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作者:日-芹沢晶 当前章节:5744 字 更新时间:2026-6-23 02:01

「言ったとおり」

「その様子やと、誘拐事件じゃなかったのね」

「うん。でも、聞かない方が良いかもよ」

「どういうこと? 教えてよ。初めから説明してくれる?」

「本当にいい?」

「ほんとのことを聞きたいもの。ねえ、綾乃」

「うん」

 二人の意思を確認すると、楓はゆっくり頷き話を始めた。

「綾乃の話を聞いて、あたしが気になったことはただ一つ。シャボン玉少年ミチルは、二ヶ所に設置されたブランコのうち、なぜ毎回同じブランコに座りシャボン玉を吹き続けていたのか。

 たまには気分を変えて、もう一方のブランコに乗ってみようとは思わなかったのか。綾乃の話を聞く限りでは、ずっと同じブランコで、あなたもずっと同じベンチで、同じアングルで絵を描いていたようやけど」

「うん、そう」綾乃が肯く。「いっつも同じブランコに座ってたなあ。最初は絵を描くあたしに気を使ってそうしてくれてるのかな、と思ったんやけど、違うみたいやった」

「どうして?」

 芙美加が訊くのに、綾乃が答える。

「もしその理由が、あたしに気を使ってのことやったなら、あたしが公園に来るまでの間は他のブランコに座っていて、あたしが来てからそのいつものブランコに移動すればいいじゃない。けれど、あたしが公園に着いたときには、ずっと前からそこに座ってシャボン玉を吹いていたようやったから。きっとあの子は初めからあのブランコで吹くことを決めているんやな、と思った」

 肯き、楓が続けた。

「なぜわざわざ公園まで出てきてシャボン玉を吹いていたのか。父親を呼ぶためなら、家のベランダや庭で吹いていた方が、まだその理屈に合ってる。心理的に、帰ってきてほしい場所で吹くのが自然じゃない? それと、公園でシャボン玉を吹くにしても、なぜ規則性がみられないのか。一見きまぐれに思えるこの行動は、こつこつと一ヶ月近く続けた彼の性格を考えると違和感があるわ。そして、昨日の夕方ミチルを連れ去った男は、一体何者なのか。ミチルとその男のもみ合い――まして誘拐事件に思えてしまうほどの――を考える限り、もちろんその男はミチルの待ち焦がれていた父親ではないらしい。

 これらの疑惑は全て、最初に言った謎を中心に派生したものなのよ」

「それで?」芙美加がせがむように先を促した。

「綾乃が、もみ合う二人を見たとき、ミチルはこちらに向いてブランコに座り、男は背中を向けていた。電車の窓から見て、こちらに正面を向く形でそのブランコは設置されている。つまり線路に垂直な方向で振り子運動をする。その事実と、『シャボン玉でパパを呼ぶ』というミチルの発言、そしてその父親は毎日どこかの店で酒を飲んでいるらしいというミチルの母親の情報を加えると、そのブランコの『向き』がカギになっているようにあたしには思えた。ミチルは公園のそのブランコの位置を初めから計算していたのではないか。だから、もう一方のブランコには目もくれず、いつも決まってそのブランコに腰掛け、シャボン玉を吹いていたのではないか、と予測した」

「向き?」綾乃が頭を傾けて訊く。

「そう。ミチルは、父がいつも飲みに行く店に向かってシャボン玉を吹いていた。さっきの店よ」

「え」楓の説明を聴いていた二人は同時に声を上げた。

「線路より向こう、駅より向こう側の世界に行く勇気は小さなミチルにはなかった。だから、ぎりぎり自分の行ける行動範囲の限界である駅近くの公園のブランコに座り、駅の向こうを目指して一生懸命吹いていたのよ。彼にとってはごく自然で現実的な考えの下でしていた行動」

 綾乃は初めてミチルを見たときのことを思い出した。ミチルの顔とシャボン玉の飛んでいく様子を交互に観察していた。そのときミチルの吹くシャボン玉は、確かに駅の方へ向かって飛んでいた。

「たった一つでもシャボン玉が届けば、父親が思い出して来てくれると思ったのね」と綾乃は思わず言った。「駅の向こうのあの店に、シャボン玉が割れずに届くはずもないのに……。信じて、一生懸命吹いていたのかな」

「でも――」芙美加が疑問を投げかける。「店に向かって吹いていたのなら、ミチル君は店の方角はもちろん、場所も知っていたのよね? どうして知ったのかしら。お母さんが連れて行ったのかな?」

 楓は髪に手櫛を入れながら答えた。

「場所までは知らなかったかもしれない。ミチルに尋ねられたとき、母親が『あっちにあるお店で毎日お酒を飲んでいるのよ』みたいに説明したのかもしれない。方角だけ教えたんやと思う。実際に店に連れて行くなんてことは、さすがにしなかったやろうし」

 その説明に頷いてから、今度は綾乃が訊く。

「楓はどうしてそんな近くにお店があるって考えたん? ずうっと遠い場所かもしれないじゃない?」

「ミチルの母親は『毎日店で酒を飲んでいる』とミチルに説明している。この時点で、ミチルの母親は出ていった夫の毎日の行動を把握している。『ずうっとおうちに帰って来ない』というミチルの言動から、ミチルの両親は別居、もしくは離婚したらしい。それなのに妻は夫の様子を知っている。なぜ? そこであたしは想像した。夫は別れる前からちょくちょく足を運んでいた飲み屋があって、妻もその店を知っていた。別れた後もなんとなくそこにいる気がして、あるとき妻は思い切って店に行ってみた。そこで、夫が毎日のように店に現れては酒を飲みに来る、という事実を店の人か客から聞いて知ったんやろう、って。

 もしそうであれば、父親が仕事帰りに寄るような、また小さな子供を持つ母親が家に子供を置いて様子を見に行ける程度の手ごろな場所に店があるのではないか、という推理に行き着くでしょ。近所ならこの町にはあのバー一軒しか飲む場所はない」

「それで、さっきお店にいた男の人が、ミチル君のお父さんなの?」綾乃の問いに、楓が肯いて答えた。

「そう、あの人。運良く会えたね」楓は先ほど店でミチルの父親と話した内容を説明し始めた。

 彼は先月仕事をリストラされたのだという。職をなくしてからしばらくは妻に内緒にしていた。昼間はパチンコや競馬に、夜になると仕事をしていた頃もよく足を運んだあのバーに行って酒を飲み、頃合を見計らって帰宅するという生活をしていた。しかし、金はどんどんなくなっていく。彼の様子もみるからに憔悴しきっていった。やがて妻もその変化に不審を抱き、彼に何かあったのかと問い質した。彼は正直に話した。すると妻は『どうして隠してたのよ』、『どうしてギャンブルなんかにお金を使っていたのよ』と怒りを爆発させた。それに触発されたように彼も反論した。『お前だって隠していることがあるやろ』、『浮気していること俺は知ってるんやぞ』。事実、妻は浮気をしていた。現場を見たわけではないが、休日たまにやけに着飾って出て行くことがあったし、その他にも思いあたるふしが彼にはあった。

 結婚以来初めての大喧嘩の末、彼が家を出て行った。離婚をしたわけではないが、一時的な別居である。家を出てから今まで、独り暮らしをしている大学時代の友人のところで世話になっていた。職を探しながら、夜になるとバーに寄って、ぼんやりと酒を飲む。そんな暮らしをしていた。

 楓の推理したとおり、やはり別れてから一週間ほどして、妻が店に来たらしい。そのとき夫はいなかった。翌日、夫は店のマスターからそのことを聞き、家に戻ろうと考えた。しかし家の前まで来て、知らない男が玄関に入っていくところを見てしまった。その瞬間、怒りが込み上げてきた。バカバカしい気分になった彼は、心の中で毒つきながら踵を返した。もう二度と帰るものか、と。

 それから、また職を探しては、毎晩バーで酒をたしなむ生活に戻った。しかし何日経っても妻に離婚届をつき出す決心はつかないでいた。ミチルのことを考えると、どうしてもできなかった。今まで当たり前のように見ていたミチルの顔がもう二度と見られなくなると思うと、気がおかしくなりそうだった。次第に、たしなむ程度であった酒も、ミチルのことを忘れようと、やけになって飲むようになってしまった。

「それじゃあ、あのとき、ミチル君を無理やり連れ去った人は……」綾乃の言葉を受け継ぐように楓が言った。

「ミチルの母親の浮気相手」

 綾乃は顔を両手で覆った。横で芙美加が彼女の背中に手を当てる。

「誘拐ではない。母親の浮気相手の男が、ミチルを家に連れ戻しにきたのね。ミチルが父親を思い、シャボン玉を吹いているのは知っていたはず。気に食わなかったに違いない。綾乃はその男をそれまで見たことがないということやから、ずっと彼は我慢していたんやろうね。でも、一ヶ月近くも続いていたミチルの行動についにこらえきれず、やめさせようと公園に現れた。そして実行した。その様子が、綾乃には誘拐のように映ったんやね。

 ねえ、綾乃。これがあなたの聞きたがっていたあたしの解釈、いや真実よ。シビアな話だけど、あなたがそんなにショックを受けてもしかたのないことだと思うわ」

「……うん」と顔を上げて綾乃は応え、そして訊ねた。「ねえ、楓、新聞を一生懸命見ていたのは、あれは何やったの?」

「ああ、風向きよ。天気予報の所にある風向きをチェックしてた」楓は答えながら新聞を取り出し、天気予報欄を人差し指で二人に示した。「この地方新聞、地区ごとに予想降水量、気温、風向きが細かく表示されていて結構すごいんだ」笑いながら楓は続ける。

「あのブランコは北に向いている。線路が公園の北側に、東西に敷かれているからね。関口の創作日記と照らし合わせ、ミチルが現れた日の風向きをこの新聞で調べてみると、やっぱり全て北向きやった。それであたしは確信した。ミチルは北向きの風の吹く日を選んで公園へ出て行き、シャボン玉を北に向かって吹いていたんやと。新聞は読めないやろうから、きっと自分で表へ出て確かめてたんやろうね」

「じゃあ、不規則に公園に来てたんじゃなかったのね」

「そういうこと。さあ、そろそろ帰ってくれる? 八時だというのにまだ晩ご飯も食べてない。いい加減、お腹が減ってきちゃったわ」

 いつものさばさばした調子に戻り、楓は追い出すように二人を玄関に向かわせた。すっきりしない様子で二人は靴を履き、外へ出る。振り向き、綾乃が楓に向かって言った。

「どうなるのかしら。ミチル君の家」

「さあね。あたしには関係ないよ。あたしたちに何ができる? あの父親が強くなることでしか、解決の糸口は開かないでしょ」

「そうやけど……」

「今日はミチルは現れなかった。けれど、明日は現れる。さっき今日の新聞を見たけれど、明日は風が北向きなの。全部ミチルの父親に話してある。彼が明日行動するか否か。行動すれば、何かが変わるかもしれないね」

 綾乃が事件の話をしている時、楓は新聞を見ていた。あの時は、人の話を聴かずに何をしているのだ、と芙美加は思ったが今になって納得した。楓は綾乃の話を聴きながら、すでに大体の筋書きを予想していたのだ。 しかし、それにしてもこれからの展開は気になるところだ。

「でも、浮気相手の男は、ミチル君が公園に行くのを許さないかも。そうなれば、せっかくミチル君のお父さんが公園に現れても、二人は再会することができないわ」

 芙美加の意見に、楓が首を振って答える。

「その心配はない。今日は日曜日だったけど、明日は月曜日。許すも許さないも、その時間、その男は仕事をしているはず。ミチルの行動を止める術はない。皮肉なことに無職であるミチルの父にとってはこれはラッキィな要素ね」いったん言葉を切って笑い、「しかも、母親にミチルの行動をやめさせる気配がない。これは密かに夫の帰りを、心の奥底で待ち望んでいるからじゃないのかな」

「うまくいくといいなぁ」綾乃が、バーのカウンターで飲んでいたミチルの父親を思い出しながら言った。それに応えるように、「男らしく、強くなって欲しいな、ミチル君のパパ」と芙美加もつぶやく。

「気になるなら、明日公園に行ってみれば?」楓が言った。

「楓も行くよね?」綾乃が訊く。

「気が向いたらね。でもあたしそんな暇じゃないし。それより和菓子、ごちそうさま」頭をぺこっと下げてから、彼女はドアノブに手をかけた。

 慌てて綾乃は礼を言った。

「ほんと、ありがとう」

 「どういたしまして。それより綾乃、『シャボン玉少年』の絵を未完成のまま残しておくのか、ミチルにプレゼントでもするのか決めた方が良いね。もう続きは描けないかもしれない。それじゃ」

 楓はそう忠告してからドアを閉めた。

 閉められたドアの前で、綾乃と芙美加は顔を見合わせた。楓は「また来てね」などと言う性格ではない。そっけない別れで、自分達が訪れたことに対する彼女の心情は読み取れなかった。久々の訪問者に喜んでいるふうにも見えたが、それは一方的な勘違いかもしれない。

 しかし二人は、結果を知ったらまた報告に来よう、と互いに誓った。そして「また来るよ」とドア越しに声をかけてから少し微笑み、その場を去った。

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