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「アンタが降参するっていうんなら、苦痛は最小限で封印してあげる。
でも抵抗するのなら、容赦はしない。頭を握り潰して、首を引きちぎってやる」
判断に迷った。
魔女はかなりの傷を負っている。
立っているのがやっと、反撃する力も殆どないだろう。
なのに、この降伏勧告とも取れる言葉。
真意を測りかねる。
まだ余力があるのか。それともブラフか。
視線をくまなく走らせ、状況を分析する。
体型はわずかに大きくなった。しかし、魔力の匂いはない。
なるほど。こうして時間を稼ぎ回復を図る手か。
そんな子供騙しが通用するとでも思ったか。
魔女と言っても所詮は人間。愚鈍で臆病で脆弱な生き物だ。
先ほどは予想外の反撃を受けたが、それももう覚えた。
爪で薙ぎ払い。牙で止めを刺す。
リンが足を引きずりながら、一歩踏み出した。
何気ない動きに、無意識に身体が動いた。
大きく後ろに跳躍。間合いをとる。
魔獣としての本能が危険を告げている。
「ぐるるるるるるぅぅぅぅ」
呻きが漏れた。牙を伝い涎がポタポタと落ちる。
もう一度、闇の中に繋がれるのは御免だ。
魔女は弱っている。このまま殺せるはずだ。
ブラフに引っかかってどうする。
理知的な部分が心を奮い立たせる。
本能に従うか。知性を信じるか。
「結論は出た? ちっこい脳みそをフル回転させて、ちゃんと考えたんでしょうね」
吼えた。
「ふうん。そうなんだ」
魔女の顔に小さな驚きと、やや嬉しそうな色が見えた。
自分は動物ではない。魔獣としてのプライドが、盲目的に本能に従うのを拒否した。
だが、魔女にも何らかの手があるのだろう。それは解る。
この状況なのだ。とっておきの秘策に違いない。
ならば、自分はその上を行かねばならない。
力ではなく知恵でも魔女を超えるのだ。
魔女は自分を力が強いただの獣と見下している。その傲慢さが隙だ。
布石は既に打ってある。
分体。
魔女の知らない力だ。
自分は身体の一部を切り離し、短時間なら動かす事ができる。
先ほど吹き飛ばされた頭の破片は再生し、周囲の空間に潜み命令を待っている。
牙を備えた分体は十分に必殺の威力を持つだろう。
魔女を取り囲み一斉に攻撃を掛ける、と同時に本体である自分も間合いを詰め飛び掛る。
どれほどの体術があろうが、どれほどの魔術が使えようが、一溜りもあるまい。
リンの方が動いた。
右足を引きずりながら、歩を進める。
まっすぐ。最短距離で。
猟犬が地を蹴った。左右に大きくステップを使い、三度目の跳躍で魔女に向かう。
今まで以上に高い位置からの攻撃。
リンの視線が空中の猟犬を追う。
今だ。
猟犬が吼えた。空間がビリビリと震える。
その声に反応して、リンの周囲で無数の影が生まれた。
大人の拳くらいはある球体。表面には刃物のような鋭い突起を備えていた。
上下左右から、一斉にリンに襲い掛かる。
十分な速度を持つそれらは、必殺の威力を持っているだろう。
勝った。
魔女の敗因は、己の力を過信した事にあった。
自慢の牙で止めを刺す。
口を開き、そこで。
グラリと身体が揺れた。
状況を確認するよりも早く、視界が狭まった。
がくんとした反動が首に掛かる。
何が?
頭に何か触れている。いや、掴まれている。
細く柔らかい感触。
振り払おうと腕を。違和感が。肩口に。
小さな含み笑い。すぐ近く。
目を動かして、それを追う。
アーモンド型の瞳とぶつかった。
魔女に。掴まれて。頭を。
混乱している。落ち着け。何が起こっているのだ。
「ほんと、気の毒ね」
溜息交じりの呟きが聞こえた。
たかが犬コロの分際で、魔女であるアタシに牙を剥くなんて。
怒りを通り越して、愉快になってくる。罠を貼っているつもりなのは明白だった。
なら、それにに乗ってやろう。
己の愚かさをじっくり解らせてやる方が楽しい。
右足を引きずりながら、間合いを詰める。
進路はまっすぐ。最短距離。
猟犬が地を蹴った。右左に一回ずつ、次の跳躍で大きく跳躍した。
通常の相手なら目で追うので精一杯だろう。直線的な攻撃よりは工夫が見える。悪くない。
吠えた。
と同時に周囲の空間が歪む。
十センチ程度の球体が滲み出た。数はかなり多い。
それぞれがランダムな軌道を描きながら、突っ込んでくる。
分体。吹き飛ばした頭の破片から生んだのか。
こんな能力を持っているとは知らなかった。
表面に備えたスパイクは鋭い。当たると致命傷だろう。
正直、失敗したと思った。
左手だけで十分に勝てると言ったのは間違いだった。
使えない右手でも釣りがある。そう宣言してやるべきだった。
その方が下手に希望を持たせずに済んかもしれない。
ホンの少しだけ不憫に思った。
左の指先を小さく動かす。
体内の魔力を微かに放出して、魔力の防壁を生む。
迫っていた球体が一瞬にして全て吹き飛んだ。
次は本体か。
視線を上に向ける。
猟犬は跳躍の最高点に達そうとしていた。
なるほど。分体と本体の同時攻撃のつもりだったのか。
狙いは悪くない。だが、タイミングがずれている。
これでは時間差攻撃になってるぞ。
もっとも完全な同時攻撃だったら、さっきの防壁で本体も四散していただろう。
そういう意味では運がいいのか。
違うな。
運が悪いんだ。
指先を小さく弾いて、空間に断層を作り猟犬に放つ。二回。狙いは両腕。
猟犬の腕が、肩から千切れた。
ご自慢の武器もこの程度だ。
分体の事もある。消し去っておくか。
ぱちんと指を鳴らす。
両腕付近の重力をコントロールして、一瞬で磨り潰した。
これでよし。
空間座標を書き換え、猟犬のすぐ近くに転移する。
猟犬の口元から牙が覗いていた。
勝ったつもりでいるんだろうな。
猟犬程度ではこの動きにはついて来れない。
「ほんと、気の毒ね」
呟きながら、無傷の左手を猟犬の頭に伸ばす。
空中。足場のない空間にリンの身体が浮いている。
左手はしっかりと猟犬の頭を掴んでいた。
整った唇が小さく開いて、くすくすと笑いを漏らす。
手の下で幾つもの目が忙しなく動いているのを感じる。
動転している。焦っている。恐怖している。
それが楽しかった。
だから、もう少しからかってやろうと思った。
耳元にそっと顔を近づけて、柔らかな声で告げる。
「ちょっと予定変更するわ。ごめんね」
微かに力を込める。
猟犬が苦痛に呻き、身体をよじった。
だが、その程度は抵抗にすらならない。
ちらりと鳴海に視線を移す。
急速に力を引き出した反動で眠っている。安らかな息を立てていた。
それでいい。残酷な部分を見せないで済む。
「先に引き千切る事にしたから」
大きく腕を振った。右から左。左から右。
猟犬の巨体が、重いはずの身体が、まるでヌイグルミのように軽々と空中で踊る。
少しずつ速度があげながら、何度も何度も振り回す。
リンの力と重力の綱引きに耐え切れず、首がありえない方向に曲がり、
めちめちと音を立てた。
猟犬の上げる苦痛の呻きを耳に、鼻歌を漏らしながら、ぶんぶん振り回した。
かなりの時間がかかった。ついに首の付け根が裂け、千切れた。
魔獣の生命力というべきか。首から下を失ったというのに、辛うじて息があった。
時間を掛ければ、身体を再生させられるだろう。
だが、その誇るべき力も、この状況では苦痛を長引かせるだけだ。
「じゃあ、次は約束どおりに、頭を……ね」
頭を掴む力がだんだんと強くなっていく。
締め付けられる。骨が軋む。
眼球が潰れた。一つ、二つ。
頭部に並んだ無数の目が、圧力で次々と割れていく。
できる限りの言葉を並べた。知りうる限りの単語を口にした。
プライドも何もなかった。ただ生きたいという本能が、ひたすらに命乞いをさせた。
不意に力が緩んだ。
助かったのか。微かな希望に全力すがりつく。
「ちょっとは期待した?」
嘲りを多分に含んだ口調は、何よりも雄弁に猟犬の運命を語っていた。
絶望に凍りつく猟犬の顔に満足そうに頷くと、最後の力を込める。
乾いたあまりにあっけない音。猟犬の意識はぷっつりと途絶えた。
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