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    第二十二章 隠された二枚の手紙

作者:日-横沟正史 当前章节:14139 字 更新时间:2026-6-23 02:19

   一

[#ここから1字下げ]

 磯川常次郎警部さま

 一面識もない|妾《わたし》から突然このようなお手紙差上げる|無躾《ぶしつけ》の段、ひらにお許し下さいませ。……

[#ここで字下げ終わり]

 と、そこまで読んで金田一耕助は、はてなとばかりに封筒の表を|視《み》|直《なお》した。

[#ここから2字下げ]

岡山市岡山県警察本部

磯川常次郎警部様

[#ここで字下げ終わり]

 裏を返すと

[#ここから2字下げ]

倉敷市|下《しも》|津《つ》|井《い》にて

浅井はる

[#ここで字下げ終わり]

 と、かなり能筆の女文字で書いてある。日付を見ると六月十六日。

 金田一耕助は|呆《あき》れたように、その封筒の表を視詰めていた。

 この手紙なら去る六月二十四日の夜、下津井の浅井はるの|祈《き》|祷《とう》|所《しょ》で、磯川警部に読ませてもらったものである。そうだ、この手紙を読んだ直後に台所の|味《み》|噌《そ》|瓶《がめ》から、明治二十六年以前の古銭が発見されたのである。それを警部はなぜもういちど、自分に読めと遺していったのか。なにか自分の読み落としたところか、読み足らぬところがあったのだろうか。

 金田一耕助は|呆《ぼう》|然《ぜん》として、いま封筒から抜き取った|便《びん》|箋《せん》に目を落としていたが、あわてて|掌《てのひら》のなかにある、その便箋の枚数をかぞえてみた。便箋にはノンブルが振ってなかったが、枚数は五枚であった。金田一耕助の記憶によると、下津井で読んだときこの手紙の便箋は三枚しかなかった。二枚が脱落していたらしい。それに気がつくと金田一耕助は、急いでその手紙に目を通しはじめた。

 読者諸賢には煩わしいかもしれないが、ここに改めて浅井はるが磯川警部に宛てた手紙の全文を、掲載させてもらうことにしよう。直線でかこってあるぶんが脱落していた二枚である。

[#ここから1字下げ]

 磯川常次郎警部さま

 一面識もない妾から突然このようなお手紙差上げる無躾の段、ひらにお許し下さいませ。あなたさまのお名前は新聞紙上でだいぶん以前から存じ上げておりましたが、今こうして愚かな妾が思い乱れ、心も狂わんばかりの気持ちにてしたためまするこのお手紙、なにとぞなにとぞ無下にお読み捨てなく、おわりまでとっくりお読み下さいますように切にお願い申し上げます。

 妾は悪い女です。いまから二十二年まえ大変悪いことを致しました。その時分妾は産婆をしておりましたが、あなたさまの奥さま糸子さまのお産みになった赤ちゃんを、取りあげたのは妾でございます。赤ちゃんは大変すこやかな坊やでございました。妾はある事情があってその赤ちゃんを盗み、子供をほしがっているほかの女の人に手渡してしまったのでございます。その裏にはもっともっと複雑な事情がございますけれ

ど、それはとても筆には書けませんゆえ、お目にかかってお話し申し上げたいと思っております。ところが昨日突然あなたさまのお子さまが下津井の妾をたずねてこられたのでございます。自分のほんとうの親はだれかと問いつめられたときの妾の驚き、妾はつい嘘をついてその場をのがれましたが、いまになって後悔しております。なぜほんとうのことを打ち明けなかったのかと、いまとなっては悔やまれてなりません。

 妾はいま下津井で表向きは薬屋をしておりますけれど、本業は口寄せの|市《いち》|子《こ》でございます。下津井では神降ろしのばばあでとおっているようでございます。そういう職業上ひとさまのいろいろな悩み、秘密にふれることがままあり、空恐ろしゅうなることがありますが、わけてもいまから二十二年まえ複雑なる事情のもとに犯した罪の恐ろしさ。しかもその秘密を種にいままで生きてきた|業《ごう》の深さ。

 |何《なに》|卒《とぞ》何卒妾を助けて下さい。妾はどのような罪の償いもいといませんが、命だけは惜しゅうございます。いまにもだれかが妾を殺しにくるのではないかと思えば、生きている空もございません。この手紙ごらんになりしだい下津井までお運び下さいませ。お目にかかって複雑なる事情というのを万々お話し申しあげたいと存じます。

[#ここで字下げ終わり]

[#地から3字上げ]愚かにして罪深き女

[#地から1字上げ]浅井はる

 金田一耕助はこの手紙を読みおわると、しばらく|茫《ぼう》|然《ぜん》としていたが、気がついて五枚の便箋を机のうえに並べてみた。そして、脱落していた二枚の便箋に書かれた文章を、もういちどていねいに読み返したのち、その二枚を飛び越えて、一枚目から四枚目へと目を移してみた。けっこうなんの抵抗もなく文章はつづくのである。

 この五枚の便箋には、ノンブルが振ってないことはまえにもいっておいた。しかも、二枚目と三枚目――そこがいちばん重要な部分なのだが――そこだけは文章がつづいているけれど、一枚目と四枚目、五枚目はそれぞれ文章が途切れていて、一枚一枚それだけでひとつの文章となって独立している。

 金田一耕助はまんまと磯川警部の、ペテンにひっかかっていたじぶんに気がついた。これは偶然や過失で脱落していたのではない。警部が故意に抜き取っておいたのだ。

 それにしても、金田一耕助は大きなショックを覚えずにはいられなかった。いまのいままでかれは三津木五郎を竜平と、巴御寮人のあいだに生まれた子どもにちがいないと思い込んでいた。ところがここにまた別に、親らしき人物が出現したのである。しかも、それがよりによって、磯川警部であったろうとは。

 しかし、これによって磯川警部の五郎に対する、妙に歯切れの悪い態度も了解できるようである。

 県警の本部でこの手紙を受け取った磯川警部は、下津井へ駆けつけるまえに、これを上司に示して許可を取りつけたのにちがいない。そのとき警部はすでに、二枚目と三枚目の便箋を抜き取っておいたのではないか。警部の気性としては、公私混同すると思われるのを潔しとしなかったのであろう。じぶんに対してもおなじだったにちがいない。それに突然舞い込んだこの手紙の|信憑性《しんぴょうせい》に、あるていど疑惑を持ったのかもしれぬ。警部は大いに|煩《はん》|悶《もん》し、|懊《おう》|悩《のう》し、かつ迷ったことだろう。

 警部がこの手紙を開封したのは、十九日の午後一時頃のことだったといっている。そのときただちにじぶんで駆け着けてくるなり、児島署へ電話をして、保護を加えるなりすればよかったのにと悔んでいたが、そこに警部の煩悶懊悩ぶりがうかがわれるようである。

 それにしても、じぶんもうかつ千万だったと、金田一耕助はいまじぶんでじぶんを責めている。警部のペテンもペテンだけれど、なぜそれをある程度看破できなかったのかと、金田一耕助はじぶんを責めるのである。浅井はるの手紙のなかに、

「あなたさまのお名前は新聞紙上でだいぶん以前から存じ上げておりましたが|云《うん》|々《ぬん》」

 と、あるが、刑事事件が新聞で報道される場合、捜査当局者の名前が新聞に出ることはまずないことである。ましてや磯川常次郎と、呼び名までしっていることについて警部はこの手紙の信憑性に納得し、ひと晚の懊悩、煩悶ののち、ついに意を決して、下津井へ駆け着けてきたのであろう。そこを察知できなかったことは、なんといってもうかつ千万であったと、金田一耕助はおのれの|迂《う》|愚《ぐ》無能を責めずにはいられなかった。

 さて、下津井へ駆け着けてきた磯川警部が、そこに発見したものは手紙のぬしの浅井はるの絞殺死体であった。彼女は手紙のなかで|危《き》|惧《ぐ》し、恐れおののいていたとおり、もののみごとに何者かの手によって、血祭りにあげられていたのである。

「いまにもだれかが妾を殺しにくるのではないかと思えば、生きている空もございません」

 と、手紙にあるとおり、ひと足ちがい、いや、ひと晚|躊躇《ちゅうちょ》したばかりに、警部はだいじな生き証人を失い、そしてじぶんの子どもの消息をつかむチャンスを無にしたのである。磯川警部の悔しさはどんなであったろうか。

 それにしても、磯川警部に子どもがあったことは、金田一耕助もぜんぜん聞いていなかった。戦後岡山方面で起こった事件で、いくどか行動をともにし、おいおい気心もしりあい、親交が深くなったとき、金田一耕助はいちど聞いてみたことがある。

「戦後奥さんを失われたということですが、お子さんは……?」

「いや、結婚後まもなく妊娠したことはしたんですけえど、不幸流産したもんですけんな」

 警部はそれ以上多くは語らなかった。

 磯川常次郎|軍《ぐん》|曹《そう》は、太平洋戦争が|勃《ぼっ》|発《ぱつ》した翌年、昭和十七年に応召したと聞いている。そして終戦の翌年復員してきたのだが、金田一耕助はそのかん前線から前線へと、絶えず転戦していたのだとばかり思い込んでいた。しかし昭和二十年糸子が出産したとすると、そのあいだにいちど召集解除になり、復員し、昭和十九年頃のある期間、ふつうの夫婦生活を営んでいたのであろう。そしてそのあいだに糸子は妊娠したのにちがいない。

 常次郎軍曹はそれをしってかしらずにか再応召したのだろう。しらずに応召したとしても、前線で受け取った糸子の手紙で、そのことをしったにちがいない。

 磯川常次郎はその手紙を読んで、どのように喜んだことだろう。かれはおそらくもう二度と、子宝には恵まれないものと|諦《あきら》めていたにちがいない。しかもかれは生きて故国へ帰還することができたのである。かれははじめて見るわが子に希望を託して、どのように胸をふくらませていたことだろう。

 しかし、その結果はどうであったか。糸子は無事に男児を|分《ぶん》|娩《べん》したけれど、その児は産婆とともに姿をくらましたという。常次郎の失望落胆はいかばかりであったろうか。それ以来磯川警部は悲劇の人となってしまったのだ。

 かれはまもなく現職に復帰し、そして糸子ははかなく死んだ。糸子の死はおそらく気病みというやつだったろう。せっかく恵まれたわが子を奪われた、母としての悲しみもさることながら、夫にすまぬ、申し訳ないという気病みが|昂《こう》じて、彼女の健康を|蝕《むしば》み、ついに彼女を死に追いやったのにちがいない。おそらく磯川警部は死ぬまえの糸子の口から、産婆の名前や住所、年齢、容姿などを詳しく聞いておいたことだろうが、それ以来、警部の執念はこりかたまって、その憎むべき産婆に巡りぞあわん、であったろう。

 磯川警部はさいわいよい役職にあった。警察官という役職は、社会の裏面にひそむ暗黒街からの情報を、キャッチしやすい立場にある。公私混同を極端にいみきらう警部であったが、それでもあらゆる機会を利用して、わが子を奪い、妻を死にいたらしめた産婆なる女性を追跡したにちがいない。

 かれが周囲の親切な勧告を|蹴《け》って、二度と|娶《めと》ろうとしなかったのは、腰部の|痼《こ》|疾《しつ》もさることながら、いつかは巡り合えるかもしれないわが子のために、継母をつくっておくことを好まなかったからであろう。いや、腰部の痼疾はたんなる口実だったのかもしれない。

 かれは|凄《すさま》じい禁欲生活と闘いながら、ひたすら産婆を捜し求めた。いや、産婆を通じてこの世にただひとり恵まれた、神の|恩寵《おんちょう》なるわが子の行方を追跡した。

 しかし、そこには予期せざる障害があまりにも多過ぎた。

 その第一はあの空襲というやつである。お|膝《ひざ》|下《もと》の岡山市ですら、六月二十八日の|焼夷弾《しょういだん》攻撃で|潰《かい》|滅《めつ》状態であった。多くの人が家を失い離散してしまった。やがて長い歳月をへて、おいおい復興し、離散したひとびとも戻ってきたが、求める女性はついに帰ってこなかった。

 その第二は空襲で焼死した人びとのなかには、|身《み》|許《もと》不明の人物がそうとう多かった。そのなかには男もいたが女もいた。求める女性もそれらの犠牲者のなかにいたのではないか。いや、それはない。糸子の告白によるとわが子の産まれたのは六月二十八日、すなわち岡山市の空襲とおなじ日である。場所は|播州《ばんしゅう》山崎の近くの温泉宿であるという。糸子はお産をするために、そこへ疎開していたのである。おそらく産婆のすすめであったろう。

 磯川警部は休日を利用して、たびたびそこへいってみた。しかし、探索は雲をつかむがごとくであった。

 赤ん坊を盗まれたといって、|悲《ひ》|歎《たん》にくれた女性があったことを|憶《おぼ》えている人はあっても、産婆のその後の消息をしっているものは皆無であった。なにしろ日頃人口も少なく物静かな温泉宿も、あいつぐ都市の空襲で、そうでなくとも疎開者で|溢《あふ》れていたところへ、岡山市の空襲でまたどっと疎開者が流入してきたのである。みんな浮足立っていた。一人の産婦どころの騒ぎではなかった。

 捜査上の困難の第三は求むる女性が故意に身許をくらましている場合である。平和な時代なら困難なことでも、あの大混乱をきわめた終戦前後の時代なら、可能だったと思われる。まえにもいったようにどの都市でも、身許不詳の焼死者がたくさんいた。それらのひとりの身分姓名をおかして、全然別人になりかわっていたとしたら、これはたとえ警部という職権をフルに利用して探索しても、なかなか|痕《こん》|跡《せき》をつかむことは困難であったろう。ことに磯川警部のように公私混同することにたいして、極端なまでに控え目な性格においてはなおさらである。

 かくて|荏《じん》|苒《ぜん》として時は流れ、日は移って、ここに二十二年という長い歳月が経過したのちに、警部の受け取ったのが浅井はるなる女性からの手紙である。警部はそこにはじめてわが子の消息の端緒をつかんだ。警部はこの手紙にたいして一点の疑義もさしはさまなかったであろう。だいいち相手は磯川常次郎と呼び名までしっている。それにいまから二十二年まえには産婆だったと打ち明けている。

 それにもかかわらず警部はなぜ、即時下津井へ駆け着けなかったのであろう。そこには公私混同を慎みたいという、持ちまえの控え目な性格がブレーキとなったと思われるのだけれど、もっと大きなブレーキは、わが子の消息をハッキリしるのが怖かったのではないか。

 だれだって産まれてからいちども会ったこともなく、名前はおろかその消息さえてんでしらなかったわが子が、二十二歳にもなって突然、ぼくはあなたの子どもですと出現したら、親たるものは躊躇|逡巡《しゅんじゅん》、大いに警戒するにちがいない。ましてや磯川警部の場合、警察官という立場からいっても、むやみな子どもであってくれては困るのである。もし、犯罪者的性癖の持ちぬしだったとしたら、警部はおのれの立場を失うことになるかもしれない。

 会いたい気持ちと、会うのが怖いという気持ちのジレンマにおちいって、警部はおそらくひと晚|煩《はん》|悶《もん》|懊《おう》|悩《のう》、|輾《てん》|転《てん》|反《はん》|側《そく》したことだろう。

 しかし、けっきょく警部は下津井へ出向いていった。血の本能が騒いでやまなかったのであろう。そして、そこに発見したものは思いもよらぬあの惨劇であった。警部はそこにはじめて浅井はるの手紙に|漲《みなぎ》っている恐怖が、彼女の|妄《もう》|想《そう》でも、誇張でもないことを思いしらされたのであろう。

 それにしても近所の主婦川島ミヨの目撃した、ヒッピーふうの男が三津木五郎であることを、警部はどうしてしっていたのであろうか。この島へきてからの調査によって、ヒッピー、すなわち三津木五郎であることは、もはやすでに疑いを容れぬようだが、警部ははじめからそれをしっていたようである。それはなぜか。

 金田一耕助は磯川警部がはじめて、三津木五郎に会ったときのことを思い出していた。

 あれは六月二十四日の午後のこと、場所は|鷲羽《わしゅう》|山《さん》の突端であった。警部は初対面の三津木五郎に、ひどく心をひかれたらしいようすであった。金田一耕助はそのときあの年頃の若者を見ると、警部にはそれがすべてヒッピーに見えるのだと、軽く看過してきたのだけれど、警部はあのときすでに、わが子ではないかと血が騒いだのではないか。あのときの情景を回想してみて、金田一耕助はそう断定せざるをえなかった。

 それはなぜか。血の本能だけだろうか。いや、警部はもっと具体的に三津木五郎の肉体的特徴のなかから、わが子の面影を探り当てたのではないか。では、三津木五郎にどういう肉体的特徴があるだろうか。

「八重歯だ!」

 突然、金田一耕助は声に出して叫び、それから五本の指でもじゃもじゃ頭を、めったやたらとひっ|掻《か》きまわした。

 八重歯こそあの青年のチャーム.ポイントであると同時に、|容《よう》|貌《ぼう》のなかでいちばん大きな特徴である。糸子というひとも八重歯だったのではないか。

「八重歯だ! あの八重歯なんだ!」

 金田一耕助がもういちど口に出して叫んだとき、|襖《ふすま》の外で、

「八重歯とは三津木五郎くんのことですか」

 と、いう声がして、襖がひらくとそこに越智竜平が立っていた。

   二

「金田一先生、はいってもよろしゅうございますか」

「さあ、さあ、どうぞ。じつはわたしのほうからあなたのところへ、ご相談にあがろうかと思っていたところです」

 金田一耕助は立って越智竜平を迎えいれると、机のうえに広げてあった五枚の便箋を取り片付け、じぶんの席とむかいあったところに、|座《ざ》|蒲《ぶ》|団《とん》をかまえて、相手の席をつくった。

 そこは越智竜平の邸宅の離れである。金田一耕助が六日の夜から、そこに世話になっていることはまえにもいっておいたが、いまは七月八日の午後五時である。

 竜平は金田一耕助の作ってくれた席に、腰を落ち着けると、

「金田一先生、いまあなたは八重歯だと叫んでいらっしゃいましたが、それはあの三津木五郎くんのことですか」

 竜平はもういちど念を押して尋ねた。

 さすがにタフなこの男も沈痛の色が深く、目のふちに黒い|隈《くま》ができているのは、昨夜よく眠れなかったせいであろう。|惟悴《しょうすい》の色が|濃《こ》いのである。

「はあ、あなたのおっしゃるとおりです」

 金田一耕助は竜平のおもてから目を反らして、思わず心のなかで|溜《た》め息をついた。

 この人は三津木五郎をじぶんの子だと信じている。だからこそあの若者のことで、心を傷めているのであろう。

「あの青年はゆうべ逮捕されたそうですね」

「いや、まだ逮捕というところまではいっていません。磯川警部さんのはからいで、いちおう身柄拘束というところでしょう」

「どういう容疑なんですか」

「いえね、越智さん」

 金田一耕助は居住まいをなおして開き直ると、

「一昨日の晚、あなたが刑部神社のなかで、目撃なすったという神楽太夫ですね、羽織を頭からひっかぶって、あなたのまえを横ぎっていったという……」

「はあ、はあ」

「あの子がじぶんから名乗って出ましてね、|妹尾《せ の お》勇といって、七人の神楽太夫のなかでいちばんの年少者ですが、その勇がなぜ拝殿のほうへいったかというと、三津木五郎が拝殿のほうから出てくるのを見たというんですね」

「あの若者が拝殿のほうから出て来たんですか」

 越智竜平の声はいよいよ沈痛そのものである。

「勇はそういっています。しかも、そのときの三津木五郎の形相がただごととは思えなかった。世にも|凄《すさま》じい顔色だったので、何事があったのかと、拝殿のほうへいってみたところがあのていたらく。そこでびっくりして|神楽《か ぐ ら》|殿《でん》の背後にある、楽屋へかえろうとする途中、あなたに見られたわけですね。羽織を頭からひっかぶったのは、人に顔を見られたくなかったからだといっています」

「なるほど」

「そこで勇と五郎を対決させたんですね。するとたしかに拝殿からとび出してきたのはこの男にちがいないと勇はいうんです。そこで三津木五郎に改めて事情聴取をしようとしたところが、あの男、てんで口をきこうとしないんですね。否定もしなければ肯定もしない」

「ふてくされているんですか」

「と、いうよりは、むしろ覚悟を決めていると、受け取ったほうがよいような態度ですね」

「それでこの島の駐在所の留置場へ、身柄を拘束したわけですね」

「そういうことです」

「しかし、金田一先生」

 こんどは越智竜平のほうが開きなおって、射るような目なざしで、鋭く金田一耕助のひたいを|視《み》|詰《つ》めながら、

「しかし、あの若者があれをやったとして、動機はなんです。あの若者はなぜここの神主を、殺害しなければならなかったんです」

 金田一耕助はしばらく無言のままでいた。無言のまま越智竜平の顔を凝視していた。りっぱな顔である。しかし三津木五郎には似ていない。

 金田一耕助は|寂《さび》しげな微笑をうかべると、

「その答えはおとといの晚、あなたのほうから切り出されたじゃありませんか」

「と、おっしゃると……?」

「だってあの男はあなたのことを、お父さんと呼んだそうじゃありませんか」

「…………」

「あの男はおそらくあなたのことを、実の父だと思い込んでいるんですよ。だれかにそう吹き込まれたんですね」

「じゃ、それ……」

 越智竜平の呼吸がはずんだ。

「真実じゃないとおっしゃるんですか」

 金田一耕助は気の毒そうに相手の顔を視守りながら、

「その問題はもう少しあとへずらせてください。ここでそれをいってると、話がこんがらがりますから」

「承知しました。ここは先生の語りやすいように、お話をすすめてください」

「ありがとうございます。じゃ、そうさせていただきます」

 金田一耕助はペコリと頭をひとつ下げて、

「さて、あなたを父だと思い込んでいるとすると、母はだれだということになりますか。いうまでもなく巴御寮人ということになりますね。あなたと巴御寮人との駆け落ち一件は、この島ではしらぬものはないようですし、それにあなたが応召なすったあと、昭和二十年の春から夏へかけて、巴御寮人が疎開としょうして、半年近くこの島を離れていたことも、島のものはみんなしっているでしょう。しかも、その時分島の人たちは、だれも疎開なんてことは信じてはいなかった。ひとにかくれてお産をしにいったんだろうといわれていた……もっとも、このことはきのう、|多《た》|年《ね》|子《こ》叔母さんから聞き出したんですがね」

「叔母がそのことを先生に申し上げたそうですね」

「いけなかったですか。そんなことを聞き出したりして」

「いいえ、いいんです。いずれはわたしの口から打ち明けて、その間の真相を調査していただくよう先生に、ご依頼申し上げるつもりでいたんですから」

「そのつもりでいらしたやさき、この島へ着いたとたんに、あの若者から、お父さんと呼びかけられて、大いに面くらい、戸惑いされたわけですね」

「先生のおっしゃるとおりです。さあ、どんどん話をおつづけください」

「承知しました」

 金田一耕助はそこでひと呼吸いれると、

「さて、あの若者があなたを実の父だと思いこんでいるということは、巴御寮人を実の母だと思いこんでいるということでしょう。とすると、|神《かん》|主《ぬし》殺しの動機もいくらかわかってくるんじゃないですか。|守《もり》|衛《え》さんは必ずしも巴さんにとって、よい|旦《だん》|那《な》さんとはいえなかった。あちこちに愛人をつくって、巴さんはすっかりなおざりにされていた。しかも、巴さんはじぶんの母である。そこで守衛さんを亡きものにして、じぶんの母を守衛さんの妻という|桎《しっ》|梏《こく》から、解放してあげようした。そして……」

「そして……?」

「できることなら、あなた……じぶんの父であるところのあなたに、|還《かえ》してあげようと思ったんじゃないですか。一種の自己犠牲ですね。じぶんの身を殺してでも、じぶんの実の父と母を、本来あるべき姿に復原させてあげたいという、まあ、若者の持つロマンチシズムといおうか、ヒロイズムといおうか……と、まあ、こういう推理も成り立つわけです。この推理が万全であるかどうかは、しばらく|措《お》くとして」

「いったいどういう素性の、どういう生い立ちのものなんですか。あの若者は……?」

 竜平としては、そこがいちばん気がかりなところにちがいない。

 金田一耕助はそこで、三津木五郎から聞いた話を取りつぐと、

「まあ、そうとうの秀才らしいんですね。学校もいいし、剣道も強い、尺八を吹くという趣味も持っている。知情意円満に発達した秀才というべきでしょう。と、いうことはあの男、つい最近まで自分が他から|貰《もら》われてきた子どもとは、しらなかったんじゃないでしょうか。じぶんはあくまで元陸軍中尉、三津木秀吉とその妻貞子のあいだに、産まれた子とばかり信じてきたのでしょう。だから伸び伸びと育ってきた。まあ、ひねくれたところはみじんもないようですからね。では、いつじぶんの出生の秘密をしったのか……三年まえにおやじがガンで亡くなった、そして去年の秋、母がそのあとを追うように、死亡したといってましたから、母の貞子が死ぬまえに、真相を打ち明けたんじゃないでしょうかねえ。人間というものは秘密を守りとおして、死ぬということはなかなかできにくいことのようですから」

 金田一耕助はそこまで語ってきて、ふと思い当たったように、

「そうそう、あの男、ごく最近まで髪をながく伸ばし、顔中ひげだらけで、まるでヒッピーみたいな姿をしていたそうですよ。考えてみると大学の剣道部にいるものが、そんな姿で許されるはずがない。だから卒業間際の去年の秋になって、かれの人生観に大変化を来たすような、世にもショッキングな重大事に直面した……と、いうことじゃないでしょうかねえ」

「つまり、その貞子さんという人が、われわれのあいだに産まれた子どもだと、吹きこんだとおっしゃるんですか」

「いいや、それはそうじゃないでしょう。三津木貞子という女性が、産まれたばかりの五郎をひきとるとき、おそらく親知らずということだったんじゃないでしょうか。貞子も五郎のほんとうの両親をしらなかった。それをしっているのは仲にはいった産婆しかいなかった」

「ああ、なるほど。するとその産婆があの若者に、あなたの両親はこれこれこういうものだと、わたしとあの人のことを吹きこんだとおっしゃるんですね」

「いや、もうちょっと待ってください」

 金田一耕助はもの悩ましげな目付きになって、

「ところが、その産婆というのが|嬰《えい》|児《じ》|斡《あっ》|旋《せん》をするくらいですから、ほかにもいろいろうしろ暗いことをやっていたんですね。だから三津木貞子に赤ん坊を周旋すると、そのまま姿をくらましてしまったんです。三津木貞子はそれ以来、その産婆に会っていなかったんじゃないでしょうか。ところが……」

「ところが……?」

「これは五郎の話ですが、三年まえに三津木秀吉が死亡したあと、貞子は亡夫の|回《え》|向《こう》をするためによく四国八十八か所巡りをしていたそうです。そのとき、どこかで産婆に巡りあったんじゃないでしょうか。産婆のほうでは気がつかなかったが、貞子のほうで気がついた。そこでひそかにあとをつけてみたところが、産婆は浅井はるという変名で、下津井で口寄せの|市《いち》|子《こ》をやっていた……」

「金田一先生!」

 竜平は|弾《はじ》けるような声をあげたが、すぐ気がついてあたりを見まわすと、声をひそめて、

「その女なんですね、最近殺されたというのは……?」

「そうです、そうです」

「そして、三津木五郎がその犯人じゃっと……」

「いいえ、そうは申しておりません。一昨晚ここでその話が出たときも、警部さんの見込みじゃ、その若者は犯人ではあるまいが、なにかその間の事情を、しってるんじゃないかという見通しだと申し上げたはずです。ねえ、越智さん、浅井はるは|讃岐《さ ぬ き》の|金《こん》|比《ぴ》|羅《ら》さんが信仰で、月にいちどは四国へ渡っていたといいますから、八十八か所巡りの三津木貞子と、どこかで巡りあったとしても、それほど偶然とはいえないと思うんです。それに下津井というところは、金比羅参道の起点になっているそうですから、三津木貞子がはるのあとをつけて、とうとう最近の産婆の消息をつきとめたとしても、これまたそれほどの偶然とはいえないと思うんです」

「なるほど、それで……」

「三津木貞子が産婆の最近の消息をしったということが、かえって五郎の運命を狂わせたと、いっていえないことはなさそうです。三津木貞子は五郎のほんとの両親をしらなかった。だから産婆の最近の消息をしらなかったら、秘密を抱いたまま死んでいったかもしれません。ところがゆくりなくも産婆の最近の消息をしってしまった。五郎の両親をしっているただひとりの人物の消息をですね。そこで息をひきとるまえにすべての秘密を打ち明けた。そして、あなたのほんとうの両親をしりたくば、下津井のこれこれこういうところで、口寄せの市子をしている、浅井はるという女を訪ねていってごらんなさい、というようなことをいったんじゃないでしょうか」

「なるほど。産婆のいどころをしっただけにですね」

「そういうことでしょう。そこで五郎はどうしたでしょう。母を見送るとすぐ下津井へすっとんだでしょうか。あなたならどうなさいます」

「さあ、考えるでしょうね。いずれは出向いていくとしてもね」

「五郎がやっぱりそうだったんでしょう。ことに五郎はじつの両親と信じ切っていた、三津木秀吉とその妻貞子を、尊敬もし、誇りともしていたようですからね。そこで、五郎は精神的に非常なショックを受けた。いくらか自暴自棄にもなった」

「そこで髪を伸ばし、ヒゲを生やし、ヒッピーになった」

「いや、スタイルはヒッピーですけれど、根っからのヒッピーにはなりきれなかった。|芯《しん》はしっかりした若者のようですからね。それに、学校のほうもちゃんと出ているようです。学校を出てから、ヒッピーになったのかもしれませんね。こうした半年あまり迷いに迷ったあげく、とうとう堪えられなくなって、この六月十五日の午後、下津井へ浅井はるを訪ねていった、ヒッピー.スタイルのまま。そこを近所の主婦に見られてるんですね」

「そこで浅井はるがわたしとあの人の名前を打ち明けたんですか」

 竜平がとかく結論を急ぎたがるのもむりはない。ここがいちばんだいじなところである。

「いや、浅井はるがハッキリ、あなたがたの名前をいったかどうかわかりません。しかし、刑部島へいけばわかる、というようなことをいったんじゃないでしょうか」

「なるほど」

「そこでかれはまっすぐにこの島へやってきたでしょうか。いいえ、かれが浅井はるを訪ねたのは六月十五日の午後です。これはハッキリしています。ところが、六月二十四日の午後われわれ、わたしと磯川警部は鷲羽山の突端で、あの男に会っていますからね。そのときは髪を切り、ヒゲも|剃《そ》り落として、現在のあの若者になっていました。と、いうことは、この島へ渡るまえに、島についての予備知識をつかんでおこうとしたんでしょうね。この島の予備知識ならすぐつかめたでしょう。倉敷あたりへいけばこの島はいま大評判ですからね。アメリカ帰りの大富豪が、ちかごろこの島に|莫《ばく》|大《だい》な投資をして、島の過疎化を防ごうとしてるって。五郎はそうした予備知識を収集しているうちに、新聞で浅井はるの事件をしった。そこで髪を切り、ヒゲを剃り落として、本来あるべきおのれの姿にかえると、六月二十五日にとうとうこの島へ乗り込んできた……と、そういうことになるのではないでしょうかねえ」

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