「うむ……」
「ヒットラーもそうかもしれませんよ。また、尊敬されているアメリカの大統領リンカーンも、リンカーンを暗殺したブースという男も。そのほかにも……」
「だが、歴史の神がなんでそんなことを……」
「いろどりをつけるためじゃないでしょうか。そうでなかったら、歴史もああドラマチックになるわけがない。考えれば考えるほど、じつにうまくできている。できすぎているみたいだ。この、もともと平凡きわまる人間たちには、とても描きあげることのできない絵巻物ですよ……」
青年はちょっと遠くを見るような目つきをした。なんということもなかった少年期のことを回想したのだろう。国家の重要人物を暗殺する今日を迎えることになろうとは、と。
また男も、むかしのことを考えた。平凡な少年時代だった。現在こんな地位にのぼりつめるとは、夢にも考えなかった。それが手紙のおかげで……。
「そういえば、そうだな」
ここで暗殺されることは、筋書きなのだろう。はなばなしい死が必要なのだ。自分のためであり、社会のためであり、将来において歴史を読む人びとのためなのだ。
おれはいま、歴史にはめこまれようとしている。悲しいことなのだろうか。満足すべきことなのだろうか。おれのあと、この地位をつぐ者のポケットにも、いまごろは手紙が出現しているのだろうか。
そして、この青年。手紙はいつまでもつづくものと思っているのだろうか。そうだろうな。いよいよとなるまでは、選ばれた者であることの誇りは捨てきれるものでない。いま他言したむくいで、たちまち射殺されるかもしれないのに……。
こっちの体験を話してみようか。しかし、それもむだだろう。信じてくれるわけがなく、それを証明する手紙などないのだ。もともとなかったのかもしれないのだ。
しかし、言うだけは言ってみるか。自分をあやつる主に対するせめてもの反抗として。
「じつは……」
そう言いかけた時、にぶい銃声がした。
男は胸に痛みを感じ、低くうめき声をあげた。激しい出血のためか、意識がうすれてゆく。そのなかで、古代ローマのシーザーのことが頭にうかんだ。暗殺された時に「ブルータス、お前もか」と相手に呼びかけたという。あれは手紙のことを言おうとしたのかもしれないな。
男は手に力をこめ、ポケットをさぐった。やはり手紙はあらわれていない。古代ユダヤにおいて、十字架上で処刑される前に「わが神、わが神、どうしてわれを見捨てられたのか」とキリストが言ったという。だが、事情がわかりかけたいまでは、それをつぶやく気にもなれない。
描き終えられた絵には、もはや絵筆は訪れてくれないのだ。
回 復
意識がもどってきた。しかし、いまどこにいるのか、すぐにはわからなかった。なにも見えなかった。おれの目がなにかでおおわれているからだった。
ここはどこなのだろう。そう考えはじめようとしたが、だめだった。からだじゅうの痛みが思考をさまたげたのだ。からだの内部も痛かった。外側も痛かった。身もだえをしようとしたが、それもできなかった。おれは急に不安になり、うめき声をあげた。
「うう……」
声はちゃんと出てくれた。だれかこれを聞きつけてくれ。心からそう祈った。しばらくして返事があった。
「意識を回復なさったようですわね」
若い女の声だった。親切な口調。おれはほっとし、すがりつくように言った。
「ここはどこです。あなたは……」
「病院ですわ。あたしは看護婦。あなたは入院なさっておいでなのです」
呼吸をすると、消毒薬のにおいがかすかに感じられた。あたりは静かで、病室にいるらしいと想像できた。
「そうだったのか。しかし、なぜ入院するようなことに……」
「交通事故ですわ。車を運転なさっていて、道ばたの電柱に衝突なさった。車は火災をおこし、あなたは全身にひどいやけど。骨折もあります。通りかかった人がかけつけて救出してくれたのです。それがもう少しおそかったら、助からなかったかもしれません」
「ずっと気を失っていたんですね」
「ここへ入院後も、何度も危篤におちいりました。しかし、あらゆる最新の治療をほどこしたので、なんとかそれを切抜けたというわけです。あなたは本当に運がいい」
「そうでしたか。ありがとう。助かってよかった。死んではすべておしまいですからね。しかし、この目はどうなんです。見えるようになるんでしょうか」
「ご心配なく、目の包帯は二、三日中にとれます。そのつぎには火傷のための包帯をとることになります。それから骨折と内臓のぐあいを調べ、問題がなければ退院です。ふたたび健康体にもどれるというわけですわ」
「よかった……」
それからおれは痛みを訴えた。看護婦は鎮痛剤を包帯のあいだから口に入れてくれた。痛みはやわらいでいった。
事情がわかり、おれは安心し、ひとりで回復にひたることができた。しだいに思い出してきた。あの時に事故を起したんだな。おれは軽く口笛を吹きながら運転していた。すべてがうまく片づいたからだ。心のなかに長いあいだただよっていた黒い雲が、突風によって吹飛んでしまったような気分。雲の消えたあとには、圭子の美しい顔があった。おれに笑いかけている、うれしさにみちた表情の顔が……。
圭子は若く美しく、おとなしい性格の女。生活に困らず、上品で、おれを心から愛してくれている。おれもまた若く、自分で言うのもなんだが外見はスマートなほうで、圭子を心から愛している。
だが、問題がないわけではなかった。ただひとつ、それも、どうにもならないやっかいな点があった。おれたちは、どんなにそれをのろったことか。
圭子には亭主があった。それがいやな人物だったのだ。二人の愛の障害だからでもあるが、そうでなく、街ですれちがうだけだとしても、おれにとって胸がむかつくタイプだった。
五十歳ぐらいの年齢だった。精力的に金をかせぎ、金銭の万能を信じている。背は低くふとっていた。唇が厚く、毛虫のような|眉《まゆ》で、ほおに傷あとがあった。目尻のしわもいやらしく、頭に描いただけでぞっとする顔だ。不潔なにおいさえ立ちのぼってくるよう。
圭子もやはりそう感じていた。おれとのあいびきの時に、ふるえながら言うのだった。
「毎日がいやでいやでたまらないの。あの人にはお金の世話になり、その義理で結婚しちゃったんだけど。どうしてもなれることができないわ。あたしの生活は、希望のない地獄そのものなのよ」
「そうだろうなあ。あいつ、いいかげんで死んでくれればいいんだが」
「あのようすじゃあ、当分は死なないわよ。あたしのほうが耐えられなくなって、先に死にそう。ねえ、あたしといっしょに逃げてよ。どこか遠くの土地へ行って、二人だけの生活をしましょうよ」
「もちろん、そうしたいよ。だが、うまく逃げきれるか。ご亭主はきみにご執心だ。金にあかせて人をやとい、さがしにかかるだろう。たちまち見つけられてしまう」
「じゃあ、どうすればいいのよ……」
圭子はいつも涙声で言い、おれはいつもここでだまってしまう。手のつけようのないことなのだ。彼女の心はおれのものとはいえ、それ以上に少しも進展しない。圭子は泣いて訴え、おれは自分のふがいなさをじっとかみしめる。このくりかえしだった。
彼女とおれとのことは、亭主もいくらか感づいているらしい。亭主はそのうっぷんを圭子ではらし、いやがらせを言ったりいじめたりする。彼女はなぐさめを求めて、おれに泣きつく。悪循環は回転しながら、どうしようもなく進みつづけた。
そして、ある夜。
おれが眠りにつこうとしていた時、電話が鳴った。圭子の興奮した声。
「ねえ、大変なことになっちゃったの」
激しい息づかいまで伝わってくる。
「どうしたんだ。わけを話してごらん」
「亭主が酔って帰ってきて、あたしをさんざんいじめたの。ずっとがまんしていたんだけど、とうとう、かっとなって突きとばしちゃったのよ。そしたら……」
「どうなったんだ」
「ねえ、早く来てちょうだい。あたしの家へ……」
彼女はそれをくりかえすばかり。おれは車を運転し、圭子の家へ急いだ。小さいがしゃれた住宅。ベルを押すと、青ざめた顔の圭子が、|呆《ぼう》|然《ぜん》とおれを迎えた。おれは聞く。
「どうなったんです」
「ああなっちゃったの」
と彼女はとなりの室を顔をそむけながら指さした。そこには亭主が倒れている。だらしなく床にのび、眠っているブタを思わせた。
「死んでいるのか」
と聞くと、圭子はわからないと首をふった。調べるのがこわいのだろう。おれは身をかがめて、手をふれてみた。いい気持ちではなかった。つめたくはなく、手首をにぎると脈がかすかにあった。
「まだ死んでいない。倒れた時に頭を打って気を失っているのだろう。すぐ医者を呼べば助かるかもしれない」
「いやよ、いや……」
圭子は激しく叫んで泣き、身をふるわせた。亭主が息をふきかえせば、事態はさらにひどくなるにきまっている。いじめられかたは一段と高まり、終りのない不幸の日々がまたはじまるのだ。それを考えると絶望で半狂乱になるのもむりはなかった。
彼女のためになにかしなければならない。その思いにかられ、おれは夢中でやってしまった。亭主の顔にやわらかい枕を押しつけ、力をこめていた。しばらくしてまた脈をみると、こんどはとまっていた。
「死んでしまった」
おれは言った。恐怖も反省もなく、奇妙なあっけなさのような感じだけがあった。
「やっと、あたし自由になれたわ」
彼女はほっとした声で言い、うれしそうだった。だが、このままではすまない。おれは考えながら言った。
「このままにしておくわけにはいかないよ。きみが疑われる。きみが頭をなぐりつけて殺したと思われてしまう。事故ということになるにしても、世間はきみを犯罪者あつかいするかもしれない」
彼女も冷静になり、あとしまつがやっかいなのに気づいた。あわてた声で言う。
「どうしたらいいの。逃げようかしら」
「そんなことしたら、なお疑われる。といって、ぼくとの言い争いのあげくこうなったことにもできない。さらに嫌疑が濃くなる」
「ねえ、どうしたらいいの。あたし、どうなるの。なんとか考えてよ。あたしはもう、あなたのものなのよ」
圭子は、たよりはあなた一人という目つきでおれを見あげた。おれにとって絶対的な命令だった。また、おれだって彼女のためにできるだけのことをするつもりだった。
「死体をどこか、べつなところへ運んでしまおうか。そうすれば、変なうわさもたたず、ただの事故となってしまうだろう」
「いい考えだわ。ほんとうにいい考えよ、そうしちゃってよ」
彼女はおれへの尊敬の念のこもった口調で言った。おれもそう悪い考えではないと思った。あたりには血も流れていず、ここで死んだことを示すものはないのだ。
二人で死体をおれの車に運んだ。夜はふけていて、だれにも見られなかった。圭子はまたふるえ、心細い声で言った。
「すぐ戻ってきてね。あたし心配なの」
「いや、それはいけない。ほとぼりがさめるまで、すこし会うのをがまんしよう。他人の目というものもある。ぶじに片づいたそのあとは、二人でずっといっしょにいられるんだ。きみはだれに聞かれても、なにも知らないと言いはらなくちゃだめだよ。しっかりたのむよ」
「ええ」
おれたちはかたく手をにぎりあった。愛の交流電気が強く流れた。二人にとっての長かった悪夢。それがまもなく終るのだ。死体を片づける作業など、気持ちのいいことではない。だが、悪夢の幕切れと思えば、なんとかそれもがまんできた。
おれは車を走らせた。時どき、そばの死体がなにか言うのではないかと思い、背すじにつめたいものを感じたりした。
人かげのないところで車をとめ、おれは死体をそとへ運び出した。なにも遠くへ捨てることはないのだ。林の奥などへかくしたら、かえって問題がこじれてしまう。酔って歩いていてころんで頭をうった、乱暴なやつと争ってなぐられた。そんなふうに、さりげなくおいておけばいいのだ。おれは念のために脈をもう一回みた。それはなく、つめたくなりかけていた。
また車を走らせる。すんだという安心感とともに、ちょっと恐怖がこみあげてきた。早く立去ろうと、車のスピードをあげた。
自分に言いきかせる。これでいいのだ。二人のあいだの障害物はこれでなくなったのだ。これからは圭子とだれに気がねすることもなく会え、話し、愛しあえるのだ。
楽しさが胸にわきあがってきた。おれは口笛を吹き、またスピードをあげた。なにもかも軽くなったようで……。
そこで事故をおこしたのだ。おれは意識を失い、いま気がついたのだ。死んだ亭主ののろいが、おれを事故にみちびいたのだろうか。おれは病室のベッドの上で、そんなことをふと思った。
だが、いずれにせよ、おれは生命をとりとめたのだ。のろいがあったにしろ、それをはねかえすことができた。圭子との愛の力のほうが強かったのだろう。
すぐにも彼女と会いたかった。しかし、急ぐべきではない。約束したことだし、彼女も取調べやなにかで疲れているだろう。もうすこしたってからのほうがいい。また、おれもいまはからだをなおすのが第一なのだ。
数日がたち、おれの回復は順調だった。看護婦が言っていたとおり、目の包帯が取除かれた。
しかし、ほかの部分は全身包帯姿。足や手はギプスでかためられ、からだの動かしようがなかった。おれはテレビをながめることでかすかに心をなぐさめ、そうでない時は、目をつぶって圭子のことを思ってすごした。
骨折の痛みも、皮膚の痛みもやわらいでいった。鎮痛剤の量もへっていった。担当の医師もなおりが早いと言ってくれた。事実、体力の回復してゆくのが自分でもよくわかった。
それとともに、圭子に会いたいとの思いがつのってきた。押えきれないほどになった。入院してから日数もかなりたった。もう会ってもいいんじゃないかな。おれは圭子に電話してくれるよう、看護婦にたのんだ。
圭子はすぐにやってきてくれた。病室で二人きりになると、彼女は熱っぽく言った。
「あなたに早く会いたいと、毎日そればかり思いつづけだったわ。でも、おけがなさったなんて、知らなかったわ。知ってたら、もっと早くおみまいに……」
「いいんだよ。それより、きみのほうはどうだった。怪しまれたりしなかったかい」
「大丈夫よ。敵が多い人だったから、それが原因じゃないかとされているようよ。保険金はおりたし、財産の相続もすんだわ。あとやるべきことは、あなたとの生活だけ……」
「事件が片づいたら、きみはぼくのことを忘れちゃうんじゃないかと、時どき不安になったよ」
「そんなこと、あるわけないじゃないの」
圭子はむきになった。たしかに、あるわけはないのだ。二人のあいだには共犯という秘密があり、それが結びつきをさらに強くしていた。
「どんなに会いたかったことか」
「あたしもあなたの声を早く聞きたくて」
彼女はおれの手をにぎり、顔を近づけた。しかし、そのあいだには包帯があり、肌のふれあいをさまたげていた。圭子はそれをもどかしがり、おれもまた同様だった。
その時、医師が看護婦を連れて入ってきて言った。
「包帯をとってもいい時期になりました。さっそくとりかかりましょう。おみまいのかたは、むこうの室でお待ちになって下さい」
そう告げられたが、圭子は強く主張した。
「ここにいてもいいでしょう。なおった姿を早く見たいの」
医師は承知し、おれの頭部を巻いた包帯にハサミを入れた。それは少しずつはずされていった。
圭子は愛と期待にみちた目でおれを見つめていた。その表情は好ましいもので、おれもまたうれしかった。
しかし、やがて圭子は不審な表情になり、おれの包帯がさらにはずされると、その目は大きく見開かれ、焦点のさだまらないものとなった。鋭い悲鳴を彼女はあげた。
「まさか、ここで使われたなんて……」
わけのわからない言葉であり、そのわめき声はとめどなくつづいた。狂ったようだった。病院の人が彼女をかかえて連れていった。
おれは不安になって医師に聞く。
「どうしたんです。ぼくの治療が失敗だったんじゃないんですか」
「とんでもありません。うまくいきました。みごとな成功というべきですよ」
「じゃあ、早く鏡をのぞかせて下さい」
看護婦が鏡をおれの目の前に持ってきた。だが、そこに自分はうつっていなかった。そこにいるのは、厚い唇の、毛虫のような眉の、ほおに傷のあるいやらしい五十男の顔。おれが車で運び、道ばたに捨てたあの男の顔があった。
まったく信じられなかった。夢か幻覚だろうと思った。そうにきまっているさ。むりをして、おれは笑ってみた。すると、鏡のなかの、あの死んだはずの男の顔も、こちらにむかって笑いかけて……。
おれは絶叫し、あばれたにちがいない。まわりのようすがわかってきたのは、鎮静剤の注射がききはじめてから。医師がこんなことを言っていた。
「あなたは大やけどをし、顔がめちゃめちゃになったのです。われわれは顔の皮膚の移植にとりかかったのです。ちょうどよく、その時に顔の皮膚の供給がありました。道ばたで死んでいた男で、未亡人に連絡したらすぐ承知してくれました……」
鎮静剤のききめのなかで、おれはぼんやりと考えた。圭子もまさかこう使われるとは思いもしなかったのだろうな。医師は移植手術の成功を誇りながら、まだしゃべっている。
「……この移植をやらなかったら、あなたの顔は手のほどこしようのない、ひどいものとなったでしょう。あなたは運がいい。もちろん、うまれつきの自分の顔でなくなったのですから、いい気分ではないでしょう。しかし、これなら人なかへ出ても、いやなみじめな思いをしなくてもすむのです。この運命になれるようにつとめなさい。そして、人生を楽しむようにするのです。そのうちにはなれて、生きていてよかったと思うようになりますよ……」
古代の神々
あけがたちかくに、その青年は夢を見た。少しはなれたところの地面の下から、なにかが呼びかけている夢だ。この夢はこのところ時どき見る。見はじめのころはばくぜんとしたけはいだけで、どこからなにを訴えてくるのかわからなかった。
しかし、何回も見るうちに、ベールが一枚ずつはがされてゆくように明瞭になった。場所もはっきりした。また語りかけてくる言葉も。それはこうだった。「五千年がたった。掘り出してくれ。五千年がたった……」
多くの人びとの願いがこりかたまり、執念となって放射し、たのんでいるようだった。
朝、青年は目ざめてから、頭をふりながら考えた。なんのことなのだろう。神のおつげみたいだ。しかし、それにしても変な夢だったなあ。
「どうかしたのかい。元気がないよ。神殿に行ってみていただいたら……」
青年の母親が声をかけた。夫婦と息子ひとり。彼らは小さな一軒の家に住んでいた。家のまわりには農地がひろがっている。彼らの職業は農業。もっとも、大部分の人が農業なのだ。ほかには、家を建てる人と運送業の人がいくらかいるていどだ。
青年は夢の話をした。父親はラジオで〈きょうの午後は一時間だけ雨が降ります。種まきはその前におやり下さい〉との天気情報を聞いていたが、息子のほうを向いて言った。
「気のせいさ。おとなになりかかりの時は、妙な夢を見るものだ。おまえは十七歳になったんだな。いや、十八だったかな……」
壁のカレンダーにはAC四九〇〇年と印刷されてある。父親はそれに目をやったが思い出せない。彼は息子のうまれた年を忘れてしまっているのだ。おぼえておく必要もべつになかった。
「十七歳ですよ。ねえ、ただの気のせいじゃないんです。普通の夢じゃないんですよ。その場所を掘ってみてもいいでしょ」
とりたてて反対する理由もなく、父と子は農具をかついでそとへ出た。すみきった空、光にみちたすがすがしい風が肌をなでる。しかし、これは彼らにとってなんの喜びももたらさない。日常的な当然のことなのだ。
麦畑のなかほどで青年はとまり、掘りはじめた。確信ある動作。やがて、なにかがあらわれた。小さな塔のようなものだった。さらに掘ってゆくと、コンクリートの破片のなかから、径一メートルほどの金属製の丸い物体が出現した。青年は言う。
「なかになにかが入っている感じですが、人びとの力を借りないと開けられないようです。それにしても、なんでしょうねえ」
「塔に字が書いてある。わしは文字が苦手だが、五〇〇〇という数字だけはわかる。年を示すような気がするが、ACとはついていない」
「ぼくの夢のなかの声も、五千年たったと呼びかけていました。五千年前に埋められたもののようです。しかし、今年はAC四九〇〇年。とすると、これはBC一〇〇に埋められたということになりますよ。あ、すごい。これは神々の埋めたものなのだ。アフター?コンピューター(AC=以後)でなく、ビフォー?コンピューター(BC=以前)の時代のものなんだ」
青年は大声をあげ、かけていった。このように興奮したのははじめてだった。コンピューターという言葉で、父親は小高い丘のほうをながめた。そのいただきには立派な神殿があり、けっしてさびることのない白金製の屋根が、午前の陽の光を受けて輝いている。なかにはコンピューターという名の、ありがたい神がましますのだ。
そこへ行けば、食べ物でも薬でも服でも、なんでも与えてくださる。また不要品を持っていけば処理してくださる。天気情報もそこから送られてくるのだし、ラジオの音楽もそこからだ。人びとの生存をつかさどる万能の神だ。
父親は考えた。いままで考えもしなかったことだ。あのコンピューター神殿をお作りになられた、さらに古代のすばらしい神々。それはどんなかただったのだろう。本当に存在なさったのだろうか……。
西暦一九七〇年、万国博を記念してタイムカプセルが埋められた。五千年後への祈りと期待をこめ、さまざまな品を収納して眠りについた。地上の緊迫から切りはなされて。
しかし、当時の世界は多くの問題を持てあまし、そんな行事だけで一挙に片がつくどころではなかった。幻のようなきれいごとの理想論があるかと思えば、みぐるしいが切実な現実論が一方にある。人種間がごたつき、国は対立し、人は金銭をめぐって争い、核兵器は何回も爆発寸前まで行き、人口はすでに爆発をはじめ、事故はふえ、公害は世界的な規模にとめどなくひろがり……。
破滅にむかっているのはあきらかだった。それが極度に頭の悪い者の目にもはっきりしてきた時、人類はやっとこれではだめだと気がついた。長期安定計画がたてられ、それがなしとげられた。
安定を唯一最高の目標とし、それ以外のことは押え、高性能のコンピューターにすべてをまかせようというのだ。コンピューターが全世界に点在し、それが電波でひとつに結ばれ、有機的に連絡しているという態勢が確立した。タイムカプセルが埋められてから百年後。すなわちAC元年であった。
コンピューターはその目的のために働きつづけた。休むことなく、自己修理機能をそなえているから、故障することもない。動力は地下の放射能物質をみずから掘っておぎなう。人びとの使った製品の廃品を回収し、新品に作りなおして提供する。天候をコントロールし、それを知らせる。ラジオ番組を放送する。
番組の製作をやるのではない。ストックされた音楽番組を毎年くりかえし流しつづけるのだ。ニュースはない。事件というものがなくなったからだ。
それと同時に、コンピューターによる地下工場から出てくる日用品の型も変わることがなかった。いつも同じ品が出てくる。十年たっても、百年たっても、千年たっても……。
当初は不満の感情を抱く者もあったが、仕方ないとのあきらめがそれを押えた。破滅よりどれだけいいかわからない。ほかによりよい方法があったか。なかったのだ。
AC二〇〇年ごろになると、すべては平穏になった。コンピューターは正しく動きつづけ、その指示のもとで人びとは不平を持たなくなった。ビルは風化して崩れたが、再建されないまま土に帰っていった。かつての多種な品物も、新しく作られないまま、それぞれの寿命を終えていった。
人口は適当な数におさまり、公害は消え、生存をおびやかすものはなかった。国境も消え、争いも消えた。すべての人種はまざりあう。人びとは平等であり、人は自然と調和した。
人は大地から食料を作り、収穫したら神殿におさめ、必要な時には神殿からもらえばいいのだ。いやなら食料を作らなくてもいいのだが、働くことは運動になってからだにいいのだ。犯罪的傾向のある者は、コンピューターの指示で|矯正《きょうせい》されていった。
そして、時は流れるのをやめたかのようだった。十年前、今日、十年後、そこにはなんの差異もないのだから。
AC二〇〇〇年代も、AC三〇〇〇年代もちがいはなかった。あるものは安定、おだやかさ、安心感といったものだけ。好奇心もめばえない。このような環境で、なぜそんなものを持つ必要があるのか。
むりに差異を見いだそうとすれば、混血が進んで肌の色がさらに均一化してゆくこと、人びとの表情がさらにのんびりとしたものになってゆくことぐらい。それと、神殿のなかのコンピューターへの信頼がより厚くなってゆくこと……。
青年が数名の人びとを連れて戻ってきた。いつもは泰然とした表情の人たちだが、青年の話と目の前の物体によって、さすがに目を輝かした。あのコンピューター神殿をお作りになられた、遠い古代の神々に関連のあるものが、いまここに存在する。
まわりの土をおとすと、金属は少しもさびていなかった。
「なにが入っているのだろう」
「早くのぞいてみたい。開けてみよう」
しかし、それは簡単にはいかなかった。どんな道具を使っていいのかわからないのだ。爆薬についての知識は、人びとの頭からとうに消えてしまっている。たとえ知っていたとしても、コンピューター神殿はそのようなぶっそうなものを出してはくれない。生活必要品しか与えて下さらないのだ。
ハンマーを持っていた男がひっぱたいた。物体の外側に書いてある文字の、わかる部分を拾い読みし、ああしたらどうだろう、こうしたらどうだろうとその作業に熱中した。途中で一時間だけ雨が降ったが、その時も休もうとしなかった。ちょっと手を休め、耳を押しつけ、なかの音を聞こうとする者もあったりした。だが、音はしない。
やがて、ふたが開いた。
「おい、開いたぞ。神々の品だ。もしかしたら、神々のお姿を描いたものがあるかもしれない。そっと調べよう」
そっと調べようと注意しなくても、われがちに飛びつく者はひとりもいなかった。そのようなあさましい習性は、とっくのむかしに失われていたのだ。
のぞきこみながら、ひとつずつ品物をとりだす。それは明るい日の光の下に並べられていった。
いろいろな金属や合金のサンプルがあった。だが、なんのための品かだれにもわからなかった。LSI(集合集積回路)やIC(集積回路)もあった。だが、これが神殿のなかのコンピューターの部品とはだれも知らなかった。
繊維製品も出てきた。服、シャツ、ズボン、下着、靴下などだ。これは想像がついた。
「身につけるもののようだ。神々がおめしになったものだろうか。これから察すると、神々はわれわれとそうちがいのない体格だったようだな」
「古代の神々について、あまり軽々しい口はきかないほうがいいぞ」
しかし、みなが身につけているのとはずいぶんちがっていた。みなはだれも同じ、ゆるやかな着物をまとっている。だれも同じなのはコンピューターが作る規格品のためであり、ゆるやかなのは活動的である必要がないからだ。
通りがかった女がネックレスを手にし、本能的に首に巻いたが、すぐにそれをもどした。コンピューターの指示による生活は、虚栄心を消し去っている。不平等と争いのもととなるからだ。
医療器具がひとそろい出てきたが、これまたまるで見当がつかなかった。病気になれば、神殿に行けばいいのだ。なおる病気はそこでなおり、そこでだめならなおらない。そういうことになっているのだ。
薬品のサンプルが何種類か出てきた。みなはそれを見て、病気の時に神殿でいただくのに似ているなと思い、そう思っただけだった。
入歯や眼鏡が出てきた。みなは首をかしげ、異様さにちょっとふるえた。この健康な環境、コンピューター神殿の指示による生活。だれの歯も眼も健全そのものだったのだ。
経口避妊薬も同様、あまり興味をひかなかった。同じ成分が、神殿からもらう食料に配合され、人口が適度に保たれている原因がそれだとは、だれも知らない。神殿のコンピューターは時に性欲刺激剤を配合することもある。人口に減少の傾向がみえた時にだ。
肥料もそうだった。神殿が畠にまけと告げて出して下さるものに似ていると感じた。だれかがなめてみて、顔をしかめてぺっと吐き出す。やっぱり好奇心はいい結果をもたらさない。そのあとは、だれもなめてみようとはしなかった。糖分やグルタミン酸ソーダなども出てきたのだが。
やがて写真が出てきた。宇宙船の写真、月の近接写真があった。だが、みなはそれをオモチャのたぐいだろうと思った。また近接写真では、それが夜の空の月の表面とはとても理解できなかった。原爆被災物も出てきた。高熱でとけたガラスや炭化した木片。みなはのんびりとした表情の首を少しだけかしげた。
物体のなかには、字を書きこんだものがたくさんあった。各種の記録、論文、文学のたぐいだが、だれの関心もひかなかった。さっきはカプセルの外側の文字を、なかを早くのぞきたい一心でやっと拾い読みはした。しかし、開けたあとは、その気力もない。読みかけた者もあったが、一行にもならないうちにあきらめる。彼らにわかるようなやさしい文章ではなかったのだ。
「つまらないものばかりだな。やめようか」
「いや、もう少し出してみろ」
白い布に赤い丸を描いたものが出てきた。しかし、みなの頭に国の概念がなく、それが国旗とはわからなかった。貨幣や紙幣が出てきた。小切手や手形もあった。しかし、みなは金銭不要の生活をしているのだ。選挙の投票用紙が出てきた。だが、そんな行事はAC元年になくなっていた。サイコロが出てきたが、なぜかしらず、みなは邪悪のもとのように感じ、あわててもとにもどした。
録音テープがたくさんあったが、どうすれば音になるのかわからず、再生装置がどれかもわからず、彼らにとってなんの意味もなかった。
「おお、おお……」
みなが指さしあい、最も興味をひかれたのは、ままごと遊びの道具一式だった。こんなに小さな食器。コンピューター神殿は、われわれにこんなのを一度も出したことはない。古代の神々は、これぐらいの食事しかなさらなかったのだろうか。やはりわれわれとはちがう。みなの心には尊敬の念のようなものがわいた。時のたつのを忘れ、見つめ、手にとっていじるのだった。
「わっ……」
とつぜん、人びとが悲鳴をあげた。びっくり箱のふたがあいたのだ。驚かしたこともなく、驚かされたこともない人たち、ショックは強かった。ひとりは気を失って倒れた。抱きかかえて丘の上の神殿へと運ぶ。コンピューターは正確に診断し、薬を出し、手当てのやりかたを指示した。やっとおちつきがもどる。
みなはまたカプセルのそばへひきかえしてきた。しかし、びっくり箱以上の驚きがあらわれた。人物の写真がいくつも出てきたのだ。その表情のなんと恐ろしいこと。みつめるみなののんびりした表情とにくらべ、それは深刻で、ずるさにみち、不健康で、なかには狂気をおびているようなのさえあった。
貧困の写真、大ぜいが目をつりあげてわめいている写真、なぐりあうスポーツ、キャバレー、殺意あふれる戦争の写真。それらの顔つきはながめるだけで身ぶるいがしてくる。
「いやだな、胸がむかむかして吐気がしてきた」
だれかが言った。
「これが古代の神々なのかな。これがあのありがたい神殿を作り、われわれに永久の安泰をもたらしてくれたかたとは思えない。もしかしたら、BC年代にはびこり、古代の神々に一掃された悪魔たちかもしれない。もう、これ以上さわるな」
「もとの丸いものにもどそう。そして、神殿にはこび、その指示をあおごう」
けっこう重かったが、みなは力をあわせて神殿へと運び、台の上にのせた。地下からこのようなものが出ました。どういたしましょう。
台は動き、カプセルは穴の奥へと消えていった。コンピューターは規格外の品なので、あつかいに困り、地下の自動工場のさらに下、特別貯蔵倉庫のなかにしまいこむだろう。あるいは、コンピューターはなにもかも知っていて、いまの人類には見せないほうがいいと判定するかもしれない。
倉庫のなかで、さらに未来までカプセルはふたたび眠りつづけるのだ。つぎに開けられる時が来るかどうかはわからないが……。
夕暮になり、青年は家に帰って両親に言った。
「きょうはとうとう、農場の手入れをするひまがなかったね」
「あしたでもいいさ。そうそう、夕食の調味料はどうしたね。セッケンがなくなり、電球がひとつつかなくなっていたが……」
「忘れてはいないよ。ぼく、神殿に行ったついでに、お願いしてみんないただいてきたよ。ほら……」
青年は持ってきた品を机の上に置いた。四千九百年間ずっと変ってない品を。それから、ふとつけ加えた。
「……でも、あの神殿の奥って、どうなっているんだろうな」
「そんなこと、なぜ知りたいんだね。知る必要があるかい」
「ないなあ、ただ、ちょっとそう思っただけさ」
青年はすなおだった。だれもがすなおだった。疑惑とか破壊とかの念はどこにもない。
やがて、夕食がすみ、夜になり、青年は粗末なベッドの上に横たわる。その時、ポケットからそっと紙を出す。さっきカプセルを神殿に運んだが、そのあとに落ちていたのだ。しまう時にやぶけて飛んだのだろう。
青年はそれを見る。〈五千年後の人へのメッセージ〉と書いてある。だが、その文字すらほとんど読めない。印刷ははっきりしているのだが、彼の生活に活字は無縁なのだ。
〈平和〉〈平和〉という文字がほうぼうに出てくる。なにか大切な、非常に大切なことのような感じがする。古代の神々だか悪魔だかしらないが、必死になって呼びかけているようだ。