それでも腹がくちくなるとふたりの|頬《ほお》に血の気がさした。誠はわざと勢い良く席を立つと、
「さあ、いこう、勇、今度は気イつけないかんぞ。矢印を見落とさんようにな」
「へえ、お兄ちゃん、よう気イつけます」
「金田一先生もそちらのおじさんもついてきてつかあさい」
そこから目的地までの距離は案外近いようにも、またひどく遠いようにも受けとれた。懐中電灯だけが頼りの地底の闇では、距離の感覚がつかみにくいのである。
それでも誠が、
「金田一先生、ほら、ここですん」
と、足をとめたとき、金田一耕助が腕時計に目を落とすと、ちょうど三時を示していた。
あまたの怪事件、難事件に直面してきた金田一耕助だけれど、この紅蓮洞の奥の大広間で目にした、世にも怪奇な風景は、|生涯《しょうがい》消えぬべき印象となって長くあとに尾を引くだろう。それはあまりにもグロテスクな光景だった。
五本の懐中電灯の光りで照らし出されたそこは、じっさい大広間といってよかった。天井までは一〇メートルくらいもあったろうか。広さは一辺が二〇メートルくらいのほぼ正方形をなしている。
それはもちろん自然が造り出した奇跡というべきだろうが、後日|仔《し》|細《さい》に点検したところによると、自然が造形したこの奇跡のうえに、人工的な粉飾が加えられていることが明らかになった。それは長い年月を費して、根気よくコツコツと加えられた粉飾で、こういうことが人しれずに行なわれていたということについて、調査官は舌を巻いて驚嘆したという。
この大広間は不規則な形をした三段になっていた。その一番上段には祭壇のように岩が盛りあがっていて、そこに素焼きの皿がおいてあり、皿のなかには|饌《せん》|米《まい》が盛ってある。その饌米はまだごく新しいもので、そこに供えられてから数日とはたっていないだろう。
この饌米の皿の両側には、|蝋《ろう》|燭《そく》|立《た》てが一本ずつおいてあり、蝋燭立てにはまだま新しい蝋燭が立っていたが、もちろん蝋燭の灯は消えていた。しかし、蝋燭の|芯《しん》が黒くなっているところをみると、ちかごろだれかこれに灯をともしたものがあるのだろう。ほかに|榊《さかき》の枝がそなえてあったが、これまたまだみずみずしく新しかった。
さて、その祭壇の奥の岩壁に、小さな|龕《がん》のようなものが彫られているが、これは明らかに人工的手段によるものと思われた。しかし、彫られてからそうとう歳月がたっているとみえて、龕の内部は青く|苔《こけ》|蒸《む》している。その巍の上部には二つ巴の紋所を白抜きにした紫色の幕が張ってあり、そのなかには世にも奇妙なものが祭ってある。
それは小さな、小さな|骸《がい》|骨《こつ》であった。手にとれば|掌《てのひら》のうえにも乗りそうな、可愛い、白い骸骨なのだが、明らかに頭がふたつ、手が四本、足が四本。そして、腰のところで骨と骨とがくっついていることが、懐中電灯の光りのなかでもハッキリと認められた。
このシャム双生児はそれぞれ両手を大きく広げ、両足を躍るように踏ん張って、いまにも龕から空にむかって、|飛翔《ひしょう》しそうなポーズを取っている。そういうふうな恰好で、龕のなかにぶら下げられているのである。
金田一耕助が額をよせて観察すると、放っておけばバラバラになりそうな白骨を、原形を崩さぬように|繋《つな》ぎ止めてあるのは、|釣《つり》につかう堅固なテグスの糸であった。
「吉太郎だな」
金田一耕助は心のなかで呟いたが、それが声となって聞こえたかのごとく、越智竜平がそばから答えた。
「新家は見かけによらず手先が器用ですけんな」
振り返ってみると竜平の顔は沈痛そのものであった。無理もない。金田一耕助の推理によって、あらかじめ覚悟はしていたであろうけれど、いまこうして二十三年以前の、巴御寮人との恋のかたみの成れの果てを、こういう形でまざまざと、目のまえに突きつけられては、だれだって動揺し、動転せずにはいられないだろう。
これこそわが子の成れの果てなのだ! と、さすが豪気な竜平も、懐中電灯を持つ手がふるえ、目には涙さえ持っている。
「金田一先生」
誠と勇がそばへ寄ってきた。
「これいったいだれなんです。これ本物ですか。それともなにかを象徴するために、こげえなもんこさえてあるんでしょうか」
「これ、腰のところで骨と骨とがくっついた、ふたごのようですけえど」
誠と勇にそう見えたとすれば、青木修三にもそれがわかったのであろう。
「いや、この事件が万事解決したとき、きみたちもこれがなにを意味するかしるだろう。きみたちはそれをしる権利があるからね。それよりきみたちのお父さんはどこ……?」
「父はあそこにおります」
誠の声はしめっていたが、弟の持つ懐中電灯の光りと光りが交錯したとき、そこにくっきり浮かびあがったのは、これまた世にも奇怪なものだった。
それは数本の糸で天井から、あやつり人形のようにぶら下げられた大人の骸骨なのだが、その骸骨は顔に古怪な面をかぶっていた。|神楽《か ぐ ら》|太《だ》|夫《ゆう》の面である。
「あれ|素戔嗚尊《すさのおのみこと》の面ですん。これ父が|大蛇《お ろ ち》|退《たい》|治《じ》の場面で、素戔嗚を舞うている場面です」
吉太郎はよっぽどよく人体および骨格の研究をしたにちがいない。これまた放っておけばバラバラになりそうな関節と関節を、|強靱《きょうじん》なテグスの糸で繋ぎとめ、その骸骨はあたかも神楽を舞っているがごとき、身振り、手振り、足の踏んばりである。それに龕のなかのふたごの骸骨もそうだが、松若の骸骨なども、ときどき手入れが施されているのではないかと思われるのは、松若のかぶっている面なども、もうここに収まってから十八、九年もたつというのに、それほど損傷していないことである。
それらの手入れはだれがするのであろうか。もちろん吉太郎以外には考えられない。かれは巴御寮人の歓心を買うためには、どのようなことでもやってのけるにちがいない。その代償はなんであろう。もちろん巴御寮人の肉体以外には考えられない。
「誠くん、きみたちの発見したのはこれだけ?」
「いえ、もうふたつあります。ほら、あれとあれ」
誠と勇が懐中電灯で、示したところに浮かびあがったのは、もう二体の骸骨である。いずれも天井から数本の糸でぶら下げられているのだが、一体は中腰になり、一体は花崗岩の床にひざまずいていた。中腰になった骸骨は膝に人形を抱いているが、それは巡礼お|鶴《つる》の人形であった。そばにおいた背負い箱には、|阿《あ》|波《わ》の|十郎兵衛《じゅうろべえ》と女房お弓の人形が|挿《さ》してある。やはりこの島で蒸発したのではないかといわれている、淡路の人形遣いの骸骨であろう。
もう一体のひざまずいた骸骨は、植物採集に使う胴乱のようなものをまえにおき、龕にむかってなにかを語りかけているようである。その胴乱はいま荒木定吉のもっているものと、同じ種類のものであった。
「金田一先生、いったいこれはなにを意味しているのでしょう」
越智竜平の声はノドにひっかかっている。
「おわかりになりませんか」
金田一耕助は|暗《あん》|澹《たん》たる顔色で、
「不幸だったふたごの若君と三人のお|伽衆《とぎしゅう》じゃないですか。誠くんと勇くんのお父さんは神楽で奉仕し、人形遣いは人形で若君たちを慰め、そして、ここにひざまずいているのは、おそらく荒木定吉くんのお父さん、荒木清吉さんでしょうが、この人は置き薬の行商で、諸国を経巡っていたから話題も豊富で、話術も巧みだったのでしょう。だからこの人はさしずめ、|語《かた》り|部《べ》というところじゃないでしょうかねえ」
「狂気じゃ。これじゃまるで狂気の|沙《さ》|汰《た》じゃ」
竜平は汚いものでも吐き出すような口調である。金田一耕助は悩ましげな目をして、
「そう、まったく狂気の沙汰です。あの人はシャム双生児を産んだ瞬間、気が狂ったのでしょう。さらにあの人の不幸に拍車をかけたのは、守衛さんという人に、満足出来なかったんじゃないでしょうかねえ。そこで出来るだけあなたの体形に似た男を選んで誘惑し、それをさんざん|弄《もてあそ》んだ。しかし、それでは吉太郎さんが満足しないので、二人共謀してこれを殺し、不幸だったふたごの若君の、お伽衆に仕立てることを思いついた。これがこの恐ろしくもおぞましい、事件の真相じゃないでしょうかねえ」
それから金田一耕助は言葉をついで、
「青木修三さんもこれらの骸骨をごらんになった。そして、殺されるまえに巴さんか吉太郎さんに事件の真相を聞かされた。そこで、あの島には悪霊がついている……と、いう言葉をあとにのこされたんじゃないですか。青木修三さんならずとも、この光景を見、かつこういうおぞましい真相をしったら、だれだって悪霊のしわざとしか思えませんからね」
金田一耕助も興奮しているのである。かれがなんども繰りかえす、このおぞましい真相に直面して、思わず興奮してここまで語ってきたが、急に気がついたように闇の洞窟を見まわした。
「誠くん、勇くん、真帆ちゃんは……?」
「真帆ちゃん……?」
四人の持つ懐中電灯が交錯して、まもなくかれらは、岩窟の床に倒れている真帆の姿を発見した。真帆は気を失っているのである。無理もない。この恐ろしい情景を目にし、金田一耕助の口からおぞましい真相を聞かされては、か弱い娘の神経ではよく忍ぶところではなかったのであろう。
真帆は右手になにか握っていた。それは古い一枚の二銭銅貨であった。
金田一耕助はハッと気がついて、改めて真帆の周辺を、懐中電灯で照らしてみた。この地下宮殿が上、中、下の三段になっていることはまえにもいったが、三体の骸骨がいるのは中段の間である。下段の間のいちばん奥に古ぼけた|賽《さい》|銭《せん》|箱《ばこ》がおいてあり、ゆすってみるとまだいくらか、硬貨が残っているとみえ音がした。
真帆はいまじぶんの握っているのとおなじ種類の古銭を、片帆が持っていたことをしっていたのではないか。