饭饭TXT > 海外名作 > 《なりそこない王子/乞丐与王子(日文版)》作者:[日]星新一【完结】 > 星新一_日文版_なりそこない王子.txt

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作者:日-星新一 当前章节:15444 字 更新时间:2026-6-16 00:33

  魅惑の城

「なにしろ、すばらしいところだ」

「夢のなかで遊んでいるような気分。あのような快楽の|園《その》が、この世の中にあったとは」

「いい女たちがそろっている」

「顔やスタイルばかりでなく、男性にとっては、あの従順さがたまらなくうれしい」

「あのすなおさ。いまどき珍しい。ふしぎなくらいだ」

「こっちがどんな要求をしても、いやな顔ひとつせず、喜んで応じてくれる」

「あのほうのサービスがすごい。なんといったらいいか、まるで……」

「なんと形容したらいいかな。心がとろけてゆくようだ」

「静かななかに強烈さがある。心が現実に吸われてゆくようだ」

「あんな満足感はめったに味わえない。満足感があまりに大きく、連日かようことなど、とてもできたものじゃない」

「なんとなくエキゾチックなムードがただよっている」

「神秘的なものを感じさせる。どこがどうとは指摘しにくいが」

「とにかく、すばらしいところなのだ」

 これらが〈魅惑のお城〉についてのうわさだった。いや、ささやかれる言葉のなかには、もっとリアルで、聞く者をぞくっとさせる文句もたくさんある。また、すなおさや従順、ひかえ目なもの静かさ。そういった現代における宝石にめぐりあえた喜び、賛辞、感激などに重点をおいた言葉もある。

 若い者であろうと、老年と称していい者であろうと、ひっこみ思案の人、陽気な人をとわず、そこを訪れた男たちは、このような感想を抱くのだった。各人それなりの、心からの満足を味わう。

 そして、それは夢のなかのものでも、ただのあこがれの幻の城でもなく、実在のもの。実在でなかったら、こうまでささやきの波紋のひろがるはずがない。

 警察のなか、その中年の刑事も、これらのうわさを耳にしていた。非合法の売春組織にちがいない。職業柄、彼がそう考えるのも当然のことだった。いずれは警察として、手入れをすることになるんだろうな。その時は、おれも動員されることだろう。

 しかし、何ヵ月かがたったが、警察は動きはじめようとしなかった。そのきっかけがなかったためでもある。被害の訴えがまるでなかった。なんらかの被害届があれば、捜査にとりかかることができるのだが。

 たとえば、友人にさそわれて遊びにいったはいいが、そこでひどい目にあった。あるいは、楽しい思いはしたのだが、大金を請求されて身ぐるみはがれた。そういった犯罪に関連した届はひとつもない。

 うわさすらなかった。行ってみたがもてなかった、その腹いせに、やつ当りめいた密告電話を警察にかけてくる。普通だとそんな例があるはずなのだが、こと〈魅惑のお城〉に関しては、それすらない。どんなみにくい男ももてるのだろうか。ひとつぐらい例外はありそうなものだが。

 新聞がとりあげてくれれば、それでもいい。そうなれば警察としても乗り出しやすい。だが、これに関連した記事はのらなかった。大げさに書き立てるのが好きな週刊誌にとって、こんないい話題はないはずなのだが、それにものらなかった。

 取材のために潜入した記者はあったのだろうが、〈魅惑のお城〉のとりこになったのかもしれない。あるいは、このようなすばらしいものを暴露し、社会問題となって営業停止になったりしたら、全男性のうらみを買う。第一、自分も行けなくなる。そんな心境になることもあるだろう。いずれにせよ、報道されることはなかった。

 営業をやっているからには、利益があがっているはずだ。税金はどうなっているのだろう。税務署から脱税の容疑で捜査への協力依頼があれば、警察も動きはじめる。しかし、それもなかった。税務署の係官が調べに出かけ、やはりそこのとりこになってしまったのかもしれなかった。

 というわけで、〈魅惑のお城〉についてのうわさは、男だけの秘密として保たれていた。こんなことをわざわざ女性に報告する男はいないのだろう。婦人団体がさわぎたてるけはいもない。

 その中年の刑事は、依然としてこれへの行動をとれないでいた。上からの命令もなく、なんのきっかけもないのに「魅惑の城の手入れをやりましょう」と申し出るのもためらわれた。それに、つまらぬ犯罪事件の処理で、毎日が忙しくもあった。

 だからその刑事としては、時たま耳に入るうわさをつなぎあわせ、ひまをみて、ひとりであれこれ想像してみる以外になかった。そのたびごとに、行ってみたいとの誘惑におそわれ、はっとして冷静さをとりもどす。

 いったい〈魅惑のお城〉は、どうしてああ評判がいいのだろう。男のいうままになる女たちばかりだという。どうやってそんな性質に仕立てるのだろう。おどかしてだろうか。それだったら、つらさにたえかね警察にかけこむ女があってもいい。麻薬でつなぎとめているのだろうか。だが、その仮定もしっくりしない。このところ、大量の麻薬が動いているという情報はなかった。催眠術のたぐいかもしれないが、そうまで完全にゆくものだろうか。

 まあ、妥当なところは金の力だろうな。金銭という万能の力は、たいていのことを可能にする。金の欲しい女たちなら、そのためにサービスに熱中することも考えられる。しかし、この仮定もちょっとおかしかった。その報酬の金は、お客にしわ寄せされることになり、時には高いと文句をつけるやつがあらわれるはずだ。

 しかし、そんなうわさも聞いたことがない。その赤字を埋める金を、だれかが出しているのだろうか。ばかばかしい。そんなもの好きな人間の、いるわけがない。

 考えているうちに、刑事はいつもいらいらしてくる。彼の心のなかで、想像は疑惑となり、それは好奇心に変化し高まってゆくのだった。この目でたしかめてみたいものだな。どんなところなんだろう。うわさ通りなら、快楽にみちた胸のときめく夢のような国なんだろうな。男のいいなりになる、従順な女たちばかりが待っている……。

 心のいらいらは消えるが、刑事は自分の口もとがだらしなく笑いかけているのに気づき、あわててしまう。同僚に見られたら、恥ずかしいことだ。中年男のいやらしい笑いぐらい、警察関係者の表情としてふさわしからぬものはない。

 おれは刑事なのだ。しかし、〈魅惑のお城〉についての夢想を、頭からすっかり追い出してしまうことは不可能だった。好奇心がそれ以上に育つのを押えることもできなかった。そして、それはさらに大きくなり、行ってみたいとの衝動が、刑事であるという立場の自制心を、ついに越えてしまった。

 行ってみよう。しかし、彼はいちおうの理屈づけをし、自分自身に弁解した。これは調査なのだ。将来の手入れの時のために、ようすを知っておくほうがいい。べつにやましい行動ではない。とはいうものの、やましさはいくらかあった。

 その中年の刑事は派手なネクタイを買った。地味な私服とどこかちぐはぐだったが、警察関係者らしいにおいはいくらか消えた。

 また、身分を証明するものは、なにひとつ身につけなかった。万一、変なことに巻きこまれたにしても、でたらめな名を告げれば、それですむだろう。つとめ先を質問されたら、それも適当に答えておこう。長いあいだ警察の仕事をしていると、わけのわからない職業の連中についての知識だけは、けっこうふえる。そのたぐいの一つをあげれば、相手もなっとくするはずだ。

 その刑事は、仕事から解放された夜には、そのような外見と内心とで街を歩きまわるのが習慣となった。しかし、どう歩けばその〈魅惑のお城〉に行きつけるのか、まるで知らないでいる自分にあらためて気づいた。

 職務の上で、社会の裏についての情報ルートを彼は知っていた。しかし、今回はそれにたよれなかった。へたに聞いたりしたら、〈魅惑のお城〉のほうに連絡され、警戒されかねない。あるいは、しくまれた|罠《わな》にはまり、こっちの弱味をにぎられることになりかねない。これに関しては警察をはなれた個人として、自分の力でたどりつかなければならないのだった。

 その刑事は夜ごと、あてもなく街を歩いた。都会とは森のようなものだな。もしかしたら、魔法の森かもしれない。この森にふみこんだ者は、もはや出ることができず、一生そのなかをさまよいつづける。なぜおれは、都会にいるのだろう。職務をはなれた行動のせいか、そんなことを彼はとくに強く感じた。そして、おれはグレーテルを連れていないヘンゼル。お菓子の家はどこにあるのだろう。

 手がかりは、なかなかえられなかった。いったい〈魅惑のお城〉なんて、本当にあるのだろうか。実在するとしても、それは他人はだれでも行けるが、おれには決して行きつけない場所にあるんじゃないだろうか。魔法の森だったら、そんなこともありうるかもしれない。しかし、あきらめる気にもなれなかった。目に見えぬ誘惑の力は強かった。

 そんなふうになって何日目の夜だったか、刑事はある小さなバーで飲んでいた。そうおそくはない時刻。なんのあてもなしに入った店だったが、その彼の耳に、待ち望んでいた言葉が聞えてきた。

「あーあ、きょうは会社でいやなことがあったな。魅惑のお城へ寄って気ばらしをしたい気分だな」

 そっちを見ると、つぶやきの主は会社員らしい若い男だった。しめた、なんという幸運。刑事は話しかけようかと思ったが、しばらくがまんした。あれこれ質問したら、へんに警戒されるかもしれない。また、こっちの身分を見抜いた上での、聞えよがしの言葉かもしれないではないか。

 それとなく観察してみたが、そんな計略でもなさそうだった。警察生活によって、それを見きわめる感覚を彼は持っていた。つぶやきをもらした青年はグラスの酒を飲みほして立ちあがり、バーから出ていった。刑事もまた、そのあとにつづいた。あとをつけて行けば〈魅惑のお城〉にたどりつけるのだ。さとられぬよう尾行するのは、彼にとってお手のものだった。

 見うしなったら大変。このスゴロクの上りはどこだろう。

 それは郊外の静かな林のなかにあった。なんということもない、古びた洋風の建物。毒々しい原色のネオンもついていなければ、安っぽい音楽も響いてこなかった。はたしてこれがあこがれていた〈魅惑のお城〉なのだろうか、刑事は判定しかねた。しかし、青年はそのなかへと入っていった。

 刑事はしばらく考える。だが、考えてみても結論の出ることではない。ここまで来たら、進んでみる以外にない。入口に行き、ドアをノックする。無表情な男が出てきた。刑事は言ってみた。

「はじめてなんだが、いいかい」

「どうぞ、どうぞ。いらっしゃいませ。ご常連になられたかただって、最初はどなたもはじめてだったわけでございます。お入り下さい」

 理屈なのか冗談なのかわからない言葉を、男はにこりともせず言った。水商売になれているようにも見えず、暴力団らしくもなく、といってビジネスマン風でもない。刑事の勘をもってしても見当がつかなかった。しかし、べつにこっちを警戒するようなようすでもなかった。金があるのかないのか値ぶみをする目つきでもない。刑事はちょっと張合い抜けがし、言うべき言葉に迷った。

「さて……」

「どのような女性をお好みで……」

「どんなのでもいいよ」

「しかし、やはり若い女性のほうがよろしいわけでございましょう」

「まあね」

「では、どうぞこちらへ……」

 地下へおりる階段があった。それをおりながら、刑事はひとりうなずいた。なるほど、地下というわけか。地上の建物が小さく目立たなくても、これならさしつかえないわけだな。といって、地下に部屋がどれくらいあるのか、〈魅惑のお城〉がここのほかにもあるのか、そこまではわからなかった。まあ、いい。それは機会があればあとで調べることもできるだろう。

 しかし、そのような職業意識につながった思考も、そうはつづかなかった。うすものをまとっただけの若い女たちが、廊下を歩いている。静かな歩きかただが、それがかえって魅力的だった。彼はぞくっとした。

 女たちがうすものをまとっているということは、あたりが温かいことを意味している。温かすぎるほどだった。刑事は汗をぬぐった。また、甘くなやましげな香水の|匂《にお》いがただよっている。匂いすぎるほどだった。むっとするほど刺激的だった。

 たしかに魅惑の城だなと、彼は満足した。南国の王宮の、ハレムを連想させるような模様が廊下の壁に描かれてある。女のなかには、外国人らしいのもいる。エキゾチックな印象とは、このムードのことだったのだな。廊下のところどころには、熱帯の花の鉢植えがおかれてある。その花もかおりが高く、香水のにおいとまざって、はじめての者には息苦しさを感じさせるほどだ。その空気は緊張をほぐし、情欲を高めてくれる。

 刑事は小さな部屋に案内された。清潔なダブルベッドがある。かくしカメラかマイクのたぐいがあるかと気にし、そのへんを調べてみたがなにもなかった。

 彼はベッドの上に横たわり、そばの照明をうす暗くして待った。これから起ることへの期待で、しぜんと胸がときめいてくる。彼は刑事ではあるが、ただの男でもある。しばらくの時が流れ、やがて女が入ってきた。ほの暗いなかでゆれるうすものが、きれいなクラゲのように見えた。

 それからのことは、刑事が以前から聞いていたうわさを、すべて事実をもって証明してくれた。ただの証明でなく、うわさ以上にすばらしいことを知らされた。何回も夢ではないかと思ったが、決してそうではなかった。

 夢ならば終ったあとにはかなさが残る。しかし、これは夢ではない。こころよい満足感が刑事のからだのなかで、|余《よ》|韻《いん》のようにいつまでもつづいた。いちおう|陶《とう》|酔《すい》からさめ、彼は言った。満足感が大きかっただけに、料金のことが気になってくる。

「で、ここの代金のことだが……」

「おこころざしでけっこうなの。いくらでもいいということなのよ」

 女が答えた。これもうわさの通りだった。料金をめぐってのいざこざも起らないはずだ。これは営業政策のひとつなのだろうか。そう言われると、かえって奮発したくなるお客がいるのかもしれない。だが、女の口調からはそんな感じを受けなかった。刑事は財布から何枚かの紙幣を出して渡した。

「では、これくらいでもいいのかな。不足だったら、そう言ってほしい。なにしろ、ここははじめてなので……」

「いいえ、これでけっこうよ。またいらっしゃっていただくほうが、うれしいの。どうもありがとう」

 刑事はふと首をかしげた。紙幣をかぞえもしない女の無欲さ、そのことのせいだけではなかった。女の声に聞きおぼえがあるように思えたからだ。いつ、どこで会った女かまでは思い出せないが。

 彼はスイッチをひねり、照明をあかるくした。女の顔がよく見えた。ちょっと厚化粧ぎみだったが、良質の化粧品を使っているせいか、不快さはまったくなかった。

 何秒か見つめ、刑事ははっきり思い出した。だいぶ前だったが、警察で家出の少女を保護したことがあった。その時、刑事はその話し相手を担当した。いま目の前にいるのが、その女だった。

「前にどこかで会ったような気がしないかい」

「さあ、わからないわ」

「わたしにおぼえはないかい」

 警察でとは言わなかった。きょうは個人としてやってきたのだ。忘れててくれたのなら、ありがたい。ここで思い出されたら、口どめ料を追加しなければならないだろう。

「あたし、おぼえてないわ」

 女が言った。本当にそうらしかった。しかし、刑事のほうは、あの時の女と同一人だとの確信をますます強くした。なにしろ自分で相手をしたのだし、女の首すじのホクロまでおぼえている。それにしても、あの時はずいぶん反抗的な女だったが、いまは従順そのものだ。どうしてこうも性格が変ったのだろう。

 記憶を消し、性格を変える。やはり特殊な催眠術のたぐいなのだろうか。家出女をつかまえ、このように仕立ててしまう組織だとしたら、かわいそうなものだな。以前に保護した時、もっと熱を入れて説得しておけば、この女もこんなふうにはならなかっただろうに。暗くてわからなかったとはいえ、自分がベッドをともにしてしまうとは、皮肉なものだ。刑事は複雑な思いで、ぼんやりと女を見つめていた。こうむかいあっていると、あの時とそっくり……。

 回想しながら、刑事ははっとした。あの時とそっくり。そのことが彼を驚かしたのだ。この女、あの時そのままの若さではないか。少しもとしをとっていない。

「きみはいくつなんだい」

「あら、としのことなんか聞くものじゃなくてよ……」

 女は静かに答えた。こんな商売をしていたら肉体のおとろえも早いだろうに、これはどういうことなのだろう。刑事の頭のなかを、ねむり姫の物語の荒筋が通り抜けていった。長い年月を眠り、そのままの若さでめざめた姫の話。しかし、それ以上に想像はのびなかった。

 刑事は女といくらか会話をかわした。

「ここに、女の子はたくさんいるのかい」

「ええ」

「みんなどこから来たんだい」

「知らないわ。ひとのことなんか、どうでもいいの」

「ここで働いているの、楽しいかい」

「ええ、楽しいわ」

「ほかに、どんな楽しみがあるんだね」

「ここで働いていることが楽しいのよ」

「そういう人生を後悔しないのかね」

「人生だなんて、そんなむずかしいことわかんないわ……」

 刑事はそのへんで話をやめた。くどく聞くと変に思われるだろうし、会話はいっこうに進展しなかった。しばらくの沈黙。

「ちょっと失礼するわ」

 と言い、女は部屋を出ていった。受取った金をしまいに行くのかもしれなかった。

 刑事はひとりベッドにねそべり、また、あれこれ考えはじめた。ここはふしぎなところだ。女たちは楽しんでおり、お客たちも楽しむ。それならいいとはいえるが、どうしてこれが成り立っているんだろう。

 どうやって女たちを、ここに集めたんだろう。外国の女らしいのもいる。笛吹き男という童話が、彼の頭のなかで花火のようにきらめいた。むかし、ハンメルンという町がふえすぎたネズミで困っている時、笛吹き男がやってきて、その退治をひきうけた。しかし、それをやったのに町の人は代金を払わない。そこでかわりに、笛の音で子供たちを連れていってしまったという。そのたぐいの笛で、女だけを集めるという方法は……。

 温かく香水のただようなかで、ベッドにねそべっていると、空想的なほうにひろがる一方。こんなことではいけない。やっとここへ入れたのだ。さぐるだけはさぐらなくては。刑事は服をつけて廊下へ出た。

 迷路のような廊下を、彼はさまようように歩いた。うすものの女たちとすれちがう。快楽からさめやらぬ表情のお客の男もいた。だが、わざとらしい|嬌声《きょうせい》はなく、静かだった。

 鉢植えの植物のひとつにかくれて、立入禁止と書かれたドアがあった。職業柄、彼はそれを目ざとく見つけた。また職業と無関係に、その文字は彼の好奇心をかきたてた。細目にあけてのぞくと、だれもいない。刑事はそこに入った。

 早くいえば、美容院を思わせる部屋だった。鏡があり、椅子があり、化粧品がたくさん並んでいる。男性にはなんに使うのかわからない、化粧用の道具らしきものもあった。それらにまざって、どういうわけなのか、テープレコーダーがある。彼はなにげなくボタンを押した。

 ドラムの音が流れだした。いくつかの打楽器の合奏、ほかの楽器は加わっていない。異様な音、|妖《あや》しげなリズム。それが単調にかなでられ、ゆっくりとくりかえされ、なにかに呼びかけ、よびさますようにくりかえされ、くりかえされ……。

「あまり魅力的な音楽じゃないな。ここにふさわしくない……」

 彼がそうつぶやいた時、その部屋のもうひとつのドアが開いた。そして、入ってきたものがあった。刑事は一瞬、それがなんであるのかわからなかった。いや、目で理解はできたのだが、信じられるものではなかった。

 泥まみれの女。身にまとっているものは、ぼろぼろの布きれ。乱れた髪。鼻をつくいやなにおい。それがなんのにおいか、彼は知っている。死のにおい。刑事だから、それになれてもいる。そのにおいに接しても、とくにあわてはしない。しかし、それがこういうふうに出現するとは……。

 それはおかしな歩きかたで、さらに近づいてきた。彼は足がふるえ、動けない。声も出ない。手が反射的に動き、そいつを横にはらった。そいつはよろめいて倒れた。コードが抜けたのか、テープの音楽がとまった。そいつは床に崩れるように横になり、動かなくなった。

 さわった時の手の感触が、神経を伝わって刑事の頭へとどいた。つめたく、ひやりとする感触だった。死の感触。彼は悲鳴をあげ、しゃがみこむ。

 その悲鳴を聞きつけてか、ひとりの男が部屋に入ってきた。色の浅黒い、どこか熱帯地方の人のような印象を与える。どこかおかしなアクセントの口調で言った。

「困りますね。この部屋にお入りになっては。もっとも、鍵をかけ忘れたようだ……」

「すみません。ねぼけたのです。しかし、そんなことより、こ、この女はなんなのです。まるで、死、死……」

 刑事は口ごもり、男はうなずいた。

「その通りです」

「では、死者。しかし、これは歩いてきたんですよ。なにかの冗談でしょう」

「ご存知ないようですな。ゾンビーのことを……」

「そ、それはなんのことです」

 と刑事は聞きながら、床に横たわるものを横目で見た。男はそれに白い布をかぶせながら言った。

「ブーズー教ですよ。カリブ海の西インド諸島一帯の土俗的な宗教。そのなかに死者をよみがえらせる秘術がある。わたしはそれをきわめ、わがものとした。そのリズムがそうです……」

 男はレコーダーを指さした。

「……そのリズム。その共鳴によって埋葬された死者は墓場から起きあがり、土をかきわけて地上へ出て行き、音のところへやってくる。それがすなわちゾンビーです。動く死者とでもいいますか。わたしはその女のゾンビーたちのよごれを落し、きれいにしてやる。死のにおいを香水で消し、部屋の温度を高めて、つめたさをなくす。時にはコンタクトレンズとか義歯とか、いろいろと手を加えることもある。それでできあがり、あとはわたしの|呪《じゅ》|文《もん》により、命ずるままに働きつづける。こういうわけなのです」

「すると、ここの女たちはみな……」

「そういうことですな」

 呪術者の男は、こともなげに言う。極端な不快感が、刑事のからだをふるえさせた。なぜだか、汗がどっと出た。彼はなにかを叫んで、すべてを忘れてしまいたかった。

「なんということを。許せない……」

 しかし、呪術者は落着いた口調。

「なぜです。どこがいけないのでしょう。わたしがよみがえらせた死者は、若い女性がほとんど。いいですか、人生の楽しさを知らずに死んだ女たちですよ。死んでも死にきれないでしょう。快楽、わたしはそれを与えてやっているのです。また、ここへ来る男のお客さまも、みんな喜んで下さる。ただ私利私欲のためだけでやっているのではない。だから料金も安いのです。いいじゃありませんか」

「しかし、いくらなんでも、生きている人間と死者とを……」

「そうおっしゃるが、ここへいらっしゃるお客さまたち、なかば死んでいるようなものじゃないでしょうか。自分の意志を完全に発揮することなく、だれもかれも上の者の呪文の命ずるままに、一日を動きつづけている。ここの女ゾンビーたちと、どこがちがいます。なかば死んでいる男たちと、なかばよみがえった死者の女たち。悪くない組合せといえるんじゃ……」

 呪術者はしゃべっていたが、刑事の頭は|呆《ぼう》|然《ぜん》とし、議論に発展はしなかった。

「こんな大それたことが、よくいままで秘密に……」

「ブーズー教の秘法には、|呪《のろ》いの人形で殺す術もある。このほうはご存知でしょうか。ロウをこねて作った人形のなかに、その人物の爪なり髪の毛なりを入れる。それに針を突きさせば、当人がどこにいようとたちまち死にます。注意人物らしきお客さまからは、ここでお遊びいただいているあいだに、その髪の毛を少しとりあげておく。だから、ここの秘密をなにかかぎつけたかたがあっても、そのことをお話しすると、口をつぐんで下さる。つまらないことを口外したら、針ですからね」

 内情が報道されなかったのは、そのためだったのか。なにが魅惑の城だ。刑事は吐きけを押えながら言った。

「あの女ゾンビーたち、いつまでああ働いていられるのだ」

「ずっとですよ。死者はとしをとらない。いつまでもああなのです。ご存知かどうかしりませんが、ゾンビーにとってのタブーは塩です。一回だけですが、お客さまのなかで塩の錠剤を口うつしに飲ませたかたがあった。ゾンビーはたちまち、どろどろの死体。そのお客さま、発狂してしまいましてね。これは例外中の例外の事件です」

「吸血鬼におけるニンニクのようなものか。吸血鬼は血を吸うことで生きてゆくが、ここのゾンビーたちの栄養物はなんなのだ」

「つまりですな、男性の性的分泌物。女ゾンビーたちがすなおなのは、わたしの命令のせいもあるが、本人たちがその栄養物を求めているからでもあるわけです。うまくできてるじゃありませんか。だから彼女たち、ここで働いているからには、いつまでも若い。もっとも、呪術者であるわたしが死ねばべつですよ。だいぶ先のことでしょうが、その時のことを想像すると、わたしも心が痛む。みな、たちまち死者に戻り、ここも終りです。お客さまも驚かれるでしょうし……」

 呪術者のしゃべるのを聞きながら、刑事は考えた。こうなにもかも説明してくれるということは、おれの髪の毛もさっき取られてしまったのかもしれない。そうなったら、おれは命をこいつににぎられてしまうことになる。口外しかけたら、すぐ針をさされるのだろう。

 しかし、まだ人形は作られていないのじゃないだろうか。いまのうちだ。いま、この呪術者を殺してしまえば……。

 それは刑事としての職務に反することだが、この異様さを社会から除くほうが、もっと大きな義務だ。それに、正当防衛だ。彼は飛びかかる。しかし、呪術者は身をかわし、口笛を吹いた。それに応じ、ドアから数名の男が入ってきて、強い力でたちまち彼をとり押えた。呪術者は言う。

「こいつらは男ゾンビーです。力が強い。あばれてもむだですよ」

「おれをどうするつもりだ」

「あなたはきわめて危険人物のようだ。さっきからの口のききかたから、警察関係者と思える。このままおかえしすると、人形の呪いによる死をも恐れず、事情をよそでしゃべりかねない。それは困るのです……」

 呪術者は鋭いナイフを持ってきた。

「おれを殺すのか」

「そうせざるをえないようです。しかし、そう心配することはありませんよ。あのドラムのリズムにより、すぐよみがえらせてあげます。もっとも、これまでの記憶はすべて消え、わたしの呪文による命令どおりに動くようになりますがね。だが、いままでよりいいんじゃありませんかね。よけいなことを考えないでいいわけです。それに、これ以上としをとることもない」

 刑事は青ざめながら思った。さっきベッドをともにした女との会話、そのなかでの不審な点が、やっと理解できた。しかし、いまになってわかってみても……。

「おれをゾンビーにして、なんにこき使うつもりだ。ここの門番や用心棒にか」

「じつはね、魅惑のお城の、ご婦人むけのを作ろうかと思っているんですよ。そこで働いていただく。この点だって、いままでの人生より、ずっといいと思いますがね」

  善良な市民同盟

 ひとりの青年があった。職業はある不動産会社の別荘地のセールスマン。その不動産会社、一流ではなく、四流か五流、あるいはもっと下といったところ。固定給はなく、すべて歩合だった。お客に売りつけることができれば、その半分が彼の収入となる。

 それでも会社が存続しているということは、すなわち、それがいいかげんな土地だからだ。景色はちょっといいが、交通は不便で気候も悪く、いつ火山の噴火があるかわからぬというところ。一種の|詐《さ》|欺《ぎ》のようなものだ。契約が成立すればどっと歩合が入るというものの、いくらかの賢明さを持ちあわせている人はそれにひっかかるわけがなく、収入多大とはいえなかった。

 その青年、以前はまともな会社につとめていたのだが、会社の金を使いこみ、くびになった。別の会社に移ったが、そこでもまた使いこみをやり、やがてはその評判がひろまり、どこもやとってくれなくなった。つまり、まともな会社づとめにむいた性格ではなかったのだ。したがって、まだ独身。とてもまともな結婚のできる状態とはいえない。

 と、まあ、そんな生活だった。それでも何回かは取引が成立し、なんとか暮してこられた。そろそろ金もなくなりかけた。また、いいカモをさがし、商談を持ちかける試みをしなければなるまい。

 青年は、かつてのまともな会社時代の知人に泣きつき、紹介状を手に入れた。説明によると、六十歳ちょっと前ぐらいの男で、定年退職し、まとまった退職金を持っているらしいとのことだ。

 そういう相手がいいのだ。うまくいきそうではないか。巧妙に持ちかけ、まるめこんでしまう。こっちはなれているし、なにしろ金がいるんだ。このカモをとり逃さぬよう、成立までは注意して大切に扱わなければならない。ねらいをつけ、青年は訪問した。

「ごめん下さい。あの、ぼく、いや、わたくしは、こういう者でございます。耳よりなお話をお持ちしたというわけで……」

 と青年は、口ごもりながらあいさつをした。立板に水としゃべり押しまくっては、かえって警戒される。いかにも人がよさそうだとの印象を相手に与えたほうが、こういう話の進展はスムーズにゆく。そういうことを、彼はこれまでの体験で知っていた。

「わしは退屈でひまな毎日なのだ。どんな話かしらぬが、聞かせてもらうとするかな」

 と相手の男は言った。|白《しら》|髪《が》まじりで、品がよく、いかにも定年後といった感じだった。青年は腹のなかで、にたりとした。これならくみしやすそうだ。そして、その日はあまりくわしい商談には入らず、あなたのような人生体験のゆたかな人から教えを受けたいといったような態度で礼をつくし、でっちあげた素朴な失敗談などを話した。帰る時には、わざと財布をおき忘れた。

 これが作戦。相手の男は心のなかで、まぬけなやつだなと思ってくれるにちがいない。すなわち、こっちへの警戒心がそれだけ薄れるというものだ。それにともない情勢は有利となる。二日ほどして、青年は電話をかける。

「先日はとつぜんおじゃまし、失礼いたしました。あの日、財布をどこかで落し、歩いて帰ったようなわけで……」

「あれはきみのだったか。財布ならうちにとってあるよ」

 男は答えた。これで再訪する口実もできた。青年は男の家に出かけ、頭をかきながらお礼をのべ、そして言った。

「助かりました。道で落したものだったら、あきらめなければならなかった金です。それを思えば、まるもうけです。お酒をおごらせて下さい。行きつけのバーがあるのです。気らくに飲める店ですよ……」

 とさそった。これで、さらに人のいい人間と思われるはずだ。いまは、なによりも演技。商談が成立しさえすれば、すべて回収がつく。それどころか、ごそっと歩合が入る。そのためには、あくまでばかにならなくては……。

 青年は男をバーへ招待することに成功した。いい気になって酒を飲み、たわいない話をし、だらしなく酔っぱらった。いや、正確にはそうよそおっただけのことだ。さそいのすきというやつだ。

 うまいぐあいに、相手の男は乗ってきた。

「きみはいい人間だ。あまり聞いたことのない不動産会社なので、じつは最初は警戒しておったが、いまではそれを反省している」

「いえ、いい人間かどうか、これがわたしの性格でして、それだけのことなんです」

 そうこなくちゃいかんと、青年は内心でしめたと思いながらも、むりに酔いを押えた神妙さといった表情で言った。男は目を細めて言う。

「きみはあまり世渡りがうまくなさそうだな。損ばかりしているようだ」

「はい。そうなんです。自分でもいやになるくらいです。同僚や上役の失敗の責任を押しつけられたりし、会社をやめさせられたりし、いつも運の悪いことばかりで……」

「そうだろう、そうだろう。きょうは酒をおごってもらい、楽しかった。あしたでも、うちへおいでなさい。きみにとって喜ばしい話をしましょう」

「はい。ありがとうございます」

 というしだいで、万事順調な進行だった。しめしめ、これでまた契約がひとつ成立だ。当分はのんびりできる。どうしようもない土地なのに、世の中にはこういうカモもいてくれる。あとは野となれだ。あしたは、めでたしめでたしの日となる。青年はその夜、期待にみちた気分で眠りに入った。

 つぎの日、青年は男の家をおとずれた。

「どうも、昨夜はとんだ醜態をさらしたようで、申しわけございません」

「いや、きみのそういう性格が気に入ったのだ。ごまかしがない。さて、きみにとってのいい話の件についてだが……」

「は、お礼の申し上げようもございません。これはすばらしい別荘地でして、お住みになって快適、値上りも確実でございます。契約書を用意してまいりましたので、あとはご署名と印鑑とをいただければ……」

 青年がカバンをあけかけるのを手で制し、男は言った。

「まあまあ、それはあとでいい。そんなことより先に、きみに見せたいものがある。これだ……」

 男は棚の上からアルバムのようなものを取り、青年の前においた。どういうことなのだろう。ふしぎがりながらも青年はそれを開き、ぱらぱらとながめ「あっ」という叫び声を、思わずもらした。

 あらためて最初から順を追ってながめなおした青年の顔は、しだいに青ざめていった。そこには一連の写真があった。早くいえば、人間がカサカサになってゆく過程の写真。

 まず、皮膚からみずみずしさが失われ、各所にひび割れができはじめる。ひでりがつづいた時の地面のごとく、それは亀裂となってひろがってゆく。青年はからだをすくめ、ちょっとふるえた。写真の人物の水分は失われてゆく一方で、やがて皮膚が古壁のごとくはがれはじめる。その下の肉もすでにひからびた感じで、ぼろぼろと落ちる。ねずみにかじられた|雛《ひな》人形みたいになる。さらに進むと、丸められた|紙《かみ》|屑《くず》のような内臓がぽろりと出て、その下から骨がみえはじめ……。

 そのへんにくると、青年は顔をしかめ、目をつぶり、手さぐりでアルバムをとじ、そろそろと目をあけて言った。

「いやなものですね。どういうつもりなんでしょうか。ミイラがぼろぼろに風化してゆくところを写真にとるというのは。なぜ、こんな気持ちの悪い、残酷な写真があるのですか。もう見つづける気がしません」

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