箱をあけるのは、8.1.3よ」
香代子はまるで猛獣におそわれたウサギのように、やぶかげの小道を走り去っていった。
文彦はいよいよますます、キツネにつままれたような気持ちがした。考えてみると、きょう一日のできごとが、まるで夢のようにしか思えないのだ。
文彦はよっぽど香代子のあとを追って、もう一度あの家へひきかえしてみようかと思ったが、気がつくと、あたりはすでにほの暗くなっていた。
いまからひきかえしたりしたら、すっかり日が暮れてしまうことだろう。
それにきちゃいけないという香代子のことばもあるので、やめてそのままうちへ帰ってきたが、
「ただいま」
と、|格《こう》|子《し》をあけるなり、奥からころがるように出てきたのはおかあさんだった。
「ああ、文彦よく帰ってきたわね。おかあさんは心配で心配で……それに、|金《きん》|田《だ》|一《いち》先生も、けさのテレビを見て、ふしぎに思ってきてくだすったのよ。あまりおそいから、いま迎えにいっていただこうと思っていたところなの」
そういうおかあさんのうしろから、
「や、やあ、ふ、文彦くん、お、お帰り」
と、顔をだしたのは、たいへん風変わりな人物だった。よれよれの着物によれよれのはかま、それにいつ床屋へいったかわからぬくらい、髪をもじゃもじゃにして、少しどもるくせのある、小柄でひんそうなひとなのだ。
そのひとはにこにこしながら奥から出てきたが、ひと目文彦の顔を見ると、
「や、や、どうしたんだ、文彦くん? き、きみはまるで、ゆ、ゆうれいでも見たような、顔をしているじゃないか」
ああ、それにしてもこの金田一先生というのは、いったい何者なのだろうか。
ひょっとすると諸君のなかには、もうこの名を知っているひとがあるかもしれないが……。
名探偵、|金《きん》|田《だ》|一《いち》|耕《こう》|助《すけ》
金田一耕助。――と、いう珍しい名まえは、そうざらにあるものではない。だから諸君のなかにもその名を聞いて、ハハアと思いあたるかたもあることだろう。
名探偵、金田一耕助! そうだ。そのとおりなのだ。みなりこそ貧弱だが、顔つきこそひんそうではあるが、金田一耕助といえば、日本でも一、二といわれる名探偵。その腕のさえ、頭のよさ、いかなる怪事件、難事件でも、もののみごとに、ズバリと解決していく推理力のすばらしさ。
その金田一耕助は、むかしから文彦のおとうさんとは、兄弟のように親しくしている仲だったが、きょう、はからずもテレビのたずねびとの時間に、文彦の名を聞いて、ふしぎに思ってたずねてきたのだった。
「文彦くん、どうしたんだね。それできみは、大野健蔵というひとのところへいってきたのかね」
「はい、いってきました。でも、先生、それがとてもみょうなんです」
「みょうというのは……?」
そこで文彦は問われるままに、きょう一日のふしぎなできごとを、くわしく話して聞かせた。途中で出会った気味の悪い老婆のこと、大野老人のけがのこと、ダイヤがたのあざ[#「あざ」に傍点]を調べられたこと、ダイヤのキングのこと、それからまた西洋のよろいのなかに、だれかがかくれているような気がしてならなかったことなどを、もれなく話したが、ただ、ポケットのなかにある、黄金の小箱のことだけは、どうしても話すことができなかった。それというのが香代子とのかたい約束があるからなのだ。
金田一耕助は話を聞いて、びっくりして目を丸くしていたが、それにもましておどろいたのはおかあさんである。おかあさんはまっ青になって、
「まあ、そ、それじゃ文彦、そのひとはおまえの左腕にある、あのあざ[#「あざ」に傍点]を調べたというの」
「そうです。おかあさん。そして、これがあるからには、まちがいないといいましたよ」
「まあ!」
おかあさんの顔色は、いよいよ血の気を失った。金田一耕助はふしぎそうにその顔を見守りながら、
「おくさん、なにかお心当たりがありますか?」
「いえ、あの……そういうわけではありませんが、あまり変な話ですから……」
おかあさんの声はふるえている。おかあさんはなにか知っているらしいのだ。なにか心当たりがあるらしいのだ。それにもかかわらずおかあさんは、文彦や金田一探偵が、なんどたずねても話そうとはしなかったのだった。
金田一探偵はあきらめたように、もじゃもじゃ頭をかきまわしながら、
「なるほど、するとその老人は、文彦くんの左腕にある、ダイヤがたのあざ[#「あざ」に傍点]を調べた。ところがそれから間もなく、だれかがダイヤのキングをスギの木に、くぎづけにしていったのをみると、ひどくびっくりしたというんだね」
「ええ、そうです、そうです。それこそ気絶しそうな顔色でしたよ」
「そして、客間のよろいのなかに、だれかがかくれていたと……」
金田一耕助はまじろぎもしないで考えこんでいたが、
「とにかく、それは捨ててはおけません。おくさん、ぼくはこれからちょっといってきます」
「え? これからおいでになるんですって?」
「先生がいくなら、ぼくもいきます」
「まあ、文彦」
「いいえ、おかあさん、だいじょうぶです。こんどは先生がごいっしょですもの。それにぼく、いろいろ気になることがあるんです。先生、ちょっと待っててください。ぼく、大急ぎでごはんを食べますから」
それから間もなく文彦は、金田一探偵といっしょに、ふたたび家を出たが、ああ、そのとき文彦がもう少し、気をつけてあたりを見まわしていたら!
文彦と金田一探偵が、急いで出ていくうしろすがたを見送って、やみのなかからヌーッと出てきたのは、ああ、なんとあの魔法使いのように、気味の悪いおばあさんではないか。おばあさんはふたりのすがたが見えなくなるのを待って、ニタリと気味悪い笑いをもらすと、コトコトとつえをついて、文彦の家のほうへ近づいていった。
そこにはかぜをひいたおかあさんが、たったひとりで|留《る》|守《す》ばんをしているはずなのだ。
よろいは步く
さて、そういうこととは夢にも知らぬ文彦と金田一探偵は、電車にのって大急ぎで成城までかけつけたが、そのあいだ金田一探偵は、一言も口をきこうとはしなかった。
考えぶかい目のいろで、ただ、前方を見つめたきり、しきりに髪の毛をかきむしっている。そういうようすを見るにつけ、文彦にもしだいに事の重大さが、ハッキリとのみこめてきた。この名探偵は、なにかに気がついているらしいのだ。ハッキリしたことはわからなくとも、なにかしらぶきみな予感に胸をふるわせているのだ。
それはさておき、文彦と金田一探偵が、成城についたのは、夜の八時ごろのことだった。
幸い今夜はおぼろ月夜、成城の町を出はずれると、武蔵野の林の上に満月に近い丸い月が、おぼろにかすんでかかっている。あたりには人影一つ見あたらない。
ふたりは間もなくきょう昼間、ぶきみな老婆が手をあらっていた、あのやぶかげの小道にさしかかったが、そのときだった。金田一耕助がとつぜん、ギョッとしたように立ちどまったのである。
「先生、ど、どうかしましたか?」
「シッ、だまって! あの音はなんだろう」
金田一耕助のことばに、文彦もギョッと耳をすましたが、するとそのとき聞こえてきたのは、なんともいえぬ異様な物音だった。
チャリン、チャリンと金属のすれあうような音、それにまじってガサガサと、雑草をかきわけるような物音が、林の奥から聞こえてくる。たしかにだれかが、林のなかを步いているのだ。しかし、あのチャリン、チャリンという物音はなんだろう。
金田一探偵と文彦は、すばやくかたわらの木立に身をかくすと、ひとみをこらして音のするほうを見ていたが、やがてアッという叫び声が、ふたりの口をついて出た。それもむりはなかった。ああ、なんということだろう。こずえにもれる月光を、全身にあびながら、林のなかを步いているのは、たしかにきょう文彦が、あの洋館の客間で見た、西洋のよろいではないか。
西洋のよろいはフラフラと、まるで|夢遊病者《むゆうびょうしゃ》のように、林のなかを步いていく。そして、その一足ごとに、チャリン、チャリンと、金属のふれあう音がするのだ。全身は春の月光をあびて白銀色にかがやき、そのうえに、木々のこずえのかげが、あやしいしま[#「しま」に傍点]もようをおどらせている。
あまりのことに、さすがの金田一探偵も、しばらくぼうぜんとしてこのありさまをながめていたが、やがてハッと気をとりなおすと、バラバラと林のなかにとびこんだ。
と、その物音に西洋のよろいは、ハッとこちらをふりかえったが、つぎの瞬間、
「キャーッ!」
それこそ、まるできぬをさくような悲鳴をあげると、クルリとむきをかえて、林の奥へ逃げだした。
「待て!」
金田一耕助ははかまのすそをさばいて、そのあとを追っかけていった。相手はなにしろ重いよろいを着ているのだから、すぐにも追いつきそうなものだが、それがそうはいかなかったのは、金田一探偵の服装のせいだった。
林のなかには雑草が一面にはえている。またあちこちに切り株があったり、背の低いカン木がしげっている。それらのものがはかまのすそにひっかかるので、なかなか思うように走れないのだ。
「先生、しっかりしてください。だいじょうぶですか」
「ちくしょう、このいまいましいはかま[#「はかま」に傍点]め!」
いまさら、そんなことをいってもはじまらない。
こうしてしばらく林のなかで、奇妙な鬼ごっこをしていたが、そのうちに、さすがの金田一耕助も、思わずアッと棒立ちになってしまうようなことが起こった。
たったいままで林のなかを、あちらこちらと逃げまわっていたあのよろいが、とつぜん、ふたりの目のまえから、消えてしまったのである。そうなのだ。それこそ草のなかに、のみこまれたように、あとかたもなく消えうせてしまったのだった。
秘密の抜け穴
「せ、先生、ど、どうしたんでしょう。あいつはどこへいっちまったんでしょう?」
「ふむ」
金田一探偵も文彦も、まるでキツネにつままれたような顔色である。
ああ、じぶんたちは夢を見ていたのであろうか。春の夜の、おぼろの月光にだまされて、ありもしないまぼろしを追っていたのだろうか。……文彦は林のなかを見まわしながら、ブルルッとからだをふるわせたが、そのとき金田一探偵が、
「とにかく、いってみよう。人間が煙みたいに消えてしまうはずはないからね」
雑草をかきわけて、さっきよろいが消えたところまで近づいていったが、すると、すぐに怪物の、消えたわけがわかった。そこには古井戸のような、ふかい穴があいているのだ。
「あ、先生、ここへ落ちたんですね」
「ふむ、こんなことだろうと思ったよ」
金田一耕助はたもとから懐中電燈をとりだすと、穴のなかを調べた。穴のふかさは四メートルくらい、底にはこんもりと雑草がもりあがっているが、怪物のすがたはどこにも見あたらない。
「せ、先生、これはいったいどうしたんでしょう。ここへ落ちたとして、あいつはそれから、どこへいってしまったんでしょう」
「待て待て、文彦くん、これを見たまえ」
金田一耕助は懐中電燈で、このから[#「から」に傍点]井戸の壁のいっぽうを照らしたが、見ればそこには一すじの、鉄ばしごがついているではないか。
「あ、先生、それじゃこの井戸は……」
「抜け穴なんだよ。大野老人もお嬢さんの香代子さんも、しじゅうだれかの見張りをうけて、ビクビクしていたといったね。それでこういう抜け穴をつくって、万一のときの用意にそなえておいたにちがいない」
「先生、それじゃこの井戸をおりていけば、あの洋館へいけるんですね」
「そうだろうと思う。さっきの怪物はそれを知っていてもぐりこんだのか、知らずに落っこちたのか知らないけれど、こうしてすがたが見えないところを見ると、抜け穴へもぐりこんだのにちがいない」
それを聞くと文彦は、なんともいえない強い好奇心と、はげしい冒険心にかりたてられた。ガタガタと武者ぶるいをしながら、
「先生、それじゃぼくたちもいってみましょう。この井戸のなかへもぐってみましょう」
「文彦くん、きみにそれだけの勇気があるかい」
「あります」
「抜け穴のなかに、どのような危険が待っているかわからないぜ」
「だいじょうぶです。ぼく、よく気をつけます」
「よし、それじゃいこう」
金田一耕助はみずから先に立って、鉄ばしごに足をかけた。文彦もそのあとにつづいた。井戸の底までたどりつくと、そこには雑草がこんもりともりあがっている。しかしそれはただの雑草ではなくて、タケであんだわくの上に、たくみに雑草をはさみこんであるのだった。
「文彦くん、わかったよ。これで井戸のふたをして、人目につかぬようにしてあったんだ」
「あっ、先生、ここに抜け穴の口があります」
「よし、それじゃぼくが先にいくから、きみはあとからついてきたまえ」
その横穴は高さが一メートル半くらい、おとなでも、ちょっと身をかがめると、立って步けるくらいの大きさである。
金田一耕助は用心ぶかく、懐中電燈で足元を照らしながら、一步一步すすんでいく。文彦はきんちょうのために、全身にビッショリ汗をかきながら、そのあとからつづいていった。おりおり抜け穴の天じょうから、ポトリと冷たいしずくが落ちてきて、文彦をとびあがらせた。
「文彦くん、それにしてもあの林から、洋館まではどのくらいあるの?」
「はあ、だいたい三百メートルくらいだと思いますけれど、道がくねくね曲がっていますから。……直線距離だと、百メートルくらいではないでしょうか」
「それじゃ、もうソロソロいきつきそうなものだが……あ、ここに鉄ばしごがついている」
どうやら、抜け穴の終点にきたらしい。さっきとおなじように縦穴がついていて、そこに一すじの鉄ばしごがかかっている。そして、穴の上から明るい光が……。
「文彦くん、気をつけたまえ。抜け穴の外になにが待ちかまえているかわからんからね」
「はい!」
金田一耕助がまず鉄ばしごに手をかけた。一步おくれて文彦もあとにつづく。と、そのときだった。上のほうから聞こえてきたのは、きぬをさくようなあやしい悲鳴。それにつづいてドタバタと、床をふみぬくようなはげしい足音、その足音にまじって聞こえるのは、チャリン、チャリンと金属のふれあう物音。……それこそ、あの西洋よろいの身動きをする音ではないか。
黄金と炭素
金田一耕助はそれを聞くと、サルのように鉄ばしごをのぼっていった。
縦穴を出ると、そこにはたたみが三畳しけるくらいの、せまい板の間になっていたが、壁のいっぽうが大きくひらいて、そこから隣のへやの光がパッと、さしこんでいるのだ。
と、見ればそのへやのなかでもみあう二つの影、ひとりはさっきの西洋よろいなのだが、もうひとりは|筋《きん》|骨《こつ》たくましい大男である。
大男はいましも西洋よろいをいすに押しつけ、縄でぐるぐるしばっているところだった。西洋よろいはもう抵抗する勇気もうせたか、ぐったりとして、相手のなすがままにまかせている。金田一耕助はそれを見ると、
「なにをする!」
叫ぶとともにへやのなかへおどりこんだが、この声に、ハッとふりかえった大男は、金田一耕助のすがたを見るとにわかにかたわらのテーブルの上にあった、半リットルくらいのびんを手にとり、はっしとばかりに投げつけた。
びんは暖炉の角にあたって、木っぱみじんにくだけるとともに、なかからパッととび散ったのはなにやらえたいの知れぬ黒い粉末。
金田一耕助はたくみにその下をかいくぐると、
「なにをする!」
ふたたび叫んで、手にした懐中電燈を相手にたたきつけた。
相手もしかし、たくみにそれをさけると、猛然として耕助におどりかかってきたが、いや、その力の強いこと。耕助探偵はたちまち床の上に押し倒され、おまけにぐいぐいのどをしめつけられ、いまにも気が遠くなりそうになったが、そのとき抜け穴からとびだしてきたのが文彦である。このありさまを見ると、ポケットにあった黄金の小箱を、とっさのつぶてとして、はっしとばかりに大男にぶっつけた。
おどろいたのは大男だった。ギョッとしたように金田一耕助からはなれると、こちらにむかって身がまえたが、そのとたん、文彦もおどろいたが、相手のおどろきはそれよりもっとひどかった。
「ア、ア、ア、ア、ア……」
ああ、それは口のきけない牛丸青年ではないか。牛丸青年はしばらく、文彦と金田一耕助を見くらべていたが、
「ア、ア、ア、ア、ア……」
ふたたび奇妙な叫びをあげると、だっと[#「だっと」に傍点]のごとくへやからとびだしていった。そして、そのまま、家の外へ逃げだしてしまったのだ。
「やれやれ、おかげで助かった。もう少しでしめ殺されるところだったよ。おや?」
床の上に起きなおった金田一耕助が、ふと目をとめたのは黄金の小箱である。
「文彦くん、いま投げつけたのはこれかい」
「はい」
「きみはどうしてこんなものを持っているの」
文彦が返事をためらっているのを、あやしむようにながめながら、
「こりゃ、たいしたものだね。本物の金だよ。おや、この箱にも|七《しっ》|宝《ぽう》で、トランプのダイヤのもようがちりばめてあるね。ダイヤのあざにダイヤのキング、そしてこの小箱にもダイヤのもよう[#「もよう」に傍点]……」
金田一耕助はふしぎそうにつぶやきながら、へやのなかを見まわして、
「文彦くん、このへやに見覚えがある?」
「あります。大野老人の客間なんです。そして、そこんとこに西洋のよろいが立っていたんです」
「アッ、西洋のよろいといえば……」
気がついてふりかえると、西洋よろいはいすになかばしばられたまま、ぐったりとしている。どうやら気を失っているようすである。
「おい、しっかりしろ!」
金田一耕助と文彦は、つかつかとそばへ近寄り、かぶとをぬがせてやったが、そのとたん、ふたりとも思わず床からとびあがった。なんと、よろいのなかにいる人物は、文彦とおなじ年ごろの少年ではないか。
「先生、こ、これは……」
「ふむ、こいつは意外だ。こいつがこんな子どもとは……とにかく、縄をといて、よろいをぬがせてやりたまえ」
ふたりは大急ぎで少年の縄をとき、よろいをぬがせてやったが、そのとたん、文彦はまたもや床からとびあがったのだった。
「ど、ど、どうした文彦くん」
「先生、こ、これを……」
文彦の指さしたのは、怪少年の右腕の内側だったが、なんとそこには文彦の、左腕にあるのとおなじ、ダイヤがたのあざが、うすモモ色にうかびあがっているではないか。
「ああ、ダイヤ……ここにもダイヤ……」
金田一耕助はくいいるように、その小さなあざをながめていたが、やがてハッと目をかがやかせると、暖炉のそばへ近寄って、一つまみの粉末をつまみあげた。それはさっき牛丸青年が投げつけた、びんのなかからとび散った粉末なのだ。
金田一耕助はその粉末を、くいいるように見つめていたが、やがて大きく息をはずませると、
「文彦くん、き、き、きみには、こ、これがなんだかわかるかい。こ、これは炭だよ。し、しかも、純粋な、なんのまざり気もない、炭素なんだよ」
金田一耕助は興奮にふるえる声でそういうと、まるでふかいふかいふちでものぞくような目の色をして、ジッと考えこんでしまった。
ふしぎな機械
「先生、この子はだれでしょう。どうしてよろいのなかにかくれていたんでしょう?」
「わからない。それはぼくにもわからない。とにかく、気を失っているようだから、そのソファーに寝かせておいて、気がつくのを待つことにしようじゃないか」
金田一耕助はおちついていた。いや、おちついているというよりも、なにかほかのことに、頭をなやましているらしいのだ。
「文彦くん、きみはこの家の地下室から、奇妙な音が聞こえてきたといったね。ひとつ、それを調べてみようじゃないか」
「先生、だいじょうぶでしょうか」
「だいじょうぶだよ。きみもきたまえ」
金田一耕助は怪少年のからだを、ソファーの上に寝かせると、文彦とともにへやを出た。それにしても、老人や香代子はどうしたのだろう。家のなかにはあかあかと、電燈がついているというのに、どこにも人影は見えないのである。
「先生、この家のひとたちは、いったい、どこへいったんでしょう?」
「逃げだしたんだよ。ダイヤのキングにおどかされて、どこかへ逃げてしまったんだ」
ふたりは家のなかをさがしまわったが、さいごに階段のそばまでくると、金田一耕助がふと立ちどまって、
「おや、こんなところに押しボタンが……」
なるほど、見れば階段のあがりぐちの手すりのかげに、よびりんの頭ぐらいの、小さな押しボタンがついている。金田一耕助がためしにそれを押してみると、目のまえの杉戸が、だしぬけに大きく回転して、そのあとにはまっ暗な穴。そして、その穴のなかには、地下室へおりていく、コンクリートの階段がついているではないか。
金田一耕助はたもとから、懐中電燈をとりだすと、文彦をしたがえて、用心ぶかく、その階段をおりていった。プーンとにおうカビくさいにおい。ふたりのしずかな足音さえも、ぶきみにあたりにこだまする……。
やがて、文彦の足は、かたいゆか[#「ゆか」に傍点]にさわった。金田一耕助は、しばらく壁の上をさぐっていたが、やがて、スイッチをひねって、パッと電燈をつけた。青白い|蛍《けい》|光《こう》|燈《とう》がくっきりとへやのようすを照らしだす。
そこは十六畳ぐらいの地下室で、壁も床も天じょうも、まっ白にぬられていた。
文彦は一目その地下室を見たとき、なんともいえぬみょうな気がした。
へやのまんなかには、一メートル立方くらいの大きさの、なんともえたいの知れぬ機械があるのだ。鉄の歯車やくさりが、ゴチャゴチャとからみあって、文彦がいままで、見たこともないような機械だった。
そのほか、薬品戸だなや、ガラスの器具や、流しや、バーナーや試験管など、まるで、学校の理科の実験室のようである。
金田一耕助は目を光らせて、機械をのぞきこんでいたが、やがて台の上を指でこすると蛍光燈の光で、ジッとながめていた。
「先生、これはいったい、なんの機械でしょう?」
「文彦くん、きみはこの地下室から、みょうな音が聞こえてきた、といったね。それはきっと、この機械が動く音だったんだよ」
金田一耕助はむずかしい顔をして、
「くわしいことはぼくにもわからない。それにこの機械はこわれている。だれかがこわしていったんだ。しかし、ぼくにはこの機械が、炭素の|精《せい》|製《せい》|機《き》、木炭などの粉末から、純粋の炭素を製造する機械としか思えない」
ああ、それにしても、純粋な炭素を製造して、いったいどうしようというのだろうか。
金田一耕助はまたしてもジッと考えこんだ。
怪少年の告白
それから間もなくふたりが、地下室から応接室へ帰ってくると、ちょうどいいぐあいに、少年が息をふきかえしているところだった。少年はふしぎそうにキョトキョトと、あたりを見まわしていたが、金田一耕助や文彦のすがたを見ると、キャッと叫んで、逃げだそうとした。
「だいじょうぶだ。なにもこわがることはない」
金田一耕助は少年のかたを押さえると、
「きみはいったいだれなの。どうして、よろいのなかなんかにかくれていたの」
見るとその子は目のクリクリとした、いかにもすばしっこそうな少年だったが、耕助にそうたずねられると、みるみるまっ青になって、
「おじさん、そ、それはいえません。それをいったら、ぼく、殺されてしまいます」
「殺される……? は、は、は、バカな。いったいだれが、きみを殺そうというんだい」
「おばあさんです。黒マントを着た、魔法使いのようなおばあさんが……」
ふたりは思わず顔を見合わせた。
「きみ、なにも心配することはない。おじさんは警察のひとたちにも、たくさん知り合いがあるからね。きっときみを守ってあげる。だから、さあ、なにもかも話してごらん」
「おじさん、それ、ほんと?」
「ほんとだよ。きみ、このおじさんは金田一耕助といって、とてもえらい探偵なんだよ」
文彦がほこらしげにいうと、少年は目を光らせて、
「おじさん、ほんと? すごいなあ。それじゃおじさん、ぼく、なにもかもいってしまうから、ぼくを助手にしてください」
「よしよし、きみはりこうそうな顔をしているから、きっと役に立つだろう。さあ、話してごらん」
「うん」
と、強くうなずいて、その少年の語るところによるとこうだった。
魔法使いのようなおばあさんは、その子を竹田文彦だといって連れてきたのだという。しかし、そのうそはすぐにばれてしまった。大野老人は右腕にあるあざを見ると、
「うそだ! この子は文彦じゃない。文彦のあざは左の腕にあるはずだ!」
それを聞くとおばあさんは、しまったとばかりにつえをふりあげて、大野老人をなぐり倒した。そして老人が気を失っているあいだに、大急ぎでその子によろいを着せ、よくこの家を見張っているようにと命じて、あわててそこを立ち去ったというのである。
少年はそれからずっとよろいのなかから、あたりのようすをうかがっていたが、とうとう本物の文彦に、それを感づかれてしまった。文彦から注意をうけた香代子は、急いで家へ帰ってくると大野老人にそのことを耳打ちした。
少年はとうとう見つかってしまった。大野老人は少年をよろいごと、いす[#「いす」に傍点]にしばりつけると、いろんなことをたずねたが、それからきゅうに大さわぎをして荷物をまとめて、自動車で逃げてしまったらしいのだ。
ところがそれから間もなくまた、魔法使いのようなおばあさんがやってきた。そして少年の見たこと、聞いたことを話させた。少年は本物の文彦がきたこと、金の小箱をもらっていったこと、さてはまた、文彦の住所まで話してしまった。おばあさんは縄をといてくれたが、もうしばらくそっとして、ようすを見ているようにといって、急いで出かけてしまったというのだった。
「ぼくはしばらく待っていましたが、なんだかこわくなってきたので、逃げだそうと思ったんです。しかし、あのよろいは、とてもひとりではぬげません。それでよろいごとこの家をぬけだして、ふうふう步いているうちに、おじさんたちがやってきたので林のなかへ逃げこんだんです」
少年の話がおわると、金田一耕助はうなずいて、
「なるほど、みょうな話だね。しかし、きみは、どうしてそのおばあさんと知り合いになったの?」
「ぼくは上野で、くつみがきをしてたんです。何年もまえからずっとそんなことをしていたんです。ぼくの名、|三《さん》|太《た》というんです。するとある日、あのおばあさんがやってきて、まごが死んだからそのかわりに家へひきとって育ててやろうと、あそこへ連れていったんです」
「あそこって、どこだい?」
金田一耕助がそうたずねると、とたんに、少年の顔がまっ青になった。ブルブルからだをふるわせながら、
「いえません。それだけはいえません。あそこは地獄だ。地獄のようなところです。銀仮面……仮面の城……ああ、恐ろしい。それをしゃべったら、こんどこそ殺されてしまいます」
少年はそれきり口をつぐんでしまって、金田一耕助がどんなになだめてもすかしても、がんとして口をひらこうとはしなかった。
ああ、それにしても、いま少年の口走った銀仮面、仮面の城とはなんのことだろうか。
脅迫状
三太はかわいそうな少年だった。かれは自分の名まえも|名字《みょうじ》も知らないのだ。道を步いているときに車にはねられてしまい、ひどく頭をうって、それから自分がだれだか、忘れてしまったらしいのだ。おとうさんやおかあさんが、あるのかないのか、それさえわからなくなってしまったのである。仲間はかれを、三太だとか|三《さん》|公《こう》だとか呼んでいるが、それもかってにつけた名まえで、ほんとの名まえではない。
それを聞くと文彦は、たいそうこの少年に同情してしまった。金田一耕助もあわれに思って、自分の家へ連れていくことになった。
「とにかく文彦くん、きみを先に送っていこう」
「でも、先生、そうすると電車がなくなって、おうちへ帰ることができなくなりますよ」
「なに、だいじょうぶだ。自動車もあるし……」
そこで金田一耕助は三太を連れて、文彦を送っていくことになったが、じっさい、夜はもうすっかりふけて、三人が文彦のうちのそばまで帰ってきたときには、もう十二時近くになっていた。むろん、どの家もピッタリしまって、電燈の光も見えない。月も西にかたむいて空には星が二つ三つ。
さて、文彦のうちへ帰るには、電車をおりてから、長い坂をのぼらねばならない。ところが、三人がその坂の途中まできたときだった。とつぜん、坂の上から自動車がもうれつな勢いでおりてきた。
その自動車のヘッドライトを頭から、あびせかけられた三人は、あわててみちばたにとびのいたが、すると、間もなくそばを走りすぎる自動車から、ヌーッと顔をだしたのは、ああなんということだろう。お能の面のようにツルツルとして、しかも、ギラギラ銀色にかがやく顔ではないか。
「アッ、銀仮面だ!」
叫ぶとともに三太少年、がばと地上にひれふしたが、そのとたん、
ズドン!
自動車の窓から火を噴いて、一発のたま[#「たま」に傍点]が、三太の頭の上をとんでいった。ああ、あぶない、あぶない、三太がぼんやり立っていたら一発のもとにうち殺されていたことだろう。
「ちくしょうッ!」
金田一耕助はバラバラとあとを追いかけたが、相手はなにしろフル.スピードで走っている自動車である。またたく間にそのかたちはやみのなかに消えてしまった。しかも、テールランプも消していたので、ナンバー.プレートを見ることもできなかったのだ。
金田一耕助はすぐにもよりの交番へかけつけ、身分をうちあけ大至急、怪自動車をとり押さえるよう、手配をしてもらった。それから文彦のほうをふりかえると、
「文彦くん、とにかくきみのうちへいこう。なんだか気になる。あの自動車はきみのうちのほうからやってきたぜ」
「せ、先生!」
文彦はガタガタふるえている。
「心配するな。三太、きみが銀仮面というのは、いまのやつのことかい?」
「そ、そうです。おじさん、あいつは、ぼ、ぼくを殺そうとしたのです」
これまた、まっ青になって、ガタガタふるえているのだ。
「ふむ、ヘッドライトの光で、きみのすがたを見つけたので、びっくりして、殺してしまおうとしたんだな。とにかく急ごう」
大急ぎで坂をのぼって、文彦のうちのまえまでくると、お隣のおばさんが窓からのぞいて、
「まあ、文彦さん、どうなすったの、あなたおけがをしたんじゃなかったんですか?」
「おばさん、ぼ、ぼくがけがを……?」
「ええ、たったいまお使いのひとが、自動車で迎えにきたんですよ。成城のそばで電車がしょうとつして、あなたが大けがをなすったから、すぐきてくださいというので、おかあさまは、いま、その自動車にのって、とんでおいでになりました。あなたそこらで出会やァしなかった?」
ああ、それじゃいまの怪自動車におかあさんがのっていたのか……。
「せ、先生、先生!」
「だ、だいじょうぶだ、ふ、文彦くん。ああしておまわりさんに、手配をたのんでおいたから、きっと自動車はつかまる。おかあさんも助かる。だいじょうぶだ、だいじょうぶだ。お隣のおくさん、ありがとうございました。そしてその使いというのはどんな男でした?」
「黒めがねをかけた、まだ若いひとのようでしたよ。あれがそんな悪人なのかしら」
お隣のおくさんもおどおどしている。
文彦はなにげなく、郵便受けをあけてみた。いつもおかあさんはでかけるとき、カギだの、用を書いた紙などを、そこへほうりこんでいくのだ。
「せ、先生、こ、こんなものが……」
文彦がとりだしたのは、一通の封筒だった。裏にも表にもなにも書いてなくて、ただ、封じ目に赤いダイヤの形が一つ。
金田一耕助が封をきってみると、
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竹田文彦よ。
もしきみがおかあさんを大事と思うなら、あすの夜十二時、|吉祥寺《きちじょうじ》、|井《い》の|頭公園《かしらこうえん》、一本スギの下まで、黄金の小箱を持参せよ。もしこの命令にそむくとき、また、このことをひとにもらすときは、きみはふたたびおかあさんに会うことはできないだろう。
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[#地から2字上げ]銀 仮 面
六つのダイヤ
「文彦くん、しっかりしなきゃだめだ。いまは泣いたり、わめいたりしているばあいじゃない。われわれは戦わねばならん。にくむべき銀仮面と戦わねばならん。そして、あいつを倒し、おかあさんを助けるのだ。文彦くん、しっかりしたまえ」
「先生、すみません。そうでした。泣いているばあいじゃありませんでした。ぼく、戦います。おかあさんのために戦います」
「おじさん、ぼ、ぼくも手伝います。ぼくもいっしょに、銀仮面と戦います」
三太もそばからことばをそえる。あれから間もなくうちへはいった三人は、こうしてたがいにはげまし合ったのである。
「よし、それじゃ三人力を合わせて、銀仮面と戦うのだ。食うか食われるか、文彦くん、三太、どんなことがあっても、途中で弱音をはいちゃいかんぜ」
文彦と三太は強く、強くうなずいた。金田一耕助はにっこり笑って、