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    第十八章 |蓑《みの》と|笠《かさ》

作者:日-横沟正史 当前章节:14252 字 更新时间:2026-6-23 02:19

   一

 |刑部《おさかべ》島はいまや恐怖のどん底に|叩《たた》き込まれている。

 昨夜の神主|串《くし》|刺《ざ》し殺人事件につづいて、こんどは神主のふたごの娘のひとりが、絞殺死体となって発見されたのである。しかも、それは単なる絞殺事件としては終わらず、そのあと野犬の|餌《え》|食《じき》となってズタズタに|咬《か》み裂かれたうえ、おびただしい|烏《からす》の群の|啄《ついば》みにゆだねられた、世にも|凄《せい》|惨《さん》な死体となって発見されたのだから、そのとき刑部島にいた人びとが、震えあがって恐れ|戦《おのの》いたのもむりはない。

 これらの恐怖は荒涼たる隠亡谷の河原のなかで凍りついていた。死体が発見された岩陰の現場を中心として、そこにはいま何重にも|人《ひと》|垣《がき》ができている。死体にいちばん近い内円にいるのは磯川警部と広瀬警部補、金田一耕助の捜査陣に、木下医師である。

 かれらの少し背後には、沈痛な面持ちをした刑部大膳と村長の|辰《たつ》|馬《ま》。大膳の背後には猟銃をひっさげた吉太郎がひかえているが、その顔にはどこか|痴《ち》|呆《ほう》的な虚脱感がうかがわれる。かれが身につけている黒い|鞣革《なめしがわ》のオーバーオールのまえには、ところどころ鋭い|鉤《かぎ》|裂《ざ》きができ、赤黒い血の|飛沫《し ぶ き》がまだいちめんにこびりついている。むこうの巨石のうえにころがっている猛犬の|死《し》|骸《がい》と見くらべるとき、人と犬との格闘が、いかに|熾《し》|烈《れつ》なものだったかが連想され、人びとをまた改めて震えあがらせるのだった。

 三津木五郎はさきに来ていた、荒木定吉と合流して、なにかしきりに小声で話し合っている。なにを話しているのかわからないが、定吉の顔には恐怖の色が深かった。三津木五郎はあいかわらず、胸にカメラをぶら下げていて、定吉との話の合間には、カメラのシャッターを切っていた。

 このふたりから少し離れた背後には、松蔵や信吉ら、こんどの祭りのために帰島した人びとがたむろしていて、|怯《おび》えた顔を凝縮させている。みんな昨夜とおなじお祭り|衣裳《いしょう》だが、こういう凄惨な事件がつづいたあととあっては、そのお祭りの|印袢天《しるしばんてん》もなんとなく、|虚《むな》しいものに思われてならぬ。もう威勢よく、向こう鉢巻きをしめているものはひとりもいない。

 そのほかこの河原のなかに散らばっているのは、制服の警官や私服の捜査員。ほかにゆうべの事件で駆け着けてきた、マスコミの連中がおおぜいいて、いたるところで捜査員と|小《こ》|競《ぜ》り合いを演じている。マスコミにはマスコミの使命がある。かれらは事件が起こるとできるだけ敏速、かつ詳細に報道すべく義務づけられている。それにはいまこの島で起こった、いや、あるいは起こりつつある事件こそ、|恰《かっ》|好《こう》の題材ではないか。かれらはできるだけ刺激的な記事を作成するため、あるいはできるだけ扇情的な写真を撮るため、いたるところで捜査員諸公と渡り合っているのである。

 谷の外にもおおぜい人がむらがっていた。

 薬師岩の舞台には越智竜平がきていて、|眉《まゆ》をひそめて下流のほうを眺めている。そのそばに松本克子と越智多年子が寄りそっている。かれらはけさはやく聞き取りが終わると、いったん帰宅が許されたので、三人とも平服である。多年子は地味な|浴衣《ゆ か た》であった。ゴルフ場やホテル建設の技師や作業員たちもおおぜいきていたが、この人たちはこの恐ろしい事件に、直接関係のないことだから、ここでは無視することにしよう。

 この人たちと少し離れたところに、神楽太夫の七人がひとかたまりになって、現場に当たる下流を視詰めていた。この人たちはひと晚会議室でゴロ寝をしていたので、みんな着物も袴もクシャクシャになっている。四郎兵衛の顔にはあいかわらず苦渋の色が濃かったが、それを取り巻く平作、徳右衛門、嘉六の三人は、ゆうべからハラハラしどおしである。

 この四人にくらべるとはるかに若い弥之助は、四郎兵衛の苦悩などわれ関せずえんである。それより犬に|咬《か》み殺された人間なるものに、露骨に好奇心を示し、野次馬根性を発揮して、ともすれば薬師岩の舞台からとび降りそうにしては、長老たちから|叱《しか》られていた。誠と勇の兄弟は、五人から少し離れたところに立って、なにかしきりに目顔で合図をしあっている。

 このお薬師さんの舞台から二キロほどへだてた正面に、|小《こ》|磯《いそ》の裏の丘の頂上が望見される。さっき吉太郎が立って、この谷を偵察していた丘である。その丘の小道に、いまいっぱいの人が群がりうごめいているのが、|蟻《あり》の行列のように望まれる。|新《しん》|在《ざい》|家《け》や大磯小磯に住む人びとや、こんどの祭りを当てこんでやってきた、露店商人の群であろう。おそらくこのとき刑部島にいた人びとは、ひとり残らず隠亡谷を展望できる、いずれかの地点へ出てきていたにちがいない。吉太郎の乱射した銃声は島中にとどろき渡り、島中の人びとをこの谷の周辺に呼び集めたのである。

 それらの人びとははじめのうち、だれかが犬に咬み殺されたのだそうなと聞かされていた。そのだれかがいつか女の子らしいということになり、さらにそれが昨夜殺害された|神《かん》|主《ぬし》のふたごの娘のひとりである、すなわち|片《かた》|帆《ほ》らしいとわかってきて、人びとはこの奇妙な運命のいたずらに、|戦《せん》|慄《りつ》せずにはいられなかった。

 物慣れたはずの磯川警部や広瀬警部補、金田一耕助らでさえ、はじめのうちは犬に咬み殺された死体とばかり思い込んでいた。ことほどさように片帆の死体は、無残に肉が咬み裂かれ、食い荒され、烏どもによって啄まれていたのである。

 それだけに木下医師の投げかけた、爆弾の効果は大きかった。

「この娘は、犬に咬み殺されたんじゃありゃせん。そのまえに首を絞められて死んだんじゃ。なにか|紐《ひも》様のもんでな。これはあきらかに絞殺死体じゃよ」

 その一言を聞いたとき、金田一耕助はめったやたらともじゃもじゃ頭をひっかきまわした。それがほんとうなのだ、それでこそスジが通るのだという思いが、|肚《はら》の底からこみあげてきたからである。磯川警部もおなじ思いだったらしく、

「ウーム!」

 と、|唸《うな》って|唇《くちびる》をつよく|噛《か》みしめた。あいつぐ殺人事件に警部もどうやら、さっきからの虚脱放心状態から目が覚めたらしい。ただひとり広瀬警部補だけは、よほどそれが意外だったらしく、河原のうえでとび上がらんばかりに驚いて、

「先生、そ、それじゃこの娘、犬に咬み殺されたんじゃのうて、そのまえにだれか人間の手によって、絞め殺されていたとおいいんさるんで?」

「そうじゃよ、広瀬くん、ウソじゃと思うんなら、首のまわりをよう調べてみい。紐様のもんで絞められた跡が、くっきり残っとるけんな」

 そこで広瀬警部補と磯川警部、金田一耕助の三人は、いやでもこの|凄《せい》|惨《さん》な死体を、正視しなければならなかった。

 あいにく片帆は首のまわりをあらかた食い荒らされているので、よくよく注意してみなければわからないのだけれど、わずかに残った肉のうえには、紫色の|索条《さくじょう》のあとが、食い入らんばかりに印されている。それはその気になって調べないかぎり、見落としてしまいそうなほど、ごくわずかの部分であった。

 もしこのとき木下医師というひとが、島に居残っていなかったら、片帆の死は猛犬|阿《あ》|修《しゅ》|羅《ら》の責任とされ、不幸な事故として片付けられていたかもしれない。

「いずれ、解剖してみればハッキリすることじゃけえど、この娘は窒息死したんじゃな。いや、させられたんじゃ。犬に肉を食われたり、烏に目玉をほじくられたりしたんは、それからあとということになる。そうじゃけえど……」

 と、木下医師は|憮《ぶ》|然《ぜん》たる顔色で、

「そのほうがこの娘にとって、どれだけ仕合わせだったかもしれん。犬に咬み殺されるちゅうことは、どげえにきょうとい、そら恐ろしいことかしれんけんな。それよりひと思いに絞め殺されたほうが、苦痛もそれだけ少なかったろう。むごいことをいうようじゃけえど、この娘、どうせ生きてはおれん運命じゃったとしたらな」

 木下医師のこの発言はたちまち谷中にひろがって、人びとをまた改めて恐怖のどん底に、|叩《たた》き込んだことはいうまでもない。

「そうすると、先生」

 金田一耕助がそばから、遠慮がちにくちばしを入れた。

「被害者が死にいたらしめられた現場は、かならずしもこの岩陰とは限らないわけですね」

「それじゃよ、金田一先生、被害者はどこかほかで絞殺されたんじゃろうな。そして、死体となって横たわっているところを、よき|獲《え》|物《もの》ござんなれとばかりに、いまむこうの岩のうえで死んでいるあの猛犬、阿修羅とかいうたな、あいつが|咥《くわ》えてここまで引きずってきよったんじゃろ。全身いたるところに|擦過傷《さっかしょう》がついとるし、それにここはあの猛犬の、ねぐらになっとったらしいんじゃな。穴の奥を|覗《のぞ》いておみんさい。小動物の骨がいっぱい散らばっとるけん。広瀬くん、殺人のほんとの現場を調査しといたほうがよいのんとちがうか」

 木下医師の|示《し》|唆《さ》によって、さっそく広瀬警部補の部下が召集された。かれらは警部補の命をふくんで隠亡谷のなかへ散らばっていったが、その多くが片帆のバッグが落ちていた、隠れ道のほうへ急いだことはいうまでもない。広瀬警部補もそっちのほうへついていった。「それはそうと、先生、その娘、絞殺されたとしたら、それいつごろのことちゅうことになるんでしょうかねえ」

 広瀬警部補が離れたので、いきおい磯川警部がその場を担当せざるをえなかったが、金田一耕助もそれをしりたいと思っていたところである。

 木下医師は近くの|水《みず》|溜《た》まりで手を洗うと、そのあとアルコール綿で消毒しながら、顔をしかめて、

「死後もだいぶん時間が|経《た》っとるけん、きのうきょうということはないな。少なくともあの|串《くし》|刺《ざ》しにされた仏よりまえのことじゃろう。ごらんのとおり腐敗がだいぶん進んどるけんのう」

 腐敗がだいぶん進んでいるということは、だれの目にも、いや、誰の鼻にも明らかであった。見るも無残なその死体は、鼻をつんざくような異臭を放っていて、近まわりにいる人びとは、みんなハンケチ、あるいは|手《て》|拭《ぬぐ》いで鼻をおさえている。もののいちばん腐敗しやすい季節なのである。

「先生、そげえな|曖《あい》|昧《まい》なことおいいんさらんで、もっと正確なとこいうてつかあさい。その仏、死後何時間ぐらい経っとるとおいいんさるんで」

「そうですな」

 木下医師は|顎《あご》を|撫《な》でながら、

「この腐乱状態では一昼夜、つまり二十四時間以上はたっとるじゃろうな。と、いうて、真っ昼間こういう開けっぴろげた谷間で、殺人が行なわれようとは思えんけん、おととい、すなわち五日の夜の犯行ということになるんじゃないけ。そうじゃな、死後の推定時間三十五、六時間というとこじゃろうか」

「そうすると、五日の夜九時か十時ごろの犯行ということになりますな」

 磯川警部が腕時計に目をやりながら念を押した。腕時計の針はそろそろ九時を指している。

 これはまったく驚くべきことであると、金田一耕助はぼんやりと、もじゃもじゃ頭を|掻《か》きまわしながら考えている。

 これは明らかに連続殺人事件である。連続殺人事件の場合、第二の犠牲者が血祭りにあげられるのは、第一の犠牲者よりあとなのがふつうである。つまり、第一の殺人事件の動機なり、真相なり、犯人なりをしっているがゆえに、その口を封じるがために、同一犯人によって消されるのである。

 ところがこの刑部島の連続殺人事件の場合、第二の犠牲者だとばかり思われていた片帆のほうが、その父守衛より一昼夜もはやく殺害されていたというではないか。このことは医師の診断を待つまでもなく、片帆の死体の腐乱状態からして、どのような|素人《しろうと》の目にも|頷《うなず》けるのである。

 すると今度の事件における犯人の主目的は、片帆の殺人ということになるのであろうか。そして片帆の死体が発見された場合、守衛がその真相なり、犯人なりを看破することを|危《き》|惧《ぐ》して、はやいこと串刺しにして、口を封じてしまったのだろうか。それとも守衛殺しと片帆殺人事件とは、全然べつの事件なのだろうか。それぞれ違った動機があり、犯人も別ということになるのか。

 しかし、金田一耕助はその説には承服できなかった。むしろ一笑に付したといってもいい。こんな狭い島に殺人本能を持った人間が、そう幾人もいるとは思えないからである。動機にしてからがそうである。ましてやふたりの被害者は父とその娘である。そこになにか共通の動機がなければならぬ。娘とその父を矢継ぎばやに殺してしまう。そこにいったいどういう動機があるのだろうか。

 七月七日の太陽は隠亡谷の空高くあがって、|煎《い》りつくような|陽《ひ》|差《ざ》しがジリジリと、この荒涼たる谷全体を照らしている。きょうもまた暑くなりそうである。

 その谷の河原には多くの人が散らばって、あるいは声高に、あるいはヒソヒソ語っている。薬師岩の舞台から五〇メートルほど下流の隠れ道のある一点に、広瀬警部補と捜査員が集まって、額を集めてなにやら相談している。絞殺現場が見つかったのだろうか。

 金田一耕助はあまりの暑さに息苦しさを覚え、帽子をとってハタハタと風を入れながら、谷全体を見まわしていたが、ふとその目が薬師岩の舞台へいくと、そこに越智竜平と松本克子、竜平の叔母の多年子の三人が、ひとかたまりになって|佇《ちょ》|立《りつ》している。そのとき竜平と金田一耕助のあいだには、そうとう距離があったので、竜平の顔色までは見えなかったが、「動機」という文字がとつぜん竜平の全身とオーバーラップして、金田一耕助の網膜に焼きついた。

 それがあまりとつぜんだったので、金田一耕助はめくるめくような気がして、思わず河原の石ころのうえでよろけそうになった。

 しかし、その思考はしつこくかれを|捉《とら》えて放さなかった。この男が十九年ぶりに島へ帰ってきたことが、このたびの刑部島の悲劇に結びついているのではないか。しかし、それはどういう意味で……? この男が島へ帰ってくれば、なぜ片帆が絞殺されなければならないのか。なぜまた神職が串刺しにされねばならなかったのか。……

   二

 しかし、金田一耕助はその問題を、それ以上追求することはできなかった。そばから磯川警部が声をかけてきたからである。

「金田一先生、この娘……片帆という娘の生きとるとこを、最後に見たもんはだれちゅうことになっとりましたけ。もちろん犯人はべつとしてですけえど……」

「えっ、警部さん、いまなんとおしゃいましたか」

「いやな。この被害者の生きとるとこを、最後に見たもんはだれじゃったかと、木下先生がお尋ねになるもんですけんな。それ、いったいだれじゃったかいな。わしゃもうすっかり頭がこんがらがってしもうて」

 磯川警部は悲しそうに首を左右にふった。

 たしかにこの事件における磯川警部は、金田一耕助の|識《し》っているいつもの警部とちがっていた。いやに|居《い》|丈《たけ》|高《だか》になるかと思うと、聞き取りの最中に虚脱放心状態におちいったり。この人もおトシのせいでヤキがまわったのではないかと、思わざるをえない場面がしばしばあった。

「警部さん、あなたは疲れていらっしゃるんですよ。昨夜から一睡もしていないんですからね。ときに、いまあなたのおっしゃった問題ですね。それは|錨屋《いかりや》の旦那にお聞きになったらいかがです。旦那のお話によると、それはたしか|真《ま》|帆《ほ》ちゃんということになっていたようですが、真帆ちゃんが生きている片帆ちゃんを最後に見たのは、一昨日……七月五日の何時頃のことだったか……」

 しかし、この際大膳は頼りにならなかった。きのうにつづくきょうの惨劇で、さすが|剛《ごう》|毅《き》なこのじさまも、虚脱放心状態で、金田一耕助のその質問も、ろくに耳にはいらないらしかった。おそらくつぎからつぎへと浮かぶ|忌《いま》わしい想念が、頭のなかで目まぐるしく|錯《さく》|綜《そう》して、整理がつきかねているのだろう。

 そこで村長がそばから口を出した。

「おじさんは、まあ、堪忍してやってつかあさい。これでは刺激が強過ぎる。わたしでよかったらお答えしてもええけえど」

「もちろんあなたでもけっこうです。真帆ちゃんはどういってるんです。ここにいらっしゃる警部さんにいってあげてください」

「詳しいことはあの|娘《こ》に聞いてみんことにはわからんけえど、なんでも片帆はこの島がいやになったけん、出ていくちゅうて、引き止める真帆の手を振り切るようにして、出ていてしもうたちゅうことでした」

「それが七月五日……おとといのことなんですね」

「そうそう、島を出るにしても、あしたの祭りがすんでからにしたらどうかと、真帆が意見をくわえたそうじゃけえど、その祭りがいやじゃ、虫が好かん、|巫女姿《みこすがた》でおおぜいの人のまえで舞うなんて、考えただけでもゾッとするいうとったそうじゃけん、おとといということになりますな」

「おとといといっても二十四時間ありますが、片帆ちゃんが出ていったのは昼間ですか、それとも夜になってから……?」

「もちろん日が暮れてからのことですじゃ。支度は昼間からしとったんでしょうけえど、なにしろ人目を避けての家出ですけんな。日がとっぷり暮れて、あたりが暗うなってからのことでしょう。そうそう、真帆がいうとったけえど、片帆が出ていってからまものう、大雷雨が襲うてきたので、ずいぶん気を|揉《も》んだちゅうことです」

「そうそう、おとといの晚はひとしきり、激しい雷雨がありましたが、あれ何時ごろのことでした」

「キッチリ八時でしたよ」

「村長さんはいやにハッキリご存じなんですね」

「それはこういうこってすて。おとといの晚、太夫……ゆうべ殺された神主ですな、あの人新在家の錨屋へきとおりました。あしたの祭りの打ち合わせ……と、いうより、あのものを……」

 と、薬師岩の舞台にいる越智竜平のほうへ|顎《あご》をしゃくって、

「どういうふうに扱うたらよいじゃろかちゅう相談でした。わたしもその席にいたんですけえどな。さて、相談も終わって、いざお開きにしようというだんになって、とつぜんザーッと激しい雨が落ちてきよりました。雷はそのまえからゴロゴロ鳴っとおりましたけえど、それが急に大きゅうなりよって、ゴロゴロピカピカ……そこで時計を見ると、ちょうど八時じゃったちゅうわけです」

 そういいながら村長は|眉《まゆ》をひそめて、片帆の身につけているものに目をやった。

 片帆は黒いスラックスに派手なブラウスを着て、そのうえに薄手のカーディガンをはおっていたらしいが、ほとんど原形もとどめぬまでに、ズタズタに咬み裂かれたそれらの衣類は、いったんタップリ水を吸ったとみえ、まだ生ま乾きの状態である。

「そうすると片帆ちゃんはあの大雷雨のさなかを、ひとめを避けようとて、あの隠れ道へおりてきたんですね」

 金田一耕助は胸もふさがる思いであった。その隠れ道のすぐ足下には隠亡谷が展開している。その隠亡谷には阿修羅という猛犬がいることを、片帆もしらぬはずはない。そういう危険も|顧《かえり》みず、片帆を家出に駆り立てた動機とは、いったいどのような事情だったろう。

「ときに、宮司さんはいつごろ錨屋さんを出られたんです」

「そうそう、雷を伴うた雨は、いっとき激しゅう降りよりましたけえど、半時間ほどするとさしもの雷もやみ、雨も小降りになってきたもんですけん、わたしといっしょに錨屋を出たんです。わたしの家は新在家で、錨屋のすぐ近くですけえど、太夫はだいぶん距離がありますけん、錨屋で|傘《かさ》を借りていきよりました」

「それ何時頃のことでした?」

「錨屋のまえで別れるとき、時計を見たら八時半でした。よう気イつけておいでんさい、ちゅうて別れたんですけえど……」

「そうすると、神主はどこか途中で被害者と、出会うたかもしれんな、そして……」

 磯川警部が横からくちばしを入れたので、村長は眉をひそめて、

「そして……?」

 と、オーム返しに聞き返した。

「そして、神主がこの被害者を締め殺した……」

 磯川警部のこの発想ほど、その場にいあわせた人びとを驚かせたものはない。金田一耕助も|呆《あき》れたが、村長も頭からバカにしたような口調で、

「あんた、いまなんとおいいんさった?」

「いやな、わしはいま錨屋を出た神主と、家出をしようとして、うえの神社を出た被害者は、当然坂の途中で出会うたにちがいないと思うてな。時間的にいうとそうなるんじゃないですか」

 と、磯川警部は|濡《ぬ》れそぼれた片帆の衣類に目をやった。

「ふむ、ふむ、なるほど。それで、太夫がその娘を締め殺したとおいいんさるんで?」

「まあ、そういうことですな」

 しかし、そういう磯川警部はいかにも自信がなさそうだから、金田一耕助はかたわらでハラハラしている。いったい捜査の途次で捜査員が、自己の|思《おも》|惑《わく》を他に|洩《も》らすなどということはタブーとされている。それをわきまえぬ磯川警部ではないはずだが、きのうからきょうへかけての警部の言動は、とかく常軌を逸しているので、金田一耕助がそばでハラハラするのもむりはない。

 村長は居丈高になって、

「なぜまた太夫がその娘を殺すのです。その娘は太夫の血をわけた娘ですぞ。父がまたなぜおのれの娘に手をかけて、殺したとおいいんさるので?」

「それはそのう……」

 村長に詰めよられてタジタジしながら、それでも警部は、ない知恵を絞り出そうとするかのように、|胡麻塩頭《ごましおあたま》を指でひっかきながら、

「それはそのう……被害者はこの島を出たがっていた。なぜ出たがっていたかというと、じぶんの父のなにかよからぬ秘密を|嗅《か》ぎつけて、それでこの島にいるのをいやがっていた……おとといの晚、坂の途中で出会うた父と娘は、いい争うているうちに、それがわかってきたもんじゃけん、父が娘の首をぐっとひと絞め……」

 いったい、捜査員がこれというたしかな根拠もないのに、推測でものをいうということもタブーにされている。それにもかかわらず、村長がそれに抗弁できなかったのは、かれもまた守衛という人物に好意を持っていなかったからであろう。そこへ横から助け舟を出したのは、さっきから|呆《ぼう》|然《ぜん》自失していた大膳である。

「警部さん、わたしゃあんたの説には賛成できんな。太夫と片帆が坂の途中で出会うたかもしれんという説には」

「それはまたどうして?」

「片帆はひとめを避けて、小磯の舟着き場までいこうとしていた。そうじゃけん危険も承知で、あの隠れ道におりてきよったんでしょ。太夫はべつに危険をおかしてまで、隠れ道を|辿《たど》らんならん理由はない。太夫はうえの地蔵坂から地蔵峠を通ってかえったにちがいごわせん。それですけん二人はいきちごうたんでしょ。片帆は隠れ道の途中で、だれか悪いやつに出会うて殺されたにちがいない。いまこの島には素性もしれん他国もんが、ぎょうさん入り込んどりますけんな」

 大膳は少し離れたところに立っている、三津木五郎と荒木定吉のほうに目をやって、

「そうそう、先生、片帆の死体にはだれか男に、いたずらされたような|痕《こん》|跡《せき》はなかったでしょうか」

「いいえ、それはありません。その点、被害者の体はきれいなもんです」

 木下医師はキッパリ答えた。

「いたずらしかけたやつがあったけえど、あまり片帆がはげしゅう抵抗したんで、望みを遂げずに締め殺したかもしれん」

 これは村長の意見であったが、いずれにしても大膳と村長、このふたりはあいついで演じられた、このふたつの不祥事件を、すべて外来者の責任に転嫁したいのである。

「そういえば、あそこに立っているあのふたりな」

 大膳は三津木五郎と荒木定吉のほうへ目配せしながら、

「あのふたりおとといの晚、|宵《よい》のうちに家を出ていきよりましたが、あの大雷雨がやっとしずまって、村長や太夫がかえっていってからまものう、ビショ|濡《ぬ》れになってかえって来よりました。どこへ行っとったんかと尋ねたところ、あしたの祭りでなにかお手伝いすることはないか思うて、うえの神社までいきかけたけえど、途中で大雷雨に会うたもんじゃけん、ほうほうの態で逃げてかえって来ましたちゅうとりました。あのふたりがなにかしっとるかもしれませんけん、警部さん、尋ねておみんさったら」

 大膳の示唆に、磯川警部の顔面に|俄《が》|然《ぜん》緊張の色が表われた。しぜん一同の視線がそっちのほうへいくのを感じたのか、五郎と定吉はしばらくコソコソとなにか話し合っていたが、やがてむこうのほうからこっちへやってきた。定吉のほうは|頬《ほお》が|強《こわ》|張《ば》っているようだが、五郎はあいかわらず、人を食ったような微笑をうかべて、

「どうやらまたぼくらにお鉢がまわってきたようですが、こんどはどういうお疑いですか」

「いや、あの、その……」

 磯川警部は|眩《まぶ》しそうに目をパチクリさせて、口ごもった。警部はこの若者の微笑にヨワイのである。いきおい、警部の目配せを受けた金田一耕助が、代わって質問の口火を切らずにはいられなかった。

「いやねえ、三津木くん、荒木くん、錨屋の旦那がおっしゃるのに、おとといの晚、きみたち宵のうち宿を出ていったが、大雷雨ののちズブ濡れになってかえってきたんだそうだね。そのとききみたち旦那にいったそうじゃないか。うえの神社のお手伝いにいきかけたが、雷に|遭《お》うて引きかえしてきたと。……それ間違いないだろうね」

「間違いはありません。そのとおりです」

「そのとき、なにか変わったことに気づかなかったかというのが、警部さんのご質問なんだ。きみたちなにか変わったことに……?」

 金田一耕助はかわるがわる、ふたりの顔色をうかがっている。かれらはたしかになにかしっているのである。

「そのことですがねえ、金田一先生、じつはここで片帆ちゃんが犬にかみ殺されているというので、こうしておおぜい人が集まってきたんでしょう。荒木くんなんか野次馬だから、島の人たちといちばんに駆け着けてきたクミです。ぼくはあなたがたといっしょにここへ来たんでしたね」

「うん、それはそうだが、それがなにか……?」

「ところが、はじめのうちは片帆ちゃん、犬に咬み殺されたんだということになっていたでしょう。荒木くんもそう思い、ぼくもそう信じていたんです。ところが、そこにいらっしゃる先生の口から、片帆ちゃんは犬に咬み殺されたんじゃない。そのまえにだれか人間に締め殺されたんだと発表したでしょう。そのとたんぼくたち思い出したことがあるんです。それを申し出るべきかどうしようかと、さっきから荒木くんと相談していたんです」

「それ、どういうことなの」

「ぼくたちが晚飯を食って錨屋を出たのは、七時をだいぶんまわってからのことでしたが、その時分まだあたりは明るかったんです。東京あたりにくらべると、このへん日の入りがだいぶん遅いですからね。うえの神社でなにかお手伝いすることはないかと思って、荒木くんと相談して錨屋を出たんです。御寮人さんがとてもぼくたちを頼りにしてくださいますし、それに、こんな島では時間をもてあましてしまいますからね。ことに夜など……」

 五郎のその説明は冗漫でくだくだしく、どこか弁解じみて受け取れた。五郎も定吉も、刑部神社になにか心|惹《ひ》かれる、特殊な事情があるのではないかと、金田一耕助は内心考えている。

 しかし、表面はさりげなく、

「ふむ、ふむ、それで……?」

「われわれ、それぞれ懐中電灯を用意していました。地蔵坂から地蔵峠へかけて、ところどころ街灯がついておりますけれど、それだけじゃ心細いですからね。だから暗くなるのはいっこう構いませんが、雨具の用意はしていなかったんです。まさかあのような大雷雨になろうとは、思いもよりませんでしたからね」

「なるほど、なるほど、それで……?」

「地蔵坂の途中まできたとき、日はとっぷりと暮れてしまいました。しかも、遠くのほうでゴロゴロと雷が鳴り出しました。それでもまさかあんなに激しい雨がだしぬけに、落ちて来ようとは思いませんから、荒木くんと冗談口を|叩《たた》きながら、地蔵坂を登りつめ、地蔵峠へさしかかったのです。その時分にはもうあたりは真っ暗になっていました。そして、急に激しい雨が落ちてきました。まるでバケツの水をぶちまけるような雨で、ぼくたち、たちどころにしてズブ濡れになってしまったんです。おまけに雨とともに雷が急に激しくなって、もうゴロゴロなんてなまやさしいもんじゃない。頭のうえでガタピシ、ガタピシ、天地がひっくり返るような|物凄《ものすさま》じい音です。ぼくはそれほど雷|嫌《ぎら》いじゃありませんが、あのときの雷だけは|辟《へき》|易《えき》しました。荒木くんも|蒼《あお》くなっていたようです。ときどき紫色の稲妻が、さっと|暗《くら》|闇《やみ》を裂いて走ります。その稲妻のなかで見たんです。道ばたに人が動くのが……」

「それ、地蔵峠のどのへん……?」

「まあ、ちょっと待ってください」

 五郎は緊張の|瞳《ひとみ》をとがらせて、ぐっと|生《なま》|唾《つば》をのむようにひと息入れると、

「なにしろ稲妻の光りで見たんですから、一瞬のできごとでした。つぎの稲妻が走ったときには、もうその姿は見えませんでした。しかし、荒木くんも見たといいます。道ばたにだれか人間の動くのを……そこでふたりでその人影の見えたところへいってみました。そしたら、それまで荒木くんもぼくも、全然気のつかなかった枝道がそこにあり、角に赤松が一本そびえており、街灯もついておりました」

「この隠亡谷へ降りてくる道なんだね」

「そうです、そうです。荒木くんもさっきそれに気がついたといってますし、ぼくもあなたがたについて、ここへ降りてくるとき気がついたんです」

 一同はシーンと静まりかえって、五郎の口もとに目をやっている。時刻からいって、片帆が絞殺される直前だと思われるからである。

「それで、問題はその人間だが、それどういう人物だった?」

「それがわからないんです」

「わからないって、それまできみたちが会ったことのない人物だったかもしれないが、男だったか女だったか、それくらいはわかったろうに」

「いいえ、それもわかりませんでした」

「そんなバカな。いかに一瞬のこととはいえ、きみたちそれが人間だとわかったんだろう。それじゃ男女の性別くらい」

 と、さすがの金田一耕助もじれったそうに、

「わかりそうなもんじゃないか。荒木くん、きみはどう?」

「それが、金田一先生、ぼくにもようわからなんだんです。それちゅうのが……」

「それちゅうのが……?」

 金田一耕助がオーム返しに尋ねると、定吉は唾をのみこむようにノド仏を大きく回転させ、妖しく目をとがらせながら、

「そいつ……たぶん男じゃと思いますけえど、そいつ|菅《すげ》|笠《がさ》をこう目深にかぶり、体には|蓑《みの》を着ていよったんです。そうじゃったなあ、三津木さん」

「そうそう、そのとおりです。おまけに下半身は深い草のなかに埋もれていましたから、これじゃ男か女かわかりようがありません」

 隠亡谷にはいま、暑い夏の陽差しがカーッと照りつけている。なにもしないでそこに立っているだけでも汗が流れるのである。それにもかかわらずその瞬間、そこにいる人びとは汗が乾いて、|肌《はだ》に凍りつくような恐怖を覚えずにはいられなかった。

 この人たちはみんなしっているのである。刑部神社の社務所の壁に、蓑と菅笠がかかっていることを。それはいまでもそこにかかっている。……

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