そのあとへ吉太郎はまた、毒々しい笑い声をつけ加えた。
「おれはもう全身全霊をあげて、御寮人をかわいがってやったよ。御寮人もふだんはそれで満足していたけえど、おれとおんなじようにたくましい体をした若もん、それに口弁のうまい、|垢《あか》|抜《ぬ》けした男が現われると、ついふらふらと浮気の虫が頭をもたげるんじゃな。その第一番が神楽太夫の松若じゃった」
「ああ、ちょっと待った」
竜平はすばやく|遮《さえぎ》って、
「錨屋のおじさんや守衛さんは、おぬしと御寮人の関係をしっておったのか」
「それはもうしっておったとも。そうじゃけん守衛のやつ、倉敷や玉島で好き放題に羽根を伸ばしておったのよ。錨屋のじさまもおれという虫が、御寮人についていることをしっとるもんじゃけん、いやおうなしに守衛のやつに、いたぶられておいでんさった。はれ、まあ、お気の毒に」
吉太郎はそこでまたけたたましく笑い声を立てた。
吉太郎はおのれの話に酔うているのである。酔うて世にも浅ましい物語を口にしているのだが、語っているうちにかれの精神状態が、少しずつ|平《へい》|衡《こう》を逸しつつあることを金田一耕助は感得していた。そのことがこの危険な状態を、いくらかでもよくするのか、それとも危険の速度をよりはやめるのか、そこまではわからなかったけれど。
「それで、吉やん、松若どんのつぎはだれじゃったんだ。淡路の人形遣いか、置き薬の行商人か」
竜平も吉太郎の話をできるだけ、長引かせようと試みている。吉太郎が自己陶酔におちいって、得意になってしゃべっているあいだは、みんなの生命は保証されているのである。
「うんにゃ、淡路の人形遣いより置き薬の行商人のほうがさきじゃった。あいつは御寮人にノド笛かみ裂かれて死んだんじゃった。それから淡路の人形遣いは……」
と、吉太郎はもう免疫になっているのか、血みどろな残虐物語を平然として語っていたが、さすがに途中で気がついたのか、どん栗まなこをかっといからせ、
「やい、やい、やい、ええ加減にせえ。竜平、おぬし命が惜しいばっかりに、おれに長話をさせようというのじゃろうけえど、おれももう話し飽いたわ。さ、さ、ここらで決着をつけようじゃないけ。覚悟はええな。竜平、まずおまえから血祭りにあげてやる。まえへ出え」
「おお。おれの顔をよく見て撃ちな」
と、答えて竜平は潔く二、三步前へ出て、深呼吸一番大きく胸を張り、懐中電灯の光りをおのれの顔にまともに当てた。
「おお、よい覚悟じゃ、撃つぞ!」
その言葉も終わらぬうちに、銃声が地下宮殿にとどろき渡った。銃声は一発にとどまらず、二発三発四発五発とあとにつづいた。それが地下洞窟にこだまするから、|殷《いん》|々《いん》たる銃声はしばらく耳を|聾《ろう》してとどまらなかった。それにだれかが竜平の立っているあたりの、天井を撃ったらしく、上からバラバラと花崗岩の破片が落ちてくる。
銃声とともに一瞬目を閉じた金田一耕助が、おそるおそる目を開くとこれはいったいどうしたことか、越智竜平はさっきの場所に、凝然として突っ立っており、反対に誠と勇の懐中電灯の交錯する光りのむこうに、吉太郎が|俯《うつ》|伏《ぶ》せになって倒れている。かれが抱いた猟銃の砲先からはブスブスとキナ臭い|硝煙《しょうえん》が吹き出していた。
三
この事件の一番の功労者は、なんといっても弥之助だったろう。こんど島へ来た七人の神楽太夫のうち、かれは一番のなまけ者で乱暴者で、長老たちから持てあまし者にされていた。
しかし、それだけに野次馬根性も|旺《おう》|盛《せい》で、ほかの神楽太夫たちの足が地下宮殿に|釘《くぎ》|着《づ》けになったとき、かれはさらにその奥の探検に出かけた。そこでかれはあやまって溝に落ちてしまったのである。その溝は幅二メートル、深さ三メートルくらいあったが、溝へ落ちた瞬間弥之助は、腰をしたたか打って動けなくなってしまった。もちろんかれが手にしていた蝋燭は、溝へ落ちたとたん消えていた。こんなことがわかるとまた四郎兵衛はじめ長老たちに、よってたかってつるし上げになることはわかり切っていた。自力で|這《は》い上がるつもりでまごまごしているところへ、頭上から降ってきたのが、
「動くな、動くと撃つぞ!」
と、いう吉太郎の怒号である。
それからまもなく、懐中電灯の照明のなかに浮かび上がった吉太郎の風体形相を見て、動くな、動くと撃つぞという|威《い》|嚇《かく》が、単なるこけおどしではなく、真剣らしいと思い当たって、溝の底に身をすくめていたのである。
吉太郎のほうでは|鹿《しか》を追う猟師山を見ずで、竜平たちに気をとられるあまり、すぐ足下にそういう伏兵が潜んでいるとは気がつかず、それがかれの命取りになってしまった。それにしても弥之助が、どうして|拳銃《けんじゅう》を持っていたのだろうか。
それらのことはあとまわしにするとして、吉太郎倒れるとみるや、誠と勇を先頭に立て、金田一耕助と竜平が駆け着けてきた。神楽太夫の四人もおっかなびっくりで近寄ってくる。
「弥之助兄さん、弥之助兄さん、大丈夫ですか」
「どこにも怪我はありませんか」
みんな弥之助がそこに潜んでいることをしっていたのである。それがあの緊迫した生と死の境界線に立っているあいだ、せめてもの精神的救いになっていたのだ。まさかその弥之助が拳銃を持っていようとは、思いもよらぬことであったが。
弥之助の落ち込んでいた溝はそう長くはなかった。吉太郎の突っ立っていた足下二メートルほどの長さに、突然|窪《くぼ》んでまるで落とし穴のように穴が出来ているのである。
金田一耕助と越智竜平は、弥之助のことは万事神楽太夫たちにまかせておいて、急いで溝をまわっていったが、そこでバッタリ鉢合わせしたのが、洞窟の奥からとび出してきた広瀬警部補である。警部補は右手にピストル、左手に懐中電灯を握っていた。そばには藤田刑事の顔も見え、その背後には山崎巡査と手錠でつながれた、三津木五郎の顔も見える。五郎の顔は青白く引きつっていて、その|瞳《ひとみ》は、名状すべからざる心中の動揺を物語って、|物《もの》|凄《すご》く宙にうわずっている。
その二人を押し退けるようにして、まえへとび出してきたのは荒木定吉である。
「金田一先生、うちの親父は……? うちの親父は……?」
その声は涙にしめってうわずっている。
「ああ、むこうにいらっしゃるよ。きみが見ればすぐどれがきみのお父さんかわかるだろう。きみ、懐中電灯は……? ああ、そう、じゃ、ぼくのを持っていきたまえ。しかし、いっておくがなんにも触っちゃいかんよ。みんな重大な証拠物件だからね」
荒木定吉が落とし穴を|迂《う》|回《かい》して、地下宮殿へはいっていったとき、さっきの金田一耕助たちが通ってきた洞窟から、ふたつの懐中電灯の光りがとび込んできた。
「だれか! そこへきたのは?」
広瀬警部補が鋭い声で|誰《すい》|何《か》した。
「ああ、主任さん、後藤と山野です」
「なんだ、うえの|視《み》|張《は》りはどうしたんだ」
「ちょうどええところへ西村と斎藤がやってきたもんですけん、代わりに視張りを頼んどきました。マスコミが大勢押し寄せています」
「じつは五人の神楽太夫がわれわれを袋|叩《だた》きにして、この洞窟へ潜入したので、あとを追うてきたんです」
「そのなかの一人はぼくの拳銃を持っていきましたけん、気ィつけてつかあさい」
金田一耕助はそのときはじめて弥之助が、拳銃を持っていた理由をしって微笑した。
「その神楽太夫ならみんなここにいるけん大丈夫じゃ。それよりおまえらすぐ引き返して、外の視張りを厳重にしろ。マスコミを絶対になかへ入れちゃいけんぞ」
「じゃけえど、主任さん、いまピストルの音がしたようですけえど、大丈夫ですかあ」
「大丈夫、大丈夫、マスコミにはな、あとでおれから発表するけん、夜明けまで待つようにいっとけ」
「はあ、わかりました」
ふたつの懐中電灯がすごすご引き返していくのを見送って、広瀬警部補ははじめて足下に横たわっている、吉太郎のほうに目を落とした。吉太郎は首を落とし穴に突っ込むようにして|俯《うつ》|伏《ぶ》せになって倒れている。腹に抱いた猟銃の銃口から、まだキナ臭い硝煙が吹き出している。
俯伏せになった背後には三発食らったとみえ、鞣革のオーバーオールの背中に、三か所焼け焦げが出来、血が|滲《にじ》んでいる。あきらかに事切れているようすである。
「ふうちゃん、死体をひっくり返してみい」
言下に藤田刑事が死体を仰向けにひっくり返したが、吉太郎は下腹部と左胸部のほかに|顎《あご》の下から左の耳へ貫通する銃創を帯びており、そうでなくとも醜い顔が、よりいっそう醜く変形していて、さすが物慣れた広瀬警部補や金田一耕助も、一瞬思わず顔をそむけずにはいられなかった。
「これはいったいだれが撃ったんですか」
広瀬警部補の口調にはとがめるような厳しさがある。
「この人……弥之助くんですよ」
金田一耕助は、落とし穴のむこうで恐縮している弥之助を指さしながら、
「この人、さっきの刑事さんからピストルをまきあげてきたらしい。しかし、主任さん、あんまりこの人を責めないでくださいよ。この人のおかげでわれわれ一同助かったんですからね。ほら、ごらんなさい」
金田一耕助は吉太郎の抱いている猟銃を指さしながら、
「この銃、発砲されているでしょう。この男が引き金を引く直前に、弥之助くんの撃った弾丸がこの男のどこかに命中したんですね。吉太郎はそこでよろめきのけぞった。のけぞりながら猟銃の引き金を引いた。あとでむこうの天井を調べてごらんなさい。これ、散弾銃ですからね、何発かの|弾《だん》|痕《こん》が天井にのこっているでしょう。これをまともに食らっていたら、われわれ一同全部おだぶつになっていたでしょう。この人、こんどの事件では殊勲甲ですよ。弥之助くん、もういいからそのピストル、主任さんに返しておきたまえ」