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    第二十八章 雲隠れ

作者:日-横沟正史 当前章节:15417 字 更新时间:2026-6-23 02:19

   一

 広瀬警部補は金田一耕助のアドバイスで、墓地発掘の完了後、しつこく吉太郎のあとを尾行していたのである。いっぽう藤田刑事は警部補の命令で、巴御寮人を尾行していた。尾行はこの人たちの特技である。吉太郎や御寮人が全然それに気がつかなかったのもむりはない。

 いっぽうこれも金田一耕助の要請で、広瀬警部補は駐在所に留置されている|三《み》|津《つ》|木《き》五郎と、|錨屋《いかりや》に宿泊している荒木定吉を、ひそかに|刑部《おさかべ》神社へ連れ出しておいた。金田一耕助は|紅《ぐ》|蓮《れん》|洞《どう》内の所見がじぶんの推理どおりであったら、今夜一気に決着をつけるつもりでいたのである。

 しかし、これは非常に困難なことであった。警部補の部下の刑事たちは、うまく立ちまわったつもりだったが、ことを絶対に|隠《おん》|密《みつ》|裡《り》に運ぶということは無理だった。第一に大膳がそれを|嗅《か》ぎつけた。これは嗅ぎつけないほうがおかしいだろう。大膳はすぐ近所に住む村長の|辰《たつ》|馬《ま》を|叩《たた》き起こして、刑事と定吉のあとを尾行した。

 いっぽう駐在の山崎宇一巡査も、三津木五郎を手錠で手と手をつなぎ合わせて、迎えにきた刑事と一緒に駐在所を出た。山崎巡査は三津木五郎の人柄に、深い親愛の情を感じている。だから絶対に手荒なまねはしなかったが、上司の命令とあらばやむをえない。

 刑部神社へ連行された五郎にしても定吉にしても、この深夜になにが起こるのか予測も出来なかったけれど、事件が大詰めに近づいたのではないかと、二人とも神経をピリピリさせていた。ことに五郎は人を食ったような日ごろの|寛《かん》|闊《かつ》さをうしなって、ひどく無口になっていた。

 だが、こういう捜査陣の動きを、敏感なマスコミが感知しないはずがない、みんな錨屋に宿泊していたのだから。一人が探知すればすぐそれが感染して、ほかの連中も警戒する。そのうちに留置場に山崎巡査も三津木五郎もいないとわかって、かれらはいよいよ色めき立った。

 しかし、さすがにかれらも節度をわきまえていた。ことが隠密裡に運ばれているらしいと覚ったかれらは、決して騒ぎ立てるようなことはしなかった。ただ黙々として地蔵坂を登り、地蔵峠を越えて刑部神社の境内に集合していた。だれひとり五郎や定吉、山崎巡査に話しかけようとするものはなかったし、カメラをむける人物もいなかった。

 生き馬の目を抜くというマスコミも、捜査陣の出方によっては協力を惜しまないものである。そういう意味で、その夜の広瀬警部補のとった措置は、まことに時宜をえていたというべきであろう。

 藤田刑事は巴御寮人のあとを尾行して、薬師岩へ|辿《たど》りついた。かれは墓掘り作業が失敗におわったのち、はじめて警部補からその作業の真の意味をしらされた。そしてその作業がこの事件解決に、いかに重大な意義を持っているかを説き聞かされた。

 じぶんの言い出したことからはじまった墓掘り作業が、まんまと失敗に終わったとき、この正直な刑事はすっかり意気消沈していたが、それが決して|無《む》|駄《だ》な努力でなかったことを、警部補から聞かされて勇気百倍、それだけに改めて仰せつかった巴御寮人の尾行には、間然するところがなかった。

 さて、薬師岩のお|籠《こも》り堂まで御寮人を追いつめたものの、さてそれからさきどうしてよいのか、藤田刑事は途方に暮れた。巴御寮人から絶対に、目をはなしてはならぬと仰せつかったものの、それからさきはなにも命令されていなかった。

 藤田刑事はお薬師さんの舞台の下の巨石のうえに身を沈めて、これからさきいかにすべきかと|狐疑逡巡《こぎしゅんじゅん》していたが、そのうちにハッと胸をとどろかすような事実を目撃した。

 |鋸山《のこぎりやま》の中腹を縫う|岨《そば》|道《みち》を、ひと筋の光が明滅しながら、こちらへ近づいてくるのを認めたからである。

 その光りは|点《つ》いたり消えたりしていたが、その進行速度のはやさから、よほどの岨道の案内に詳しいものであることが想像され、しかもその岨道が、薬師岩へ通じていることを知っている藤田刑事は、すわとばかりに巨石のうえで身を固くした。

 やがて岨道をつたってだれかが舞台へ降りてきた。そいつの持っている懐中電灯の反射で、それが吉太郎であり、しかも全身武装しているのみならず、猟銃をひっさげているのを目撃して、藤田刑事はあなやとばかり拳銃の柄を握りしめた。吉太郎という男がいっけん無知で愚鈍にみえるけれど、いざとなるといかに凶暴な男であるか、|阿《あ》|修《しゅ》|羅《ら》の一件で、藤田刑事はいやというほどしっている。

 吉太郎の足音を聞いて、お籠り堂のなかからとび出してきた巴御寮人は、しばらくそこで立ち話をしていたが、まもなくふたりは連れ立って、お籠り堂のなかへはいっていった。お籠り堂のなかでなにをしているのか、しばらくシーンと静まり返っていたが、やがてなにかを取りこわすのか、ひっくり返すのか、ガタガタ音がしていたが、それもいっとき、その物音がやんだかと思うと、あとは真夜中の静寂にもどって、あたりは|闃《げき》として声もない。

 三分、五分、七分。……

 藤田刑事はしばらく呼吸をはかっていたが、やがて巨石から立ちあがって、舞台のうえに這いあがると、おそるおそるお籠り堂のなかを|覗《のぞ》いた。お籠り堂のなかはそう深くはないのだけれど、そこには人影はさらになかった。巴御寮人はおろか吉太郎の姿もみえなかった。

 この刑部島の地下には大きな|洞《どう》|窟《くつ》があり、金田一先生はその入口を発見して、そこへ潜り込んだらしいことは、さっき広瀬警部補から聞かされたばかりだけれど、その入口は千畳敷きのほうにあると聞いている。しかし、いまここへはいっていった巴御寮人と吉太郎の姿が、げんにこうして|忽《こつ》|然《ぜん》と消えているところをみると、ここにも秘密の入口があるのではあるまいか。

 藤田刑事は思案にあまった。じぶんでその入口を探ってみようかと思ったが、すぐ思いなおして上司の到着を待つことにした。その広瀬警部補がお薬師さんの舞台へ辿り着いたのは、吉太郎より遅れること十分ほどであった。

 この尾行がいかに困難を極めたかは、警部補の服装を見ればすぐわかる。あちこちで滑ったり転んだりしたとみえ、警部補の服はどろまみれになっており、あまつさえ顔や手脚にかすり傷さえおびていた。きのうからきょうへかけての集中豪雨で、鋸山や|兜山《かぶとやま》、さらに|隠《おん》|亡《ぼう》|谷《だに》の隠れ道の、いたるところに|崖《がけ》|崩《くず》れや、土砂崩れが生じていることはまえにもいっておいた。

 吉太郎は勝手しった岨道であるうえに、懐中電灯を持っているので、土砂崩れや崖崩れを避けることが出来たであろうが、広瀬警部補はそうはいかなかった。被尾行者に感づかれることを恐れるあまり、懐中電灯を|点《つ》けることさえ出来ないのだ。

 おまけにその日は旧暦の六月二日である。集中豪雨はおさまって、空は晴れても月の光りは当てにはならなかった。わずかな星明りと、刑事として訓練されたカンだけが頼りだった。

 警部補はてみじかに藤田刑事から話を聞いていたが、

「なに、巴御寮人が吉太郎に、みんなみんな撃ち殺してしまえ、みな殺しにしてしまえといったのか」

「はい、そこだけはあの女、ヒステリックになっていたんで聞きとれたんですけえど」

「そして、このお籠り堂の奥に洞窟への入口があるというんだな」

「そうとしか思えません。はいったきり出て来なかったんですけん」

「よし、探そう」

 それとわかって探すぶんには、その発見がわりに容易であることは、「星の御殿」における金田一耕助と同様だった。まもなく天の岩戸らしき岩石を探り当てると、広瀬警部補は急に刑事を振り返り、

「ふうちゃん、きみすまんがひとっ走り、刑部神社までいってきてくれないか」

「刑部神社になにかありますか」

「三津木五郎や荒木定吉が来ているはずだ。ひょっとすると大膳や村長もきとおるかもしれん。みんなここへ連れて来い」

「連れてきてどうおしんさるんで?」

「一緒に洞窟のなかへ連れていくんだ。金田一先生は今夜いっさいがっさい、決着をつけるつもりでおいでんさるようじゃ。おれもそれがええように思う。ただ……」

「ただ……?」

「マスコミが張り込んどると思うけえど、きゃつらと紳士協定を結んでこい」

「紳士協定とおいいんさると……?」

「事件が解決すれば一刻も早く真相を発表する。必要に応じては写真も撮らせる。その代わり、今夜われわれのとろうとしている行動を、絶対に妨害しないように。こちらも信義を守るけん、諸君も信義を守ってほしいと訴えるんじゃ」

「承知しました」

 まもなく藤田刑事が一同を連れて引き返してきたとき、天の岩戸は開いていた。案の定警部補が指名した人物のほか、マスコミが大勢ついてきていた。警部補はもう一度マスコミに信義を訴えたのち、二人の刑事に視張りを命じておいて、山崎巡査と手錠でつながれた三津木五郎、荒木定吉のほかに大膳と村長をつれて洞窟のなかに潜入したのである。

 あとから思えば警部補のとったこの英断は、非常な劇的効果をもたらせた。

 なぜならばあの地下宮殿の入口で、吉太郎のわめいた一言一句は、ことごとく三津木五郎や荒木定吉、さては大膳や辰馬の耳につつ抜けになっていたのだから。それはだれの説明や解説よりも、何倍もの説得力をもって、聞くものの|肺《はい》|腑《ふ》を|抉《えぐ》り、心魂に徹したことだろう。

   二

 吉太郎が|斃《たお》れ、さしも残虐を極めたこの一連の殺人事件に終止符が打たれたあと、一同は落とし穴をまわって、地下宮殿へはいることを許された。

 数多くの懐中電灯や、百目|蝋《ろう》|燭《そく》の光りに照らし出されて、地下宮殿のなかはいまやすっかり明るくなっている。

 金田一耕助の説明で、|異形《いぎょう》のかずかずを見学してまわった広瀬警部補は、肝をつぶして言葉もなかった。むりはない。そこには想像を絶した怪奇と妖異が、まっくろな翼を広げていたのだから。およそ世界犯罪史上でも、これほどグロテスクな事件は、空前絶後であろうと後にいわれたものが|麗《れい》|々《れい》しくそこに展示されているのである。

 ひと足さきに地下宮殿へはいることを許された荒木定吉は、変わり果てた父の遺体のそばで泣きくずれていた。誠や勇とてもおなじ思いである。かれらもまた改めて、|素戔嗚《すさのお》を舞っている父の|遺《い》|骸《がい》にむかって泣きむせんだ。

 山崎巡査と手錠でつながれた三津木五郎は、まるで放心状態である。

 吉太郎の憎悪にみちたわめき声は、洞窟内のあちらの壁、こちらの壁へと反響しながら、|殷《いん》|々《いん》としてかれの耳にもとどいたのである。

 昭和二十年六月二十八日、越智竜平を父として、巴御寮人の腹から生まれたのは、そこに|祭《まつ》ってあるあのいまわしきシャム兄弟であるという。するとじぶんを生んだのはどこのどういう女性なのか。そして父はいったいだれなのか。

 ここにおいて三津木五郎は、いままで描きつづけてきた美しき楼閣が、音を立ててくずれていくのを覚えずにはいられなかった。しかもいままで母と信じて疑わなかったあの美しきひとが、世にも|忌《いま》わしき殺人鬼、|稀《き》|代《だい》の悪女であったろうとは!

 この人たちにもまして強烈なショックを受けたのは、大膳と村長であったろう。じぶんたちのお|膝《ひざ》|下《もと》で、しかも二十年以上の長きにわたって、かくも残虐無類の犯罪が、演じつづけられていようとは。いまにして思いかえせば、いろいろ思い当たるふしもあったろう。それだけに二人のうけた良心の|呵責《かしゃく》も深刻だったにちがいない。

 ことに大膳は年が年だけに、受けたショックは甚大だったにちがいない。

「村長、村長、わしをここから連れ出してつかあさい。わしはもうこんなところにはいとうもない。わしはもうあの|娘《こ》の顔を見るのもいやじゃ」

 久しきにわたって、刑部島の最高主権者として君臨してきたこの老人も、打ちつづく妖異、怪事のその大団円が、この一大グロテスクである。この老人の持ちつづけてきたプライドは、根底から崩れおちて、立っているさえ困難らしく、わなわな体をふるわせながら、|足《あし》|萎《な》えにも似た状態だった。

 村長の肩につかまりながら大膳が、よろよろと地下宮殿から姿を消していったあと、急に話題となって吹きあがってきたのが、巴御寮人のことである。いま大膳が|呟《つぶや》いたあの|娘《こ》とは、巴御寮人のことであろう。その巴御寮人はどこへいったのであろうか。

 そこで改めて紅蓮洞の内部は、隅から隅まで捜索された。捜索してみて人々は、いまさらのようにこの地下洞窟のスケールの大きさに、驚嘆せずにはいられなかった。そこにはいたるところに|袋小路《ふくろこうじ》があり、網の目のように交錯した洞窟があり、うっかりするとおなじ場所を、堂々めぐりをするような、危険な場所も何か所かあった。

 それでも広瀬警部補指導のもとに、可能な限り大捜索はつづけられたが、ついにその朝は巴御寮人の姿を発見することはできなかった。

 藤田刑事は御寮人がお籠り堂のなかへはいったまま、出て来なかったと主張している。吉太郎もあの悪業のかずかずをわめき立てているとき、御寮人が背後にいるものと、信じて疑わぬふうであった。それにもかかわらずその朝の大捜索では、御寮人の姿は発見できずに終わった。

 もう夜は明けていた。

 千畳敷きと薬師岩にある紅蓮洞のふたつの入口の外では、マスコミの連中がそろそろ騒ぎはじめていた。かれらも聞いているのである。数発の拳銃の音と暴発した散弾銃の|轟《ごう》|音《おん》を。かれらはみんな色めき立って、洞窟のなかへはいりたがったが、|視《み》|張《は》りに立った刑事が|頑《がん》として許さなかった。もしかれらのなかに暴力をふるうものありとせば、発砲も辞せじという面構えであった。ここらは広瀬警部補の訓練が、よくいきとどいているというべきであったろう。

 発砲の音がきこえてから三十分ほどして大膳が、村長に抱きかかえられるようにして、お籠り堂のほうへ出てきた。かれらはもちろんマスコミの包囲攻撃をうけたが、ふたりとも口をきく心境ではなかった。

「きょうといことじゃ、恐ろしいことじゃ。この島には悪霊がとりついとるとみえる」

 村長が放心したように呟くのを聞き、大膳をいたわりながら立ち去るのを見て、マスコミの好奇心はいよいよ|沸《ふっ》|騰《とう》していた。

 広瀬警部補が出てきたのは、それからまた三十分ほどのちのことだったが、背後に金田一耕助に越智竜平、それにふたりに左右から、抱きかかえられるようにして、行方不明を伝えられた|真《ま》|帆《ほ》、さらにその背後から七人の|神楽《か ぐ ら》|太《だ》|夫《ゆう》が出てきたのには、マスコミの連中も目を視張らずにはいられなかった。三津木五郎と荒木定吉が、洞窟のなかへはいっていったことはみんなしっているのである。

 広瀬警部補はマスコミの機先を制して発言した。

「いま六時だな。じゃ八時に刑部神社の社務所で記者会見をする。それまでに飯でも食っておきたまえ。洞窟内の写真も撮らせるけえど、それにはわれわれの規制にしたごうてもらわねばならん。抜け駆けは絶対に許さん。この洞窟のなかは|八《や》|幡《わた》の|藪《やぶ》|知《し》らずみたいになっとるけん、ひとりでは非常に危険じゃということを、念のためにいうとこう」

 約束は履行された。

 さすが物に動ぜぬマスコミの諸君も、広瀬警部補の口から、二十年にわたる犯罪のかずかずを聞かされたとき、文字どおり驚倒せずにはいられなかった。質問が矢のように飛び交い、ノートにペンを走らせる音が騒がしかった。

 鑑識の手によって入念に、現場写真が撮影されたあと、警察の厳重な規制のもとに地下宮殿が開放された。カメラマンの|焚《た》くフラッシュで、あの真っ暗な地下宮殿が、いちじ真昼のように明るくなったということである。これらの写真の一部はテレビや新聞で報道されて、日本全国の人びとをふるえあがらせると同時に、深い嫌悪感を抱かせたということだが、それは後日の話である。

   三

 十一時には磯川警部が帰ってきた。

 |新《しん》|在《ざい》|家《け》のほとりにある留置場で、広瀬警部補から昨夜の冒険のいちぶしじゅうを聞かされたとき、さすがに警部も顔色を変えたが、それは金田一耕助たちの生命が九死の危険にさらされたという事実に対してであって、地下宮殿に展示されている白骨死体については、それほどの驚きは示さなかった。おりにふれて、金田一耕助から暗示をうけていたからである。

 磯川警部の岡山みやげはふたつあった。そのひとつは刑部大膳の財産調べであったが、以前は岡山市内や倉敷市内に、そこここ広大な地所家作を持っていた大膳だが、この二十年来つぎからつぎへと処分されて、いまやその財政は|危《き》|殆《たい》に|瀕《ひん》しているという事実であった。その原因の一は、浅井はるに|脅迫《きょうはく》されていたらしいのだが、それよりもさらに大きな原因は、|守《もり》|衛《え》の浪費癖によるものらしく、こういう状態がもう一年もつづけば、錨屋は完全に破産したであろうということである。

 磯川警部の岡山みやげの第二は、捜査願いを調査した結果、淡路の人形遣いの|身《み》|許《もと》が判明したことである。名前は|山《やま》|城《しろ》|太《た》|市《いち》といって蒸発した昭和三十六年当時三十六歳、身長は一六八センチ、体重は七五キロあり、ちょっとお相撲さんを思わせる体格だったというから、巴御寮人好みであったろう。さいわい警部は住所のほかに電話番号も控えていたので、広瀬警部補の手によって、さっそく連絡がとられたことはいうまでもない。

 正午過ぎになって大膳から、金田一耕助のもとへ使いが来た。三津木五郎を連れてきてほしい。言っておきたいことがあるという使者の口上であった。金田一耕助には思い当たるところがあった。五郎にもなにか心当たりがあるらしかった。金田一耕助は磯川警部や広瀬警部補の了解をえて、三津木五郎を錨屋へ連れていった。

 大膳は奥のひと間に|臥《ふし》|所《ど》を敷いてそのなかにいた。もういまの大膳はついこのあいだまでのあの尊大な大膳ではない。打ちひしがれて、老いさらばえた哀れな一人の老人でしかなかった。かれはじぶんの無礼を謝しながら、お島さんの手伝いでやっと臥所のうえに起き直ると、金田一耕助と三津木五郎を|枕下《まくらもと》に|坐《すわ》らせ、お島さんをその場から立ち去らせた。

「金田一先生は……」

 と、大膳は吐く息さえ苦しそうであった。

「わしがこれからいおうとしていることを、だいたいしっておいでんさるんじゃないけ」

「見当はついております。そのことは三津木五郎くんにとってもおなじだと思います」

「どういうことかな」

「ご老人はここにいる五郎くんの、ほんとのご両親をご存じなんですね。それをいまここでおっしゃろうとしていらっしゃるんでしょう。三津木くんもそれを期待しています」

 三津木五郎は口をきっと結んだまま、顔色ひとつ変えなかった。この青年の心はかたく閉ざされて、もう何事も信じまいという決意を、固く胸に抱いているように思われた。

 しかし、大膳はそこまでは気がつかず、

「そうかな、ああ、そうじゃろう。三津木さんはこの宿へきた時分、さかんにカマをかけてわしに聞いておいでんさったけんな。あんたの育てのお母さんは、結婚してから十年以上もなるのに子どもがなかった。夫婦ともえろう子どもを欲しがっておいでんさった。そこで|下《しも》|妻《つま》あきちゅう産婆に頼んで、どこかに要らぬ子があったら、世話してほしいということになっとったんじゃな。いっぽうこの島では巴が身ごもったもんじゃけん、ひそかに神戸から産婆を呼んできたところが、それが下妻あきだったというわけじゃな。巴はやはり妊娠じゃという。刑部の一族にとっては生まれては困る子どもじゃった。そこでどこかに子どもを引き取ってくれる夫婦はないかと相談を持ちかけたところ、下妻あきにとっては渡りに舟だったというわけじゃな」

 そこで大膳はしばらく枕に顔を伏せていたが、やがて弱々しくそれをあげると、

「子どもを欲しがっとるおなごはんは、|播州《ばんしゅう》山崎に住んでござった。そこですぐその近くの|生《いぎ》|谷《だに》|川《がわ》の温泉宿へ、疎開と称してわしは巴をつれていった。吉太郎をつれていったんは、なにかにつけての用心棒というわけじゃな。ところが月満ちて巴が産気づいたのはええが、産まれた子どもは腰のところで体のくっついたふたごじゃった。わしもおったまげたけえど、それにもまして仰天したのは当の産婦の巴じゃった。血が頭に逆上したんじゃな。わしらの|隙《すき》を見て、あろうことかあろまいことか、|枕《まくら》でふたごを押し殺してしもうた」

 そこらの話は三津木五郎も、さっきの吉太郎の告白ですでにしっているところである。五郎のしりたいのはじぶんのほんとうの両親だろうが、かれの顔にはそんなこと、もうどうでもいいといわぬばかりのふてぶてしさがあった。

「ところがあんたの育ての母の三津木貞子さんは、そのときすでに温泉宿へきておいでんさった。赤ん坊の産ぶ声をきいて早く早くとせき立てんさる。困ったのは産婆の下妻あきじゃが、ちょうどさいわい……と、いうては失礼じゃけえど、おなじ宿の離れにもう一人、妊婦がきておいでんさった。名前は磯川糸子さんちゅうて、旦那さんは三津木さんのご主人とおんなじで出征中じゃったそうなが、職業は岡山県警の警部さんじゃったということじゃ」

 ここにおいて三津木五郎の目はとつぜん大きく|視《み》|開《ひら》かれたが、すぐその|口《くち》|許《もと》にはあざ笑うような、とげとげしい微笑がひろがった。

「その磯川糸子さんが巴とおなじころに産気づいて、そこで生まれたのが五郎はん、あんたじゃ。それを産婆の下妻あきがドサクサまぎれに三津木貞子さんに渡してしもうたんじゃな。そうじゃった。岡山市が警戒警報も空襲警報もなしに、|完《かん》|膚《ぷ》なきまでにやっつけられた、昭和二十年六月二十八日の夜のことじゃった」

 そこまで語ると大膳は疲れ果てたように、縦にした枕に頭を押し当てて、肩で大きく呼吸をしている。金田一耕助はふとこの人も、もうさきは長うないなと、そぞろ|惻《そく》|隠《いん》の情を催した。しかし、聞くべきことは聞いておかねばならぬ。

「お疲れのところを恐縮ですが、巴さんや吉太郎さんは、磯川糸子さんの生んだ赤ん坊が、ふたごの兄弟の身代わりにされたということを、ご存じだったでしょうか」

「いいや、それはしるまい。山崎のほうの話は、ご破算にしてもろうたというといたけんな。あいつらは三津木という|苗字《みょうじ》もしらんはずじゃ。それをしっとるのんは、わしと産婆の下妻あきだけじゃった」

「産婆のその後の消息はご存じじゃありませんか」

「あいつは悪いやつじゃった。戦後浅井はると名前をかえて、|下《しも》|津《つ》|井《い》で|加《か》|持《じ》|祈《き》|祷《とう》のようなことをやっとったけえど、わしはあの女になんぼゆすられたことか……」

「その浅井はるならごく最近、下津井の祈祷所で、絞殺されたということですが……」

「そのことならわしも新聞で読んだ」

「犯人はだれだと思いますか」

「吉太郎じゃ、吉太郎にきまっとる。あいつはおチョロ舟を持っとるし、よう夜釣りをしとったけん、いつでもこっそり下津井へ渡れたにちがいない」

 金田一耕助もしごく同感だったけれど、いまとなっては、証拠をあげることはむつかしい。

 それからまもなく金田一耕助は、三津木五郎を引き連れて、駐在所へかえってきたが、そこには磯川警部がただ一人、|勃《ぼつ》|然《ぜん》として待っていた。広瀬警部補や山崎巡査は、午後の便で本土から着いた大勢の捜査陣といっしょに、紅蓮洞捜索に出向いていた。

 五郎は警部のほうへちらっと目をむけたが、すぐ顔をそむけて留置所のほうへいこうとする。金田一耕助がそれを呼びとめた。

「三津木くん、きみ留置場へいくならいくでいいが、なかでゆっくりこれを読んでみたまえ」

 五郎が手渡されたのは一通の封筒である。表を見ると、

「岡山県警察本部磯川常次郎様」

 とあり、裏を返すと、

「下津井にて、浅井はる」

 五郎はハッとしたらしかったけれど、その封筒を持って無言のまま、奥の留置場へはいっていった。

 金田一耕助がポツンといった。

「錨屋の旦那が告白しました。あの若者のほんとうの父はだれかって」

「ああ、うう」

「あなたはどうしてあの青年が、わが子にちがいないという確信を持たれたんですか。なにか|容《よう》|貌《ぼう》体格に特異な特徴でも……?」

「糸子が八重歯でしたけん……それによう似とおります」

 警部はただそれだけであとはなにもいおうとしなかった。虚空を|視《み》すえた両眼は、うっすら涙ぐんでいるようである。金田一耕助も気の毒でそれ以上は言葉もなく、手持ち|無《ぶ》|沙《さ》|汰《た》で控えていたが、そこへおりよく山崎巡査がかえってきた。

 そこであとは山崎巡査にまかせておいて、金田一耕助は磯川警部とともに地蔵坂を登って、薬師岩へ出向いていった。お|籠《こも》り堂の周囲には、相変わらずマスコミが大勢群がっている。

   四

 広瀬警部補のこんどの洞窟捜索は、じつに大がかりなもので、本土から駆け着けてきた捜査陣は、携帯用の強力投光器をたくさん用意しており、捜査員はみんなめいめい投光器づきのヘルメットをかぶっていた。おかげで紅蓮洞の内部は、真昼のような明るさを示していたが、そのなかに赤、青、黄色、さては白色の糸が縦横に張りめぐらされているのはこの迷路のような複雑多岐な洞窟の、危険度を示すものであった。

 この道標のおかげで金田一耕助と磯川警部は、なんの間違いもなく地下宮殿へ到達することが出来た。案内に立ったのは藤田刑事である。

 地下宮殿はいまや昼をも|欺《あざむ》く明るさである。磯川警部がそこでなにを見、またどういう感懐を持ったかというようなことは、くだくだしくなるから省略することにしよう。そこで磯川警部は広瀬警部補に|出《で》|遭《あ》った。

「求める女はまだ見つからんそうだね」

「あのあま、どこに潜っていやあがるのか……じゃけえどいまにきっと見つけてみせますよ」

 警部補はいかにも悔しそうな口ぶりである。

「どこかわれわれのしらぬ出入口があって、そこからこっそり抜け出したんじゃないか」

「それなら島のもんの目につくはずです。いまやあの女がどういう女か、島中しれわたっとりますけんな、だあれもあの女を、かくまい立てするもんはおらんはずです」

 そこへ千畳敷きのほうから越智竜平がやってきた。竜平はけさと同じようにピッタリ身にくいいるような黒い防水服を着て、手にこれまた真っ黒な皮の手袋をはめている。その手袋の左手の薬指のところが、ちょっぴり裂けているので金田一耕助が尋ねると、

「なあに、そこの岩角で引っかけたんですよ」

 と、こともなげにいってから、

「やあ、磯川さん、お帰りですか」

 竜平は白い歯を出して|挨《あい》|拶《さつ》した。

「いや、肝心のときに留守をして、面目ないと思うとります」

「いや、その代わり広瀬くんがようおやりんさった。持つべきものはよい下僚ですな」

 一件落着したせいか竜平はご|機《き》|嫌《げん》であった。

 結局その日の捜索は徒労に帰して、巴の消息はついにつかめなかった。

 日暮れごろ金田一耕助と磯川警部、広瀬警部補の三人が新在家の駐在所へかえってくると、山崎巡査が待ちかまえていたように出迎えた。

「警部さん、奥の若いもんが警部さんに、なにか申し上げることがあるというて、さっきから待っとおりますけえど」

 警部はちらっと金田一耕助のほうに目をやったのち、

「ああ、そう、ではすぐこちらへ連れて来たまえ」

 デスクをあいだに挟んで磯川警部と対座したとき、五郎はだれにともなく深々とこうべを垂れた。

「すみませんでした。|神《かん》|主《ぬし》を殺したのはぼくです」

「なに、きみが神主を殺したあ」

 爆発するような声をあげたのは、磯川警部ではなくて広瀬警部補であった。

「よし、それじゃ聞こう、そのときの情況を出来るだけ詳しく話してみたまえ」

 それについて五郎が語ったところによるとこうである。

 あの火事の最中に五郎は社務所の玄関から、巴御寮人がとび出してくるのを目撃した。御寮人はできるだけさりげなく振る舞っているようだったが、息使いの乱れがかえって五郎の疑惑を招いた。そこで社務所のなかへ忍び込み、拝殿のほうへいってみると、内陣のなかに神主が|俯《うつ》|伏《ぶ》せに倒れており、黄金の矢が背中に突っ立っていた。そこで神主の体を抱きおこし、拝殿の格子にもたらせておいて、ひと突き、ふた突き、三突き、黄金の矢を刺し込んで、|串《くし》|刺《ざ》しにしたのはじぶんであると五郎は語った。

「なんのためにきみはそんなバカなまねをしたんだ」

 これも広瀬警部補の発言だったが、その声は妙にやさしかった。

「わかりません。ぼくすっかり頭が混乱してたもんですから」

「わからんはずはないでしょう」

 と、金田一耕助がそばから言葉を添えた。その声は優しさと|憐《れん》|愍《びん》にみちていた。

「きみはあの婦人をじぶんの母だと信じ込んでいた。だからあのひとを救うために、女では遂行できない犯罪だとカモフラージュするつもりだったんだろう」

「すみません。しかしぼくはそのことについて、あとでとても後悔したんです」

「それ、どういうこと……?」

「五日の晚の大雷雨の最中、ぼくと荒木くんとが一本松のところで、|蓑《みの》と|笠《かさ》の人物が、隠亡谷のほうへ降りていくのを見たと申し上げましたね」

「それは聞いた」

「あのときぼく顔は見なかった、男か女かもわからなかったといいましたが、それは|嘘《うそ》です。荒木くんは見なかったかもしれませんが、ぼくは見たんです。一瞬の稲妻の|光《こう》|芒《ぼう》のなかで……」

「あの婦人だったんだね」

「はい、それも非常に狂暴な表情でした。筆にも言葉にも尽しがたいほど……」

 そこで五郎ははげしく身ぶるいをした。

「しかし、そのときはあのひとがなんのために、隠亡谷へ降りていったのかわからなかったので、荒木くんにも黙っていたんです。ところが七日の朝になって、片帆ちゃんが隠亡谷の隠れ道で、絞め殺されているとしったとき、ぼくは内心ふるえあがりました。あのひとがやったんじゃないか。と、するとあのひとがぼくの真実の母としても、じぶんは間違った人格、殺人鬼性を持った人物を、かばい立てしようとしているんじゃないかと、ずいぶん悩みました。たいへん身勝手な悩みですけれど」

 五郎は粛然としてこうべを垂れた。

 そこにしばらく味の濃い沈黙の時が流れたが、|咳《しわぶき》一番、その沈黙を破ったのは広瀬警部補である。

「三津木くん、きみはいま神主を殺したといったね。しかし、いまの話を聞いてると、きみは殺人の罪を犯したことにはなりやせん。われわれが絶対に信頼をおいている、法医学の先生の解剖所見によると、被害者は最初の一撃で絶命したろうといわれている。法廷でもその先生はそう証言してくださるだろう。きみのやったのは死体損壊というやつだ。きみはその裁きだけは受けねばならんだろう」

「しかし、たぶんに情状は酌量されるでしょうね」

 金田一耕助がボツリとそばから補足した。

 事実三津木五郎は死体損壊の罪で起訴された。裁判の結果三年の刑が申し渡されたが、執行猶予が二年であった。|身《み》|許《もと》引き受け人は神戸から来た三新証券の|新田穣一《にったじょういち》氏であった。その新田氏に五郎の身柄を、預けてほしいと申し出たのは越智竜平である。越智商事は神戸に支社を作ることになっており、刑部島の事業もそのまま推進、ますます拡大をはかる計画だったので、これらの地方の事情に精通している人物が必要だったのである。

 新田氏は磯川警部と相談のうえ、それを了としたが、これはのちの話である。

 すべての告白が終わったのち、広瀬警部補や金田一耕助から激励されたので、五郎もいくらか気が軽くなったのか、さっきからみるとよほど晴ればれとした顔で立ちあがったが、ふと思い出したように、

「金田一先生、ありがとうございました。これ……」

 ポケットから取り出したのはさっきの封筒である。

「ああ、そう」

 金田一耕助はなにげなく手を出しかけたが、すぐ思いなおしたように、

「それはきみからほんとうの所有者に、お返しするほうがいいだろう」

 五郎はちょっと|躊躇《ちゅうちょ》したのちに、

「警部さん、ありがとうございました」

「ああ、そう」

 磯川警部は受け取ると、あわててポケットヘねじこんだ。それはまことに|呆《あっ》|気《け》ないシーンであった。

 芝居でするとよくこういう場合、

「父上様……」

「|倅《せがれ》であったか」

 などという愁嘆場があるものだが、現実にはなかなかそうはいかないものである。父として子として愛情が通い合うまでには、そうとう時日を要することだろう。しかし、五郎の態度にさきほどまでのふてくされや、とげとげしさがなくなっていることは、だれもが認めるところであった。

 金田一耕助はほのぼのと心温まるものを覚えていた。

 紅蓮洞の大捜索は三日にわたって続行された。この捜索には金田一耕助も連日参加していたが、かれのそばには必ず越智竜平がつきそっていた。捜査陣の科学的な大捜索が|進捗《しんちょく》し、この広大にして複雑怪奇な洞窟の全容がしだいに明るみに出るにつれて、越智竜平はご機嫌だった。大膳倒れ、いまや完全に刑部島の主権者にのしあがった竜平の|脳《のう》|裡《り》には、はやくも紅蓮洞観光協会設立のプランが、芽生えつつあったのかもしれない。

 洞窟の外部は外部で、若い者によって組織された消防団員が、警官たちと合流して、島中シラミ|潰《つぶ》しの捜査に従事し、鋸山や兜山の山狩りが徹底的におこなわれた。そういう場合いつも先頭に立っているのが松蔵であった。

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