まるでわけがわからなかったが、ありがたいことだった。青年は着てみた。なんとか、からだに合う。さっそく部屋を出て、たのまれていたサクラの仕事をやった。
そして、いくらかの金をもらうことができた。ほっとして、彼は帰りかけた。その途中、ぐあいの悪い相手につかまった。借金をしている人だ。相手は青年を見つけ、声をかけた。
「おいおい、いい服を着て、景気がよさそうだな……」
「いや、これは……」
説明に困ってまごまごしていると、ポケットをさぐられ、せっかくもらったばかりの金を、取りあげられてしまった。
やれやれ、もとのもくあみだ。今夜も食事抜きになりそうだ。服を売りたいが、あすの仕事にさしつかえる。すきっ腹をかかえて部屋に帰り、服を押し入れにしまおうとした。
なんと彼はそこに食事を発見した。スープとパンと、甘いジュースだった。青年はそれに飛びつき、口に入れた。味がよかったことに気がついたのは、食べ終って人ごこちがついてからだった。
それから青年は、服や食事の出現した原因を考えてみようとした。さっぱり、わからない。いままでがあまりにあわれだったので、神が助けてくれたのかもしれないと思った。ほかに考えようがない。
つぎの日の朝、青年が目ざめると、頭痛がしていた。かぜをひいたらしい。薬を買う金はなく、仕事には行かねばならない。彼はひそかな期待とともに、押し入れをあけてみた。
そこには、薬の錠剤らしきものがあった。飲んでみると、頭痛はすぐに消え、かぜはなおり、出かけることができた。
なぜ押し入れの中に、こうもつごうよく、さまざまな品があらわれるのだろう。原因はわからないが、幸運であることはまちがいなかった。青年はこの秘密を、だれにも話さないようにしようと思った。そっとしておけば、もっとすばらしい品が出てくるかもしれない。
そのつぎの朝、彼は胸をおどらせながら、押し入れをあけた。こんどはそこに、大きな箱があった。一辺が一メートルぐらいある。なにがはいっているのだろうか。あけてみると、金属製のものと、説明書のようなものがはいっていた。説明書といっても字は書いてなく、組み立て方が図示してあっただけだ。
青年は部屋のドアにかぎをかけ、好奇心とともにその作業にとりかかった。仕事が進むにつれ、ひとつのロボットができあがった。手足は細く、なかなかスマートな外観だった。
依然として出現の理由はわからないが、いままでの例から考えて、いい贈り物にちがいない。青年は、話しかけてみた。
「どこからやってきたのだ」
「未来からです」
とロボットは答えた。それによって、先日からの一連の現象が少し理解できた。すべての品は、必要を見こしたような出現のしかたをしていたようだ。
「なにをしにやってきたのだ。ぼくの手伝いをするために、送られてきたのだろうな。ありがたいことだ。さて、なにをまずたのむとするかな」
「いいえ、あなたをつかまえにきたのです」
ロボットはこう言い、そばにあったヒモで、|呆《ぼう》|然《ぜん》としている青年をしばりあげてしまった。反抗しようにも、いやに力が強かった。青年は、やっと言った。
「こんなことをされる覚えはない。なぜ、つかまえられなければならないのだ」
「あなたが必要だからです。それが理由であり、わたしはそのために派遣されたのです」
「さっぱりわからん。あの、服や食事が出現したのはなぜだ」
「一種のワナです。むかしスズメをつかまえるのに、えさを点々と並べ、スズメが安心して進んでくると、さっとカゴをかぶせる方法がありました。それを時間的に変えたものです。あなたはまんまとひっかかり、わたしを組み立ててしまった。もう逃げられません」
「どうやって、未来に連れてゆくのだ」
「まもなく箱が現れます。それにはいると、自動的に未来へ行けるのです」
どうやら本当のようだった。あわれきわまる生活の連続で、なごり惜しい現代ではない。とはいうものの、知りあいのひとりもいない時代へ行くとなると、決心をつけかねた。
「どうだろう。二日ほど考えさせてくれ。見おさめのために見物しておきたいし、あいさつ回りもしたい」
声が大きくなる青年の口を、ロボットは押さえながら言いわたした。
「だめです。あなたは、あしたの夜、足を踏みはずして川に落ち、おぼれ死ぬ運命になっているのです。そんなことになるより、このまま未来へ行ったほうがいいはずです」
「そうきまっているのか」
「ええ。だからこそ、あなたが目をつけられたのです。あなたをさらったところで、歴史が大きく変わることもありませんからね。さあ、出かけましょう」
押し入れのなかに、金属製の箱があらわれた。ロボットはそのなかに青年を押しこみ、自分もはいりながら言った。
「この箱が突然に出現したら、あなたは警戒して、はいろうとはしなかったでしょう。だから、わたしの出現も必要だったのです。また、わたしが完成した姿であらわれ、他の人に見られたら、ひとさわぎです。部品で送られれば、あなたはひそかに組み立ててくれるはずでした」
「まったく、うまい作戦だな」
青年は覚悟をきめてうなずいた。どういうしかけになっているのかは不明だが、しばらく軽い震動がつづいた。時間の流れのなかを飛んでいるのだろう。
箱から出ると、そこは未来だった。広いホールで、床も天井も美しいプラスチック様の物質でできていた。窓から外を見ると、整然とビルが並び、空を精巧で小型な乗り物がたくさん飛び回っていた。なにもかも豊かな世界のようだった。
やがて、上品な人物がやってきた。ゆるやかな服を着ている。あくせく労働のたぐいをしなくてもいいのだろう。その人物は、青年のヒモをほどきながら言った。
「よくおいでくださいました。事情はロボットからお聞きでしょうが、わたしたちはあなたを、喜んでお迎えいたします」
「なんで歓迎されるのかわからない。ぼくは、なんの才能もない、役にたたない人間ですよ」
「そんなことは、ありません。テレビに出演していただければ、いいのです。そして、あわれな話をしてください。わたしたちは豊かななかで暮らしているので、そのたぐいの生活を知らないのです」
青年はしかたなく承知した。かつて、金を借りるために、知人たちにむかって何度もしゃべったことのある、あわれな身上話を一席やった。はじめは勝手がちがったが、しゃべり出すと、なれているのでしだいに調子が出てきた。
その反響は、もちろん大変なものだった。だれもかれも、あまりの面白さに大喜びし、青年はそれ以来、何回もしゃべらされることになってしまった。
飲みますか
エフ博士は夜おそく研究室のなかで、ひとり熱心に実験をやっていた。注意ぶかく薬品をまぜあわせている。そこへ強盗が侵入してきた。
「おい、大声を出すな。静かにしないと、拳銃の引金をひくぞ」
しかし、博士はそのままの姿勢で言った。
「あなたこそ静かにしてくれ。以前から研究していた新薬が、いま完成するところなのだ。すごい新薬だぞ……」
それから、おもむろにふりむく。
「……さあ、やっとできた。さて、ご用はなんでしょうか。どなたですか」
「のんきな人だね。いいか、おれは強盗なのだ。金をだせ」
「お気の毒だが、あなたはここへ来るのが早すぎた。この薬の発明が売れたあとだったら、まとまった金もあるのだが」
「なんだかすごい薬らしいが、どういうききめがあるのか」
「人生が楽しくなり、いい気分になり、夢のような生活と世界が現実のものとなる。その状態がいつまでもつづくのだ。あなたは、わざわざここへ乗りこんできた。この試作品はまだ一人前しかなく、あげるのは惜しいところだが、なんなら飲んでみますか」
博士の手の小さなびんには、緑色の液体が入っている。強盗は手をのばしかけたが、そこで考える。
「待てよ。それが強力な睡眠薬ということもありうる。まんまとその作戦にひっかかっては、ばかをみる」
「いらないのなら、ちょうどいい。わたしが飲むとしよう。自分で完成したのだから、最初に飲む感激は自分で味わいたいというものだ」
博士がびんに口を近づけるのを見て、強盗は小声で叫んだ。
「ちょっと待て」
「なんだ、気が変わって飲みたくなったのか。それだったら、飲ましてやるぞ。ほかに目ぼしいものは、ここにはないのだから」
博士がさし出したびんを強盗は手にし、眺めながら首をかしげた。
「意味ありげな薬であることは、たしかだな。しかし、いまの話や動作がみんな、真に迫った芝居だったということもありうるな。いい気になって飲み、しまったでは手おくれだし……」
ためらっている強盗から、博士はびんを取りかえして言う。
「うたぐり深い人だな。それなら、わたしが飲むことにするよ。そのあと、わたしをしばるなりなんなりし、金目のものが見つかったら、好きなだけ持っていくがいい」
博士はびんを口にあて、飲みはじめた。それを見て、強盗はすばやく取りあげた。
「どうやら、無害なものらしいな。よこせ、あとはおれが飲む……」
強盗は八分目ほど残っていたのを、みんな飲みほした。しかし、まもなく床に倒れ、かすれた声をあげた。
「からだがしびれて動けなくなった。いったい、どういうことなのだ。おまえは、なんともないのに」
「つまりだな、悪意にみちた精神状態のやつが飲むと、からだがしびれるのだ。善良な人間はなんともない。そういう効果があるのだ。これが普及したら、悪人はへり、夢のような生活と世界が現実のものとなるというわけだ……」
廃 屋
夕立ちを降らし終えた夏雲が山脈のむこうに去り、青空のうえに、また強い陽の光があらわれてきた。暑さはパイプ?オルガンの音のように、底力をともなって湧きあがりはじめた。あたりには水蒸気とまざった草いきれがみなぎり、少しはなれた所には、濃い緑にみちた森があった。そのなかからは、限りないセミの鳴声が……
ここは都会からずっとはなれた、ある山すそ。近くには人のけはいはなく、動くものといえば、時おり風で動く夏の花と、飛びかうアブぐらい。
人のけはいはなかったが、森のはずれに一軒の家があった。傾きかけた家で、まわりでは石垣の跡らしいのが|苔《こけ》むしていた。
エンジンの音が空気をふるわせ、一台の小型車が細い道を揺れながら走ってきて、そのそばで止まった。二人の青年がおりた。このあたりの地図をひろげ、ひとりが、汗ばんだ指でその上を叩いた。
「ちょうど、ここを通過することになる」
「変な家があるな。なんだ、これは」
「村の人の話だと、落ち武者が住みついた家だそうだ。もっとも、四百年ほど昔のことだがね。だが、その一族が滅んでからは、亡霊が出るとうわさされ、ずっと住む者も近よる者もなかったそうだ」
「面白い伝説だな。しかし、工事は進めなくてはならない。たかが一軒半日もあれば片づくだろう」
二人の頭で、ヘルメットが白く輝いていた。彼らは土木技師。この山すそをかすめて、高速道路が建設されるのだ。計画は順調にはかどり、道路は近くまで伸びてきていた。耳をすますと、かすかに建設機械の音を聞くことができた。
「なかに、なにかあるだろうか」
「あるものか。だが、のぞいてみるか」
二人は家に近よりかけたが、ひとりが足をとめて、声をあげた。
「あっ」
「どうした」
「屋根から石ころが落ちてきた。ヘルメットをかぶってたので、なんともなかったが」
「古い家だからな。少しの震動でも崩れるのだろう。入っては危い。ブルドーザーを呼んで、取りこわそう」
二人は車にもどり、小型の無線で連絡をとった。
「すぐ来るそうだ。それまで待とう」
車内のクーラーは、ほどよくきいていた。
うす暗く、カビのにおいのこもった家のなかで、かすれたような声がおこった。
「なにものかが、迫ってきたようです」
なにひとつ動かないなかで、べつな声が低く答えた。
「そうか。だが、おそれることはあるまい。われわれが落ちのび、ここにたてこもって以来、四百年ちかく、侵入を許したことはない。そうであろう」
「はい。さきほどの二人は、屋根から落とした石に驚き、ひきかえしていったようです。まず、安心でございましょう」
しばらく声がとぎれ、床下の虫の声だけになった。しかし、はげしい地響きの迫ってくるけはいがして、声たちは、ふたたびささやきあった。
「妙な音が近づいてくる」
「ふしぎな形をした乗物でございます。手ごわそうに思えます。いかがいたしましょう」
「しぶといやつらじゃ。あの枯れかけた木を倒してみよ」
石垣に近づいてくるブルドーザーの前に、木が倒れて横になった。しかし、進むのを止めることはできなかった。
「相手はひるみませぬ」
「では、もっと近づいた時、石垣を少し崩し、押しつぶしてしまえ。いたしかたない」
ブルドーザーの先端が石垣に当ると、石のいくつかが転げ落ちた。しかし、その鋼鉄の車体は、へこみもしなかった。運転していた男は、技師たちをふりむいて言った。
「簡単すぎて、手ごたえがないくらいですよ」
「そうか。作業がはかどるな。よし、つぎは家のほうをたのむ」
技師は作業の指揮をとった。石垣はたちまち崩され、運転手は家にむけてハンドルをまわした。
「敵はいっこうにひるみませぬ」
と、家のなかの声たちは、あわてていた。
「では、木の葉を散らし、セミどもを黙らせて、驚かせてみよ」
やがて、理由もなく何枚かの青い葉が散り落ち、一瞬、セミの声が鳴きやんだ。静寂がただよう。しかし、この不吉なムードも、ブルドーザーのたてる響きと震動のなかでは、少しも意味をなさなかった。
「もはや、防ぎようがありませぬ」
「ひるむな。われらは、この家を守らねばならぬ。扉をかたく閉ざせ」
「立ち退いたほうがいいと存じますが」
「いかん。四百年このかた住みなれたこの家を捨てて、移るあては、ほかに求めようがない」
風もないのに、音をたてて扉が閉じた。だが、ブルドーザーの運転手はそれを気にもとめず、鉄の刃をはげしく家の一角に押し当てた。そして、ちょっと首をかしげた。
「おかしいな。くさりかけた家なのに、意外に丈夫だ」
家は、せいいっぱい抵抗を示していた。しかし、長くはつづかなかった。悲しげな音とともに壁が崩れ、古びた板がはがれ、年月のにおいを含んだほこりが舞いあがった。
鉄の刃は容赦せずに作業を進めた。床下のカエル、天井のネズミ、柱の割れ目の虫やクモが、不意の明るさにとまどいながら、草むらへ、森へと逃げていった。散らされたカビの胞子は、光のなかをどこへともなく流れていった。
「このまん中の柱が、なかなか倒れません」
運転手の声に、技師は指示を与えた。
「馬力を最高にあげて、やってみろ」
ブルドーザーはいったん後退し、エンジンの音をいちだんと高め、勢いをつけてぶつかった。
柱は苦しそうな叫び声をあげ、やがて、ついに地面に横になった。
「やれやれ、全部こわれました」
「おい、あそこに古い井戸がある。工事の邪魔にもなるから、このがらくたを集めて埋めてしまってくれ」
「はい。そうしましょう」
壁土、瓦、ぼろぼろの木片などが、押されて穴のなかに落ちていった。何回かの往復でその作業は終り、エンジンの音がやんだ。あたりには、静かさがもどってきた。
「さあ、ひと休みするか」
「ええ。明るく、さっぱりした眺めに変わりましたね」
運転手と技師たちは汗をぬぐい、息をついた。その時、技師のひとりが、ちょっと首をふった。
「人の声がしたようだぜ」
「聞こえなかったがな。どんな声だ」
「なにか疲れはて、あきらめ、長い眠りに入るような、ため息に似た声みたいだった。そら耳だろうな」
「陽に当りすぎたせいじゃないか」
「ああ、暑さのせいだろう。いま埋めた井戸のあたりからだったが、そんな音がするはずもないものな」
声は、もはや聞こえなかった。それからみなの話題は、やがて道路が完成して、トラックやスポーツカーなどが、高速で行きかう日のことのほうに移っていった。
宝 島
ある日、事業家のアール氏は、秘書をつれて海岸を散歩していた。秘書といっても若い女性ではなく、相当な年配の男だった。しかし、忠実な性格の持ち主で、信用できる人物だった。
アール氏は仕事が一段落し、ひまができたので、休養のためにここへやってきたのだ。海は青く遠くまでひろがり、その上を渡ってくる風は、すがすがしいにおいを含んでいた。海水浴の季節にはまだまがあるせいか、人影はほかにはほとんどない。
「ああ、いい気分だ。いそがしい毎日が、どこか遠くへ行ってしまったようだな」
とアール氏はのびをしながらつぶやき、秘書はうなずいた。
「さようでございます」
「しかし、いつまでも休んでいるわけにはいかない。つぎの事業の構想をねり、それにとりかからなければならない」
「さようでございます」
「だが、そのためには資金を集めなければならない。これには、ひと苦労だな」
「さようでございます」
秘書はさからわず、あとに従って歩いていた。やがてアール氏はふと足をとめ、波打ちぎわを指さしながら、
「あれはなんだろう」
と言った。なにかが日光を受けて、キラキラと光っている。
「はい。調べて参ります」
秘書は急ぎ足で歩いていって、その半ば砂に埋もれている品を掘り出した。それはビンだった。古ぼけていて、|栓《せん》がしてある。彼は海水で洗い、持ってきて報告した。
「こんなビンでございました。たいした品ではありません。捨ててしまいましょうか」
アール氏は受け取り、陽にかざしてみた。だが、不透明のため、なかは見えない。彼は手で軽く振ってから言った。
「いや、待て。なかに、なにかが入っているようだ。ちょっと気になる。あけてみろ」
「うすきみわるい感じです。魔神でもでてきたら、どうなさいます」
「それならちょうどいい。金を集めてこいとたのむさ。大丈夫だ。あけてみろ。わたしが責任を持つよ」
たよりない命令だったが。秘書はそれにとりかかった。しかし、きつく栓がしてあって簡単にはとれない。結局、石でビンを割ることにした。なかには紙片が入っていた。秘書はそれを砂の上にひろげ、首をかしげた。
「なんでございましょう」
「うむ。図のようなものが書いてあるな」
と、アール氏ものぞきこんだ。よく見ると、その古ぼけた紙に書いてあるのは、どこかの島の地図らしかった。さらにその一箇所には、意味ありげな十字の印が記されてある。
アール氏は手を叩き、興奮したような声をあげた。
「うむ。これはすごい物が手に入った」
「なんなのでございますか」
「むかし、海賊が宝をかくした場所を、記録したものにちがいない。信じられないような幸運だぞ」
「それは、おめでとうございます」
秘書はあいづちを打った。しかし、アール氏はまもなく落胆したような表情になり、地図を手に、くやしそうに言った。
「しかし、これだけではだめだ。この島の場所がわからない。これだけでは、手のつけようがない」
「あ、お待ち下さい。その紙の裏にも、なにかが書いてあります」
と秘書に注意され、裏返してみると、そこには島の位置を示す海図が書かれていた。アール氏は、喜びをとり戻した声になった。
「これで完全だ。宝への道は、すべて明瞭になったわけだ。あとは、出かけていって手に握るだけでいい。こうなったからには、さっそく準備にとりかかることにしよう。おまえもいっしょに来てくれ」
「しかし……」
「この秘密を知っているのは、わたしとおまえだけだ。ほかの者を参加させると、それにも分け前をやらなければならなくなる。苦労は多いかもしれないが、わたしたち二人で分けたほうが、有利というものだぞ」
「さようでございますな」
分け前にあずかれると知り、秘書も目を輝やかせて承知した。
アール氏は、必要な準備に手をつけた。資金を作り、小型だが優秀な船を買い、燃料や食料や水を積みこんだ。また、それと並行して、秘書とともに船の操縦法を勉強した。すぐに身につくものではないが、二人は想像を絶するような熱心さだった。たちまちのうちに、二人あわせればなんとかなるまでに、こぎつけることができた。
すべては完了。やがて出航の時となり、船は港をはなれ洋上へと進みはじめた。なにもかも二人でやるため、船の仕事は相当に忙しかった。しかし、張り切っているので、苦にもならず、疲れも感じない。アール氏は話しかけた。
「どうだ、順調に進んでいるか」
「はい、いまのところ大丈夫でございます」
「しかしだな、こんなにすばらしい船旅というものは、ちょっとないだろうな。わたしたちは胸を期待でふくらませ、少しずつ近づいているのだ。波の音は、わたしへのお祝いの音楽をかなでているようだし、太陽の光は、祝福の視線をそそいでいるようだ。こんな気分は、普通の船旅では味わうことができない。それだけでも、もうけものだ」
平穏な数日がたち、双眼鏡で眺めていた秘書が報告した。
「前方に島が見えました」
地図と対照してみると、問題の島にまちがいないようだった。小さな島で、接近して双眼鏡で観察すると無人島らしい。
「さっそく上陸しよう。シャベルを忘れるな。不要とは思うが、念のため武器を持っていこう。そうだ、お祝いの乾杯をするため、酒とグラスもだ」
こんな大さわぎをしながら、二人は島に上陸した。地形は地図と一致していて、とまどったり迷ったりすることもなかった。
林は緑の濃い葉の樹が多く、ところどころに熱帯の花が咲いている。そして、やがて印に相当する地点についた。注意して調べると、ほら穴がみつかった。
「なにもかも地図の通りだ。この奥で、宝がわたしたちを待っているのだ。胸がどきどきする。さあ、入ってみよう」
アール氏は照明器具をかざしながら入り、秘書もつづいた。しかし、宝をおさめてあるような箱も袋も見あたらない。また、かつて宝があったような形跡もない。アール氏は、うろたえたような声を出した。
「ふしぎだ。こんなはずはない。どういうわけなのだろう」
「もしかしたら、だれかが先にやってきて、宝を持っていったのかもしれません」
「いや、あのビンの地図を、わたしたちより先に見た者はなかったはずだぞ」
二人はあきらめきれず、ほら穴のなかを調べまわった。そのうち、秘書が言った。
「ごらんなさい、これを」
「なんだ、なにか見つかったか」
「この壁です」
照明をむけてよく見ると、そこには、べつな島の地図が書かれてあった。やはり、その、ある地点に、印がしるされてある。
「なるほど、そうだったのか。用心深い方法というわけだな。まっすぐには行けないようにしてあったらしい。宝をかくすからには、それくらいの慎重さがなければならない」
アール氏は感心し、元気をとりもどし、それを写しとった。秘書はきいた。
「あとで他人に見られないように、壁のほうは消してしまいましょうか」
「いや、そんな必要はない。宝を先に見つけてしまえば、もう価値はなくなるのだからな。さあ、それよりも出発だ」
二人はふたたび希望にあふれ、壁にしるされてあった島へと船を進めた。しかし、到着したその島の印の場所には宝はなく、発見したものといえば、石にきざまれたまたもべつな島の地図だった。
かくして、アール氏の船はいくつかの島をめぐりつづけた。そのあいだには、海流の激しい海を横ぎったり、岩礁の多い個所をも通過した。ときには強い嵐にもであい、船はかなり傷ついてしまった。また、燃料や食料も、残り少なくなってきた。秘書はいささかねをあげた。
「いかがでしょう。もういいかげんにあきらめたら。これではきりがありません」
「なにを言うか。これだけ手がこんでいるというのは、宝がすばらしいことを意味している。ここで投げ出せるものか。つぎの島には宝があるかもしれない。その寸前で引きあげたりしたら、一生をずっと後悔しつづけなければならなくなるぞ」
「そうはいっても、船を修理しなかったら、沈没するかもしれません。それでは、もともこもなくなってしまいます」
「その点だけは、じつはわたしも心配だ。といって、帰って出なおすのも大変だ。どこか近くに、それをやってくれる港があればいいが……」
期待するのは無理のようだった。しかし、なんという幸運。通りがかりの島に、小さな港があるのを見つけた。
双眼鏡で眺めると店があり、船の修理もするという看板がある。二人はほっとし、そこに船を寄せた。
船を修理することもできたし、食料や水を補給することもできた。いくらか値段は高かったが、この際、問題にするほどのことはない。アール氏は、店の主人に感謝の言葉をのべた。
「いや、おかげで助かりました。これで航海をつづけることができます。お礼のいいようもありません」
「いいえ、船の修理などがわたしの商売です。ありがとうと申しあげるのは、こちらのほうでございます」
と主人は愛想がよかった。そのとき、アール氏はふと気がついたことを質問してみた。
「しかし、こんな小さな港だし、このへんは船の通行が多いとも思えない。よく商売が成り立つものだな」
「そこは宣伝ですよ。わたしの考えた名案のおかげで、お客さまはかなり多いのです」
「どんな方法なのだろうか。ぜひ知りたいものだ」
アール氏は好奇心を高めた。
主人はあっさり承知し、店の奥から印刷物の束を持ってきて示した。それはいずれも古ぼけた地図であり、アール氏が拾ったものと同じだった。
「これですよ。こんなものを、大量に印刷しました。ビンに入れて、どんどん海に投げこんでいるのです。おかげで、けっこう繁昌しています。宣伝ビラだったと気がついても、自分の愚かさを他人には話せないらしく、いまだにお客さまはつづいています。いえ、あなたさまはちがうでしょうが。では、どうぞ、いい航海を……」
名判決
江戸の町に、七五郎という男があった。まだ独身で、気ままな暮らし。頭は悪くないのだが、働くのは大きらいという性格。いつもねそべって、ごろごろしている。したがって、ひまを持てあましたあげく、妙なことを思いつくという現象がおこる。
「おい、二太郎。おまえ知っているだろう。このあいだ、町奉行の大岡越前守さまのなさった、三方一両損という名判決を……」
話しかけられた二太郎。これは少し抜けたところがある。首を振って、聞きかえす。
「知らねえ。なんのことだ」
「あきれたやつだ。あれだけ評判になったのにな。つまり、こうだ。道で、三両という大金を拾った男があった。落し主をさがしてとどけようと、仕事を休んで、一日がかりでたずねまわった」
「ばかなやつが、いるものだな。その金で、菓子でも買って食べてしまえばいいのだ。おれなら、そうする」
「そこが善人のあさはかさ、というわけだろう。その男、やっとさがしあてて、金を差し出す。しかし落し主は、おれの不注意だ、受け取るわけにはいかない。おまえにやる、と、こういうのだ」
「ばかなやつが、いるものだな。すなおに受け取って、菓子でも買って、食べてしまえばいいのだ」
二太郎、自分のことはたなにあげて、しきりと、ばかなやつだをくりかえす。七五郎は、説明をつづける。
「親切にとどけてやったのだ、受け取れ、と一方が言う。いや、落としたからには、おれの金ではない、受け取れないと、もう一方が言う。双方が、いじになって言い争う。大家さんが出てきても、おさまらない。だれの手にもおえず、ついに奉行所まで持ちこまれた」
「お奉行さまは、その三両をとりあげたか。おれだったらそうして……」
「菓子を買って、食べるというのだろう。だが、名奉行ともなると、そうもいかない。自分で一両を出し、二両ずつ二人に与えた。奉行さまは一両の損だ。また、三両の落し主は、二両もらって一両の損。三両の拾い主は、二両もらって一両の損。これで三方一両損というわけだ」
「そうなるかねえ……」
二太郎、指を折りながら何回もかぞえなおし、首をかしげる。しかし、やがてわかったのか、うなずき、しきりに感心しはじめた。ころを見て、七五郎が話を進める。
「そこで、おれはひとつ考えたのだが、どうだ、二人で組んで一両もうけようじゃないか」
「金になることなら、いつでも賛成だ。しかし、金もうけというものは、なぜだか知らんが、たやすくできないしくみになっている。どうやるのだ」
二太郎はあまり期待していない口調だが、七五郎は重大そうに、声をひそめて言う。
「つまりだ。おれたちの持ち物をあらいざらいに質に入れて、三両を作る。おまえがそれを、道に落とすというわけだ」
「とんでもない話だ。もったいない。なんでそんなことを……」
「おれがすぐ拾うから心配するな。そして、おまえにとどける。だが、おまえはそれを受け取らない。いいか、決して受け取るんじゃないぞ。そんなことをしたら、なにもかも、ぶちこわしだ」
「では、そうしておこう。それからどうするのだ」
「二人でどなりあっていると、仲裁にだれかくるだろう。それでもゆずらずにいると、奉行さまにきめてもらおうということになる。越前守さまが出てくる。しかし、すでに判例がある。一両出してくださるだろう」
「なるほど、やっとわかってきた」
「借金をかえして、一両残る。それを、山わけしようというわけだ。越前守さまだって、名奉行という体面に傷をつけたくない。また、そうそう判例をくつがえしては、法の精神に反する。気前よく出さざるをえないだろう」
と、これが作戦計画。検討してみても、理論上うまくゆくことは、まちがいない。二人は準備にとりかかる。のみこみの悪い二太郎に、会話のせりふを覚えさせるのがひと苦労だったが、なんとかこぎつけた。
質屋にたのみこんで、資金をつごうする。なかなか借りられないが、大家さんに保証人になってもらい、三両の金をやっとそろえ、実行開始。
すべて筋書きどおりに運び、奉行所に持ちこむことに成功した。
大岡越前守が出てきて、言う。
「これ両人、おもてをあげい。訴えのおもむき、よくわかった」
「おそれいります。では、早いところ、お願い申しあげます。こちらにもつごうがございますので……」
「しからば、判決を申し渡す。両人の金銭をめぐるみにくき争い、まことにふとどきである。よって、諸人のみせしめのため、打ち首にいたす」
それを聞いて、二人はあわてた。一両もうけそこなうどころか、打ち首とは。七五郎が言う。
「とんでもない。これはきっと、なにかのまちがいでしょう。あんまりです。それでは話がちがう……」
それとなく、前の判決を思い出してくださいよと、さいそくする。越前守は、おごそかな声で言った。
「たしかに、以前はべつな判決を申し渡したことがあった。しかし、考えてみると、あれはあやまりであった。職務上のまちがいは、この越前守、切腹してその責任をとることにいたす。されど役目がら、おまえたちの打ち首を、みとどけてからにしなければならない」
二人は泣き叫んだ。お奉行さまがいっしょに死んでくれるといっても、生きているほうが、はるかにいい。
「命ばかりはお助けください。悪うございました。訴えはとり下げますから、なかったことにしておいてください……」
つきそった者たちも、口々に嘆願する。なかでも七五郎の家主は、質屋から金を借りる時の保証人になっているので、とくに熱心。この成り行きしだいでは、三両を没収ということにもなりかねない。
越前守はやがてうなずく。
「許しがたき罪ではあるが、心から反省し、それほどに申すのならば、いまの判決は取り消すことにいたそう。二度と、このようなさわぎを持ちこむでないぞ。早々に帰れ……」
ほっとしたものの、あてがはずれた二太郎、ぶつぶつ言う。
「やれやれ、なんということだ。ひや汗をかいてしまった。なにが名判決だ……」
それを耳にした越前守は、にやにや笑いながら解説を加えた。
「いいか、よく考えろ。おまえら両人は、打ち首になるところを助かったのだぞ。また、この越前守も、切腹をしないですんだのだ。すなわち、三人とも命を助かったのである。三方|命得《いのちどく》となるであろう。命のねだんは、金にはかえられない。こんな大もうけは、ないはずである。けだし名判決というべきではなかろうか」
魔 神
いまやエヌ氏は、非常な窮乏の状態におちいっていた。ある程度の教育もあり、最初は親ゆずりの財産がいくらかあったのだが、うまれつき世渡りがへたであり、それに加えて労働意欲なるものを持ちあわせていなかったため、かくのごとくなってしまった。
彼は粗末なアパートの一室にねそべっていた。机も椅子も売り払ってしまったので、ねそべるよりほかに姿勢のとりようがなかったのだ。正座をしたのでは、かっこうがつかない。
なにもかも売り払ったり質に入れたりしてしまったため、部屋のなかには、なにもなかった。徹底的に、なにもなかった。もっとも、正確にいえば皆無ではなかった。本が一冊だけ残っていた。古い外国の本だった。といって、とくに大切にしていたためではない。
質屋に持っていっても「これは値のつけようがありません」と、どこでも断わられてしまったためだ。一方、エヌ氏のほうも、これがなんの本なのかわからず、価値の説明をすることができなかった。
エヌ氏はいま、ねそべったままで、その本を開いてのぞきこんでいた。読んでみようというのではない。テレビはもちろん、ラジオもなく、新聞もこのところ配達されない。つまり、ほかにすることがなかったのだ。