饭饭TXT > 海外名作 > 《なりそこない王子/乞丐与王子(日文版)》作者:[日]星新一【完结】 > 星新一_日文版_なりそこない王子.txt

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作者:日-星新一 当前章节:15371 字 更新时间:2026-6-16 00:33

「わけを話そう。おまえたちはもう逃げられない。いやだと言っても、どうにもならないことなのだ。あきらめてもらおう。われわれはワジャ惑星の者だ。おまえたちとは体形がずいぶんちがう。おまえたちはわれわれを見て不快だろうが、われわれもおまえたちを見ると不快になる。それは主観の相違。客観的なちがいは、われわれのほうがはるかに科学力でまさっている点だろう」

「…………」

「ところで、ワジャ惑星は人口増加で困っている。地球という惑星をいただきたいのだ。いや、いやだと言ってもやめる気はない。その計画達成のため、どのような作戦をとるべきか研究しなければならぬ。地球に接近し観察をつづけた。言葉を話せるようになったのは、その時に受信した電波を分析した結果だ……」

「それにしても、こんなところへ……」

 と私は無意識のうちに久美子をかばいながら抗議の思いを口にした。

「おまえたち、どうされるかと心配なのだろう。しかし、そうこわがることはない。危害を加えるつもりはないのだ。ここで生活をつづけてもらいたい。食料も水も充分に用意してある。地上よりはるかに清浄な空気がここにある。病気になることもないだろうが、万一の時のために万能薬もそなえてある。ほかになにか欲しいものがあったら、申し出てくれ。われわれが作って提供する」

 しだいに事情がわかってきた。私は言う。

「なるほど、くわしく調査するための実験動物というわけなんですね」

「まあ、そう思ってもらいたい。不満か」

「いや……」

 普通の人なら屈辱感で耐えられぬ気分となるかもしれない。しかし、久美子と二人だけでいられるのだと思うと、私にはいくらか救いだった。正直なところ、うれしさもあった。カタツムリはさらに聞く。

「おまえたちは二人とも健康体か」

「肉体的な欠陥はなにもありません」

 その答えを確認するためか、相手は私の顔に霧のようなものを吹きつけ、もう一回聞いた。自白剤かなにかだろう。私が同じ答えをくりかえすと、相手は満足したらしかった。カタツムリはその質問をやめ、私と久美子からそれぞれ下着をはぎとった。

「地球から身につけてきた物品は全部とりあげる。変なものを持っていられては困るのだ。着る物はそこの戸棚のなかに用意してある」

 はだかにされた私と久美子は、X線らしきもので、なにかかくし持っているのではないかとさらに検査された。

「これでよし。まあ、お二人で楽しく暮して下さい。時どき見まわりに来ます。それから、戸棚のなかにはいい飲み物がおいてあります。お飲みになって下さい」

 カタツムリ型のワジャ星人はこう言い残し、小型宇宙船に乗って星々のかなたへと去っていった。

 かくして私と久美子との、はだかでの生活がはじまった。戸棚に衣服はあったが、着る必要はなかった。空気は適温だったし、他人の目もなかったからだ。

 あとで意識をとりもどした久美子は、私から事情の説明を聞き、一時は|呆《ぼう》|然《ぜん》とした。しかし、あきらめなければならないと知り、現状に満足するようになった。脱出の方法など、まるでないのだ。生活は保証されている。私たちは|愛《あい》|撫《ぶ》しあい、それは時の流れを忘れるほど楽しかった。少なくとも私にとっては、申しぶんのない世界だった。

 すばらしい発見もあった。ワジャ星人が言い残していった、戸棚のなかのびんの飲み物。好奇心から飲んでみた。性感の高まる作用のものだった。からだがとろけるようで、しかも強烈な刺激。その味をしめると飲むのをやめられなくなる。夢のような日々。いや、いつまでもつづく甘い夜というべきだろう……。

 何週間かの時がたった。ワジャ星人が巡回に訪れてきた。久美子は会いたくないと戸棚のなかにかくれ、私だけが応対した。

「実験動物にされていい気持ちとはいえませんが、いちおうは満足していますよ。だけど、あなたがたワジャ星人たち、いったいなにを知りたいんです。こんなことをして、なにかの役に立っているんですか」

「そうさ。地球人の生殖の実態を知るのが目的なのだ。そうそう、きょう来たのは飲み物の液体の補給のためだ。あれはいかなる生物に対しても、性欲を高める作用を持つ。飲んでみただろう」

 あのびんの薬は、やはりそうだったのか。

「ええ、とてもよくききましたよ。なくなったらどうしようかと、心配していたところです。たくさんおいてって下さい」

「そうこなくてはいかん。そこがつけめなのだ。おまえたちを、いやおうなしに生殖に追いこむ。地球から持参した品はすべて取り上げたから、避妊もできまい。おまえたちは生殖せずにいられなくなる」

「いやに生殖に熱心のようですが、どういうつもりなのです。地球人をふやして、家畜にでもするつもりなんですか」

「とんでもない。地球人は家畜としての価値もない。生殖の実態が判明すれば、それを防止する薬品か電波の開発は容易だ。その完全なのを量産し、地球にばらまく。人類絶滅は時間の問題。待っていれば、あとはわれわれの惑星となってしまう」

「なんというひどいことを……」

「悪く思うなよ。おまえたちは、すでにわなにかかったのだ。反抗のために自殺したってむだだよ。すぐかわりの二人をさらってくる。せいぜい、われわれの目的に協力してくれ。あばよ。そのうちまた巡回に来る……」

 ワジャ星人のカタツムリは帰っていった。

 びんの液体を私は二つのグラスになみなみとつぐ。一杯を自分で飲み、もう一杯は久美子に飲ませる。彼女の目は情熱にうるみはじめ、息づかいが高くなる。私もまた同様。なにもかもバラ色に燃えあがるような気分のなかでの、限りない愛撫……。

 なんという楽しさだろう。久美子はずっと私のものなのだ。久美子を誘惑しようとする男もここにはいないし、久美子が私にかくれて浮気をすることもない。ワジャ星人は自殺を心配していたが、こんな世界で、だれが死を考えたりするものか。

 私に肉体的欠陥はまったくないが、精神的欠陥となるとないとはいえない。こんな楽しいことがなぜ欠陥なのかわからないが、ひとは同性愛と呼んで変な目で見る。

「久美子、楽しいかい」

 私は男っぽい口調で呼びかける。身についてしまった習慣だし、そこがまたいいのだ。久美子はうっとりとした声で言う。

「ええ、とっても……」

 このひそかなる秘密は、ワジャ星人たちにいつ知られてしまうのだろうか。しかし、カタツムリから進化したらしいあの宇宙人、なかなか気がつかないのではないだろうか。カタツムリとは雌雄同体の生物、男女の区別というものを知らないにちがいない。だから、私たちの快楽も地球の安泰も、まだ当分のあいだは心配しなくても……。

  流行の鞄

 改札口の上にある、丸く大きな時計の針が午後の五時半を示し、夕方の駅はラッシュアワーをむかえていた。

 その中央口の付近は相当な広さを持っていた。だが、あふれるような人の波のために、むしろ狭すぎるようにさえ感じられた。

 限りない数の足音がコンクリートの床の上におこり、壁ぎわに並んだ切符の自動販売機は、単調な音を休むことなくくりかえしていた。また、話し声、パンチを入れる音。ホームの方角からは拡声器での発車案内、ベルの音、電車の響きが流れてくる。薄暗くなりかけた駅のそとからは、自動車のクラクション、広告アナウンスの音楽と声。ここにはあらゆる音が集まっていた。

 この駅のそばにはオフィス街があり、また近くには夜の盛り場をひかえているので、その混雑ぶりは、ほかの駅とくらべて一段とはげしいように思えた。

 駅は掃除機のように、会社での一日の勤めを終えた人たちを吸いこみ、同時に水道の|蛇《じゃ》|口《ぐち》のように、バーなどでの夜の仕事に出かける人たちを吐き出してもいた。この二つの流れがすれちがい、ざわざわした|雰《ふん》|囲《い》|気《き》を高めていた。それにまざって、ひとと待ちあわせているのか、時計を見あげながらぼんやり立っている人たちもあった。もちろん、見当のつけようのない連中も、あたりをうろついている。

 まるでアリの巣の穴のようだ、と形容したくなる人もあるかもしれない。しかし、アリはどれも同じようなことを考えているのだろうし、一方、駅の人びとは、それぞれ全くちがったことを考えているのだ。

 アリは事件をおこさないが、人間は事件をおこす。これだけの人数が集まれば、なにか変った事件の一つや二つが、おこったところで不思議ではない。おこらないほうが不思議なくらいの混雑ぶりだった。いや、もうすでに、おこりかけているのかも……。

 駅の一隅には売店があった。週刊誌や新聞やたばこなどが、あわただしく売れていた。

 そして、その売店のとなりには、荷物の一時預かり所があった。駅で経営しているのか、民間にまかせてあるのかわからなかったが、それは利用者にとって問題ではなかった。受け取りにくるまで確実に預かっていてくれさえすれば、それだけで十分なのだ。

 預かり所はけっこう繁盛していた。いままでまちがいなく運営されてきたことを示していた。人びとは入れかわり立ちかわり、荷物を預け、また受け取って去ってゆく。

「おい、これを渡してくれ」

 あまり目立たない、|紺《こん》の背広を着た三十ぐらいの男があらわれた。彼はポケットから預かり証を渡した。

「はい。かしこまりました」

 と、預かり所の女の子はうなずき、それを受け取り、奥のほうの|棚《たな》を並べた室にはいろうとした。

 そのとき、もう一人の客があらわれた。その男は茶色っぽい服を着ていた。

「あ、ついでにこれもたのむ。|鞄《かばん》だ」

 と、預かり証を指先にはさみ、振りまわしながら言った。女の子は足をとめてふりむき、それを持って奥へはいった。しばらくして、彼女は両方の手に小さな鞄を一つずつさげて戻ってきた。

「お待たせしました。はい。これはこちらのかた……あら、ちがったわ。この鞄がこちらさまのでしたわ」

 仕切りの台の上に鞄を置きながら、彼女が一瞬とまどったのも無理もなかった。こうして並べてみると、その二つの鞄はあまりにもよく似ていたのだ。いや、似ているというより、同じといったほうがよかった。

 大きさは、ちょうど電話帳ぐらいで、上部をファスナーであけて出し入れするようになっていた。このごろ流行しはじめた、紳士用の皮鞄というやつだった。外国映画のなかである俳優が使いはじめたのがもとで、鞄の業者がそれに乗って宣伝をした。また、雑誌のおしゃれ欄が側面からの援助をした。

 男性が洋服のポケットにいろいろな物を入れ、ふくらませているのはあまりいいスタイルではない。持ち物は手ごろな鞄に入れて携帯すべきである。

 こんな記事のために、この型の鞄が流行しはじめた。あたりを行きかう人びとのなかにも、この鞄を持っている男性がちらほら見うけられた。なかに入れてある品は新書判の本、トランジスタ?ラジオ、書類などと、千差万別にちがいないが。

 いま台の上に並べられた二つの鞄は、いずれもこの型で、しかも同じような色で、汚れの全くない新品だった。そのため、外見だけでは区別のつけようがなかった。紺の服の男はちょっと|眉《まゆ》を寄せた。

「おい、たしかなんだろうな」

 こうつぶやきながら、彼はなかをたしかめようとして、上部のファスナーを引っぱり、そっとのぞきこもうとした。そのとたん、そばにいた茶色の服の男は、あわてたような大声をあげてさえぎった。

「あ、困りますよ、かってにのぞかれたりしたら。たいせつなものがはいっているのです。わたしの鞄はわたしがたしかめます」

 と、開きかけた鞄と紺の服の男の顔のあいだに、自分の頭をわりこませてきた。すると、紺の服の男は開きかけたファスナーを急いでもとに戻した。

「失礼な。見られたら、こっちだって困りますよ」

 二人は顔を見あわせ、どちらからともなく苦笑した。そして、なかをあけるのをやめて、手ざわりで区別をつけようと試みた。しかし、堅い皮でできた角型の鞄なので、手で触れただけでは、なかの物を知ることはできなかった。

 つぎに、重さをくらべてみようとした。二人はかわるがわる手で鞄を持ちあげてみて、首をかしげた。どちらの鞄も、区別できないほど同じような重さだった。手ごたえのある、意味ありげな重み。

 二人の男は預かり所の女の子にむかって、口をそろえて文句を言ってみた。

「おい、どっちがわたしの鞄なのだ。責任をもって区別をつけてくれなければ、困るじゃないか」

 だが、彼女はべつに恐縮もせず、落ち着いた口調で答えた。

「さっきお渡ししたとおりで、まちがいはありません。この預かり所では、いままで渡しちがいのような問題をおこしたことは、一度だってありませんわ。ごちゃごちゃになさってしまったのは、お客さまたちのほうではございませんか」

 二人は頭をかいた。彼女の言うとおりだった。交替で重さをくらべているうちに、はじめに渡されたのがどっちだったのか、わからなくなってしまっていた。

「これは弱ったことになったな」

 と、つぶやく二人に、彼女は常識的な言葉を追加した。

「そうお困りになることはないんじゃありませんか。なかをあけてのぞいてみれば、ご自分の鞄はすぐにわかるわけでしょう」

「それはそうですが……」

 と、言いかけて、紺の服の男は口ごもった。そして、そのあとの言葉は頭のなかでつづけた。

 この相手がのぞかせてくれないのだ。もちろん、相手にのぞかせてやれば簡単にかたがつくだろう。普通の場合なら、それくらいの譲歩はしてやってもいい。しかし、いまの場合だけはそうはいかない。なぜなら、この鞄のなかには見られては困る品、つまり禁制品がはいっているのだから。

 彼の鞄には、非合法なルートで密輸入した宝石類、ヒスイだのダイヤだのが相当量つまっていた。

 密輸入とはいっても、そんなレッテルが|貼《は》ってあるわけではないから、見ただけでは合法、非合法の区別はつかない。しかし、この宝石類を目にしたとたん、相手の男がふいに悪心を抱き、こっちが自分のだ、などと、とんでもないことを主張しはじめないともかぎらない。なにしろ、夜の盛り場が近くにあるこの駅では、油断のできない男がうろついている可能性は大いにあるのだ。紳士用の鞄を持っているから紳士だとは断言できない。

 それで言い争ったあげく、交番に行くことになったりしたら、なにかの拍子に密輸品であることがばれるかもしれない。交番にいる警官という人種は、つまらないことを熱心に質問し、手帳に書き込みたがるものだ。尻尾《しっぽ》をつかまれでもしたらめんどうだ。

 まあ、交番での応対はうまくごまかすとしても、そんなことで時間を費やしたくなかった。彼は近くの喫茶店で、七時にある相手と会い、鞄のなかの宝石類を金にかえる予定を持っていた。

 しかも、その取引きの相手の人相を彼は知っていなかった。ボスから教えられた喫茶店の名、時刻、合言葉だけがたよりだったから、時間におくれるわけにいかなかった。

 紺の服を着た男、密輸氏はためいきをつき、目の前の二つの鞄をうらめしそうに見つめた。この流行の鞄がいけないのだ。だれでも持っているし、目立たなくていいだろうと思って買ったことが、かえってあだとなってしまった。

 流行を追うぐらいつまらないことはない。密輸氏はよく新聞などで見る、識者のもっともらしい意見を、いま痛切に思い出した。個性のある鞄さえ買っていれば、こんなごたごたに巻きこまれないですんだのに。

 しかし、このままではしようがない。約束の時間は迫っている。早いところ、自分の鞄を手にしなければならなかった。密輸氏は言葉づかいを改めて、茶色の服の男にたのんでみた。

「お願いします。なんとかわたしに、なかをたしかめさせてくださいませんか」

「そうしてあげたいところなのですが……」

 と、茶色の服の男は言いかけて、語尾を濁した。そして、その先は心のなかで言葉とした。

 そちらにも事情がおありのようですが、こっちにも事情があるのですよ。はるかに大きい事情が。私の鞄にはいっている物は、なみたいていの物ではないのです。

 こっちの鞄のなかには、ひとから預かった札束がぎっしり詰まっている。もちろん、札束を持ち歩いてはいけないという法律など、世の中にはない。しかし、それは理屈のうえだけのことで、札束を見るとむらむらと考えを変え、法律を破りたくなる人間は、世の中に大ぜいいる。

 しかも、こんな時間の、こんな場所だ。ひったくられて、人ごみに逃げこまれでもしたらことだ。この紺の服の男は、気のせいかそわそわした目つきをしている。すかさず飛びついて、組み伏せるつもりではいるが、人だかりがして、警官でも来られたらうるさい。

 名前も聞かれるだろうし、時間もかかる。茶色の服の男、この札束氏はあまりゆっくりしていられなかった。彼はこの札束と引きかえに、宝石類を受けとる仕事を持っていた。その相手は未知の人物で、落ちあう喫茶店の名、時刻、合言葉だけしか知らされていなかった。そのため、さわぎに巻きこまれて時間をつぶすことは、極力さけなければならないのだ。

「いかがでしょう。ぜひ、わたしにあらためさせてください」

 と、紺の服の密輸氏はまた言った。

「いや、わたしのほうにあらためさせてください」

 と、茶色の服の札束氏は同じことを言った。

 二つの鞄をあいだにして、二人はまばたきをした。相手は強情で、手ごわそうな男だ。といってゆずることはできないし、また、事情をくわしく説明するわけにもいかない。なにかいい口実はないだろうか。

 だが、名案は頭に浮かんでこなかった。二人はほとんど同時にポケットからたばこを出し、口にくわえた。そして、それに気づいてあわててライターを出し、おたがいに相手のたばこに火をつけあった。煙を吐く二人の口もとには、なんともいえない表情がただよっていた。

 駅の混雑はほんの少しまばらになり、行きかう人びとの歩き方は、さっきにくらべて早くなっていた。

 そのとき、思いがけない事件がこの二人にもたらされた。

 勢いよく駅にかけこんできたグレイの服の男と、同じようにそわそわした足どりで、改札口から出てきた黒い服の男とがぶつかったのだ。

 その二人の手から二つの鞄が落ち、密輸氏と札束氏のあいだに転々とした。

「や、失礼」

 グレイの服の男はこう短く言い、身をかがめて鞄を拾おうとしたが、驚いたような表情で目を丸くした。

 自分のと同じような鞄が、そこに四つもある。彼はあわてた手つきで、手あたりしだい、ファスナーをあけようとした。しかし、一つもあけてみないうちに、すばやい、力強い三つの手によってさまたげられた。

「勝手にあけられては困りますよ。ご自分でつけた目印を示して、それを持っていってください」

 と、三人のうちのだれかが言った。

「しかし、べつに目印をつけてありません。こう同じ鞄では、なかを見ないとわからないではありませんか。わたしは急ぎますから、失礼して……」

 と、グレイの服の男はせきこんで言った。そうだとも、おれみたいに重大な場面にあり、急いでいる男など、めったにあるものではない。

 彼はいま、殺人をしてきたところなのだ。一刻も早くこのへんから離れなければならない。もっとも、かっとなっての殺人ではなかった。ある人にたのまれておこなった殺人だった。

 仕事の統制を乱す一人の男を殺すように、ある人に依頼された。このグレイの服の男は、すでに何度かそのようなことを引き受けていたし、今回も手ぎわよくそれを果たした。

 部屋のなかに一人でいた目的の男に、さりげない態度で近づき、用意してきた噴霧器に入れた|麻《ま》|酔《すい》|薬《やく》を、ふいに吹きつけた。彼のように手なれてくると、相手に無用の苦痛を与えるようなことはしない。それから、丈夫ななわを使って首をしめた。

 つぎに、鋭いナイフで右の手首を切り落とした。これは依頼者へ持っていって示す証拠だった。これを持ち帰らないと報酬をもらえない。

 ビニールに包んだその手首と、凶行に使った道具いっさいがこの鞄のなかにはいっている。こんなところで鞄の中身を見られるようになったら、収拾のつかないことになってしまう。殺人事件と証拠品と犯人とが、ひとまとめになっているのだから。

 グレイの服の男、殺人氏は四つの鞄を持ってみた。だが、重さだけではわからなかった。手に持って揺らせてみて、その感じから、これではないかと思えるのがあったが、確信は持てなかった。まちがえて自分のを置いてゆくことは許されないのだ。彼は鞄を持って、一つずつ強く振ってみようと思った。

 その時、殺人氏とぶつかった黒い服の男が、その一つを持ちあげ、そわそわした声で言った。

「これがわたしのではないかと思うんですが。いただいて行きますよ」

 そして、急ぎ足で戻ろうとした。しかし、殺人氏は反射的に肩をつかまえ、引きもどした。

「どうしてそれがあなたのだと言い切れるのです。印がついているのなら、それを教えてください」

 殺人氏は自分が言われた目印について、こんどは逆に聞いてみた。密輸氏も札束氏もうなずいた。まちがえて自分のを持って行かれたら大損害だ。大損害どころか、ボスにどんな目にあわされるかわからない。殺し屋を派遣されないとも限らないのだ。

「いや、印などはついていません。きょう買ったばかりの鞄ですから。しかし、たしかにこれだと思います」

 黒い服の男はあわれな声を出した。絶対に逃がしはしないぞ、という勢いの三人に囲まれていては、あわれな声にならざるをえない。三人を代表して、札束氏は念を押した。

「お持ちになるのはかまいませんが、世の中にはまちがいという事もあります。念のために、なかみをわたしにのぞかせてください」

「いや、それは困ります……」

 黒い服の男の顔は、声と同じくあわれをとどめていた。現在のおれのように情けない局面にぶつかった男は、いままでになかったのではないだろうか。同情してくれたっていいだろう。鞄のなかにこんなぶっそうな物を持っている者など、どこにもいるはずがないのだ。

 だが、黒い服の男はそれを説明するわけにいかなかった。彼の鞄のなかには、最新式の時限|焼夷弾《しょういだん》がはいっている。しかも、すでに始動をはじめてしまっていた。あと数時間。つまり夜中ごろに発火するようになっているのだ。

 彼はこれをある部屋のなかに、窓から投げこむよう依頼されていた。その部屋を示す地図も、この鞄のなかにはいっている。しくじったらただではすまないが、うまくやりとげると金をもらえる約束になっていた。

 こんなところでぐずぐずしているわけにはいかなかった。黒い服の男、時限氏は、街が暗くなったら、早いところ、このぶっそうな物を手放し、仕事をかたづけてしまいたいと思っていた。

 万一、時限装置が狂っていて、予定より早く発火したら、目もあてられない状態になる。この駅でそれがおこったら、どうなるというのだ。時限氏はこわごわここまで運んできた。いま床に落とした衝撃で、装置が狂わなかったとはいいきれない。それなのに、この三人の男はのんびりしている。しかも、グレイの服の男は鞄を揺らそうなどとしている。

 時限氏はうらめしそうに三人をながめ、それから、びくびくしながら、鞄の一つ一つに耳を当ててみた。しかし、どれも音はしなかった。時限装置がぜんまい仕掛けでなく、電池を利用したものであるためかもしれなかった。

 自信を持って区別をつけることはできなかった。時限氏もまた、ほかの三人のように、心のなかで流行をのろった。ぶっそうなものだからこそ、怪しまれず、目立たないようにと、こんな鞄を選んだのが逆になってしまった。

 頭のすみに〈木の葉をかくすには、森のなかがいちばんいい〉とかいう言葉があったせいだ。時限氏は、この無責任な文句を考え出したやつをのろい、それにだまされた自分のひとのよさをのろった。

 ほかの三人も、同じようなことを考えていた。

「では……」

 たまらなくなった密輸氏が言いかけたが、そのままやめた。べつに、いい案があるわけでもなかったからだ。しかし、言いかけてやめるわけにもいかず、内心とはかけはなれたのんきな言葉を口にした。

「みなさん、名前ぐらいつけておいてくださればいいのに。流行の鞄をお持ちになるのなら、そうなさるのが常識ですよ」

 それにたいして、殺人氏が言いかえした。

「あなたのにはついている、とおっしゃるのですか。それなら、そこを指さして持っていってください」

 密輸氏は黙り、ほかの者もこれに関してはそれ以上、口にしなかった。名前を麗々しくくっつけて具合の悪い点では、だれもが同じことだった。

「困ったことになりましたな。わたしには約束があるのですよ。急いでいるのです」

 と、札束氏は駅の時計を見あげ、自分の腕時計でたしかめ、すでに取引きの約束の時刻になったことを知って、悲鳴をあげた。

「わたしだってそうですよ」

 密輸氏、殺人氏、時限氏もいっせいに応じた。札束氏はこの時、ある名案を考えつき、すぐにそれを口にした。

「このままではきりがありません。どうでしょう。あなたがたの鞄をわたしに売ってくれませんか。なかみといっしょに、いい値段でひきとりましょう」

 自分の鞄のなかには札束がつまっている。これを使えば買いとることができるだろう。自分のもうけは消えてしまうかもしれないが、こんなことに係りあっているよりははるかにいい。

 だが、札束氏のこの案も、たちまち否決されてしまった。

「とんでもない。わたしのなかみは金では売れない品ですよ」

 殺人氏と時限氏は言った。密輸氏もまた同感だった。鞄いっぱいの宝石類に匹敵する金を持ち歩いている男など、あるはずがない。いまごろ約束の喫茶店で、いらいらしながら待っているにちがいない取引きの相手以外には。

 四人は無意識のうちに足ぶみをし、いっせいにたばこをくわえた。ほかにすることがなかったからだ。だが、二人が火をつける瞬間をねらって、殺人氏は四つの鞄をかかえて、必死の勢いでかけ出そうと試みた。

 しかし、それも不成功に終わった。申しあわせてでもいたかのように、ほかの三人がそれをさまたげたのだ。まったく、おかしな三人だ。殺人氏は不安を感じた。この三人はぐるなのではないだろうか。一人がわざとぶつかって鞄を落とさせ、待ちかまえていた二人が共同し、いんねんをつけて鞄を巻きあげるという方法の、たちの悪い恐るべきやつらだ。鞄のなかの品が普通のものだったら、大声をあげて警官を呼んでやるところなのだが。

 ほかの三人も似たようなことを考えていた。どいつも油断のできないやつららしい。やるのなら、いま以上のすばやさでやらないと、だめなようだ。そうなると、|神《かみ》|業《わざ》でないと成功はおぼつかない。

 四人はあらためてたばこを吸いはじめたが、警戒の念はいっそう高まっていた。

 時間がたち、駅の混雑はおさまっていた。そとの街では、ネオンがいらだたしさをかきたてるように点滅していた。駅にはいってくる男のなかには、顔の赤い、千鳥足のもまざりはじめていた。

 酔っぱらいの一人が好奇心を抱いて寄ってきたが、真剣な表情でにらみあっている四人を見て、また改札口のほうへと戻っていった。

「ねえ、お願いです。少しあちらに寄っていただけません……」

 預かり所の女の子が、四人にむかってこう言った。たしかに、鞄をあいだにして、四人の男が身をかたくして立っていては、預かり所の仕事のさまたげになる。

 四人はたがいに目をくばりながら、少しずつ売店と反対のほうに移動した。足の先で鞄を押すようにしながら。

 しかし、あまり鞄にばかり気をとられていたため、そばにぼんやりと立っていた、人待ち顔の男にぶつかってしまった。

 そして、またも鞄が一つ加わった。それを落としたのは、レインコートを着た男だった。その男は自分のと同じ鞄が五つもあるのを見て、当惑した表情を浮かべた。

 こんどは時限氏が、この瞬間を利用しようと試みた。鞄の一つをつかみ、レインコートの男に差し出しながら、

「これでしょう。あなたのは」

 と、ファスナーを引いて、なかをそっと、のぞこうとした。うまく自分のが当たるかもしれない。四分の一の確率だ。うまく当たれば、全力をつくして逃げればいい。さっきのグレイの服の男は、全部を持ち逃げようとしたから成功しなかった。だが、一つならうまくいくかもしれない。

 だが、レインコートの男は意外に強い力でその手をおさえ、とがめるような口調で言った。

「やめてください。かってにあけるなんて。警官でもないくせに」

 そして、自分であけようとしたが、ほかの四人はそれに飛びついた。

「あなたはそうなのですか」

 と、だれかが言った。

「いや……」

 レインコートの男は首をふった。こんなところで自分の身分をあかす必要はない。彼は私服ではあったが、刑事だった。ほかの署の者とここで待ちあわせることになっていたのだ。

 彼の鞄のなかには|拳銃《けんじゅう》が入れてあった。服のポケットに入れておくと、どうしてもかさばり、目のきく相手だったら、見抜かれることもある。夜の盛り場を警戒するのに、それではぐあいが悪い。

 流行の鞄なら目立つまい、と思ったのがいけなかった。だが、いままで持っていたのだから、重みですぐにわかるだろうと試みたが、どれも大差なかった。そして、鞄は完全にまざってしまった。

「ああ、また数がふえた」

 と、だれかが言ったが、レインコートの私服氏にはなんのことかわからなかった。そして、例によって彼もなかみを改めさせてくれと言い、例によってほかの連中に断わられた。

 私服氏は手帳を出し、警官であることを示して、鞄を取りかえそうかと思ったが、それをやめた。相手は四人だ。それに、あたりには酔っぱらいや、|素姓《すじょう》のわからない連中がうろついている。そんなのが集まってきて、おもしろ半分にさわがれでもしたらやっかいだ。

 さわぎになっても、拳銃を見せればしずめることができるかもしれない。だが、その拳銃は鞄のなかだ。また、強引なことをしてみて、四人の相手がまともな人間だったとしたら、やはりめんどうだ。このごろはまともな人間も、犯罪者と同じように、むやみに権利だなんだと理屈をこねたがる。彼はもう少し様子を見ることにした。あたりを見まわしたが、待ちあわせる相棒は、まだあらわれそうになかった。

 札束氏はやっと決心した。

「どうです。わたしはこれ以上ぐずぐずしてはいられません。いっせいに鞄をあけ、なかをたしかめようではありませんか」

 札束を持っていて悪いことはない。この調子で人数がふえていったら、きりがない。彼はもっと早く、二人だけのときに言うべきだったと後悔した。しかし、いまからでもおそくはない。

「気が進みませんが、いいでしょう」

 と、密輸氏が賛成した。宝石を見られてもしかたない。さっきは、混雑にまぎれて持ち逃げされる心配があったが、いまならば逃げた相手を追いかけることができる。

「だめです」

 と、殺人氏と時限氏が反対した。そして、

「あなたは」

 と、私服氏に聞いた。私服氏は目をまたたき、

「だめです」

 と、言った。むやみに拳銃を見せることはない。この四人は、いったいなんでこんな話をしているのだろうか。頭がおかしいのかもしれない。それとも、なにか企んでいるのかも。

「反対のほうが多い」と時限氏。

「それなら、どうしようというのです」と札束氏。

「いっそのこと、川のなかにみなで捨てよう」

 と、やけくそになった殺人氏が言ったが、札束氏、密輸氏は首をふった。この妙な会話を聞いて、私服氏は考えた。頭がおかしいのでなかったら、ぐるになって芝居をしているのだ。油断をさせて、持ち逃げしようというのだろう。どうも、はじめから様子がおかしかった。

 つかまえてやるか。だが、相手が四人では考えなおさなければならなかった。四方に散られたら、どいつをつかまえていいか見当がつかない。怪しい人物を一人つかまえても、拳銃がなくなったら、それ以上の責任問題だ。当の相手が一人だけなら、すぐにつかまえてやるのだが。

「ああ、時間がたつ」

 と、時限氏が悲しそうな声を、またも口にした。はじめに逃げればよかったのだ。事実、逃げようとしたのだが、このグレイの服の男に引きもどされた。だが、顔をおぼえられた今となっては、逃げられなかった。残した鞄のなかみと、人相書きで言いわけはできない。ほかの連中に、穴のあくほど顔をみつめられてきた。ちょうど、こっちがほかの連中の顔をおぼえてしまったように。

 殺人氏の場合もそうだった。鞄を落としたときなら、逃げれば好都合だったろう。このわけのわからない連中のだれかが、犯人となってくれたかもしれない。報酬のことなど考えずに、そうすればよかったのだ。しかし、逃げるに逃げられなくなってしまった。鞄のなかの噴霧器さえあれば、なんとかなるかもしれないのだが。麻酔薬の効果は、犯行のときでよくわかっている。しかし、どれにはいっているかはわからないし、わかったところで出してはくれまい。

 札束氏と密輸氏はためいきをついた。約束の時間はとっくに過ぎていた。いくら忍耐づよい相手でも、もうあきらめて喫茶店から帰ってしまったろう。きょうの役目は果たせなかった。もうけそこなったし、ボスには怒られるかもしれない。

 まあ、もうけはあきらめ、ボスに怒られたら、あやまれば許してくれるだろう。しかし、それには鞄のなかみを持ち帰らなければだめだ。へんなやつらにつかまり、置いてきたではすまないのだ。こうなったら、あくまでねばってやろう。だが、いつまでねばったら、ほかの連中はあきらめるのだろうか。

 私服氏の内心の不審は、さらに大きくなった。この四人はつぎにどう出るのだろう。ひとしきり、変なことを口走ったあと、ふいに黙りこんでしまった。だれかが合図をして、それからいくつか数えて、鞄を持っていっせいに散ろうという計画ではないのだろうか。

 すると、時限氏が泣きそうな声をあげた。

「ああ、ああ。時間が迫る」

 私服氏は身をかたくした。そら、これが合図かもしれない。なんで泣き声をあげる必要があるのだ。彼はそしらぬ顔をして、動きに注意した。

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