饭饭TXT > 海外名作 > 《恶灵岛(日文版)》作者:[日]横沟正史【完结】 > [金田一耕助ファイル19] 横溝正史 「悪霊島 下」.txt

    第十七章 |噫《ああ》|無《む》|残《ざん》

作者:日-横沟正史 当前章节:13321 字 更新时间:2026-6-23 02:19

   一

「やっ、あれはなんだ」

 予期せざる銃声にギックリ体を起こしたのは磯川警部。ソファからとびあがりそうになったのは、いささかオーバーなジェスチュアーといわざるをえなかったが、それもさっきの放心状態からくる|間《ま》の悪さを、とりつくろおうとしているのかもしれない。しかし、驚いたのは磯川警部ばかりではなかった。そこにいたほかの四人も大なり小なりびっくりしたらしく、銃声のしたほうにむきなおった。

「たしかに銃声でしたね」

 広瀬警部補が|呟《つぶや》いた。

「まさか自動車のタイヤがパンクしたんじゃありゃせんでしょうなあ。こんな島ですけん」

 筆記係りの藤田刑事が付けくわえた。

「あれ。|隠《おん》|亡《ぼう》|谷《だに》のほうですぜ」

 注意をうながしたのは五郎である。金田一耕助はその顔を|視《み》|直《なお》して、

「きみは隠亡谷をしってるのかい」

「ええ、しってますよ」

「だれに聞いたんだい」

「駐在の山崎さんに聞いたんです。天下の奇勝だって」

「いってみたことある?」

「いや、|小《こ》|磯《いそ》の裏の丘のうえから望見しただけです。谷へはいっちゃいけないって、山崎さんに注意されたもんですから」

「なぜ谷へはいっちゃいけないんだ」

「|阿《あ》|修《しゅ》|羅《ら》とかいってね、野生化した|獰《どう》|猛《もう》な土佐犬がいるんだそうです。|咬《か》み殺されるのがいやなら、絶対に谷へちかよるなと山崎さんに忠告されたんです。ぼくもまだ命は惜しいですからね」

 五郎は例の八重歯を見せて|頬《ほお》|笑《え》んだ。あいかわらずさわやかな笑顔である。

「広瀬さん」

 金田一耕助は警部補のほうへむきなおり、

「いまの銃声は吉太郎くん……この神社のじいやさんですね、あの男が阿修羅とやらいう猛犬を、しとめた音じゃありませんか」

 と、簡単にきのうの午後の、オチョロ舟のなかでのいきさつを語ってきかせると、広瀬警部補は|眉《まゆ》をひそめて、

「そうすると吉太郎という男、足止めを無視して、ここを抜け出したというわけですか」

「あの男にとっては警察の命令より、|錨屋《いかりや》のご主人のいいつけのほうが大事なんじゃないですか。大膳さんの|股《こ》|肱《こう》をもって任じているようですから」

 そのときである、吉太郎の放った銃声が、ふたたび刑部神社の境内にとどろきわたったのは。それも一発ではない、二発、三発……しばらく間をおいて、四発、五発。いままで落ち着いていた金田一耕助も、その銃声を聞いて顔色が変わったが、そこへ社務所の奥からとび出して来たのは大膳と村長の|辰《たつ》|馬《ま》である。

「金田一さん、吉太郎が……吉太郎が……」

 大膳じさまは|顎《あご》をガクガクさせている。村長はムッツリとして|不《ふ》|機《き》|嫌《げん》そうであった。

「はあ、吉太郎くんが猛犬をしとめたようですね」

「一発のもとにしとめたんなら、あんなにポンポン撃ちゃせん。吉太郎のやつ、危険にさらされてるんじゃないじゃろうか。それでああして助けを求めているのやもしれん。なにせ相手は獰猛なやつですけんな」

 そのとき、また二発、三発銃声がきこえ、社務所のガラス障子が外から開くと、松蔵や信ちゃん、謙ちゃん、|一《はじめ》さんたちが肩を押し合うようにしてたむろしている。荒木定吉もそのなかにいる。みんな徹夜でふやけきっていたところを、いまの銃声で目が覚めたという顔色である。

「主任さん、吉やんのやつ気でもちごうたんとちがいますか。あげえにむやみに鉄砲撃ちよって。あのまま放っといてもええんでしょうか」

 この島で銃を持っているのは、吉太郎ひとりきりだということはみんなしっている。したがって発砲のぬしが、吉太郎であろうことはだれにもわかるのである。

「金田一先生、どうしたもんでしょうな」

 広瀬警部補は思いがけない事態に直面して、苦り切った顔である。なにしろ磯川警部はさきの放心状態から、まだ覚めやらぬ面持ちだから、頼りないことおびただしい。いきおい金田一耕助が相談相手である。

「ここは、このまま聞き取りをつづけることにして、谷のほうへはだれか人をやってみるんですね。この人たちにたのまれたらいかがです」

「そうじゃけえど、猛犬がいるんでしょう」

「ですから、警官をおやりになったら……。警官ならピストルを持っている。警官そうとう大勢きているんでしょう」

「ええ、それは……ですけえど、その阿修羅とかいう猛犬、撃ち殺してもええんですな」

「|旦《だん》|那《な》、いかがですか?」

 金田一耕助は社務所の式台に立っている刑部大膳をふりかえった。

「ええ、ええ、撃ち殺してつかあさいよ。島のもてあましもんじゃけんな。村長、ええじゃろう? みんながいくならわしもいく。村長、おまえもいこう」

 大膳じさまは錨屋から取り寄せたとみえ、ふだん着の|甚《じん》|平《べい》にずんどうの|股《もも》|引《ひ》き姿に着がえていた。村長もモーニングを脱いで、|開《かい》|襟《きん》シャツにズボンというラフなスタイルである。

 さっき銃声を聞いて、奥からとび出し、

「吉太郎が……吉太郎が……」

 と、顎をがくがくふるわせていたときの大膳は、たぶんにショボクレてみえていたが、いまこうして|雪《せっ》|駄《た》をはいて、たたきへ下り立ってきたところをみると、やはり威厳にみちていて、一方の将たる風格である。

 かくして警官たちによって、吉やんの救援隊が組織された。警官は駐在の山崎さんをいれて四人である。ほかに私服もそうとういる。その警官たちを先頭に立て、島の人たちがひとかたまりになって、刑部神社の境内から出ていくまでには、そうとうの混雑があった。それだけに一同が出払ってしまうと、あとはもとの静けさである。神楽太夫の七人や刑部の一族はどうしているのか、シーンと鳴りを静めていた。

 広瀬警部補がやっと落ち着きを取り戻して、時刻を見るともう八時半である。警部補はいまいましそうに舌打ちしながら、

「それじゃ、警部さん、また聞き取りをつづけますか」

「うむ、きみの好きなようにやりたまえ。わしはここで傍聴している」

 磯川警部はしいてじぶんに|鞭《むち》を入れるように努力しているが、なんとなくそれが苦労らしく、だれの目にも気の毒に思われてならなかった。警部ももうトシである。それに聞き取りという仕事は、そうでなくともしんがつかれるものである。それともゆうべからの徹夜で腰の|痼《こ》|疾《しつ》が再発したのではないかと、金田一耕助が気遣わしそうに警部の横顔をうかがっている。たしかにきょうの磯川警部は、金田一耕助がまえからしっている、あのタフで仕事熱心なこの人とはちがっていた。

 しかし、そういう|労《いた》わりの目で見られるということは、この人にとって、プライドにさわることらしく、警部はわざと声をはげまし、

「広瀬くん、なにをぐずぐずしとおる。さっさと仕事をはじめんかい」

 しかし、それもなんとなく取ってつけたような虚勢にひびいた。しかし、広瀬警部補は素直にそれをうけて、

「はっ、ではつづけることにいたします」

 と、五郎のほうにむきなおり、

「三津木くん、きみがいつかこの警部さんにいうたふたつの住所、きみの自宅だという神戸市垂水区瑞が丘の家と、三新証券の本社があるというおなじ神戸の海岸通のビル、これはどちらもほんとうらしいな」

「はあ、お調べになったんですか」

 五郎はあいかわらず白い歯を出して笑っている。人を食ったような笑いである。

「ふむ、兵庫県の県警に照会して調べてもらうたんだ。むこうの刑事、三新証券の|新田穣一《にったじょういち》氏にも会ったし、きみの家の留守番をしている浅野こうなる婦人にも会ってきたそうだ。それでだいたいきみのいうたこと、間違いはないちゅうことになっとる。つまり、三津木五郎ちゅう、ことし二十二歳になる秀才がこの世に存在していて、両親の|菩《ぼ》|提《だい》を|弔《とむら》うために、四国八十八か所巡りをしてくるちゅうて、先月神戸を出発したちゅうことはたしかなようじゃな。神戸では新田穣一さんも浅野こうさんも、たいそう三津木五郎くんのことを心配して、いったいなにをやらかしたんかしらんが、じぶんが引き取りにいてもええと、新田さんなんかいうておいでんさるそうじゃ。そこまではきみのいうたことに間違いはないようじゃけえど……、しかし……」

 広瀬警部補はわざとそこで言葉を切った。そして改めて五郎の顔をジロジロと見まわしながら、

「いまぼくの目のまえにいるきみが、果たしてその三津木五郎なる秀才であるかどうか、これは保証のかぎりではないな」

 広瀬警部補がつっぱねるようにいい放つのを、五郎はまだなにも気がつかず、

「主任さん、それならご安心ください。ぼく正真正銘の三津木五郎です。新田のおじさんでも浅野のおばあさんでも、ぼくいつでも会いますよ。あの人たちがぼくを正真正銘の、三津木五郎にちがいないということを証明してくれるでしょう」

「そうかな」

 そこで広瀬警部補はまたわざと言葉を切った。相手をじらせるようにタバコを一本抜き取った。カチッとライターを鳴らして火をつけると、うまそうに肺臓いっぱいにタバコの煙を吸いこんだ。

 さすがの三津木五郎もちょっと不安そうな目で相手の挙動を|視《み》|守《まも》っている。いや、不安そうなのは、三津木五郎ばかりではない。磯川警部も居心地が悪そうにお|尻《しり》をモゾモゾさせている。広瀬警部補がこういう態度に出るときは、なにかしら重要な切り札を握っているということを、いままでの経験からして警部はよくしっているのである。金田一耕助はふしぎそうな目をショボつかせながら、そういう三人の顔を視くらべている。

 広瀬警部補はさんざん相手をじらせるように、タバコをひと吸いふた吸いしていたが、やがて上をむいてふうっとタバコの煙を輪に吹くと、間一髪、たたきつけるように言葉を吐いた。

「それじゃ、きみに聞くがね、きみはいつその髪を短くしたんだ。いやさ、なんのためにヒゲを|剃《そ》ったんだ」

「えっ!」

「新田さんや浅野こうさんの話によると、先月の末四国八十八か所巡りをしてくると神戸を出たとき、きみはヒッピーみたいに、髪を長く伸ばし、顔中ヒゲだらけだったというじゃないか。その髪をいつ、どういう理由で短く切ったんだ。なぜヒゲを剃り落としたんじゃ」

   二

 たたきつけるようなこの質問は、たしかに五郎の急所をついたらしかったが、同時に磯川警部の|睡《ねむ》|気《け》も覚ましたらしい。警部は大きく視張った目で、文字通り穴のあくほど五郎の横顔を視詰めている。

 金田一耕助は五郎も五郎だが、そういう警部のほうが気になるらしく、開いたノートのうえに鉛筆を持つ手をやすめたまま、警部の顔を視守っていた。

 五郎はしかし、すぐ持ちまえのふてぶてしさを取り戻すと、

「そんなことぼくの勝手じゃありませんか。長の道中をするのに長髪やヒゲは、不便だと思ったもんですから……」

「そうかな、ただそれだけの理由かな」

 広瀬警部補は意地悪そうに目玉をクリクリさせながら、

「それじゃ別のことを聞くがな。きみは|下《しも》|津《つ》|井《い》をしってるね」

「そりゃしってますよ。そこから船に乗ってこの島へきたんですからね」

「じゃ、その下津井に浅井はるという女が住んでいたのをしってるだろう」

「浅井はる……? それどういう女性ですか」

 五郎はわざと首をかしげてみせたが、さすが人を食ったこの若者も、内心の動揺はおおうべくもなく、その態度にも落ち着きがかけてきた。

「しらばっくれるな!」

 と、広瀬警部補は|一《いっ》|喝《かつ》くわせると、

「浅井はるというのはな、下津井で|市《いち》|子《こ》をしていた女だ。神降ろしともいうな。きみは先月、すなわち六月十五日午後二時ごろ、その市子浅井はるを訪ねていったろう、どうだ」

 頭ごなしの大喝を、まともに受けた三津木五郎は、答えるまえにちょっとまをおいたが、そのあいだに持ちまえのふてぶてしさを取り戻したかして、せせら笑うように、

「ご冗談でしょう、主任さん、ぼくはこれでも現代の教育を受けた人間ですぜ。市子だの神降ろしなどに、関心があるはずがないじゃありませんか。それに……」

 と、五郎はそこで開きなおって、

「そのことと、ゆうべの事件とどういう関係があるというんです。ぼくはゆうべの事件について聞きたいことがあるというので、ここにこうして控えているんです。これも市民の義務だと思ったもんですからね。市子だの神降ろしなど、そんな現代ばなれのしたことに、答える義務はありませんよ。だいいちぼくの全然関知せざるところですしね」

 五郎はどうやら体勢を立てなおしたらしく、不敵の笑みをうかべている。

 広瀬警部補もそれをいわれるとヨワイのである。しかし、そこで|怯《ひる》んではますます相手をつけあがらせるばかりであると、いっそう|居《い》|丈《たけ》|高《だか》になり、

「よし、それじゃ下津井の市子浅井はると、こんどの事件の関係を聞かせてやろうか。きみは六月十五日の午後二時ごろ、ヒッピー姿で浅井はるを訪ねていった。そして五時ごろそこをとび出してきたときは、気も狂乱のていたらくであったという。これにはちゃんと目撃者がいるんだ。そのとききみは浅井はるからなにか重大なことを聞いた。この|刑部《おさかべ》島に関することでな」

「へええ、浅井はるなる女性がそんなことをいっているんですか」

「黙れ!」

 広瀬警部補は大喝一声すると、

「きみは浅井はるが六月十九日の晚、殺害されたことをしっているんだ。新聞で読んだんだろう。しかも、ヒッピー姿で浅井はるの家へ出入りするところを、人に見られたということもしっていた。そこで長髪を切り、ヒゲを剃り落として、改めてこの島へ渡ってきた。こういえば浅井はるの殺害事件と、ゆうべの事件が結びついてくるだろう。どうだ!」

 五郎はしばらく黙していたが、やがて例のさわやかな微笑を警部補にむけると、

「主任さんはいま浅井はるなる女性は殺害されたとおっしゃいましたね。ところで殺害されるまえに浅井はるさんはだれかに……、そのヒッピー姿の若もんに、この刑部島のことに関して重大な事件を打ち明けたと、だれかに|喋《しゃべ》ったりなんかしたんですか。いや、あなたなりこちらの警部さんなりに申し上げたんですか」

 痛いところをつかれて広瀬警部補は、ウームと|唸《うな》って、|唇《くちびる》をへの字に結んだ。それを見ると五郎はえたりとばかりにつけこんできた。

「それみんなあなたがた、あなたとこちらにいらっしゃるこの警部さんの……」

 と、憎々しげに、磯川警部のほうへ顎をしゃくった五郎の顔には、露骨なまでの|侮《ぶ》|蔑《べつ》の色がうかんでいた。

「このおふたりの単なる|憶《おく》|測《そく》、いや|妄《もう》|想《そう》の結果じゃないんですか。ぼく憶測だの、妄想からくる質問にはお答えすることはできません」

 広瀬警部補の満面は怒りのために朱を注いだが、それに反してふしぎなことに磯川警部はなんとなく不安そうで、ソファの坐り心地がよくないらしい。それが金田一耕助にはふしぎであった。

 いずれにしても広瀬警部補が、浅井はる殺害の一件を、あまりはやく切り出したのはまずかった。むしろ相手がそれをしっているかどうか、じっくりと探りを入れていくべきであった。広瀬警部補もおのれの失敗についての自覚があるから、つぎの質問についての接ぎ穂を失ってしまった。当然そこに気まずい沈黙が落ちこんできたが、そこへ助け舟を出したのは金田一耕助である。

「広瀬さん、ちょっとわたしにこの聞き取りをまかせていただけませんか」

 五郎にみごとお面一本取られて、すっかり面目失墜していた広瀬警部補は、

「さあ、どうぞ、どうぞ」

 と、喜んで聞き取り役を金田一耕助に譲ったが、ただし、このもじゃもじゃ頭の探偵め、いったいどういう切り札を、持っているのであろうかという顔色であった。かえって五郎のほうが腰掛けのうえで居住まいをなおしたのは、それだけ警戒の|鎧《よろい》で身を固めたのだろう。

「じゃ、三津木くんに聞くがね」

「はあ、どういうことでしょうか」

「きみ、昭和二十年の生まれだといつかいっていたが、正確にいうと何月何日生まれ?」

「そのことが今度の事件となにか関係が……?」

「いいよ、いいよ、答えたくなければ答えなくともいい、兵庫県の県警へ照会すれば、すぐ調べがつくことだろうからね」

「あっはっは、いやに兵庫県の県警を持ち出しますね。では、そういう手数を|煩《わずら》わすのもなんですから、正直に申し上げますが、昭和二十年六月二十八日がぼくの誕生日です。これ、このへんにとっては因縁の深い日だとお思いになりませんか」

「それ、どういう意味?」

「すぐこの近くの岡山市が、空襲警報はおろか、警戒警報もなしにアメリカの|焼夷弾《しょういだん》攻撃にさらされて、全市|灰《かい》|燼《じん》に帰したのはその日ですよ」

「あっ、なるほど、それできみどこで生まれたの?」

「兵庫県の山崎です。正確にいうと|宍《し》|粟《そう》|郡《ぐん》山崎。そこがおやじの生まれ故郷ですからね」

「しかし、きみの話によるとお父さんは職業軍人で、長らく前線にいられたあと、終戦後復員してこられたんだということだったね。するとお母さんが|懐《かい》|妊《にん》されたのはいつのことかな」

「なんだ、こんどは母の貞操が疑われるんですか」

 五郎はムッとしたような顔をしてみせたが、なぜかその表情には迫真性がなかった。広瀬警部補は話がどういうふうに発展していくのかと、ふしぎそうにふたりの顔を見くらべている。磯川警部は無言のままひかえていた。

「いや、答えたくなければ答えなくてもいいんだよ。じっさい|無躾《ぶしつけ》な質問だからね」

「なにも答えたくないとはいっていませんよ」

 と、いったものの五郎もなんとなく薄気味悪そうである。

「それはこういうことです。ぼくのおやじは三津木秀吉といって陸軍中尉でした。その人昭和十九年までは東京の参謀本部に勤務していたんですね。ところが十九年も後半になると戦局とみにわれに不利でしょう。そこで参謀本部でもいろいろ深刻な内紛があって、|派《は》|閥《ばつ》抗争が起こったんだそうです。そのときおやじの属していた派閥がその内紛に負けて、すっかり一掃されたんですね。そこでおやじは前線へおっぱらわれたんですが、それ十九年の九月のことだったそうです。それまではおやじとおふくろ、おふくろの名は貞子というのですが、東京でいっしょに住んでいたんですから、ぼくを身ごもったとしてもふしぎはないでしょう」

「なるほど、しかし、きみはお父さんの四十二歳の子だといったね。しかも、夫婦のあいだに最初に恵まれた子宝だったとか……」

「はあ、それがなにか……?」

「いや、お母さんもずいぶん際どいときに妊娠されたもんだと思ってね」

 金田一耕助は|嘲《あざけ》るようにいってのけたが、すぐ白い歯を出して笑うと、

「ごめん、ごめん、しかし、きみにはなぜぼくが、こんな失敬な質問を切り出したかわかってるだろう」

「わかりません、どういうわけです」

 五郎はぶっきら棒にいったが、その語調にも迫真性がかけていた。なにかたじたじとしているふうであった。

「だって、きみィ」

 金田一耕助は白い歯を見せながらも、わざと意地悪そうにニヤニヤして、

「きのう、いや、もうおとといになるが、越智さんが小磯の船着き場へ着かれたとき、われわれみんなお迎えにあがったね。きみも荒木定吉くんといっしょにきていたじゃないか。あのとき越智さんが自動車に乗って、いままさに|波《は》|止《と》|場《ば》を出発しようとしたとき、きみ自動車のそばへ駆けよって、なにかひと声かけたようだが、きのうの晚越智さんに聞くと、きみ、あの人にむかってお父さんと呼びかけたそうじゃないか」

「金田一先生!」

 五郎が答えるまえに磯川警部が、はじけるような声をあげたので、金田一耕助はおもわずそのほうへ振りかえった。どういうわけか警部の目は、張り裂けんばかりに見開かれて、|唖《あ》|然《ぜん》たる顔色であった。しかし、つぎの瞬間、その唇をついて出た言葉は、ささやくように低かった。

「金田一先生、この男、越智さんにむかって、お父さんと呼んだんですって?」

「ご免なさい、警部さん、ゆうべの騒ぎであなたにはまだこのことを、申し上げるひまがなかったんです」

「それについて越智さんは、なんというておいでんさるんです」

「いや、それはまだ聞くひまがなかったんですが、あの人なにか心当たりがあったらしく、地蔵平の家へかえるとさっそく人をやって、この人のことを調査したらしいんですよ。錨屋に泊まっている三津木五郎と、ちゃんと名前までご存じでしたからね。その点について五郎くん、答えてくれないかね」

 しかし、五郎にとってはその答えはすでに用意ができていたらしい。落ち着きはらって不敵な微笑をうがべながら、

「あの人そんなことをいっているんですか。幻滅だなあ、あの人少しヤキがまわってるのんとちがいまっか」

「それ、どういう意味?」

「ぼくがいったのは越智さんと……あの人の名を呼んだんですよ」

「しかし、ねえ、三津木くん、われわれもあの情景を見ていたんだが、きみあのときとても激情的だったぜ。越智さんと呼びかけて、そのあとなんというつもりだったんだい」

「だって、あの人英雄でしょう。かつて石もて追われるがごとく、この島を出ていった人でしょう。この島に恨みこそあれ恩はない。それにもかかわらず大金を投じてこのお宮を建てかえたり、ゴルフ場をつくったり、つまりすっかり衰微荒廃したこの島に、もういちど昔の繁栄を取り戻そうと尽力してるんでしょう。ぼくたち若いもんの目から見れば現代の英雄ですよ。ぼくこう見えてもロマンチストですからね。だからあのとき、今後もこの島のために力を貸してあげてくださいと、そういおうとしたんですよ」

 しかし、この釈明はどう考えても説得力が弱かった。|牽強付会《けんきょうふかい》としか思えなかった。金田一耕助はすっとぼけた顔をして、もじゃもじゃ頭をゆっくりと|掻《か》きまわしていたが、磯川警部はどういうわけか、満面に怒気を表わして、

「おい、若いの。あんまりひとを|舐《な》めるんじゃない」

 つづいてなにかいいかけたが、社務所の表から松蔵があわただしく駆け込んできたのはそのときである。信吉もあとにつづいていた。

「金田一先生!」

 大声でわめいてから、すぐ奥のほうに目をやると、急に声をひそめて、

「すぐ谷のほうへきてつかあさい。錨屋の|旦《だん》|那《な》がお呼びですけん。それからこちらのおふたりさんもすぐきてつかあさい。これは警察の旦那がたのおことづけです」

「松蔵くん、どうしたの。吉太郎くんになにか間違いがあったの」

「うんにゃ、吉やんは大丈夫ですけえど、きょうといことができてしもうて……」

「きょうといというのは怖いという意味ですね。どういう怖いことが起こったんですか」

「あの阿修羅ちゅう犬が、人を咬み殺しよったんですらあ」

「人を……? 咬み殺したあ……?」

 金田一耕助と磯川警部、広瀬警部補の三人は思わずギョッと顔を見合わせた。五郎もことの意外ななりゆきに、|呆《ぼう》|然《ぜん》として目を見張っている。

「咬み殺されたのはだれ……?」

「ここでは大きな声ではいえませんけえど……」

 と、松蔵は奥に気をかねながら、

「とにかくはようきてつかあさい。さいわい木下先生がまだ錨屋においでんさったもんですけん、現場へきていただいて、いま|検《けん》|屍《し》とやらをしていただいておりますん。三人ともはよう、はよう」

 松蔵にせきたてられた一同は、|急遽鳩首《きゅうきょきゅうしゅ》協議の結果、聞き取りは一時延期して、隠亡谷の現場へ駆け着けることになった。

「主任さん、この男はどうします」

 藤田刑事の質問に、

「いっしょに連れていったらどうです。一度はなんでも見てやろうくん、野次馬根性も|旺《おう》|盛《せい》らしいから、喜んでついてくるでしょう」

 金田一耕助が助言した。

「よし、藤さん、逃げようとしたらかまうことはない、遠慮容赦なく手錠をかましてしまえ」

 一同は松蔵や信吉のあとにつづいて、刑部神社の階段を駆けおりた。地蔵峠へさしかかる少し手前に左へ下る小道がある。ふだんはめったに人が通らぬ道とみえ、丈高い雑草がいちめんに生い|茂《しげ》っている。金田一耕助はいままでそんなところに、道があるとは気がつかなかった。曲がり角に赤松が一本、亭々として|聳《そび》えているのが目印になっているらしい。土地の人は一本松と呼び、その下に街灯がついている。

 左右からおおいかぶさるように生えている雑草をかきわけて、五、六分急な坂を下ると、やっと道らしいところにいきついた。その道は地蔵坂の|麓《ふもと》をぬうてくねくねと、小磯のほうへつづいている道である。さらにその道を二分ほど下ったとき、金田一耕助をはじめとして、磯川警部、広瀬警部補らの口からいっせいに、あっというような驚きの声がつっ走った。かれらのまえに|豁《かつ》|然《ぜん》として、隠亡谷の景観が|展《ひら》けてきたからである。磯川警部はまえにもいちどこの島へきているのだけれど、こちらのほうへ足を踏み入れたことがなかったらしい。

 しかし、ここでまた隠亡谷の景観や、それにぶつかった一同の感懐を、くだくだしく述べるのは控えよう。

「はよう、はよう、こっちへきてつかあさい」

 先頭に立った松蔵と信吉のすぐ足下に薬師岩の舞台がある。ふたりは滑るようにその舞台へとびおりた。一同もそのあとにつづいたが、しんがりは三津木五郎である。五郎のそばには肩をならべるようにして、藤田刑事が寄りそっている。相手にちょっとでもへんな挙動があれば、手錠をかませるつもりである。

 舞台に立って下流のほうを見渡すと、二〇〇メートルほど下の谷底に大勢人が群がっている。そのなかには大膳や村長の姿も見え、どうやらそこが現場らしい。しかし、金田一耕助も磯川警部も、ろくにその景観を楽しんでいるひまはなかった。

 薬師岩の舞台を横につっ切ると、松蔵と信吉は西の|端《はず》れから下の岩へとびおりた。一同もそれにならってとびおりた。金田一耕助は|下《げ》|駄《た》ばきだから、こんなときつごうが悪いのだが、いまはそんなこといっている場合ではない。

 幾つか岩を渡っていったのち、

「金田一先生、これ……」

 松蔵が指さした岩のうえに目をやったとき、金田一耕助はおもわずゾーッと総毛立つような気がして、下駄を鳴らしてとびのいた。血だらけになった岩のうえには巨大な犬が横倒しになっていて、切り裂かれた腹部から|臓《ぞう》|腑《ふ》が真っ赤なボロぎれのようにはみ出している。

「吉やんがやっつけたんです。あいつは虫の好かんやつですけえど、昔から豪胆なやつでした。わしだったらどげえなことになったろうと思うと、ゾーッとしますらあ」

 金田一耕助も磯川警部もおもわずその犬から目をそむけたが、それからまもなくかれらはより以上にむごたらしいものに直面しなければならなかった。しかも、今度は目をそむけるわけにはいかなかったのである。

 じじいの松にはあいかわらず、|烏《からす》がたくさん群がっていて、ギャーギャーとさかんに鳴き騒いでいるが、それから少し下に巨大な岩と岩とが重なりあって、小さなトンネルのような|窪《くぼ》みを形造っているところがあった。そのへんいったい、あちこちに|水《みず》|溜《た》まりができていたが、トンネルのなかだけは乾いていた。砂利と小石をしきつめた、そのトンネルの床にあのむごたらしいものが横たわっていたのである。

 そのものの状態をあまり詳しく描出することはひかえよう。読者諸君の食欲減退をおそれるからである。ただここには犬に|食《は》まれ、烏に|啄《ついば》まれた世にも無残な人間の死体とだけ書いておこう。

「|片《かた》|帆《ほ》ちゃんですね」

 金田一耕助はふりかえって、放心したようにそこに立ちつくしている大膳じさまにささやきかけた。大膳は沈痛な色をして、無言のままただうなずいただけである。金田一耕助は改めて村長に尋ねた。

「犬に咬み殺されたってほんとうですか」

「無鉄砲なやつですて。ひとめを避けて、小磯の船着き場までいくつもりだったんでしょうな。あそこの細道……島ではあれを隠れ道とよんどりますけえど……」

 と、村長は地蔵坂の|麓《ふもと》をうねっている、細道のある一点を指さすと、

「あそこにこの|鞄《かばん》がころがっとりましたけんな」

 と、村長は足下においた、ビニールの大きなバッグを|顎《あご》で示した。

「なるほど、この鞄を持って船着き場へ急いでいるところを、猛犬に襲われたというわけですか」

 だが、そのときである、片帆の死体のそばにうずくまっていた木下医師が、きびしい声で呼びかけたのは。

「おい、広瀬くん、またきみの仕事がひとつふえたぜ」

「…………?」

「この娘は、犬に咬み殺されたんじゃありゃせん。そのまえに首を|絞《し》められて死んだんじゃ、なにか|紐《ひも》様のもんでな。これは明らかに絞殺死体じゃよ」

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