饭饭TXT > 海外名作 > 《ちぐはぐな部品(日文版)》作者:[日]星新一【完结】 > 星新一《ちぐはぐな部品》.txt

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作者:日-星新一 当前章节:15367 字 更新时间:2026-6-16 01:47

「うん。そうだったな。なんだか、のどがかわいてきた。飲み物をくれ」

 女ロボットは部屋を出ていった。それを待つ時間も惜しく、大杉は壁にむけてボタンを押しつづけた。なにかの建物がうつり、こんな声が出てきた。

「冥王星の冷凍睡眠センターを、ご利用ください。当社がいっさいを、お世話いたします……」

 またべつな画面には、七色の奇妙な草花がうつった。

「宇宙植物園へ、どうぞ。カペラ星系から、新しい花が到着いたしました。音に反応し、そちらをむく。向日性でなく、向音性というべきもので……」

その説明を聞いていると、女ロボットがグラスを持って戻ってきた。うす青い液体がはいっている。大杉がそれを受け取ろうとした時、とつぜん、ビーと激しい音がひびいた。声が流れてくる。

「警報。事故発生、注意してください。過去からの侵入者あり。過去より一人まぎれこんだもよう。一刻も早く、発見せよ……」

 大杉はびくりとした。自分のことだ。医院にねかせておいた男が、麻酔からさめ、質屋に戻って事情を話したのだろう。その報告が、ここになされたにちがいない。

 彼は部屋からかけ出そうとした。しかし、そんなふうに逃げようとしないほうが、よかったのかもしれない。それに気づいたのか、そばの女ロボットがすぐ行動に移った。大杉をとっつかまえたのだ。ロボットだけあって、力が強い。いかにもがいても、もはや逃げられそうにない。

 大杉は、抵抗をあきらめた。しかし、どうされるのだろう。それを考え、彼は身ぶるいした。未来から過去へ行く旅行者たちは、過去へ知識を運ばないよう、みな心理的な処理がほどこされている。それと同じようなふうにされるのだろうか。いま見聞したことが、帰ってから口外できないように……。

 いや、そうはできないのではなかろうか。彼は疑問をいだく。そのような心理的な防止処理をほどこして過去へ送りかえすこと自体もまた、やはり、未来の知識の産物を過去に持ち出すことになる。コンタクトレンズをはめた者を、中世に送りかえすようなもの。なにかのきっかけで、周囲の者に発覚しないとも限らない。

 そう考え、彼はまたふるえた。めんどくさいから消してしまえ、ということになるのかもしれない。その恐怖を追い払い、なんとか安心感をえようと、大杉は理屈を考え出した。殺されかけたら、こう主張してみよう。

 おれをここで殺すと、それも未来が過去の現象に干渉することになるはずだ。おれは医者だ。おれが仕事をつづけることで、死なないですむ患者があり、その連中の子孫だってこの時代にいるはずだ。ここでおれが殺されれば、そいつも消えることになるぞ。パラドックスが発生する。未来人が過去にやってきて死ぬのなら、影響はさほど残らないだろうが、未来人が過去の者を殺すと、手のつけようがないことになるはずだ。

 いったい、どうされるのだろう。あつかいようが、ないのじゃないかな。しかし、彼のそんな疑問におかまいなく、女ロボットは大杉をホールの中央に連れてきた。あたりが暗くなり、重力のなくなる感じがし、移行する気分……。

 大杉がわれにかえると、もとの質屋の奥の一室だった。ドアをそとからあけた主人が、のぞきこんで言う。

「困りますね、あなた。いい迷惑ですよ。ひとの服をはいで着て、他人になりすますなんて、犯罪ですよ。さあ、よこしなさい」

 大杉は服をはぎとられ、そとへ追い出されてしまった。あたりを見まわしたが、さいわいだれもいなかった。日も暮れていた。下着姿で質屋から出てくるところを他人に見られたら、一生はずかしがらなくてはならない。

 彼は自分の医院までかけ戻った。自分の服を着て、病室をのぞく。ベッドに横たわっていた男はいなくなっていた。

 それから数日、大杉はだれかれかまわず、この体験談をしたくてたまらなかった。しかし、なんとかがまんした。なぜって、こんな話を他人にしたら、どうなる。あの医者、頭がおかしくなったんじゃないか。そう思われるに、きまっている。ほかの商売ならまだしも、医者にとっては致命的なうわさで、患者はばったりとこなくなるだろう。だまったままでいなければならないようだ。この未来旅行についての話は。

 しかし、話したくてたまらない。証拠だって、ないわけではない。あの万年筆状の器具、それが下着のなかに残っていたのだ。これだ。これが現在の品でないとはっきりすれば、この体験を信じてくれる人だってあるだろう。

 彼はそれを持ち、エレクトロニクスにくわしい友人を訪れた。

「これを調べてもらいたいんだ。すごい品なんだ。見るとびっくりするぜ」

「いやに、もったいをつけるな。どこで手に入れたんだね」

「それはあとで話すよ。まあ、調べてみてくれ」

 友人はそれを受け取り、いじりまわした。

「どうやら、なんということもなさそうだぜ。ありふれたプラスチックだ」

「そうかな。では、なかを調べてくれ。こわしてもいいから」

 なかがあけられたが、からっぽだった。なんのしかけもない。友人はかつがれたのかと腹を立て、大杉はあやまり、そそくさと引きあげた。

 ひとりになると、疑問がわきあがってくる。どういうことなのだ。未来を過去に持ち込むのは厳禁のはずなのだが、あの万年筆状のものは持ち帰れた。しかし、なかはからっぽで、新物質の品でもない。おれの体験は夢だったのか。どういうことなのだろう。

 未来旅行は事実だったはずだ。おれは時間を移動し、たしかに見てきた。整然たる町、ロケット空港、みどり色の宇宙人。それに、力の強い美人ロボット……。

 あれはたしかに未来だ。大杉は心のなかで断言する。しかし、それにもかかわらず、なにかひっかかるものもあるのだ。なにか、もうひとつ欠けている。不満みたいな気分が残るのだ。それに、パラドックスの問題も、説明がつかないまま……。

 二三八一年のタイムトンネル関係者たちが話しあっている。

「めったに起こりえないはずの事故だったが、過去からの人間がまぎれこむという事態が発生してしまったな。あの時代にも、油断のならないやつがいた。これからは自白剤への警戒を、過去への時間旅行者に、注意しなければならない。この一件では、ひや汗をかいたな」

「だが、あの安全装置の部屋を作っておいたおかげで、事件が大きくならずにすんで助かった。少しでもようすのおかしい人物は、いちおう、あの部屋にとおす。そこで時間をかけて、くわしく点検する」

「あの部屋で休ませず、直接にこの時代をのぞかれたら、えらいことだ。パラドックスで、手がつけられなくなる。帰って見聞を話されても困る。心理防止をほどこすこともできぬ。殺すこともできぬ。しかし、あの部屋に入られただけなら、心配ない。本当は、タイムトンネルの過去の出入口で厳重な検査をするのが理想なんだが、大げさなその装置は、あの時代の人の目をひくおそれがあるし」

「まったく、あの部屋はよくできている。過去のあの時代のSFのすべてをつなぎあわせ、それにもとづいて立体映画をとり、窓のそとに映写しておく。壁にうつるのもそうだ。過去のあの時代の連中が夢にも考えなかったことで、その後に実現したたぐいのものは、いっさい画面にあらわれない。つまり、過去を変えるおそれのあるこの時代の情報は、なにひとつ持ち帰ることができないというわけだからな」

「あいつ、きっといまごろは、ふしぎがっているぜ。未来というのは、SFの未来小説そのままだったと。想像もしなかった光景の世界じゃなかったとな。息のとまるような驚異をさほど感じなかったと、ふしぎがっているだろうな」

 大杉はしばらく、ぼんやりした日をすごした。女性ロボット、みどり色の宇宙人、ロケット空港。たしかにおれは見たし、さわりもした。しかし、どうも他人に話す気になれないのだ。話したりすれば「なんだ、SFに出てくるようなことばかりじゃないか」と笑われるにきまっている。SFにも書かれていない話をしたいのだが、そんな点は、まったく思い出せないのだ。ふしぎなくらい……。

 彼は、だれにも話さなかった。しかし、二階の窓のそばに立つと、目はどうしても質屋のほうにいってしまう。このところ、質屋から出てくる人はなかった。包みをかかえてはいって行く人ばかり。だれかが気がつけば、変に思うかもしれない。しかし、気がつく人はいないし、いたとしても、そう大さわぎはしないのだ。

 そして、しばらくすると、質屋は廃業となった。どこへ越していったのか、だれも知らない。そのあとは改築され、喫茶店となった。大杉はそこへ行ってみたが、なんの変わった点もない。ただの普通の喫茶店だった。彼は思う。ここにあった、あのタイムトンネルの出入口、どこかべつな場所に移されたのだろうなと。ほかの場所のどこかで、目立たないような形で、いまでも未来からの旅行者がやってきて、みやげ物をかかえて帰り……。

  災 害

 ケイ氏はこれといった特徴のない人間だった。まだ独身であり、普通の会社につとめ、普通の地位にあった。働きぶりも普通であり、むりに特徴をあげるとすれば、それは平凡という点であろう。特に高級でもない普通のアパートに住み、帰宅してからの時間は、テレビを眺めるか、週刊誌を読むぐらいのことで費やすのが日課だった。

 その日も、ケイ氏は週刊誌を手にしていた。彼はそれを読み終り、軽く投げ捨てながらつぶやいた。

「なんということもない記事ばかりだ。まったく、退屈な毎日だな。金でもあれば、少しは面白い気分も味わえるのだろうが」

 その時、ケイ氏は声を聞いた。

「なにをぶつぶつ言ってるのよ」

 若い女の声だった。ケイ氏は首をかしげた。

「おかしいな。テレビは消してあるはずだが」

 たしかめるまでもなく、テレビのスイッチは入っていない。しかし、またも声がした。

「こっちよ」

 きんきんする、いらだっているような声だった。ケイ氏は部屋のなかを見まわし、その声の出どころをつきとめた。

 いま投げ捨てた週刊誌のページのあいだから、女がはい出してきたのだ。いうまでもなく、小さな女だ。身長は、十センチちょっとぐらい。彼女はしばらく、妙な作業をつづけていた。ページのあいだから、つぎつぎに紙幣を引っぱり出し、それを重ねてつみあげたのだ。

 紙幣のほうは、本物の大きさ。だから、その札束の上に彼女が腰かけた姿は、ちょうど椅子にすわっているようだった。

「これは、なんということだ」

 とケイ氏は言った。こんな思いがけない場面で、的確な質問を順序よく発せられるものではない。彼女は足をぶらぶらさせながら、答えてくれた。

「なんでもいいじゃないの。退屈とお金が問題なのでしょ。それを解決してあげるわよ」

「しかし……」

 どう言っていいかわからず、ケイ氏は身をかがめてよく眺めた。からだの小さい点を除けば、一般の女性と、あまり変わりはない。ちょっとした美人であり、頭の回転も悪くなさそうな顔つきだった。だが、どことなく落ち着きがなく、軽薄そうで、好感は持てそうになかった。ケイ氏が答えをしぶっていると、女はじれたように言った。

「さあ、どうなさるの。気が進まないのなら、あたしは、べつなところへ行くわよ」

「断わるつもりは、ないよ」

 目の前につみあげられてある、札束の魅力は大きかった。それに、好奇心だって湧きあがってくる。女はうなずき、笑い顔を浮かべた。そして、笑い顔のまま叫び声をあげた。

「助けて。だれか来て。ああ、殺されるわ……」

 こんな小さなからだから、よくもこう高く大きな声が出るものだと、ふしぎなほどだった。頭の内部を、引っかきまわされるようだった。ケイ氏は耳を押さえ、目を閉じた。

 しかし、ふたたび目をあけた時には、女の姿はなく、札束だけが残っていた。

「まるで、わけがわからない。なにがおこったというのだろう」

 ケイ氏は|呆《ぼう》|然《ぜん》としたままだった。しかし、いつまでも、呆然としつづけるわけにもいかなかった。やがて、ドアのそとに人声がし、ノックの音もした。あけると、いろいろな人が入ってきて、口々に聞いた。アパートの住人もあり、管理人もあり、見知らぬ人もあった。

「なにがあったのです」

 と聞かれ、ケイ氏はしどろもどろで答えた。

「いえ、べつに……」

「そうですか。おや、大金があるではありませんか。あなたのですか」

「ちがいますよ」

 人びとは、かわるがわる同じ質問をくりかえし、ケイ氏は頭をかかえながら答えた。

「なにがあったのです」

「お話しできないような事件ですよ」

「そうでしょうね。あ、その大金はあなたのですか」

「ええ、わたしがもらったのです」

 ケイ氏は混乱していたので、答えも一定していなかった。正反対であっても、彼にとっては、どちらも真実だったのだ。

 しかし、そんなことが、人びとに通じるわけがなかった。なかにまざっていた見知らぬ人は、警察関係者だったらしく、他の人を押しかえし、腰をすえて質問にとりかかった。

「さあ、ありのままに話して下さい」

「ありのままといっても……」

「大ぜいの人が、女の悲鳴を聞いていますよ」

 ケイ氏は、なっとくできる説明をしようと努力した。寝ぼけた、夢、人びとの錯覚。しかし、相手は、もちろん満足しない。

「その大金はどうなのですか」

 夢から札束が出現するわけがない。ついにケイ氏は、小さな女の話を持ち出した。しかし、相手はメモをとろうともせず、顔をしかめて言った。

「手間をとらせないでくれ。死体はどこだ。窓のそとに共犯者が待っていて、運んでいったのだろう」

「冗談じゃありませんよ……」

「まあいい。しかし、当分は、容疑者であることを忘れないように」

 と、相手は念を押した。被害者が明瞭になれば、殺人事件ということになる。そして、警戒をゆるめない表情のまま、いちおう帰っていった。

 しかし、ケイ氏は、ほっとすることができなかった。かわって新聞社の人、週刊誌から派遣された者、テレビ局の関係者までが、入れかわり立ちかわり、押し寄せてきたのだ。同じような質問が、砂嵐のようにくりかえされた。

 答えないでいると「それは、答えたくないと解釈していいのでしょうね」とやられる。無理に答えると、すぐその矛盾を突いてくる。聞くほうは冷静でも、答えるケイ氏は混乱状態だった。マイクロフォンが突きつけられ、フラッシュが光り、ビデオ撮影用のライトが強く輝やき、電話のベルが鳴り、質問は依然としてくりかえされる。彼はなんと応対したのか、自分でもわからなくなっていた。

 連中が引きあげていったのは、ケイ氏が疲れはて、目をあけていられなくなったからだった。最後の力でドアに鍵をかけ、あとは倒れるように眠った。

 しばらく眠って目がさめると、耳もとで声がした。

「どう、相当なものでしょう」

 あの小さな女だった。いらいらさせる声で、ささやいている。ケイ氏は疲れた口調で聞いた。

「どこへ行っていたのだ」

「電灯の傘の上から、見物していたわ」

「とんでもないやつだ。他人の不幸を、面白がって見物しているなどとは」

「べつに面白くもないわ。あきるほど見あきた眺めですもの」

「なぜ、わたしをこんな事件に巻きこんだ」

「あなたが承知したことだし、これが、あたしの仕事ですもの」

「いったい、おまえはなんなのだ」

 ケイ氏はやっと核心の質問にたどりつき、女はあっさりと答えた。

「週刊誌の妖精とでも、マスコミの悪魔とでもいった存在なのでしょうね」

「そんなものの、あるわけがない。なにかの幻覚にきまっている」

「一種の幻覚なのでしょうね。だけど、あなたにとっては、幻覚ではないわ」

「それなら、だれの幻覚だ」

「週刊誌など、マスコミで生活している人たちのよ。彼らは、なにか事件がおこってほしいと、念じつづけているわ。その祈りだか、執念だか、潜在意識だかが、なんらかの作用で凝結し、あたしができてしまったわけよ。どうしようもないわ」

「わかったような、わからないような気分だ。しかし、あの札束は、どうなのだ。どこから持ってきた」

 札束は、まだ床の上に残っていた。入ってきた連中もおたがいに目を離さなかったので、どさくさにまぎれて持ち去る者はいなかったらしい。

「マスコミ関係は、銀行とはちがうわ。わけもわからず、どこかへ消えてしまう金がいくらかあっても、だれも、そうさわぎたてたりしないものよ。そんなお金を、集めたわけね」

「おまえは、いつもそんなことをやっているのか」

「まあ、そうね。でも、いつもじゃないわ。しばらく大ニュースがない日がつづくと、なにかやらざるをえなくなるの。公金横領だの、狂言強盗だのを作りあげたこともあったわ。あなただって、みな週刊誌で読んでいるはずよ。でも、いつも同じ手法を使うわけにも、いかないでしょ。だから、こんどは新しい演出よ」

「やれやれ、ひどいやつに、見こまれたものだ。その金を持って、帰ってくれ」

「だめよ。あたしの用がすむまではね……」

 その週刊誌の妖精だかマスコミの悪魔だかは、テレビセットのなかに消えた。ケイ氏はまだ、夢のような気がしてならなかった。だが、いやおうなしに信ぜざるをえなかった。

 つぎの日からケイ氏は、平凡な自由をまったく失ってしまった。電波に乗り、活字になり、写真となり、崩れたダムの水や逃げた鳥の群のように、収拾のつかない形だった。キャッチフレーズには、不自由しない。

 なぞの殺人か。悲鳴と札束。消えた被害者。共犯者はいずこへ。そのほか、さまざまな刺激的な文句が使われ、識者の意見もにぎやかだった。絶好の話題であり、楽しい読物でもあった。といっても、ケイ氏ひとりを除いてのことだが。

 数日は、それがつづいた。ちょっと下火になると「あの金はあたしのよ」と主張する女性があらわれ、手記を発表したりした。もっとも、すぐに虚構と判明したが、話題は話題であり、発表と虚構の判明とで、二回にわたって大きく扱われた。

「むちゃくちゃだ。あれも、おまえのしわざだろう」

 ケイ氏は、またも紙クズ籠から出てきた妖精に言った。

「ご想像にまかせるわ」

「いいかげんにしてくれ」

「そうはいかないわ。みんな、これで楽しんでいるじゃないの。それに奉仕するのが、あたしの崇高な義務よ」

 とても離れてくれそうになかった。ケイ氏は、身のおきどころがなかった。外出すれば、顔をみつめられ、もちろん会社には行けない。といって、家に閉じこもっていれば、電話が鳴り、来客が押し寄せ、静かにしておいてくれない。いっそのこと、警察に留置されたほうがいいとも思う。しかし、自首しようにも、死体もなければ共犯者もいないのだ。

 どこかで静かにすごしたいと思い、旅行案内所に出かけて、相談してみた。だが、それはまた、話題を派生する。逃亡の準備か、となるのだった。睡眠薬を買おうとして、薬局に寄る。すると、あとをつけてきた報道関係者らしい男が、よけいなことを言うしかけだ。

「自殺なさるのでしたら、その前にわたしにだけ、真相を教えて下さい。どんなお礼でも、さしあげますよ」

 マスコミの悪魔にとりつかれている限り、自由の許されるはずがない。

 ケイ氏はやっと決心した。なまじっかなことでは、だめだろう。そして、神経科の医者を訪れたのだ。ほかに、方法は考えつかなかったのだ。それもまた話題となった。仮病か、良心の|呵責《かしゃく》か、と。しかし、ケイ氏は意志をまげなかった。最後の、たのみのつなではないか。彼は医者にむかって、めんめんと事情を訴えた。

 医者は、いささか持てあました。妄想の診断をくだすのは簡単だが、札束の説明は、どうしようもない。それに、へたに診断を発表すると、自分までさわぎに巻きこまれてしまう。病気と診断すると、報道関係者がやってきて、その根拠をしつこく聞くだろう。健全と判定して帰し、その帰途に自殺でもされたらことだ。

 医者は困ったあげく、ケイ氏を精密検査し、ちょっとした内臓疾患をみつけだし、その専門の病院に送りこんでしまった。ケイ氏にとっても、それでべつに不満はなかった。一応の安静は、得られたのだから。

 妖精はそばにつきっきりだったが、べつに看病してくれるわけでもない。そして、だれかが来ると姿を消し、帰るとまたあらわれる。

 ケイ氏は、どうにでもなれと覚悟をきめた。当分は、ここにいることにしよう。費用には、あの金を使えばいい。出所不明とはいうものの、被害者が申し出てくるわけがない。自分の室内にあった金を、自分で使うのに遠慮はいらない。

 そのうち、妖精は彼に告げた。

「あたし、もうお別れするわよ」

「そんなこと言わずに、もっといてもいいんだよ」

「あたしをあまのじゃくとでも思って、作戦を立てたようね。だけど、そうじゃないのよ。ひとつの場所にとどまっていては、マスコミの悪魔として、役目が果たせないじゃないの」

「勝手にしろ。こっちの方針を貫くまでさ」

 妖精は、枕もとの花ビンのなかへ消えた。その言葉どおり、二度と戻ってきそうになかった。しかし、ケイ氏は入院生活をつづけた。退院したところで、ろくなことはないにきまっている。

 何ヵ月かして、ケイ氏は退院した。もっといたかったのだが、例の金もつきてしまったのだ。

 そして、いや、それだけのことだった。ケイ氏にとって変わったことといえば、住居とつとめ先だけ。すべては、普通に戻ってしまった。

 人びとの頭には、なにひとつ残っていない。ごく時たま、電車のなかなどで、どこかで見たような顔だといった視線を受けるが、それ以上になることはない。

 つとめ先でも同様。ある日、同僚と酒を飲み、酔った勢いで「おれは、ニュースでさわがれたことがある」と口走ったことがあった。だが「いいかげんなことを言うな」とたしなめられて、終りだった。人びとの話題は、現在発売中の週刊誌をにぎわしている、新しく、刺激的で、なぞめいたものでなくてはならないのだ。

  壁の穴

 その青年は、ゆっくりと目をさました。目ざまし時計の響きによって起こされたのではないことに気づき、きょうは休日だったなと思う。ゆっくり眠っていていいのだが、それほどのねむけも、残っていない。といって、すぐ起きる気にもなれず、ぼんやりと天井に目をやった。

 ごくありふれた、アパートの二階の一室。交通にはわりと便利な場所にあったが、そのかわり、近所の物音がうるさい。自動車の音や、窓の下を通る人びとの声が、雑然と聞こえてくる。きょうは休日のため、子供のかん高い声も多かった。遠くでは、音質の悪いスピーカーが音楽を鳴らしている。

 この室内は、整理されてはいるものの、殺風景だった。この青年がまだ独身のせいだった。年齢は、三十に少し前。大きな会社につとめ、その点では現在から将来へかけての不安を、あまり感じない。しかし、地味で平凡な毎日でもあった。そのくせ、彼は内気な性格で、刺激を積極的に求めようとしなかった。

 その日常は、三つに区分することができた。ひとつは、つとめ先にいる時間。それは、退屈と不満感にみちていた。実力を充分に出しきった時に感じる生きがいを、めったに持てないからだ。彼は他の者も同様なのだろうと、自分をなぐさめて時をすごす。

 つぎに、この部屋に帰ってきてからの時間。近所のざわめきの音に、悩まされる時間だ。もっと静かな場所へ移ろうとも考えるが、そうすると、交通の便も悪くなる。それもいやだし、引越しの手間を思うと、うんざりする。

 夜になってあたりが静まると、こんどは孤独を持てあます時間となる。もともと殺風景な室内が、さらに生気を失い、テレビにかじりついていても、それはたいしてまぎらせない。

 この三つの時間は、どれも好ましいものでなく、いずれもがまんを必要とする。そのくりかえしが、彼の日常となっていた。

 青年は、ぼんやりと天井を眺めていた。その時、どこかでなにかがキラリと光ったように感じた。不審に思って身を起こし、あたりを見まわすと、枕もとに一本のナイフがころがっていた。夢のなごりのように、ぽつんと置かれてあった。そこだけが、夢からさめていないようでもある。静かに光を受け、静かに光を反射していた。

 手にとると、かすかな涼しさが皮膚に伝わった。青年は、首をかしげながら見つめた。ナイフと呼ぶべきだろうか。西洋の剣と呼ぶべきだろうか。名前をつけられるのを拒絶するかのように、そのどれともちがっていた。

 どことなく、異様な感じを発散していた。それは、どこからきているのだろう。青年は注意ぶかく、目を注いだ。全長は、三十センチぐらい。その三分の一が握りで、こまかな彫刻がほどこされてあった。材質はよくわからないが、硬度の高い金属らしい。刃の両面は鏡のように光り、やわらかな布でプラチナをゆっくりみがきあげたように、なめらかな面だ。

 青年が顔を近づけると、そこに自分の顔がうつった。しかし、少しゆがんだ顔だった。それは、ナイフの面がゆるい彎曲から成っているためとわかった。すなわち、形の点からいえば、太い竹を割って作ったヘラのようだったのだ。もちろん受ける印象は、まったくちがっていたし、このナイフは先に至るほど細くなり、先端は鋭くとがっている。

 どうしてこんなものが、と彼は考えた。自分のものではないし、第一、はじめて見る品だ。といって、他人のものとも断言できない。だれかからあずかった覚えもないし、まちがって持ってきた記憶もない。ポケットに入れるには長すぎ、無理に入れたとしても、とがった先端は服を破き、ことによったら、からだに傷をつけるだろう。

 眠っている間に、だれかが持ってきたのだろうか。そう想像すると、ちょっと恐怖を感じた。胸でもさされたら、永久に目がさめなかったかもしれない。しかし、たしかめてみると、ドアも窓も、内側からしまったままだった。まさしく、夢からこぼれ落ちたような出現だった。

 なんに使う品だろうか。と青年はつぎに考えた。しいて呼べばペーパーナイフだが、それにしては、刃が鋭すぎる。武器にしては、持って歩くのに不適当なようだ。大工道具にしては、形が優美すぎる。また、くだものナイフかとも思ったが、それを必要とする、くだものの想像はつかなかった。だからといって、単なる装飾品のようでもない。なにか、実用性を秘めている感じだった。

 とまどいを笑うように、ナイフはきらきらと光っていた。青年の手のふるえがナイフに伝わり、鋭い先端がゆれていた。なにか、突きささるのを欲っしてでもいるようだ。

 隣室との壁に穴でもあけてみるかな、と青年は思った。となりには、夫婦と子供ひとりの家族が住んでいた。その男の子は活発で、青年は騒音の被害を時どき受ける。そのしかえしと思えば、小さな穴ぐらい、あけてもいいだろう。日曜はそろって外出するのが習慣だから、いまなら、気づかれることはあるまい。

 しかし、こんなナイフで壁に穴があくかどうかはわからないし、あいたむこうが本棚の奥かもしれない。だが、ためしに壁をちょっと突っついてみるぐらいは、いいだろう。

 青年はナイフを壁にむけ、そっと押した。ほとんど抵抗もなく、刃が半分ほど突きささった。壁がやわらかいためか、ナイフが鋭いためかは、手ごたえだけでは判断できなかった。しかし、予想もしなかったことだけは、たしかだった。

 はっと思ったとたん、ナイフが動いた。握った手が無意識に動いたようでもあり、ナイフが自分の意志で動いたようでもあった。いずれにせよ、ナイフが動いたのだ。そして直径三十センチほどの穴があいた。刃の面についていた、彎曲のためのようだ。

 同時に、くり抜かれた丸い盤が手前に倒れてきて、青年は左手で、あわてて受けとめた。この、あまりにも鋭い切れ味は、驚異だった。おろしたての安全カミソリの刃で紙を切った程度の感触で、壁に穴があいてしまったのだから。

 驚きがおさまると、かわって当惑が湧いてきた。こんなに、大きな穴があいてしまうとは。自分だけでは、修理できそうにない。管理人に言って、修理してもらわなければならないだろう。その時は、どう言いわけをしたものだろうか。青年は左手の丸い盤と、右手のナイフとを見くらべ、困った表情を浮かべた。

 だが、のぞいてみたい好奇心も、残っていた。彼はおそるおそる顔を近づけ、呆然となった。力の抜けた手からナイフが滑り落ちそうになり、あわてて、われに返った。そして、ふたたびのぞきこんだ。ここと大差ないつくりの、ごたごたした室内があるはずだった。そうでなければ、ならないはずだ。

 しかし、まったくちがった光景が、そこにあった。室内は室内だが、広く豪華な部屋だった。じゅうたんが床にしかれ、その上には、上品な家具が並べられている。高い天井からは、シャンデリヤがさがっている。壁には油絵が飾られてあった。婦人の像で、その服装から十七世紀頃のものかと思われたが、彼にはそれ以上の知識はなかった。また、大理石でできた置物もあり、すみの机には、電話機がのっていた。

 人影は見あたらず、広さと静かさの支配する眺めだった。窓をおおう薄物のカーテンの揺れ方も、優雅だった。青年の部屋とくらべ、天井も二倍ちかく高く、広さは少なくとも五倍は……。

 ここに気づき、彼は軽い叫び声をあげた。こんなことが、ありうるだろうか。このアパートのなかに、おさまるわけがない。幻覚か錯覚だろうか。それとも、レンズかなにかを利用した、いたずらだろうか。

 青年は目をこすり、またのぞいた。広い部屋は依然としてそこにあり、鮮明であり、レンズを通して眺めるような、ゆがみもなかった。眺めつづけていると、風のためにカーテンが揺れ、そとの景色がちらと目に入った。それは一瞬だったが、彼の目の底には焼きついた。

 異国の街だった。石造りの建物が並び、ひときわ高く教会の塔があり、そのむこうには海があった。彼は海のにおいを感じた。街路樹は午後の陽ざしをあび、道に影を落とし、町角の噴水は虹の色に光り……。

 その時、電話のベルが鳴りはじめた。その広い部屋のすみにある電話機で、耳なれない明るい響きをたてていた。それを見ていて、青年は少しいらいらした。だれかが出なければいけない。そう思っていると、窓と反対側にあるドアのとってが回り、扉があき、だれか人の入ってくるけはいが……。

 ほっとすると同時に、青年はあわてた。のぞき見をしていた反省と、見とがめられた時のばつの悪さに気づいたのだ。彼は、左手で持ちつづけていた丸い板を、急いで穴にはめこんだ。それはうまくおさまり、青年ははじめて長い息をついた。

 まるで、夢からさめたようだ、と彼は思った。しかし、夢なら、こんなに細部にわたって鮮明には見えないはずだし、また、記憶にも残らないだろう。夢でないことを確認するためには、小さなすきまを作って、もう一回そっとのぞけば……。

 だが、それはできなかった。丸い板をはめこんだはずなのに、あとが少しも残っていない。指でさわっても、目を近づけても、ナイフを突きたてる前の壁と、まったく変わっていなかった。円形の線さえみとめられず、さっきの穴が、うそのようだった。ということは、やはり夢だったのだろうか。

 青年は少し恐怖を感じ、手のナイフを、そっと机の上に横たえた。手のひらには、汗がにじみでていた。それから、いまの現象について、ゆっくり考えようとした。休日の午後だから、時間はたっぷりある。

 見たことを回想した。室内の配置、窓のそとの景色。それらは、はっきりと覚えている。それに電話のベル。あの電話をかけてきたのは、だれなのだろう。開きかけたドア。ドアのむこうにいた人物は、だれなのだろう。だが、考えても結論はでなかった。

 時どき、彼は横目で机の上を見る。ナイフは消えずに残っており、手に取れば重みがある。これを使って、さっき、隣室との壁に穴をあけたのだ。しかし、そこには隣室がなかった。そのことは、たしかだ。訪問したことはないが、あんな広さと、あんな窓外を持つ部屋のあるわけがない。

 解答は得られず、無理につけようとすれば、狂気しかない。つまらない毎日の仕事、せまいアパートの部屋、さわがしい物音。これらの重圧が精神をゆがめ、理想の光景を投影したのではないだろうか。しかし、あまり気持ちのいい仮定ではなく、青年はそれを頭から追い払った。

 考えていたってだめだ、と彼は決心した。唯一の方法は、もう一回やってみることだ。こんどは、事情が少しはっきりするかもしれない。青年はナイフを手に、壁ぎわに寄った。

 そして耳に押しつけた。ドアの開く音が伝わってきた。アパートの各室にある、安っぽいドアの音だ。つづいて、なにか呼んでいる子供の声、なにかを投げる音。隣室の住人が、帰宅したらしい。となると、試みるのはぐあいが悪い。こんどは、どんな穴があくかわからないのだ。青年はためらい、ひとまず中止した。

 つぎの日、彼は出勤した。しかし、アパートの机のひき出しにしまったナイフのことを思うと、気分がそわそわした。なぞを追う夢みるような心になり、また現実にもどる。それにつれて青年の表情も、楽しげな微笑から、重大なことの開幕に立ち会っているような真剣さに、変化する。

 同僚が気づき、恋愛でもはじめたのかと、からかうような質問をし、青年は打ち消す。打ち消すだけで、説明はしなかった。あのナイフは出現した時と同じに、霧のごとく消えてしまうのかもしれない。他人にくわしく話すには、はかなすぎる存在のようにも思えるのだ。

 それでも、勤務時間が終ると、青年は急いで帰った。ナイフの見えざる力に引き寄せられるかのように。部屋に入り、ドアに内側から鍵をかけ、机のなかを、そっとのぞいた。鉛筆だの、ハサミだの、薬のびんなどにまざって、ナイフはそこで静かに光っていた。誠実な恋人のような感じがした。

 青年はそれを手にし、どこへ穴をあけてみようかと迷った。へたなところへあけたら、文句を持ちこまれるおそれがある。考えたあげく、天井はどうだろうと思いつく。二階建てのアパートの二階の室だ。とがめられることは、あるまい。

 机の上に立ち、彼はナイフを天井板に突きさした。きのうと同様に、ほとんど手ごたえがなくささり、直径三十センチの円を描いて一回転した。かまえていた左手の上に、くり抜かれた丸い板が落ちてきた。

 彼はまず、その板を眺めた。ふちは鋭く切れている。だが、ふしぎなのは裏側だった。さぞほこりがたまっているだろうと、軽く口で吹いてみた。しかし飛びちったものは、なにもない。指でなでたが、なにもついていない。なめらかな感触があるだけだった。絹を糸でなく平面にしたら、こんな感じになるのではないだろうか。

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