饭饭TXT > 海外名作 > 《なりそこない王子/乞丐与王子(日文版)》作者:[日]星新一【完结】 > 星新一_日文版_なりそこない王子.txt

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作者:日-星新一 当前章节:15437 字 更新时间:2026-6-16 00:33

 これは演技でなく、本心だった。詐欺まがいの商売にはなれていても、こういうのにお目にかかるのははじめてで、ショックだった。同時に、こういうのがこの人の趣味なのだろうか、それだったら、いやがって相手の感情を害してはいけなかったなとも気づいたが、急に表情を変えることはできなかった。

 相手の男は、平静な口調で言った。

「いやいや、それはミイラではない。これは病気なのだ。生きながらこうなってゆく。からだじゅうの水分がしだいに失われてゆく症状なのだ。一日ごとにその変化をうつしたものなのだよ。もっとも、生きながらといっても、この写真の終りのほうのは死んでしまったあとだがね。内臓が乾いてしまっては、生きているわけがない」

 青年は飛びあがりかけた。ミイラじゃなかったのか。そういえば写真の人物は苦悶の表情をしていた。どんなうめき声をあげたのだろう。乾ききったのどから、声らしい声が出るのだろうか。そう考え、それが聞えてくるような気がして、青年は気を失いかけた。男はそれを察して、ブランデーを持ってきてくれた。口に流しこまれ、青年はいくらか気をとりもどした。

「なんという、おそろしい病気でしょう。しかし、そんなひどい病気があるなんて、聞いたことがありません。もしそんな病気があるのでしたら、残酷ごのみの世の中、いろいろと話題になっていいはずですが……」

「きみが知らないのも無理はない。いまだかつて世界で流行したことのない伝染病なのだからな」

「伝染するんですか、おどかさないで下さい。不安で胸がむかついてきました。でも、変じゃありませんか。伝染病なら伝染するはずでしょう。それなのに、まだ発生したことがないなんて。矛盾しています。この患者はどうなんです」

 と青年は質問した。この、悪夢のなかにいるような気分。それを払いのけたい。なにか矛盾をみつけ、それを手がかりに、早く否定して忘れてしまいたかったのだ。冗談だよと相手が笑い出してくれないかな。そう祈るような姿勢で答えを待った。しかし、男はにこりともせず、まじめだった。

「正確にいうとだな、強い力で伝染し、多くの人をこのような症状にする可能性を持ったビールスということになる。問題は過去でなく、将来にかかわることなのだ」

「どうもよくわかりません。くわしく説明をしていただけませんか。このままでは気分がすっきりしません。からだのなかで不安が大きくなる一方です。お願いです」

 と青年は演技でなく頭を下げた。契約書のことなど、あとまわしだ。

 男は、さっき青年に飲ませたブランデーのびんを傾け、自分のグラスにつぎ、それを少しずつ飲みながら、ゆっくりした口調で言った。

「順序をたてて、はじめから話さなければわかってもらえないだろうな。どこから説明したものかな。そもそもだ、善良な市民同盟というものが結成されているのだ。聞いたことがないだろうが、それも当然。これは早くいえば、一種の秘密結社なのだ。だからニュースにはならないが、世界的な規模のもので、組織をひろげつつあるというわけだ。しかし、むやみと会員をふやせばいいというものではない。むしろ会員は少ないほうがいいのだし、量より質のほうが大切。きみが善良きわまる人間であることは、このあいだからの言動で、わしにもわかった。だから、この話を打ち明ける気になった……」

「なんだか、ずいぶん重大そうなお話ですね。しかし、その、なんとか同盟にわたしが加入する気にならず、聞いた秘密をよそへいってしゃべるかもしれないじゃありませんか」

 青年は心に浮んだ疑問を言った。おれがそうしたら、秘密結社が秘密じゃなくなってしまうはずだ。困るんじゃないかな。しかし、男は落着いた声でうなずきながら言った。

「いや、きみは必ず入るさ」

「そういうものでしょうか」

「きみが自己の立場に目ざめれば、きっと入る。いいかね、いまの世で善良な人間ぐらい損をしているものはない。悪人の人権はいろいろと保護されている。どんなに犯罪をおかしても、自分につごうの悪いことは白状しなくてもいいなどというしかけになっている。証拠を残さないように法を破りなさいとすすめているようなものだ。そうやって成功したやつらがもてはやされる。世の中、よくなるわけがない」

「ごもっともです。そう思います」

 青年は大げさに言った。この人の前では人のよさを示しつづけなければならないのだということを思い出した。

「善良な弱い人間はみすてられている。組合とか圧力団体を作り、しゃにむに叫んで要求するやつらばかりが利益をえている。このたぐいがみな悪人というわけではないが、それにくらべて孤立した善人はあわれなものだよ。善良であるがゆえに集団を作れない。作ったところで、善良であるがゆえに、むちゃな要求を出せない。声はかぼそいんだ。いつかはむくわれる日もくるだろうとの希望も、このごろでは可能性がへる一方だ。善人はふみ台にすぎない、口先で適当に同情しておき、腹のなかでは笑って利用してやればいいんだ。この風潮はますますひどくなる」

「はあ、おっしゃる通りです」

 べつに反対すべき点もない。男は深刻そうな表情になりながら話しつづけた。

「いくら待っても、救いはこない。遠ざかるばかりだ。あわれな話ではないか。こうなったら、善良な人間はその救いを引きよせ、自分の手でつかみとらなければならない。いまここで、善良な人間たちが手をとりあって、なんとかしなければならないのだ。といって、核兵器をいじくるわけにはいかない。あれは善悪の区別なく破壊してしまう。イデオロギーというのも、なんの保証にもならぬ。どんな体制でも、要領のいい腹黒いやつがとくをし、善良な人間がばかをみるとの原則は同じだ。神の救済も信じられない。きみは神が救って下さると思うかね」

「そういうものは信じられませんね。もっと具体的でないと……」

「だからといって、このまま現状の進むにまかせておくわけにはいかない。善良な人間はへる一方、悪人はふえる一方。この悪貨が良貨を駆逐する傾向を、なんとしてでも逆転しなければならない。さもなければ、遠からず世界は破滅だ。世の終り。ここで、ぜがひでも最後の審判が必要なのだ」

「最後の審判ですって……」

 予想もしなかった言葉が出てきたので、青年はおうむがえしの声をあげた。男は照れたような笑いで、言いなおした。

「ちょっと形容が大げさだったかな。ねらいはそうなのだが、最終的な総決算ではないのだから、そこがちがう。いちおう善良な人間の優位を回復させる運動なのだ。ノアの箱舟計画とでも呼ぶべきかな。うん、このほうがわかりやすいだろう。いずれにせよ、この大手術がなされてこそ、善人がその価値にふさわしい地位につけ、新しいルネッサンスの時代がやってくるというものだ……」

 男はブランデーのききめも加わってか、いささか声に力がこもった。青年はまじめな演説のつづくのに、いくらかもどかしくなって先をうながした。

「世の乱れをなげく主張はわかりますが、それだからどうだとおっしゃりたいのですか」

「話を飛躍させてもいいが、また質問されてもとへ戻るのもめんどうだ。だから順を追って話しているわけだが、もうすぐ核心だよ。そんなわけで、善良な市民同盟というのができた。ある国でといっておく。ある人の遺産をもとに、秘密の研究所が作られ、ひとつの計画がたてられた。関係者は熱心だった。ただの利益追求とちがうので、力の入れかたがちがう。そして、その結果あるビールスが開発された。すでに存在するビールスに放射線照射と化学的な処理とが加えられ、それが変異し、GWビールスというものができたのだ。グッド?ウイル、好意という意味の略だよ。人体実験もおこなわれた。厳重に密閉したなかで、それに感染させられた患者。すなわち、さっきの写真がそれなのだ」

 それを聞き、青年はさっきのアルバムにちらと目をやる。しかし、開いてもういちどながめなおす気にはなれなかった。すでに頭のなかに、鮮明に焼きついてしまっている。その印象をさらに強めたくはないのだ。青年はふるえ声で、こう口に出しただけだった。

「なんとおそろしい……」

「そう、たしかにおそろしい。しかし、恐怖や絶望でふるえることはないのだ。そのビールスに感染しないですむ予防ワクチンも作られているからだ。というわけで、必ず死ぬというわけではない」

 男は軽く笑い、青年はため息をついた。

「そうでしたか。ほっとしました。しかし、わざわざ危険なビールスを作り、その予防ワクチンまで作る。よけいで不必要な手間の産物といった気がしますね」

「そうかね。ちょっと頭を働かせればわかるはずだがな。いいかね。善良な市民同盟のものだけが、その注射をしておく。そして、時機をみはからってGWビールスをばらまく。世界じゅうにだ。生き残るのはだれかわかるだろう。また、一掃されるのがどんな連中であるかも……」

「悪質な連中が一掃される……」

「ご名答、ご名答。だれかの言葉に、こんなのがあった。なにかが発明されると、天使たちがその利用法を相談してきめかねているうちに、悪魔のほうがさっさとお先に利用してしまう、という言葉だ。たしかに今まではそうだったが、こんどだけはちがうぞ。天使の側が先に使うのだ。人種だの、国家だの、地位だのを超越して、善人だけがピックアップされるというわけ。すばらしいではないか。また、副産物として、人口爆発を防ぐという、いい結果もある。問題になりかけているが、世界がいまのままだと、加速度的に人口がふえ、地上がラッシュアワーのごとくなり、食料の奪いあいとなる。そんな時には、善人からまず被害を受けるにきまっている。その解決にもなり、善良な人間だけが残るのだ。ひろびろとしたところに、おだやかな人間ばかり。天国が現実となるのだよ……」

 男は夢みるような目つきになり、酔いがさらにまわったらしく、たのしげな笑い声をあげはじめた。青年も笑いかけたが、それを途中でやめ、おそるおそる聞いた。

「つまり、ほかの人たちはみんな死んでしまうわけですか」

「人だなんて思うな。悪魔の子分たちだ」

「しかし、それにしてもひどすぎるんじゃないでしょうか。ヒューマニズムということもありますし……」

「そこがきみの人のいい点でもあるのだが、非常の際なんだ。そんなこと、かまってはいられない。こっちの身が危なく、正当防衛で敵をやっつけなくちゃならない場合、ヒューマニズムなんて言っててはおかしいぜ。未来への運命の分れ道に立っている。箱舟に乗ったノアの心境を考えてみなければいけない。ノアが大洪水の時に、人情におぼれて、だれかれかまわず舟に乗せてやったらどうなった。乗りすぎて沈めば全滅だし、沈まなかったら大洪水をひきおこした神のねらいは無意味となった。善悪いずれへ進むかの決断、それをしなければならない時というのはあるものだよ」

「そういうものかもしれませんね。しかし、そのビールスがひろまったら、ひどい光景になるんでしょうね。あの写真のようなのが、あたり一面に発生するとなると……」

 青年は顔をしかめた。頭のなかで、不快な映像が押しあいへしあいしていた。

「ああ、わしだって正直なところ、内心それを考えるといい気持ちではない。通過しなければならない過程ではあるがね。中世のペストの大流行のような悲惨さだろうな。突如としてはじまる、水分の失われてゆく症状。急速に伝染し、対策の立てようもない。予防注射をしてないやつらは、だれもが乾いたのどから、かすれた悲鳴をあげ、苦しみながらパサパサになって死んでゆくのだ。はげ落ちた皮膚は風で散り、ひらひらと空中を舞うかもしれない。生きながら風化してゆく。なかには、密閉した室にとじこもって、なんとか助かろうとするやつもあるだろう。だが、それにも限度がある。ポーの小説『赤い死の仮面』のごとく、どこからかビールスは侵入し、感染し、倒れてゆくのだ……」

「いやなものですね」

 青年は胸のむかつくのを押えながら言った。しかし、男は首をふって少し笑う。

「だがな、このパサパサになるという点が救いだよ。それと逆に、水分がからだでふえ、ぶよぶよになって死ぬビールスだったら、生き残る側にとっては、たまったものではない。死体の群れからは悪臭がただようだろうし、けつまずいた時の感触もぞっとするものだぜ……」

「それもそうですね」

「なにしろ、これは乗り越えなければならない段階だ。中世のペストは、その人口減少の結果として産業革命をもたらした。このGWビールスは、善の支配する新しい世紀を、もっと的確に作ってくれるのだ。こんな説明で、だいたいの事情はわかってもらえただろう。さて、きみはそういう未来がいやかね。GWビールスに感染したいかね」

 男に返答をせまられるまでもなく、青年の心はきまっていた。

「いえいえ、とんでもないことです。感染だなんて、考えただけで頭のなかに金属音がします。助けて下さい。そんな目にだけは会いたくない。どんな要求にでも従います。入会金は高いんですか。条件はきびしいんですか」

「まあ、落着きなさい。入会金なんかは不要だよ。金持ちを生き残らせるのが目的ではない。考えてみなさい。GWビールスによる第二のノアの洪水のあとでは、金なんかいくらでも拾いほうだいだ。善良な人間であれば、それでいいんだ。それが資格。しかし、条件はひとつだけあり、守ってもらわなければならない」

「なんでしょうか」

「秘密厳守さ。この計画がもれてみろ。悪人側はほっておかない。例によって正義人道という虚偽の旗をふりかざし、たちまち善良な市民同盟の弾圧にかかるだろう。草の根をわけてもさがし、処刑するにちがいない」

「その通りです。わかりました。ぜひ、よろしく……」

 青年はとりすがるような姿勢になってたのんだ。土地を売りつける件など、もうどうでもよくなった。

「そう泣き声を出すことはない。わしはきみをみこんだからこそ、この話をしたのだ。加入させてあげるよ。では、わしの教える医者に行きなさい。そして、わしの紹介だというのだ。ワクチンの注射をしてくれる。しかし、きょうはもうおそいな。あすの午前中にしなさい。道順はだな……」

 男は道順を教えてくれた。

「はい、ありがとうございます。なんとお礼を申しあげたものか……」

 その夜、青年は悪夢にうなされつづけた。からだが乾燥してゆく恐怖につきまとわれ、のどや胸を眠りながらかきむしった。

 しかし、朝になって目がさめると、悪夢は消え、すがすがしい気分をかみしめることができた。おれは助かるのだ。同盟に加入できたのだ。

 なすべきことは、早く片づけてしまったほうがいい。青年は教えられた医院へかけつけた。小さな医院だった。医師に会って紹介者の名を告げると、すぐ承知してくれた。

「そうでしたか。よかったですなあ。わたしの苦悩はおわかりでしょう。医師としての良心と、善人を残すという使命との、板ばさみの毎日です。注射ができる人を迎えると、うれしくてなりません。おたがいに力をあわせて、新しい世紀を築きましょう」

「あの、あまり急いで家を出たので、健康保険証を忘れてきてしまって……」

「そんなもの、いりませんよ。わざわざ記録に残し、役所に不審がられることもないでしょ。無料です。金銭めあての仕事じゃありませんよ。さあ、すぐやりましょう」

 注射液が青年の皮下に注入された。ほっとする思いが、からだじゅうにしみこむ。青年は聞く。

「きょうは酒を飲んではいけないとか、お風呂に入ってはいけないとか、注意すべきことがありますか」

「きょうは酒をやらないほうがいいでしょう。あ、もっと大切な注意があります。このワクチンの有効期間は約一年。つまり、一年ごとに注射をしなければなりません。そのあいだに除名されたりしないよう、注意なさって下さい。除名された人には、もはや注射をしてあげられません。泣きつかれ、情にほだされてそれをしたら、その医師も除名されるのです」

「そういうことでしたか。わかりました。よく注意します」

 青年は医院を出た。安心感はあるが、ワクチンの有効期間のことが頭にひっかかっている。除名されでもしたら、ひどいことになる。なにも知らずに感染して死ぬのなら、まだいい。しかし、ワクチンの効力がなくなったことを知り、いつ感染するかの恐怖におびえながら審判の日を待つとなると、こんな苦痛はないだろう。

 どんなことをしたら、除名されるのだろう。考えられる第一は、善良でないと判断された場合だ。同盟がどんな組織で、決定権をどんな人が持っているのかは知らないが、あいつは善良でないとの証拠と報告が提出されたら、除名ということになるにちがいない。

 そんなことを考えているうちに、青年は不安になってきた。あの男のごきげんをとっておいたほうがいいんじゃないかな。いいかげんな土地を売りつけようとしてたことがばれたりしたら、烈火のごとく怒るだろう。よくないことになりそうだ。

 青年は男の家をおとずれて言った。

「おかげさまで、わたしも生きがいを得ました。しかし、それはともかく、大変なことに気がつきましたので、急いでご報告にかけつけたわけなのです。つとめている不動産会社のいいかげんさが判明したのです。あの土地は、なんの価値もないところだとかで。もう少しで、あなたさまにお売りしてしまうところでした。おわびのしようがございません」

 頭を下げ、半分は正直に告白し、半分は自分に責任がないようていよくごまかし、事情を話した。しかし、男は怒るどころか、にこやかに言う。

「よく知らせてくれた。お礼はわしのほうで言いたい。きみはやはり、悪事のできる人間じゃなかった。わしの人を見る目もまちがっていなかった。きみはこの同盟の一員にふさわしい人柄だ」

「はあ……」

「その会社がどういいかげんなのか、どう悪質なのか、もっと知りたいものだな」

「はい、ご協力いたします……」

 青年はひきうけた。善良な市民同盟への報告に必要なのだろう。そのお手伝いをしておけば、それだけおれの善良さが証明されるというわけだ。

 青年は不動産会社の内情をさぐり、せっせと報告をはこぶ。商売のでたらめさ、脱税のからくり、みんな話した。

「というわけなのです。まさに悪質そのものといえましょう」

「なるほど。よし、それをたねに、金をいくらか巻きあげてやろう。悪人をいじめるのは、われわれの同盟の目的にもそう。また、同盟のための資金もいるのだ。ここが問題なのだよ。大がかりに金を集めるのなら、どこかの国家を相手に、ビールスでおどすという手もある。だが、それはことを表面化し、悪人側に対策をたてられてしまう。金で入会者を集めるわけにもいかず、同盟としてもつらいところなのだ」

「わかります」

 青年はうなずく。男は出かけ、かけあい、金を取ってきた。その一部を青年にわけてくれ、これでちゃんとした生活に戻り、審判の日を待てと言った。

 青年は男のせわで、小さな会社の事務員に就職した。収入はしれたものだが、まともな生活だった。それに、なによりも精神的な安定がある。自分は選ばれた人間なのだ。ほかのいいかげんなやつらは、要領よくやっているつもりだろうが、やがて来る審判の日には、悲惨な目にあうのだ。それを考えると、心にめばえかける現状への不満も、すぐに消える。青年は善良になったし、ずっと以前から自分は善良そのものだったような気にもなるのだった。

 気がかりな点はひとつ。なにか政治的な運動に使われるのではないかということだ。指令がとどき、無理難題を命じられたらどうしよう。ビールスで死ぬのはいやだし、意にそわぬことにかりたてられるのもいやだ。しかし、べつにそんな指令ももたらされなかった。青年は、ひとりうなずく。なるほど、これは思いすごしだったようだな。政治運動なんかする必要はないのだ。会員をふやしたり、社会改造にはげむという、古くさいやり方はしなくていい。審判の日がすぎれば、あとはわれわれの自由に、すべてが作りなおしできるのだ。

 青年の日常は、とくに景気がいいとはいえなかったが、幸福だった。やすらぎの時が流れ、やがて彼は恋をした。青年の心境にふさわしく、静かで感じのいい女性だった。しかし、審判の日のことを考えると、決意がにぶる。これ以上に恋心をつのらせたら、その時に苦しみがますばかりだ。もし結婚してでもいて、おればかりが助かるのでは……。

 ふみきる決心がつかない。彼のそのにえきらない態度に、女はひかえ目ではあったが不満をもらした。

「あなた、どういう気持ちなの……」

「じつは、ぼくも苦しみながら迷っているのだ。心から愛している。そのための苦しみなんだ」

「愛があれば、こわいものはないはずよ」

「よし、こうなったら、なんとしてでもきみと人生をともにしたい。これから、ある人のところへいっしょに行こう。善良な市民同盟にきみも加入させてもらうのだ」

 青年はとまどう女の手を引っぱり、例の男の家へ行った。そして、事情を話し、彼女の加入をたのみこんだ。

 そのとたん、男は言った。

「おい、約束を破ったな。唯一の条件だったはずだぞ、他人に話すなというのが……」

「しかし、お願いです。どうか、このわがままだけは……」

「だめだ。甘えは許されない。わしは知らん。もう、きみとはなんの関係もない……」

「心からお願いしているのですよ。彼女が善良なことは、命にかえても保証します」

「もう、なにを言ってもむだだ」

「だめだと言っても、腕ずくでも……」

「刃物をふりまわすつもりか。勝手に暴力をふるったらいいだろう。わしは殺されても平気だ。あれで苦しんで死ぬより、はるかにいいものな。そのかわり、おまえはだな、審判の日を恐怖におののきながら迎え、悲惨な運命をたどるのだ。そのことを忘れるなよ」

「あ、あやまります。お許し下さい。この女とも別れますから……」

 青年はひれ伏し、泣いてたのんだが、男はそっぽをむいたままで、返事もしてくれなかった。

 青年は力ない足どりで、その家を出る。生きながら死人になったような表情だった。おれが考えていた以上に、同盟はきびしい組織だったのだ。あの男も、情におぼれたら自分まで除名されることを知っているのだろう。だから、ああせざるをえなかったにちがいない。

 そのようすを見て、女はあきれ、あいそをつかした。わけのわからない会話をし、泣きつき、あたしと別れると口走り、そのあげく人が変ったみたいにうなだれてしまうなんて。どうかしてるんだわ、この人。

 青年の心からは平静さが失われた。すばらしい未来へむかっての舟からおろされてしまったのだ。彼の不安は高まる一方だった。注射をした時から一年目が、まもなくやってくる。無理だと知りつつ、あの医院をおとずれてもみた。しかし「そんな医師は知りません」との、そっけない返事。すでに、ここにも除名の連絡がとどいているのだろう。医院の玄関で必死にねばりつづけたら、警察に電話をかけられ、かけつけたパトカーにむりやり連れ出された。

 それでも青年はあきらめず、警察で事情を訴えた。もうこうなったら、同盟の敵側にまわってやる。なにがどうなってもいい。あのすさまじい死だけはごめんだ。警察の力で、予防ワクチンを手に入れてもらおう。

 しかし、警察は相手にしてくれなかった。

「いいとしをして、なにをうわごとみたいなこと言ってるんです。変な夢でも見たのか、酒の飲みすぎかでしょう。帰宅してよく眠ることです」

 にが笑いされるだけだった。それならばと青年は、つぎに新聞社にかけこんだ。だが、そこでもまた、いいかげんな扱いだった。ねばりにねばると、記者のひとりは、男の家に電話をしてくれたが、なんのたしにもならなかった。あの男は電話のむこうで、なんにも知らないと笑いとばしているらしかった。

 いてもたってもいられない気分。青年はなにもかも売り払い、貯金をおろし、金を持って大きな病院へと出かけた。

「お願いです。入院させて下さい。GWビールスのために、まもなく死ぬんです。助けて下さい……」

 半狂乱の口調ですべてを話し、診察を求めた。病院の医師は診察をしてくれた。料金の前払いをしてくれたとなると、患者は患者。入院をことわることもない。

 注射から一年目の日が徐々に迫ってきた。そして、過ぎた。もはやワクチンの効力は切れたのだ。恐怖はたえがたいほどになった。

 ある日、青年は自分の手を見て、皮膚が乾いているのに気づいた。あわてて大量の水を飲む。だが、皮膚の乾燥は進み……。

 救いを求めて、まわりを見まわす。しかし、医師や看護婦たちは、落着いている。青年は、はっとする。ということはだ……。

 さては、ここの医師や看護婦たち、みな同盟の加入者だったのだな。そうでないのは、おれだけなのだ。あるいは、病院のそとの街では、だれかが死にかけているのかもしれない。だが、見はなされた者は、ごく少数なのだ。みなが平然と、おれを見ごろしにする。

 かつて、同盟に加入していることによる優越した安心感が、いまや完全に逆になっている。おれだけが、みじめな死に方をしなければならないのか。暗い底なしの井戸へ落ちてゆくようだ。手を見つめなおすと、亀裂ができかかっている。

 青年は絶叫し、大あばれをした。

 青年は病室を移された。神経科のほうへと。医師たちは手当をし、それは半年ほどつづけられた。医師はくりかえして告げる。

「いいですか。あなたは、ずっと生きているでしょう。変な|妄《もう》|想《そう》にとりつかれているだけです。手の皮膚の亀裂なんか、ないじゃありませんか。ほら……」

 それを青年になっとくさせ、妄想を少しずつ取り除いていった。それがききめをあらわし、快方にむかい、やがて青年は正常に戻った。

 なおったのだ。GWビールスというありもしない病気への妄想も消えた。しかし、回復といえるかどうか。女も金も失い、借金さえ残った。それに、ずっとだまされつづけていたという屈辱感、自分のばかさかげん。正常に戻れば戻ったで、このくやしさは心の傷を大きくする。

 うらみをはらそうと男の家をたずねたが、もはやどこかへ越したあとだった。ペテン師で、ゆすりの名人であるといううわさだけが残っていた。注射をしてくれた医師もいない。どうやら、休診の日に医院にやとわれた留守番だったらしい。ぐるだったのだろう。いうまでもなく、あの一連の写真もつくりものだったにちがいない。やつは、おれを紙くずのごとく利用しやがった。なんという残酷なやつらだ。

 あの男への紹介状をくれた知人に会ってみた。「どこかのバーで名刺をもらい、手にあまるセールスマンがいたら、こっちへよこしてくれ、そういうのに会うのが趣味なんだ、と言われた。それで紹介状をあげたわけだが、どうだったい」との返事。

 うらみはどこへもぶつけようがない。青年は以前のいいかげんな生活には戻らなかった。うまれ変ったごとく、勉強に熱中し、寝食を忘れ、真剣にとりくみ……。

 ある日、あなたの家を、ある人物が訪問するかもしれない。それとも、なにかの機会でつきあいはじめるかもしれない。そいつは、巧妙にささやきかけ、アルバムを開く。

 そこには、人間が徐々に狂い、自己を押えきれなくなり、ついには自殺に至る一連の写真がはってある。そして、あなただけはこうなることから救ってあげる、それについてご相談をと切り出す……。

 それはただの、金もうけのペテンかもしれない。しかし、もしかしたら、彼があの体験からヒントを得て、狂気の時期を通過するあいだになにかをつかみ、伝染的集団催眠で人びとを狂わせて自殺に追いやる方法と、それを防ぐ特殊な方法とを現実に開発したのかもしれない。はたしてどちらなのか。それはあなたの判断にまかせるしかない。

  新しい政策

 よいの口といった時刻。わたしは伯父の家にいた。わたしの住むアパートからさほど遠くないところにある家だ。酒をごちそうになっている。わたしは酒が好きなのだ。酒が飲めるのなら、どこへでも出かけてゆく。雑談をしながら、伯父夫妻もいっしょに飲む。十七歳になるこの家の息子は、まだ酒の味を知らない。つまみをかじりながら、ジュースを飲んでいる。

 玄関のほうでブザーが鳴り、男の声がした。あいそのいい口調。

「ごめん下さいませ。ちょっとお話が」

 おしゃべりと酔いをじゃまされた。伯母は玄関に行き、不快げに応対した。

「なんのセールスマンかしらないけど、まにあってるわよ。これ以上なにかを買ったら、こっちには置き場がないし」

「そのようなご心配のないものです」

「いったい、なんのセールスマンなの」

「売春公社から参りました」

 男は答え、伯母はあわててあやまった。

「あら、そうだったの。失礼なことを言ったりして、ごめんなさい。いやにあいそがよくなったんで、あたし、かんちがいしちゃったのよ」

「公社ともなれば、利益をあげなければならない。お客へのサービスを心がけようということになったわけです。といっても、追い返せない法的な裏付けのあることは、これまでと同じですがね。だからこそ、お客さまにいやな感じを与えないよう、サービスを強調することになったのです」

「利用者にとっては、そのほうがいいわ」

「さて、奥さま。きょうはどんな相手がよろしいでしょう。バスで連れてきた連中のなかの、男性の写真のアルバムです。このなかからご指名を。ご主人には、この女性写真のアルバムを。それから、こちらにはお坊ちゃんがおいででしたね。お坊ちゃんのお相手は、このアルバムのなかからどうぞ。早いところおきめ願います」

 いやもおうもないのだ。これを拒否したら重罪になり、へたをしたら強制収容所に送られることになっている。伯父一家は健全な常識の持主であり、それぐらいはわきまえている。

「きょうはこんなところにしておくかな」と伯父が言い、伯母は「あたしはこれ」息子は「ぼくはこれでいいや」と、それぞれアルバムの写真を指さす。義務だから仕方ないとの、無感動の口調。しかし、公社員もそこまでは文句もつけられない。

 注文がきまると、公社員は道にとめてあるバスに戻り、それぞれの相手役を連れてまた室内へ入ってきた。室内を占領していては悪いので、わたしは帰ることにする。

「では、またきます。きょうはごちそうさま。このお酒のびんはもらってゆきますよ」

 そとへ出ると、となりの家では仕事が終ったらしく、公社員が家人に請求書を渡しながら話していた。

「はい、これがきょうの代金の請求書です。この金額を、月末におたくの銀行口座から引きます。預金額不足なんてことがないようにね。ここにサインを。では、まいどありがとうございます」

 自分のアパートへ歩いて帰りながら、わたしは思う。公社はずいぶん巨額な金を動かしているんだろうな。大金を吸い上げている。むかしは、おそらく有史以来だろうが、売春ぐらい課税しにくいものはなかった。まあ不可能と思われていた。それがいまや、売春の脱税はなくなってしまった。個人営業の売春が禁止されているのではないが、やるやつなどない。公社の押売り的な売春がこう間断なくおしよせているという、げっぷの出るような状態のなかでは、お客のつくわけがない。

 公社はその巨額な利益を政府に提出し、おかげでだいぶ税金が安くなった。たとえば酒の税金もいくらか下り、わたしはうれしい。世の中もよくなった。暴力団など消滅してしまった。情欲産業を政府がとりあげてしまっては、暴力団の資金源はもはや断たれたにひとしい。夜おそく街をうろつく青少年もいなくなった。あまり留守をつづけると、売春公社を忌避しているとにらまれ、いい結果にならないのだ。公社からの押売りを買ったあとの外出は自由だが、そんな気にもならないのだろう。

 わたしがアパートに帰ると、ドアのそとで公社員がひとりの女を連れて待っていた。

「いまお帰りですか。お留守なのであしたにしようかと思いましたが、ちょうどよかった。ほかの部屋のかたに配給してしまい、いま残っているのはこの女ひとりですが、これで片づけちゃって下さいませんか。わたしも助かるし、あなたも助かる……」

「よしきた」

 わたしはその女を室内に引きいれ、ベッドの上で簡単にことをすませ、送り出しながらドアのそとで待っている公社員に言った。

「すんだぜ」

「早くすませていただいて、ありがたい。最近は長く時間をかける人がへり、助かりますよ。はい、これが請求書。こういう書類はなくさないよう願いますよ。税金の経費控除の時に必要ですから。では……」

 この街区の仕事がすんだのか、売春公社のバスは去っていった。|淫《いん》|蕩《とう》なメロディが遠ざかってゆく。室の窓からそとをながめると、商品広告のネオンが|卑《ひ》|猥《わい》な図形を夜空にきそいあって点滅している。もっとも、淫蕩とか卑猥とか感じたのは最初のうちだけで、いまはだれもそんなふうに感じはしなくなっているのだろうが……。

 わたしはベッドの上にもどり、伯父の家から持ってきた酒を飲みながら、ぼんやりと考えごとをする。なんということなしに、あの日のことを思い出す。

 当時、わたしはあるテレビ局のディレクターだった。生放送のショー番組の担当だった。しかし、どうにも視聴率があがらず、それで頭を痛めていた。上部からは視聴率を高めろと強い命令。「それなら裸を出すしかありません」と答えると、それに対してはうやむや。それをやった場合の世論の反撃がこわいのだろう。いくじなしめ。だったら視聴率に文句をつけるなってんだ。

 しかし、低視聴率は自分にとっても不快なことだ。やはり、さりげなく、いとも芸術的に裸のシーンを|挿入《そうにゅう》するのがてっとり早いんだろうな。出演者にリハーサルをやらせながら、わたしは台本をめくり、どこにそれを加えようかと考えていた。自己の責任で決行してしまおう。批難もあるだろうが、なかには、よくぞタブーに挑戦した、あれは芸術だと、進歩的紋切り型であってもほめてくれるやつがいるかもしれないものな。だが、こういうことは、なかなか勇気がいることなのだ。わたしは迷っていた。

 その時だった。

 スタジオのなかに、兵士たちがどやどやと乱入してきた。彼らの階級がどうなのかわたしには見当がつかなかったが、兵士たちであることはたしかだった。兵士姿のタレントであるか、本物の兵士であるかぐらいは、ディレクターであるわたしにわかる。みなが手にしている銃が小道具でないことも。|呆《ぼう》|然《ぜん》としていると、一隊の指揮者らしいのが腰の|拳銃《けんじゅう》をいじりながら言った。

「この番組の責任者はだれだ」

「わたしです。どんなご用ですか」

「われわれは社会の現状にあきたらず、同志が計画し、改革のために決起した。クーデターだ。すでに都市を制圧、政府の権限を掌握した。各マスコミ機関にむかっても同時に行動をおこし、このテレビ局はわれわれの部隊が完全に占拠したというわけなのだ」

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