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    第二十七章 地底の対決

作者:日-横沟正史 当前章节:15370 字 更新时间:2026-6-23 02:19

   一

 金田一耕助の誤算の第一は、|紅《ぐ》|蓮《れん》|洞《どう》がかくも広大であろうとは、思いもよらぬことであった。

 ……あいつは体のくっついたふたごなんだ……

 ……あいつは腰のところで骨と骨とがくっついたふたごなんだ……

 青木修三がテープに遺した断末魔のあの言葉から、かれが見たものは生きているシャム双生児ではなく、白骨と化したそれであろうという金田一耕助の推理は当たっていた。

 青木修三はそれを目撃した直後に、みずからあやまって転落したのか、あるいはだれかに突き落とされたのか……おそらく後者だろうと思われたが……千畳敷きから|落《おち》|人《うど》の|淵《ふち》へ落ちて致命的な重傷を負うたのだ。とにかく青木修三はこの島のどこかで、腰のところで骨と骨とがくっついた、シャム双生児の遺骨を見たのにちがいない……と、いう金田一耕助の推理も当たっていた。

 しかし、青木修三がそうも簡単に目撃できたとしたら、その秘密の場所というのは、落人の淵からそう遠くはないであろうというのが、金田一耕助の大誤算であった。かれは秘密の入口さえ発見できれば、秘密の場所というのもすぐその近くに見つかるだろうと高をくくっていたのである。その秘密の場所を見つけておいて、かれは墓地の発掘が完了するまえに、|洞《どう》|窟《くつ》から出ているつもりだったのだが、いずくんぞ知らん、紅蓮洞と命名されたこの地下洞窟が、かくもスケールが大きく、かくも複雑多岐な形態をなしていようとは。

 後日この地下の洞窟は綿密に計測されたが、迷路をなしている|枝《えだ》|路《みち》をも加算すると、延長ゆうに一〇〇〇メートルを超えているという。この地下洞窟はいまでは|刑部《おさかべ》島の、有力な観光資源になっているそうである。

 金田一耕助の第二の誤算は、|真《ま》|帆《ほ》がそこに潜入していることは予想できたとしても、|神楽《か ぐ ら》|太《だ》|夫《ゆう》の兄弟が、この洞窟の入口を発見して、ひとあしさきに潜りこんでいたことに、思いいたらぬことであった。洞窟のなかでかれらに遭遇したということで、かなり多くの時間を空費したということも、見過ごすことが出来ないであろう。

 第三の、そして金田一耕助の最後の誤算は、なんといってもこの地底の洞窟に、もうひとつの入口があるということに、気がつかなかったことだろう。しかし、これはこの島に生まれ、この島で育った越智竜平でさえしらなかったのだから、金田一耕助ばかりを責めるのは酷だったかもしれない。

 真帆が失神したことも、金田一耕助の誤算のひとつだったろう。真帆が意識を取り戻すまでに、そうとう時間がかかったのもやむをえない。金田一耕助と越智竜平の手厚い介抱によって、真帆はようやく意識を取り戻したが、しかし、それはもうついさきほどまでの真帆ではなかった。極度の恐怖とショックが彼女から正常の意識を奪ってしまっていた。そこに息を吹き返した真帆は、魂の抜けがらみたいな少女でしかなかった。彼女の|双《そう》|眸《ぼう》からはもう生の輝きは失われていた。

「真帆ちゃん、しっかりしなさい。金田一耕助だ。わかるかい」

 しかし、真帆の反応は陰性だった。彼女はつぶらな|眸《ひとみ》を|視《み》|張《は》っているけれど、そこには感情のひらめきは皆無だった。ときおり示す深い|怯《おび》えの色以外は。

「かわいそうに。この娘はここに祭られている|骸《がい》|骨《こつ》の群が、なにを意味しているのか理解したんでしょうかね」

 越智竜平が|呟《つぶや》いた。

「正確には理解できなかったでしょうが、おぼろげにはわかったろうと思いますね。この娘はひょっとするとふたごの妹の|片《かた》|帆《ほ》ちゃんが、|隠《おん》|亡《ぼう》|谷《だに》で絞め殺された五日の晚、じぶんの母がずぶ|濡《ぬ》れになった|蓑《みの》と|笠《かさ》をきて、こっそり家へ帰ってきたのを、|垣《かい》|間《ま》|見《み》したのかもしれませんからね」

 その片帆が七日の朝、無残な死体となって発見されたときいらい、彼女はじぶんの母にたいして、世にも恐ろしい疑惑の念を抱きつづけていたのかもしれない。

「かわいそうに。ぼくらじゃかて、これが父ちゃんの成れの果ての姿じゃと気がついたとき、気がちがいそうになりましたけんな」

 鼻をつまらせながら、誠が懐中電灯の光りを|漆《しっ》|黒《こく》の|闇《やみ》につつまれた地下宮殿の中段の間に差しむけたとき、|茫《ぼう》|漠《ばく》たる真帆の|瞳《ひとみ》にまたさっと、恐怖の色がほとばしって、全身がわなわなと激しく|痙《けい》|攣《れん》した。

「誠くん、きみたち兄弟の気持ちはよくわかる。しかし、その懐中電灯は消すか、ほかへそらしたまえ。これ以上この娘を怯えさせてはならぬ」

「ああ、失礼しました」

 金田一耕助はじぶんの懐中電灯の|灯《ひ》で、腕時計の文字盤を読むと、

「ああ、もうそろそろ三時半だ。越智さん、墓地の発掘はもう終わったでしょうね」

「それはもうとっくの昔に完了しておりましょう。あれが先生のペテンだと気がついたら、あの人たちはどうするでしょうね」

「もちろん、ここへ押しかけてくるでしょう。いや、押しかけてこようとするにちがいありませんね」

「と、おっしゃるのは……?」

「いや、『星の御殿』の入口には、広瀬警部補の部下が、張り番をしているはずです。だれもそこから奥へは通さないようにと、ぼくが警部補に頼んでおいたのです」

「ああ、道理で……」

 と、竜平もはじめて合点がいったように|頷《うなず》いて、

「いままで平穏無事でいられると思った。それにしても一刻もはやくここを出ようじゃありませんか。ここはまともな人間の長くいるべき場所じゃない」

 竜平が沈痛な声で呟いたとき、とつぜん勇が低い声で警告した。

「あっ、だ、だれかこっちへ来る!」

「え、だれか来る……?」

「足音が……足音がこっちへちかづいてきよりますらあ」

「よし、みんな懐中電灯の灯を消してえ。じっと息をこらしているんだ」

 金田一耕助の命令で、いっせいに懐中電灯の灯が消えると、あとは漆黒の闇である。竜平とふたりで左右から、真帆の体を支えている金田一耕助は、じぶんの心臓の|鼓《こ》|動《どう》の音が、耳をつき破るばかりに、大きくひびきわたるのを覚えずにはいられなかった。ほかのみんなもおなじことだったろう。針一本落ちる音もきこえる静寂というのは、おそらくこういう状態をいうのだろう。

 その静寂の底からたしかに聞こえる、聞こえる、足音らしきものが。しかも、その足音はしだいにこちらへ近づいてくる。さっき金田一耕助たちが|辿《たど》ってきた道を、追ってくるようすである。だれかがゴクリとノド仏を鳴らして、|唾《つば》をのみこむ音が聞こえた。

 もし足音のぬしが、金田一耕助の想像している人物であったとしたら、そいつは恐ろしく凶暴になっているはずである。この洞窟の奥に|秘《ひ》|匿《とく》されたこの世にも奇怪な秘密が暴露したとしったとき、そいつはおそらくデスペレートもよいところであろう。しかもそいつは猟銃という危険な凶器を持っている。ここにいる五人をみな殺しにだって出来るのだ。

 金田一耕助は|腋《わき》の下から、冷たい汗のしたたり落ちる思いだったが、突然、おやと聞き耳をたてなおした。

 足音はひとりではない。二、三人……いや、それ以上いるのではないか。しかもかれらの何人かは|下《げ》|駄《た》をはいているらしい。それがだれであるかと思い当たって、金田一耕助の緊張がホッとほぐれたとき、

「おおい、|弥《や》|之《の》|助《すけ》、白い糸はまだつづいとるけえ?」

 針一本落ちてもきこえる静寂のなかだから、鍛えぬかれたノドから発するその声は、複雑多岐な洞窟の闇から闇を|伝《でん》|播《ぱ》して、誠や勇の耳にもとどいた。

「あっ、おじいちゃんだ。おじいちゃんだ」

「おじいちゃん、こっちだよう」

「その糸をつとうておいでんさい。ここに父ちゃんが……父ちゃんがおいでんさるけん」

 金田一耕助が制止するひまもなかった。久しく洞窟のなかに閉じこめられていたものが、懐かしい肉親の声を聞いて、歓喜の思いを爆発させたのもむりはない。さすがに、

「父ちゃんが……父ちゃんがここにおいでんさりますけん」

 と、叫ぶ誠の声は涙にしめっていた。

「誠、勇……おまえたち無事かあ」

「ぼくたち元気ですけん、安心してつかあさい。それより早う、早うこっちへ来てえ……」

 誠と勇は懐中電灯の灯をともして、狂気のように声するほうへ振りまわしている。

 それからまもなく、吉太郎が奥の院と称するこの地下宮殿へ、若い弥之助を先頭として、四郎兵衛、平作、徳右衛門、嘉六と五人の神楽太夫が、|揉《も》み合うようにしてなだれこんできたのだけれど、かれらを包む明りが妙に明滅すると思ったら、みんな百目|蝋《ろう》|燭《そく》に灯をともして、それを頭上に振りかざしているのである。

「星の御殿」に見張りに立った二人の刑事を、よってたかって縛り上げた五人の神楽太夫は、まもなく洞窟の入口を発見すると、刑部神社へとって返し、そこをひっかきまわして、百目蝋燭を洗いざらい持ち出してきたのである。

 これが金田一耕助の最後の誤算であった。かれは一刻もはやくこの洞窟を出たいのである。しかし、この人たちを説き伏せて、洞窟から退散させることは容易ではない。金田一耕助が腹の底がかたくなるような思いをしたのもむりはない。

 地下宮殿へはいってきた五人の神楽太夫のいでたちは、まことに異様であった。みんな|白《しろ》|無《む》|垢《く》の|小《こ》|袖《そで》に|襷《たすき》がけ、|袴《はかま》の|股《もも》|立《だ》ちを|端《は》|折《しょ》って、弥之助のごときは白鉢巻きさえしている。これで下駄をはいていなかったら、いまにも剣舞でも舞いそうな装束である。

 神楽太夫の五人もそこに|佇《たたず》んでいる金田一耕助や越智竜平の姿を見ると、ちょっと虚をつかれたかたちだったが、四郎兵衛はすぐかれらの存在を無視する態度に出た。

「誠、勇、おまえたちさっき、父ちゃんがここにおいでんさるいうたようじゃけえど、松若がほんとうにここにいるのけ……」

「はい、おじいちゃん」

 誠はさすがにためらいの色を見せて、

「そうじゃけえど、おじいちゃん、あんまり興奮おしんさってはいけんぞな。気イ静かに持っていてつかあさい」

「マコちゃん、いまになってそげえなこというてもむりぞな。十九年もまえに蒸発した松若どんが、ここにいるちゅうんじゃけん、だれだって興奮するぞな。さ、さ、松若どんはどこにいる」

 平作に迫られて、

「あれ、あそこに、勇、おまえも……」

「はい、お兄ちゃん」

 勇の声は悲しげであった。

 一同は下段の間の|賽《さい》|銭《せん》|箱《ばこ》のそばに立っていたのだけれど、ふたりの懐中電灯の光りが示したのは、中段の間であった。交錯するふたつの懐中電灯の焦点に、おぼろげながらも浮きあがったのは、あの世にもおぞましいものである。一同は|唖《あ》|然《ぜん》としてすぐには言葉も出なかったが、しばらくして吐いた四郎兵衛の声は、あたかも|肺《はい》|腑《ふ》をえぐられるようであった。

「誠、あ、あれは……が、|骸《がい》|骨《こつ》ではないけ」

「おじいちゃん、顔をあんじょう見てあげてつかあさい。父ちゃんは|素戔嗚尊《すさのおのみこと》の面をつけておいでんさります。父ちゃんは|大蛇《お ろ ち》退治の素戔嗚を舞うておいでんさるんですらあ」

 |愕《がく》|然《ぜん》として声もなかった一同だが、やっと気を取り直すと、四郎兵衛を先頭に立て、平作、徳右衛門、嘉六の三人があわただしく下駄を鳴らして、中段の間へ|駈《か》けあがっていった。弥之助だけはどこへいったのか、あたりに姿はみえなかった。

 数本の糸で天井から、ぶら下げられたそのものを、四方から百目蝋燭のまたたく光りで照らしていたが、やがて平作がうめくように呟いた。

「なるほど、これは素戔嗚の面じゃ」

「この面なら松若が蒸発したとき、うちからのうなったもんじゃ。松若が持ち出しおったのか」

 と、四郎兵衛の声も悲痛を極めてうめくようであった。

「それにしても、マコちゃん、これが松若どんの骸骨にしても、なぜまたこげえな|酷《ひど》いことを……」

「そうじゃ、そうじゃ。いったいこれはなんのまねじゃ」

「徳右衛門おじさん。嘉六さんも、骸骨にされてしもうたんは、うちの父ちゃんだけじゃございません。ほら、そこにも……そこにも……」

 誠の照らす懐中電灯の光りを追うて、素戔嗚の骸骨を取り巻いていた四人の神楽太夫は、|弾《はじ》かれたように左右を振り返った。そこにあるのはおなじく数本の糸で天井からぶら下げられた、|淡《あわ》|路《じ》の人形遣いと、語り部の荒木清吉の骸骨である。

「なんじゃ、これは……? 誠、いってえこれはどげえなことじゃ」

「みんなこの島で蒸発した人らしいんです。おじいちゃん。ちょっとこっちへ来ておみんさい」

 誠が一同を導いたのは、いうまでもなく上段の間の|龕《がん》のまえである。そこに祭られた小さな小さなシャム双生児の骸骨を見たとき、かれらがいかに驚いたか、ここに改めて|喋喋《ちょうちょう》するのは控えよう。

「誠、これはいったいなんのまねじゃ。これほんとうの骸骨か、それともだれかがこげえな人形、作りあげたんか」

 四郎兵衛の声は|驚愕《きょうがく》にみちていたが、そのときそばから金田一耕助がいそがしく声をかけた。

「誠くん、誠くん、それらの話はあとでゆっくりするとして、とにかくここを出ようじゃないか。きみたちも寒さに凍えそうになってるんだろう」

「いえ、金田一先生、ちょっと待ってつかあさい」

 その龕は大人の目の高さのところに彫られていて、その下は|粗《あら》い|花《か》|崗《こう》|岩《がん》なのだが、

「いま、気がついたんですけえど、ここになにやら白い字で彫り込んであるようですらあ。勇、おまえも懐中電灯をかせ」

 ふたりの交錯する懐中電灯の光りのさきに浮かびあがったのは、白い小さな貝殻を花崗岩の肌にちりばめて、|綴《つづ》り合わせた文字らしきものである。

「勇、これなんと読むのけ」

「お兄ちゃん、右側のほうは太郎丸さまじゃないけ」

「そうじゃ、そうじゃ、すると左側のほうは次郎丸さまじゃな」

「これ、腰のところで骨と骨とがくっついた、このふたごの名前じゃないけ」

「どれどれ、ぼくにもちょっと見せてくれたまえ」

 ふたりのあいだに割り込んできたのは竜平である。かれもみずからの懐中電灯の光りで、龕の下の岩壁に|鏤《ちりば》められた白い貝殻文字を照らしてみたが、それはあきらかに、

太郎丸さま

次郎丸さま

 と、読みとれた。

 いま勇がかしこくも指摘したとおり、これこそ不幸に生まれ、不幸に死んだシャム双生児の名前であろう。名付け親はおそらく|巴《ともえ》であろうが、彼女がこの不幸な兄弟をここにこうして、ひそかに祭るという心情はまことに哀れであると、竜平も同情を禁じえない。ことにその責任の一半はおのれにありながら、いままでなにも知らずに過ごしてきたじぶんに対して、竜平は自責の念を禁じえないと同時に、ただ美しい夢だけを追うてきたおのれに対して、はげしい自己嫌悪を感じずにいられなかった。

「太郎丸……次郎丸……か」

 竜平は二十年以上もしらずに過ごしたわが子の名を、口のうちで呟きながら愁然として|頭《こうべ》を垂れた。しかし、いまはいたずらなる感傷に、|耽《ふけ》っているべきときではない。中段の間にある三体の骸骨が、なにを意味しているかを思えば、一刻もはやくここから脱出しなければならないのだ。

「誠くん、勇くん、金田一先生のおっしゃるとおりだ。とにかく早くここから脱出しよう。きみたちからおじいさんを説き伏せて、早くここから連れ出すのだ」

 竜平の言葉はおもわず早口にならざるをえなかったが、それを打ち消すように、

「いいや、わしはここを動かん」

 四郎兵衛が断固といった。

「わしは動かん、わしはここで凍え死んでもええ。松若のそばで死ねれば本望じゃ。だれが松若をこげえなことにしたんか、それがわかるまでわしはここを動かん。それにわしがここを出るときは松若も一緒じゃ。それ、平作どん、徳右衛門も嘉六も手伝うて、松若の体をおろしてつかあさい。弥之助、弥之助はどこにおるんじゃ」

 そういえば弥之助の姿はさっきから見えない。

「四郎兵衛さん」

 金田一耕助がそばから断固たる声をかけた。

「松若さんのお|亡《なき》|骸《がら》はいつでも持ち出せます。およばずながらわれわれもお手伝いいたしましょう。しかし、いまはともかくここから出ることです。あとは警察にまかせようじゃありませんか」

「警察……?」

 四郎兵衛はせせらわらって、

「警察になにができるもんけ。げんに松若がこげえなことで十九年間も、こげえなざまになっとおるのんに、警察はなにもしらなんだじゃないけ。さあ、平作どん、徳やんも、嘉六も……」

「まあ、待ってください。四郎兵衛さんはそれじゃここで、誠くんや勇くんを死なせてもいいとおっしゃるんですか」

「誠や勇が死ぬゥ……? それゃまたなぜにな。金田一先生、あんたすこうし気がおかしうおなりんさったとちがうかな」

 四郎兵衛はそのあとへ、わっはっはと豪快な|哄笑《こうしょう》をつけくわえたが、あちらの岩壁、こちらの洞窟へとこだまして、その|余《よ》|韻《いん》がまだ消えさらぬうちに、突然、地下宮殿の奥の闇から、鋭い怒号が聞こえてきた。

「動くな、動くと撃つぞ!」

   二

 一瞬シーンとした沈黙が地下宮殿を支配した。

 金田一耕助と越智竜平はおもわず両手に汗を握ったが、ほかの連中はまだ事態の切迫に気がついていない。

 四郎兵衛は中段の間に突ったったまま、

「だれじゃ、いまなにかいうたようじゃけえど、だれかほかにもこの洞窟のなかにいるのけえ」

 と、キョトキョトとあたりを見回している。

「みんな明りを消して身を伏せろ!」

 叫んだのは越智竜平だったけれど、つぎの瞬間、また闇のなかで激しい、怒りにみちた声がほえたてた。

「明りを消すな。明りを消すとメチャクチャに撃ちまくるぞ」

「吉太郎くんだね」

 金田一耕助が|闇《やみ》にむかって声をかけた。恐怖の段階を超越した妙に静かで落ち着きはらった声だった。

 かれはいままでいくたびか、生死の境を乗り超えてきたが、いまこういう状態で、この真っ暗な地下洞窟のなかで、|屍《しかばね》をさらすのかと思うと、なんとなくじぶんというものの存在が、|滑《こっ》|稽《けい》なものに思われた。

「吉太郎くん、そちらへ明りをむけてもいいかね。それでないとここにいる人たちに、あんたのいうことの意味が、よくわからんと思うんだがね。われわれはだれも武器を持ってはいない」

 吉太郎は|躊躇《ちゅうちょ》しているらしく、しばらくの沈黙があったのち、

「よし、明りをこっちへむけてみろ」

 金田一耕助が懐中電灯の光りを声するほうへさしむけた。越智竜平のあとにつづいて、誠と勇がそれにならった。四つの懐中電灯の集中砲火を浴びて、暗闇のなかに浮かび上がった吉太郎の姿を見て、まっさきに声をあげたのは四郎兵衛である。

「なんじゃ、おまえはここのお社のじいやじゃないけ。なんじゃぞい、おまえのその|服装《なり》は……?」

 じいやというのは神社や寺に、献身的な奉仕をするものをいうのであることはまえにもいっておいた。

「黙れ、じじい。それ以上つべこべぬかすとぶっ放すぞ。おめえにはおいらのこの銃がみえねえのけ」

 その一言でさすがの四郎兵衛が、いくらか|怯《ひる》んだのもむりはない。

 吉太郎はいつものとおり、上下つなぎの|鞣革《なめしがわ》のオーバーオールに身をくるんでいるが、がっしりとしたその腰には幅の広い弾帯を巻きつけ、その弾帯にはいかめしい|剣《けん》|袋《たい》がぶらさがっている。その剣袋には|阿《あ》|修《しゅ》|羅《ら》を|抉《えぐ》り殺した両刃の短剣がおさまっているのである。その吉太郎は猟銃をかまえて、いつでも射撃出来る姿勢でいる。

 |彼《ひ》|我《が》の距離一五、六メートル。吉太郎がその気になれば、そこにいる一同をみな殺しにすることは、いとも容易であろう。しかし、|頑《がん》|固《こ》一徹でまだこの場の危険性のほんとうの意味をしらない四郎兵衛は、いつまでもひるんでばかりはいなかった。

「なんじゃぞい、いつも平つくばっているじいやのくせに威張りくさって、こけおどしもええ加減にせえやい」

「お黙りなさい、四郎兵衛さん」

 たまりかねて金田一耕助がたしなめた。

「ご老人にはあの男の形相がわからないんですか。あの男はほんとうにここにいるわれわれを、みな殺しにするつもりでいるんですぞ」

 と、いいながら金田一耕助は、おのれの持っている懐中電灯の焦点を、吉太郎の顔面のまっただなかに集中した。|猿《さる》のように額の狭いその顔は、ふだんは愚鈍にしかみえないのだけれど、いまはかえってそれだけに、凶悪無残にひん曲がっている。両眼が殺気をおびて、烈々と燃えており、あざ笑うようにむき出した歯のあいだから、なまなましい血が滴り落ちそうだ。

 四郎兵衛もようやくことの容易ならぬを悟ったのか、

「金田一先生、あの男がなんじゃとて、われわれみんなを殺すとおいいんさるんで」

「われわれがこの場のいちぶしじゅうを見てしまったからですよ。おたくの息子さんの松若さんを殺して、骸骨にしてしまったのも、みんなあの男なんです。みんなあの男が犯人なんです。いいや、松若さんだけじゃない、淡路の人形遣いも、置き薬の行商人を殺したのも、みんなみんなあいつなんです。あいつが殺してこのとおり、骸骨にしてしまったんです」

「へえッー」

 と、叫んで、蝋燭を取り落としたのは徳右衛門と嘉六であった。四郎兵衛と平作はさすがに蝋燭は落とさなかったけれど、その手はいちじるしくふるえている。四郎兵衛にもそのときはじめて金田一耕助が、なぜ一刻もはやくこの洞窟から、じぶんたちを連れ出そうとしたのかその意味が、わかってきたらしいのだか、それも後の祭りというべきだろう。

「|嘘《うそ》だ……嘘だ! 金田一耕助、おまえのいうとることはみんな嘘だ。おれはだれも殺しやせん」

 吉太郎は一五、六メートル先でほえ立てた。ほえて猟銃をかまえたまま歯ぎしりした。

「へへえ、じゃ、だれが殺したんだ」

 金田一耕助はせせら笑うように、

「吉太郎くん、きみもこの|期《ご》におよんで往生際が悪いじゃないか。殺したら殺したとハッキリ|泥《どろ》を吐いたらどうかね。どうせここにいるわれわれは、みんなきみの手にかかって死んでいく身だ。|冥《めい》|途《ど》の土産とやらにほんとうのことをしりたいね」

 金田一耕助は時を稼ぎたかったのである。かれはこの凶暴な相手をまえにして、ほとんど希望を失いかけている。わずかに残る|一《いち》|縷《る》の希望は広瀬警部補にあった。警部補はいったいどうしているのであろうか。金田一耕助は警部補に一縷の希望をつなぎ、その出現までの時を稼ごうとしているのである。

 吉太郎はまんまとその手に乗ってきた。

「ようし、いってやろう、ほんとうのことを聞かせてやろう。おい、本家、いやさ、竜平、きさまそこにいるか」

「おお、竜平ならここにいるぞ」

 竜平は、持っている懐中電灯の明りをおのれの顔に差しむけて、一步まえへ踏み出した。かれは出来るだけ、相手を刺激しないように努めているつもりだけれど、それでも不敵な微笑をうかべている。

 かれはポケットの中に|拳銃《けんじゅう》を忍ばせている。しかし、それで一発のもとに、相手を仕止める自信はなかった。彼我の距離一五、六メートル。かれの所持している小型拳銃にとっては、距離があり過ぎるような気がする。もし一発のもとに仕止めそこなったら、それこそ万事休すであることを、竜平はよくわきまえている。

「本家、きさま笑うとるな」

 吉太郎はあいかわらず、猟銃をかまえたままかっとした調子である。

「いやあ、笑うてはおらんぞ。だれがこの期におよんで笑えるものか。おれもそれほど度胸はようない。だけど、吉やん、いやさ、新家の、わしになにか用け」

「おお、おまえもまものう死んでいく身だ。死んでいくまえにほんとうのことをしりたかろうが」

「知りたいな。どうせ死んでいくのなら、そのまえに、ほんとうのことをしっておきたい。吉やん、そこに祭ってある、腰のところで骨と骨とがくっついたふたごは、いったいだれが生んだ子だ」

「もちろん、巴御寮人だ」

「そうそう、巴御寮人といえばいまどこにいる」

 竜平も時を稼ぐつもりなのである。

「御寮人ならおれのうしろにいるぞ、御寮人、御寮人、ちょっくらここへ顔を出しておやりんさい」

 吉太郎はうしろを振りむかなかった。銃をかまえたまま正面切って呼ばわったが、背後に当たって応答はなかった。吉太郎の背後の闇は深沈として暗く、そこにうごめく人の気配はさらにない。

 吉太郎のいま突っ立っているところは、太郎丸、次郎丸と命名されたシャム双生児を、祭ってある龕を抱く岩壁より、少し奥まった地下洞窟の入口である。そこからまだ洞窟は|蜿《えん》|々《えん》としてつづいていて、そのさきに「星の御殿」とはまた別の入口があるらしいことに、人びとははじめて気がついていた。

「新家の、どうした、この期におよんで御寮人に逃げられたか」

「逃げられるもんか。逃げようたってあのあま、おれなしでは一日だって生きてられやあせんけの」

 口では豪語しているものの、吉太郎はいくらか自信がぐらついたようである。

「それはそうと、吉やん、あのふたごの|親父《お や じ》はだれなんだい。いやさ、巴御寮人にふたごを生ませた男というのは、いったいどこのだれなんだい。吉やん、おぬしけ」

「バカいえ、バカいえ、バカもええ加減にいえ」

 吉太郎はまた歯をむき出して、地団駄を踏んだ。

 この地底の暗闇でいま対決している本家と新家、いとこ同士で、年齢もおなじだということだが、器量風格みめかたち、その間あまりにも懸隔がありすぎる。いま竜平の死命を制し、主導権を握っているのは、あくまでも吉太郎なのだけれど、それでいてかれは落ち着きがなく、銃をかまえていながらも、その目は絶えずキョトキョトしている。

 それに反して竜平は、銃口の|狙《ねら》いをまともに胸にうけながら、|従容《しょうよう》として動じない。ひょっとするとこの男は、アメリカで成功する過程において、しばしばこういう修羅場をくぐり抜けてきたのではあるまいか。だれがみても気迫において、竜平のほうに軍配があがったろう。そして、そういう自覚を吉太郎も持っており、そこからくる劣等感がかれをいっそう|苛《いら》|立《だ》たせるのである。

「おれがあのいやらしい、おぞましいふたごの親父だと……? バカも休み休みいえ。あの体と体がくっついたふたごの親父はな、竜平、ようく聞け、おまえだ、おぬしだ、きさまなんだぞお」

 竜平はしばらく無言でいたのちに、|鯨《くじら》が潮を吹くように、フーッと深い|溜《た》め息を吐き出した。わざとガックリ肩を落として、

「そうか、そうだったのか。ひょっとすると、そうじゃないけと思うたけえど、あんまり浅ましいふたごじゃけん、まさかと思うとった……」

 竜平はいよいよ深く肩を落として、

「吉やん、死ぬまえによう聞いときたい。わしの息子たちはいったいどこで生まれたんじゃ。生年月日はいつのことじゃ。吉やん、それだけは知って死にたい」

「そうじゃろう、そうじゃろう、そいじゃ|冥《めい》|途《ど》の土産に聞かせてやろう。おぬしのあのおぞましい息子たちはな、|播州《ばんしゅう》山崎のほどちかく、|生《いぎ》|谷《だに》|川《がわ》の温泉宿で生まれたんじゃ。生年月日は昭和二十年六月二十八日、岡山市が|焼夷弾《しょういだん》爆撃をくろうて、丸焼けになったとおなじ晚に、生谷川で生まれたんじゃ。よう肝に銘じておくがええわ」

「ああ、そうか、そうするとあの体と体がくっついたふたごの息子たちは」

 と越智竜平は一句、一句、明確に区切りながら、

「昭和二十年六月二十八日、すなわち岡山市が大空襲をうけた晚、このおれ、越智竜平の子どもとして、巴御寮人の腹からうまれたんじゃの」

 越智竜平がかくも一句、一句、句切りながら明確に|復誦《ふくしょう》したのは、どこかにいるであろう、三津木五郎に聞かせてやりたかったからではあるまいか。

 しかし、吉太郎はそこまで気がつかず、

「そうじゃ、おぬしのいうとおりじゃ。まだほかに聞きたいことがあるけ」

「おお、ある、ある、あるぞな。わしはまえに高名な産婦人科の先生から聞いたことがあるが、日本でもちょくちょく、体と体のくっついたふたごが生まれることがあるけえど、それらはみんな死んで生まれるか、生きて生まれても長うは育たんいうことじゃったが、わしの子どもはどうじゃった。死んで生まれたのけ、それとも……?」

「うっふふ、竜平、よう聞いときな、おまえのあのあさましい息子たちはな、生まれたときは生きておったよ、呼吸も通うとったぞよ。それを|枕《まくら》をふたごの鼻と口に押し当てて、殺してしもうたんは……」

「おまえけ」

「バカこけ、バカいえ、バカぬかすな」

「じゃ、だれだ」

「巴御寮人よ」

 一瞬シーンとした沈黙が、この深沈たる地下宮殿を支配する。

 |紅《ぐ》|蓮《れん》|洞《どう》の地獄のような寒さがさっきから、一同の足下から|這《は》い上がっているのだけど、そこへ持ってきて吉太郎の吐いたさいごの名前が、いっそうそこにいる人たちの、全身をゆすぶりふるえあがらせるのである。

 吉太郎はいくらか声をくぐもらせて、

「御寮人もかわいそうに、あのような化物みてえなふたごを産んで、すっかり頭に血がのぼってしもうたんじゃな。そいで産婆や|錨屋《いかりや》の|旦《だん》|那《な》やこのおれが、ちょっと目をはなしているそのすきに……」

「もうええ、もうええ、それ以上は聞かいでもええ、聞きとうもない」

「そうじゃろう、そうじゃろうて。そういう罪をつくったのも、もとはといえばみんな本家、おまえじゃ、おぬしじゃ、きさまじゃぞ」

「ようわかっちょる。いまになって後悔してもはじまらんことじゃけえどな。それでふたごの死体を持ちかえって、あのように神様としてあがめ奉ったんは吉やん、おぬしけ」

「ふたごの死体をこっそり持ちかえったんは御寮人じゃけえど、ああして神様にしてやったんはこのわしじゃ。わしは昔からこの紅蓮洞をしっとったけんな」

 そのときそばから口を挟んだのは金田一耕助である。

「吉太郎さんにちょっとおうかがいいたしますけれどね」

 金田一耕助の声は落ち着き払っている。しかし、できるだけ相手を苛立たせない配慮は忘れていなかった。

「なんじゃ、なんじゃ、金田一、おぬしおれになにを聞きてえのけ」

 吉太郎のほうがどん|栗《ぐり》まなこをいからせて、不安そうにキョトキョトしている。

「ほかでもないんですが、こういうこと……つまりここに太郎丸様、次郎丸様がお祭りしてあるということを、錨屋の旦那はご存じないんですか」

「ああ、そのことけ。あのじさまはなんにも知らね。紅蓮洞の秘密をしっとるんは、おれと御寮人だけじゃけんの」

 巴がシャム兄弟を窒息死にいたらしめたことは、おそらく大膳もしっているのだろう。しかし、それはすでに二十二年も以前の出来事で、とっくに時効は過ぎている。

「それじゃもうひとつお尋ねしますが、吉太郎くんはさっき、ここにこうして飾ってある神楽太夫や置き薬の行商人、それから淡路の人形遣いを殺したのはおれじゃないとおっしゃったが、じゃだれが殺したんですか。三人もの男を……」

「御寮人よ。みんな巴御寮人がやったのよ」

「お言葉を返すようですけれどね、吉太郎くん、相手は三人とも屈強の男子でしょう、か弱い女の身で、どうしてそんなことが出来たのでしょう」

「だからさ、抱き合って転げまわっている最中の出来事よ。そんなとき男はみんな夢中になっているから、相手の下心など気がつきやしない。最初は神楽太夫だったな。そうそう、名前は松若というた。抱き合って転げまわっている最中に、舌かみ切られて死んだんだ。あれは可哀そうだったな。おれが駆け着けたときは、口のまわりを血だらけにして、そこら中をのたうちまわっていよった。あまり|惨《むごたら》しいと思うたもんじゃけん、おれがひと思いに首を絞めて殺してやった。おい、四郎兵衛じいさん、ちょうどおまえの立っているあたりの出来事よ。おまえの足下の岩の床は、たっぷりおまえの|倅《せがれ》の血を吸うとるけんな」

 四郎兵営は蝋燭持ったまま、おもわず悲鳴をあげてたじろいだ。そのあとを吉太郎の毒々しい|哄笑《こうしょう》が追いかける。|凄《せい》|然《ぜん》たる鬼気が八寒地獄の紅蓮洞のなかにみなぎり渡る。

「そうか、吉やん、それをおまえがあのように、骸骨人形に仕立てたんか」

「そういうこったな。太郎丸、次郎丸が寂しがっておいでんさるけん、なんとかお|伽《とぎ》をさせてほしいと、御寮人がいうもんじゃけんな。みんな殺してから一年以上もかかったかな」

「ほかの置き薬の行商人や淡路の人形遣いもおんなじか」

「そういうこったな。だいたい大膳じさまがまちごうとったな。御寮人はなるほど|疵《きず》|物《もの》じゃった。本家、おまえが疵物にしてしもうたんじゃぞ。それを承知で養子にくるようなもんに|碌《ろく》なやつはおらんが、よりによって|守《もり》|衛《え》のような年のちごうた、ひょろひょろ男を当てごうたんが大間違いじゃ。たとえ格式は落ちてもがっちりとした、たくましい男を当てがうべきじゃった。このおれみたいな男をな」

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