「戻りました」
ちょうどそこに伸羅が戻ってきた。
「あ、伸羅」
「ん?あなたが伸羅?」
阿佐美が訊いた。
「え?あ、はい」
「私は音沢阿佐美(おとざわあさみ)っていうの。地味って言われる『応対班』にいるんだけど……知ってる?夢の依頼を受けるとこ」
「そりゃ知ってるよ。……って何?」
阿佐美は伸羅をじっと見ていたが、
「……ああ、いや、湧奈からはよく聞いてるよ。……頑張ってね」
とだけ言うと、
「失礼しました」
部屋を出ていった。
「……何を頑張れっていうんだろね?」
湧奈は言ったが、伸羅は黙ってすぐに自分の席について仕事を始めた。
何で分かるんだよ……?
「さて、忙しくなるぞ」
宏忠が言った。
それからの数日間は伸羅達にとって、一番忙しかったと言っても、過言ではないくらいであった。いつも通りの夢集めをする一方で、見学に来る人たちへの対応を考えたり、夢の内容を考えたり……。
あっという間にその日はやってきた。
社長の西村義忠(にしむらよしただ)は、会社の前に立っていた。
時間は午後十一時頃。
しばらくして、五人の若者たちがやってきた。
「あ……野澤憲一(のざわけんいち)さん、ですか?」
「はい、そうです」
「社長の西村と申します。……早速、社内の方を案内させていただきます」
「社長が、ですか?」
憲一は少し驚いた様子を見せた。が、義忠は
「初めてのお客さんですから」
事も無げに言った。
「ビジネスチャンスだからだろ?」
若者の一人が言った。
「おい、准太!」
憲一が注意する。
「……すいません。こいつちょっと……」
「気にしてませんよ。ビジネスのことをまったく考えていない、と言ったら嘘になりますし。……では、行きましょうか」
「お願いします」
六人が最初に向かった場所は、『応対班』だった。
「ここでは、夢の注文や相談などを、インターネットや電話を通じて受ける場所です」
「臨機応変に対応しなきゃいけないので、そういうところが大変です」
湧奈と入社した時期は変わらないが、その実力によって班長になった阿佐美は言った。
続いて六人が向かったのはコピー班だった。
「ここの職員のほとんどは、外に出て夢をコピーしているんです」
「屋根の上を移動したり、夢をコピーするためにちょっと変わった道具を使っています」
宏忠はそう言って、社員を二人呼んだ。伸羅と湧奈であった。
「この靴はここを押すと……」
湧奈が説明を始めた。研修の時より落ち着いていた。
「夢をコピーするときには、これを使います」
今度は伸羅が説明する。
「……そして屋根にこれを……!」
伸羅は、何か危険を感じた。辺りを見回す。が、特にそれといったものはない。
「……北郷君……?」
「あ!?す、すみません!」
何だったんだ……?
伸羅の説明も終わり、六人は部屋を出て、次の部屋、仕分け班に向かう。
「仕分け班では、夢を大まかなジャンルに分ける作業をしています」
「まあ、みんな真面目なので、上手くやれています」
こちらも若くして班長になった要が緊張気味に話した。
次に六人がやってきたのは、編集班である。
「ここでは、分けられた夢に個人情報が含まれていないかを確認し、また、希望に沿った夢に編集しています」
「ある意味一番重要な仕事なので、緊張感を持って働いています」
この班の、阿佐美たちの次に若い班長、平河隆介(ひらがりゅうすけ)はそう話した。
「平河さんは仕事丁寧ですから失敗とかしたことないんですよ!」
隆介の後ろの方で仕事をしていた明里が口を挟んだ。
「ちょっと、室橋さん!」
「あっ、ごめんなさい!つい……」
「……次、行きましょうか」
義忠は、半ば呆れながら、言った。
最後に六人がやってきたのは配達班である。
「ここの職員は、完成した夢を運ぶのが仕事です」
「コピー班と同じような道具を使っています。……おい、矢波、お前説明してくれ」
班長の今塚雅史(いまづかまさし)に、なぜか気に入られている修斗は渋々その指示に従った。
「……これは、屋根の上にこう取り付けて、夢をお客さんに送ります。それから……」
彼の説明が終わり、見学は終了となった。あとは、
「今日の夢、期待してます」
「お任せ下さい」
今日の仕事を終え、椅子にもたれ掛かりながら、湧奈は天井を見上げていたが、堪えきれなくなって、伸羅に話しかけた。
「夢、喜んでくれるかなあ?」
が、伸羅は答えなかった。伸羅は先ほどのことが気になっていた。
「?……伸羅?」
「……あ、何?」
「だからさ、夢どうかな?って」
「ああ、夢かあ。うん、大丈夫だよ。みんなで頑張って作ったんだもん」
「そうだよね!」
「うん」
……まあ、いいか。
憲一は、どこまでも続く、大草原に立っていた。風が気持ちいい。
「これ……夢か……?」
疑ってしまうほど、意識がはっきりしている。少し走ってみる。自由だ。
「……でも、これだけじゃあ現実とあんまり変わんねえな」
しばらく走ってから、憲一はジャンプした。が、いつまでも足は地に着かなかった。
「飛べるのか……」
不思議な感覚。水に潜っている時のような……無重力とはこういう感覚なのだろうか。しばらく飛んでいると、街が見えてきた。
「すげえ……」
空を飛ぶ夢。幼い頃はよく望んでいたが、叶わなかった夢。
「これだけなのにな」
憲一は満足していた。そして、いつまでも降りずに、飛び回った……。
次の朝、BAKUの社内に放送が流れた。
『ただいま、見学した方から連絡がありました』
社内のほとんどの者が足をとめて、その放送に耳を傾ける。
『「幼い頃の自分を思い出せました。ありがとうございました。またよろしくお願いします」とのことでした!』
放送の声が大きくなった。そして同時に社内から、歓声があがった。大成功であった。
「やりましたね!推関さん!」
湧奈は半分悲鳴になったような声で言った。
「ああ。君たちのおかげだ」
そう言う宏忠の目は、少し潤んでいた。
「やったね!伸羅!」
「うん。なんか凄いやる気出てきたよ!」
「よーっし!もっと頑張ってBAKUを世界広めよっ!」
「世界って……」
呆れる伸羅に対して、推関は
「いやあ、これでここの将来は安泰だな!」
と嬉しそうに言う。
「でも……よし、僕もやりますよ」
伸羅は、今度はそう言った。
この人たちとなら、きっとやれる。そう思えたのだ。
5,急変
雲一つなく、とても気持ちのいい、夜だった。
伸羅はもう準備ができ、夢をコピーしに出ようとしていた。湧奈はまだ来ていない。
「湧奈、来ませんね」
「まあ、このところ、忙しかったからね。今日は急ぎの仕事はないし、少しは許してあげよう」
推関はそう言い、もう一言、付け加えた。
「笠石さんが来るまで、休んでていいよ」
「いや、」
伸羅は断った。
「コピーした夢の数、湧奈にいっつも負けてるんで、今日は先に行って勝ちますよ」
「そうか、気を付けてね」
「はい」
伸羅が出て行ってから、宏忠は時計に視線を移す。
いつもなら、もう来ているはずなんだが……。
次の瞬間、湧奈が部屋に飛び込んできた。
「ごめんなさいっ!寝坊しましたっ!」
「よかった。何かあったのかって心配になってたところだったんだよ。ついさっき北郷君が出掛けたよ」
「ほんっと、すみません……。え、伸羅?ヤバッ!今週今んところ全勝なのに!」
「北郷君もそのこと言ってたよ。今日は勝つって」
が、湧奈はもう、宏忠の話を聞いてはいなかった。すぐに準備を済ませ、
「行って来ます!」
言うが早いか部屋から出ていった。
宏忠は椅子に座り直した。
「……まだ、もう少しかかるかな……」
会社をでて、一時間ほどが経っていた。伸羅は家の壁に寄り掛かって空を見上げていた。
「早く……」
誰でもいい。気づいてくれ……。
ちょうどその時、湧奈がその側を通り過ぎた。
「ゆ……」
一方湧奈も、家と家との間に見える人影に気づいた。
「あれ?伸羅かな」
さっきまではなかった小さな雲が月を覆い、
辺りは少し暗い。だが、それがBAKUの制服であることは認識できた。
「なーにやってんだろ?」
そちらの方に一歩踏み出した時、月が出てきた。
「?」
赤い壁。
違う。あんな模様のある壁なんてない。
では、あれは……?
「……血……!」
湧奈はそこまで、一気に走り抜けた。
鼓動が激しくなる。苦しい。
伸羅は、壁に寄り掛かっていた。その目にはもう、光はない。ただ、口だけが微かに動いている。
「伸羅!」
「……お、」
「?」
「女……」
「女って何?アタシだよっ!湧奈!」
言いつつ、湧奈は携帯を取り出す。
「もしもし!救急車をお願いします!人が!伸羅が!血が……!」
が、まともに話すことができない。
『落ち着いてください!場所は!?』
「ば、場所?」
『あなたがいる場所です!』
「あ、えと……」
頭の中は真っ白であった。
「ここ、どこ……?」
携帯を取り落とした。涙がこぼれ始めた。相手は湧奈に訊くのを諦めたようだった。
『この電波はどこから出ている!?』
逆に伸羅は、湧奈の声でわずかに意識を取り戻した。
「見た……こ、と、ある……顔……」
「当た、当たり、前でしょ……」
湧奈は嗚咽しながら言う。
「姉妹、か、親戚、か……」
「何を……」
「……恨み、だ……」
「伸羅!目覚ましてっ!」
そこまで言って、湧奈は咽せてしまった。
が、伸羅は冷静だった。視界がますますぼやけるのを感じ、自分がもう助からないと、悟った。だからこそ、冷静になれた。
あと、言わなきゃいけないことは……
伸羅は倒れた。湧奈はそれを受け止めたが、その血を見まいと、おもわず目をそらしてしまった。しかし、湧奈の耳が近くにあることは、伸羅にとっては好都合だった。もう、ほとんど声がでないのだ。
「湧奈……」
湧奈は嗚咽しながらも、耳をすました。
少し間が空いてから、微かな声が聞こえた。
「恨むなよ……」
「う、ら、むわけっ……ない、でしょ……」
湧奈は勇気をだして伸羅を見た。が、伸羅の目はもう、完全に濁ってしまっていた。
救急車が到着したのは、その三分ほどあとのことだった。まだ、湧奈は嗚咽していて、伸羅の身体が運ばれると、静かに泣き出した。堪えていたものがあふれ出した。
次の日の午後、伸羅の葬式が行われた。湧奈は会場に姿を現したものの、式が始まってしばらくすると、式場を出ていってしまった。修斗はその態度に腹を立てていたが、宏忠は
「今は、そっとしておいてあげよう」
と言っただけだった。
突然起こった殺人事件、北郷伸羅の死は、BAKUの人々を悲しませ、また、恐怖させた。
6,推理
事件から、一週間が経とうとしていた。湧奈は伸羅が亡くなってから、一度も会社に出勤していない。
「……っ!」
アタシがいつも通りに出社していれば……。
いや、それ以前に、ずっと二人で行動していれば、あの時、伸羅はアタシを待ってたはず……それなのに!
一方、BAKU本社では、警察による捜査によって、何人か犯人と思われる人間があがってきていたが、特定するまでには、まだ時間がかかりそうだった。
「……他に、何か気になった点はありませんか?本当にちょっとしたことでもいいんです」
宏忠は、同じ質問を何度もされていた。
「昨日もお話したように、もうそういうことはありません」
「……では、笠石さんを呼んでもらえませんか?」
「彼女は……」
できれば、今呼び出したくない。
「笠石さんが、最初に北郷さんを発見したと聞きましたが……」
しかし、宏忠の様子に気づき、警官、古谷悟(こたにさとる)は口を噤んだ。
「……」
部屋が重い空気に包まれた。
が、不意に扉が開かれた。
「笠石さん……?」
「すみません、全然出てこなくって……」
湧奈は、笑顔と共にそう言った。いや、湧奈はそういうつもりだったが、周りから見れば、湧奈のそれは『苦笑』であった。
「大丈夫か?」
「はい」
「あの……」
宏忠の隣にいる悟が声をかけてきた。
「あ、刑事さんですか?」
湧奈がそれに応えた。
「はい……お話を聞かせていただいても、よろしいでしょうか?」
「いいですよ」
彼女はあっさりそれを受けた。
「笠石さん、無理はしなくていいんだよ」
宏忠の言葉には応えず、悟に
「ちょっと待ってください。今思い出しますから……」
と言って、目を閉じた。
「……」
しかし、すぐ開いて、
「アタシはその辺りを、夢を探すために通ったんです」
早口でそう言った。
「現場を見つけたとき、他に不審な人影を見たりはしません
でしたか?」
「現場……」
「何でもいいです」
「え?あ、ああ、えと……」
顔を伏せて、考えた。いや、考えているフリをした。
「……」
「また今度でもいいですよ」
悟はそう言ったが、湧奈は下を向いたまま、首を振った。
早く、犯人を捕まえてほしい。
「伸羅が、な、にか……」
限界だった。頭の中にその時の様子が写真のようにハッキリと写しだされた。
「血が、違う、そうじゃない……」
湧奈はその場に崩れ落ちた。それを宏忠が受け止めたが、それもまずかった。伸羅が倒れてきた時の感覚が蘇ってきた。
「……っ!」
宏忠を突き飛ばすと、床に頭をつけて、泣き出した。誰も、声をかけることはできなかった。
悟は、帰っていった。ただ、その時に一枚の紙を宏忠に渡した。犯人と疑われている者たちの写真が印刷されたものだった。宏忠は何度か目にしているが、知っている人物は一人もいない。
湧奈は、自分の机の前に座ってはいたが、何をするでもなく、ただ、座っていた。その目に光はない。
「落ち着いたか?」
宏忠が声をかけると、振り向きはしなかったが、頷いた。
「……ちょっと来て、話さないか?」
宏忠は湧奈を休憩室に連れていった。部屋には、二人の他には誰もいなかった。
「うん、ちょうどいい。……座って」
彼女は、それに従った。
「……北郷君のこと、もしかして、自分のせいだと思っているのか?」
微かに反応があった。
「それは違うよ」
「違いませんっ」
不意に湧奈が口を開いた。と、急に早口で話しだした。
「アタシこの頃伸羅とは別行動してました。今まで通りに二人で行動してればあの時伸羅はアタシを待っていたはずです。競争なんかしていなきゃ」
「考えすぎだよ」
「それだけじゃない。伸羅を見つけた時アタシはパニックになって救急車を呼べなかった。冷静でいられなかった」
「誰だってそうなってしまう」
「そんなの言い訳ですっ!」
湧奈はまた下を向いて黙り込んだ。
「……じゃあ、仮に、君の言っていることが正しいとしよう」
宏忠は静かにそう言い、さらに続けた。
「そうだとして、北郷君は、君が自分を責め続けることを望むと思うか?」
また、反応があった。
「……『恨むな』……」
「え?」
湧奈が顔をあげた。その頬を、再び涙が伝った。
「伸羅が、最期に言ったんです。最初はアタシ、伸羅を恨むなって意味だと思ってたけど」
「笠石さんに、自分を責めるなって言ったんだね」
宏忠が続けて言った。
「……」
湧奈の目に、光が戻った。
「推関さん、」
彼女は言った。
「もう一度、刑事さんと話します」
「そうか。分かった」
と、ここで宏忠はポケットに入れたままにしていたそれを思い出した。
「そうだ、笠石さん」
「はい、……?」
「今、犯人と疑われている人たちの写真だよ。知っている人とかいる?」
「うーん……」
そこに印刷されている六人は、全員、湧奈の知らない人物だった。
でも、何だろう、この違和感?誰かに似てる人でもいるのかな……?それとも……
湧奈はハッとして、再びその紙に視線を落とした。
「『女』」
言いながら、取りだしたペンで男の顔に×印をつけていく。
「笠石さん……?」
「『見たことある顔。親戚か、姉妹か』」
残った顔の中の一つに丸をつけた。
「『恨み』……そうか……」
「笠石さん、何か分かったの?」
「はい。伸羅の言葉を信じるなら。刑事さん、呼べますか?」
悟は、三十分ほどで会社にやってきた。
「早速ですが、お尋ねしたいことがあるのですが……」
先ほどとは別人のように言う湧奈に、少し戸惑いながら、悟は言った。
「なんでしょうか?」
「この人に妹はいますか?」
「えっと、藤井文佳(ふじいふみか)は……」
手帳を取りだし、それを見ながら彼は答えた。
「いますね。二人」
「やっぱり」
「笠石さん、どうして……!」
言いかけて、宏忠はそれに気づいた。彼もこの女の家族に会ったことがあった。しかも、最近のことである。
「そうか……!」
「詳しく話してもらえませんか?」
悟の言葉に湧奈は頷き、話し始めた。
「はい。アタシが伸羅を見つけた時、彼はまだ意識がありました」
先ほどとは打って変わって、ゆっくりと話す。
宏忠には、湧奈が自分を必死に制御しているように見えた。
「伸羅はアタシに言ったんです。『女』『見たことある顔。親戚か、姉妹か』『恨み』……最初はおかしくなってしまったのかと思ったんですけど、この紙見て気づきました」
「犯人のことを言っていると?」
「はい。『女』だけじゃ分からないですけど、『見たことある顔。親戚か、姉妹か』ってとこでピンときました」
「どうして藤井だと?」
「最初は、会ったことがある人の名字だったからってだけでした。でも、顔もその人と似てたし、今、確認したら、妹が二人いるし……その妹の名前は『奈々子』ちゃんと『沙奈』ちゃんですよね?」
「えーと……!はい」
「伸羅もその子たちと会っています。だから、そう感じたんだと思います」
「『恨み』というのは相手の様子からと思われますね。それに関しては」
「沙奈ちゃんは、彼女の母親が言うには、長女の影響でBAKUを強く憎んでいるそうです」
「……」
悟は湧奈の話を手帳に書き込むと
「ありがとうございました。他に証拠になるものがないか探してみます」
「……絶対に、犯人を捕まえてください」
湧奈の目には強い光があった。
数日後、藤井文佳にこの話をしたところ、容疑を認め、その後彼女の住んでいたアパートの部屋から、ナイフが見つかり、それから被害者のものと同じDNAが検出されたと、警察署から連絡があった。
7,調査
湧奈は文佳と対面した。
文佳は落ち着いていた。が、湧奈の着ている服がBAKUのものだと分かると、湧奈を睨み付けた。
「……何ですか?」
湧奈は努めて、怒りを表に出さないように言った。
「BAKUの社員なんか来るな」
相手も静かに言った。
「なんでうちの会社を恨んでるのかを聞かせてください。それを聞くまで帰りません」
「うるさい、帰れ」
「帰りません」
「帰らないと、お前もこの間の男みたいに殺」
「このっ……!」
文佳に掴みかかろうとする湧奈を、側にいる警官が止めた。
「……とにかくっ、アタシは帰らない」
湧奈は怒りを静めながら、言った。
「……」
文佳はしばらくの間、黙っていた。湧奈もまた、黙っていた。
やがて、文佳が口を開いた。
「……私の父は、BAKUに殺されたんだ」
「えっ……?」
意外な言葉に、湧奈は驚き、戸惑いを隠せなかった。文佳はそれを気にも止めず、続ける。
「十年くらい前、父はBAKUに夢を依頼した。そして、その次の日、父は目を覚まさなかった。……亡くなっていた。夢を見たまま。それなのに証拠が不十分だからってBAKUは罪を問われなかった」
「……でも、夢のせいかは分からないし」
「夢が届いたその日に亡くなったんだ!そうに決まってる!」
湧奈は、それ以上言い返すことができなかった。
会社に戻った湧奈は、その日仕事に集中することができなかった。自分が誇りに思っていた会社が、殺人を犯したかもしれない。それを思うと、自分が今やっていることにも自信を持てなくなった。
「笠石さん、何かあった?」
宏忠にそう訊かれた時、湧奈はそれを言おうか迷った。宏忠はこの会社に長く勤めている。
十年前も勤めていたかは分からないが、もし勤務していたのだとしたら……。
「いえ、何でもありません」
「そう。ならいいんだけど……」
今の湧奈は宏忠を信じることができなかった。
十年前の事件について、調べたい。しかし、アタシ一人じゃ厳しいかもしれない。
湧奈は、携帯をとりだした。
次の日の午前十一時半、湧奈は喫茶店で友人たちを待っていた。以前、要と明里、そして伸羅と来た時と同じ時間である。
しばらくして、そこに要、明里、修斗、阿佐美の四人がやってきた。
「話って何?」
明里は早速訊いてきた。要と修斗は黙っている。
「……犯人が捕まったっていうのは知ってるよね?」
「うん」
「その犯人が、BAKUにお父さんを殺されたって言ってるの」
「え!?」
四人は驚きを隠せない。
「そんなの嘘に決まってる」
修斗が言った。
「アタシもそう思った。だから、その事件について調べてみようと思うんだけど……」
湧奈は、そこで一度言葉を切った。
「……手伝ってもらえる?」
「いいよ!」
「私も協力するよ」
明里と阿佐美は即答した。しかし、修斗と要はすぐには答えない。修斗は別のことを訊いた。
「お前、伸羅のことをどう思ってた?」
「え……?」
修斗は、事件が起きた直後の、湧奈の態度が許せなかった。
「お前は葬式を途中で抜け出した。そのあとも最近まで部屋に閉じこもっていた」
「……」
「逃げた」
「……」
「人の、伸羅の死と向き合えなかった奴が、今更何を言ってんだ」
「アタシは……」
湧奈は俯いてしまった。他の三人も黙っている。修斗は溜息をついてから、言った。
「だから、もう一度、本当に伸羅を大切に想ってたのか言ってみろって言ってんだよ」
湧奈は顔をあげた。修斗は目をそらした。修斗の隣に座っている要が、湧奈に向かって頷いた。
「アタシは、伸羅のこと……」
頭を振る。
「伸羅は、大切な仲間だった。伸羅は迷惑に思ってたかもしれないけど、アタシは伸羅を信頼してた」
修斗はまた溜息をついた。
「伸羅は、迷惑とか、思ってなかった」
「え?」
「アイツ、最期まで言わなかったみたいだけどな、伸羅は……」
修斗はそこで言葉を切ったが、湧奈にそのことを伝えるには、それで十分だった。
「!?」
湧奈は驚き、同時に、伸羅が最期の時、湧奈に『恨むな』と言うまでに少し間が空いたその理由も分かった。
伸羅はかなり迷っただろう。しかし、自分の最期の時に気持ちを伝えても、湧奈の心にあける穴を大きくするだけである。だから、伸羅は未来の湧奈を助ける『恨むな』という言葉を遺したのだ。
「……」
湧奈は下を向いて、しばらく黙っていた。
今、口を開いたら、堪えているものが、溢れてしまう……。
「……まあ、お前の気持ちは分かった」
修斗は湧奈には目を向けずに言った。
「俺も協力する」
「……私も」
要がそれに続いた。
「……ありがとう……」
湧奈は、やっとのことでそう言った。
その日の夜、出勤した阿佐美と要は、早速『資料室』にむかった。ここに入ることができるのは、各班の班長のみであったため、これは五人の中で、二人にしかできなかった。
「十年前だから……」
「あ、あそこじゃない?」
しかし、そこには阿佐美たちが思っていたよりも多くの資料があり、二人が探しているそれを見つけるのにも、時間がかかりそうであった。
彼女らが途方に暮れていると、後ろから声をかけられた。
「手伝おうか?」
「え……?」
振り返ると、隆介と雅史がいた。
「室橋さんから話は聞いたよ」
「俺も矢波から聞いた。協力しよう」
「ありがとうございます」
二人はBAKUが再び一つになろうとしているのを感じた。
湧奈は、阿佐美から連絡を受けた。
『会社の資料によると、十年前の四月六日の朝にBAKUは依頼を受けてる。で、その日の夜に夢を届けに行った。この時には異常なし。次の朝、その家から、依頼者が目を覚まさないとの連絡を受けた。そしてそのすぐ後に死亡が確認された……。事件に関してはこれだけ。だけど、一つ分かったのは、BAKUの作った夢に問題はなかったってこと』
「ってことはやっぱりこの事件にはまだ……」
『何かあるみたいだね』
次の日、湧奈たち三人は警察署に向かった。
「こんにちは」
「あ、どうも」
ちょうど悟が署から出てきたところだった。
「あれ、悟?」
修斗の声に、悟も目を見開いた。
「修斗か?」
四人は悟について、署の一室に入った。
「悟とは、同じ大学だったんだ」
修斗が話した。
「え?……ってことは」
「ああ、」
悟は口調を変えた。
「伸羅とは、よくあちこちに遊びに行ったりしてた。……でも、まさかこんなことになるとは思わなかったよ……」
誰も何も言えず、沈黙がその部屋を覆った。
しかし、その沈黙に堪えきれなくなり、明里が口を開いた。
「十年前に起きた事件について調べてるんだけど……」
「十年前の事件?」
湧奈がこれまでの経緯を説明した。
「……で、その事件のことを調べてるの」
「……分かった。ちょっと待って」
悟は出ていった。が、十分ほどで戻ってきた。
「もう少し待ってて、今調べてるから」
そして彼は続けた。
「……ところで、俺もBAKUの人に訊きたいことがあったんだ」
「?……何?」
「事件当時、伸羅は何か、特別な靴を履いてたよな?」
「あぁ、コピー班と配達班だけが持ってるやつのことだね」
「BAKUにしかないんだよな?」
「うん……?」
何でそんなことを訊かれるのか、不思議に思いながら、湧奈は答える。
「屋根の上に跳び上がれたりするんだよな?」
「そうだよ」
悟は、少し間を空けて言った。
「……藤井文佳は、伸羅に声をかけて屋根から降ろしてすぐ、靴を壊しにかかったそうだ」
「!……靴のことを知っていた……!?」
驚く湧奈に対して、修斗は冷静に返した。
「でも、BAKUの社員を見てれば、何かあるって考えるのは普通じゃないの?」
「いや、それだけじゃ、一撃で確実に靴を壊すなんてことできない」
「一撃で?」
修斗の目が、微かに見開かれたのを見ながら、悟は答えた。
「ああ。きれいにその靴の中枢部分がやられてる。靴の作りを知らなきゃできねえ」
「……」
三人は黙り込んでしまった。
まさか、BAKUの社員の中にスパイが……?
三人が互いに顔を見合わせているその中で、再び悟が口を開いた。
「警察署の中には、BAKUにスパイがいるんじゃないかって意見も出てるけど、俺は、そうは思いたくねえ」
「……」
「……だから、俺はこう訊く。……最近、BAKU社内に社員以外の人間を入れたことはあったか?」
「……」
三人は混乱していて、すぐには答えられなかったが、すぐにそれを思い出した。
「!……ある……」
「ホントか!?」
「社内を案内したんだ。つい最近、そういう要望があって……五人」
「そうか……」
言いながら、悟は手帳にそれらのことを書き込んだ。
「……よし。ありがとう」
と、ここで部屋の扉がノックされた。
「はい!」
悟が返事をすると、一人の警官が入ってきた。
「事件の資料、持ってきたぞ」
「ああ、助かった。ありがとう」
その警官が部屋を出ていくと、悟は三人の前に、数枚の紙を置いた。
「修斗たちが見たいっていうのは、これだな?」
修斗がそれを手にとって目を通す。明里と湧奈もそれを覗き込んだ。
「……」
「あっ!これっ!」
明里が指さした所には、遺体の体内にあった物質のデータが印刷されている。
「ほらっ、『睡眠薬』って!」
「ああ、それか」
悟が口を開いた。
「その事件、遺体の解剖を遺族が断ったから、簡単な検査しかしてねえんだよ」
「でも」
「被害者は、普段から睡眠薬を使ってたんだ」
「……」
結局、その資料からも、有力な情報は得られなかった。
警察署の前で、三人は途方にくれていた。
「……どうする?」
明里の問いに、誰も答えることができない。
「……」
「俺らができるのは、ここまでか……」
修斗が呟いた。
「いや、まだ……」
が、湧奈に良い案があるわけでもなかった。
「でも」
「まだ!」
湧奈は考えた。そういうのは苦手だったが、考えた。このままで終わりにしたくない。
が、思いつかなかった。
「……行こう」
渋々、会社に向かう修斗に従った。
湧奈は今日も、仕事に集中することができなかった。これ以上こんな状態が続けばクビになりかねない。ただ、それでもこの会社にいられるのは、彼女が、他の社員が恐れて避けるようになったコピーの仕事を、何も言わずに引き受けていたからであった。湧奈にしてみれば、伸羅が最期までやっていた仕事を避けるなど、ありえないことだった。
彼女がクビにならずに済んでいるもう一つの理由は、一人の男が、彼女のこれまでの功績を常に報告していたことだった。
その男……宏忠は、湧奈の様子がおかしいことに逸早く気づいたが、何かあったのかと尋ねても、彼女は何もないと答えるだけだった。
が、今日は違った。湧奈は、宏忠にこう問い返してきたのだ。
「推関さんは、十年前からここで働いていましたか?」
なぜそんなことを訊くのか、宏忠には分からなかったが、答えた。
「うん、働いてたよ」
すると、湧奈の顔が強張った。
「……それがどうかしたの?」
宏忠はさらに訊いてみる。
「あの、十年前に、事件ありましたよね?それで、あの……」
そこまで聞いて、彼には、どうして湧奈が緊張した面持ちでそんなことを訊いているのか、だいたい分かった。