越智竜平の要請で帰省していた人びとのうち、大半は七日の午後か、八日の午前の便で島を離れていったが、なかには松蔵のごとく島に踏みとどまっているものも少なくない。だれしも故郷忘じがたしで、生まれ故郷でたつきの途がえられるならば、なにを好んで郷里を捨てよう。ことに中年以上の男女に望郷の思いは強く、松蔵などもその筆頭であったろう。かれは本家からなにか重要ポストを約束されているらしく、村の捜索、山狩りにも、人一倍の熱意をおしまなかった。
しかし、こういう入念な大捜索にもかかわらず、巴御寮人の姿はついに発見できなかった。そのうちになんらかの方法で洞窟を抜け出した御寮人は、絶望のあまり海中に身を投じたのではないかと説をなすものがあり、刑部島周辺の海上は|隈《くま》なく捜索された。
そして、一枚の|櫛《くし》がとうとう発見された。その櫛には二つ巴の|蒔《まき》|絵《え》が施されてあり、巴御寮人のものであることが確認された。その櫛は|落《おち》|人《うど》の|淵《ふち》に漂うており、そこで千畳敷きを調査したところ、あの七人塚のほとりに、たしかに最近だれかが滑り落ちたらしい形跡が認められた。そこは偶然、青木修三の死体が投げ落とされたとおなじ場所であった。
かくて巴御寮人は|入《じゅ》|水《すい》したのであろうと断定され、水上警察の手によって、周辺の海はいまも捜索をつづけられている。しかし、金田一耕助が島を去る前日にいたっても、御寮人の遺体は発見されていなかった。
巴御寮人はどうやら島から蒸発したらしいのだが、蒸発とは雲隠れと同義語である。
エピローグ
二週間の滞在を終えて金田一耕助が、島を離れたのは昭和四十二年七月十四日のことだったが、そのまえの夜かれは越智竜平の招待で会食した。
竜平は島の新しい経営について意気|軒《けん》|昂《こう》だったが、話がたまたまこんどの事件に及ぶと声を落として、
「それにしても、金田一先生、あの火事騒ぎはどうしたんです。失火だったんだすか。放火だったんですか」
金田一耕助はしばらく考えていたのちに、
「あれはどうとも考えられますが、私はどちらかといえば失火説をとりたいですね。ただ火事騒ぎの最中に神主殺しが演じられたので、あの火事が非常に重大なものとして浮かびあがってきたんですが、私はただ犯人が巧みにあの騒ぎを利用しただけで、そこに計画性があったとは思えない。あの晚|神輿《み こ し》を取り巻いて、たいまつをかざした人たちが大勢右往左往してましたからね。そのひとつが|幔《まん》|幕《まく》に燃え移ったんじゃないですか。しかし、もし一步譲って放火とすると……」
「放火とすると……?」
「犯人は吉太郎くんでしょうね」
「新家がなぜ? 御寮人とあらかじめ示し合わせて……?」
「いや、それはなかったと思いますね。あの|洞《どう》|窟《くつ》の中での吉太郎くんの告白によっても分明するとおり、巴御寮人と吉太郎くんは、幾多の事件で共犯関係にあったことはたしかですけれど、それはあらかじめ示し合わせての共犯関係ではなく、巴御寮人はただ好き勝手なことをやっていた。あのひとの持つ魔性が衝動的に多くの男を惨殺せしめた。それがそのつどうまく|糊《こ》|塗《と》されたのは、吉太郎くんがあとへまわって、巧みに|尻《しり》|拭《ぬぐ》いをしてきたからですね。そこには計画性というものが|微《み》|塵《じん》もない。ですからあの火事騒ぎに限って、あらかじめ打ち合わせがあったとは思えないんです」
「ではなぜ新家が放火を……?」
「吉太郎くんが火をつけたとすると、|嫉《しっ》|妬《と》でしょうねえ、あなたに対する。しかし、それ少し不自然だとは思いませんか。六日の夜のあの時点では、吉太郎くんはあなたに嫉妬する理由はいささかもなかった。あの|紅《ぐ》|蓮《れん》|洞《どう》の秘密が厳存する限り、巴御寮人は絶対にあなたの|許《もと》に走れないわけです。恋の勝利者はむしろ吉太郎くんでした。だから嫉妬による放火説はちと|頷《うなず》けないわけです。ただあの火事騒ぎからふたつの結果が引き出された。それが捜査陣を混乱させたということはたしかでしょうがね」
「ふたつの結果とおっしゃると……?」
「ひとつは神主殺しですけれど、もうひとつはあの|蓑《みの》と|笠《かさ》ですね」
「ああ、あの蓑と笠が|濡《ぬ》れていたか乾いていたかということ……?」
「勇くんの証言によってあのふたつのものが、火事騒ぎの起こるまえにすでに濡れていたことはたしかでしょう。だから吉太郎くんが消火作業に従事しようと、あの蓑と笠を身につけたとき、ふたつのものはぐっしょり濡れていた。しかし、吉太郎くんはそれがなにを意味しているか気がつかなかったし、考えようともしなかった。しかし、七日の朝になって片帆ちゃんの死体があそこで発見され、しかも死因が絞殺とわかったとき、吉太郎くんにもなにもかもわかったでしょう。蓑と笠が濡れていた理由も」
竜平はかすかに身ぶるいをした。
「吉太郎くんはそれよりさき、神主を殺したのはだれか知っていた。いや、察していたでしょう。そこへ持ってきて片帆殺しですからね。その時分から吉太郎くんは少しずつ覚悟を固めはじめていたでしょう。いざとなったら御寮人を殺してじぶんも死のうと」
「いざとなったらとおっしゃるのは、紅蓮洞の秘密が暴露したらということでしょうね」
金田一耕助はしばらく無言でいたが、その全身を細かい|戦《せん》|慄《りつ》がつらぬいて走るのを、越智竜平は見のがさなかった。
金田一耕助は赤面して、
「いや、あの地下宮殿の一幕を思い出したもんですからね。いまこうして無事で生きていられるのがふしぎでなりません。あの際、全員助かったのは奇跡みたいなもんですからね」
「そう、あのとき新家はわれわれ全員を、みな殺しにするつもりだった」
竜平も思い出したように身ぶるいしたが、急に気をかえたように、
「それにしても、金田一先生、事件の複雑怪奇さにしては幕切れはあっけなかったですね。犯人の入水で終わるとは……」
金田一耕助は悲しげに首を左右に振りながら、
「越智さんは巴御寮人は、入水したと信じていらっしゃるんですか」
「えっ、金田一先生はそうじゃないとおっしゃるんですか」
「いや、入水したことはほんとうでしょう。これだけ探しても見つからないんですから。しかし、あのひと自身の意志で入水したのでしょうか、それとも……」
「それとも……?」
「だれか他人の意志で、入水せしめられたんじゃないかとも考えられるんです」
「つまり御寮人は自殺したんじゃなく、だれかに殺害されたとでも……?」
「あのひとの生いたちなどいろいろ聞いてみると、どうしても自ら生命をたつような性格とは思えないんです。あのひとは|驕慢《きょうまん》であると同時に甘ったれでした。幾多の残虐殺人を重ねながら、そのつどだれかの手によって|庇《ひ》|護《ご》されてきた。自我が強そうで自我がないのも同様です。そういう、女性に自らの生命をたつ勇気があるでしょうか」
「なるほど。じゃ御寮人が殺害されたとして、犯人はだれだとお考えですか」
「まず最初に|錨屋《いかりや》の|旦《だん》|那《な》を考えました。あの人なら動機は十分考えられますからね。御寮人が逮捕されたあとの家門の|汚辱《おじょく》、|刑部《おさかべ》一族に対する世間の指弾。それを考え合わせるとひと思いにと、思い立つのもむりはないでしょうね」
「なるほど」
「しかし、あの老人にはもうその気力も体力もなくなっています。あの人はもうすっかり|挫《ざ》|折《せつ》して、廃人同様ですからね」
「すると、ほかにだれ……?」
「そのつぎに村長を考えてみました。あの人なら御寮人を殺害する体力は十分ですからね。しかし、あの人にはそういう綿密な思慮分別があろうとは思えない。あの人なら御寮人を見つけたら、手柄顔に警察へ引き渡したでしょう。そうすると最後に残るのは……?」
「最後に残るのは……?」
「越智竜平氏……あなたです」
シーンとした深い沈黙がふたりのあいだに落ち込んできた。金田一耕助は相変わらず、目をショボショボ、ショボつかせ、もじゃもじゃ頭をひっかきまわしているが、それでも対座した相手の目が、殺気をおびて光るのを見のがさなかった。
しかし、それも一瞬、竜平は口へもっていきかけた|箸《はし》をおくと、|莞《かん》|爾《じ》と笑って、
「これはまた異なことをおっしゃる。わたしがあのひとを殺害したとしても、それはいつのことでしょう」
「九日の夕方あなたは単身、紅蓮洞の地下宮殿へはいって来られた。千畳敷きのほうにある入口からでしたね。ところがその後の調査によって、当時われわれが全然しらなかった洞窟が、薬師岩から千畳敷きへ通じていることがわかりました。御寮人はその道を通って千畳敷きへ抜け出した。幸か不幸か、そのとき『星の御殿』には|視《み》|張《は》りのものがいなかった。このことは視張りのものに確かめてあります。かれらはあなたがいつ洞窟へ潜入したのか、気がつかなかったといっていますからね」
「なるほど、それで……?」
竜平の目はまだ金田一耕助のおもてに、|釘《くぎ》|着《づ》けになったままである。
「『星の御殿』を脱出した巴御寮人は、そこでバッタリあなたに|出《で》|遭《あ》った。御寮人はどうしたでしょう」
「御寮人はどうしたのです」
|反《はん》|噬《ぜい》するような調子である。
「あのひとはおそらくあなたの胸に取り|縋《すが》ったでしょう。持ちまえの甘ったれ根性を発揮して。どこかへ連れていってほしいとか、アメリカへでもどこへでもついていくとか|掻《か》き口説いたでしょう。その口をあなたは|塞《ふさ》いだ。あの手袋をはめた手で」
竜平は箸をおいたまま、ふしぎな動物を|視《み》るような目で、金田一耕助を凝視している。およそ物に動ぜぬ男だが、額にうすく汗の浮かんでいることは被うべくもない。
「そのとき巴御寮人があなたの左手の薬指に|咬《か》みついた。皮手袋のうえから強く咬みついた。越智さん、あなたその左手の薬指の|絆《ばん》|創《そう》|膏《こう》はどうなさいました」
竜平はべつに左手を隠そうとはせず、かえって|灯《ひ》の光りにかざして眺めている。
金田一耕助はかつてこの男のことを、ストイックでシビアな感じのする男だが、それでいてギャンブラーみたいな一面のある人物だといったが、そのとき竜平のおもてに浮かんだ不敵な微笑が、それを証明しているのだろう。
「咬みつかれてあなたはいよいよ強くあのひとの口を|塞《ふさ》いだ。口と同時に鼻も塞いだ。声を立てさせぬつもりだったが、気がつくとあのひとはあなたの胸のなかでぐったりしていた」
金田一耕助はまた悲しげに首を左右に振りながら、
「そのときのあなたの心情は、おそらく愛憎を超越していたでしょう。相手の無知に対する|憐《れん》|愍《びん》の思いしかなかったにちがいない。かくてあなたはあの人を窒息死させたのち千畳敷きから突き落とした。そこがかつてあなたの僚友、青木修三氏が突き落とされたとおなじ場所であるということが、あなたの理性にあったかどうか、そこまでは疑問としてもですね」
しばらく無言でいたのち、竜平がうめくように|呟《つぶや》いた。ノドの奥から|絞《しぼ》り出すような声であった。
「金田一先生、あなたは空想力が強過ぎる」
「わたしはいつも真理を追及する求道者ですからね」
「いま先生のおっしゃったことが、真実であると否とは別として、先生はどうなさるおつもりです。そういう意見を磯川さんに、具申なさるおつもりですか」
「まあ、|止《よ》しましょう」
「止す……? なぜ……?」
「この島にはスキャンダルが多過ぎる。これ以上付け加えることはないでしょう。ただこいねがわくば……」
「ただこいねがわくば……?」
「巴御寮人の遺体が永遠に発見されないことですね」
金田一耕助はその翌日、約束の|報酬《ほうしゅう》を受け取って刑部島を離れたが、神は金田一耕助の希望をご|嘉《か》|能《のう》したもうたのか、巴御寮人の遺体はついに発見されなかった。
かくて|外《げ》|面《めん》|似《じ》|菩《ぼ》|薩《さつ》|内《ない》|心《しん》|如《にょ》|夜《や》|叉《しゃ》を地でいったような巴御寮人は、櫛ひとつこの世に|遺《のこ》して、完全に雲隠れしてしまったのである。「源氏物語」の書かれざる最後の巻のように。
本書中には、今日の人権擁護の見地に照らして、不当.不適切と思われる語句や表現がありますが、作品発表時の時代的背景と文学性を考え合わせ、著作権継承者の了解を得た上で、一部を編集部の責任において改めるにとどめました。(平成八年九月)
金田一耕助ファイル19
|悪霊島《あくりょうとう》(下)
|横《よこ》|溝《みぞ》|正《せい》|史《し》
平成14年2月8日 発行
発行者 角川歴彦
発行所 株式会社角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
shoseki@kadokawa.co.jp
(C) Seishi YOKOMIZO 2002
本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川文庫『悪霊島(下)』昭和56年5月18日初版刊行
平成8年9月25日改版初版発行
┃━━ ﹏ ━━┃★*★.. ★*★.. ★*★.. ★*★.. ★*★.. ★*★.. ★*★.. ★
小说下载尽在 http://bbs.txtnovel.com---书香门第【duansh1204】整理
本作品来自互联网,本人不做任何负责!内容版权归作者、出版社所有。
╭╮╮
╲◤ ╭╮╮
╲◤ ╭╮╮
╲◤