さらば。
四月四日。火曜日。
晴れ。僕はいま、九十九里浜(くじゅうくりはま)の別荘で、とても幸福に暮している。きのう、兄さんに連れられてやって来たのだ。きのう午後一時二十三分の汽車で両国を立ち、生れてはじめての旅行のように窓外の風景を、胸をおどらせて絶えずきょろきょろ眺(なが)めていた。両国を立って、しばらくは、線路の両側にただ工場、また工場、かと思えばその間に貧しい小さい家が、油虫のように無数にかたまって建っている、と思うと、ぱらりと開けてわずかな緑地が見えてサラリイマンの住宅らしい赤瓦(あかがわら)の小さな屋根が、ちらりほらり見える。僕は、このごみっぽい郊外に住んでいる人たちの生活に就いて考えた。ああ、民衆の生活というものは、とても、なつかしくて、そうして悲しいものだ。僕には、まだまだ苦労が足りない、と思った。千葉で十五分待って、それから勝浦(かつうら)行に乗りかえ、夕方、片貝(かたかい)につく。ところが、バスが無い。最終のバスが、三十分前に出てしまったというのだ。二人で、円タクに掛け合ったが、運転手が病気だそうで、話にならない。
「歩こうか。」と兄さんが寒そうに首をちぢめながら言った。
「そうね。荷物は僕が持ちますから。」
「いいよ。」兄さんは笑い出した。
二人で、まず海岸へ出た。磯伝いに行くと割に近いのだ。夕日が照って、砂は黄色く美しかったが、風は強く頬を撃って、寒かった。九十九里の別荘へは、この四、五年、来た事がない。東京から遠すぎるし、場所も淋しいから、夏休みにも、たいてい沼津の母の実家のほうに行ってしまう。でも、久し振りで来てみると、九十九里の海は、昔ながらにひろびろとして青い。大きいうねりが絶えまなく起きては崩れている。子供の頃には、毎年のように来たものだ。別荘は、松風園と呼ばれて、九十九里の名物になっていたものだ。たくさんの避暑客が、別荘の庭を見に来て、お父さんは誰かれの差別なく、ていねいに接待してあげたらしく、みんな、よろこんで帰って行ったものだ。本当に、お父さんは、人を喜ばすのが好きだったようだ。いまは、川越一太郎というとしとったお巡りさんが、老妻のキンさんと共に別荘に住んで留守番をしているのだが、僕の家(うち)のひとも、あまりやって来ないし、チョッピリ女史がお弟子やら友達やらを連れて時たまやって来ては利用しているだけで、ほとんど廃屋に近くなっているのだ。庭も荒れ放題になって、いまでは松風園も、ほろびてしまった。九十九里の避暑客だって、もう松風園を忘れてしまったのだろう。庭におとずれて来る酔狂な人もないようだ。いろいろのことを考え、兄さんの後について、サクサクと砂を踏んで歩く。黒い影法師が二つ、長く長く砂の上に落ちている。ふたり。芹川(せりかわ)の家には、兄さんと僕と、二人しかいないのだ。仲良く、たすけ合って行こう、としみじみ思った。
別荘についた頃には、もう、まっくらになっていた。電報を打って置いたので、キン婆(ばあ)さんは、ちゃんと支度をして待っていた。すぐ風呂にはいり、うまいおさかなで晩ごはんを食べて、座敷に仰向に寝ころがったら、腹の底から大きい溜息(ためいき)がほうと出た。
ついたちと二日(ふつか)の、あの地獄の狂乱が、いまでは夢のように思われる。二日の朝、未明に起きて、トランクに身のまわりのものをつめ、こっそり家を脱(ぬ)け出した。お金は、ついたちの朝にもらった四月分のお小遣い二十円が、まだ半分以上も残っている。それでも心細いので、兄さんから借りているストップ?ウォッチと、僕の腕時計と二つ忘れずに持って出た。二つ一緒だと、百円くらいには売れるかも知れない。外は、ひどい霧だった。四谷見附(よつやみつけ)まで来たら、しらじらと夜が明けはじめた。省線に乗った。横浜。なぜ横浜までの切符を買ったのか、僕にも、うまく説明がつかない。とにかくそこへ行くと、いい運が待っているような気がした。けれども何も無かった。横浜の公園のベンチに、僕はひるごろまで坐っていた。港の汽船を眺めていた。鴎(かもめ)が飛んでいた。公園の売店から、パンを買ってたべた。それからまたトランクをさげて、桜木町の駅に行き、大船(おおふな)までの切符を買った。食えなくなったら映画俳優になるんだ。僕は去年、たぬきという数学の教師に侮辱されて、あっさり学校をよそうとしたが、その時にも、よし映画俳優になって自活してやると決意した。どういう訳か僕は、俳優になりさえすれば、立派に成功できるという、へんな自惚(うぬぼれ)を持っていたのである。顔に就いての自惚れではない。教養と芸に就いての自惚れである。僕は、映画俳優をあこがれてはいない。くるしい、また一面みじめな職業だとさえ考えている。けれども、この職業以外に、僕の出来そうなものはちょっと考えつかないのである。牛乳配達には、自信がないのだ。僕は大船で降りた。どんな事があっても、かならずねばって、誰かひとり、監督に逢(あ)うつもりであった。僕は、この事は、一高のドロップを知った直後に、颯(さ)っときめてしまっていたのだ。最後はそれだと決意していた。眼にものが見えぬほど異様に意気込んで撮影所の正門まで行ったが、これは、深刻な苦笑に終った。日曜であった! なんという迂闊(うかつ)な子だろう。何事も、神の御意(みこころ)だったのかも知れない。日曜であったばかりに、僕の運命は、またもやぐるりと逆転した。
僕はトランクをさげて、また東京へ帰った。東京の夕暮は美しかった。有楽町のプラットホームのベンチに腰をおろして、僕は明滅するビルデングの灯を、涙で見えなくなるまで眺めていた。その時、或(あ)る紳士に軽く肩を叩(たた)かれたのだ。泣いたのがいけなかったのである。交番に連れて行かれて、けれども僕は、ていねいに取りあつかわれた。父の名が有効だったらしい。兄さんと、木島さんが迎えに来た。三人で自動車に乗って、しばらくして木島さんが、だしぬけに言い出した。
「しかし、日本の警察は、世界一じゃありませんかね。」
兄さんは一言も口をきかなかった。
家の前で自動車から降りる時、兄さんは誰に言うともなく、
「お母さんには何も知らせてないからね。」と口早に言った。
僕はその夜は疲れて、死んだように眠った。そうしてあくる日、兄さんは僕を連れて九十九里浜にやって来た。つまり、きのうの事である。僕たちは磯伝いに歩いて、日没の頃、この別荘に着いたのだ。風呂へはいり、おいしい晩ごはんを食べて、座敷にひっくりかえって寝たら、大きい長い溜息が腹の底からほうと出た。夜は久し振りで、兄さんと蒲団を並べて寝た。
「一高なんかを受けさせて悪かったな。兄さんがいけなかったんだ。」
僕はなんと答えたらいいのだろう。気軽に、いいえ僕がいけないのです、等(など)と言ってその場の形を、さりげなく整えるなんて芸当は僕には出来ない。そんな白々しい、不誠実な事は僕には出来ない。僕はただ、おゆるし下さい、と、せつない思いで、胸の奥深いところで、神さまと兄さんにこっそりお詫(わ)びをしているばかりだ。僕は蒲団の中で、大きく身をくねらせた。からだの、やり場に窮したのだ。
「お前の日記を見たよ。あれを見て、兄さんも一緒に家出をしたくなったくらいだ。」と言って兄さんは、低く笑った。「でも、そいつぁ滑稽(こっけい)だったろうな。無理もねえ、なんて僕まで眼のいろを変えてあたふたと家出してみたところで、まるで、ナンセンスだものね。木島も、おどろくだろう。そうして木島も、あの日記を読んで、これも家出だ。そうして、お母さんも梅やも、みんな家出して、みんなで、あたらしくまた一軒、家を借りた、なんて。」
僕も、つい笑ってしまった。兄さんは、僕に気まずい思いをさせまいとして、こんな冗談を言うのである。いつでもそうだ。兄さんは、僕よりも、もっと気の弱い人なのだ。
「R大学のほうの発表は、いつだい?」
「六日(むいか)。」
「R大学のほうはパスだろうと思うけど、どうだい、パスなら、ずっとやって行く気かい?」
「やって行ってもいいんだけど、――」
「はっきり言ったほうがいいぜ。やって行く気は無いんだろう?」
「無いんだ。」
二人、笑った。
「楽に話そう。実はね、兄さんも、先月、大学のほうは、よした。いつまでも、むだに授業科ばかり納めているのも意味がないしね。これから十年計画で、なんとかして、いい小説を書いてみるつもりだ。いま迄(まで)、書いて来たものは、みんなだめだ。いい気なものだったよ。てんでなっちゃいないんだ。生活が、だらしなかったんだね。ひとりで大家(たいか)気取りで、徹夜なんかしてさ。ことしから、新規蒔直(しんきまきなお)しで、やってみるつもりだ。進も、ひとつ、どうだい、ことしから一緒に勉強してみないか?」
「勉強? もういちど一高を受けるの?」
「何を言ってるんだ。もう、そんな無理は言わんよ。受験勉強だけが勉強じゃない。お前の日記にも書いてあったじゃないか。将来の目標が、いつのまにやら、きまっていました、なんて書いてあったけど、あれは嘘(うそ)かい?」
「嘘じゃないけど、本当は、僕にも、よくわからないんだ。はっきり、きまっているような気がしているんだけど、具体的に、なんだか、わからない。」
「映画俳優。」
「まさか。」僕は、ひどく狼狽(ろうばい)した。
「そうなんだよ。お前は映画俳優になりたいんだよ。何も悪い事がないじゃないか。日本一の映画俳優だったら、立派なものじゃないか。お母さんも、よろこぶだろう。」
「兄さん、怒ってるの?」
「怒ってやしない。けれども、心配だ。非常に心配だ。進、お前は十七だね。何になるにしても、まだまだ勉強しなければいけない。それは、わかってるね?」
「僕は兄さんと違って、頭がわるいから、ほかには何も出来そうもないんだ。だから、俳優なんて事も、考えるのだけど、――」
「僕がわるいんだ。僕が無責任に、お前を、芸術の雰囲気(ふんいき)なんかに巻き込んでしまったのがいけなかったんだ。どうも不注意だった。罰だ。」
「兄さん、」僕は少しむっとした。「そんなに、芸術って、悪いものなの?」
「失敗したら悲惨だからねえ。でもお前は、これから、その方の勉強を一生懸命にやって行くつもりならば、兄さんだって、何も反対はしないよ。反対どころか、一緒に助け合って勉強して行こうと思っている。まあ、これから十年の修業だ。やって行けるかい?」
「やって行きます。」
「そうか。」兄さんは溜息をついた。「それなら、まず、R大学へも行け。卒業するしないは別として、とにかく、R大学へはいりなさい。大学生生活も少しは味わって置いたほうがいいよ。約束するね。それから、いますぐ、映画なんかのほうへ行こうと思わず、五六年、いや、七八年でも、どこか一流のいい劇団へかよって、基本的な技術を、みっちり仕込んでもらうんだ。どこの劇団へはいるか、そいつは、またあとで二人で研究しよう。そこまでだ。不服は無いだろう。兄さんは眠くなって来たよ。眠ろう。もう十年くらい、細々ながら生活するくらいのお金はある。心配無用だ。」
僕は、僕の将来の全部の幸福の、半分、いや五分の四を、兄さんにあげようと思った。僕の幸福は、これではあまり大きすぎるから。
けさは七時に起きた。こんなすがすがしい朝は、何年振りだろう。兄さんと二人で砂浜へ裸足(はだし)で飛んで出て、かけっこをしたり、相撲をとったり、高飛びをしたり、三段飛びをしたり、ひるすぎからは、ゴルフなるものをはじめた。ゴルフと言っても本式のものではない。インク瓶(びん)に布を厚く巻いて、それがボールだ。それを野球のバットでゴルフみたいなフオムで打って、畑の向うの約百米(メートル)ばかり離れた松の木の下の穴に入れるのである。途中の畑が、たいへんな難関なのである。たのしかった。僕たちは大声で笑い合った。カアン! とインク瓶の球をふっ飛ばすと、実に気持がよい。キン婆さんが、お餅(もち)と蜜柑(みかん)を持って来てくれる。大いに感謝してむしゃむしゃ喰(た)べながら、またゴルフをつづける。僕は、たった六回で穴にいれた。きょうのレコードだった。浜の子供が四人、いつのまにやら、僕たちについて歩いている。
「おらは、おぼえただ。」
「おらも、おぼえただ。あすこの穴にぶち込めばええだ。」などと、こそこそ話合っている。仲間にはいりたい様子である。
兄さんが、「やってごらんなさい。」と言ってバットを差し出したら、果して、嬉々(きき)として、「おらは、おぼえただ。」を連発しながら、やたらにバットを振りまわした。とても可愛(かわい)い。この子供たちは毎日、どんな事をして遊んでいるのだろうかと思ったら、ホロリとした。ああ、誰もかれも、みんな同じように幸福になりたい。子供たちは、それこそ、「むさぼるように」遊んでいた。僕たちは疲れて、砂浜に寝ころがった。夕焼け。雲の裂け間から見える赤い光は、燃えている真紅のリボンのようだ。頭をあげて見ると、別荘をかこんでいる松の林は、その赤い光を受けて、真赤にキラキラ輝いている。海は、――銚子(ちょうし)の半島も、むらさき色に幽(かす)かに見えて、水平線は鏡のふちのように、ほのかな緑。鴎が小さく海面とすれすれに飛んでいる。波は絶え間なく、うねり、崩れる。ああ、人生には、こんな一刻もあるのだ。ああ、きょうは誰にも遠慮せず、この素張らしい幸福感を、充分に味わえ! 人間は幸福な時には、ばかになっていてもいいのだ。神も、ゆるし給(たま)わん。この一日は、僕たち二人の安息日だ。兄さんは、貝殻(かいがら)に鉛筆で詩を書いた。
「なに?」といって覗(のぞ)き込んだら、
「ひめたる祈りを書いたのさ。」と言って笑って、その貝を海にほうった。
家へかえって、風呂へはいり、晩ごはんをすましたら、もう眠くなった。兄さんは、まっさきに蒲団にもぐり込んで、大鼾(おおいびき)をかいて眠ってしまった。こんなによく眠る兄さんを見た事が無い。僕は、ひと眠りしてから、また起きて、この日記をしたためた。この三日間の出来事を、一つも、いつわらずに書いたつもりだ。一生涯、この三日間を忘れるな!
四月五日。水曜日。
大風。けさの豪壮な大風は、都会の人には想像も出来まい。ひどいのだ。ハリケーンと言いたいくらいの凄(すご)い西風が、地響き立てて吹きまくる。それに家の西側の松が、二、三本切られているので、たまらない。ばりばりと此(こ)の家をたたき割るような勢いであった。とにかくひどい。小気味がいいくらいだ。一歩も外に出られなかった。午後になって、西風が、北東の風に変ったようだ。僕は、午前中は川越さんの犬ころを座敷にあげて遊んでいた。五匹いるのだ。つい先日、生れたばかりなんだそうだ。実に、可愛い。やっぱり風がこわいのか、ぷるぷる震えている。頬(ほお)ずりしたら、お乳のにおいが、ぷんと来た。どんな香水のにおいより、高貴だ。五匹をみんな、ふところへいれたら、くすぐったくて、僕は思わず「わあっ!」と悲鳴を挙げた。
兄さんは、午後から机に向って、原稿用紙になにか熱心に書いている。僕は傍(そば)に寝そべって、「夜明け前」を少し読んだ。読みにくい文章である。
風は、夜になって、少しおさまった。けれども、雨戸をさかんに、ゆり動かしている。外は、とてもよい月夜なのに。風よ、どんなに荒く吹いてもいいけど、あの月と星とだけは、吹き流さないでおくれ。兄さんは、夜もずっと執筆を継続。僕は、「夜明け前」を寝床の中でまた少し読みつづける。
あすは、R大学の発表である。木島さんが電報で、結果を知らせてくれる筈(はず)である。ちょっと気になる。
四月六日。木曜日。
晴れたり曇ったり。朝、少し雨。海浜の雨は、サイレント映画だ。降っても、なんにも音がせず、しっとりと砂に吸い込まれて行く。風は、すっかりやんでいる。起きて、しばらく雨の庭を眺めて、それから、「ええ、寝ちまえ!」とひとりごとを言って、また蒲団の中に、もぐり込んでしまった。兄さんは、プウシキンのような顔をして、すやすや眠っている。兄さんは御自分の顔の黒いのを、時々自嘲(じちょう)なさっているが、僕は、兄さんのように浅黒くて陰影の多い顔を好きだ。僕の顔は、ただのっぺりと白くて、それに頬(ほっ)ぺたが赤くて、少しも沈鬱(ちんうつ)なところがない。頬ぺたを蛭(ひる)に吸わせると、頬の赤みが取れるそうだが、気味が悪くて、決行する勇気は無い。鼻だって、兄さんのは骨ばって、そうして鼻梁(びりょう)にあざやかな段がついていて、オリジナリティがあるけれども、僕のは、ただ、こんもりと大きいだけだ。いつか僕が友人の容貌(ようぼう)の事などを調子づいて話していたら、兄さんが傍から、「お前は美男子だよ。」と突然言って、座を白けさせてしまった事があったけれど、あの時は、うらめしかった。何も僕は、自分だけが美男子で、他のひとは皆、醜男(ぶおとこ)だなんて思ってやしない。とんでもない事である。自分が絶世の美男子だったら、ひとの容貌なんかには、むしろ無関心なものだろうと思う。ひとの醜貌に対しても、頗(すこぶ)る寛大なものだろうと思う。ところが僕のように、自分の顔が甚(はなは)だ気にいらない者には、ひとの容貌まで気になって仕様がないのだ。さぞ憂鬱(ゆううつ)だろうな、と共感を覚えるのである。無関心では居られないのだ。僕の顔など、兄さんに較(くら)べて、百分の一も美しくない。僕の顔には、精神的なものが一つも無いのだ。トマトのようなものだ。兄さんは御自分では、色の黒いのを自嘲して居(お)られるが、いまに文筆で有名になったら、小説界随一の美男子だなんて人に言われて、その時は、まごついてしまうに違いない。ちょいとプウシキンに似ていますよ。僕の顔は、百人一首の絵札の中にあります。うつらうつら眠って、いろいろな夢を見た。なんでも上野駅あたりの構内らしかったが、僕は四方を汽車に取りかこまれながら、風呂桶(ふろおけ)のお湯にひたって、きょろきょろしていた。突然、頭上で、ベートーヴェンの第七が落雷の如(ごと)く響いた。あわてふためいて僕は立ち上り、裸のままで両手を挙げ、指揮をはじめた。或る時は激しく、或る時は悠然(ゆうぜん)と大きく、また或る時は全身を柔かに悶(もだ)えさせて指揮した。交響楽は、ふっと消えた。汽車の乗客たちは汽車の窓々から僕を冷静に見つめている。僕は恥ずかしくなった。全裸で、悶えの指揮の形のまま、僕は風呂桶の中に立っているのだ。なんとも言えない、恥ずかしい形であった。自分で噴き出して、眼が覚めた。短い夢だったが、でも、聞きたいと思っていたベートーヴェンの第七を久し振りで聞く事が出来て、ありがたかった。また、うつらうつら眠ったら、こんどは試験だ。正面に舞台があったりして、いやに立派な試験場だと思ったら、帝大の入学試験だという。けれども、試験官としてやって来たのは、たぬきだったので、いぶかしく思った。受験生も、みんな顔なじみの四年生だ。英語の試験だというのに、問題の紙には虎(とら)の絵がかかれてある。どうしても解けない。たぬきは傍に寄って来て、僕に教えてやろうかと言う。僕は、いやだ、あっちへ行け、と言う。いや教えてやる、と言って、たぬきは、クスクス笑うのである。いやでいやで、たまらなかった。悲劇を書けばいいんだろう、と僕が言ってやったら、たぬきは、いや羽衣(はごろも)だよ、と言う。へんな事を言うなあと思ったら、ベルが鳴った。僕は、白紙を、たぬきに手渡して廊下に出た。廊下では、みんながやがや騒いでいる。
「明日の試験は何だい?」
「遠足の試験だい。骨が折れるぜ。」
「お菓子に気をつけろってんだ。」
「おれぁ、相撲部じゃねえよ。」これは、木村らしい。
「二十五円の靴だってさ。」
「お酒飲んで、それから紅葉を見に行こうよ。」これも、木村らしかった。
「お酒でたくさんだい。」
「進、パスしたぜ。」これは、お兄さんの現実の声であった。枕(まくら)もとに立って、笑っている。「見事合格って、木島から電報が来たぜ。」僕は、一瞬、なんだか、ひどく恥ずかしかった。兄さんから、電報を受け取って見ると、ミゴトゴウカク」バンザイと書かれてあった。いよいよ恥ずかしかった。自分のささやかな成功を、はたから大騒ぎされるのは、理由もなく、恥ずかしいものだ。みんなが僕を笑っているような気さえした。
「木島さんも、おおげさだなあ。バンザイだなんて、ばかにしてるよ。」と言って、僕は蒲団を頭からかぶってしまった。他に、どうにも恰好(かっこう)がつかなかったのである。
「木島も、しんから嬉(うれ)しかったのだろう。」兄さんは、たしなめるような口調で言っている。「木島にとっては、R大学だって、眼がくらむくらい立派な大学なんだ。また、事実、何大学だって、その内容は同じ様なものだ。」
知っていますよ、兄さん。僕は、蒲団から顔を出して、思わず、にっこり笑ってしまった。笑った顔は、すでに中学生の笑顔でなかった。蒲団をかぶった中学生が、蒲団からそっと顔を出したら、もはや正真正銘の大学生に変化していたという、それこそ「種も仕掛けも無い」手品。ああ少し、はしゃぎすぎて書いた。恥ずかしい。R大学なんて、なんだい。
きょうは何だか、どこを歩いてみても、足が地についていない感じだった。ふわふわ雲の上を歩いているような感じだった。兄さんも、「僕もきょうは、そんな感じがするぜ。」と言っていた。夜は、二人で片貝の町へ行ってみて、おどろいた。まるで違っているのだ。昔の片貝の町の姿ではなかった。まさか、僕がけさの夢のつづきを見ているのでもあるまい。町は、見るかげも無く、さびれているのだ。どこもかしこも、まっくらなのだ。そうして、シンと静まりかえっている。人の気配もない。五年ほど前の夏には避暑客でごったかえしていた片貝の銀座も、いまは電燈(でんとう)一つ灯(とも)っていない。まっくらである。犬の遠吠(とおぼえ)も、へんに凄(すご)い。季節のせいばかりでなく、たしかに片貝の町そのものが廃(すた)れたのだ。
「狐(きつね)にだまされているみたいだね。」と僕が言ったら、兄さんは、
「いや、本当にいま、だまされているのかも知れん。どうも変だ。」と真面目(まじめ)に言った。
昔からの馴染(なじみ)の、撞球場(どうきゅうじょう)にはいってみた。暗い電球が一つともっているだけで、がらんとしている。奥の部屋に、見知らぬ婆(ばあ)さんがひとり寝ている。
「突くのけええ、」と、しゃがれた声で言うのである。「突くんだば、ここの押入れん中ん球、取ってくれせええ。」
僕は逃げようかと思った。けれども兄さんは、のこのこ奥の部屋へはいって行って、婆さんの寝床を踏み越え、押入れをあけ、球を取って来たのには驚いた。兄さんも、たしかにきょうは、どうかしている。一ゲエムだけやろうという事になったが、黒ずんだ羅紗(らしゃ)の上をのろのろ歩く球が、なんだか生き物みたいで薄気味が悪くなって来て、勝負のつかぬうちに、よそうや、よそう、と言って、外に出てしまった。そばやへはいって、ぬるい天ぷらそばを食べながら、
「どうしたんだろう、今夜は。意志と行動が全く離れているみたいだ。僕の頭が、変になっているのかしら。」と僕が言ったら、兄さんは、
「なにせ、進が大学生になったというところあたりから、きょうは、あやしい日だという気がしていたよ。」と、にやにや笑って言った。
「あ、いけねえ!」僕は図星(ずぼし)をさされたような気がした。
きょうの怪奇の原因は、片貝の町よりも、やっぱり僕が少しのぼせているところにあったのかも知れない。それにしても、兄さんまで、僕と同じ様に、足が地につかない感じだなんて言って賛成するのは、おかしい。兄さんも僕と同じ様に、うれしく、ぽっとしてしまったのかしら。ばかな兄さんだなあ。これくらいの事で、そんなに興奮して。
いまに、もっともっと喜ばせてあげよう。きょうは一日、夢を見ているような気持だったが、夢だったら、さめないでおくれ。波の音が耳について、なかなか眠れない。でも、もうこれで、将来の途(みち)が、一すじ、はっきりついた感じだ。神さまにお礼を言おう。
四月七日。金曜日。
晴れ。東から弱い風がそよそよ吹いている。もう、東京へ帰りたくなった。九十九里も、少しあきて来た。朝ごはんを食べて、それからすぐに二人で砂浜へ出てゴルフを始めたが、最初の時ほど面白(おもしろ)くなかった。興が乗らない。ゴルフの最中に、別荘の隣りに住んでいる生田繁夫(いくたしげお)という十八になる中学生が、「こんにちは」と言ってやって来て、こちらが、「こんにちは」と挨拶(あいさつ)を返したらすぐに、「この代数の問題を解いて下さい。」と言ってノオトブックを僕の鼻先に突きつけた。ずいぶん失敬だと思った。この人とは、小さい時分、よく一緒に遊んだものだが、それにしても、久し振りで逢(あ)って挨拶のすむかすまぬかのうちに、「この問題を解いて下さい」は、ずいぶん失敬な事だと思う。なにか僕たちに敵意でも抱いているのではないかとさえ疑われた。皮膚も見違えるほど黒くなって、もうすっかり、浜の青年になっている。
「出来そうもないなあ。」と僕は、ノオトブックの問題を、ろくに見もせずに言ったら、
「だって、あんたは大学へはいったんでしょう?」と詰め寄る。まるで喧嘩(けんか)口調だ。僕は、とてもいやな気がした。
「どこからお聞きになったのですか?」と兄さんは、おだやかに尋ねた。
「きのう電報が来たそうじゃないですか。」と繁夫さんは意気込んで言う。「川越のおばさんから聞きましたよ。」
「ああ、そうですか。」兄さんは首肯(うなず)いて、「やっとはいったのです。進は、ろくに受験勉強もしていなかったようですから、あなたにも解けないようなむずかしい問題は、やはり解けないでしょうよ。」と微笑(ほほえ)んで言ったら、繁夫さんはみるみる満面に喜色を湛(たた)えて、
「そうでしょうか。僕はまた、四年から大学へはいる程の秀才なら、こんな問題くらいわけなく解けるだろうと思って、お願いに来たんですけど、本当に失礼しました。この因数分解の問題は、なかなかむずかしいんですよ。僕も来年、高等師範へ受けてみようと思っているんです。僕は秀才でないから五年から受けます。はははは。」と、とても空虚な浅間しい笑いかたをして帰って行った。馬鹿な奴(やつ)だ! 環境がこの人を、こんなに、ねじけさせてしまったのかも知れないが、でも、こんな馬鹿がいるために世の中がどんなに無意味に暗くなる事か。いちいち僕に、張り合って、けちをつけなくたっていいじゃないか。R大学へはいったからって、僕には、これぼっちも驕(おご)った気持は無いんだし、ひとを軽蔑(けいべつ)するなんて、思いも及ばぬ事なのだ。兄さんも、繁夫さんの意気揚々たるうしろ姿を見送って、
「あんな人もいるからなあ。」と呟(つぶや)いて、溜息(ためいき)をついた。
僕たちは、すっかりしょげてしまって、なんだか、こんなところで、のんきに遊んでいるのは、ひどく悪い事のような気もして来て、
「狐には穴あり、鳥には塒(ねぐら)、か。」と僕が言ったら、兄さんは、
「視(み)よ! 新郎(はなむこ)をとらるる日きたらん。」と言って笑った。こんな会話も、繁夫さんたちが聞いたら、さぞ鼻持ならない、気障(きざ)ったらしいもののような気がするのだろう。そんなら僕たちは、どうすればいいのだ。僕たちは、ちっとも思い上ってなんかいないのだ。いつでも、とても遠慮をしているのに。ああ、東京へ帰りたい。田舎は、とてもむずかしい。ゴルフをつづける気力も無く、僕たちは悲しい冗談を言い合いながら、家へ帰った。
お昼には、また一つ失敗した。これは大きな失敗だった。しかも、それは、一から十まで僕ひとりが悪かったのだから、たまらない。
お昼ごはんをすましてから、僕は兄さんをお庭にひっぱり出して、写真をとってあげていたら、垣根(かきね)の外で石塚(いしづか)のおじいさんの孫が二人、こそこそ話合っているのが聞えた。
「おらも、三つの時、写真とってもらっただ。」男の子が得意そうに言う。
「三つん時?」妹の声である。
「そうだだ。おらは帽子かぶってとっただ。だけんど、おらは覚えてねえだ。」
兄さんも僕も噴き出した。
「遊びにいらっしゃい。」と兄さんは大きい声で言った。「写真をとってあげますよ。」
垣根の外は、しんとなった。石塚のおじいさんは、昔この別荘の留守番をしてくれていた人で、いまもやはり此(こ)の辺に住んでいるのである。お孫さんは、上の男の子が十くらい、下の女の子が、七つくらい。やがて二人は、顔を真赤にして、ちょこちょこと庭へはいって来て、すぐに立ちどまり、二人とも、いよいよ顔を燃えるように赤くしてはにかみ、一歩も前にすすまない。その、もじもじしている様は、とても上品で感じがよかった。
「こっちへいらっしゃい。」と兄さんが手招きして、それから、ああ、僕は実にまずい事を言ってしまった。
「お菓子をあげるぜ。」
女の子は、ふっと顔をあげて、それからくるりと背を向け、ぱたぱたと逃げた。男の子は、女の子ほど敏感でないらしく、ちょっとまごついていたが、これもすぐ女の子の後を追って逃げてしまった。
「だしぬけに、お菓子をあげるなんて言ったら、子供だって侮辱を感ずるよ。そんな気で来たんじゃないというプライドが、あるんだよ。」兄さんは、残念そうな顔をして言った。「ばかだなあ。これだから、繁夫さんにも反感を持たれるんだよ。」
一言の弁解も出来なかった。やはり僕には、どこかに思い上った気持があるのだろう。くだらないおっちょこちょいだよ、僕は。
どうも田舎はいけない。躓(つまず)いてばかりいる。暗い気持である。よっぽど、石塚のおじいさんのところへ行って、あの小さい兄妹(きょうだい)にお詫(わ)びをして来ようと思ったけれど、やはり行けなかった。大袈裟(おおげさ)のような気がして、恥ずかしく、どうしても行けなかった。
あすは東京へ帰ろうと思う。兄さんに相談したら、兄さんも、そろそろ帰りたいと思っていたところだ、と言って賛成してくれた。
夕方、風呂からあがって鏡を見たら、鼻頭が真赤に日焼けして、漫画のようであった。瞼(まぶた)が二重になったり三重になったり一重になったり、パチクリする度毎(たびごと)に変る。眼が落ちくぼんだのかも知れない。運動しすぎて、却(かえ)って痩(や)せたのだ。ひどく損をしたような気がした。早く東京へ帰りたい。僕は、やっぱり都会の子だ。
四月八日。土曜日。
九十九里は晴れ、東京は雨。家へ着いたのは、午後七時半ごろだった。姉さんが来ていた。へんな気がした。「ついさっき、ちょっと遊びに来たの。」と姉さんは澄まして言っていたが、後で木島さんは、うっかり、おとといの晩から来ているのだという事を僕たちに漏(もら)してしまった。姉さんは、どうしてそんな不必要な嘘(うそ)をつくのだろう。何かあるのかも知れない。とにかく疲れて、僕たちは風呂へはいって、すぐに寝た。
四月九日。日曜日。
曇天。午後一時に起きた。やはり自宅は、ぐっすり眠れる。蒲団(ふとん)のせいかも知れない。兄さんは、僕よりずっと早く起きたようだ。そうして姉さんと、何か言い争いをしたらしい。姉さんも、兄さんも、互いにツンとしている。何かあったのに違いない。そのうち、真相が、わかるだろう。姉さんは、僕にもろくに話掛けずに、夕方、下谷(したや)へ帰って行った。
夜、兄さんは僕を連れて、神田(かんだ)へ行き、大学の制帽と靴とを買ってくれた。僕はその帽子を、かぶって帰った。帰りのバスの中で、
「姉さんどうしたの?」と僕が聞いたら、兄さんは、ちえっと舌打ちして、
「馬鹿な事を言うんだ。馬鹿だよ、あれは。」と言って、それっきり黙ってしまった。それこそ、苦虫(にがむし)を噛(か)みつぶしたような顔をしていた。ひどく怒っているようだ。
何かあったに違いない。けれども僕は、なんにも知らないから、口を出す事も出来ない。当分、傍観していよう。
あすは洋服屋が、洋服の寸法をとりにやって来る筈だ。兄さんは、レインコートも買ってくれると言っていた。だんだん、名実ともに大学生らしくなって行くのだ。流れる水よ。R大学にパスして、やっぱりよかったなあ、と今夜しみじみ思った。も少し経(た)ったら、演劇の勉強も本格的にはじめるつもりだ。兄さんは、まず、演劇のいい先生に紹介してあげると言っている。斎藤(さいとう)氏の事かも知れない。斎藤市蔵氏の作品は、日本ではもう古典のようになっていて、僕なんか批評する資格もないが、内容が、ちょっと常識的なところがあって物足りない。けれども、スケエルは大きいし、先生とするには、あんな人が一ばんいいのかも知れない。
兄さんは、芸術の道はむずかしいと言っている。けれども、勉強だ。勉強さえして置けば、不安は無い。やってみたいと思う道を、こうしてやってゆけるようになったのも、兄さんのおかげだ。一生涯(いっしょうがい)、助け合って努めて、そうして成功しよう。お母さんだって、いつも、「兄弟仲良く」とおっしゃっているのだ。お母さんも、きっと喜んでくれるだろう。
兄さんは、さっきからお母さんの部屋で、何か話込んでいる。ずいぶん永い。いよいよ、何かあったのに違いない。じれったい。
四月十日。月曜日。
晴れ。学校から正式の合格通知が来る。始業式は二十日である。それまでに洋服が間に合えばいいが。きょう洋服屋さんが、寸法をとりに来た。流行の型でなく、保守的な型のを註文(ちゅうもん)した。流行型の学生服を着て歩くと、頭が悪いように見えるからいけない。じみな型の洋服を着て歩くと、とても、秀才らしく見えるものだ。兄さんも、なんでもない普通の型の学生服を着ていた。そうして、とても秀才らしく見えた。
夕方、よしちゃんが遊びに来た。商大生、慶ちゃんの妹である。まだ女学生であるが、生意気である。
「R大にはいったんだって? よせばいいのに。」ひどい挨拶である。
「商大はいいからねえ。」と言ってやったら、あんなのもつまらない、と言う。何がいいのかと聞いたら、中学生は、可愛くって一ばんいいと言う。話にならない。
梅やに、スカートのほころびを縫わせて、縫いあがったら、さっさと帰って行った。また洋服の事だが、女学生の制服ってどうしてあんなに野暮臭く、そうして薄汚いのだろう。も少し、小ざっぱりした身なりが出来ないものか。路(みち)を歩いても、ひとりとして、これは! と思うようなものが無いではないか。みんな、どぶ鼠(ねずみ)みたいだ。服装があんな工合(ぐあい)だから、心までどぶ鼠のように、チョロチョロしている。どだい、男子を尊敬する気持が全然、欠如しているのだから驚く。
きょうは兄さん、午後からお出掛け。いまは夜の十時だが、まだ帰らぬ。事件の輪郭がほぼ、僕(ぼく)にもわかって来た。
四月二十四日。月曜日。
晴れ。われ、大学に幻滅せり。始業式の日から、もう、いやになっていたのだ。中学校と少しもかわらぬ。期待していた宗教的な清潔な雰囲気(ふんいき)などは、どこにも無い。クラスには七十人くらいの学生がいて、みんな二十歳前後の青年らしいのに、智能(ちのう)の点に於ては、ヨダレクリ坊主(ぼうず)のようである。ただもう、きゃあきゃあ騒いでいる。白痴ではないかと疑われるくらいである。僕のほうの中学からは、赤沢がひとり来ているだけだが、赤沢は、五年からはいって来た人だから、僕とはそんなに親しくはない。ちょと目礼を交すくらいのところである。だから僕は、クラスに於ては、全くの孤立である。白痴五十人、点取虫十人、オポチュニスト五人、暴力派五人、と僕は始業式の時に、早くもクラスの学生を分類してしまったのである。この分類は正確なところだと思う。僕の観察には、万々(ばんばん)あやまりは無いつもりである。天才的な人間は、ひとりも見当らない。実に、がっかりした。これでは僕が、クラス一番の人物ということになるようだ。張り合いの無い事おびただしい。共に語り、共にはげまし合う事の出来る秀抜のライバルが、うようよいるかと思ったら、これではまるで、また中学校の一年へ改めてはいり直したようなものだ。ハーモニカなどを教室へ持って来る学生なんかあるのだから、やり切れない。二十日、二十一、二十二と、三日(みっか)学校へかよったら、もういやになった。学校をよして、早くどこかの劇団へでもはいって、きびしい本格的な修業にとりかかりたいと思った。学校なんて、全然むだなもののような気がした。きのうは一日、家にいて「綴方(つづりかた)教室」を読了し、いろいろ考えて夜もなかなか眠られなかった。「綴方教室」の作者は、僕と同じ歳(とし)なのだ。僕もまったく、愚図愚図(ぐずぐず)しては居られないと思ったのだ。貧乏で、そうして、ちっとも教育の無い少女でも、これだけの仕事が出来るのだ。芸術家にとって、めぐまれた環境というのは、かえって不幸な事ではあるまいか、と思った。僕も早く、現在の環境から脱(ぬ)け出して、劇団のまずしい一研究生として何もかも忘れて演劇ひとつに打ち込んでみたいと思った。朝の四時過ぎに、やっと、うとうと眠って、けさの七時に目ざまし時計におどろかされて、起きたら、くらくら目まいがした。それでも、辛(つら)い義務で、学校まで重い足を運ぶ。