饭饭TXT > 海外名作 > 《仮面城(日文版)》作者:[日]横溝正史/横沟正史【完结】 > [ジュヴナイル] 横溝正史 「仮面城」 v0.9.txt

文章简介

作者:日-横溝正史/横沟正史 当前章节:15387 字 更新时间:2026-6-16 00:33

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角川e文庫

 仮面城

横溝正史

目 次

 仮面城

 悪魔の画像

 ビーナスの星

 怪盗どくろ指紋

 仮面城

   たずねびと

 世のなかには十年に一度か百年に一度、人間の思いもおよばぬぶきみな事件が起こることがある。しかし、そういう恐ろしい事件でも、はじめはなんのかかわりもない、ふつうのできごとのように見えることが多いものだ。

 なにも知らずにそのなかにまきこまれたひとびとは、途中で事件の恐ろしさに気がついて、身ぶるいをして逃げだそうとするが、そのときにはもう、金しばりにあったように、身動きもできなくなってしまう。

 |竹《たけ》|田《だ》|文《ふみ》|彦《ひこ》のばあいがちょうどそれだった。あのとき文彦がテレビのチャンネルをまわしさえしなかったら、あの老人をたずねていなかったら、さてはまた、あの金の箱をうけとらなかったら、これからお話するような、かずかずの恐ろしい事件のなかに、まきこまれるようなことはなかったかもしれない。

 文彦はことし十二歳、東京の山の手にある、|花園小学校《はなぞのしょうがっこう》の六年生。おとうさんは丸の内に事務所を持っている貿易会社の会社員で、おかあさんはもと、オペラなどにも出た有名な歌手だったが、いまは舞台も音楽もやめて、ただ文彦の成長を楽しみに、貧しいながらも一家むつまじく暮らしているのだ。

 十年まえ、中国からひきあげてくるまでは、文彦の一家も、|香《ホン》|港《コン》ではなやかな暮らしをしていて、自動車の三台も持っていたくらいだが、いまはもうその|面《おも》|影《かげ》もなく、四十歳をすぎたおとうさんが、友だちの経営している会社へ、毎日べんとうさげてかよっているありさまである。

 しかし、おとうさんもおかあさんも、そのことについて、不平をいったことは一度もなく、文彦もじぶんを不しあわせだなと思ったことはない。ところが春休みのとある一日から、思いがけない運命が、このあどけない、目のクリクリとした少年のうえにおそいかかってきたのだった。

 その朝、おとうさんは会社の用で、大阪のほうへでかけていたし、おかあさんはかぜをひいて寝ていた。しかし、べつに心配するほどのことはないので、文彦はいつものとおり、勉強をすませると、ふと、テレビのスイッチをひねったが、チャンネルをまわしたとたん、耳にとびこんできたのは、司会者のつぎのようなことばだった。

[#ここから2字下げ]

……香港の0街三十六番地に住んでいられた、竹田文彦さんのことをご存じのかたは世田谷区|成城町《せいじょうまち》一〇一七番地、|大《おお》|野《の》|健《けん》|蔵《ぞう》さんまでお知らせください。

[#ここで字下げ終わり]

 朝のニュース.ショーでやっているたずねびとのコーナーだったのである。

 文彦はびっくりしてしまった。香港0街三十六番地に住んでいた竹田文彦とは、じぶんのことではないか。

 隣のへやに寝ていたおかあさんも、びっくりして起きてきたが、そのテレビが、またしてもおなじことをくりかえした。

 おかあさんと文彦は、だまって顔を見合わせていたが、やがて文彦があえぐような声でいった。

「おかあさん、ぼ、ぼくのことですね」

 おかあさんはだまってうなずいた。なんとなく不安そうな顔色である。

「でも、大野健蔵ってだれなの。どうしてぼくをさがしているの?」

「おかあさんにもわかりません。いままで一度もきいたことがない名まえです」

「おとうさんのお知り合いでしょうか」

「いいえ、おとうさんのお知り合いなら、みんなおかあさんが知っています。いままで一度もおとうさんから、そんなお名まえをうかがったことはありませんよ」

 文彦とおかあさんは、そこでまただまって顔を見合わせてしまった。前にもいったように、文彦のおかあさんというひとは、舞台に立っていたことがあるだけに、年より若く見え、いまはかぜをひいて多少やつれてはいるものの、たいへんきれいなひとだった。

 そのきれいなおかあさんが、なにか気にかかることがあるらしく、心配そうにわなわなと、くちびるをふるわせているのが、文彦にはなんとなくみょうに思われてならなかった。

「おかあさん、ぼく、いってきましょうか」

「いくってどこへ……?」

「大野健蔵さんというひとのところへ……」

「そ、そんなあぶないこと……相手がどんなひとだかわかりもしないのに……」

「だって、テレビを見ていながら、だまっているのは悪いでしょう。ぼく、いってきます。だいじょうぶですよ。むこうへいってみて、なにかいやなことがありそうだったら、なかへはいらずに帰ってきます。それならいいでしょう」

 文彦はもうすっかり決心をしていた。

 少年はだれしも冒険心や、まだ見ぬ世界にあこがれる強い好奇心を持っているものだが、文彦もやっぱりそのとおりだった。

 だからその日、文彦はテレビのたずねびとを知ると、やもたてもたまらなくなり、心配してひきとめるおかあさんを、いろいろとなだめて、とうとう成城の大野健蔵というひとをたずねていくことになった。

 成城には友だちがいるので、まえに二、三度遊びにきたことがある。それに家を出るまえに、地図を調べてきたので、一〇一七番地というあたりも、だいたい見当がついていた。

 小田急の成城駅で電車をおりて、駅の北側出口から外へ出ると、そこにはいかにも学校町らしい、おちついた桜並木の、|舗《ほ》|装《そう》|道《どう》|路《ろ》がつづいていた。桜並木のサクラはいまそろそろひらきかけているところだった。その道を十分くらい步いていくと、きゅうに家がとだえて、その先は、さびしい|武蔵《む さ し》|野《の》の景色がひろがっている。畑にはムギがあおみ、空にはヒバリがさえずっていた。そして、あちこちに点々として見えるのは、|雑《ぞう》|木《き》林にとりかこまれたワラぶきの家。

 文彦はきゅうに心細くなってきた。じぶんがこれからたずねていこうという家は、こんなさびしいところにあるのだろうか……。

 まえに二、三度、成城へ遊びにきたことのある文彦は、成城といえば上品な、高級住宅街だとばかり思っていた。そして、そこに住んでいる大野健蔵というひとの家も、そういう邸宅の一つだろうとばかり思いこんでいたのである。

 ところが、そういう住宅街には一〇〇〇台の番地の家はなく、一〇一七番地といえば、どうしてもこのさびしい、ムギ畑と雑木林の奥にあることになるのだ。

 文彦はポケットから、もう一度地図をだして調べてみたが、やっぱりそうだった。大野健蔵というひとの住んでいる一〇一七番地は、どうしてもこのさびしい、武蔵野の奥にあることになるのである。

 文彦は勇気のある少年だったが、さすがにちょっとためらわずにはいられなかった。よっぽどそこからひきかえそうかと思ったが、そのときだった。だしぬけにうしろから、

「坊っちゃん、坊っちゃん、ちょっとおたずねいたしますが……」

 と、しゃがれた声をかけた者がある。

 文彦はなにげなく、そのほうをふりかえったが、そのとたん、冷たい水でもぶっかけられたように気味の悪さを感じたのだった。

 そのひとはおばあさんだった。しかし、ふつうのおばあさんではなく、なんともいいようのないほど、気味の悪いおばあさんなのである。きみたちもきっと西洋のおとぎばなしのさし絵で、意地の悪い魔法使いのおばあさんの絵を見たことがあるだろう。

 いま、文彦に声をかけたおばあさんというのが、そういう絵にそっくりなのだった。そろそろサクラも咲こうというのに、黒く長いマントを着て、頭からスッポリと、三角形の|頭《ず》|巾《きん》をかぶっている。そして、その頭巾の下からはみだしている、もじゃもじゃとした銀色の髪、ギョロリとした意地の悪そうな目、ワシのくちばしのような曲がった鼻、腰が弓のように曲がり、こぶだらけの長いつえをついているところまで、魔法使いのおばあさんにそっくりなのだ。

 文彦はあまりのことに、しばらくはことばがでなかった。するとおばあさんは意地悪そうな目で、ジロジロと文彦を見ながら、

「これ、坊っちゃん、おまえはつんぼかな。わしのいうことが聞こえぬかな。おまえにちょっと、たずねたいことがあるというのに……」

「は、はい。おばあさん。ぼ、ぼくになにかご用ですか?」

 文彦はやっと声がでた。それから急いでハンカチをだしてひたいの汗をふいた。

「おお、おまえにたずねているのじゃよ。このへんに大野健蔵という男が住んでいるはずじゃが、おまえ知らんかな?」

 大野健蔵――と、声をだしかけて、文彦は思わずつばきをのみこんだ。どういうわけか文彦は、そのとき正直に、〈大野健蔵さんなら、ぼくもいまさがしているところです〉とはいえなかったのである。

 文彦がだまっていると、おばあさんはかんしゃくを起こしたように、トントンとこぶこぶだらけのつえで地面をたたきながら、

「これ、なんとかいわぬか。大野健蔵――知っているのかおらんのか」

「ぼ、ぼく、知りません。おばあさん、ぼくこのへんの子じゃないんですもの」

 文彦はとうとううそをついてしまった。もっとも文彦も、まだ大野健蔵というひとの家を知らないのだから、まんざらうそともいえないのだが、するとおばあさんは、こわい目でジロリと文彦をにらみながら、

「なんじゃ。それじゃ、なんでそのことを早くいわんのじゃ。ちょっ、つまらんことでひまをつぶした」

 魔法使いのようなおばあさんは、そこでクルリと背をむけると、コトコトとつえをつきながら、ムギ畑のあいだの道をむこうの雑木林のほうへ步いていった。

 文彦はまたしても、ゾーッとするような寒気をおぼえずにはいられなかった。

   草の上の血

 文彦はますます気味が悪くなってきた。じぶんのたずねていこうとする、大野健蔵というひとの家がこんなさびしいところにあるだけでも、ビクビクしているのに、おなじその家へたずねていこうとするのが、あの気味の悪いおばあさんとは。

 大野健蔵というひとと、あのおばあさんとのあいだに、どんな関係があるのか知らないがあんな気味の悪いおばあさんの知り合いがあるところを見ると、なんだか大野健蔵というひともまともなひとのようには思えなくなってきた。

〈よそう。よそう。やっぱりおかあさんのいったとおりだ。子どものぼくがでかけてくるのがまちがっていたのだ。おとうさんが帰ってくるのを待って、よく相談するのがほんとうだったのだ〉

 そこで文彦はクルリとまわれ右をすると、いまきた道をものの百メートルほどもひきかえしたが、ああ、あとから思えば文彦が、そのまま家へ帰っていたら、あのように恐ろしい事件にも出会わず、また、あのように、奇々怪々な思いもせずにすんだかもしれないのだ。

 ところが、桜並木を百メートルほどひきかえしてきたところで、文彦はハッとあることに気がついた。

 あのおばあさんははたして、大野健蔵というひとの、仲のよい友だちなのだろうか。いやいや、さっきのことばのようすでは、なんだかそうではないように思われる。そのしょうこに、大野健蔵という名まえを口にしたとき、おばあさんの目が、なんとなく意地悪そうにかがやいたではないか。あのおばあさんは大野健蔵というひとの味方ではなく、ひょっとすると敵ではないだろうか。

 それからまた、文彦はこんなことにも気がついた。

 あのおばあさんが、大野健蔵というひとをたずねてきたのは、あのひともまた、きょうのテレビを見たせいではないか。それで、大野健蔵というひとのいどころを知り、それでああして、押しかけていくのではあるまいか……。

 少年の心のなかには、おとなもおよばぬするどさがやどっていることがある。とっさのあいだにこれだけのことを考えると、文彦はこんどはきゅうに、大野健蔵というひとのことが心配になってきた。そこでまた、まわれ右をすると、大急ぎでさっきのところまできたが、そのときにはもう気味の悪いおばあさんのすがたは、どこにも見あたらなかった。

 文彦はしかしもうためらわなかった。ムギ畑のあいだの道を、ズンズンすすんでいくと、間もなく雑木林にそって道が曲がっている。そのへんまでくると、あたりはいよいよさびしく、どこにも人影は見あたらない。

 道のいっぽうはふかい雑木林になっていて、反対側には、流れの早い小川が流れているのだ。そして小川のむこうは、ふかい竹やぶである。

 文彦はしばらくその道を步いていったが、すると、曲がりくねった道のほうから、急ぎ足にこちらのほうへやってくる足音が聞こえてきた。文彦は立ちどまって、その足音を聞いていたが、きゅうに顔色をかえると、かたわらの雑木林にとびこんで、草のなかに身をふせた。足音のなかにまじっている、コトコトというつえの音を聞いたからだった。

 むこうからやってきたのは、はたしてさっきのおばあさんだった。おばあさんは息をきらしてあたふたと、文彦のかくれているまえまでくると、そこでふと立ちどまって、鋭い目であたりを見まわすと、いままで弓のように曲がっていた腰を、きゅうにシャンとのばしたではないか。

 文彦は思わずアッと息をのみこんだ。ああ、このひとはおばあさんではないのだ。おばあさんのまねをしているだけなのだ。ひょっとするとこのひとは、男ではないのだろうか。

 あやしいひとは、また鋭い目であたりを見まわすと、やがてつえを草の上において、土手をくだってむこうの小川のふちへおりていった。そして、ジャブジャブと手をあらっているようすだったが、それがすむと、草の上においたつえをとりあげ、それをまたジャブジャブとあらった。

 そして、それにきれいにぬぐいをかけると、道の上へあがってきて、それからもう一度、鋭い目であたりを見まわすと、いままでシャンとのばしていた腰をふたたび弓のように曲げ、コトコトとつえをついて、雑木林のむこうへ消えていった。

 あまりの気味悪さに、文彦の心臓は、はやがねをつくようにおどった。あやしいひとの足音が聞こえなくなってからのちも、文彦はずいぶん長いあいだ、草のなかにかくれていたが、やっと安心して、雑木林から逃げだしたときには、からだじゅうがべっとり汗でぬれていた。しかも、そのとき文彦は、まだまだもっと恐ろしいものを見たのである。あやしいひとがさっきつえをおいた草の上を見ると、べっとり赤くぬれているではないか。文彦はおそるおそる指でさわってみて、すぐに、それが血であることに気がついた。

 ああ、さっきのひとは、小川で血のついた手をあらっていたのだ。

   白髪の老紳士

 文彦が臆病な少年だったら、もうそれ以上がまんすることはできなかったにちがいない。きっとその場から逃げだして、家へ帰ったにちがいない。

 ところが文彦はたいへん勇敢な少年だったので、それを見ると反対に勇気が出てきた。文彦は大急ぎで、いまあやしいひとがやってきたほうへ走っていった。

 すると、ものの五十メートルもいかないうちに、むこうのほうから聞こえてきたのは、けたたましい悲鳴だった。どうやらひとを呼んでいるらしく、かわいい少女の声のようなのだ。

 文彦はそれを聞くと、いよいよ足を早めて走っていったが、すると、きゅうに雑木林がとぎれて、一軒の洋館が目のまえにあらわれた。見るとその洋館の窓から、文彦とおなじ年ごろの少女が、半身をのりだし、両手をふって、金切り声をあげているのだ。

 文彦はそれを見ると、むちゅうで門のなかへとびこんだ。門から玄関までは二十メートルくらいある。文彦はその道をむがむちゅうで走っていくと、玄関からなかへとびこんだが、そのまえに、ちらりと玄関のわきにかかっている表札を見ることを忘れなかった。

 その表札には、たしかに、大野健蔵という四文字。

 文彦はハッと胸をおどらせると、少女の叫んでいる、左側のへやへはいっていったが、そのとたん、思わずアッと立ちすくんでしまった。

 そこは二十畳じきもあろうと思われる、広い、そしてぜいたくな洋間だった。いすからテーブル、窓のカーテンから床のしきもの、なにからなにまで古びてはいるものの、金目のかかったりっぱなものばかりである。

 そのりっぱな洋間の中央に、頭の白い老人が、うつむけになって倒れていた。しかも、まっ白な頭のうしろには、大きな傷ができて、そこから恐ろしい血が|噴《ふ》きだしているのだ。

「あ、こ、これはどうしたのです?」

 文彦がたずねると、

「どうしたのか、わたしにもわかりませんの。いまお使いから帰ってみると、おとうさんがこうして倒れていたんです」

 少女は頭をおかっぱにして、かわいいセーラー服を着ている。

「このひとはきみのおとうさんなの?」

 少女は涙のいっぱいたまった目で、コックリとうなずいた。

「それじゃ、表札に出ている大野健蔵さんというひとは、このひとのことなの」

 少女はまたコックリとうなずいたが、そのときだった。

 大野健蔵という名が耳にはいったのか、床に倒れていたひとがかすかに身動きをすると、

「だ、だれだ……|香《か》|代《よ》|子《こ》……だれかきているのか……」

 と、弱々しい声でつぶやいた。

「アッ。きみ、香代子さんというの。おとうさん、気がおつきになったようだよ、なにか薬はないの?」

「あら、わたし、忘れていたわ、すぐ取ってくるわ」

 香代子は大急ぎで、へやからとびだしていったが、そのあとで、床に倒れていたひとは、よろよろと起きなおった。

 年はまだ、五十まえだと思われるのに、頭の毛はもう雪のようにまっ白だ。そしてなんとなく、上品な感じのする紳士だったから、文彦はホッと胸をなでおろした。このひとならば悪人ではない。……白髪の紳士は床から起きなおったが、まだ頭がふらふらするらしく、足もとがひょろついているので、文彦は大急ぎでいすを持ってきてあげた。

「おじさん、これにおかけなさい。あぶないですよ」

「ありがとう、ありがとう……」

 白髪の紳士はよろよろといすに腰をおろすと、はじめて文彦に気がついたように、

「おや、きみは……?」

「おじさん、ぼく、竹田文彦です。きょうのテレビを見てやってきたんです。おじさん、なにかぼくにご用ですか?」

 竹田文彦という名を聞いたとたん、白髪の老紳士の顔色がサッとかわった。

 ああ、このひとは文彦に、いったい、どのような用事があるというのだろうか。

   地底の音

「文彦――おお、きみが文彦くんだったのか」

 白髪の老紳士の顔には、サッと喜びの色が燃えあがったが、すぐにまたいたそうに顔をしかめて、

「香代子は……香代子はどうした?」

「香代子さんならいま薬をさがしにいきました。おじさん、いったいどうしたんですか?」

「いや、なに、年をとるとしかたないもんでな。足をすべらせて、|暖《だん》|炉《ろ》のかどにぶっつけたのじゃ。ははは……」

 文彦は思わず相手の顔を見なおした。

 このひとはうそをついている。このひとはさっきの老婆のステッキで、なぐり倒されたのにちがいないのだ。それなのに、なぜこんな見えすいたうそをつかねばならないのだろう。……文彦はなんとなく、気味が悪くなってきたが、そこへ香代子が薬とほうたい[#「ほうたい」に傍点]を持ってきた。

 そこで文彦も手伝って、応急手当てをしたが、幸い傷は思ったより、ずっと軽かった。

「おとうさま、お医者さまは……?」

 香代子が心配そうにたずねると、

「いいんだ、いいんだ、医者なんかいらん」

 そのことばつきがあまりはげしかったので、文彦はまた、相手の顔を見なおしたが、すると老紳士も気がついたように、にわかにことばをやわらげて、

「香代子、おまえはむこうへいっておいで、わしはこの少年に話があるから」

 香代子は心配そうな目で、オドオドとふたりの顔を見ていたが、それでもだまってへやから出ていった。

 あとには老紳士と文彦のふたりきり。老紳士は無言のままくいいるように文彦の顔をながめている。文彦はなんとなく、きまりが悪くなってうつむいてしまったが、そのときだった。文彦は老人のほかにもうひとり、だれかの目がジッとじぶんを見ているような気がしてハッと顔をあげて、へやのなかを見まわした。

 まえにもいったとおり、そこはたいへんゼイタクなへやなのだが、なにもかも古びていて、なんとなく陰気な感じがするのだ。しかし、そこには老人と、文彦のほかにはだれもいない。それではじぶんの気のまよいだったのかと、文彦は老人のほうへむきなおろうとしたが、そのとき、ふとかれの目をとらえたのは、暖炉の横のほのぐらいすみに立っている、大きな西洋のよろいだった。

 文彦はハッとした。ひょっとするとあのよろいのなかにだれかひとが……だが、そのとき老人の声が耳にはいったので、文彦はやっとわれにかえった。

「文彦くん、なにをキョトキョトしているんじゃ。わしのことばがわからんかな。きみのおとうさんの名まえはなんというの?」

「あ、ぼ、ぼくの父は竹田|新《しん》|一《いち》|郎《ろう》……」

「香港でなにをしておられた?」

「貿易会社の社長でした」

「おかあさんの名は?」

「竹田|妙《たえ》|子《こ》といいます」

「いまどこに住んでいるの?」

 まるで口頭試問をうけているみたいである。

 文彦の答えに耳をかたむけていた老紳士は、やがてふかいため息をついて、

「文彦くん、きみはたしかにわしのさがしている少年にちがいないと思うが、念には念をいれたい。左の腕を見せてくれんか。また、さっきのようなことがあっては……」

 さっきのようなこととはなんだろう。そしてまた、なぜ左の腕を見せろというのだろう。……文彦はまた、なんとなくうす気味悪くなってきたが、そのときだった。あの奇妙な物音が聞こえてきたのは……。

 どこから聞こえてくるのか、隣のへやか、天じょううらか……いやいや、それはたしかに地の底から聞こえてくるのだ。キリキリと、時計の歯車をまくような音。……それがしばらくつづいたかと思うと、やがてジャランジャランと、重いくさりをひきずるような音にかわった。

 武蔵野のこの古めかしい一軒家の、地の底からひびいてくるその物音……それはなんともいえぬ気味悪さだった。

   ダイヤのキング

「おじさん、おじさん、あれはなんの音ですか?」

 文彦は思わず息をはずませた。老人もいくらかあわてたようだったが、しかし、べつに悪びれたふうもなく、

「そんなことはどうでもよい。それよりも文彦くん、早く左の腕を見せておくれ」

 物音はいつの間にかやんでいた。文彦はしばらく老人の顔をながめていたが、やがて思いきって上着をぬぐと、グーッとシャツのそでをまくりあげた。老人はくいいるように、左の腕の内側をながめていたが、

「ああ、これだ、これだ。これがあるからには、きみはたしかにわしがさがしていた文彦だ」

 老人の声はふるえている。それにしてもこの老人は、いったいなにを見たのだろう。

 文彦は左腕の内側には、たて十ミリ、横七ミリくらいの、ちょうどトランプのダイヤのような形をした、|菱《ひし》がたのあざがあるのだ。文彦はまえからそれを知っていたが、いままでべつに、気にもとめずにいたのだった。

「おじさん、おじさんのいうのはこのあざのことですか?」

「そうだ、そうだ、それがひとつの|目印《めじるし》になっているんだよ」

「それで、おじさん、ぼくにご用というのは……」

「実はな、あるひとにたのまれて、ずうっとまえからきみをさがしていたんだよ。やっと望みがかなったわけだ」

「おじさん、あるひとってだれですか?」

「それはまだいえない。でもそのことについて二、三日うちに、きみの家へいっておとうさんやおかあさんとも、よくご相談するからね」

 まったくふしぎな話である。けさから起こったこのできごとが、文彦には夢のようにしか思えなかった。えたいの知れない渦のなかにまきこまれて、グルグル回りをしているような、または、なにかに酔ったような気持ちなのだ。

 文彦と老紳士は、しばらくだまって、たがいに顔を見合っていたが、そのときだった。この家のうらあたりで、なんともいえない一種異様な、それこそ、ひとか、けもの[#「けもの」に傍点]かわからぬような叫び声が、一声高く聞こえてきたかと思うと、やがてろうかをドタバタと、こちらのほうへ近づく足音。

 文彦と老紳士は、スワとばかりに立ちあがったが、そこへころげるようにはいってきたのは……ああ、なんという奇妙な人物だろうか。

 背の高さは二メートルちかく、まるで拳闘の選手のような、ガッチリとしたからだを、医者の着るような、白衣でつつんでいるのだが、その顔ときたらサルにそっくり。西洋の土人のように髪がちぢれて、ひたいがせまく、鼻が平べったく、しかも、おお、その声。……なにかいおうとするのだが、あわてているのか、あがっているのか、人間ともけものともわからぬ声で、ただ、ワアワアと叫びつづけるばかりなのだ。

 文彦はあっけにとられて、そのようすをながめていたが、それに気がついた老紳士は、相手をたしなめるように、

「これ、|牛《うし》|丸《まる》、どうしたものじゃ。お客さまがびっくりしていらっしゃるじゃないか。文彦くん、かんにんしてやってください。こいつは口がきけなくてな。もっともふだんは|読唇術《どくしんじゅつ》で、話もできるのだが、きょうはよっぽどあわてているらしい。牛丸、おちつきなさい」

 老紳士にたしなめられて、牛丸青年もいくらかおちつき、手まねをまじえて、なにやら話をしていたが、それを聞くと老紳士の顔が、とつぜん、キッとかわった。

「な、な、なんだって? それじゃまたダイヤのキングが……」

「おう、おう、おう……」

「よし、案内しろ」

 老人はよろめく足をふみしめながら、牛丸青年のあとからついていく。文彦はちょっとためらっていたが、思いきってあとからついていった。

 洋館のうしろはしばふの庭になっていて、そのしばふの中央に太いスギの古木がそびえている。そのスギの木のそばに、香代子がまっさおになって立っていた。

 牛丸青年にみちびかれるままに、老人はよろよろと、スギの木のそばへ近づいていったが一目その幹を見ると、アッと叫んで立ちすくんでしまった。

 スギの幹のちょうど目の高さあたりに、みょうなものが五寸くぎで、グサリと突きさしてあるのである。それはトランプのダイヤのキングだった。

   黄金の小箱

「アッ、こ、これはいけない!」

 ヘビにみこまれたカエルのように、しばらく、身動きもせずに、あのあやしいダイヤのキングを見つめていた老紳士は、とつぜん、そう叫んでとびあがった。そして、そのひょうしに文彦のすがたを見つけると、

「アッ、文彦くん、きみもここへきていたのか。いけない、いけない。きみはこんなところへきちゃいけないのだ!」

 そう叫んで文彦の手をとると、

「さあ、いこう、むこうへいこう、香代子。牛丸。おまえたちも気をつけて……」

 文彦の手をとった老紳士は、逃げるように勝手口からなかへはいると、さっきのへやへ帰ってきた。そして、そこで文彦の手をはなすと、まるでおり[#「おり」に傍点]のなかのライオンみたいに、ソワソワとへやのなかを步きまわりながら、しどろもどろのことばつきで、

「文彦くん、もういけない。きょうはゆっくり、きみにごはんでも食べていってもらおうと思っていたのだが、そういうわけにはいかなくなった。きみ、すまないが帰ってくれたまえ。そして、二度とこの家へ近寄らぬように……そのうちにわしのほうからたずねていく。さあ、早く、……早く帰って……いや、ちょっと待ってくれたまえ」

 そこまでいうと老紳士は、風のようにへやのなかからとびだしていった。

 文彦はあっけにとられて、キツネにつままれたような気持ちだった。いったい、くぎづけにされたあのダイヤのキングには、どういう意味があるのだろう。そしてまた、この家のひとたちは、いったいどういう人間なのだろうか。

 あの老紳士にしても、香代子という少女にしても、また、口のきけない牛丸にしても、けっして悪いひとたちとは思えない。しかし、なんとなく気味が悪いのだ。あのふしぎな老婆といい、地底からひびくみょうな音といい、この家をつつむ空気のうちには、なにかしらただならぬものが感じられるのだ。

 文彦はぼんやりと、そんなことを考えていたが、そのときまたもや、だれかにジッと見つめられているような気が強くした。文彦はハッとしてへやのなかを見まわしたが、そのとき強く目をひいたのは、あの西洋のよろいである。

 ああ、やっぱりあのよろいのなかには、だれかいるのではあるまいか。そしてかぶとの下から、じぶんを見つめているのではないだろうか……。

 文彦はなんともいえぬ恐ろしさを感じたが、それと同時に、どうしてもそれをたしかめずにはいられない、強い好奇心にかられた。文彦はソッとよろいに近づいていった。ああ、たしかにだれかがかくれているのだ。かすかな息づかいの音……。

 だが、文彦がいま一步でよろいに手がふれるところまできたとき、あわただしい足音とともに、帰ってきたのは老紳士だった。

「ああ、文彦くん、そんなところでなにをしているのだ。さあ、これを持ってお帰り。日が暮れるとあぶない。早くこれを持って……」

 見ると老人の手のひらには、金色の小箱がのっている。

「おじさん、これはなんですか?」

「なんでもいい。おかあさんにあげるおみやげだ。もし、きみのおとうさんやおかあさんがお困りになるようなことがあったら、この箱をあけてみたまえ。なにかと役に立つだろう」

 老人はそういうと、むりやりに黄金の小箱を、文彦のポケットに押しこみ、

「さあ、早くお帰り、そして、もう二度とここへくるんじゃありませんぞ。そのうちに、きっとわしのほうからたずねていく……」

 老人はそういって、押しだすように玄関から、文彦をおくりだすと、バタンとドアをしめてしまった。

 文彦はいよいよキツネにつままれた気持ちである。それと同時になんともいえない気味悪さをおぼえた。文彦はワッと叫んでかけだしたいのを一生けんめいこらえて、その家の門を出ると、足を早めて、さっきのやぶかげの小川のほとりまできたが、そのときうしろから、だれやらかけつけてくる足音……。

   三つの約束

 文彦はギョッとして立ちどまったが、追ってきたのはべつにあやしい者ではなく、大野老人のお嬢さんの香代子だった。

「文彦さん」

 香代子はほおをまっかにして、ハーハー息をはずませながら近づいてくると、

「あなたずいぶん足が早いのね。あたし一生けんめいに走ってきたのよ」

「はあ、なにかぼくにご用ですか?」

「ええ、うっかりして、その箱のあけかたを、教えるのを忘れたから、それをいってこいとおとうさまにいいつけられて……」

「ああ、そうですか」

 文彦はなにげなく、ポケットから黄金の小箱をとりだそうとすると、

「シッ、だしちゃだめ!」

 香代子はすばやくあたりを見まわして、

「文彦さん、あなたお約束をしてちょうだい。三つのお約束をしてちょうだい」

「三つの約束って……?」

「まず第一に、おうちへ帰るまで、ぜったいにその箱を、だしてながめたりしないこと。第二に、ほんとに困ったときとか、いよいよのときでないとその箱をあけないこと。第三に、なかからなにが出てきても、けっしてひとにしゃべらないこと。……わかって?」

「わかりました」

「このお約束、守ってくださる?」

「守れると思います。いや、きっと守ります」

「そう、それじゃ指切りしましょう」

 にっこり笑って、香代子はゲンマンをしたが、すぐまた、さびしそうな顔をして、

「文彦さん、あなたにお目にかかれて、こんなうれしいことはないわ。でも……またすぐにお別れしなければならないんじゃないかと思うのよ」

「どうしてですか?」

 文彦はびっくりして聞きかえした。

「ダイヤのキングよ。ダイヤのキングがスギの幹に、くぎざしになっていたでしょう。ダイヤのキングが、あたしたちの身のまわりにあらわれると、いつもあたしたちは逃げるように、お引っ越しをするの。

 いままでに五ヘンも、そんなことがあったわ。こんどは二年ばかりそんなことがなかったので、やっとおちつけるかと思ったのに……」

「香代子さん、それじゃだれかが、きみたちの家をねらっているというの?」

 そのとき、フッと文彦の頭にうかんだのは、あの気味の悪い老婆だった。それからもう一つ、あの客間にあるよろいのこと。

「アッそうだ。香代子さん、きみんちの客間にあるよろいね。あのなかにはだれかひとがはいっているの?」

「な、な、なんですって?」

 香代子はびっくりして目をまるくした。

「文彦さん、そ、それ、なんのこと? よろいのなかにひとがいるって?」

「いや、いや、ひょっとすると、これはぼくの思いちがいかも知れないんだ。しかし、ぼくにはどうしても、あのよろいのなかにひとがいるような気がしてならなかったんだ。息づかいの音がするような気がしてならなかったんだ。

 それをおじさんにいおうとしたんだが、おじさんがむりやりに、ぼくを外へ押しだすものだから……」

 大きく見張った香代子の目には、みるみる恐怖の色がいっぱいひろがってきた。しばらく香代子は、石になったように立ちすくんでいたが、とつぜん、口のうちでなにやら叫ぶとクルリとむきなおって、

「さようなら、文彦さん、あたし、こうしちゃいられないわ。いいえ、あなたはきちゃだめ。あなたは早くおうちへ帰って……。

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