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殿さまの日
[#地から2字上げ]星 新一
目 次
殿さまの日
ねずみ小僧次郎吉
江戸から来た男
薬草の栽培法
元禄お犬さわぎ
ああ吉良家の忠臣
かたきの首
厄よけ吉兵衛
島からの三人
道中すごろく
藩医三代記
紙の城
殿さまの日
ふわりと高く飛びはね、ふわりと地面におり立ち、ふたたび飛びはねる。そんな夢を殿さまは見ている。|天《てん》|狗《ぐ》の術を身につけたようだなと思いながら、あちこち飛びまわりつづける。そのうち、いつしか霧のなかへと迷いこむ。霧のなかで飛びはねるのも、ま
た面白い。景色がまるで見えないので、ちょうどからだが宙に浮いたままのようだ。ふわふわと白さのなかをただよいつづけている。しかし、不意に不安に襲われる。さっきから地面をけっていない。地面がなくなったのか。まさか、そんなことが。いい気になって霧のなかを進み
すぎ、がけのあることに気がつかなかったのか。限りなく落ちてゆく。支えのなくなった恐怖。落ちる、落ちる。ああ……。
その驚きで、殿さまは目ざめる。朝の六時。夏だったら六時の起床が慣例だが、冬は七時となっている。まだ一時間ほど寝床にいられる。そばに時計があるわけでもないのだが、なんとなくそれがわかるのだ。寒い。敷ぶとん三枚、かけぶとん二枚。しかし、ここは北国。きびし
い寒さはいたるところにあるのだ。殿さまは足をのばし、湯たんぽをさぐる。陶器製のにお湯を入れたもので、かすかにぬくもりが残っている。あたりはほのかに明るい。そとは晴天で、うすくつもった雪に東の空の明るさが反映しているのだろう。きょうも寒い一日となりそうだ
。
ここは城のなかの奥御殿。つまり殿さまの私邸。奥御殿と呼ぶ一画のなかには女たちばかりのいる|中奥《ちゅうおく》の|棟《むね》もあるが、ここはそうでないほうの寝室。一日おきに、ここへとまるのとむこうへとまるのとを、くりかえすことにしている。べつに意味も理
由もないのだが、いつのまにかそんな慣習ができてしまったのだ。
殿さまはかすかに目を開いて、つぎの間を見る。あいだのふすまはあけっぱなし。そのむこうに小姓が二人すわっている。いずれも三十歳ぐらいの家臣、不寝番だ。わたしが寝ているあいだ、彼らは起きてすわりつづけ。わたしは夜ねるのが仕事、彼らは夜おきているのが仕事。
そういうことになっているのだ。彼らの前には、わたしの刀が布の上にのせておいてある。もし不意の侵入者があれば、彼らはわたしを起して刀を差し出し、同時に侵入者と戦うことになっている。この泰平の時代にそんなことが起るとは思えないが、絶無とも断言はできない。だ
からこそ、彼らはそこにいなければならないのだ。
あの小姓たち、わたしがぐっすり眠っている夜中に、わたしの刀をそっと抜いてみたいと思わないかな。思わないだろうな。ひとりだったらそんな気にならないとも限らないだろうが、つねに二人一組ときまっている。冗談にせよ、そんな提案をしたら、もうひとりにとっちめら
れる。そして|禄《ろく》を召しあげられ、家族は食っていけなくなる。わかりきったことだ。だから、そんなばかげたことの頭に浮ぶわけがない。
武士は罪三族におよぶのが原則。なにかしでかしたら、当人はもちろん、少なくともその息子も処罰される。だから、身のまわりの世話をする小姓の役は、妻子のある家臣に限るのだ。元服前の感情の不安定な少年などに任せるわけにはいかない。異性がわりに美少年を連れて出
陣した戦国時代とはちがうのだ。
寝がえりをうつと、|枕《まくら》にのせてある紙が、ごわごわと|肌《はだ》に当る。殿さまは過去のことを回想する。
……わたしは先代の側室の子として、この城でうまれた。しかし、そのころのことは、ほとんどおぼえていない。赤っぽい花のことが心の片すみに残っているだけだが、それも確実なことではない。わたしは三歳になると江戸へ移され、ずっとそこの屋敷で育てられた。父の正室
を母上とあがめて育った。おっとりとしていて気品のある母上。当り前のことだが、父上の正室はわたしの正式の母上。ほかに母のあるわけがない。母上もわたしをやさしくかわいがってくれた。父の子は、母上にとっても正式の子。わたしは家系を伝える存在なのだ。
わたしの父は、国もとのこの城で一年をすごし、つぎの一年は江戸ですごす。そのくりかえしだった。わたしは、父とは一年おきにしか会えなかった。しかし、幼時において、母上とわたしは同じ屋敷のなかでずっといっしょに暮した。だからわたしは、母上に対して、より多く
の愛を感じている。
四歳の正月から、わたしは漢字を習わせられた。やせた老人がわたしの前に漢字ばかりの本を開き、声を出しながら細い棒で一字一字をさし示した。それにつづけて、わたしも同じことをやった。どんな意味なのかまるでわからず、なにかの遊びかと思い、最初のうちは面白かっ
た。だが、その単調さに、まもなくいやけがさした。といって、ほかにはなんの面白いこともなく、わたしはそれをつづけた。いつのまにか、いやでもなく面白くもないという、日課のひとつになっていった。そして、ある日、気がついてみると、わたしは漢字をけっこうおぼえこ
んでいた。床の間の掛軸の字をなにげなく声を出して読み、母上がとても喜んでくれたことをおぼえている。
そのうち、同年輩の遊び相手の男の子が、何人かできた。六歳のころだったか、また原因がなんであったかも忘れてしまったが、そのなかの一人に対し、心から腹を立てたことがあった。わたしが正しいのだ、このままほってはおけない。わたしは負けるのを覚悟で、そいつにむ
かっていった。純粋そのものだった。しかし、わたしはなんの抵抗も受けなかった。その時のむなしい気分は、しばらくわたしの心を占めつづけた。その気分を持てあまし、つぎにわたしは、こんどは理由もなく遊び相手の一人をいじめてみた。やはり同じ。わたしは抵抗を受けな
かった。雲をなぐっているようだった。そんなことを何回かこころみ、それから、わたしは二度とやらなくなった。わたしは彼らとちがうのだ。その意識が心のなかに定着した。いかにむなしくても、どうしようもないことだった。
七歳のころから、わたしは武術を習わせられた。それは技術の習得であり、また自分との勝負だった。他人と勝負を争うことは、わたしには不可能なのだ。そのためわたしは、武術のなかで弓をとくに好んだ。的はわたしに対して、なんの遠慮もしない。そこがわたしの気に入っ
た。しかしやがて、武術の先生はわたしに対し、ひとつのことにばかり熱中するのはよろしくありませんと言った。わたしは心のなかをのぞかれたような気がして、恥ずかしさを感じた。
十歳になった時、江戸屋敷のなかで、わたしは母上とべつな棟で生活するようになった。といっても、いつでも会うことはでき、さびしくはなかった。それに、身のまわりの世話を女たちにやられるより、男たちにやってもらうほうがすがすがしかった。子供あつかいから抜け出
せた気分だった。うすぐらいなか、くすんだ金色、おしろいの白さ、きぬずれの音、女たちのにおい、そういったものとわたしは別れた。
おめみえは十三歳の時だった。江戸城へ行き、将軍に拝謁し、家の後継者であることを登録する儀式。その前後は、わけもなく緊張させられた。江戸屋敷にいる家臣たちは、何回となくわたしに言った。おかしな振舞いをすると、お家の評判にかかわるという。しかしわたしは、
おかしな振舞いとはどういうものなのか、まるでわからなかった。それを質問すると、家臣は困った表情になった。
そんなふうに盛り上った緊張は、当日わたしが盛装をし、行列を従え、乗り物にのり前後をかつがれて動き出した時、最高潮に達した。江戸城で将軍の前に出たのだが、なにもおぼえていない。教えられた通りにやりおおすことだけに、わたしの心は費やされた。
終ったあと、家臣たちは喜びあっていた。父上に万一のことがあっても、これで、あとつぎがないのを理由におとりつぶしになる心配がなくなったと。父の死を話題に喜びあう光景は奇妙だったが、わたしはもっとべつなことを感じていた。われわれの上にある将軍という強大な
ものの存在を、はじめて肌で知ったのだ。それまでは頭で知っていただけだったが……。
十七歳の時、わたしは結婚をした。相手は五歳としうえだった。|譜《ふ》|代《だい》大名の息女。この縁談を成立させるため、江戸の家臣たちは幕府の役人たちにいろいろと運動をした。その正式の許可がおりた時、家臣たちはまたも喜びあった。これによって、お家や藩に
なにかやっかいなことが起っても、その姻戚の力で穏便におさめてもらえるのだという。わたしもそれはいいことだろうと思った。なにごとによらず、家臣たちのうれしがるのを見るのは、たのしいことだ。しかし、それと同時に、わたしの|外《と》|様《ざま》大名という家柄
と、あの強大な存在につながる譜代大名の家柄、そのあいだにある越えられないみぞを、あらためて感じさせられた。
江戸屋敷のなかに、新しく建物がつくられ、妻がそこへ移ってきた。披露宴がおこなわれ、わたしははじめて妻を見た。気品があったが、どことなくひよわな感じもした。大切にあつかわなければならないなと、わたしは思った。みにくい顔の女でなくてよかった。しかし、みに
くかったとしても、わたしはべつに落胆しなかったろう。人を美醜で区別すべきでないことは、それまでに教えこまれていた。また、結婚とはお家安泰のための行事なのだ。
十日ほどたった。妻が実家から連れてきて身辺のことの指揮を一切まかせている女に、わたしは、今晩あたり妻と寝室をともにしたいがどうだろうかと聞いた。すると女は、おからだにあまり無理をさせてはいけないのではないかと答えた。話をするだけならどうだろうと聞くと
、それならけっこうでしょう、のちほど用意がととのったらご連絡しますとのことだった。
その夜、わたしははじめて妻の建物に入った。すべて新しく、ふすまの絵も美しかった。ゆらめく灯のほの明るさのなかに、女たちが何人もいた。いいかおりの香がたいてあった。そのなかで、わたしは妻とはじめて言葉をかわした。お菓子を食べ、お茶を飲み、天候のことを少
しだけ話しあった。
それからひと月ほどして、わたしははじめて寝室をともにした。しかし、寝床をともにしたわけではなかった。妻は気が進まないと言った。わけを聞くと、かつて妻の姉がとついだ先で出産し、そのあとまもなく死んでしまったことを話した。そのことはわたしも知っていたが、
出産による死を妻がそうもこわがっているとまでは気づかなかった。妻は、ここへとついだからには、お家のために死ぬ覚悟はできている、だが出産で死ぬのは気が進まないと言った。わたしとしても、そんなことで妻に死なれては、せっかくの譜代大名とのつながりが薄れ、家の
ためにならないと思った。わたしたちはその夜、べつべつの寝具で寝た。それらの会話は、半ば開いたふすまのむこうで、不寝番である二人の中年の侍女たちが聞いていた。当然のことなので、わたしたちはなんとも思わなかった。もしそばにだれもいなかったら、妻もわたしもそ
の不安におびえ、どちらからともなく抱きあっていただろう。だが、そんなことはありえないのだ。
わたしは時どき妻の部屋を訪れるようになった。さまざまな話をするようになった。あるとき妻は、侍女のひとりを側室にしたらどうかと提案した。しかしわたしは、父も健在だし、わたしもこの通りだし、あとつぎの心配はまだ早すぎるのではないかと答えた。妻は早く子供が
欲しいような表情だった。変化のない日々の連続を、いくらか持てあましているようだった。
二十歳のとき、父が死んだ。国もとから江戸屋敷にそのしらせがもたらされた。その前から、父の重態は知っていた。だが、あととりであるわたしは、母上も同様だが、江戸を出て見舞いに行くことはできなかった。それがきまりであり、きまりは個人的感情に優先する。個人的
事情で武士が戦陣からはなれることをみとめたら、建物の土台石を取り除くのと同じではないか。
悲報に接して、わたしは悲しみをあらわさなかった。あたりをはばからず取り乱すのは武将のすることではないし、それだけの心がまえはできていた。感情を形容すれば、それは厳粛の一語につきた。また、悲しみにひたるよりも、わたしに急に加わった重荷に慣れる努力のほう
に忙しかった。国もとからの報告は、すべてわたしに対してなされるようになった。
一定の月日がたつと、わたしは江戸城に行き、将軍に拝謁し、相続の手続きをした。わたしは任官し、位をたまわった。任官とは“なんとかのかみ”という称号だが、その地名についての知識は、わたしにはまったくなかった。一生のあいだ、そこを訪れることはないだろう。こ
の称号は京都の朝廷から、将軍を経てたまわるものだそうだ。任官の手続きの時、将軍は威儀を正した。わたしは将軍の上の存在をおぼろげながら感じた……。
ここまで回想した時、廊下を時を告げてまわる係が通りすぎてゆく。殿さまはそれを耳にする。起きるべき時刻。寝床から出ねばならない。出たくないとの思いが心をかすめるが、かすめるだけ。気分が悪いわけではないのだから、病気と称するわけにもいかない。そんなわがま
まをやったら、だれも冬のあいだ寝床から出なくなる。
枕もとの鈴に手をのばし、それを振る。その音で二人の小姓が入ってきて言う。おめざめでございますか。ああ、と答える。意味のない会話ではない。病気の時は気分がすぐれぬと答えるのだし、湯に入りたい時はその用意をと答えるのだ。きょうはそのどちらでもないという指
示。寒い朝は湯に入らぬほうがいい。かぜをひくおそれがあるからだ。それにしても、湯というものは、なぜ朝に入ることになっているのだろう。夜の眠る前に入りたいものだな。しかし、きまりはきまりだ。なにかわけがあるのだろう。あくまで夜に入りたいと主張してみれば、
まわりの者が困り、その困り方のようすから、なぜだめなのかの理由を知ることはできるだろう。しかし、たかが湯だ。そんなにまでして、きまりを乱してたしかめてみるものでもない。
殿さまは便所に行き、戻ってきて、つぎの間の座敷に行く。不寝番の小姓が交代し、かわって、お湯の入ったうるし塗りのたらいを持った小姓が入ってくる。それで殿さまは顔を洗う。そばでは、もう一人の小姓が手ぬぐいをひろげて待っている。つぎに歯をみがく。|総《ふさ
》|楊《よう》|子《じ》という、木の先端をたたいてくだき、ふさのようにしたもので。
かみゆい係の小姓がやってきて、さかやきをそり、髪をゆいあげてくれる。鋭い刃物がわたしに最も近づくのは、さかやきをかみそりでそる時ぐらいだろうな。そう考えてみただけ。小姓がかみそりで切りつけてくるなど、起りえないことだ。
ひげの部分は、小さなはさみで刈りとってくれる。国もとなので、略式ですませるのだ。江戸にいたり、公式の場合にはそうもいかない。本来なら鼻の下のひげはかみそりを当て、あごのひげは毛抜きで抜かねばならない。もみあげからあごにかけては、かぶとのひもの当る部分
。濃くなるとひもが結びにくいので、かみそりを当てないことになっている。武士のたしなみというものだ。夜に湯へ入れないのも、武士のたしなみになにか関連があるのだろうな。
それが終ると、殿さまはしばらく座敷の中央に立ちつづける。小姓たちがねまきをぬがせ、着がえの一切をやってくれる。この、すっかりはだかになる一瞬は、火鉢がそばにあるとはいえ、さすがに寒さがこたえる。それにしても小姓たち、わたしのはだかは見あきたろうな。な
にしろ、わたしのはだかについては、わたし自身よりかず多く見ているわけだ。しかし、けさがたの夢については、彼らも知るまい。だからといって、べつにとくいがることもなにもないが。殿さまは夢の話をしてみようかと思うが、口には出さない。なにか言えば、小姓は答えね
ばならず、とまどうにちがいない。そんなことで困らせるべきではない。家臣を困らせて楽しむ性格と思われてはならない。裏になにか意味のある言葉なのかと、あとまで悩ませても気の毒だ。もともと、なんの意味もないことで。
たらいなどの道具の片づけがすむと、医者がそばへやってきて、殿さまに舌を出させてながめ、つぎに脈をみる。五日に一度の慣習だ。医者は、どこかご気分の悪いところはと言う。どこもないと答えると、さようでございましょう、三十五歳でいらっしゃるが、どうみても二十
五歳の若さで、健康そのものですとおせじを言う。おせじを言う武士はいいものでないが、医者にはいくらかおせじのあったほうがいい。医者がぶあいそうだったら、脈だって早くなってしまうのではなかろうか。
祖先の霊をまつってある仏間へ行き、礼拝をする。ほんのわずかな時間ですませる。時間をかけたから効果があるというものでもあるまい。といって、いいかげんな気持ちではない。手を合わせ息をつめる無我のうちに、安泰への祈りをこめる。天候の安泰、領内の安泰、幕府と
の関係の安泰、将軍に対する安泰。それらへの期待を、祈りの形で出さずにはいられないのだ。祖先の霊も、わかりすぎるぐらいわかってくれているだろう。礼拝に時間をかけると、もっとくだらないことまで祈りたくなり、よくないのだ。
八時。殿さまは食事のための座敷へ移る。だが、料理がさっと運ばれてくるわけではない。いちおう、つぎの間に控えている毒見役の前に運ばれ、そこで点検をうける。その係はきちんとすわり、ひととおり|箸《はし》をつけ、しかつめらしく自分の口に入れている。たしかに
口に入れたかどうか、それをみとどける小姓もそばにいる。
殿さまはそれを見ながら思う。毒見役はどんな気分であの仕事をやっているのだろう。なにも考えず事務的にやっているのだろうな。そのたびごとに、万一の場合を心に浮べたりしていたら、気が疲れてどうにもなるまい。戦場で死ぬのならはなばなしさがあるが、毒見で倒れる
のはぱっとしないな。任務をまっとうした点では同じなのに。しかし、毒見役がその仕事で死んだ例など、聞いたことがない。だからといって、あの役を廃止したら、お家騒動の芽を持つ藩では、たちまち毒殺が発生するわけだろう。いつもは廃止し、お家騒動の傾向がみえた時に
だけ置くというわけにもいかないだろうし。役職とはふしぎなものだ。夜に湯へ入れないのも、役職と関連した理由からだろうか。
やっと、食事が殿さまの前にくる。うめぼし、大根のみそ汁、とうふの煮たもの、めし。どれもすっかりぬるくなっている。しかし、子供のころからずっとそうで、殿さまはそういうものと思いこんでおり、なんということもない。料理とは、ぬるくつめたいものなのだ。
ごはんをよそってくれる小姓にむかって、殿さまは、家族は元気かと話しかけ、おかげさまでとの答えがかえってくる。ここは奥御殿、私的な場所で公的なことに関する会話をすべきではない。藩中のうわさ話を聞き出そうとしても、答えはえられないだろう。武士とは他人のう
わさ話などしないものなのだ。第一、そんなことがはじまったら、混乱のもととなる。小姓を通じて殿さまへ告げ口をしたほうが得だとなると、他人の中傷がわたしめがけて集中し、それをめぐって城内で切り合いがはじまり、たちまち幕府によっておとりつぶしだ。
食事のあと、殿さまは庭を散歩すると言う。小姓がはきものをそろえ、刀をささげてついてくる。空は晴れあがり、うっすらとつもった雪が美しく輝いている。歩くと足もとの雪が、きゅっと音をたてる。空気のなかには、鋭い寒さの粒がいっぱいに含まれているようだ。遠くの
峠も、白いいろどりをおびている。しかし、寒さもいまが絶頂だろう。まもなく梅の花の季節となり、それがすぎると、あの峠を越えて|参《さん》|勤《きん》|交《こう》|代《たい》で江戸へ出発しなければならない。
江戸との往復は、これまでで何回ぐらいになっただろうか。二十歳で相続し、いまは三十五歳。年に一回、江戸への旅か国もとへの旅をやっている。だから、江戸への街道を通ったのは、十五回ぐらいになるわけだな。まったく、参勤交代は大変な行事だ。数百人のお供をつれ、
何日も何日も旅をしなければならない。宿場と宿場とのあいだは、馬に乗ったり時には歩いたりもできるが、宿場に入る時と出る時は、わたしは乗り物におさまり、お供の者たちは列を正し、堂々たるところを示さねばならない。まさに見世物。見物する側にとっては、さぞ楽しい
ことだろう。それに、宿場にはかなりの金が落ちるのだし。
しかし、わたしにとっては少しも面白くない。道はきまっていて、変更は許されない。いつも同じ道を通るだけ。どこにどんな山があり、どんな森があるかなど、すっかりおぼえてしまっている。しかし、山のむこう森のむこうがどうなっているかとなると、まるでわからない。
これからの一生のあいだにも、それを見る機会はないだろう。
ただ、途中で桜の花を見物できることだけが、唯一の楽しみだ。日程がきちんときまっているので、いつも同じところで満開にであう。あれはきれいだ。桜のながめは江戸からの帰途のほうがいい。花の咲くのを追って北へ進む形になるので、長いあいだ満開を楽しめる。楽しみ
といえば、それぐらいなものだな。行列とともに移動するだけのこと。胸のときめくような事件にぶつかる可能性もない。もっとも、そんなのにであっても困るわけだが。
……しかし、最初の一回だけはべつだった。父のあとをつぎ、この土地へお国入りした時のことだ。三歳までここで育ったというものの、まるで記憶には残っていない。はじめて訪れる土地といってよかった。もちろん、江戸屋敷において、家臣たちから国もとの話を、いろいろ
と聞いてはいた。わたしも理解すべく努力した。しかし、それはあくまで理屈の上のこと。具体的な風景を頭のなかに浮び上らせるのは不可能だった。未知の国への旅。国もとへむかう途中、わたしは地図とまわりの景色とを見くらべつづけだった。
国もとが近づくにつれ、わたしの息苦しさは高まる一方だった。領主の地位についたからには、なにか思い切った方策を断行し、目をみはるような向上をもたらしたい。やらねばならぬことだ。その意欲はふくれつづけるのだが、すぐに、その基礎となる能力への疑念がわき、自
信のとぼしさに気づくのだった。父のやった以上のことが、簡単にできるはずがない。おそらく、なんにもできないのではないか。その二種の感情が激しく交代し、旅の疲れとあいまって、わたしはいつしかふるえていたものだった。
そして、旅が終りに近づき、峠を越えた。わたしは思わず声を出し、乗り物をとめさせ、道に立った。領地のすべてが一望のもとに見わたせた。まず、天守閣が目に入った。石垣の上の白い壁、かわらの屋根。それが三重にそびえていた。かわいらしかった。それまでのわたしは
、城といえば江戸城しか知らず、それが基準となっていたのだ。この城がかわいらしいのか、江戸城がとほうもなく大きすぎるのか、その判断はすぐにはつけられなかった。
家臣のひとりがわたしに説明してくれた。天守閣をとりかこんで内堀がございましょう。そこに御殿があり、これからのおすまいでございます。さらに、その外側に外堀がございましょう。内堀の外、外堀の内の一帯が家臣たちの住居でございます。そして、外堀のまわりの町並
みが城下町でございます。
城下町のそとには田や畑がひろがっていた。川が流れている。作物にみのりをもたらす川であることが、すぐにわかった。川のそばに森があり、そのなかに神社があった。いま立っているところの山すそには、寺院が見えた。新緑の季節。すべてが美しかった。これがわが藩、十
万石あまりの土地なのだ。
わたしは江戸屋敷の妻のことを思った。これを見せてやりたいものだと。しかし、それは許されないことなのだ。大名の正室は江戸から出ることができない。それが自由だったら、幕府の人質としての意味がなくなってしまう。もっとも、当主が死んだあとはべつだ。だから亡父
の正室、わたしの母上はここへ来ることが可能だ。しかし、もうとしだし、いまさら国もとを見ようという気もないらしい。江戸屋敷で気心のしれた者たちとすごすほうが気楽にきまっている。わたしの妻もこの城を見ることなく、そのような一生を送ることになるのだろう。妻だ
って、そういうものだということぐらい知っている。城を見たいなどと考えたこともあるまい。妻に見せてやりたいなど、わたしの勝手な感想にすぎないものだった。
峠を下り、町に近づくにつれ、道の両側に並ぶ領民の数がふえはじめた。乗り物のなかのわたしには、すきまを通して彼らを見ることができるが、そとの者たちはわたしを見ることができない。しかし、領民たちの好奇の視線は、容赦なくわたしまでとどいてきた。こんどの当主
はどのような人物だろう。よくあってほしいとの期待と、その逆である場合への不安とが、彼らの感情のすべてだった。押しよせるその波に、わたしの心は圧倒された。よくありたいとの希望と、その逆となる不安は、わたしだって同様だ。自分にもわからないことなのだ。
わたしは肩の重荷をあらためて感じた。肩をへたに動かすと、大変なことになる。なにごとも無難を第一に心がけようと思った。初のお国入りの時に、ばかをよそおった殿さまとか、高圧的に出て家臣を恐れ入らせた殿さまとか、そんな話を耳にしたことがないわけでもない。し
かし、そんなのは例外中の例外だろう。作り話かもしれない。結果が裏目に出たら、どうしようもなくなる。大部分の大名は、わたしと同様なことを感じたにちがいない。
城下町を通り、外堀の橋を渡って城の門をくぐり、さらに内堀を渡ると、そこに表御殿、すなわち藩庁の建物があった。その裏手の奥御殿は、つまりここだが、わたしを迎えるために内部がすっかり改装されて、新しくなっていた。わたしは亡父のにおいをさがし求めたが、それ
はほとんど残っていなかった。
初のお国入りにともない、わたしは家臣たちのあいさつを順に受けた。江戸屋敷で会ったことのある者もいたが、大部分ははじめての者ばかり。主だった役職の者の名は頭に入れてきたのだが、顔つきまでは想像もできなかった。まして、性格となるとまるでわからない。先入観
をうえつけないようにと、だれも教えてくれなかったのだ。だれそれには軽率なところがございますなど、わたしに告げた者はなかった。武士にふさわしくない行為だからだ。告げた者のほうが安っぽくみえてしまう。問題の人物が軽率でないと判明したら、告げた者の面目がつぶ
れる。わたしは白紙の状態だった。森のなかに迷いこんだよう。これからのわたしは、それぞれの樹木について知ろうとしなければならない。
お国入りについてきた江戸屋敷勤務の家臣たちは、一段落すると帰っていった。もっとも、一人だけ|側《そば》|役《やく》として残された。わたしにとって親しいのはこの者だけとなった。しかし、それに対して親しみを示してはならない。それをやると|寵臣《ちょうしん
》ということになり、統制がとれなくなり、当人だって迷惑しごくのことになる。わざと寵臣を作っておき、ことが起ったとき全部そいつのせいにし、すべて丸くおさめるというやり方もあるのだが、わたしもそれほどの腹芸の持ち主ではない。
国もとの家臣たちの言葉には、なまりがあった。江戸の言葉とかなりちがい、それを聞きわけるのにわたしは苦労した。わからない時に、わたしは江戸からついてきて残った、その側役に聞きただした。国もとの言葉になれると、わたしはその側役をべつな役職に移した。
わたしは藩のすべてについて、勉強しなおすことになった。領民たちの不満、改革すべき点、それらについての意見を知りたかった。しかし、なんの手ごたえもなかった。あせりぎみになって質問をくりかえしていると、家臣のひとりが言った。そのようなことは、おおせになら
ぬほうがよろしいのではないかと存じます。しばらく、その意味がわからなかった。二日ほど考えつづけだった。そして、朝、湯に入っている時、はっと気づいた。問題の点について遠慮なく意見をのべるということは、わたしの亡父についての批判になる。ずけずけ言えば、わた
しを立腹させることになる。家臣として軽々しく口にできないのも当然だった。わたしは顔を赤らめた。湯から出たわたしの顔を見て、小姓は熱すぎたのかと気にした表情をしていた。
すべてこのように、わたしにとっては、はじめての経験ばかりだった。父の存命中、そばについていて藩政を実地に勉強できたら、どんなによかったろうにと思った。しかし、それは幕府が厳重に禁止していることなのだ。あとつぎとしてとどけ出た男子は、江戸から離れること
を許されない。領主が死亡するか、隠居するかして、正式に相続しない限りは。早目に隠居し、そばで助言してくれるという形でもいいのだが、それも禁止されている。隠居した大名は江戸に住まなければならないのだ。なんでこんな妙な制度ができたのだろう。なにか理由がある
のだろうな、惰性に流れるのを防ぐといった。げんにわたしなども、すべて自分の頭で理解しなおしたわけだった。
家臣たちから報告を聞き、改革すべき点はないかと考え、またべつな家臣から報告を聞く。それをくりかえしているうちに、わたしはすべての問題点のもとにたどりついた。要するに財政がまずしいのだ。まずしいのならまだしも、かなりの額の借金がある。城下、あるいは江戸
の商人から借りているのだ。そして、その利息がじわじわとふえつつあるのだった。最初は信じられない思いだった。しかし、家臣の報告も帳簿も、それが事実であることを裏付けていた。
このことに直面し、わたしは期待はずれを通り越して、|呆《ぼう》|然《ぜん》となった。信じられない幻の世界に入ったようだった。しかし、それが現実だった。こうなっているとは、亡父から聞いたことがなかった。武士たるもの、わが子にむかって金についての愚痴をこ
ぼすわけにはいかなかったのだろう。聞かされてなかったことが、わたしにとってはよかったのかもしれない。少年の時からくわしく知らされていたら、わたしの目つきはおどおどしたものとなり、顔つきはいやしげなものとなっていただろう。しかも、そうなったとしても、あと
でなんの役にも立たないのだ。
しばらくは眠れぬ日々がつづいた。自分はこの上なくあわれな運命のもとに生れてしまったのだ。家臣たちの前で感情をおもてにあらわせないから、内心の苦痛はそれだけ激しかった。寝床のなかでひとりため息をついたり、泣いたりしたかったが、それもできなかった。声をあ
げたら、つぎの間に控えている不寝番の小姓が飛んでくる。やっと眠ると悪夢があらわれた。
だが、まだ半信半疑。わたしはその借金の原因を調べてみた。三代前における、江戸城の修理を命ぜられた時の費用。二十数年ほど前にこの地方を襲った大|飢《き》|饉《きん》の時の領民救済の費用。参勤交代の費用もばかにならない。また、江戸屋敷の費用も、年とともに
ふえる一方だった。なんでこのように江戸で金がいるのか、そうぜいたくはしていないはずだが、とわたしは言った。わたしの知る限り、亡父は江戸で遊興にふけったりしなかった。担当の家臣は答えた。そういうたぐいの費用ではございません。幕府の役人たちへの運動費でござ
います。そこに手ぬかりがあると、また江戸城の修理をおおせつけられ、その何十倍という出費をまねきかねません。
わたしははじめて感情を声にあらわして言った。しかし、それにしても、このままだとどうなるのだろうか。これでいいのだろうか。それに対して、家臣の答えは意外なものだった。答える口調が落ち着いているのも意外だったし、内容も意外だった。ご心配なさるお気持ちはよ
くわかります。しかし、こんなことでよいのではないかと存じます。なぜなら、ほかの藩もほぼこれと似た状態、ここはまだいいほうでございましょう。かりに借金のない大名があれば、幕府はたちまち、なにかの建築か修理をおおせつける。適当に借金があり、へんに幕府の注目
をひかないのが、お家の安泰の条件でございます。
家臣の前であることも忘れ、思わず低く長くうなり声をもらした。しかし、わたしが感情をあらわしたのは、その時かぎりだった。空想していた改革の幻影は、すべて頭から消えた。借金との共存に慣れることへの努力をはじめた。なにはさておき、あせらぬことだ。しかし、借
金の存在に平然となるのには長い年月がかかった。いや、いまでさえわたしは慣れたと言いきれない……。
時刻を告げる太鼓の音が、城門のほうから聞こえてきて、わたしの思いを中断する。では、そろそろ表御殿へと行くとするか。わたしはつぶやくように言う。座敷に戻ると、小姓たちがはかまをはかせてくれる。きょうは公式的な行事がなにもないので、かみしもをつける必要は
ないのだ。わたしはすわり、きせるでタバコを一服する。表御殿ではタバコを吸えないからだ。
奥御殿から廊下をわたり、殿さまは表御殿へと行く。表御殿はかなりの大きさの建物。藩政のすべてがここでなされる。各役職のための部屋がいくつもある。だが、殿さまはどこになにがあるか知らず、のぞいたこともない。それは軽々しい振舞いだ。
殿さまは広間に通る。そのはじのほうの、ほんの少しだけ高くなっているところへすわる。ここは公式の場合に使う謁見の間とはちがうので、さほどものものしさはない。そばに火鉢があり、炭がもえている。しかし、殿さまは手をかざさない。寒そうな様子をしては、威厳とい
うものがなくなる。ずっとそうなので、べつに苦痛ではない。夏も同様、|扇《せん》|子《す》を使うことはない。忙しげに扇子を使うのは、なにかごまかしているような印象を他人に与える。そもそも扇子とは儀礼用のもので、武士がそれで涼をとるべきではないのだ。
殿さまのあらわれたのを確認し、お側用人すなわち取次ぎの係がやってきて、頭を下げて言う。武具の担当の者が、点検のことについて申しあげたいと言っております。殿さまは、では、これへと答える。いくさのはじまる可能性などまったくない時代だが、いつでも戦える準備
だけはととのえておかなければならないきまりなのだ。形式的にも、この報告だけは直接にたしかめておく必要がある。