しかし、死は訪れてこず、暗黒と静寂にとじこめられた時間は、いつ終るともしれずつづいている。頭脳は働きたがっている。世のために性的な妄想を避けることは、さほど苦痛ではなかった。べつなことに思考の重点を移せばいいのだから。
わたしは酒についての思い出をなつかしんだ。酒はよかったなあ。わたしはアルコールむきの体質なんだろうな。それへの熱望だけは、いまだになくならない。いや、ますます強くなるばかりだった。酒、酒、酒。世の中に酒があふれんばかりになればいいのに。みながたえまなく酔っぱらい、にぎやかに毎日をすごす社会なんて、いいじゃないか。悪いことはないはずだ。酒こそ人類の連帯であり、愛であり、文明の原点であり、機械化時代から人間性をとりもどす唯一のものだ。すべてがなごやかになり、戦争に突入する心配だってなくなるだろう。平和のためなのだ。クーデターでもやって、あらゆる飲食物にアルコールをまぜるよう指令し……。
わたしの頭のなかの図は、しだいに鮮明になってゆく。時どき反省もする。こんな妄想をいだいたら、思念の波がひろがって現実化するのではないかと。しかし、わたしの頭のなかでは、酒への妄想はすでに定着し、育ちつつあるのだ。それに、ほかにどんな妄想を楽しめばいいのか、わたしには考えもつかないのだ。もう、どうにでもなれだ。わたしは酒への妄想にひたり、それを追い求め、さらにリアルにし、はなやかにし、強め深める。社会では第二のクーデターが進行しているのだろうか。そうだったらいい。わたしは心からそれを祈りつづける。なぜって、もしかしたらそのうち酒革命の委員会が、病人用の流動食にも酒をまぜよとの強制命令を出すかもしれない。わたしの口に酒が入るようになるかもしれないではないか。
そして、だれも……
飛びつづける宇宙船のなか。ここに乗り込んでいるわれわれは、新しい惑星を発見するという目的を持って、地球を出発した探検隊だ。
宇宙空間の旅ぐらい退屈なものはない。窓のそとの光景は、星々が無数にきらめいているだけで、いっこうに変わらない。いかに美しいながめでも、こういつまでも同じでは楽しむ気分など消えてしまう。また、夜や昼といった区切りがなく、季節の変化だってあるわけがない。ちょうど、時の流れが停止してしまったような感じ。
そんな状態のなかで、われわれはぼんやりと生活している。しなければならぬこと、いそがしさ、そんなものはなにもないのだ。
隊員は全部で五名。私は副長という職にある。ここでの最高責任者はもちろん隊長で、彼は宇宙船の船長でもある。そのほか、第一操縦士、第二操縦士、通信士が乗っている。いずれも男性で、健康で、優秀な能力の持主ばかり。自分をほめていることにもなってしまうが。
隊長はどちらかというと口やかましい性格で、つまらないことをいちいち注意する。隊長という立場上いたしかたないのだろうが、宇宙船のなかでは逃げかくれすることもできない。うけたまわっておく以外にない。もっとも、私はこつをのみこみ、なにか言われたら、さからうことなく「はあ、はあ」と聞き流している。ほかの者たちもそうだ。
長い時間の退屈をまぎらすため、われわれはトランプで遊ぶのが日課だ。何百回となくやった。もしかしたら、何千回になるかもしれない。そして、このところ私は大きく負けている。その分だけ勝っているのが通信士で、私はいっこうに取りかえせないでいる。これまた面白くないことだが、腕前のちがいなのだからあきらめるほかはない。
それ以外には、事件らしきことはなにもない。なにしろ長い長い旅なのだ。平穏で無変化な生活の連続。地球上についての思い出も最初のうちは話題になったが、いまはもう話しつくし、だれも口にしなくなってしまった。
といって、これからのことに関して議論することもない。新しい惑星の発見が目的なのだが、それがはたして存在するのかどうか、なんとも断言はできないのだ。飛びつづけているこの方向に、惑星がない場合だってありうる。途中でむなしく引きかえすことになるかもしれない。
だから、議論に熱が入らないのだ。あまり期待しすぎると、なかった場合の失望も大きくなる。それに、仮定の上に立った議論では、発展のしようもない。
というわけで、ただただ、なんということのない生活がくり返されてゆく。あばれたり叫んだりしても意味がないと、だれもが知っているからだ。
その時もいつものようにトランプをやっていたのだが、私はふと気がついて言った。
「隊長はどこへ行ったんだろう」
「そういえば、さっきからいないな。きっと、トイレでも行ったのだろう」
だれかが答え、しばらくトランプがつづいた。私はまた通信士に大きく取られた。しかし、隊長はなかなか戻ってこなかった。第一操縦士が言う。
「それにしても隊長、時間がかかりすぎるな。腹でもこわしたのだろうか。ちょっと見てこよう……」
彼は席を立ち、やがて戻ってきて、首をかしげながら言った。
「……トイレにはいなかった。水でも飲んでいるのかと調理室をのぞいたが、そこにもいない。いったい、隊長はどこへ行ったのだろう」
「どこにもいないなんて、ありえないことだ。よくさがさなかったんだろう」
私はそばのスピーカーに口を当て、くりかえし呼んでみた。
「隊長、どこですか。応答願います」
その声は、船内のどの部屋にもとどくことになっている。われわれは耳をすませた。しかし、どこからも隊長の声はかえってこなかった。一瞬みなは青ざめた顔を見つめあった。通信士は私に言った。
「隊長になにか起こったのでしょうか。どうしましょう」
「手分けしてさがそう。なにかにぶつかって気を失い、倒れているということも考えられる」
われわれ四人は担当の区域をきめ、それぞれ隊長の姿を求めて船内を歩きまわった。私のさがした部分にはいなかった。われわれは最初の場所にふたたび集合し、報告を持ちよった。だれの答えも同じだった。
「隊長の姿は見当たりません」
しかし、隊長がいなくなるはずはないのだ。たぶん、だれかのさがし方がいいかげんだったのだろう。だれも、そんな目つきでほかの者をながめている。仕方がないので、私は提案した。
「では、こんどは、みんないっしょにさがしまわろう。見落しがないよう、しらみつぶしにさがすのだ」
われわれは一団となって、部屋から部屋へとまわった。机の下だの、戸棚のなかだの、装置の裏側だの、人のはいれそうな場所はすべてのぞきこんだ。
しかし、どこにも隊長の姿はない。資材貯蔵室のドアをあけ、そのなかも調べてみた。着陸しない限り用のない部屋で、そのなかにいるとは思えなかったが、万一ということもある。しかし、そこにもいなかった。何回か呼びかけてもみたが、答える声はかえってこなかった。
どうもおかしい。形容しにくい、いやな予感が私の背中を走り抜けていった。それは私ばかりではなかったようだ。第二操縦士が口ごもりながら言った。
「あの、宇宙船のそとに出たということは、考えられないでしょうか」
船内にいなければ、船外ということになる。しかし、宇宙船のドアというものは、ひとりで簡単にあけて、そとへ出られるようにはできていない。各人が配置について、エアー?ロックの二重ドアを操作しなければ、絶対に開かない。いかに隊長でも、勝手なことはできないのだ。
「まあ、考えられないな。しかし、念のためだ。調べてみよう」
私は船外に出るドアを調べてみた。ドアがあけられたあとはなかった。また、船外へ出ている者があれば、その人数だけライトのつくしかけもあるのだが、そのライトはひとつもついていなかった。
さらに私は、宇宙服のおいてある部屋をのぞき、数をかぞえた。そこには予備のもいれて十着の宇宙服があり、ひとつもへっていない。船長が宇宙船のそとに出たということは、ありえない。しかし、船内についてはさっきくまなく調べ、どこにも姿を発見できなかった。どういうことなのだ、これは。
しばらく沈黙がつづいた。やがて、だれかがふるえ声で言った。
「隊長はどうしたんでしょう。覚悟のうえの自殺なのでしょうか」
「かりに自殺だったとしても、死体がどこかになくてはならない。電子レンジを使えば焼いて灰にすることもできるだろうが、小さすぎて人間ははいれないし、さっきのぞいたら灰もなかった。それに、隊長は自殺するような性格の人ではない。しかし、なにか手がかりがつかめるかもしれないから、隊長の机の引出しを調べてみるとするか」
と私は言った。隊長に万一のことがあったら、副長である私が指揮をとらなければならない。記録書類のたぐいを引きつぐ必要もある。引出しのなかを調査する権利もあるというわけだ。
みなを立ち会わせ、隊長の机の引出しをあけ、私は思わず意味のない叫び声をあげた。そこにはなにもはいっていなかったのだ。どの引出しのなかも、すべてからっぽ。書類一枚、歯ブラシ一本、爪切りバサミひとつなかった。隊長に関連したものは、なにひとつない。ちょうど、この宇宙船には最初から、隊長が乗っていなかったといった感じだった。
通信士は目をこすり、不安そうな声で言った。
「こんなことって、あるんだろうか。信じられない。隊長はさっきまで、たしかにわれわれといっしょにいましたよ。ね、そうでしょう」
だれもかれも同じ思いだった。みな、うなずきあう。しかし、隊長がいたことを証明できるものは、なにひとつないのだ。からっぽの引出しを見つめていると、なにが信じられるのかわからなくなってくる。
「どうしましょう、これから……」
第一操縦士、第二操縦士、通信士の三人が、私を見つめながら言った。隊長が消えてしまったとなると、指示を出す責任者は私ということになる。
しかし、この予想もしなかった事態に、私はなんと言ったものか、すぐには対策の案も浮かんでこなかった。隊長があらわれてくれるように、心から祈った。口うるさく、やかましいやつだと反感を持ったこともあったが、いなくなってみると、いい点だけが思い出される。私なんかより、判断力や統率力ははるかに上だ。しかし、隊長をなつかしがって、だまったままでいるわけにもいかない。
「人員が消えるなど、ありえないことだ。きっと船内のどこかにいるはずだ。どこか見落としているにちがいない。もう一回、手分けして調べることにしよう。なにか異状を発見したら、大声で知らせるのだ」
ふたたびその作業が開始された。これで三回目だ。第一操縦士、第二操縦士が私に報告した。
「船内に異状なしです。しかし、隊長はどこにもおりません」
だが、いくら待っても通信士は戻ってこなかった。私は腹を立てた。
「あいつ、悪ふざけをしているな。ふざけてる場合じゃないぞ。とんでもないやつだ。なにをぐずぐずしている」
そして、マイクをつかんでどなった。
「おい、通信士、早く戻ってこい……」
しかし、どこからも返答はなかった。ぶきみな静けさだけが、あたりにただよっている。しばらく待ち、私はもう一回どなってみたが、やはり同じ。やつはどうしたんだろう。もしかしたら……。
われわれ三人は、船内をひとまわりしてみた。だが、通信士の姿はどこにもない。最後に彼の机の引出しをのぞき、われわれはぞっとした。隊長のと同様、そこにはなにもなかったのだ。さっき、隊長の机のからっぽなのを知って、ふるえ声で叫んだ通信士。その机のなかがこうなっているとは……。
冗談にしろ、こんなことをやるひまはなかったはずだ。いったい、通信士のやつめ、どこへ行ってしまったのだろう。トランプの勝負で、私の負けたぶんだけ彼が浮いているという点は不愉快だったが、いざ消えてしまうと、彼がいかにかけがえのない人物だったか、身にしみてわかる。通信機を扱う技術は、だれでもいくらかは持っているが、彼にくらべればはるかに劣るのだ。
私は第一操縦士と第二操縦士に、緊張した声で言った。
「これは、ただごとではない事態だ。しかし、なぜこんなことになったのか、さっぱりわからない。想像できる原因について、なんでもいいから発言してくれ。どんなことでもいい……」
「笑われるかもしれませんが、宇宙人のしわざじゃないでしょうか。彼らにとっては好ましくない宇宙船、つまりこの船のことですが、それを発見した。そこで特殊な方法、金属をへだてても作用を示す殺人光線のようなもので、まず隊長を消し、つぎに通信士を……」
「なるほど」
私は第一操縦士の意見にうなずいた。ばかげた説ではあるが、そうではないという証明もできない。第二操縦士はこんなことを言った。
「特殊な宇宙ビールスという仮定はどうでしょう。それがかすかなすきまから船内にはいり、それに感染すると、たちまちのうちにからだがとけて消えてしまうというのは……」
「考えられないことではないな。しかし、服もろとも消えてしまっているのだ。さらに、机のなかの所持品までなくなっている。宇宙人のしわざにしろ、ビールスにしろ、この説明には困るぞ」
と私は疑問を提出した。そして、内心でひそかにこうも考えてみた。なんらかの作用で、私に超能力がそなわったという仮定はどうだろう。口のうるさい隊長のやつ、いなければいいのに、と思ったとする。すると、それが現実となって、関連した物品もろとも消えてしまう。また、トランプで勝ちつづける通信士に対しても、面白くないやつだと腹を立てると、それもまた現実となって、彼は存在することをやめ……。
しかし、そのことを口にする気にはなれなかった。不意に超能力をそなえたのが、私でない場合だってある。いずれにせよ、この際、気まずい気分をひろめることはない。
われわれはそのほか、思いつくことを、かたっぱしから話しあった。空間のゆがみを通過したため、べつな次元に消えていったのではないか。時間の流れを乱す力が作用し、過去か未来へ押し流されたのではないか。
あるいは、記憶喪失のような一種の狂気によって、われわれに精神的な盲点ができたのではないか。そのため、隊長と通信士の存在をみとめることができなくなったということはないだろうか。
意見はいろいろと出たが、たしかめようのないものばかりだった。ただのおしゃべりと実質的には変りない。私は決断を迫られているのだ。これからどうすべきなのか、それをきめるのは私なのだ。
ほかの二人は、私をみつめ指示を待っている。ぼやぼやしてはいられないのだ。このままだと、事態はもっと悪化しかねない。私は言った。
「原因はさっぱりわからないが、異常な危険に直面していることはたしかだ。こうなったからには、地球へ引きかえそう。進みつづけようにも、こう人員がへったら、かりに惑星をみつけたにしても、探検の目的を達することができない。ひとまず地球へ戻ろうと思う。どうだろう」
「賛成です」
と第一操縦士は指示に従い、操縦室に入り、装置を動かそうとした。しかし、すぐに悲鳴のような声をあげた。
「これは、どういうことなんだ。装置がまるで働かない。これでは方向を変えることもできない」
「おい、本当か。なぜなんだ」
私が聞くと、第一操縦士が言う。
「わけがわからない。こんなはずはないのだが。電気回路かなにかに故障が起こったのだろうか。点検をする必要があります。手伝って下さい」
「いいとも。急いでやろう」
私は宇宙船の中央部にある管制室へ行き、第二操縦士は後部の燃料室へと行った。おたがいにマイクで連絡をとりあう。
「管制室、どうですか」
と第一操縦士。
「異状なしだ」と私。
「燃料室も異状なし」と第二操縦士。
どこにも異状はないようだ。となると、宇宙船が操縦不能におちいった原因はなんなのだろう。私は聞きかえした。
「操縦室、なにかわかったか」
しかし、その返事はなかった。くりかえして聞いたが、やはり同様。私はいやな胸さわぎを感じ、操縦室へと急いだ。そこに第一操縦士の姿はなかった。
「おい、どこへ行ったんだ。早く故障部分を発見しなければならないんだぞ」
私は大声をあげる。
「ここです。どうしました」
答える声があった。しかし、それは燃料室から戻ってきた第二操縦士だった。私は彼に言う。
「どうもこうもない。こんどは第一操縦士が消えてしまった。いま、ちょっと離れたすきにだ。もうなにもかもめちゃめちゃだ。手のつけようがない」
「どこへ、なぜ消えたんでしょう」
「わかるものか」
私は首を振って言った。しかし、さっきちょっと考えた、私に超能力がそなわったせいかもしれないという仮定はくずれた。これまでに私は、第一操縦士に対していやな感じを抱いたことは、まったくなかったからだ。
その点、いくらかやましいような気分はなくなったというものの、喜ぶべきものでないことはいうまでもない。事態は一段と悪化しているのだ。
私と第二操縦士、宇宙船のなかには、もう二人しか残っていないのだ。それだけでも心細いのに、操縦装置がおかしくなっている。引きかえすことは不可能だろう。宇宙船は、ただ進みつづけるだけなのだ。絶望にむかって進みつづける……。
事態の好転することは考えられない。悪くなることはあってもだ。第二操縦士は言った。
「もっとひどいことになりそうですね」
「ああ……」
その覚悟はしておいたほうがよさそうだ。つまり、このままだと、さらに犠牲者の出ることもありうるわけだ。いままでの経過から予想される。
となると、つぎに消えるのはだれなのだ。だれの番だろう。私か第二操縦士のどちらかだ。第二操縦士だろうか。かりにそうだとしても、いいことは少しもない。
そのつぎは、いずれにせよ確実に私なのだ。消えたあとは、どうなるのだろう。どこへ消えるのだろう。それが死を意味するものなのかどうかも、それすらわからない。また万一、私だけが消えることなく残ったとしても、ろくなことはない。操縦不能におちいった宇宙船のなかに、私ひとりという状態になるのだ。宇宙のはてまで流されつづけるのだ。
この異常事件の報告書を作って残しても、だれに読まれることもないだろう。ひとりになってしまったら、孤独にたえられなくなって、頭がおかしくなるかもしれない。あるいは自殺をえらぶかもしれない。
消えてしまった連中のことを考えると、なつかしさでたまらなくなる。どこへ消えてしまったのだ。もし彼らが戻ってきてくれれば、私はどんなことでもする。私は第二操縦士に言った。
「まるでわけがわからんが、残ったのはわれわれ二人になってしまった。気をつけよう」
「どう気をつければいいのでしょう」
「それもわからん。これからは決して単独行動をとらないようにしよう。おたがいに、そばを離れないことだ」
「それで大丈夫でしょうか」
「しかし、ほかに注意しようがない」
たしかにそうなのだ。目に見えぬ魔の手を防ぐのに、そんな方法ではだめかもしれない。われわれは非常装置のボタンを押してもみた。前方に物体を発見した時に使うもので、逆噴射で速力を落とすためのものだ。しかし、その効果もなかった。宇宙船は静かに進みつづけることをやめない。第二操縦士は寒そうな身ぶりで言った。
「不安でたまりません。皮膚がぞくぞくします。どこからか、なにものかにねらわれているのだと思うと、落ち着きません。宇宙服を着ませんか。なにかを身につけていれば、いくらか安心感がえられるかもしれない」
「それもそうだな。役に立つという保証もないが、やってみよう。持ってきてくれ。いや、いっしょに行こう。はなればなれになるのは危険だ」
私たちは宇宙服のおいてある部屋に行った。それを身につける。しかし、こんなことで、消えるのが防げるのだろうか……。
その時。カチッというような音を、私は聞いた。音といっても、普通の音ではない。頭の奥のほうで鳴ったような音。なんだろう。それと同時に私はめまいを感じ、床の上に横たわり……。
どれくらいの時間がたったのだろう。見当はつかなかったが、そう長い時間ではないようだった。眠いような気分。私の耳に人声が聞こえてくる。
「おい、起きろ」
「さあ、目をあけてコーヒーを飲め」
などという声だ。聞きおぼえのある声。私はまぶたに力をいれ、目をあけた。それから、まわりで私を見おろしている人たちの顔を見た。その人たち……。
隊長、通信士、第一操縦士がそこにいるではないか。私はこみあげてくる喜びを声にして言った。
「あ、みなさん、戻ってこれたんですか。よかった。一時はどうしようかと思いましたよ。なにしろ隊長からはじまって、ひとりずつ消えていったんですから。しかし、よく戻れましたね。いったい、どこへ行っていたのですか」
「まあ、その説明はあとにして、まずコーヒーでも飲んで目をさますことだな」
隊長は言った。だれかがコーヒーをさし出し、私はそれを飲んだ。濃く熱いコーヒー、それによって私のねむけはさめ、頭はしだいにはっきりしてきた。私はからだを起こし、あたりを見まわす。そのなかに、第二操縦士の姿だけがなかった。
「第二操縦士はどうしたんです。あいつがいないようですね。みなさんが戻ったかわりに、こんどは彼が消えてしまったということですか……」
「いやいや、そう心配することはない。彼だって、まもなく姿を見せるさ。目がさめたらね」
と隊長が言う。私は聞きかえす。
「目がさめたらって、彼はまだ眠っているというわけですか」
「そうだよ」
「というと、わたしも今まで眠っていたということですか」
私の質問に隊長はうなずく。
「そうだよ」
「ずっとですか」
「そう、ずっとだ」
「いったい、いつから眠っていたのです」
「地球を出発してからだ」
「すると、いままでのはみな夢だったということになるのかな。しかし、どういうことなんです。説明してください」
私が言うと、隊長が話し始めた。
「われわれは地球を出発して以来、宇宙船のなかでずっと眠りつづけだった。今回の宇宙旅行は、これまでのにくらべ、はるかに長い距離を飛ばなければならない。そのため、乗員たちは全員、人工冬眠の状態にならなければいけなかった」
「そういえばそうでしたね」
「乗員がみな、冬眠状態にあっても、宇宙船の計器類は正確に働き続けている。そして、レーダーが前方に惑星らしきものがあることをキャッチし、まず私に連絡し、自動的に私の目をさまさせた。私は目ざめ、これを自分の頭からはずしたというわけだ」
隊長はそばにあるヘルメット状のものを指さした。ただのヘルメットでなく、精巧な感じを与えるもので、一端からコードが伸びていた。私は聞く。
「なんでしたっけ、それは……」
「夢を見せる装置だよ。夢なしで長い長い時間を眠りつづけると、脳細胞の働きがおとろえ、頭がぼけてしまう。といって、各人がそれぞれ勝手な夢を見ると、目ざめたあと気分の統一に時間がかかり、すぐ仕事にかかれない。その問題を解決するために開発された装置だよ。みながヘルメットを頭につけて眠ると、おたがいのヘルメットはコードで連絡されていて、だれもかれも共同で同じ夢を見る」
隊長の手にしているヘルメットのコードは、部屋の端にある四角い金属製の装置に伸びていた。そこからは、コードが私のほうにもきている。私は自分の頭に手をやる。ヘルメットがあった。それをはずし、ながめてうなずきながら私は言った。
「そうでしたか。ずっとこれで夢を見ていたというわけか。われわれは自分たちみんなが参加し出演している夢を、それぞれが見ていたのですね」
隊長は答える。
「そういうことだ。しかし、まず私が目ざめ、ヘルメットをはずした。そのため、共同の夢のなかから私が消えたというわけだろう」
「そういうことになりますね。どうりで、いくらさがしまわっても隊長を発見することができなかったわけだ」
「もっとも、私としては、夢の世界から自分が消えることになるとは知らなかった。これはあとから知ったことだよ。さて、私はレーダーを調べ、前方に存在するのが惑星らしいと判断した。それを確認するため、通信士に詳しい測定をやってもらおうと思った。そこで、彼のヘルメットのスイッチを切り、起きてもらった」
「そうでしたか」
「測定の結果、未知の新しい惑星であることがはっきりした。われわれはそれを目ざさなければならない。そのためには、宇宙船の進路を少し変更しなければならない。私は、つぎに第一操縦士に起きてもらった。起きてもらうたびに、夢の世界での消失さわぎを聞かされた……」
「だんだんわけがわかってきました。しかし、そういうしかけとは、出発前に聞きませんでしたね。もっとも、聞いていたとしても、その記憶は夢の世界まで持ち込めなかったでしょうが。すっかり驚かされてしまいましたよ。わけもわからず、ひとりずつ消えていったんですから。まさに悪夢だ。目がさめずにあの夢が続いていたら、気が変になっていたかもしれない」
私は息をついた。だが、隊長は手を振って言う。
「いやいや、そんなことはないさ。あくまで夢の中のことだからな。悪夢を見たのが原因で頭がおかしくなったやつはいないよ。むしろ、少しぐらい悪夢だったほうが、目がさめてからほっとし、いい作用を残すといえるかもしれない」
「そうかもしれませんね……」
と私はひとりごとのように言った。ひとりずつ消えていった時さびしくてならなかった。消えていった者たちの長所ばかりを思い出し、欠点は忘れてしまった。戻ってきてくれと心から祈ったものだ。現に今の私も、みなに会えたうれしさで、心は喜びにあふれている。
そのうち、私は思いついて言った。
「あ、それはそうと、第二操縦士を早く目ざめさせてやりましょう。おそらく彼は、いま夢のなかでたったひとり、恐怖にふるえているはずですよ」
「そうだな、そうしよう」
隊長は言う。われわれは第二操縦士の眠っているところへ行った。彼はヘルメットをかぶり毛布にくるまって眠っている。この毛布は体温を下げ冬眠状態にする作用を持つものだ。隊長は指でスイッチを切る。それとともに毛布の温度はあがり始め、ヘルメットは口のあたりに薬品の霧をただよわせる。それらによって冬眠からさめるのだ。
第二操縦士は低くうめき声をあげている。夢は終わったが、孤独の不安感がつづいているのだろう。みなは彼に声をかけ、からだをたたく。
「さあ、しっかりしろ。起きるんだ」
やがて、彼は細く目をあけ、まず私を見つけ、そして、言う。
「ああ、副長。ぶじだったんですね。どうなったかと、息のとまる思いでしたよ。なにしろ宇宙服のなかから、とつぜん消えてしまったんですからね。ぞっとしてしまいました……」
彼はまわりを見まわし、ほかの者もいることを知る。
「……全員ぶじだったのですね。いったい、これ、どういうわけですか」
彼は変な声をあげた。だが、だれも笑わなかった。それに対して私は、さっき私がされた説明をしてやった。事情がわかるにつれ、第二操縦士は安心し元気づいてきた。
「なるほど、わかりました。悪夢が終わってほっとしましたよ。みんなとは、二度と会えないんじゃないかと、死ぬよりさびしい思いでしたが、ここで、またいっしょに仕事ができるんですから。どんな困難な仕事でも、あの孤独感よりはずっといい」
私は内心で、あらためて考える。あの、夢を見せる装置、うまくできていやがる。終りのほうでちょっと悪夢に仕上げ、目ざめた時に、みなの心に協力しあおうという感情をうえつけてしまうというわけだ。気をそろえてすぐ仕事にかかれるように……。
ばらばらの夢だったら、こうはいかないだろう。同じ夢だったとしても、同時に目ざめたのでは、これまただめだ。ひとりずつ目ざめさせるところが効果的なのだ。だれが開発したのかしらないが、うまいしかけだ。
前方の未知の惑星は、しだいに近づきつつある。宇宙船内には活気がみちてきた。隊長はきびきびした口調で命令する。そして、だれもが自分のなすべきことをはじめた。
収 容
夕ぐれの部屋のベッドの上。久美子の若々しい肌は白くなめらかで、ほのかな|匂《にお》いと輝きにみちている。窓のそとの静かで深い湖も神秘的だが、彼女のからだの神秘さもそれに劣らない。私はその肌に口づけをくりかえす。すると、そのあとはかすかに色づき、いくつもの花びらが散ったようになる。彼女はかわいらしいハトのような声をもらした。
すばらしいのは、なにも肌だけではない。肩も腕も、胸から腹にかけても、すべて弾力にみちた微妙な曲線で構成されている。ただよう霧、ゆれつづけるかげろう、春のそよ風のように、やわらかな優雅な動きをみせている。
いうまでもなく、顔も美しい。長い髪、感情にみちた形のよい唇、きれいな歯。つまり、どこもかしこも魅力的なのだ。私の目にだけそううつるのではない。
たいていの男は久美子を見ると、一瞬はっとしたような表情になり、それから彼女のからだに好色の視線をそそぐのだ。私のいらだたしい気分をわかっていただけるだろう。久美子をそういういやらしい連中の目にさらしたくない。彼女がもう少しみにくければいいのに。時どき、久美子の顔をめちゃくちゃにしてしまいたい衝動にかられる。だが、いくら激情が高まっても、私はそれほどのばかではない。美しいからこそ彼女は貴重なのだし、私がこうも夢中になる理由もそこにあるのだから。
久美子には浮気っぽい性格があるようだ。私にかくれて、へんな男とつきあっているのではないだろうか。男ならだれだって、久美子をくどいてみたくなるだろう。そんな時、彼女はどんな応答をしているのだろう。それを空想すると、私の内心は嵐の海のようになる。
私以外のだれかとつきあっているんじゃないのか。そう聞いてみたいところだが、なんの保証にもなりはしない。「そんなことないわよ。あたしが愛しているのは、あなただけ」との返事がいつもかえってくる。本当なのかどうか、それを確認する方法はない。だが、私はそれを知りたくてならず、久美子の目の奥をのぞきこむ。もしかしたら、そこに見知らぬ男の影が宿っているのではないかと。
あまり見つめると、久美子は恥ずかしげに笑いながら、まぶたを閉じてしまったりする。かわいらしいしぐさ。私はだきしめる。疑惑があるからこそ愛があるのだろう。私は三十歳、金もあり|容《よう》|貌《ぼう》だって悪くはないつもりだ。だが、たまらなく不安なのだ。
ここは高原地方の湖のそばにある小さな山小屋。林にかこまれていて、久美子と二人ですごすにはいいところだ。都会のなかとちがって、久美子にふりそそぐ男の視線が少なく、私もそれだけ気が落着く。
「久美子、お酒は……」
と私が言うと、彼女はうなずいた。
「いただくわ」
久美子のからだはほんのりと、さらに悩ましげに……。
暗くなりかけた窓のそとで、物音がした。耳なれない音。木や草の葉がこすりあわされるような音。だが、風のたてる音でもない。リスが走りまわる音でもない。といって、人の足音でもない。しかし、なにかが動いている音であることはたしかだった。そして、それはこちらに忍び寄ってくる。
「なんの音なの。あたし、こわい……」
久美子は小さな声で言い、急いで下着をつけ、私にだきついてきた。からだのふるえと激しい|動《どう》|悸《き》とがはっきり伝わってくる。もちろん私だってこわい。だが、彼女をそのままにして逃げるわけにはいかない。彼女は私の宝であり命なのだから。久美子をだきよせ、私は息づまる緊張のなかで待った。
そとの物音は、山小屋のすぐそばまで迫った。強い力がドアを内側に押し倒し、なにものかが侵入してきた。
「乱暴なことはよして下さい。警察へ電話しますよ」
私はせい一杯の声で言った。あくまで久美子をかばわなくてはならず、彼女の前でいくじのない態度はとれない。しかし、そんなことを気にかける必要はなかった。侵入者の姿を一目みて、久美子は私の腕のなかでぐったりとした。気を失ってしまったのだ。
私もそれをよく見た。あらわれたのが幽霊だったら、どんなにいいだろう。そんな思いが頭をかすめた。白っぽい軟体動物がそこにいた。大型のカタツムリといったところだった。長さは二メートルぐらいあるだろうか。こっちにむかって前半身をもたげている。
背中には殼をしょっている。長い触角のつき出た頭。それは床をゆっくり滑りながら近づいてくる。私は目をつぶった。目を閉じたからといって消えてくれるわけではない。やがて、そいつが私にさわった。ぬらぬらしたつめたさ。悲鳴をあげながら、私もまた気を失った……。
意識がもどってきた。こわごわ目を開くと、そこはどこかの室内の大型のベッドの上だった。そばには久美子が横たわっており、私はほっとした。彼女はまだ気を失ったままだ。よほどショックが強かったのだろう。
天井からはほどよい明るさの照明がふりそそぎ、窓にはカーテンがかかっている。もっとよくあたりを見ようと思い身を起すと、部屋のすみにあの大きなカタツムリがいた。
やはりいい感じではなく異様そのものだが、二度目ともなると気を失うほどの恐怖ではない。それに、私たちに危害を加えないらしいと推察できた。好奇心がめばえる精神的な余裕ができた。なにが起ったのだろう。どういうことになったのだろう。
室内の家具の色や形や材質など、はっきりと指摘はできないが、どこか普通とちがうものが感じられる。なぜこんなところに運ばれてきたのか見当もつかない。私はつぶやくように言った。
「ここはどこなんだろうな……」
すると、カタツムリが答えた。
「ここは宇宙空間」
私はベッドからかけおり、窓のカーテンをあけてのぞいた。星々がいちめんにきらめいている。深い暗黒のなかに散る、またたかぬ星々。ここは宇宙空間に浮ぶ物体の内部らしい。ゆるやかに回転することにより、床に重力が発生しているようだった。カタツムリが口をきいたことより、宇宙にいることの驚きのほうが大きく、私は見つめつづけた。
回転するにつれ、窓のそとの星々も一巡した。しかし、そこには月も太陽もなく、地球らしい星もなかった。どうやら、太陽系をはなれた宇宙空間のただなからしい。
「なぜ、こんなところへ……」
私が言うと、カタツムリが答えた。