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作者:日-横溝正史/横沟正史 当前章节:12046 字 更新时间:2026-6-16 00:33

※[#ここに指紋の画像「kamen.png」]

 諸君、ためしにじぶんの指紋を調べて見たまえ。そこにはひとによって形こそかわっているが、ふつうひとつのうずまきがまいているのを発見するだろう。ところが、問題の指紋にかぎって、一本の指のなかに、三つのうずまきがかさなっているのである。まず、二つのうずまきが左右にならび、その下に第三のうずまきがついているという、じつに奇怪ともなんともいいようのないお化けの指紋、指紋学上でもかつて例のない異常指紋なのである。しかもそのかっこうが、まるでどくろが歯をむきだして、あざ笑っているように見えるところから、だれがいいそめたかどくろ[#「どくろ」に傍点]指紋!

 さてこそ、ちかごろではどくろ指紋といえば、泣く子もだまるといわれるくらい東京都民に恐れられているのだが、それにしてもあの道之助少年が、おそるべき怪盗であろうとは――。

 話かわってこちらは美穂子だ。

 ちょうどそのころ、美穂子はただひとり、暗い夜道の自動車にゆられていたが、とつぜん、ギョッとしたように目を見張った。むりもない。バック.ミラーにうつっている運転手の顔がいつものひととはちがうのである。

 美穂子はガタガタふるえながら、それでも大きく見張った目でいっしんに鏡のなかを見つめている。目をそらそうとしてもそらすことができないのだ。と、ふいに見おぼえのある顔が、ハッキリと鏡のなかにあらわれたが、そのとたん、美穂子はおもわずアッと叫んだ。

 あの少年――『幽霊花火』の道之助なのだ。美穂子は、なにかいおうとしたがくちびるがふるえて声が出ない。すると鏡のなかの顔がニッコリ美しい微笑をうかべた。思いのほかひとなつっこい微笑だった。

「お嬢さん、びっくりさせてすみません。あなたのようなかたを、おどろかせるつもりじゃなかったのですが……どうかかんべんしてください」

 ことばもていねいだったし、おどかすような調子もなかった。美穂子はいくらか恐怖もうすらぎ、

「あなたは、いつの間にこんなところへ?」

「じつはさっき、おまわりさんに追っかけられて、隅田川へ飛びこんだのですが、さいわいそこにモーターボートがあったので、それに乗って川下へ逃げ出した――というのはおもてむき、そのとき、ぼくは胴着をぬいで、それをハンドルへかぶせておいたのです。ほら、あなたも知ってのとおり、ぼくの胴着はやみのなかでもキラキラ光るでしょう。だからおまわりさんたちは、ぼくがモーターボートに乗っていると思って、一生けんめいに追っかけていったのです。そのあいだに、ぼくはまた水のなかをくぐって、国技館のそばへ引返してくると、そこにあった運転手のいない自動車のなかへもぐりこみ、すっかり運ちゃんになりすましたというわけです。ハハハハ、いまごろはおまわりさん、だれも乗っていない舟をむちゅうになって追っかけていることでしょうよ」

 道之助はいかにもおもしろそうに笑っている。美穂子はその話を聞いているうちに、しだいに恐怖心もうすらいで、かえって一種の親しみさえかんじてきた。

「それで、あたしをどうするの?」

「そうですね。お宅の前でだまっておりていただければいいのですがね」

「もし、あたしがいやといったらどうするの。おまわりさんに、助けてえーっ、と叫んだらどうするの」

 道之助は、またカラカラと愉快そうに笑った。

「だいじょうぶ。きみはそんな意地の悪いひとじゃない」

「だって、あなたは、おまわりさんに追われてるんでしょう? あたしそんなひと、助けたくないわ。かかり合いになっちゃいやだわ」

「お嬢さん、もういちど、ぼくの顔をよく見てください。ぼくがそんなわるい人間に見えますか」

 そういわれて美穂子は鏡のなかにうつっている道之助の顔を見なおしたが、すぐ目をそらすと、

「さあ、そんなこと、あたしにはわからないわ」

 と、低い声でつぶやいた。

「ハハハハ、わからないことはないでしょう。きみはぼくを信じてくれたにちがいない。なるほどぼくは警官に追われている。しかし世のなかには、まちがいってこともありますからね」

 道之助の口ぶりには、どこかひとをひきつけるつよい力があった。それに、これがはたして警官から追いまわされている人間だろうか。少しもわるびれたところやオドオドしたところがなく、元気で確信にみちた態度――そういう相手のようすがしだいに美穂子の心をひきつけた。

「わかったわ」

「ありがとう。やっぱりきみはぼくの味方だ。ときにお宅はどちらですか」

「あら、ちょうど、うちの方角へきてるわ。もうじきよ」

 それから間もなく、|紀尾井町《きおいちょう》の家の近くで自動車からおろされた美穂子は、じっと、道之助の運転ぶりを見送っていたが、その彼女は、この奇妙な冒険にこうふんしたのか、ひとばんじゅう道之助の夢を見つづけた。

   宗像博士の秘密

 さて、その翌日になると、たいへんなさわぎだ。

 新聞という新聞が、社会面の大部分をさいて、昨夜の大捕物の記事をかかげている。ひとびとはそれを読むと、いまさらのようにアッとおどろいたが、わけてもいちばんびっくりしたのは、いうまでもなく美穂子である。

 彼女は新聞を読むと、くちびるの色までまっ青になった。

 あの道之助少年が、どくろ指紋の怪盗であろうとは! しかも、その怪盗の逃亡を助けたのはとりもなおさず、じぶんではないか。

 そう考えると美穂子は、いまさらのように昨夜のことが悔やまれた。そんなことと知ったら、どんな危険をおかしてでも、警察へ知らせたのに、ああどうしよう。どうしよう、と悔やむしたから、しかしまた、あの少年にかぎって……といううたがいもわいてくる。

 ――あのとき、道之助はなんといった。世のなかにはまちがいということもある、といったではないか。そうだわ。これはきっとまちがいなんだわ。あのひとがそんな恐ろしい悪党であるはずがない。だが、それにしてもおかしいのは――。

 美穂子はそこでふらふらと立ちあがると、父の書斎へはいっていった。

 見るとその書斎の壁には古びた写真が一枚かかっている。しかもおどろいたことには、その写真というのが、道之助にそっくりなのだ。目もと、口もと、そして髪の毛をひたいにたらしているところまで、すこし年さえ若くすればゆうべ見た道之助、いやいやきょう新聞にのっている道之助の写真にそっくりなのだ。

 美穂子はなんともいえぬふしぎさにうたれて、しばらくその写真をじっと見ていたが、そのとき、

「美穂子、なにをそんなに熱心に見ているのだね」

 と、うしろから声をかけられて、ハッとふりむいてみると、そこにはまっ青な顔をした父の宗像博士が立っている。

「あら、おとうさま」

 美穂子はそのとき、父の顔に浮かんだ恐ろしい表情に、なんとなく胸をとどろかせたが、すぐに息をはずませて、

「おとうさま、このお写真のかたはどういうひとですの。あたしなんだか、気になってならないの」

 とたずねてみた。博士はそういう美穂子の顔色をじっと見ながら、

「ああ、それじゃおまえ、けさの新聞を見たのだね」

「ええ、そうよ。ほら、ここに道之助というひとの写真が出ているでしょう。このひとと、その写真とはそっくりだわ。ねえ、おとうさま、その写真はどういうひとなの?」

 問いつめられた博士は、なんとなく心ぐるしいおももちだったが、

「美穂子、その写真というのはね、栗生|徹《てつ》|哉《や》といって、おとうさんの古い友人だった。しかし、そのひとは、もう十五年もまえに死んだのだよ」

「まあ、栗生――ですって? それじゃ、その道之助というひととやっぱりなにか関係があるのね」

「そうだよ。美穂子、道之助は徹哉というひとの息子にちがいないのだ。二つか三つのときにゆくえ不明になってね。それでおとうさんは長い間、道之助のゆくえをさがしていたのだが、もういけない。美穂子、ちょっとこれをごらん」

 博士は顔色を暗くかげらせながら、机のひきだしから古い手帳をとり出したが、やがてパラパラとページをめくって美穂子の前へさしだした。美穂子はふしぎそうにそのページをのぞきこんだが、とたんにまっ青にならずにはいられなかった。

 ああ、なんということだ。そこには赤んぼうくらいの小さい指紋が押してあったが、その指紋というのが、まぎれもなくどくろ[#「どくろ」に傍点]指紋!

「まあ、それじゃやっぱり……おとうさま!」

「そうなのだ。道之助が生まれたときにね、あまりきみょうな指紋だから、おとうさんはこうしてとっておいたのだ。ところが、それから間もなく、道之助はゆくえがわからなくなったのだ」

「でも、おとうさま。おとうさまはこの徹哉というひとと、どんな関係があるんですの」

「いや、そればかりは聞いてくれるな。おとうさんはこの徹哉という男に、すまないことをしているのだ。それでなんとかして、せめてその子の道之助でもさがし出して、むかしの罪ほろぼしをしたいと思っていたのだが、もうだめだ。道之助は世にも恐ろしい悪党になっているのだ」

 博士はそういうと目に涙さえうかべて、

「わしはあのどくろ[#「どくろ」に傍点]指紋のうわさを聞いたとき、すぐにこれは道之助だとさとったのだよ。なぜといって、こんなきみょうな指紋を持っている人間が、世界にふたりとあるはずがないからね。それ以来、わしがどのように苦しんだか……もしあの子がまともな人間に育っていたら……」

「しかしおとうさま、おとうさまはこの徹哉というひとにどんなことをなさいましたの。ねえ、おかくしになっちゃいや。あたしは、なにもかも知りたいの。話してちょうだい。どんなことを聞いてもおどろきゃしないから……」

「美穂子!」

 宗像博士は娘の手をとると、ハラハラと涙をこぼしながら、

「それじゃ話すがね、おとうさんはいけない男だったのだ。おとうさんは、その栗生徹哉という男の財産を横取りしたのだよ」

「な、なんですって」

 美穂子はおどろいて父の顔を見なおした。

「むろん、はじめからそのつもりじゃなかったのだが、結果においてそうなったのだ。美穂子、まあ聞いておくれ」

 そこで宗像博士が話したのは、つぎのようなざんげ[#「ざんげ」に傍点]話だ。

 栗生徹哉と宗像博士とはそのむかし、親友だった。この栗生という男は金持ちのお坊ちゃんだったが、親類というものがひとりもなく、それで財産の管理などもいっさい、宗像博士にまかせていた。

 そのうちにかれはおくさんをもらって子どもが生まれた。それがつまり道之助なのである。ところがこの道之助が二つになったとき、栗生は結核で死んだのだが、その死の間ぎわに、あとのことを宗像博士にたのんでいった。むろん博士は親友の遺言を守るつもりだったが、ただこまったことには道之助の母というのが、とてもたちのわるい女で、うかつに財産など渡せないのである。

 そこで宗像博士は、道之助が大きくなるまで財産を保管していようと思い、ことばをあいまいににごして、母親のいうことを取りあげずにおいた。すると相手は、てっきり博士が財産を自分のものにするつもりだろうと早がてんして、この復しゅうはかならずするからおぼえていろと、ものすごいおどしもんくを残して、それから間もなく子どもとともに、すがたをくらましてしまったのである。なにしろその女は、まだ正式に栗生の妻になっていなかったので、法律であらそうわけにもいかなかったのだ。

 宗像博士はむろん後悔した。母親は母親として、子どもは栗生の子にちがいないのだから、なんとかしてさがし出して財産を渡してやりたいとあらゆる手をつくしさがしたがまるでゆくえがわからない。そのうちに、道之助の母親が死んだということだけは、風のたよりにわかったが、子どもはひとの手からひとの手へと渡っていって、ついきょうの日までゆくえがわからなかったのである。

「おとうさんは決して、はじめからそんな悪いことをたくらんだわけじゃない。しかし結果から見ると、いままで道之助の財産を自分のものにしていたことになる。おとうさんはそれをどんなに苦にしていたろう。だからいっこくも早く道之助をさがしだして、むかしの罪ほろぼしに、あとつぎにして財産をゆずりたいと思っていたのだが、もういけない。だめだ。道之助は世にも恐ろしいどくろ[#「どくろ」に傍点]指紋の怪盗なのだ」

   鳴りやむ歌時計

 はじめて聞く父の秘密に、美穂子はどんなにおどろいたろう。

 ――ああ気のどくなおとうさま。おとうさまが悪いのじゃないわ。みんなその母親というひとが悪いのだわ。

 と、そう思うしたから、また道之助のことを考えると、ゾッとするような恐ろしさがこみあげてくる。

 ――もしおとうさまがそのとき、すなおに財産を渡しておいたら、あのひとも恐ろしいどろぼうなどにならずにすんだかも知れない。世のなかには、しんせつでしたことでも、思いがけない悪いことをひき起こすこともある。もし道之助がそれを知ったら、どんなに父をうらむだろう。

 それを考えると美穂子はなんともいえず不安になる。ふしぎな運命のいたずらに、彼女はその日いちにち泣き暮らしたが、さて、その夜のこと――。

 泣きぬれて寝入っていた美穂子は、真夜中ごろ夢のなかで、ただならぬ悲鳴を聞いたような気がして、ハッと目がさめた。

「あら、あれ、なんの声だったかしら?」

 胸をドキドキさせながら、じっと聞き耳をたてていると、どこかでかすかなオルゴールの音がする。オルゴールは雨だれの音のように『蛍の光』のメロディーを|奏《かな》でている。美穂子はハッとして枕もとの時計を見ると、ちょうど三時だ。

「まあ、それじゃおとうさま、今夜もお仕事かしら?」

 美穂子はおもわず首をかしげた。

 宗像博士はよく真夜中に起きて仕事をすることがある。そんなとき、博士はいつも、目ざまし時計をかけておくのだが、その目ざまし時計というのは歌時計になっていて、ベルのかわりにオルゴールが『蛍の光』を奏でるようになっているのだ。

 美穂子はだから、真夜中ごろそのオルゴールが鳴り出すと、いつも、ああ、また今夜もお仕事だわ、とそのまま寝てしまうのだが、今夜ばかりはどういうものか、父のことが気になってたまらない。それでしばらくじっとその音に耳をすましていたが、すると、ふいにオルゴールの音がハタとやんだ。

「あら!」

 美穂子はみょうな胸さわぎを感じた。オルゴールが終わりまで歌わずに、とちゅうでフーッとやんだのがなんとなく気にかかる。それに、さっき聞いた、あのただならぬ叫び声。

 美穂子はそこで、ともかく、父の書斎をのぞいて見ようと、寝室を出ると、下へおりていった。と、そこでばったりと出会ったのが、父の助手の志岐英三だ。英三もこの家に寝泊まりしているのである。

「あら、志岐さん!」

「しッ!」

 英三は口に指をあてた。なんとなくまっ青な顔をしている。美穂子はにわかに、はげしい胸さわぎを感じながら、

「いったい、どうしたの?」

 と、声をふるわせてたずねた。

「どうもへんなのです。先生の書斎のほうで、みょうな物音が聞こえたのです」

 と、英三も声をふるわせている。

「いって見ましょう。ねえ、いって見ましょうよ」

 ふたりはそこで書斎へはいると、パチッと電気のスイッチをひねったが、そのとたん、アッと叫んで棒立ちになった。宗像博士があけに染まってたおれているのだ。

「おとうさま! おとうさま!」

「先生! 先生!」

 ふたりはむちゅうになって左右からとりすがったが、博士はすでにこと切れている。見ると胸のあたりに二、三か所、ものすごい突き傷をうけているのだ。

「おとうさま、おとうさま。ああ、だれがこんなことをしたんですの。おとうさまァ!」

 美穂子はきちがいのように泣き叫んだが、そのときだ、なにを見つけたのか英三が、アッと叫んで立ちあがると、

「美穂子さん、ごらんなさい。こ、これを!」

 とただならぬさけび声、ハッとした美穂子が、英三の指さすところを見ると、ああ、なんということだ、壁にかかった鏡の上に、ベッタリと血染めの指紋、しかもそれはまぎれもなく、あのいまわしいどくろ[#「どくろ」に傍点]指紋ではないか。

   恐ろしい真相

 明け方の五時ごろだった。

 新日報社の三津木俊助は、由利先生にたたき起こされてあわてて表へとび出した。見ると由利先生は自動車にのって待っている。

「三津木君、いっしょにいこう。どくろ[#「どくろ」に傍点]指紋が人殺しをやったというのだよ」

「え、人殺しですって? そして、殺されたのはいったいだれです?」

「宗像博士だよ」

「なに宗像博士ですって?」

「そうだ、いま警視庁の等々力警部から知らせてきたんだ。ともかくきたまえ」

 由利先生にうながされて、俊助が自動車に飛び乗ると、思いがけなく、先生のそばには見知らぬ若い男がのっている。その男は大きな黒眼鏡をかけ、帽子をまぶかにかぶり、おまけにコートのえりをふかぶかと立てているので、人相はまるでわからない。由利先生もしょうかいしようとはしなかった。

「それで先生、事件の起こったのはいつのことです」

「ついさきほど、三時ごろのことだそうだ」

 と、そんなことをいっているうちに、自動車は早くも紀尾井町の宗像邸へつく。見ると屋敷の周囲には、はや変事をききつけたやじうまがおおぜいむらがっていて、そのなかに、制服の警官や私服の刑事のすがたも見られた。

 そのなかをかきわけて由利先生に、三津木俊助、それから例の黒眼鏡の男の三人がなかへはいっていくと、出迎えたのは等々力警部だ。

「やあ、先生。よくきてくれましたね」

「ふむ。先程は電話をありがとう。ところでまたどくろ[#「どくろ」に傍点]指紋が残っていたそうだね」

「そうですよ。じつにふしぎですよ。ときに先生……」

 と、警部がなにかささやくと、由利先生はニンマリうなずきながら、

「いや、だいじょうぶだ。それはわしが保証する。ゆうべはずっとわしのそばにいたのだから」

 と、みょうなことをいったかと思うと、

「とにかく、現場を見せてもらおうか」

 と、俊助と黒眼鏡の男をうながしながら、書斎へはいっていった。書斎はまださっきのままで、宗像博士の死体もそこに横たわっている。

「先生、これが例の指紋です。そして、この写真が、ゆうべ三津木君がチラと小耳にはさんだという写真にちがいありません」

 と、等々力警部が指さしたのは、例の栗生徹哉の写真だ。それを見ると、由利先生も俊助もアッとばかりにおどろいたが、とりわけいちばんおどろいたのは黒眼鏡の男。まるで幽霊でも見つけたように、じっとその写真の前に立ちすくんでいたが、由利先生がポンとその肩をたたくと、

「よしよし、いまに何もかも解決する。心配するな」

 と、またしてもみょうなことをいうと、

「それじゃ警部、発見者だというお嬢さんを呼んでくれたまえ」

 やがて、警部の命令によってはいってきたのは美穂子である。

 美穂子はあまりのかなしみに、すっかり顔青ざめていたが、それでも由利先生の質問にたいして、ゆうべの話をポツポツと話してきかせた。由利先生は熱心にその話を聞いていたが、歌時計のオルゴールがとつぜん鳴りやんだということを聞くと、ふしぎそうに、

「その歌時計というのはこれですか」

 と、ゆかの上にころがっている目ざまし時計をとりあげた。

「はい、それでございます」

「なるほど、これがとちゅうで鳴りやんだのですね」

 と、しげしげ時計をながめていたが、やがてギョッとしたような表情をあわてて押しかくしながら、

「ときに、お嬢さん。ここにかかっているこの写真は、どういうひとですか」

 と聞かれて、美穂子はワッと泣き出した。

 しかし、いまとなっては隠しようがない。そこできのう父からきいた話を、残らず打ち明けたが、それを聞いていちばんおどろいたのは、またしてもあの黒眼鏡の男だ。おもわずなにかいおうとするのを、由利先生はあわてて押しとめながら、

「いや、よしよし。それでは志岐くんというのを、ここへ呼んでもらおうか」

 やがて志岐英三がはいってきた。かれはまだパジャマのままでこうふんした顔色をしていたが、問われるままにゆうべの話をする。

「なるほど、するときみの考えでは、博士を殺したのは道之助にちがいないというんだね」

「むろんです。その指紋がなによりのしょうこです」

「ところがね、志岐くん。道之助はゆうべここへくるはずはないんだ。なぜならば、あの少年はゆうべずっと、このわしといっしょにいたんだからね」

「な、なんですって?」

「おいきみ。その眼鏡をとって顔を見せてやりたまえ」

 由利先生のことばも終わらぬうちに、黒眼鏡の怪人物は、サッと眼鏡と帽子をかなぐりすてたが、とたんに美穂子も英三も俊助も、アッとばかりにおどろいた。むりもない、その男こそサーカスの人気者、栗生道之助少年ではないか。

「ああ、あなたは――」

 美穂子はあまりのおどろきに、おもわずうしろにとびさがる。英三もまっ青になってたじろいだ。

「お嬢さん、安心なさい。道之助くんはけっして悪党じゃない。なるほど奇怪な指紋の持ち主だが、その指紋をぬすんで悪事を働いていたやつは別にあるのです」

「な、なんですって?」

「三津木くん、きみにまでかくしていたのはすまなかったが、これにはわけがある。あのどくろ[#「どくろ」に傍点]指紋の怪盗のひょうばんが高くなりかけたころ、この道之助くんが、わしのところへやってきたのだ。そしてあの怪盗の残していく指紋は、たしかにじぶんの指紋にちがいないが、自分は決してそんな悪事をしたおぼえがないという。

 わしも大いにおどろいたが、等々力警部と相談して、道之助くんをしばらくわしの家へとめておいたのだ。ところが、そのあいだにもいぜんとしてどくろ[#「どくろ」に傍点]指紋の怪盗はあらわれる。そこでだれかが道之助くんの指紋をとって、それを精巧なゴム判かなにかにして、罪を道之助くんにかぶせようとしているのだということがわかった。

 それで道之助くんによく聞くと、大阪で|興行《こうぎょう》しているころ、見知らぬ客に招かれたが、そこで眠り薬をのまされて、眠ってしまったことがあるという。

 つまりそのとき指紋をとられたらしいのだが、さて、その客というのが何者だかわからない。

 人相を聞いても、相手は変装していたらしいので、そんなものは手がかりにならない。

 そこでわれわれもほとほと困ったあげく、戦法をかえて、道之助くんの写真をサーカスのポスターにいれて東京じゅうにバラまいたのだ。

 するとはたして、警視庁へ密告状がきて、道之助くんこそどくろ[#「どくろ」に傍点]指紋の怪盗だ、と教えてきた。

 わしの考えでは、その密告状のぬしこそあやしいと、ひそかに調査をすすめるいっぽう、わざと密告状にだまされたような顔をして、国技館であんな捕物さわぎをやって見せたのだ。

 なあに、あれは警部や道之助くんとあらかじめ打ち合わせておいて、わざと道之助くんをとり逃がすようにしておいたのだよ。道之助くんはしゅびよく逃げだすと、すぐわしのところへきて、それからいままでかくれていたのだが、そうとは知らずに、またのめのめとこんな人殺しをやったのは、これこそどくろ[#「どくろ」に傍点]指紋の運のつきさ」

 ああ、なんという意外な話、なんというふしぎな物語だろう。俊助も美穂子も、あまりのことにただぼうぜんとしている。英三はなにかしら、幽霊にでも取りつかれたような顔をしていたが、やがてしわがれた笑い声を立てると、

「なるほど、しかしそれじゃ、本物のどくろ[#「どくろ」に傍点]指紋はどこにいるのだ?」

「ふむ、そこにいるよ。志岐くん、きみのパジャマのボタンがひとつちぎれているが、それはどうしたんだね?」

「な、なんですって?」

「ハハハハ、さすがの悪党もそれに気がつかなかったのが運のつきだね。博士は殺されるとき、犯人のボタンをひきちぎった。犯人は博士がひといきに死んだことと思って部屋から逃げ出したが、博士はそのじつまだ息があったのだ。そして断末魔の苦しみのうちに、そのボタンを歌時計のなかへねじこんでおいたのだ。ほら見たまえ」

 と、由利先生が歌時計のふたをひらけば、コロコロところがりだしたのは血にまみれた一個のボタンだ。と同時にボタンによってさえぎられていたゼンマイが、ふたたび回転をはじめたかと思うと、いったんとぎれた『蛍の光』が、またゆるやかに鳴り出したのであった。

 そのとたん、ごうぜんたる物音が室内にとどろいたかと思うと、志岐英三のからだがバッタリと床の上にくずおれたのだった。

 英三の室内からは、はたして世にも精巧などくろ[#「どくろ」に傍点]指紋のゴム判が発見された。かれが自殺したいまとなっては、なぜそんなだいそれた悪事をはたらいたのか、知る方法もないが、推理をはたらかせてみると、かれは博士の財産に目をつけていたのだ。

 ところが博士はいつか話したように、あくまでも道之助をさがし出して、ゆくゆくは美穂子と結婚させて、財産をゆずろうとしていたので、それを知った英三は、道之助をつみにおとしいれようと、あんな悪事をたくらんだのだが、その秘密を博士に知られたので、あんな恐ろしい人殺しをやったのであろう。

 道之助と美穂子は、いま、由利先生の保護をうけながら、きょうだいのように、仲よく勉強しているということである。

 本書には今日の人権意識に照らして不当.不適切と思われる語句や表現がありますが、作品執筆時の時代背景や作品の文学性などを考慮しそのままとしました。

[#地から2字上げ](角川書店編集部)

|仮面城《かめんじょう》

 |横《よこ》|溝《みぞ》|正《せい》|史《し》

平成14年6月14日 発行

発行者 角川歴彦

発行所 株式会社 角川書店

〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3

shoseki@kadokawa.co.jp

(C) Seishi YOKOMIZO 2002

本電子書籍は下記にもとづいて制作しました

角川文庫『仮面城』昭和53年12月30日初版発行

       昭和62年 9 月20日15版発行

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