「それはありがたい。先生にご指導ねがえれば、大舟に乗ったようなもので」
「そうですとも。さっそく、秘法をご伝授いたしましょう。わたしの頭には、前人未踏のすばらしい犯行方法がいくらでもあります。しかし、こちらも商売。教授料をいただかなくては」
「ははあ、教授料がいりますので」
「もちろんですとも。お金がなければ、わたしがいい質屋をご紹介しましょう。ウィルスン質店です。さっそく、そこへおいでなさい」
「ところで、教授料はどれくらいで」
「それは巧妙な犯罪になればなるほど、高くなります。仕方がありませんね。そのかわり、その方法の巧妙なことは、保証いたしますぞ」
「では、さっそく」
貧乏貴族のクレーは、さっきより少し元気づいて出ていった。落ちぶれたといっても、そこは貴族、質草まで無一物ではなかったとみえ、しばらくすると戻ってきて、こう言った。
「やっと少しばかり、調達できました。あのウィルスン質店は、なかなかしぶいですな。ところで、これくらいでいかがでしょう」
クレーはポケットから、百ポンドを出した。
「まあ、いいでしょう。さて、あなたがいま行ってきた質屋ですがね」
「あの赤毛のおやじの質屋ですか」
「さよう」
「では、あそこに押し入るので」
「まあ、お待ちなさい。わたしもホームズ。教授料をとった上は、そんなチンピラのやるようなことは、お教えいたさぬ。まず、新聞広告をお出しなさい。赤毛組合補欠募集、収入多大とね」
「なんです、その赤毛組合とは」
「話は終りまで聞きなさい。あなたも、きょうでウィルスンと顔見知りになった。そこでその広告を持って行き、留守番をしてあげますから行っていらっしゃいと、そそのかす。万一、あの赤毛がカツラだったら、発毛の新薬完成被験者を求む、として、打ち合わせておいた友人の家に十日ばかり通わせる」
クレーは大喜びで手を叩いた。
「なるほど、なるほど。その留守中は、盗みほうだいか。いや、さすがはホームズ先生。これはうまい方法だ。百ポンドは高いようだが、たちまちもうかりますな。資金の回転は、早いほうがいい。すぐにも、取りかかるといたしましょう」
クレーはいそいそと立ち上がり、ドアにむかったが、ホームズはそれを呼びとめた。
「まあ、そう急ぎなさるな。もう少しお出しになるつもりなら、もっともうかる方法があるのだがな」
「えっ」
とクレーは足をとめた。
「いや、無理におすすめするわけではありません。教授料をお出しになれないのなら、わたしとワトソンとでやってもいいんだから。なあ……」
とホームズは急に私に呼びかけた。私はうまくあいづちをうった。
「え、もちろんですとも。わたしも退屈しのぎに、なにかやろうと思っていたところですから」
「その妙案はいくらぐらいで」
と、クレーは手をポケットに入れて思案した。ホームズはそのようすから、まだしぼれそうだと判断して、こう答えた。
「では、あと二百ポンドいただきましょう」
クレーはしばらくためらっていたが、思いきって二百ポンドをさし出した。
「そうそう、そうですよ。投資が多くなれば利益も多くなる。この原則をお疑いなら、アダム?スミス先生のお弟子たちをご紹介しますから……」
ホームズはしゃべりながら、さっきのと合計三百ポンドを、すばやくポケットにしまった。
「いや、経済学の勉強は、いずれ金でも手に入れてから。ところで、その計画とやらは」
と、クレーはいささか心配そうだった。
「ご心配なさるな。それだけの教授はいたします。そこで、あの質屋だが、あの質屋の裏はシティ?アンド?サバァーバン銀行だ。質屋の地下室から穴を掘れば、銀行の地下室に直通というわけだ。クレーさん、あなたは質屋と銀行とで、金はどっちに多いか、ご存知かな」
「わあ、そうだ。すごい。さすがは先生。二百ポンド追加したねうちは、たしかにある。では、さっそくに……」
クレーは飛び上がって喜んだが、そのうち疑問をひとつ提出した。
「……穴を掘るのはいいが、山のような土がでます。これをどう処置しましょう」
この質問で、ホームズは目を白黒させた。
「や、そんな問題があったか」
「困りますね。そんなことでは。さあ、二百ポンドは返して下さい」
「いや、待ちなさい……。そうだ。むかし、エドモン?ダンテスという男が毎日、牢番の目を盗んで地下牢の中で穴を掘り、となりの牢のじいさんに会いにいった話がある。そいつは後年、出世してモンテ?クリスト伯と名のるようになった。それを調べて、その方法でおやんなさい」
私は、どうなることかとはらはらしていたが、ホームズはうまく切り抜けた。まったく彼の頭はすばらしい。クレーはふたたび元気をとりもどした。
「では、どうもいろいろ、ご教示いただき、まことにありがたかった。これでわたしも、貴族の体面を保てるというもの」
と立ち上がるクレーに、ホームズは言った。
「クレーさん。ところでものは相談だが、どうでしょう、あと三百ポンドお出しになりませんか。すばらしい名案があるんですがねえ」
「いや、これだけお教えいただければ、もう充分です」
「そうでしょうかねえ。お出しになったほうが、おためと思いますがねえ」
「いや、これでけっこう」
クレーはドアから、かけ出していった。ホームズはそれを見送っていたが、舌うちして、私に言った。
「ちきしょうめ。三百ポンドを、惜しみやがった」
「まあ、いいじゃないですか、三百ポンドは手に入ったのだし」
「だが、あんなカモは、めったにこない。あいつが出し惜しむなら、意地でも取ってみせる」
さかんに憤慨するホームズに、私は手を出した。
「忘れないうちに、早いとこ分けましょうや」
「おお、そうか。きみにしゃべられると困るからな。まあ、これくらいで我慢してくれ」
ホームズはわたしに、百ポンドを渡した。
何日かたった。私はまた、ホームズを訪れた。
「ワトソン、さあ、出かけよう。大捕物だぞ」
「なにかあわただしい話ですが、どの犯人をつかまえるんです」
「あの三百ポンドを惜しんだ、貧乏貴族のクレーのやつだ。思い知らせてやろう」
「なんとなく、気の毒ですなあ」
「悪に同情はいらん。あんなようなやつは、金を握ったら、ひとりじめにするにきまっている。お礼などに、くるものか。さあ」
ホームズは私をせきたてた。まったく彼の頭の働きと、悪をにくむ精神には、常人以上のものが感じられる。そして、彼は警察と銀行とに連絡し、銀行の地下室で待ちかまえた。
「静かに。もうそろそろ、はじまります」
「よくおわかりですな」
銀行頭取のメリーウェザー氏は、感心した声で言った。
「そこが、わたしの推理力です」
そのうち暗い地下室のなかに、ちらと灯がみえ、壁の石がはずれ、一人の男があらわれた。
「そらきた。御用だ」
その男、クレーはあたりを見まわし、ようすのおかしいのに気づいた。
「や、さてははかられたか」
「逃げるな、待て」
警部は大声をあげた。クレーはもはや貴族の体面もなく、
「ずるいや、ずるいや」
と泣き叫び、拳銃をホームズにむけた。だが、ホームズの動作のほうが、一瞬はやかった。
「往生ぎわの悪いやつだ」
この声と弾丸を受けては、クレーはひとたまりもない。彼はばったり倒れた。
「先生、おけがは……」
警部とメリーウェザーが声をかけた。
「いや大丈夫だ。ホームズは、そう簡単には死ぬわけにはいきません」
ホームズは得意げに胸をはり、ここに至る推理をとくとくと話した。クレーがのびてしまったので、もうどこからも文句はでない。
「いや、聞けば聞くほど、悪知恵のあるやつですな、このクレーという男は」
警部はすっかり感心してしまった。こんなすばらしい犯罪を考え出せるのはホームズ以外にありえない、という疑問はぜんぜん持たないようだった。メリーウェザー頭取は、警部につづいてこう言った。
「そのクレーにもましてすばらしいのは、ホームズさんだ。おかげで、わたしの銀行も、無事に難をまぬかれました。いくらお礼をさしあげていいやら」
「三百ポンドもいただけば、けっこうです」
かくしてホームズと私は、意気ようようと事務所にひきあげた。
「さすがはホームズ。まったくすばらしい頭ですなあ」
私はもみ手をしながら、おせじを言った。彼は気がつき、私に百ポンドを出した。
「さあ、ワトソン。よろしくストーリーにまとめといてくれよ」
「はあ、わたしも商売ですから、なんとかまとめますが、肝心なところをごまかして作り変えるのには、もう百ポンドいただかないと。けっこう頭を使いますので」
「ひどいやつだ。まあいい、やろう。そのかわり、うまく書いてくれ」
「それはもちろん」
かくて私はこの日、二百ポンドをせしめた。
もちろん、私がホームズを悪く書くはずがない。なにしろ二人は、切っても切れぬ仲なのだ。ホームズがつかまれば、私も困る。それに私だって英国国民、大英帝国の恥をさらけ出し、植民地の統治のさまたげになるような、へまなことはやらない。では、軽く一杯やってから書きはじめるとしよう。題は『赤毛組合』とでもするか。
夜の音
ノックの音がした。
それで目をさましたエヌ氏は、ベッドに身を起こし、首をかしげた。ここは山奥にある、彼の小さな別荘。静養のために、ひとりで滞在している。しかし、いまはシーズンオフであり、しかも真夜中だ。訪問客とは思えない。
といって、絶対にないとは断言できない。げんに、いまノックの音を耳にしたではないか。それにしても、ノックの音ばかりで、声のしないのは変だった。こんな時刻に訪問するのなら、理由か用件を告げ、あいさつをすべきだろう。
エヌ氏は壁の猟銃を手にとり、少しずつドアを開けた。怪しい人物だったら、すぐにしめ出さなければならない。強引に侵入してきたら、撃退しなければならない。
ドアを開き切ったが、だれもはいってこない。おそるおそる、そとをのぞいてみた。人影どころか、人のけはいすらなかった。冬枯れの林に、青白い月の光が静かに降りそそいでいるばかり。
エヌ氏は、またも首をかしげた。ノックをしたのは、だれだったのだろう。手のこんだいたずらだったのだろうか。しかし、都会でならいざ知らず、わざわざここまで、そんなことをやりに来る者のあるわけがない。
彼はもう少し、推理をめぐらせた。木の実が風に吹かれて当った音か、夜の鳥が口ばしで突ついた音かもしれない。だが、この説も怪しいことに気づいた。木の実は落ちつくした季節だし、風も吹いていない。また、このへんで夜の鳥を見かけたこともなかった。あれこれ考えたあげく、エヌ氏は自分の錯覚ときめることにした。最も簡単明瞭な、最も妥当な結論だ。
これでよし、彼はドアを閉め、銃をもどし、ベッドにもどり、中断された眠りの道をたどろうとした。
その時。またも、ノックの音を聞いた。
こうなると、錯覚でもないようだ。エヌ氏は注意しながら、またドアを開けた。やはり、だれもいない。戸外のすべては静止し、動くものは虫の影すらなかった。
それにもかかわらず、ベッドにもどるとノックの音がはじまる。どこからともなく、なにかをうながすような響きが、くりかえされるのだ。
エヌ氏は眠いのをがまんし、タバコをくわえ腕組みをし、この原因を考えつづけた。やがて、かつてある本で読んだ記事を思い出した。心霊現象のなかに、ラッピングとかポルターガイストとかいうのがあったことを。前者は超能力者が霊魂に話しかけると、ノックのごとき音によって応答がなされる現象のことだ。後者は、むやみと音をたてる霊魂のことだったようだ。
きっと、それにちがいない。こうエヌ氏は判断した。目に見えぬ霊魂が相手では、ドアを開いたり、閉めたりしても意味がない。また、相手が霊魂なら、危害を及ぼしてくることもないだろう。彼はかまわず眠りにつこうとした。
しかし、それがそういかなかった。うとうとしかけると、例のノックの音がおこる。人をせきたてるような、いらだたしい響きだ。なんとかしたいとは思うが、あいにく霊魂の撃退法を知らなかった。読んだ本のなかにも、そのための呪文は書いてなかったようだ。もちろん、銃をぶっぱなしてもだめだろう。
あいかわらず、音はコツコツとくりかえされる。眠いのとうるさいのとの板ばさみになり、エヌ氏は思わず大声でどなった。
「はいってますよ」
ノックの音はやみ、もはや二度とおこらなくなった。
変な侵入者
ここは、キダ氏の別荘。高原地方にあった。近くには緑の林が広がっていたし、湖を見わたすこともできた。また、少し歩けばゴルフ場にも行けた。眺めがいいばかりでなく、その建物もかなり立派で大きかった。
キダ氏は海中住宅関係の、資材や部品の製造会社を経営していた。この業界は競争が非常に激しく、技術開発や営業面で少しでも油断すると、すぐ他社にけおとされてしまう。
しかし、キダ氏はなかなかの手腕家だった。会社が順調に発展しているのは、ほとんど、彼ひとりの力によるといっていい。したがって収入も多く、このような別荘をもつことができたのだ。
キダ氏は一週間ほど滞在する予定で、休養のためこの別荘へやってきた。静かな空気にひたりながら、新計画の構想を、ゆっくり検討しようとも思っていた。
別荘に着いて一服していると、別荘番をかねている男がとりついできた。
「あの、妙なものがまいりました」
「なんだ、来客か。それなら来週、会社のほうで会うと伝えてくれ。いまは、休養中なのだから」
「いえ、それがロボットなのでございます。ご注文なさったのではありませんか」
「ロボットだと。知らぬ。そんなものを買ったおぼえはない。わたしは、日常生活ではロボットを使わない主義だ。なにかのまちがいだろう。帰らせろ」
とキダ氏は言った。しかし、男は困ったようなようすだった。
「それが、だめなのです。どう話しかけても、なにも答えません。耳が聞こえないのか、口がきけないのか、しまつにおえない、しろものです。あ……とうとう、勝手にはいってきてしまいました」
男が指さすほうを見ると、問題のロボットがこっちへやってくる。あまり見かけないタイプだが、落ち着いた銀色をしていて、形も上品だ。しかし、わけもなく侵入されては、迷惑だ。キダ氏は声をかけた。
「おいおい、わたしはロボットに用はない。家をまちがえたのだろう、帰ってくれ」
いっこうに、ききめはなかった。命令を無視するロボットなど、聞いたことがない。キダ氏は男に言った。
「話しても通じないらしい。押し出してしまってくれ」
「はい……」
男はこわごわ、ロボットを押した。しかし、効果はあがらなかった。ロボットの表面が、特殊加工されているらしい。つるつるしていて、手がすべって、どうしようもないのだ。勢いよく体当りしてみたが、なめらかすぎて力が加わらず、横にそれてしまう。男はキダ氏に報告した。
「ごらんのとおりです。わたしの手にはおえません」
「なにか、方法があるはずだ。なんとかして追い出せ」
キダ氏も手をかし、さらには近所の人にも来てもらって、いろいろと試みた。棒を使ってみたり、ナワでしばろうとしたりした。しかし、ロボットは氷以上に、きわめてなめらかで、すべて失敗に終った。
といって、ロボットのほうは、べつにあばれるわけでもなく、キダ氏のそばにじっと立っているだけだ。だが、無害らしくても、正体不明のロボットにくっつかれては、いい気持ちではない。なんとか、帰ってもらわねばならない。
キダ氏は、ロボットをよく観察した。製造会社の名がわかれば、そこに電話し、取りに来させようと思ったのだ。しかし、手がかりになるようなことは、なにも書かれていなかった。これでは、文句のもってゆき場がない。
考えたあげく、キダ氏は警察に電話して訴えた。
「じつは、変なロボットにつきまとわれて、困っているのです。なんとかしてください」
「で、どんなロボットなのですか」
「ええと、色は……」
と、キダ氏はくわしく説明した。すると、警察はさらに聞いてきた。
「なにか、あばれでもしましたか」
「いや、いまのところは……」
「それでは、警察の出る幕ではありません。物品をこわすとか、被害が発生すればべつですが」
「しかし、生活が乱されます。警察が力を貸してくださっても、いいでしょう」
「お気の毒ですが、これは規則です」
期待に反した、そっけない返事だった。まったく官僚的だ。警察がたよりにならないとわかり、キダ氏は腹をたてた。どうやら、自分の力で始末しなければならないようだ。
いい作戦も思いつかないまま、キダ氏はロボットを眺めていた。いまに、なにかをはじめるのではないかと思ったのだ。性格や目的がわかれば、対策の立てようがある。だが、ロボットはなにかをするけはいを示さなかった。キダ氏はあきらめ、ゴルフでもしようと思い、服を着かえて外へ出た。
すると、ロボットはあとについてくる。ゴルフ場を回りはじめても、やはり同じだ。ゴルフのバッグぐらい持ってくれてもいいと思ったが、ロボットはなにもせず、ただいっしょについてくるだけなのだ。キダ氏は気が散って、あまりいい成績をあげなかった。
別荘に戻って、キダ氏は食事をはじめた。その時も、ロボットはそばに立ち続けだった。しかし、少しだけ動作をした。テーブルの上の料理を、ちょっとつまみ食いしたのだ。キダ氏は首をかしげて言った。
「おまえは、なんのために作られたのだ。どこからやってきたのだ。なにも働かないロボットなど、わけがわからん。しかも、つまみ食いという、ロボットらしからぬことをやるとはな……」
しかし、ロボットはなにも答えず、正体は少しも判明しない。追い払うのが不可能となると、こっちが逃げる以外にない。
キダ氏は自動車に乗り、都会の自宅に帰ろうとした。しかし、ロボットもさっと車に乗りこんでしまう。その時の身動きだけは、いやにすばやいのだ。車外に押し出そうとしても、手がすべって力がはいらない。何回か試みたあげく、キダ氏はそれをあきらめ、帰宅をやめた。
覚悟をきめて、ベッドにはいった。夜中に飛びかかってくるのかもしれないという不安はあったが、ほかに方法はない。追い払うことも逃げることもできず、警察もたよりにならないのだ。ロボットは人を殺傷しないという原則を、信頼するほかはなかった。
しかし、なにごともなく朝になった。あたりを見まわすと、ロボットは消えてもいず、ベッドのそばに立っていた。ずっと、そこに立ち続けだったらしい。
キダ氏はロボットに、いくらか親密感をもった。敵意はないらしいと、わかったからだ。こんな生活が、三日ほどつづいた。依然としてロボットは帰ろうとせず、なにもやらず、正体不明のままだった。
ある日の午後、キダ氏は散歩に出た。人通りのない山道を、ゆっくりと歩いた。例によって、ロボットがついてくる。
景色のいい場所に来て、キダ氏は足をとめた。ロボットもとまる。影のような存在だった。しかし、キダ氏はそんなことにかまわず、パイプをくゆらせながら、湖や遠くの山々をぼんやりと眺めていた。
その時、とつぜん変化がおこった。ロボットが不意に動いたのだ。それとほとんど同時に銃声がし、なにかに弾丸の当る音がした。つづいて、もうひとつ銃声。その弾丸もロボットに当ってそれたらしい。キダ氏は驚き、ふるえながら身を伏せた。
キダ氏が安全な姿勢をとると、ロボットは銃声のしたほうにかけていった。これまた、すばやい動きだった。
やがて、銃を持ったひとりの男をつかまえてきた。手のひらの内側だけはすべらないようになっており、それで男をつかまえている。よほど強い力らしく、男はいかにもがいても逃げられない。
そのうち、どこからともなくかけつけてきた警官に、ロボットは男を引き渡した。キダ氏は警官に質問した。
「いったい、なにごとなのです、そいつは」
「あなたをねらって、殺そうとした男です。おそらく、あなたの会社の商売がたきからたのまれたのでしょう。どこの会社かは、取り調べて白状させます」
「しかし……」
キダ氏は、首をかしげたままだった。競争の激しい業界だから、そんなことを考える社があるかもしれない。だが、このロボットはなんなのだ。それは、警官が小声で説明してくれた。
「あなたがねらわれているらしいとの情報が、警察にはいったのです。そこで、わたしたちは、このロボットを派遣したのです。レーダーの性能もそなえており、弾丸を身をもって防いでくれます。また、犯人をとらえたら、電波で知らせてもくれるのです」
「なるほど、ボディガード?ロボットだったというわけか。しかし、それならそうと、電話の時に教えてくれてもよかったでしょうに」
とキダ氏は不満そうだった。だが、警官は、
「お教えすると、あなたは警戒なさり、犯人がなかなかつかまりません。そのほうが、かえって不安ではありませんか」
「そうかもしれないな。つまみ食いをしたのは、食事に毒がはいっているかどうか調べたわけだな。いや、こんなロボットができているとは、知らなかった」
「というわけですから、このことは内密に願います。他人に話されて悪人たちに知れると、つぎに効果が薄れてしまいます。故障した変なロボットにつきまとわれて困った、といった程度の話にとどめておいてください。いずれにせよ、ぶじにすんでよかったですね」
警官は犯人を連れて引きあげていった。ロボットもまた、任務を果たしたので、そのあとについて帰っていった。
キダ氏は残りの休暇を、ほっとした気分でゆっくりと楽しむことができた。
恋がいっぱい
ある春の日の午後。ひとりの女の子が、街を歩いていた。あたたかみをおびた風が、やさしく動きまわり、街路樹の芽がやわらかい緑を含み、ビルの壁もしっとりとした色になっている。
しかし、彼女の表情は、あまり楽しそうではなかった。なぜなら、いっしょに歩く恋人がいなかったのだ。ほかの人たちはみな、腕を組んだり話しあったりして、あかるく笑っている。それなのに、あたしには恋人がいないの。さびしく、つまらなかった。
彼女は、病院につとめている同性の友だちを、たずねた。そして、さんざんたのんで、一錠の幻覚剤をもらった。幻想の世界へさそいこんでくれる作用を持つ、薬のことだ。
もっとも、友だちもすぐには渡してくれなかった。
「そんなもの、飲まないほうがいいわよ。からだにもよくないし、人工的に夢を見る薬なんて、不合理なものだと思うわ」
「でも、あたしには、恋人がいないのよ。世の中は乾いた灰色なの。だから、幻の世界へ入ってみたくて、しょうがないの。このままなら、死んでしまいたいぐらいよ」
「死にたいなんて、むちゃよ」
「だから、一回でいいから、幻覚を見たいのよ。ねえ、一錠でいいから、ちょうだいよ」
「しょうがないわねえ。じゃあ、一錠だけよ」
友だちは負けて、一錠だけゆずってくれた。それから、飲む時の注意やなにやらを、くり返して告げた。
というわけで、いま、この女の子のポケットには、幻覚剤が一錠はいっている。これを飲んだら、どんな気分になるのだろう。あたりが虹色に見えるのかしら、しあわせな霧に包まれたようになるのかしら。未知への期待とスリルとで、ちょっと胸がどきどきした。
そんなことを考えながら歩いていたので、道を曲がる時、ビルのかどでひとにぶつかってしまった。軽くよろける。
「あら、ごめんなさい」
あやまりながら見ると、ぶつかった相手はすてきな青年だった。スタイルも身だしなみもいい。彼女はなぜかひきつけられ、少し顔が赤くなった。
「いいえ、ぼくのほうこそ、ぼんやりしていて……」
その青年も彼女を見つめ、口ごもりながら言った。まじめそうな感じだった。
「……ぶつかったおわびに、そのへんで、お茶でもおごらせて下さいませんか」
「でも、なんだか変だわ。悪いのは、あたしの不注意なのよ。べつに痛くもないし、おわびだなんて」
「本当のことをいいますとね、ぼく、あなたとこのまま、お別れしたくないんですよ。あなたみたいに感じのいいかたに会った幸運を、のがしたくないんです」
「あたしもそんな気分だわ。なぜ、こんなふうになっちゃったのかしら」
彼女はなんだかおかしくなり、うれしくなり、思わず笑った。それは魅力的だった。青年は言う。
「春だからかも、しれませんよ。まず、ごいっしょに、公園でも散歩しましょうか。チューリップが咲きはじめているかもしれないし、気の早いチョウが舞っているかもしれない。噴水の虹は、きれいですよ」
「いいわねえ」
二人はいっしょに、公園のほうへと歩いていった。歩きながら彼女は、ポケットから幻覚剤を出し、ぽいとほうりなげた。これにたよろうとしていた、さっきまでのしずんだ気持ちが、うそのように消えていた。もう、こんなものいらないの。持っていたら、飲みたくなるかもしれない、捨てちゃったほうがいいんだわ。
一組の恋人がうまれた。いやにあっさりと、できあがった。考えてみると、簡単すぎるような気がしないでもない。だが、春という季節のせいだからではなかった。春の女神は自然のよそおいにいそがしく、とてもこんなところまでは、手がまわらない。
本当の理由は、キューピットのせいだった。人びとの目にその姿は見えないが、そこの街角の赤と白の縞もようの日よけの上に、さっきからキューピットが腰かけていたのだ。
そして、幻覚剤をポケットに入れた女の子が、通りがかるのを見つけた。ポケットのなかまで、見とおすことができるのだ。あれあれ、あんなものを使っちゃいけないな。なんとか、とめなくては……。
といっても、キューピットにできることは、弓で矢を射る以外になかった。金色の弓に金色の矢をつがえ、うったのだ。矢は彼女に命中し、七色の粉となってくだけ散った。人を殺す武器ではないのだ。
キューピットの矢は二本で一組になっている。もう一本を、早くだれかにむけて、はなたなければ……。
あたりを見まわすと、ちょうどいいぐあいに、ひとりの青年がやってくる。独身で恋人もいないということは、キューピットにはすぐわかる。あいつにしよう。かくして、矢は青年に当り、二人はぶつかり、心をひかれあったのだ。
公園へむかう二人を見おくり、キューピットは日よけの上でつぶやいた。
「うまくいったな。いつものことながら、この矢の力はすばらしい。二本で一組のこの矢を命中させると、当ったものは、それぞれ愛しあうことになる。さて、こんどは、どんな人をねらうとするかなあ……」
その時、キューピットの口のなかに、なにか小さなものが飛びこんだ。あまり突然だったので、びっくりしたとたん、それを飲みこんでしまった。
「いま口に入ったのは、なんだったろう。まあいいさ、キューピットは、病気にはならないものなんだ」
それは、女の子が投げ捨てた幻覚剤だった。病気にはならなくても、薬の作用は受ける。酒に酔っぱらう神さまだって、あるのだ。薬はききめをあらわしはじめ、キューピットを夢の国へとさそいこんだ。
キューピットは、人間の夢のなかの世界の存在だ。そこでの夢というわけだから、この世のほうに出現してしまうことになる。普通なら人間の目には姿が見えないのだが、それがしだいに現実のものとなってきたのだ。
通りがかりの婦人が、けはいを感じてふと上を見あげ、キューピットをみつけて叫び声を口にした。
「あれ、あそこにいるのは、だれなの」
たちまち、何人かが集まる。日よけの上に、翼をつけた裸の坊やがいるのだ。手には金色の弓を持ち、背中には矢を入れたものをしょっている。ふしぎな光景だ。
「お店の、飾りの人形じゃないのか」
「いや、生きているよ。ほら、まばたきをした」
などと話しあっている。小学生の男の子はこんなことを言った。
「どこかの星からきた、宇宙人だよ。宇宙人にきまっているよ」
人だかりはますます大きくなり、警官もかけつけてきた。人ごみをかきわけながら、前へ出てきて呼びかける。
「おい、そんなところでなにをしている。いったい、だれなんですか」
「ぼくはキューピット」
キューピットは答えた。幻覚剤がきいているので、ぼんやりした目つき、ものうげな口調だ。警官はばかにされたのかと思い、きつい声で言った。
「キューピットごっこもいいが、裸でそんなところへ乗ってはいけない。みながさわいで、通行人が迷惑します。おりてきなさい。むりにでも引きおろします」
「だって、ぼく、とてもいい気持ちなんですよ。しばらく、こうやっていたいんです。じゃましたりすると……」
キューピットは矢をつがえ、警官をうった。やりつけている動作なので、薬がきいていても、これだけは早かった。警官はよけるひまもなく、拳銃を抜くひまもなかった。しかし、命中はしても痛みはなく、七色の粉が散っただけなので、彼は首をかしげる。
「さて、もう一本はだれにしよう……」
キューピットは見まわし、道のむこう側の花屋の女の子にむけて、うった。そのとたん、彼女と警官とのあいだに愛がめばえ、さわぎをそっちのけで親しげに話しはじめた。手をにぎりあい、小声で歌をうたいだした。
こんどは、若い女の人が前へ出てきた。小児科専門の女医さんだった。
「あらあら、この坊や、夢遊病の症状みたいだわ。ねぼけて、こんなところへ出てきてしまったのよ。おっこちたら危いわ。早くおろしてあげましょう。どなたか、手をかしてくださらない……」
「いいですとも。ぼくが、だきあげてあげましょう。そうすれば、とどくでしょう」
と若い男がそばへ進み出た。だが、キューピットはその二人をもめがけて、つぎつぎに矢をはなった。たちまち、二人のあいだには愛がもえあがる。キューピットのことなど忘れて、語りあうのだ。恋する者にとって、ほかのことは目に入らないのだ。
「あら、すてきなかたねえ」
「あなたこそ」
「もっと人のいないところへ、行きましょうよ。あたし、お医者なのよ」
「そうでしたか。ぼくは薬品の研究をやっているんです。きっと、お話があうかもしれませんね」
その急な変わりぐあいを見て、集まった人びとは、ささやきあった。
「どうやら、本物のキューピットのようだぞ。冗談やお芝居では、ああはできない」
「それがなぜ、こんなところに出現したのだろう」
理由はだれにも、わかるわけがなかった。なかには「あんな矢に当ったら大変だ」と、あわてて逃げる者もある。すでに恋人のある人や、結婚している人たちだ。それた矢に当ったりしたら、ひとさわぎおこる。
その一方では「ねえ、あたしをねらってよ」と押しかける人もある。もちろん、恋を得たい人たちだ。
押しあいへしあい、その声は遠くまでひびく。外国から来ているスパイは、なにごとだろう、革命でもはじまったのかと、ようすをさぐろうとそっと近づく。キューピットの矢は、それにも当った。そして、組となっているもう一本の矢は、やはり別な国からの女スパイに命中した。
「おきれいなかたですね。一目で、好きになってしまいましたよ」
と男のスパイが笑いかけると、女のスパイもにっこりと答えた。
「あなたも、感じのいいかたですわ。静かなところへ行って、二人きりでお話しましょうよ。じつは、あたしA国のスパイなの。面白い情報を、たくさん知ってるわよ」
「同業のかたとは、うれしいですね。ぼくはB国のスパイなんです。おたがいの国どうしは対立していても、愛には国境なんかありませんよ」
「ええ、あってはいけないわ。あたしの国の最高機密はね……」
いまや恋人となった対立国のスパイは、情熱に燃えた目をみつめあい、語りあいはじめるのだった。
キューピットの出現によってひきおこされたさわぎは、大きくなるばかり。だが、当のキューピットは首をふりながら、ぼんやりとつぶやく。
「うるさいなあ。みな、なにをさわいでいるんだろう。せっかく、いい気持ちになっているのに。面白くない。べつなところへ行こうかな……」
人間ならふらふらと歩きはじめるところだろうが、キューピットは背中の翼でたよりなげに飛びはじめる。そして、飛びながら矢を射る。幻覚剤がさらに深くきいてきたので、ねらいが狂い、いつもとちがう変なものに命中する。
道を走っている、自動車にも当った。一本は青い自動車に、一本はうすみどり色の自動車に命中。その自動車は速度をゆるめ、道路のまんなかで、おたがいに車体をよせあって、とまってしまった。
青い自動車の男が言う。
「困りますよ。車をくっつけてきては」
うすみどり色の自動車を運転していた女が、窓をあけて言う。
「あたしのせいじゃないわ。車がしぜんに、こうなっちゃったのよ。手におえないの。そっちはどう……」
「じつは、こっちも車が不意に、いうことをきかなくなっちゃったんです。へんですねえ。しかたありません。そっと車を動かし、同じ方向に進んでみましょうか。このままでは、ほかの車のじゃまですから」
やってみると、二台の車はよりそったまま、ゆっくりと動きだした。
いい気分のキューピットは、ぽんぽんと矢をうちまくる。こっちのビルと、あっちのビルに命中したのもある。こっちのビルには住宅建設会社の本社があり、あっちのビルには童話の本の出版社があった。矢のききめは、ここでもあらわれ、二つの会社の社長のあいだで、こんな電話がかわされた。
「こちらは住宅会社ですが、なぜだかわからないけど、これからの住宅は童話的でなければいけないと思いつきました。すぐに、そちらの会社のことが、頭に浮かんだわけです。どうです、合併をしませんか。うまくゆくと思いますよ」