「あの、住所のほうですけど、きょうのところは内密にしておいていただけないかしら。お礼のほうは、この通り前払いにいたしますから」
「けっこうでございます。いろいろなご事情がおありのことでしょう。しかし、ここへおいでになったからには、もうご安心です。ここの先生は、宇宙の霊気を感じとる力をそなえたかた。運命の糸をみごとにさばいて下さいます。あなたがここへいらっしゃる決心をなさり、電話でご予約をなさった。その瞬間から、胸のなかで期待が高まりつづけでしたでしょう」
「ええ……」
「そして、この部屋に入られてから、なにか、こう、別世界にふみこんだような気分になられた」
「ええ……」
「そこですよ。先生に近づくかたは、みなそうおっしゃいます。さあ、そっと先生のお机の前の|椅《い》|子《す》へ。静かに。先生のお考えを乱さぬよう。椅子へおかけになったら、あなたもしばらく、あたりにただよう宇宙の霊気を呼吸なさって下さい」
女、それに従う。
*
この女にくっついて入ってきたのは、十六歳ぐらいの少年。江戸時代風の服装。といって武士ではなく、町人、あるいはさらにいいかげんな身分の感じ。あたりを見まわして声をあげる。
「ありゃ、こりゃあいったい、どういうことなんだ。霊魂ばっかりのたまり場か。いや、そんなことはありえないし、そうじゃねえようだな。やはり、現世の人間もいるようだ。しかしねえ、悪趣味ったら、ありゃあしねえぜ。生きてるくせしやがって、なんでえ。霊魂ごっことくる。ちかごろはやりの、悪魔趣味の、らんちきパーティーでもはじまるのかい」
老紳士、それに答える。
「そうじゃないのだ。これがここの家の営業なんですよ」
「なあるほどね。当節はなんでもぜにになるご時世だからな」
「ところで、あなた、いま、らんちきパーティーとか言いましたね。見たことあるのですか。わたしは、ぜひ一度は見たいと思っているんですが」
「見たとも見たとも。この女にのりかえてからは見てないが、その前にとりついていた人物にくっついて、何回も見たぜ。しかし、そんな質問するとこをみると、あんた新入りだね」
「お恥ずかしいが、霊魂になったばかりで」
「恥ずかしがるこたあ、ねえやな。若い新入りの者たちは、最初のうちゃあ、みんな同じだ。いずれベッドシーンだろうが、入浴シーンだろうが、いやというほど見ることになるさ。最初のうちは面白いだろうけどさ、つぎにはうんざりし、やがてはなんにも感じなくなる。あきあきだね。くだらねえな」
「いや、お恥ずかしい」
「恐縮するこたあ、ねえよ。おいらもむかし、そんな時期があったものさ。あんたのような若い人のそんな気持ちが、ちょっとうらやましくもなるね。なにもかも珍しく、はしがころげても笑うんじゃねえのかい。いいね。そこへいくと、おいら、この世界ながいからな」
江戸時代風の少年、すっかり先輩づら。こうなると老紳士、ますますぞんざいな話し方ができなくなる。
「あなた、生前はなにをなさっておいでだったので……」
「問われて名乗るもおこがましいが、と言いたいとこだが、けちな仕事さ。すり。あのころは、きんちゃっきりと言ってたものだ。江戸時代さあね。ノミ小僧と自称してた。ぴょんぴょんはねるノミだよ。ネズミ小僧を大泥棒とすりゃあ、その規模を比例させれば、ちゃちな小泥棒のおいらなんざ、さしずめノミってとこさね。当時、すりは三十歳まで生きられねえって言われていた。現行犯二回までは、いれずみですむ。しかし、三回目にとっつかまると打首。出来心でならべつだが、すりを仕事とするプロともなりゃあ、三回ぐらいはつかまらあな」
「で、あなたは、それで打首にされたのですか」
「そうじゃねえんだな。みっともない話さ。ある日、みごとに大金をすりとった。大金だったなあ。その金をぱあっと気前よくばらまき、祝杯をあげた。その時に食ったフグがいけなかったってわけさ。フグ食って、すぐ死んじまった。落語だね。それで一巻の終りさ。ばかばかしいったら、ありゃあしねえ」
「残念でしたねえ」
「最初のうちはね。しかし、それ以来ずっと霊魂の世界。人間のやることを見つくしちまうと、残念な気もしなくなってくる。生きているおいらがやるのと、おいらがとりついている生きているやつがやるのと、見聞の点じゃ、おんなじさ。東海道五十三次、何度も往復したものさ……」
ノミ小僧は、あくびをするようなしぐさをする。老紳士はさらに聞く。
「すると、この霊魂の世界には、歴史上の有名人もたくさんいるわけでしょう。そういう人びとに会ってみたいものですね。会えるでしょうか」
「いずれ会えるさ。いやというほどね。だけど、会ったって面白かねえよ。現世にいてこそ有名だが、こっちへ来ればただの霊魂さ。支配したりされたりの関係は、ここにはねえし。あるものといえば、先輩に対する、ちょっとした儀礼ぐらいのものさ。あんた、感心だねえ。おいらに礼をつくしている。しかし、それだって本当はどうでもいいことさ。だって、しかえしをするとか、しないとかいったって、方法がねえものな。話し相手になってくれねえぐらいのことかな」
「死んでしまえば、有名人もただの霊魂か。なるほど」
「悪名であろうと、なんであろうと、現世で有名になりゃあ、それで人生の収支決算がついちゃうせいかもしれねえな。名声も地位も権力も、財産も借金も、こっちの世界まで持ちこめるわけじゃねえし。こっちでつきあいにくいのは、有名になるべくして、現世に名を残せなかった人のほうだな。いつだったか、すげえのにであったぜ。どこでだったかな。人類のなかではじめて火を作ったというやつさ」
「そんな人がいたわけですか。で、どうやって火を作ったんです」
「ことのおこりは、一種の欲求不満なんだろうな。そのいらいらを解消しようと、無意識のうちに乾いた木と木をこすりあわせてたらしいんだ。当人の話によるとだがね。するってえと、木があつくなってきやがった。そいつはやけになっていたわけで、さらにつづけた。やがて、ついに炎となったってことさ」
「感激の一瞬だったでしょうな」
「感激なんてものじゃなく、きもつぶしたってとこだろうな。人類史上、空前絶後の発明だからな。その時のショック、想像にあまりあるね。電灯の発明にしろ、最初の原爆実験にしろ、これらは予想してやったことだから、できて当り前、火の発明のショックにゃあ及びもつかないだろうさ。しかし、その当人、歴史にうずもれ、後世の人、だれも考えてもくれねえとくる」
「わたしだって生前、そんなこと思ってもみませんでした」
「それが、ご本人にとっちゃ、面白くねえんだな。いまだにぶつぶつこぼしている。霊魂になってから、放火狂にばかりとりついていやがる。おっと、この霊魂の世界の名誉のために言っとくが、あいつがとりついたから放火狂になるわけじゃねえよ。放火狂をねらってとりつくだけのことさ。しかし、はたから見てると、現世に執着が残り、あいつがとりついて放火をさせてるような印象だな。お江戸の町にゃ、よく火事があったなあ」
「そういうものですかね」
「そのうち、あんたもどっかで会うだろうよ。その時は、それとなく声をかけてやるんだな。やっこさん、発明の苦心談の一席を、あきることなく話してくれるよ。ここ何万年、いやもっと長いかな、その自慢話をしつづけらしい。ぐちの最高記録だろうな。よくあきないものさ。まあ、あれも一種の気ちがいだろうな」
「わたしのような新入りにとっては、ぞっとするような話ですよ。そういうような、長い年月についてとなると、まだ感覚がうまく当てはまらない……」
と老紳士は肩をすくめ、来客の女を指さしながら、ノミ小僧に聞く。
「……ところで、あなたのとりついている、あの女、なにか大きな悩みを持ってるようですな。どんなことです」
「話してもいいけど、すぐ答えたんじゃ、楽しみにならねえ。当ててごらん」
「まるで見当がつきません。しかし、きれいな女性じゃありませんか。どうです、わたしと人物をとりかえっこしませんか」
「そうはいかねえよ。あの女は|上玉《じょうだま》なんだ。この世界じゃ、おいら年期が入っている。損な取引きをする気はねえな。そっちの持ち|駒《ごま》はなんなんだい」
「まともな少女ですよ。この壁のむこうにいますが。あなたと年齢的につりあうと思えるがね」
「ごめんだね。あんた、いいかげんで現世の常識を捨てなきゃあな。美人がどうのとか、年齢のつりあいとか、そんなこたあ意味がねえんだ。おいらの希望するのは、奇人変人のたぐいだね。しかも、うんととびきりのやつさ。つぎにどこへ行って、なにをやらかすか、予想もつかねえなんてのがいい。記憶喪失なんて人物がいるといいんだがな。まだめぐりあったことがねえ。そう仕上げることができりゃあな……」
とノミ小僧、和服姿の女の頭をなぐるが、もちろん、なんの変化も起らない。
「……おいら霊魂たちの手じゃあ、どうしようもない。頭のおかしな人物に、まともな霊魂がとりついている。これが理想の形さあね。その逆じゃあ、なんてことない。意味ねえよ」
「そういえば、さっき、自分を天使だと思いこんでいる霊魂が……」
老紳士、話しかけるが途中でやめる。
*
大きな机の椅子にかけている夫人は、来客の和服姿の、二十七歳ぐらいの女に話しかける。
「よくいらっしゃいました。気楽になさって下さい」
しかし、女は机の上の骸骨を指さし、ふるえ声で言う。
「でも、それ、気味わるくて。なんですの」
「これはね、チンパンジーの頭蓋骨。チンパンジーといっても、そのへんの普通のものとはちがうのです。ある研究所で、動物実験にさんざん使われたチンパンジー。殺されてしばらくほっておかれたあと、心臓に刺激を与えて生きかえらせた。窒息死させられ、そのあと強力な酸素吸入で生きかえらせられた。そんなことを、何回も何回もくりかえさせられたってわけ。生と死の世界を、さんざん往復したチンパンジーなの。これにとっては、そこにかよいなれた道ができてしまっている。現在、どちらに属しているのか、これにはわからないわけよ。いまにも生きかえると思ってるかもしれない」
「かわいそうですわ」
「しかし、人類のためには、やむをえぬ犠牲です。ここで動物実験の是非を論じてもしようがありません。その研究所から偶然のことで、これをもらったのですが、さわったとたん、ひらめきがありました。あたしの能力が何倍にも高まる。あたしがこれに手をふれることによって、霊界との交流ができるのです。新しい言葉でいえば、媒体とでもいえましょうか。霊界と接触することにより、過去から未来にかけての、人の運命の流れを知ることができるのです。なにかこの説明に、疑問の点はございますか」
「いいえ、よくわかりました」
女は感心し、信じこんだようす。
*
このありさまを見ていたノミ小僧、いささか驚く。
「う、こいつあすごいや。どえらいことを考えつきゃあがったな。霊界と現世との運河を開拓したとはね。うまくやれば、この黒マント姿の女を通じて、現世に手出しができるかもしれねえ。魅力的だね。そこのおにいさん、どうです、ちょっとこの女にとりつかせてくれませんか」
そう言われ、昭一郎は答える。
「残念でした。そんな魅力的なものじゃありませんよ。よくある、いんちき占い師。いわくありげな、チンパンジーの物語もうそっぱち。お客をおどかす小道具です。だいたい、本物かどうかも疑わしい。よくできたプラスチック製かもしれない」
「そうかねえ。なにか真に迫ってるとこがある感じだがな。現世に手を出したいという、おいらの願望のため、そう思えるのかもしれねえな。しかし、ものはためし、ちょっと交代させて下さいよ」
「それだけはおことわりだ。ぼくにとって、別れられない事情があるのでね」
「え、このマント姿の女とかい。こりゃあ珍しい。そんな霊魂にははじめて会った」
*
亭主、電話が鳴ったりして、神秘ムードのこわれるのを防ぐため、大机の上の電話機のコンセントを抜き、夫人の椅子のうしろをまわり、べつなコンセントにさしこみ、受付机の上に電話機を移す。
*
それにつれて春子も動き、昭一郎と一瞬だが抱きあうことができる。昭一郎、ノミ小僧に言う。
「そうじゃない、この女とだ」
「ふうん、そりゃまた、どうして」
「ぼくたちは、心中したんでね。あの世で結ばれようと、いっしょに死んだわけです。だから、いつもいっしょにいられる人物にとりついていなければならない」
「そういう事情とはね。おみそれしやした。えらいもんですなあ」
うなずくノミ小僧に、老紳士が聞く。
「江戸時代にも、心中はよくあったんじゃないんですか」
「江戸時代のは、小説や芝居にあおられての流行さ。純愛とはちょっとちがうな。かっこいい死にあこがれたってとこさね」
「そういうものですかね。それから、おうかがいしたいことがまだある。あのお二人、いつもあつあつムード。うらやましいくらいです。命みじかし恋せよ乙女ムードです。わたしにふしぎでならないのは、霊界には、時間はたっぷりあるわけでしょう。それなら、寸暇を惜しんで会いつづけることもないと思うんですがね」
「いかにも新入りらしい質問ときたね。うん、どう説明したものかな。火の発明者みてえなもの。そうだ、さっき、あなたは、自分を天使と思いこんでいる霊魂に会ったって言ってたな。それと同じようなもんさ。金銭や名声はこっちへ持ちこめねえが、生前の異常な性格、それはそのまま、霊界に持ち越されるってえわけ。早くいやあ、一種の……」
それを昭一郎、聞きとがめる。
「おい、小僧。その言いかただと、ぼくたちは頭がおかしいことになるぞ。とんでもないやつだ」
春子も言う。
「ほんとよ。そんなおっしゃりかた、あんまりですわよ。失礼だわ。あたくしたちのは愛情よ。純粋な愛よ。愛情がなぜ異常なんですの。愛とはきらめく空の星、すみれの花。これのどこが異常ですの」
昭一郎もつけ加える。
「そうだ。失礼だ。ぼくたちへの侮辱だ。すりをやってて、フグを食って死んだ子供には、わかるわけがない。愛とはもっと高級なものなのだ」
ノミ小僧もだまっていない。
「やい、なんだと、てめえら。若造のくせしやがって、そっちこそ失礼だ。おいらのほうが、はるかに見聞がひろい。フグ食って死んだのが、安っぽいとでもいうのか」
この成行きに、老紳士、口を出す。
「まあまあ、さわぐのはおやめ下さい。もとはといえば、わたしがつまらない質問をしたからです。ノミ小僧さんが、新入りのわたしにわかりやすいようにと、異常という形容を使ったわけでしょう。異常な性格のなかには、たぐいまれなる美点という意味も含まれております。そのへんに誤解があるようです。まあ、このところは、この新入りのわたしに免じて、おだやかにおさめて下さい。霊界にまで現世の常識を持ちこみ、争うべきでないと思います」
ノミ小僧、答えていわく。
「そうだったな。|負《お》うた子に浅瀬を教えられたようなもの。おとなげなかった。新入りの前で、みっともないことをした。おいらは江戸っ子、さつきの|鯉《こい》の吹流し、口先ばかりで、はらわたはなし。悪意はなかったんだ。そこのおにいさん、すまんことをした」
昭一郎も言う。
「ぼくのほうも、先輩に対して失礼な口をきき、あやまります」
*
夫人、和服の女に話しかける。
「厳粛な静かさのなかで、霊感がしだいに、あたしのからだにみちてきました。さあ、あなたもお手を机の上にのせ、あたしのもう一方の手にさわって下さい……」
女、そうする。夫人はつづけて言う。
「……そろそろ、あたしの心の視野がひらけてきました。みごとな結婚指輪でございますね。あなたは、ご結婚なさっておいでですね」
「はい……」
「お悩みは、ご家庭のことでしょう」
「はい……」
*
ノミ小僧つぶやく。
「なあるほどね。これはいんちき占いのようだ。主婦であることは、外見でわかる。主婦というものは、すべて家庭と関連して物事を考える。もっとべつなことを当てたらえれえんだがな……」
*
夫人、さらにつづける。
「問題の中心には、ひとりの男性が立っているようですが」
「あら、よくわかりますこと。それなんですよ。それはあたしの主人なんです。じつは、それが心配のたねなんですの……」
*
「ちぇっ。だまってりゃあ面白いのに、自分からしゃべっちまいやがった」
とつぶやくノミ小僧に、昭一郎が言う。
「誘導尋問のテクニック。よくある手さ」
*
夫人は重々しい口調で、女に言う。
「そのご心配ごとを、あなたのお口からお話しになってみませんか。このチンパンジーの骨が、それに反応し、あたしの心のなかに、あるべき未来図を描き出してくれます」
「はい。あたしの主人の態度が、どことなくおかしいのです。まともな会社づとめをしているんですが、なにかあたしにかくしごとをしている。そう思えてならないんです。あたしがこれだけ、まじめに心からつくしているのに、主人があたしにかくしごとなんて。許せないことですわ。ねえ、そうではございませんこと……」
*
老紳士つぶやく。
「あたしはいい女なのだ。だから、他人もそうあるべきだ。いかにも女らしい、単純なる正義論の展開となりましたな。これからどうなるんでしょうなあ」
ノミ小僧、にやにや。
「そこがお楽しみですよ」
*
夫人、おもむろに言う。
「あなたのご主人のまわりに、女が……」
そのとたん、女は不意に興奮しはじめる。
「あ、やっぱり。ほかに女が。そうだろうと思ってました。なんということでしょう。くやしい。あたしが、これだけつくしてきたというのに……」
そのすごさに、夫人はたじたじとなる。
「まあまあ、そう興奮なさらないで。あたしは、ご主人のまわりに、女がいませんと申しあげかけたのですよ」
「いいえ、そんなはずはありません。いるにきまってます。先生は、あたしを安心させるために、そうおっしゃっているんですわ。ね、女がいるはずです。よく見て下さい。どこのどんな女か……」
「まあ、落ち着いて下さい」
「これが落ち着いていられますか。あたしは生きてゆく気がしなくなった。いっそ死にたい。死んでしまいたい……」
「そんなことおっしゃってはいけません。死んでは、なにもかも終りです」
「だって、先生、死後の世界があるって、さっきおっしゃった。それがあるのなら、なにもかも終りとはいえないでしょう」
「あることはあります。しかし、楽しいところだとは、申しあげなかったはずです。ご自分の命、ご自分のからだは大事にしなければなりません」
「なぜ命を大事にしなければならないんですの。そもそも、からだって、いったいなんですの」
*
ノミ小僧、老紳士に言う。
「えれえ議論になりやがったぜ。人間にとって肉体とはなにか、ときた。おいらの生きてた時代にゃ、こんなことをしゃべる女はいなかった。教育の向上ってわけかな」
「いや、なにかで聞きかじった文句が、ふと頭に浮んだだけのことでしょう。内容空虚で高級ぶった言いまわしがはやってますからね。しかし、まじめに考えると、哲学的な問題ですな。われわれ霊魂にとって、生きている人間の肉体とはなにかとなると、これは簡単。鳥における、とまり木のようなもの。また、霊魂は寄生虫の一種である、なんて定義もできましょうな。いや、当人に害を与えてないんだから、寄生虫という形容はおかしいかな」
「かまわねえんじゃないかな。人体に無害のバクテリアだってあるらしいし。しかし、おもしれえもんさ。人間の肉体ってやつは、おいら霊魂たちを作りだす卵でもあるんだからな。ふしぎなもんだな」
*
女は大机に顔を伏せ、泣きはじめている。亭主、書類キャビネットのなかから、グラスを出し、洋酒のびんを出し、それについで女のところへ持ってくる。
「さあ、さあ、お泣きにならないで、これをお飲みになったら。あなたはほんとにいいかたです。お悩みはよくわかります。これをお飲みになって、元気をお出し下さい」
女、顔をあげ、涙をぬぐい、亭主を見あげてグラスを受け取り、飲みながら言う。
「あなたって、親切でやさしいかたねえ。あなたのようなかたと結婚していたら、こんな運命をたどらなくてすんだんだわ。あなた、奥さんおありなの。あたしの主人がその気なら、あたしも遠慮してることなんかないわ。浮気をしてやる。ねえ、あなた、どう……」
*
「ありゃ、ヒステリー状態の女に酒を出したぜ。やけ酒はよくねえ。あばれはじめるかもしれねえぜ」
と言うノミ小僧に、昭一郎が教える。
「睡眠薬入りの酒さ。睡眠薬といっても、自白剤の作用のあるやつ。これを飲むと、質問に対して、心に思ってることを、なにもかもしゃべってしまうというわけです」
「なんで、そんなことをするんだ」
「占いがしどろもどろになると、これでごまかすのです。そのために、いつも用意してある。眠らせておいて、なにもかも聞き出す。その上で適切な指示を与えれば、これは的中するにきまっている。当人にはしゃべったという記憶がないから、よくそんなことまでおわかりになると、神秘に近い尊敬の念を持つ」
「ひでえいんちき占いだな」
老紳士が口をはさんで、ノミ小僧に聞く。
「この女の人、毎日どんな生活をしているんです」
「そんな薬があるのなら、やがてしゃべるんだろう。それを聞きゃあいいさ。おいらも、その薬のききめを見物してえな」
*
来客の女、しだいにぐったりとなる。亭主それをかかえる。夫人、部屋の一隅の|衝立《ついたて》を動かす。そこにおいてある長い寝椅子の上に、女を横たえる。この寝椅子は、昼寝用というより、もっぱらこのためのもの。亭主、カーテンを半分ほどあけ、そとの明るい光を部屋に入れながら夫人に言う。
「やっとおとなしくなった。ものすごい女だな、この女。結論をふりかざしながら、ここへ乗りこんできたみたいだ。結論がすでに出てるのなら、なにも占いにすがらなくたっていいのに」
「ちがうわよ。そこが理屈で割り切れない、人間性の弱さ。結論のごとくみえるけど、じつは仮定。こうではないかとの不安な疑問なのよ。その素材にむかって、どう料理するかが、あたしの腕のみせどころよ」
「窮鳥を焼き鳥にする占い師、だね。で、どうだったんだい。おまえの霊感のひらめきによると、この女の夫のまわりに、女のかげはあったのかい」
「いたようなんだけど、急に泣き出され、映像が乱れちゃったの」
「本当かねえ。おまえの霊感はあてにならないからなあ」
「いずれにせよ、最後の手段の薬を飲ませたのだから、やがて事情はわかるわけよ。くわしくわからなくても、住所は聞き出せる。人を使って、そのご主人の行動を調べれば、なにもかもはっきりする。つぎにここへ来る日までには、立派な回答と指示とが用意できるわ。そして、この女の人もしあわせになれる。あたしは感謝され、尊敬される。もっといいお客を紹介してくれる」
「複利計算、利益がふえる。そのへんになると、わたしも同感だね」
「ひと休みして、それから質問にとりかかるとするわ。そのあいだに、薬もきいてくるでしょうし」
*
女が寝椅子に移るにつれ、ノミ小僧もそのそばへ移動する。
「さて、みなさまがた。この女の口より、いかなる哀れな物語が出てまいりましょうか、おたのしみ、おたのしみ……」
*
その時、大きなドアのほうで、ブザーが鳴る。亭主は言う。
「だれだろう。予約のお客はないはずだが。なにかのセールスマンかな。それとも、期日より早めに貸金を返済にきたやつかな。おまえの霊感ではどうだ」
「いちいち、あたしの能力にけちをつけないでよ。出てみりゃ、わかることでしょ。そんなくだらないことに、あたしの才能が浪費できますか」
「出てみるか。しかし、その眠れる美女、衝立でかくしといてくれ。他人に見られて変に思われたら、つまらんものな」
*
夫人は衝立を動かしてもとへ戻し、寝椅子の女をかくす。女はかくれるが、ノミ小僧の霊魂はその手前に立ったまま、他の霊魂たちに言う。
「よんどころない事情で、もうしばらくのごしんぼうを……」
*
亭主はドアを細くあけ、そとをのぞいて言う。
「どなたです。どんなご用で……」
そとの男の声。
「じつは、こちらの現代人生設計相談室の評判を耳にし、ぜひご相談にのっていただきたいと、立ち寄った者です。料金なら充分にお払いいたしますが……」
「充分な料金となると、考えざるをえませんな。予約なしの臨時あつかいとしてもいいのですが、で、どんな問題ですか」
「大変な悩みをかかえておりまして……」
「ちょっとお待ち下さい。先生のごつごうをうかがってまいりますから……」
亭主はドアをしめ、夫人にむかって言う。
「どうやら、おまえのほうのお客らしい。どうするか」
「ひと助けだから、やってあげてもいいわよ。この女への薬は、しばらくきいているし、すぐ質問にとりかかることもないわ。あたしの評判、ますます高いようね。千客万来だわ。需要と供給の原則で、値上げを考えなくちゃあね。カーテンをしめて神秘ムードの用意をするまで、ちょっと時間をかせいでおいて……」
亭主、またドアを細くあけ、そとの人に言う。
「先生はご相談にのってさしあげると申しております。もう少しお待ちを。いや、世の中、よくありませんなあ。どなたも、悩みごとがふくらむ一方です。つらい浮世ですなあ」
「はあ。金銭的な悩みとなると、自分ひとりで悩んでいては、どうにも解決のしようがありません。だれかにご相談しませんと……」
「申しわけありませんが、もうしばらく、そこでお待ちを……」
亭主、ドアをしめて夫人に声をかける。
「ちがった。金銭的な悩みだそうだ。わたしへのお客らしい。ここをかわってくれ」
「しっかりしてよ。カモの見わけがつかなくて、どうするのよ」
夫人はドアのほうへ行くが、途中で気づき、マントをぬぎ、おく場所に迷い、衝立を動かし、そこに寝ている女にかける。衝立を戻し、ドアに進む。一方、亭主は大急ぎで大机の上の骸骨を片づけ、計算機をのせ、カーテンをあけ、青い電球を消し、壁の絵を裏がえす。
夫人はそのあいだ、ドアを細くあけて、そとの客へ応対。
「もうすぐ用意できますわ。いま、所長が、前のお客との商談の書類を整理しておりますので。いろいろこみいった事情でしてね。金銭的なお悩みですってねえ。当方は、金銭的な問題を、にこやかな空気のなかでご相談するという、欧米風の金融店のやりかたを採用しておりますの。あたしは秘書で決定する力はございませんが、うまくゆくようお祈りしますわ」
「そうなってほしいですな。わたしの問題というのは、普通の金融機関じゃ相手にしてくれないのです。こちらは、そういう型破りの方針をおとりになっていると聞き、うれしくなりました」
「なぜ、普通の金融機関じゃだめなんですの」
「じつは、そこなんですよ。神秘と申しますか、心霊現象的なものがからんでいましてな。こういうもの、銀行ではタブーなんですよ。そのひとことで、一笑に付される。いや、直接に笑われはしませんよ。なんともいえぬ複雑な表情で、丁重きわまるまわりくどい口調で、お断わりの言葉を聞かされる……」
「まあ、そうでしたの。ちょっとお待ち下さい。いえいえ、こちらでは、そんな理由でお断わりなどいたしません。むしろ大歓迎ですわ。でも、ちょっとお待ちを……」
夫人、ドアをしめて亭主に言う。
「……あたしのほうのお客のようよ」
「おい、しっかりしてくれよ」
「だけど、神秘的なことがどうのこうのと言ってるのよ」
亭主、壁の絵をまた裏がえして、古代エジプト風のを表にしながら言う。
「しかし、金銭的な問題だって、さっきは言ってたけどなあ。わたしは、たしかにそう聞いたぞ」
「それに心霊現象がからんでいるんですって」
「しようがない。共同でお相手をするか。あまり待たしちゃ悪いだろう。話の進展のぐあいで、適当に選手交代といこう。まず、わたしが先発投手になろう。ここにすわっている。お客さんをご案内してくれ」
亭主、にこにこ顔で大机の椅子にすわる。夫人、ドアをあけお客を案内する。
「どうも、大変お待たせいたしました。やっと整理がつきましたの。さあ、どうぞ、どうぞ。よくおいで下さいました。こちらの椅子に。所長、お客さまでございます」
「あれ、あなたが所長さんですか」
と、お客は変な顔。亭主は夫人を紹介。
「こっちが、ええと、共同経営者です」
「秘書かと思いましたよ。失礼しました。どうぞよろしく」
「こちらこそ」
と夫人は頭を下げる。こんどのお客は、四十歳ちょっとの男。洋服を着ている。一見しただけでは、どんな職業なのか見当のつかない感じ。小型のトランクを手にしている。夫人、それを指さして言う。
「お荷物、こっちにおあずかりいたしましょうか」
「いえいえ、けっこうです」
*
その男のあとにくっついてきた霊魂は、十八歳ぐらいの女。スポーティな服装をしている。それにむかって、老紳士あいさつをする。
「なにぶんよろしく。このところ、楽しくおすごしですか」
「まあね」
「わたしは新入りなのです。こんご、よろしくおつきあいのほどを」
「そうね」
女はあまり語ろうとしない。
*
夫人、来客の男に言う。
「でも、そのお荷物、おじゃまでしょう。そこの小さな机の上にでものせておきましょう。なくなりはしませんわ」
「いやいや、これがその、問題の品なのです。大変なものが入っているのですよ」
*
老紳士、スポーティな服の若い女に聞く。
「あのなかに、なにが入っているんです」
「いまにわかるわよ。新入りの年寄りって、せっかちね。なんでも手軽に先を知りたがる。なにも、あせることないじゃないの。時間はいくらでもあるのよ」
「はい、そうでしたな。まだ環境の変化になれていないので、つい口がすべりました」
*
大きな机の上にのせたお客の小型トランクを見て、亭主が聞く。
「なにが入っているのですか。宝石ですか、麻薬のたぐいですか、それとも、どこかの国の外交機密文書類……」
「テレビ映画の見すぎのようなことをおっしゃいますな。そんなありふれたものではありません。どこがありふれているかというと、そのたぐいの品は、一回お金にかえれば、それで終りです」
「なるほど。では、紙幣印刷機」
「そんな非合法なものじゃありませんよ」
「よほどすごい品のようですね」
「そうなんです。ま、想像つかないのもむりはない。わたしの発明した品。正確には、その試作品というわけです」
「すると、あなたは発明家……」
「まあ、そうです。しかし、発明家という言葉は、一種のきちがいざたを連想させ、発明狂と同じに思われてしまう。よくない風潮ですな。わたしは、そうじゃあないんです。なにかに関心を持って、調査したり研究したりしているうちに、しぜんにひとつの形がうかびあがってくる。こうあるべきでしょうね。ひょっとした思いつきなんて、だめです。エジソンも言ってます。九十九パーセントの汗と……」
「その格言は知ってます」
「それならよろしい。以前はね、詐欺師の研究に熱中したものですよ。さまざまな手法があるもんですよ。分類と整理に苦心しました。手口による分類、だますほうからの分類、だまされるほうからの分類、だます動機についての分類。これらによって、詐欺の公式というものができるのではないか、そして、それは人間共通の弱点を意味する。それを掘り下げることにより、人間方程式とでも称すべきものがえられるのではないか……」
「興味ある問題ですな」
「しかしね、そのうち、人間のもうひとつの弱点である、死ということについての追究が必要とわかってきたのです。わたしは、それに手をつけた。死と生との境界線を知ろうと思った」
夫人は口をはさみ、身を乗り出す。
「どんな方法で、それにとりかかったのですの。あたしも関心を持って、それにとりくんでおりますの。お話し下さい」
「ええ、そのお話に来たのです。あやうく死をまぬかれた人たちをたずね、その体験を聞いてまわったのです。たとえば、事故にあい、となりにいた人は死んだが、当人は助かった。急病になり、もう少し手当がおくれたら助からなかった人。そんな人たちから、その瞬間のことを、できるだけくわしく思い出してもらい、記録をとったのです。本人の了解をえて、催眠術で思い出してもらったこともありました。危機一髪で死んでしまった人の話も聞きたいが、それは不可能。しかし、こちら側からばかりとはいえ、死と生との国境の存在について、おぼろげながらわかってきた……」
亭主と夫人、しらずしらずひきこまれる。発明家は話しつづける。
「……国境のむこう側についてもっと知りたいが、それはむり。越境したとたん、不法侵入で殺されてしまいますからな。あはは。ま、これは冗談。しかし、こちら側にいながらにして、国境のむこう側をのぞくことはできないか。あれこれ考えているうちに、アイデアがうかび、一気に作りあげた品が、すなわちこれです」