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    第十六章 人と犬.2

作者:日-横沟正史 当前章节:4254 字 更新时间:2026-6-23 02:19

 竜平は|黒《くろ》|絽《ろ》の羽織をぬぐと、それをスッポリ頭からかぶってみせて、

「こういうふうに羽織を頭からかぶっていたんです。だから年かっこうもわかりませんでした」

「そいつがあなたのまえを横切って、拝殿のほうから神楽太夫の楽屋のほうへ……あなたいま風のようにという言葉をお使いになりましたが、風のように走り去っていったとおっしゃるんですね」

「わたしが廊下へ出てきたときには、その男、会議室の階段を駆けのぼっていくところでした。わたしいったんはご不浄へでもいったんではないかと思ったんです。ご承知のようにご不浄は拝殿のすぐ下にあります。しかし、それにしては羽織を頭からかぶっているのがおかしいし、それに拝殿の階段を、駆けおりる足音を聞いたような気もしたんです。それでついそっちのほうへいってみると……あとはそちらにいらっしゃる警部さんもご存じのとおりです」

「つまりあなたには内陣のなかにあるあのものが、なにを意味しているかすぐおわかりんさったんですね」

「すぐにというわけにはいきませんでした。灯が消えて拝殿も内陣も薄暗かったですからね。じゃけえど拝殿の表の格子から差し込む明かりで、真っ暗というわけでもなかったことは、あなたがたももうようご存じです。目が|馴《な》れてくるにしたがって、そこに演出されているのが、なにを意味するのかわかりました。そこで人をよびにとび出したところが、社務所のまえで出会ったのが警部さんです。出会い|頭《がしら》でしたね」

「出会い頭でした」

 磯川警部もキッパリ答えた。

 ちょっとした沈黙があったのち、口を出したのは金田一耕助である。

「そのう……神楽太夫ですね。あなたのまえを横切っていったという……その男はあなたに姿を見られたということに、気がついていたでしょうかねえ」

「それは……気がついていたと思います。わたし家のなかでそうとう大声で、呼ばわっていましたからね。越智です、越智竜平です、何事が起こったんですかなどと。神社の外は騒がしかったようですが、建物のなかはシーンとしずまりかえっていましたから、わたしの声は聞いたと思いますよ。そうじゃけん、羽織で顔をかくしたんじゃないでしょうかね。そのことについてあちらのほうから、まだなにも申し出はないんですか」

 金田一耕助と磯川警部、広瀬警部補の三人はたがいに顔を見合わせた。広瀬警部補は軽く|咳《せき》|払《ばら》いをすると、

「いまのところありません。しかし、みんな足止めはしてありますから、あとで聞き取りのとき尋ねてみましょう。もし隠しているようなら|一《いっ》|喝《かつ》くらわせてやります。いや、よいことを聞かせていただきました」

「しかし、あの羽織の男がだれであったにしろ、犯人ではないんじゃないんですか。神楽太夫が神職を殺害する……考えられないことですからね。だいいち動機がない」

 動機……?

 それはいまのところだれにもわかっていないのだけれど、必ずしもないとはいえない。いまから二十年ほどまえにこの島で、神楽太夫のひとりが蒸発したと思い込んでいる人間がひとりいる。それが四郎兵衛という老人であるということを、いまでは広瀬警部補もしっている。そこいらになにか隠された動機が、あるのではないかという疑いが、そのときふいと三人の胸に浮かんだことは否定できない。

「ときにあの神楽太夫ですがね、あれも越智さんの寄進によるものですか」

 これは金田一耕助の質問である。

「いいえ、あれはわたしではありません。祭礼にお神楽はつきものですから、わたしもなんとかしようと思うていたんですが、それぐらいのことはじぶんに持たせてほしいと、|錨屋《いかりや》のおじさん、つまり刑部大膳氏がおいいんさるもんですけん、その件に関するかぎり、あの人におまかせしたんです。ただし、ここらの応対はわたし直接じゃなく、いまむこうにいる秘書の松本克子がやったんです。あとであの人にお聞きください」

「ああ、そう、広瀬さん、あなたまだお聞きになりたいことが……?」

 それはいっぱいあった。若き日の巴御寮人との駆け落ちの一件や、現在あの人にどういう感情を抱いているか、またこの島における土木工事の真の目的は|奈《な》|辺《へん》にありや等々々。しかし、それを聞いたところでほんとのことはいわないだろうし、だいいちそこまでほじくっていたら、この人ひとりで夜が明けてしまうだろうと思うと、広瀬警部補も|諦《あきら》めざるをえなかった。

「いや、けっこうです。わたしとしてはなぜ越智さんが拝殿のほうへいかれたのか、それが|腑《ふ》に落ちなかったもんですけん。それさえわかれば納得です。では、これくらいでお引き取りください。恐れ入りますが秘書のかたをこちらへお伝えねがえませんか」

 松本克子と、そのつぎに呼び出された越智|多《た》|年《ね》|子《こ》が聞かれたのは、八時半に地蔵平の家を出るまでの竜平の動静だったが、その点についてはもうなんの疑いの余地はなさそうだった。たとえそのまえに竜平が家を抜け出し、ひそかにこの神社へ来たとしたところで、それでは|守《もり》|衛《え》殺害の時刻と|齟《そ》|齬《ご》を来たすので、その点については問題にならなかった。

 松本克子は神楽太夫のことについて聞かれたが、それも竜平の申し立てたとおりであった。こんどの祭礼の準備のうち、神楽太夫の一件だけは、錨屋のご主人がお取り計らいになったのであると克子は答えた。

 こうしてこの三人の聞き取りが終わっただけでも、時刻は三時をすぎていた。これでみても聞き取りというものが、いかに時間を食うものか、またいかに辛気臭いものであるかがわかるだろう。

 夜が更けるにしたがって、聞きとるほうも聞き取られるほうも、すっかり疲労|困《こん》|憊《ぱい》しているのだけれど、鉄は熱いうちに打たねばならぬ。

 越智竜平の一味の三人が終わると、つぎは巴御寮人を筆頭に、刑部の一族の聞き取りだが、このほうは人数が多い。巴御寮人に娘の|真《ま》|帆《ほ》、大膳に村長の|辰《たつ》|馬《ま》、ほかに六人の株内がいるのだから、聞き取りは|蜿《えん》|々《えん》として夜を徹し、ついに東の空が白むまでつづいてなお終わらなかった。この人たちは殺人と同時に火事のことについても聞かれたが、それらの模様はまた機会を見て記録にとどめておくとして、ここでは一足飛びに三津木五郎の聞き取りに移ることにしよう。

 五郎が聞き取りの場へ呼び出されたのは、七月七日の午前七時半ごろのことだったが、あいかわらず胸にはカメラをぶら下げている。さすがにタフなこの若者も、殺人という異常事態に直面したあとの徹夜だから、すっかりふやけた顔をしていた。それでも持ちまえの人を食ったような態度はあいかわらずで、笑うと八重歯が魅力的だった。磯川警部はこの八重歯にヨワイのか、かれに笑顔をむけられると、|唇《くちびる》をへの字なりに結んで渋面をつくっていた。

「おはようございます。やっとぼくの番がまわってきたんですね。それにしても金田一先生、警部さん」

 と、五郎はふたりに八重歯をむけて、

「これ人権|蹂躪《じゅうりん》もはなはだしいですよ。ぼくたち……ぼくと荒木定吉くんですね。ふたりはここで夜を明かすつもりだったんですよ。あなたがたが坐っていらっしゃるソファと、ぼくがいま腰かけているこの腰掛けを利用してね。それをあなたがたに追っ払われたもんですから、いままで神楽殿の柱にもたれて寝ていたんです。全身がメキメキいうようですよ」

 磯川警部がなにもいわなかったので、金田一耕助がかわって答えざるをえなかった。

「それは失敬したな。しかし、事態が事態だからね。きみも立派に教育をうけた青年だ。理解があると思っていたんだが、なまじ教育があるだけに、ひと理屈こねなきゃおさまらないのかね」

「恐れ入りました。金田一先生、皮肉はよしにしましょう。それではなんでもお尋ねください。三津木五郎、包みかくさずありていに申し上げます」

 と、ぴょこんとひとつ、人を食ったようなお|辞《じ》|儀《ぎ》をした。

 広瀬警部補はいまいましそうに顔をしかめると、ひとゆすり体を乗り出して、

「そう、じゃぼくから聞こう。きみ、三津木五郎くんだね」

「それはいま申し上げました」

「年齢は?」

「二十二歳」

「住所は……?」

 と、いいかけて、広瀬警部補は思い出したようにポケットから手帳を取り出し、

「いや、それはおれからいおう。神戸市|垂《たる》|水《み》区|瑞《みず》が|丘《おか》……これがきみの住所だね、それからきみのお父さんが社長をやっていた、三新証券はおなじ神戸の|生《いく》|田《た》区海岸通……警部さん……?」

 磯川警部はなにかほかのことを考えていたのか、だしぬけに広瀬警部補に声をかけられると、ギクッとしたように身をふるわせて、

「えっ、いや、なに……」

 と、いま目が覚めたばかりのように|相《あい》|槌《づち》を打った。その態度があまりおかしかったので、金田一耕助と広瀬警部補も、いぶかしそうに警部の顔を|視《み》|守《まも》っている。警部はバツが悪そうに、つるりと|頬《ほ》っぺたを|逆《さか》|撫《な》ですると、

「いやあ、これはわたしとしたことがあられもない。目をあけたまま眠っていたらしい。広瀬くん、いまなにかいったかな」

 しかし、これはこの人らしくもないことであると、金田一耕助も広瀬警部補も、いよいよいぶかしげな視線を警部にむけたが、そのときである、吉太郎の放った最初の銃声が、この取り調べ室まで聞こえてきたのは。

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