現地解剖が行なわれました。その結果をここにご報告しとおきますと、あの矢はいったん左肺部で止まった形跡があるそうです。つまり犯人の最初の一撃で、矢尻は左肺まで|刺《さ》し貫いたとおみんさい。その一撃で被害者は絶命していたにちがいないのに、犯人はなおもぐいぐい矢を刺し込んで、あのように|串《くし》|刺《ざ》しにしたんじゃそうです」
この報告は金田一耕助にも興味があった。
「そうするとあの黄金の矢は、二段構えで被害者の体内へ刺し込まれたというわけですか」
「いや、二段構えどころか、三段構えぐらいになっとるちゅう話です。いかに被害者が長身|痩《そう》|躯《く》とはいえ、人間の体を串刺しにするというのは、なかなか一気にとはいかんそうです。犯人はすでに絶命している被害者の体内へ、なおもぐいぐい二段構えか三段構えで矢を押し込み、あのように串刺しにしたちゅうんですけん、よっぽど被害者にたいして、根強い|怨《えん》|恨《こん》か憎悪を、たぎらせとるもんの仕業にちがいないちゅうことになっとおります」
「犯行の時刻は……?」
「これはわれわれの推定どおり、六日の夜の七時から九時までの、あいだのことじゃろうということになっとりますけん、あの火事騒ぎのあった前後のことでしょうな」
金田一耕助は物思わしげな目をショボショボさせながら、なにか打ち案じているふうだったが、また思い出したように、
「ときに、|片《かた》|帆《ほ》ちゃんのほうは……?」
「これは木下先生のお見立てどおりでした。死因は窒息でした。むつかしい医学用語は省略しますけえど、犬に|咬《か》み裂かれたのんも、|烏《からす》につつかれたのんも、みんな死後のことじゃそうです。犯行の時刻は五日の夜の八時から十時までのあいだじゃろうといいますけん、これまた三津木五郎と荒木定吉が一本松のところで、|蓑《みの》と|笠《かさ》の人物を目撃した時刻と一致しとります」
「ときに神主さんや片帆ちゃんのご遺体は……?」
「吉太郎が|柩《ひつぎ》を二つくめんしてきよりましてな、いま奥の座敷に安置してあります。今夜はお通夜であしたがお葬式ですけえど、このへんは土葬ですけん、吉太郎が下の墓地で穴を掘ることになるんでしょう。あの男はこの島の便利屋みたいなもんのようです」
吉太郎の名前が出たとたん、金田一耕助はかたわらの壁に目をやった。そこには蓑と笠がかかっている。蓑も笠もまだ生ま乾きである。
「吉太郎くんにあの蓑と笠のことについて、お尋ねになったでしょうね」
「それはもちろんまっさきに尋ねてみました」
「結果はどうでした」
「乾いとったちゅうとりますよ。乾いとったけん、用水桶に浸して水で|濡《ぬ》らしたんじゃっというとります。|嘘《うそ》かほんまかわかりませんけえど」
「ほかの人たちはどうです。|錨屋《いかりや》の|旦《だん》|那《な》はわたしと一緒にきたのですから、なにもご存じないはずですが、村長なんかは早くからこちらへきていたんでしょう。蓑と笠が濡れていたか乾いていたか……どういってるんです」
「それがねえ、金田一先生、気イつかなんだいわれたらどうしようもございません。幸い今夜は神主のお通夜ですけん、大膳や村長のほか、刑部の株内の主だった六人も奥にきとおります。その連中をひとりひとりつかまえて聞いてみたんですけえど、みんな口裏を合わせたように、気イつかなんだ、申し訳ないいうとおります」
「巴御寮人や真帆ちゃんは……?」
「やっぱりおんなじこってすらあ。このふたりはとくにほんまのことはいいますまい」
投げ出すようにいう広瀬警部補の口調には、どこかせせら笑うようなひびきがあった。
「そうじゃけえどなあ、金田一先生、蓑と笠が濡れておったか乾いとったか、だあれも気イつかなんだちゅうのは、いっぽうからいうとほんまかもしれんのですわ」
「と、いうと……?」
「|神楽《か ぐ ら》|太《だ》|夫《ゆう》の連中ですけえどな、あの連中は片帆の事件には全然関係ないわけです。ところがあの連中も蓑と笠が濡れておったか、乾いとったか、全然気イつかなんだちゅうとります。なかにはそんなもんがあそこにぶら下がっとったちゅうことすら、気イつかなんだいうもんさえおりますけんな」
「わしがそうじゃけん」
そばから口を出した磯川警部は、しみじみと、|臍《ほぞ》を|噬《か》むような調子であった。
「わしはゆうべあの殺人事件が起こるまえ、二度ここを通っとるわけじゃけえど、全然気イつかなんだけんな。あのボヤ騒ぎが起こったとき、吉太郎がどこからか現われて、蓑と笠を用水桶にザブザブつけているのんを見たとき、いったいどこからあげえなもん、持ち出してきよったんかと、ふしぎに思うたくらいじゃけんな。この事件に関する限り、わしもつくづく|耄《もう》|碌《ろく》したと思わざるをえんよ」
「ときに、神楽太夫の聞き取りは終わったんですか」
金田一耕助が話題をほかへそらしたのは、磯川警部にたいする|労《いた》わりである。この事件に関する限り、警部の様子はたしかにおかしい。金田一耕助のしっているいままでの磯川警部とちがっている。しかし、それをもってしてただちに耄碌ときめつけるのは、金田一耕助としては忍びがたかった。
広瀬警部補もその意を察したのか、金田一耕助の誘いの水に乗ってきた。
「いや、全部じゃありません。終わったんは四郎兵衛、平作、徳右衛門、嘉六の長老四人です。これからいよいよ若手の三人に取りかかろうとしたところで、ちょっと一服ちゅうところでした。聞き取りちゅうもんは疲れるもんですけんな」
「それで四人の長老から、なにか耳よりな聞き込みがありましたか」
「それがサッパリですん。きゃつらゆうべからきょうへかけて、口裏を合わせよったんですな。ゆうべの神主殺しはじぶんたちの全然あずかりしらぬところである。神主が殺されたと思われる時刻には、じぶんたちはみんな神楽殿の裏側の楽屋にいたけん、手の下しようがないと、みんな判で押したようにいい張るばかりか、あの四郎兵衛というじいさんですな。あのじいです、こっちへくる船の中でわたしをつかまえて、いまから二十年ほどまえ、この島で神楽太夫が蒸発したいう|噂《うわさ》を、聞いたことはないかと聞いてきたんは。ところがそれもこっちから突っ込んで聞くと、いや、あれはわしの思いちがいじゃった。わしの|倅《せがれ》の松若なら井原の在で|亡《の》うなって、ちゃあんと墓までできとりますらあと、逃げを打ちよります。平作、徳右衛門、嘉六なんぞもあのじいさん、一人息子の松若が、年若うして死んだもんじゃけん、ときどき気がおかしゅうなって困ります。一種の精神錯乱ですけん気にせんといてつかあさいと、判で押したようにおなじようなこというとります」
「松若というんですか、その蒸発したとじいさんが、ときどき精神錯乱を起こすのは?」
「そうです、そうです。なんでも終戦後まものう、ここの神社で神楽を舞うたが、それからまものう死んだもんですけん、あのじいさん、ひょんなげな錯覚を起こすんじゃというとります」
「ところで、越智氏に見とがめられた神楽太夫というのは……?」
「いや、そのことはまだ切り出してはおりません。あと三人調べてみてみんなシラを切るようじゃと、もういちど全部呼び集めて、頭から|一《いっ》|喝《かつ》くらわせてやろうと思うとるんです」
「じゃ、そろそろあとの三人の聞き取りを、はじめられたらいかがですか」
「はあ、そうすることにいたします」
そこでイの一番に呼び出されたのは|弥《や》|之《の》|助《すけ》だったが、この男はまえにいったとおり、四人の長老から見ればだいぶん若い、まだ三十代のなかばであろう。かれはみずからじぶんは四郎兵衛の妹の孫である。したがっていまむこうにいる誠、勇の兄弟とは、ふたいとこに当たっていると名乗りをあげて、ゆうべの神主殺しについては、自分の全然|与《あずか》りしらぬところであり、かつまたなんの心当たりもないと、例によって紋切り型の答えであった。また、蓑と笠について質問を受けると、じぶんはなにも気付かなかった。ここにこういう蓑と笠が飾ってあることすら、いままで気がつかなかったと、これまた紋切り型の|挨《あい》|拶《さつ》だった。
この弥之助という男、農業を本業とする神楽太夫としては、どこかひと|筋《すじ》|縄《なわ》ではいかぬ面魂であった。
「なるほど、きみの祖母が四郎兵衛じいさんの妹とすると、きみのおやじさんは四郎兵衛じいさんの一人息子、松若くんのいとこちゅうことになるんかね」
「いいえ、それはちごうとります。わたしのおふくろが松若おじさんのいとこですらあ」
「ああ、そうか。しかし、その松若おじさんの死んだとき、いろいろ取り沙汰のあったんを、きみも聞いちょるじゃろうが」
「いいえ、それはしりません。そげえなおじさんがあって、神楽をえろう上手にお舞いんさったちゅうことは、わたしも聞いとりますけえど、そのおじさんの|亡《の》うなったんは、いまからかれこれ二十年もまえのことですけんな、わたしはなんにも聞いとりません。そげえなことなら誠や勇に聞いておみんさったら。あのふたりならじつのお父つぁんのことですけんな、なにか聞いとるやもしれません」
うまい逃げ口上だったが、広瀬警部補も弥之助よりも、むしろ誠や勇に期待しているところだったから、すぐに誠が呼び寄せられた。ところがやってきたところをみると、誠と勇はいっしょだった。
「おいおい、きみはあとだ。お兄さんがすんでからきみを呼ぶから、それまでむこうで控えていたまえ」
警部補が勇にむかっていうのを、誠が途中で|遮《さえぎ》って、
「いいえ、ぼくら一緒にして下さい。年寄り連中みんな係り合いになるのん|惧《おそ》れて、ほんまのこといわなんだようですけえど、ぼくらしってること、なにもかもいうてしまうつもりですけん」
そういう誠もその背後にひかえている勇も、緊張感に顔面が凝縮していて目が異様にすわっている。
広瀬警部補は興味深げにふたりの顔を見くらべると、警部のほうを振りかえった。警部がコックリ点頭したのは、かれらの希望に添うようにという意味であろう。金田一耕助は無言のまま控えていたが、もちろん警部の処置に賛成であった。この兄弟の思い詰めたような顔色から察すると、なにかよほど重大なことを打ち明ける決心をしているのであろう。鉄は熱いうちに打てという。手続きなどに|拘《こう》|泥《でい》している場合ではない。かたわらで書き取りをしている藤田刑事とは別に、金田一耕助もノートとボールペンを用意した。
広瀬警部補はそれを横目で見ながら、
「ああ、そう、それじゃそこへ掛けたまえ」
ふたりがカウンターのまえの|長《なが》|椅《い》|子《す》に、並んで腰をおろすのを待って、
「きみが|妹《せの》|尾《お》四郎兵衛さんの一人息子、松若くんの長男誠くん、そちらが弟の勇くんだね。年齢は?」
「ぼくが二十五、勇は二十三。それですけん父の松若が蒸発したとき、ぼくは六つ、弟の勇はまだ四つでした」
「蒸発……?」
広瀬警部補はキラリと目を光らせて、
「きみたちのお父さん、松若という人は蒸発したというんかね」
「それについて、おじいちゃんはなんというておいでんさります? いや、おじいちゃんだけやのうて、ほかのおじさんたちどういうておいでんさりました」
「松若なら|故郷《くに》の井原で亡うなって、ちゃんと墓もできとると、みんな口を合わせてそういうとったけえど」
「それは|嘘《うそ》です。みんなこんどの事件に係り合いになるのん惧れて、口裏を合わせることにおしんさったんです。ことにおじいちゃんは、じぶんに疑いがかかりやせんかっと、心配しておいでんさりますけん」
「それやまたどういうこと?」
「おじいちゃんはあの神主がぼくたちの父ちゃんを、殺したと思い込んでおいでんさります。ですけん、今度のことも他人に先を越されたと、とっても|口惜《くや》しがっておいでんさるんです。ぼくじゃかとてやっぱりそう思うとります。うちの父ちゃん殺したん、あの神主にちがいないっと」
「きみ、きみ、そう興奮したらいかん。もっと落ち着いて話してくれたまえ。きみはなんだってあの神主が、きみの父ちゃんを殺したと思い込んどるんかね」
「失礼しました」
誠はペコンと頭を下げると、ソワソワと額の汗を|拭《ぬぐ》いながらひと呼吸入れて、
「ぼくらまだ若いもんですけん、こげえな重大な話になると、どうしても興奮してしまいます。この弟はぼくよりふたつ若いんですけえど、生まれつき肝っ玉が太いもんですけん、こうして落ち着いておりますけえど、ぼくは生まれつき神経質なもんですけんな」
「お兄ちゃん、そげえなこといわんといてつかあさい。ぼくらかてさっきから興奮しとおりますけんな」
「おまえは興奮しても顔に出んから偉い。ぼくらすぐ表に出てしまうけんな」
なるほど|兄《あに》|貴《き》のほうが面長で、神経質そうなのに反して、弟のほうは丸顔で、体つきなども兄貴より|貫《かん》|禄《ろく》がある。しかし、お互いに相手をいたわり立てあうところに、|麗《うる》わしい兄弟愛がうかがわれる。
「まあ、まあ、そういうことはどうでもええとして、誠くんはどうしてここの神主が、きみたちのお父さんを殺したと思うとるんかね」
「それはこうですん。まあ聞いてつかあさい」
誠があるいは|吃《ども》り、あるいはつかえ、あるいはおなじことを重複して、なんども繰り返し、繰り返し述べるところを要約すると、だいたいつぎのとおりになるのである。
昭和二十三年ごろこの島は、ヤミ島として繁栄していたそうである。その年の七月六日、七日の刑部神社の祭礼に、奉納神楽として|招聘《しょうへい》されたのが四郎兵衛の社中であった。一座にはいまむこうにいる平作、徳右衛門、嘉六もいたが、なんといっても花形は松若であった。松若はそのじぶん三十四歳の男盛り、体つきも勇に似てガッチリしており、男振りも悪くなかった。そのとき松若は|素戔嗚尊《すさのおのみこと》を舞い、四郎兵衛が|八《や》|岐《また》の|大蛇《お ろ ち》をつきあったが、これは大成功をおさめ、四郎兵衛も大いに面目をほどこして郷里へかえった。
ところがそれ以来、松若は月に一度くらいのわりあいで、どこへいくともなく姿をくらますようになった。そして、いつも二、三日するとふらりと帰ってくるのだが、そのときはうつけのようになっていて、夫婦の語らいさえままならぬ状態だったという。だから、てっきりどこかにおなごができたのだろうといわれていたが、ついに十月六日に家を出たきり、二度と帰って来なかった。つまり、蒸発してしまったのである。だからてっきり女に縁の濃い男、その女に|亭《てい》|主《しゅ》があったとすると、その亭主の手にかかって、人しれず、どこかへ葬られてしまったのであろうと誠は主張するのである。
「なるほど、きみのいうことは、よくわかった。きみのおやじさんの松若いう人物が、ほかにおなごができ、そのおなごにうつつを抜かしているうちに、蒸発してしまったという話はいちおうわかる。そうじゃけえど、それがこの島に関係あるとはどうしてわかる? なにか証拠でもあるのかね」
誠はちょっと詰まったが、すぐ躍起となって、
「いいえ、証拠はありません。証拠があったらいままで放ってはおきません。証拠がないもんじゃけん、おじいちゃん、きょうまで涙をのんでおいでんさったんです。そうじゃけえど、ぼくは証拠をつかんだんです。こっちへきてから証拠をつかんだんです。おじいちゃんを興奮させると悪いもんじゃけん、まだだれにも……この勇以外にはだれにもいうとりませんけえど……」
誠はまた興奮してきて、目は血走り、|頬《ほお》は上気して、口角|泡《あわ》をとばさんばかりである。勇がそばでハラハラしている。
「ほほう、きみがどういう証拠をつかんだというんかね」
誠は目を|爛《らん》|々《らん》と光らせて、
「主任さんはこのお宮の裏側に、千畳敷きいうとこがあるのん、ご存じじゃありませんか」
「千畳敷きならしっちょるが、それがどうかしたのけ」
「父ちゃんは千畳敷きで、おなごと|逢《お》うていたんです。ぼく父ちゃんがちょくちょく、家出をするようになってから、父ちゃんに抱かれて寝たことがあるんです。そのときどこへいくのけと尋ねたら、千畳敷きへいくんじゃというとりました。そこで鳥が鳴いたらおなごが|逢《あ》いにくるんじゃっと」
「鳥……? 鳥いうてなにけ、|雀《すずめ》け、|烏《からす》け」
「いいえ、そげえな鳥じゃなかったんです。ぼくそれまで聞いたこともない名の鳥じゃったんです。その鳥なら夜でも鳴くんじゃそうですん」
金田一耕助がそばから口を挟んだのはそのときである。妙に低い、ささやくような声だった。
「お父さんはトラツグミといわなかった? 一名|鵺[#「鵺」は底本では「鵺」の「夜」を「空」にしたもの。Unicode=9D7C]《ぬえ》ともいうがね」
とたんに磯川警部と広瀬警部補が、ドキッとしたように体を起こして、鋭く金田一耕助を見た。
ふたりとも青木修三の|遺《のこ》したテープの一節を、肝に銘じて|憶《おぼ》えている。
「鵺[#「鵺」は底本では「鵺」の「夜」を「空」にしたもの。Unicode=9D7C]のなく夜に気をつけろ」
「その鳥、トラツグミたらいう鳥、どげえな鳴きかたするんです」
「聞きようによってはいろいろあろうが、ふつうホーッ、ホーッと鳴くというね」
「それじゃ、それじゃ、それですん」
誠は興奮のあまり腰掛けから、ピョコンと腰を浮かせると、|拳《こぶし》を握りしめて激しくカウンターのうえを|叩《たた》いた。
「父ちゃんはいうとおりました。父ちゃんがホーッ、ホーッと鳥の鳴くまねすると、おなごが逢いに出てくるいうんです。その味を忘れかねて父ちゃんは、ついふらふらと家出するんじゃけえど、おまえや勇、また母ちゃんにもすまんと思うとるちゅうて、父ちゃんぼくの体を抱きしめて、せんどお泣きんさったんです。父ちゃんはそのおなごのこと、きつう後悔しておいでんさったんですん」
誠はあわれ声を湿らせたが、広瀬警部補はそういう感傷には無関心である。鋭く金田一耕助の横顔に目をやって、
「金田一先生はなにかこのことについて、お心当たりでも……?」
「はあ、あります。しかし、それはあとでお話しするとして、誠くん、きみはおじいちゃんに話してなかったの、千畳敷きのことや、鳥の鳴き声のこと……?」
「なんせ、そんときぼくまだ六つでしたけんな。そうじゃけえど、それからまものう父ちゃん蒸発しておしまいさったもんじゃけん、それが遺言みたような気イがして、長う深う、ぼくの心の底に残ったんですん。そうじゃけん、ぼく大人になってお神楽の社中に入れてもろて、あちこち旅をするようになったとき、いく先々で千畳敷きのこと聞きました。いままで、どこにもそげえな場所なかったんですけえど、この島へきて駐在のお巡りさんに聞いてみたら、あるちいますでしょう。そいでさっそく勇と二人でいてみたんです。その途中であなたとあなたに会いましたなあ」
誠は金田一耕助と磯川警部を指さした。ふたりは面目なさそうに|頷《うなず》いている。あのとき金田一耕助も磯川警部もこの兄弟を、露店商人かなんかと勘違いしていたのである。
「あれからぼくらまっすぐに、千畳敷きへいてみたんです。ぼくひとめあたりのようすを見ると、すぐここじゃっと思いました。あそこなら鳥が鳴いてもおかしゅうないし、それにすぐそばに見えるお宮の御寮人さん、ぼっこう(たいそう)|綺《き》|麗《れい》なおなごさんじゃっと、おじいちゃんから聞いとりましたけんな」
「すると、きみの父ちゃんあげえな林の中で、|苔《こけ》を|褥《しとね》におなごと乳繰り合うていたというのけ」
誠は少し赤くなって、
「ぼくらまだチョンガーで、おなごいうもんしりませんけえど、男と女が|惚《ほ》れ合うて、体がボッボッと|炎《も》えてくると、どこでもええのんとちがいますか。それに父ちゃんが家出おしんさったんは、八月、九月とまだ暑い時分でしたけんな」
誠はそこまで語ると急に気がついたように、一同の顔を見まわしながら、
「そうじゃけえど、この島で蒸発したんはうちの父ちゃんだけじゃのうて、ほかにも二人いるのんとちがいますか」
「えっ、きみはまたどうしてそげえなことがいえるんじゃ」
そこで誠がおとといの正午頃、千畳敷きで|真《ま》|帆《ほ》と|片《かた》|帆《ほ》の話を立ち聞きしたいきさつを打ち明けると、一同の興奮と緊張は、その極に達したといっても言い過ぎではなかったであろう。
二
「いや、その荒木定吉ちゅうもんの父親が蒸発したいう話は、こちらの耳にもはいっているけえど、ほかにもうひとり|淡路《あ わ じ》の人形遣いが蒸発したんじゃと……?」
「へえ、いまから七年か八年まえの話じゃっと、片帆いう娘さんがいうとりました。それがきょうとい(恐ろしい)けん、この島から逃げ出すんじゃと、あの娘さん、そういうておいでんさったなあ」
弟に同意を求めると、勇もこっくり頷いて、
「お兄ちゃんのおいいんさるとおりで、あの人ふたりがこの島で、蒸発したんじゃっという、たしかな証拠でも握っていたんとちがいますか」
「それで、そのことについて岡山から、刑事が調べにきたというんじゃね」
「たしかにそういうとりました」
「警部さん、あなたなにかお心当たりは……?」
「さあ、わしにも記憶はないが、岡山から刑事が調査にきたとすると、県警の本部に記録が遺っとるはずじゃろ。その人形遣い、名前はなんというたかな」
「それが……名前は出ませんでした。ただ人形遣い、人形遣いちゅうとりました」
「それが、八年まえのことじゃというんじゃね」
「あのふたごのきょうだいが、小学校の五年か六年のときじゃったそうです」
「そうすると昭和三十四、五年ごろのことということになるな」
荒木定吉の父清吉が蒸発したのは、昭和三十三年の夏だという。
「金田一先生」
磯川警部はふいに金田一耕助のほうを振りかえると、
「この島で一人ならず二人、三人まで蒸発した……それが事実じゃとすると、そこにどげえな意味があるんでしょうな」
「わかりません」
金田一耕助は悲しげに首を左右に振って、
「ぼくにもわかりません。なにかもうひとつデータが欠落しているようです。鎖の|環《わ》のいちばんだいじな部分が、欠けているような気がしてなりません」
しかし、これは恐ろしいことであると、金田一耕助は考えている。
昭和二十三年の秋、神楽太夫がこの島で蒸発した。それからついで三十三年の夏には、置き薬の行商人が蒸発している。さらにそれから一年か二年たって、淡路からきた人形遣いが蒸発した気配があるという。こうして水平線上に頭を出してきただけでも、三人の蒸発者である。まだ水平線下に隠れている蒸発者が、ほかにも沢山いるのではないか。
いや、それは思い過ごしとしても、ここに興味のあるのは蒸発者が、みんな男であるということである。淡路からきた人形遣いというのは、年かっこうがわからないけれど、他のふたり、神楽太夫と置き薬の行商人は、いずれも男盛りの|年《とし》|頃《ごろ》で屈強の壮者である。いや、男盛りの年頃で屈強の壮者といえばもうひとりいる。青木修三である。
金田一耕助は卒然として、青木修三も蒸発する|手《て》|筈《はず》になっていたのではないかと気がついた。それがなにかの手違いで、千畳敷きから|落《おち》|人《うど》の|淵《ふち》へ|顛《てん》|落《らく》したか、させられたか。そしてかれは顛落するかさせられるまえに、この島に悪霊がとりついている、かずかずの|証《あかし》を見たのではないか。
「鵺[#「鵺」は底本では「鵺」の「夜」を「空」にしたもの。Unicode=9D7C]のなく夜に気をつけろ」
と、いう言葉に根拠ある裏付けができた以上、ほかの言葉もたんなる|囈《うわ》|言《ごと》や、|虚《きょ》|妄《もう》の精神から発せられた|戯《たわ》|言《ごと》ではないことがうかがわれる。あれはやっぱり越智竜平に遺した伝言だったのだ。と、するとかれはどこかで、腰のところで骨と骨とがくっついた、シャム双生児を目撃したことになる。まえに金田一耕助が推理したように、すでに|骸《がい》|骨《こつ》という形態になっているところを。しかし、そのシャム双生児とはどういう素性のものだろうか。そのふたごもこの島で蒸発したのだろうか。
金田一耕助はわれとわが|妄《もう》|想《そう》に|怯《おび》えて、思わずはげしく身震いしたが、それに感染したのか、磯川警部も広瀬警部補もおなじように身を震わせた。このふたりはいったいどういう妄想をえがいていたのか。
広瀬警部補は身震いしたことによって、妄想をふり落としたのか、いくらかテレたようにノドの奥で|咳《しわぶき》をすると、
「いや、誠くん、きみはよいことを聞かせてくれた。これでわれわれの捜査も、いちだんと進展することじゃろうけえど、ことのついでにもうひとつ、われわれの捜査に協力してもらえまいか」
「へえ、どういうことですん」
「いや、あそこの壁にかかっているあの|蓑《みの》と|笠《かさ》じゃけえどな。あれきみたちがきのうの夕方こちらへきたときも、あそこにああしてぶら下がっていたはずなんじゃが、そのときあの蓑と笠、|濡《ぬ》れておったか乾いておったか、きみ、憶えとらんか」
「そうそう、お爺いちゃんらもそういう質問受けたようですけえど、ぼくいっこう憶えとりません。そこにそういうもんが飾ってあるちゅうことさえ、気イつかなんだくらいですけん」
警部補が舌打ちしかけたとき、すかさずそばから口をはさんだのは勇であった。
「お兄ちゃん、そのことならぼくよう憶えとりますけえど」
「なに、勇くん、きみ憶えとるとッ」
警部補はカウンターから身を乗り出して、
「それで、それ濡れておったか乾いとったか」
「生ま乾きの状態でした。うしろの壁にシミができとったくらいですけんな」
「勇、それほんまのこと?」
「お兄ちゃん、ぼくこの手で触ってみたんよ。風流なもんが飾ってある思うたもんですけんな」
「勇くん、それあの火事騒ぎのあったまえのことだろうね」
「もちろんのことですよ。ぼくらがここへついたんは夕方の四時ごろのことでした。その警部さんもご一緒でしたけん、よう憶えておいでんさると思いますけえど、ぼくがそれに触ってみたん、そのときのことですけん」
「そしたら蓑と笠が濡れていたんだね」
「へえ、蓑も笠もうしろの壁も生ま乾きじゃったんです」
広瀬警部補は思わず磯川警部や金田一耕助のほうを振り返った。ここにはじめて確固たる証人が現われたのである。吉太郎の申し立てが真っ赤な偽であるということの。
「ああ、ありがとう。これじゃいよいよわれわれは、きみたちに感謝せにゃいけんな。もうさがってもよろしい。むこうへいったらおじいちゃんにいいたまえ。われわれはだあれもはじめから、きみたちのなかに犯人がいるとは思うとりゃせなんだとな。あとから島を出てもよいいう、許可証を持たせてやるけん」
しかし、誠も勇も動かなかった。
「いえ、主任さん、ぼくたちが一緒にここへきたんは、勇がなにやらみなさんに、お話ししたいことがあるんじゃそうですん。勇は神主を殺した犯人を見たんじゃそうです」
「なに、犯人を見たあ?」
広瀬警部補が思わず大声をあげてからあわてて手で口に|蓋《ふた》をして、素速い視線を廊下のむこうに走らせたのは、そこに|守《もり》|衛《え》や片帆の遺体を囲んで、いま通夜が行なわれているからであろう。そこには大膳もいる、村長の|辰《たつ》|馬《ま》もいる。巴御寮人と真帆もいる。倉敷の御寮人の澄子や玉島の御寮人の玉江もいるはずである。吉太郎も末席に|侍《はべ》っているのではないか。
「勇くん、きみが犯人を見たというのは、どげえなことかね」
警部補は声をひそめたが、その目は緊張にすわっている。磯川警部も金田一耕助も探るように勇の顔を|視《み》|詰《つ》めている。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんからいうて」
「いいや、これはおまえの口からいわないけん。ぼくはまた聞きじゃけん、いい間違いがあったらいけんけんな」
「勇くん、これはやっぱりきみの口から聞こう。なにも怖いことないけん、話してくれたまえ」
「へえ」
勇はまだたぶんに童顔の残っている顔に朱を走らせて、ゴクリと生ま|唾《つば》をのみこむと、
「あれは火事騒ぎがやっと納まったときでしたん。ぼく、火事騒ぎが起こったとき、楽屋にいたんですけえど、すぐ舞台へ飛び出して、この羽織で柱を滅茶滅茶に|叩《たた》いたんです」
そういいながら勇が示す羽織の|片《かた》|袖《そで》には、少し焼け焦げができている。
「うむ、うむ、それで……?」
「そしたら火事はすぐ納まったでしょう。そしたらぼく急にオシッコがはずんだんです。そいで拝殿の下の御不浄へいったんです。そしたらオシッコしているうちに拝殿のほうでガタッいうような音が聞こえたんです。そのときぼくべつになんとも思わなんだんですけえど、そのあとだれかが忍び足で、階段を下りてくるような音が聞こえたんです。そいでぼくおかしい思うて、御不浄の戸を細目に開けて待っとったとおみんさい。そしたらそこに若い男が拝殿のほうからやってきたんです」
「若い男ちゅうてどげえな男?」
「ぼくとおなじ年かっこうの男でした。お祭りの|袢《はん》|天《てん》を着て、むこう鉢巻きをして……そこまではいまこの島にいる若いもんとおなじですけえど、その男だけちょっと|違《ちご》たとこがあったんです」
「違たとこちゅうと?」
「そいつ胸にカメラぶら下げとったんです」
三津木五郎だ!
と、そこにいる四人の者はいっせいに心の中で叫んでいた。
「ふむ、ふむ、それでそいつどうした。胸にカメラぶら下げたやつ」
「そいつがなあ、お兄ちやん、すっごくきょうとい(怖い)顔しとるんです。目元を大きゅう|視《み》|張《は》ってなあ、|頬《ほ》っぺが|歪《ゆが》んで硬直して、おまけにぴくぴく|痙《けい》|攣《れん》しとったようですけん、ぼく、こらただごとやないっと思うたんです。そしたらそいつそこへ脱ぎすてとったズックの靴はくと、そら、そこに鏡がかかっとりましょう」
蓑と笠に並んでかかっている鏡を指さし、
「その鏡に顔を映して、いろいろ表情をつくっとりましたけえど、やがてふつうの顔になったかして、その戸口から外へ出ていきよりました。ぼくその顔があんまりおかしかったんで、拝殿のほうでなにがあったんか思うて、あとからいてみたんです。そしたら……」
「そしたら……? どうしたんじゃ、勇くん、ここがだいじなとこじゃけん、ハッキリいうてくれたまえ。きみそこになにを見たんじゃ」
「拝殿のなかは|灯《ひ》が消えとりましたけえど、夜店の灯やなんかが差し込んどるもんですけん、真っ暗いうわけではなかったんです。ぼく、目えが|馴《な》れてくるにつれてわかってきたんですけえど、内陣のなかに神主が体をななめにするようにして立てっとりました。そして、そして、背中から突き出した矢が内陣の格子にひっかかって、そいで神主、倒れるにも倒れられんのじゃちゅうことに気イつきました。神主はもののみごとに|串《くし》|刺《ざ》しにされて、背中のほうから矢羽根が、胸のほうから|矢《や》|尻《じり》が、それぞれ二十センチほど突き出しておりましたんです」
これを要するに勇がそのとき見たものは、すぐそのあとで、越智竜平や磯川警部が見たものと、そっくりおなじ情景だったらしい。
「それできみはどうしたんだね」
「ぼくもうびっくりしてしもうて……ぼく、お兄ちゃんから話を聞いて、あの神主がてっきり父ちゃんのかたきじゃと思うとりましたけん、こげえなとこ見つかったら、ぼくに疑いがかかるやもしれん思うて、急いで楽屋へ逃げてかえりましたん」
「そのとき、きみは頭から羽織をひっかぶっておりはせなんだか」
「へえ、人に顔を見られたらいけん思うたもんですけんな。そうじゃけえど、ぼく、ふしぎでならんことがひとつあるんです」
「ふしぎでならんことというのは?」
「この警部さん」
と、勇はキッと磯川警部の鼻先へ指を突きつけて、
「なんであのカメラの男つかまえんのか、それがぼくふしぎでならんのです」
広瀬警部補は|眉《まゆ》をひそめて、
「勇くん、それどういう意味かね」
「そうじゃかとて、カメラの男がここからとび出すのんを、この警部さん、外で見ておいでんさったんです」
「勇くん、それほんまかあ!」
「ほんまも、ほんまも、大ほんまですんじゃ。カメラの男がここから出ていったすぐあとで、この警部さん、ふしぎそうな顔をして、ここをのぞいておいでんさりました。ぼく警部さんがむこうへいくのん待って、御不浄から抜け出して、拝殿のほうへいったんです。ぼくが羽織を頭からかぶって顔かくしたんも、この警部さんに見られたらいけん思うたからです。カメラの男はいまでもこのお宮のあたりを、ノサバリ步いとるようですけえど、警察ちゅうもんは相手によって、えこひいきするもんですか」