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第11章 最後に残されたトリック

作者:日-竹下義朗 当前章节:5011 字 更新时间:2026-6-23 02:02

美と健康サロン YOSHINO

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 午後5時、俺は涸沢岳頂上を越え、標高2996メートル、白出のコルに建つ穂高岳山荘へと着いた。本当は小山のいる北穂高小屋まで行きたかったのだが、時間的にそれは無理だ。今夜は、ここを宿にしよう。

 穂高岳山荘は穂高連峰の十字路的存在だ。山荘を中心に南北を穂高連峰の主稜線が走り、北は涸沢岳、北穂高岳、北アルプス有数の険路、大キレットを経て槍ヶ岳へと至り、南は富士山、北岳に次ぐ日本第3位の高峰、標高3190メートルの奥穂高岳が穂高の盟主として聳(そび)え、更には前穂高岳や、日本でも屈指の難易度を誇るジャンダルムから西穂高岳への縦走路が続く。一方、東はザイテングラートの岩稜から涸沢を経て上高地へ、西は白出沢から西俣林道を経て新穂高へと至る。山荘の窓からは、遠く東にピラミダルな常念岳(じょうねんだけ)、西には飛騨の名峰、笠ヶ岳(かさがたけ)の雄姿を拝す。ロケーション的には正に最高だ。

 夕食を終え消灯までの暫しの時間、岳人(がくじん)達が薪(まき)ストーブを囲んで山談義(やまだんぎ)に花を咲かせている。その同じ山、しかも目と鼻の先で、ほんの10日前、人一人が殺されたのかも知れない等と一体誰が想像するだろうか? 俺は彼らを見ながら、複雑な思いで一杯だった。

 10月22日、木曜日── 。

 俺は朝食を済ませると、再び涸沢岳へと向かった。今日は新穂高へと下(くだ)る訳だから、本当は穂高岳山荘から、その儘、白出沢のガレ場を下ればいいのだが、昨日、稜線へと取り付いた涸沢岳の支稜を起点に、新穂高までの所要時間を実測しようと考えたのだ。

 午前7時に涸沢岳の支稜をスタートして、新穂高へ下山したのは午後1時過ぎ。およそ6時間だ。藍沢を殺した深山が現場をいつ頃立ち去ったのかは分からないが、夜の闇に包まれた中での行動になった事だけは間違いない。当然、ヘッドライトは用意していた筈だ。それに、6時間かかったとは言え、白出沢出合から新穂高までの1時間半は緩慢(かんまん)な林道歩きだ。白出沢出合まで無事下(お)りる事が出来れば、あとは何とでもなる。夜間の行動とは言え、人一人を殺す事に比べれば造作(ぞうさ)も無かっただろう。これで、10月11日の謎も解けた。しかし、それでも越えねばならない最後のトリックがまだ残されている。それをどうやって突き崩していくか ?

 新穂高バスターミナル前の日帰り温泉で急ぎ汗を流し、慌ただしく昼食を済ませた俺は、午後1時55分発のバスへと飛び乗る。途中、平湯温泉で乗り換え、松本バスターミナルへ着いたのは午後4時半。俺は3日前と同じ松本駅近くのホテルへとチェックインした。

 最後に残されたトリック。それは登山届の謎だ。10月9日、金曜日。上高地インフォメーションセンターに出された登山届は紛(まぎ)れもなく藍沢本人が書いたものだ。そこには、同日に涸沢小屋、10日、土曜日に北穂高小屋への宿泊予定が書かれ、「藍沢俊英」を名乗る何者かが実際に泊まってもいる。一方、藍沢本人は前日の8日、木曜日の深夜、松本駅近くのホテルへとチェックインし、登山届が上高地インフォメーションセンターに出された9日も連泊。松本を発ったのは10日だが、その日は平湯温泉の宿に泊まっている。そして、平湯温泉の宿を早朝チェックアウトした11日、日曜日の午後、涸沢岳沢で遺体となって発見されたのだ。つまり、登山届は藍沢本人によって書かれたものだが、いつの時点の事かは分からないが、彼の手を離れて別人の手へと渡り、その人物が北穂高小屋へ宿泊するまで「藍沢俊英」を演じていた事になる。それは一体誰なのか? 深山は、登山届が出された9日は六本木ヒルズのヌーベルバーグへと出社し、10日の夜は平湯温泉の宿で藍沢と同宿、11日の早朝、藍沢と共にチェックアウトし、その日の午後、彼を殺害した筈だから、9日に登山届を上高地インフォメーションセンターへと出す事は物理的に不可能なのだ。だとすると、深山には共犯がいた事になる。それは一体誰なのか? そして、何故、藍沢殺しになど荷担したのだろうか?

 10月23日、金曜日── 。

 俺は登山届の謎に悶々としながらホテルをあとにした。今日は新穂高行きで後(あと)回しにしていた北村康隆を訪ねようと思う。

 ホテルをチェックアウトする直前、俺は北村が今現在働いていると言う父親経営の建築設計事務所を調べた。職業別電話帳(タウンページ)を広げ、松本市内の建築設計事務所で、しかも北村の父親が経営と言うと ?ああ、あった。「北村建築設計事務所」。恐らく、これだろう。場所は長野自動車道の松本インターチェンジから1kmほど南。松本駅からは松本電鉄上高地線に乗って4つ目の駅、大庭駅から程近い場所にある。

 大庭駅で電車を降り、数分歩いた所に北村建築設計事務所はあった。事務所へと辿り着い俺だが、問題はここからだ。俺は名前だけとは言え北村の事を知っている。しかし、向こうは、俺の顔どころか名前すらも知りはしない。受付で彼を訪ねた事情等とても言える訳も無く、はてさて、どうやって北村を呼び出そうか?と思案していると、事務所から一人の女性職員が出てきた。俺は、すかさず声を掛ける。

「あのー、すみません」

「はい、何でしょう?」

「こちらに北村康隆さんは、お勤めですか?」

「はい、おりますが」

「今日は出勤しておられます?」

「ええ、中におります」

 これで北村がここに勤め、今、目と鼻の先、事務所の中にいる事がハッキリした。

「実は、僕は彼の学生時代の友人でして、所用で東京から長野へ来たついでに、松本に帰っていると聞いていた彼を訪ねて来たのですが ?」

 俺の口から咄嗟(とつさ)に嘘が零(こぼ)れた。まあ、「嘘も方便」と言うし、これ位の嘘なら神様も許してくれるだろう。

「康隆さんのお友達? 東京からわざわざ訪ねて来(こ)られたなんて、それはそれは ?あ、ちょっと待っていて下さいね。今、本人を呼んできますから」

 これで、何とか北村を事務所から引っ張り出す事が出来る。

 暫くすると、事務所から一人の男性が出てきた。日焼けのせいで顔が多少黒いが、見覚えのある顔だ。彼が北村なのか?

「あのー、北村康隆さんですか?」

「はい、そうですが ?失礼ですが、あなたは何方(どなた)ですか? 事務の者からは僕の友人が訪ねて来たと聞いてきましたが ?」

「すみません、それは嘘です。僕は東京から来ました漢波羅響資(かんばら-きょうすけ)と言います。あなたが知らない人間です」

 尚も怪訝(けげん)な顔で俺の事を見ている北村を見ていて、漸(ようや)く思い出した。10月10日、土曜日、北穂高小屋に泊まった客の中に見た顔だ。間違いない。と言う事は ?彼が、まさか!

「失礼ですが、北村さん、あなたは10月10日、土曜日、北穂高小屋へ泊まられましたよね?」

「いいえ、僕はそんな所へは行っていません」

 最初から「はい、そうです」等と認める筈が無い。しかし、俺は一度見た顔は絶対に忘れない特技の持ち主だ。あの日、北村は確実に北穂高小屋にいた。

「そんな筈はありません。あなたは10月10日、北穂高小屋へ泊まった」

「泊まってなんかいません。穂高へも行ってはいません。何を根拠にそう決め付けるんですか?」

「実は僕には人には無い特技がありましてね。一度見た顔は直ぐに覚えて絶対に忘れないんですよ」

「 ?」

「僕は北穂高小屋でバイトしていて、あの日もあそこにいたんです。その僕が初対面にも関わらず、あなたの顔を見て直ぐ思い出した。つまり、あの日、あなたは確実に北穂高小屋へ泊まっていたと言う事なんですよ」

「 ?」

「ただ ?あなたの名前は恐らく宿帳の中から見つけられないでしょうね。何故なら ?恐らく、あなたは他人の名前で泊まったからです。そして、その人の名は『藍沢俊英』。違いますか?」

 藍沢の名を出した途端、北村の顔が急に強(こわ)ばった。

「北村さん、反論しない所を見ると、やはり僕が言った事は正しかった訳ですね?」

 ハッと我に返った北村が尚も否定する。

「僕は何も知りません。藍沢なんて言う名前は知らないし、その人の名前で北穂高小屋へ泊まった覚えもありません。全くの人違いです」

「そうですか?」

「ええ」

「それじゃ、失礼ですが、あなたの写っている写真を一枚お借り出来ませんか? それが無理なら、僕の携帯電話のカメラであなたの写真を撮らせて頂けませんか?」

「何故、そんな事する必要があるんですか?」

 北村は自らの動揺を悟(さと)られまいとするかのように、多少威圧的に大きな声で答えた。

「その写真を上高地インフォメーションセンターと涸沢小屋のスタッフに見せて確認してきます。そうすれば、全てがハッキリしますから」

 北村は追い込まれた為か、額(ひたい)に大粒の汗を浮かべている。間違い無い。北村が藍沢に成り済まして涸沢小屋と北穂高小屋へ泊まったのだ。

「あなたは、藍沢さんが書いた登山届を、恐らくは、あなたの『義理のお兄さん』である深山明夫さんを通じて手に入れ、10月9日、金曜日、上高地インフォメーションセンターへ出しましたね。そして、その日、藍沢さんに成り済まして涸沢小屋へと泊まり、翌日、北穂高小屋へも藍沢さんとして泊まりましたね。違いますか?」

 深山の名を俺が口にした為か、北村は更に大粒の汗を額に浮かべている。そして、北村は一瞬の間(ま)を空(あ)けて口を開いた。

「あなたは警察の方ですか?」

「いいえ、僕は北穂高小屋の単なるスタッフです」

「でも、最終的には警察へ届ける訳でしょ?」

 観念したのか、それとも開き直ったのか? 北村は、おもむろに意外な事を口にした。

「あなたは色々調べられたようですが、藍沢と言う男が一体どんな人間だったのか、ご存じなんですか? あいつは ?あいつは殺されても当然の事をしたんですよ ?」

「!」

 藍沢が殺されて当然とは一体どう言う事なのか? 藍沢と深山、そして、北村との間に何があったと言うのか? ひょっとしたら、北村節子の自殺と何か関係でもあるのか?

「それは一体どう言う意味ですか?」

「話したくはありません」

「あなたの奥さんだった節子さんの自殺と何か関係があるんですか?」

「これ以上、お話しする事は何もありません! 失礼します!」

 北村は一方的に話を打ち切り、事務所へと戻って行った。

 独りその場に残された俺は、登山届の謎と言う最後に残されたトリックが解けたにも関わらずスッキリしない。それは、北村が口にした「藍沢は殺されても当然」と言う言葉が、妙に心に引っ掛かったからだ。

「藍沢は一体何をしたと言うのだろう ?」

 俺は北村から投げ掛けられた言葉の意味を知る為、そして、今回の事件の全ての謎を解く為、深山との直接対決を決意した。

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