町奉行は連絡法を指示した。なお、下屋敷とは別宅のこと。江戸のはずれにあり、非番の日にはそこへ行って休養したり、友人を招いたりする。ある身分以上の者は、それを持っていた。
医師の良白、役者の菊次郎、もと武士の尾形忠三郎。その三人は長屋のひとつを借り、共同で生活をすることにした。とりあえず酒を買ってきて、祝杯をあげ、飲みながら話しあう。
「さて、これからどうしたものだろう。良白さんは、また医者をやりますか。食うための金はかせがなくてはならない」
「医者をやりたいが、わたしにできる療法はひとつしかない。薬草を飲ませて、内心のつかえをはき出させることだ。しかし、それをやると、また世をまどわすと訴えられかねない」
「困ったことですね」
「いや、待て。思い出した。島で、ある病人の手当をした。死んでしまったがね。そいつから、盗んだ金のかくし場所を聞いておいた。仲間に裏切られ密告され、それを使うことなく死ぬのが残念だと、くやしがっていた。そいつを出して使うとするか」
尾形忠三郎が口をはさむ。
「いや、それはよろしくない。その死者の身になってみろ。また、流人たちすべてのうらみがこもっている。もっと悪いやつらが、江戸でのうのうと暮していることについての。もし、われわれがその金を使ったら、いいむくいはないぞ」
菊次郎も賛成する。
「そういえば、そうです。また第一、これまでにして下さったお奉行さまの心にそむくことにもなる。金は奉行所に渡し、そのひどい相棒とやらを罰すべきです」
奉行所にそっと連絡すると、三日後に下屋敷へ来いとの返事があった。三人が出かけると、奉行が迎えた。くつろいだ平服姿。
「なにか報告があるとか……」
「はい。金のかくしてある場所をお知らせいたします。また、それを盗んだ犯人のひとりの名前も……」
良白は知っていることを話した。どこからどうやって盗まれた金かを。
町奉行はすぐに手配をする。金はちゃんと、そこにあった。また、犯人もとっつかまった。そいつは一時、江戸から逃げていたのだが、相棒が島で死んだと風のたよりに聞き、安心して舞い戻っていた。あっけなく逮捕された。
そいつは町奉行からこまかい点まで指摘されると、たちまち恐れ入った。処刑される。そして、三人にはほうびの金が渡された。それはかなりの額だった。思いがけない収入。またも祝杯をあげることになる。
「いい気分だな。これで、あの島で死んだやつの魂も救われるというものだ」
と良白が言い、ほかの二人もうなずく。
「それに、あのお奉行さまの話のわかること。やはり、信頼にはこたえるべきだな。ほうびもいただけたし」
「世のため、正義のためになにかをするというのは、すがすがしいものだな」
三人はめざめた。かつての流人とは思えないような変化。奉行のねらいも、みごとな効果をあげた。そもそも、この三人、根っからの悪人ではない。それが、わずかの期間だが島の生活によって、世の不公平を知り、いきどおりをいだいている。それがうまく軌道に乗ったのだ。
しばらくたった、ある日。菊次郎は美しい女がカゴで街を行くのを見た。あか抜けした女。なにかありそうだと感じ、あとをつけた。一軒の小さな家のなかに入っていった。商店の主人の別宅のような家。しかし、なんとなく不審さが残る。
それが発端となって、三人の調査により、かげの商売の存在のひとつが浮び上ってきた。注文に応じて、お好みの女性を|妾宅《しょうたく》に配達する組織。こうなると|妾《めかけ》とはいえない。売春と称すべきだ。
幕府は売春を、遊廓内に限って許していた。街の風紀を守るためであり、また、遊廓からは巨額な金を定期的に召し上げている。そのため、他の売春行為は取締りの対象になっていた。
しかし、妾をかこうことは禁じられていない。禁止したら、将軍や大名の側室まで問題となる。この盲点をついた、一日だけの妾という巧妙な商売だった。幕府におさめなくてすむ金だけが、余分なもうけとなる。
こんなのがいるから、まともな人びとが損をしているのだ。三人はひそかに追及した。その元締めがどこにあり、どう注文をとり、どう女を連れてゆくかを……。
そして、また町奉行へ報告した。どのような処罰がなされたかまではわからない。しかし、奉行は三人の働きをねぎらい、今度も多額のほうびを渡してくれた。
これで、三人はさらに勢いづいた。悪をこらしめることが有利な商売だとも知る。しばらくのあいだは、一味からしかえしされるのではないかと心配だったが、そんなこともなかった。お奉行さまは報告者の氏名を秘密にしてくれたらしい。それは彼らを一段と力づけた。なにし
ろ、われわれのうしろには、お奉行さまがついているのだ。
さて、つぎはなにをやろう。
にぎやかな街なかで、三人はけんかを演出した。良白、菊次郎の二人が、尾形忠三郎となぐりあったのだ。やじうまが集り、やがて岡っ引があらわれ、三人を物かげに連れていって……。
そのあと、三人はそれぞれ各所をぼやいてまわった。
「派手なけんかをやらかしましてね。なに、たいしたことはなかったんですがね。その時のことですよ。岡っ引がやってきて、仲裁してくれた。そこまではいいんですよ。帰ろうとすると、ちょっと待てときた。おさめてやったのだから、礼金を出せという。十手にはかないません
。なにしろ、出さなければ、しょっぴくと……」
ほうぼうで話すと、岡っ引にゆすられたという人の話を、いくつか聞き出せた。岡っ引とは、幕府につかえる者ではない。町奉行所配下の与力が、私的にやとった連中のことだ。なかには、たちの悪いのもいる。
たんねんに聞きまわっているうちに、悪質な岡っ引の人名表ができあがった。三人はそれを町奉行に報告する。おこられるのではないかと、いくらか不安だった。奉行所に対する批難でもある。
しかし、町奉行は喜んでくれた。
「よく調べてくれた。岡っ引に対して、庶民は泣き寝入りをしていたわけだな。いい参考になった。与力たちにさっそく注意することにする。わたしの威信も高まるというわけだ」
ほうびの金をもらうこともできた。
世の中には悪の種類が多い。三人は島の流人たちのことを思い、彼らの無念さをはらしてやろうと、かくれた悪を根絶させる仕事にはげむのだった。
散歩の途中、良白はある若い娘を見かけ、なにか心にひっかかるものを感じた。毎日、近所の神社へ参詣にくる女だ。育ちがよさそうなのに、貧しげな身なり、悲しげな表情。いわくありげだった。思い切って声をかけてみる。
「なにか悩みをお持ちのようですね。話してみませんか。気がはれるかもしれない」
「お聞きいただけますか」
娘は、せきを切ったように話しはじめた。がまんしきれない気分だったのだろう。
その娘の父は回船問屋だった。かなり手びろく商売をやり、利益もあがり、なにもかもうまくいっていた。しかし、とつぜん不幸な日がおとずれてきた。
禁制品の抜け荷、すなわち密輸が発覚したのだ。営業は停止され、財産は没収。父は遠島となったという。
「……それで、ご赦免の一日も早いことを、神さまに祈っているんですの。島に流された人の生活って、どんなんでしょう」
良白は胸がつまった。その父の名に覚えはなかった。たぶん別な島へ送られたのだろう。しかし、いずれにせよ、いい生活ではない。それに、抜け荷となると、かなりの罪だ。そう早くはご赦免になるまい。奉行が特別にはからってくれればべつだが、それについての進言は許さ
れないだろう。
「気候のいいところだそうだから、ぶじに毎日をすごしておいででしょうよ。だが、それにしても、つまらんことが発覚したねえ」
「抜け荷はどこの回船問屋も、大なり小なりやっていることですの。そのため、係のお役人さまには、つけとどけをしていました。ある程度なら、黙認ということが普通だったんですの。しかし、表ざたになってしまい、なにもかも終りになってしまいましたわ」
娘は涙ながらに話した。係の役人も職を免ぜられたという。良白は聞いた。
「で、いまは……」
「母といっしょに、親類の家に居候しておりますの。気がねしながら……」
「お金は残ってないんですか」
「なにもかも没収。残ったのはわたしの鏡台ぐらい。でも、そのなかに、ある大名家へ貸した金の証文が残っていました。たいへんな額。全部とはいわないまでも、いくらか返していただけるといい。そう思って出かけたんですが……」
「どうでした」
「けんもほろろに追いかえされました。おとりつぶしになった商店へ、金を払うことはないと」
「ひどい目に会いましたねえ。わたしにも、すぐどうこうしてあげるという案はない。しかし、住所をお教えしておきます。なぐさめのお話し相手にはなってあげられましょう」
良白は娘と別れ、長屋に帰って、菊次郎と尾形忠三郎に話す。
「というわけなんだ」
「気の毒ではあるが、悪は悪。やむをえないんじゃないかな。無実というのなら話はべつだが……」
そんな結論だったが、数日後、娘がたずねてきた。良白は言う。
「さっきもあなたに同情し、話しあっていたところですよ。しかし、妙なそのお顔。どうなさいました」
「いま、植木屋さんを見かけたのです。あとをつけましたら、ある大名家のなかに入って行きました。そこの庭の手入れをするためでしょう」
「そのことが、なぜ……」
「その植木屋、まえにうちの店の番頭のひとりだったんです。よく働くので父も信用し、なにもかもまかせていた。あの時に処罰され、江戸追放になったとばかり思っていました。それが大名家お出入りの植木屋になっているなんて、考えてみると、変でしょうがないんですの」
「そういえば、おかしなことですな。似ているけど、別人ということも……」
「しかし、あまりに似ているので……」
「なんとか調べてみましょう」
良白は娘をなだめて帰した。三人は相談する。いまの話には真実味があった。調べてみる価値があるのではなかろうか。
菊次郎がそれらしき着物を借りてきて、金持ちの商店の主人に変装した。役者だけあって、みごとなものだった。そして、問題の植木屋が仕事をすませて帰ってくるのを呼びとめる。
「もしもし、植木屋さん」
「は、なんでございましょう」
「わたしの別宅の庭の手入れをたのみたいのだ。お金ならいくらでも払いますよ。一流の庭に仕上げたいのだ」
「いまの仕事がすんでからでないと……」
「決して急ぐことはありません。ま、きょうは、ひとつ打ち合せということで一杯……」
と料理屋へ案内する。座敷は予約しておいた。そのとなりの部屋には、良白と尾形忠三郎とが待ちかまえている。
「さあ、遠慮なく飲んで下さい……」
酒をすすめる。そのなかには、良白の例の薬草が入っているのだ。それがきいてくるのをみはからって、良白があらわれて話しかける。
「そろそろ、あなたは眠くなりますよ。気分が楽になってゆきます……」
「はい……」
「あなたは、わたしを信用する。胸のつかえを話してしまう。すると、あとで気持ちがすっきりする……」
「はい……」
ききめがあらわれてきた。屋形忠三郎は、他人に聞かれぬよう、廊下を見張っている。良白は植木屋に質問した。
「あなたは、まえに回船問屋の番頭をやっていましたね……」
「はい……」
娘の言ったことは、やはり事実だった。菊次郎と顔をみあわせ、良白はさらに聞く。
「それなのに、いまは植木屋。いったい、あなたの本職はなんなのです」
「お庭番、つまり公儀の|隠《おん》|密《みつ》です……」
まさに意外な答え。良白がつぎの質問を思いつくまで、しばらくの時間を必要とした。
「それは大変なお役目ですね。ごくろうさまなことです。さぞ、気疲れも多いことでしょう。しかし、なぜ、そんなことをなさったのです」
「理由は知りません。わたしは、命じられたことをしただけです。あの回船問屋に入りこみ、抜け荷をあばくようにと……」
名前など、ほかにもいくつか聞いたが、それ以上のことは判明しなかった。植木屋をそこで眠らせて、三人は長屋に戻る。
「どうやら、本当に隠密のようですね。しかし、こんなことに、なぜ隠密が。抜け荷なら、勘定奉行か町奉行の管轄でしょう。畑ちがいだ。尾形さん、どう考えます」
「わからん。隠密とは将軍、老中、御側用人からの指示で働くものだ。考えられることはだな、あの回船問屋から大金を借りていた大名家が、上のほうに運動し、店をつぶすようにしむけたと……」
「しかし、まさか、そんなことが」
「これは、わたしの推理にすぎない。しゃべった内容が正しければのことだ。良白さんの薬の力はどうなんです」
「あの薬のききめは、まちがいありません。だから、いつかの盗んだ金のかくし場所だって、その通りだったでしょう」
菊次郎が口をはさむ。
「事実としたら、こんななげかわしいことはない。ひどいもんだ。こんな行為が許されるのなら、島の流人たちのほうが、はるかに罪が軽いといえる。十両ぬすんで首が飛ぶのに、大金のふみ倒しは平然とまかり通る」
「ひとつ、隠密の動きについて、よく調べてみようじゃありませんか」
「どこからとりかかろう……」
隠密は、上の指示を受けると、そのままある呉服店に直行し、身なりを変え、ただちに目的地へむかう。途中、代官所に寄り、命令書を示して、費用の支給を受ける。命令書はそこにあずけ、帰りに受け取ることになっている。持ったままだと、隠密の身分がばれるからだ。これ
らのことを、薬を飲ませた時、植木屋から聞き出していた。
「その呉服店のそばで、ひそかに見張っている以外にないな」
それは根気のいる仕事だったが、そのうち、やっと発見できた。下級武士が店に入っていったが、しばらくすると、行商人の姿になって出てきた。三人はそのあとを追う。
交代であとをつけた。ひとりでやると、感づかれる。なにしろ相手は隠密なのだ。そいつは、江戸からそう遠くない、ある領内に入っていった。仕事を終えて出てくるのを待たなければならない。
これも気の長い話だった。しかし、ことの重大さへの好奇心が、三人の退屈さを防いでくれた。この裏には必ずなにかあるはずだという期待。
しかし、予想したより早く隠密は戻ってきた。菊次郎がそれとなく近づく。やはり行商人に変装しているので、同業のよしみといった会話を発展させることができた。そして、旅館にとまり、酒をすすめる。
いうまでもなく、それには薬が入っている。良白に交代し、質問がはじめられる。
「あなたは隠密、お庭番ですね……」
「はい……」
「どんな仕事をしてきたのですか」
「あの藩のなかで、百姓|一《いっ》|揆《き》があったらしい。それをよく調べるようにとの命を受けました。たいしたこともなくおさまっていましたが、あったのは事実。それを報告に帰るところです……」
「しかし、隠密の仕事は、|外《と》|様《ざま》大名の動静をさぐるのが主でしょう。あの藩は、幕府に忠実な譜代の大名。小さな百姓一揆なんかについて、わざわざ調べることもないはず……」
「それが命令だったのです。老中筆頭からの命令となると、やらなければなりません」
「あなたは、いま眠いでしょう」
「はい……」
「はりつめた気分で仕事をしたので、疲れたのです。ぐっすり眠って目ざめると、いまの話はすっかり忘れ、すがすがしさがよみがえります」
三人は江戸の屋敷に戻る。なぞめいた隠密の動き。なにがどうなっているのだろう。みな、考えつづけだった。
そのうち、屋形忠三郎が幕府の人事についてのうわさを聞いてきた。
「しばらくぶりで、むかしの同僚に会って、話をしてきた。このあいだ隠密の入りこんだ藩のことを聞いてみた。あの藩主は、五万石の譜代大名。殿さまは大坂城代の地位にあったそうだ。それが、このあいだ不意にお役ご免になったという。領内の取締り不行き届きが理由だ。そ
れを指摘されると、お受けする以外になかったとか……」
「どういうことなのです、それは」
「幕府のなかで昇進するのには、それなりの順序があるのだ。最初はさまざまな役につくが、才能をみとめられると、奏者番になる。それから寺社奉行。つぎに、若年寄、大坂城代、京都所司代などをやる。それらの任をうまくはたすと、老中に進める。これがきまりなのだ」
「すると、あの藩主は、老中になれずじまいというわけですね。さぞ残念でしょうな」
「そりゃあ、そうだ。老中といえば、幕府のなかで最も権力ある地位。譜代のものなら、だれでもなりたがる。みなに恐れられ、うやまわれ、とどけ物も多いし、こんないごこちのいい地位はない。それをめぐっての争いは、はげしいものだ」
「そういえば、尾形さんのかつての主君、奏者番になりそこないましたね」
「そうだった。うむ。なるほど。もしかしたら……」
ただならぬ表情になる。
「なにを思いついたのです」
「あの時、ばくち場へ案内してくれた町人のことだ。気になっていた。あまりにもつごうよく、奉行所の手入れがあった。密告されたのだろう。やつが隠密の手先、あるいは隠密そのものだったかもしれぬ……」
「それをたねに、殿さま、出世の道からはずされてしまった。逃げたとはいうものの、若殿がそこにいたことを知られたのでしょう」
ついに尾形忠三郎は、こぶしを振りあげ、大声でわめいた。
「なんということだ。老中筆頭が隠密を使って、気に入らぬ将来の競争相手を芽のうちにつみ取り、自分の地位の安泰をはかっているとは。人物や才能が評価されかける前に、つまらぬことを表ざたにし、いやおうなしに退かせてしまう。将軍がなさるのならまだいいが、隠密を使
えるということで、老中筆頭がそれをやるとは……」
「すると、あの回船問屋の件も……」
「きっと、つけとどけを受けていた担当の者を、おとしいれるためだろう。気にくわぬやつなので、その昇進運動費のもとを絶とうと。そして、自分の意中の者を後任にし、べつな回船問屋から金を巻き上げさせる……」
「なんと大がかりで巧妙な……」
「外様大名はどの藩も、隠密にはきわめて気を使い、警戒おこたりない。へたをすれば、おとりつぶし、お国替えになるからな。それに、いまの世では幕府にそむきようがない。そんなのに隠密を使っても意味がない。老中筆頭にすれば、むしろ自分の地位をおびやかす、競争相手
の出現のほうが気がかり……」
「譜代大名や回船問屋となると、まさか隠密に調べられるとは考えてもみない。その油断につけこまれる。そんな大きな陰謀が進行しているとは、夢にも知らず……」
「えらいことだ。どえらいことだ。こんな行為がなされていては、江戸の庶民ばかりでなく、国じゅうの問題だ。ご政道の根本がゆらいでしまう」
「これこそ、早くお奉行さまに知らせなければならないことでしょう」
「まさにそうだ」
知りえたすべてのことを、尾形忠三郎が書きしるした。調べた隠密の名前と行動。ひとつの結論が浮びあがってくる。自分が島流しにされたのも、もとはといえば、そのせいなのだ。文に怒りがこもる。
三人はそれを持ち、町奉行の下屋敷に出かけてゆく。大変な報告だ。こんどはどうほめられるだろう。
町奉行はそれを読み、顔色を変えた。
「うむ。驚くべきことをつきとめたものだな。まさしく天下の一大事。だれかに話したか」
「いいえ、まず、まっさきにお奉行さまにお知らせしなければと……」
「よくやってくれた。しばらく、ここで待っておれ」
奉行は座敷から出ていった。そのとたん、座敷の三方で、がたんと音がした。見まわすと、木の格子でふさがれていた。上から落ちるしかけになっていたのだろう。一方は壁、そとへ出られない。大声をたてたが、応答はない。
やがて、奉行が戻ってきた。年配の人物を連れてきた。それにこう説明している。
「この者たちが、このような報告書を作ってまいりました。いかがお考えです」
「いうまでもなく、重大きわまる」
たまりかねて尾形忠三郎が声をかける。
「お奉行さま。これはどういうことです。早く出して下さい。いったい、その人はだれなんです」
奉行は言う。
「このかたは、ご老中筆頭。ここは、その下屋敷の裏に当る。あまりにも大問題なので、おいでいただいたというわけだ。ご意見をどうぞ、ご老中……」
「ううむ。わしの計画、すべてぬかりないと思っていたが、このような者たちに知られたとは。泰平がつづき、隠密の質が落ちたのかもしれぬ。今後よく注意しよう」
「さいわい、発見者がわたくしで、よかったと申すべきでしょう。もし、この報告書が目安箱へでも入れられていたら……」
「将軍の目にふれてしまう。なにもかも終りになるところだった。よくやってくれた。そちについては、前から目をかけていた。近く昇進するようはからってやる」
「ありがとう存じます。なにとぞ、よろしく。わたくしの忠実さは、これでおわかりいただけましたでしょう」
「いうまでもない」
と老中は答え、奉行はさらに聞いた。
「ところで、この三人の者たち、どう処置いたしましょう」
「適当に始末してしまうがいい。町奉行所からのその報告を、わしがみとめれば、それですむ。そもそも、こいつら、島帰りだそうではないか」
道中すごろく
ある、わりと大きな藩。
しかし、徳川時代において、大藩かならずしも、経済的に余裕のある藩とはいえなかった。米作による収入も多いかわりに、支出もまた多い。大藩となると、家臣の数もそれだけ多いし、参勤交代、江戸屋敷の運営費、みなそれに応じて、かなりの費用を必要とする。
とくにやっかいな問題は、だれもの気のゆるみだった。小藩だと藩の経営の苦しさをじかに知ることができるので、それぞれ節約につとめる気になる。それに反し、うちは大藩なんだからと思う者ばかりとなると、引きしめがむずかしい。
殿さまも、大藩という体面を考えて、おうように金を使う。なんとかなるはずだ。周囲からそんな目で見られ、おだてられ使わせられてしまうといった状態だった。率先して節約にはげむというわけにはいかない。
というわけで、財政のやりくりは大変だった。ぼろを出さず、まあまあ運営できているのは、千二百石の禄高の勘定奉行、赤松修左衛門のおかげといえた。すでにかなりの年輩だった。なかなかの手腕家で、経理にくわしかった。彼の頭のなかには、収入と支出の予算表が、整理
されておさまっている。
つねに支出のほうが多かった。それをなんとか処理しているのは、大藩という信用と、修左衛門の才能だった。商人とのかけひきもうまく、借入金についての交渉も巧妙だった。ほかの者に、とてもこの仕事はつとまらぬ。そのため、年配になっても職をはなれることができない
というわけだった。
といって、後継者がなければ先行きが心配だが、その点に関しては大丈夫だった。いちおうの準備はできていた。
修左衛門には娘がひとりあった。あまりできはよくなく美人でもなかったが、養子のきてならいくらでもある。武士の息子といっても、家をつげなければ一生ずっと日かげの身。なんの役にもつけない。一方、勘定奉行の家をつげるとなると、それは重要な地位。天と地の差があ
る。
赤松修左衛門は時間をかけ、家臣の二男三男のなかから、適当な人物をえらび出した。勘定奉行だけあって、人を見る目はある。それをむこ養子にした。
その青年は養子となるとともに、修吾と名が変った。やがて、赤松家の家督を相続すれば、その代々の名、修左衛門を襲名することになる。そして、勘定奉行の職をつげることも確実だった。
家老とちがって、勘定奉行は世襲の地位ではない。しかし、修左衛門は気に入った養子のため、その対策をおこたらなかった。修吾を補佐役である勘定頭のひとりとして出仕できるように工作し、実現した。普通だと、家督をつがない限りお城への出勤はできないのだが、そこが
修左衛門の実力だった。
これは、わが娘のためであり、赤松家のためであり、ひいては藩のためでもある。
修吾はともにお城へ出仕し、公的な仕事の見習いをした。また帰宅すると、公用の席では口にできない裏面の|秘《ひ》|訣《けつ》も教えられた。城下の大商人が、ごきげんうかがいに屋敷へやってくると、修左衛門は彼を同席させ、紹介した。
「これがわたしのあととりです。いろいろと教育しているところだ。よろしくたのむ」
「こちらこそ、なにぶんよろしく。お奉行さまのように物わかりのいいかたになっていただけると、ありがたいのですが……」
意味ありげに笑う商人に、修左衛門は言う。
「そう仕上げるよう修業させている。なかなかみどころのあるやつだよ。おまえたちも、なんとか手伝ってくれ」
「わかっておりますとも。そうときまったら、いかがでしょう。これから一杯……」
商人に案内され、料理屋へ出かけて豪遊することにもなるのだった。商人は武士にとって別人種といっていいほどのちがいがあるが、その操縦術をしだいに身につけ、修吾もなかなかのやり手に成長していった。
藩政の責任者である城代家老が、勘定奉行の部屋に来て、こんな話をすることもある。
「江戸の殿から、またも金がいるとの使いがあった」
「なんとかいたしましょう」
「いつもの報告だと、やりくりが大変だということだが、どうなのだ」
「必要な経費とあらば、それを調達するのが勘定奉行の仕事でございます」
修左衛門は家老たちに、この仕事が容易ならざるものだと、それとなく毎回ふきこんでいるのだ。城代家老はうなずく。
「そうであろう。わたしなど、数字を聞くだけで頭がおかしくなってくる。これだけの藩だ。財政は複雑きわまるものであろう。それが、なんとか運営できているというのも、修左衛門がいるからこそだ」
「おそれ入ります」
「しかし、気になってならぬ点がある。貴殿もかなりの年齢になってきた。出仕できなくなったら、あとはどうなるのだ」
「そのことはご心配なく。修吾をみっちり仕込んでおります。やがては、いくらかお役に立つようになりましょう」
「それを聞いて安心した。武芸の達人は多いが、財政の達人はえがたいからな。しかし、いまのところ貴殿にかわりうる人物はいないのだ。からだに注意し、できるだけいまの仕事をつづけてくれ」
「はい。おっしゃるまでもなく……」
上からの信用はあった。城代家老に言われるまでもなく、修左衛門もやめるつもりはなかった。この仕事が面白く楽しくてならなかったのだ。もっとも、下のほうでは彼に対して、いくらかの悪評もあった。しかし、そんなことを気にしていたら、この職はつとまらぬ。
勘定奉行をやれる人物など、ほかにいない。大坂の米問屋、両替店をはじめ、商人たちとの交渉。こういったことは、武芸や学問だけしか知らぬ人物にはできっこない。
修左衛門にとって、すべて順調に進展しながら、年月が流れていくように見えた。
修吾は三十五歳になった。ある日、凶事が発生した。夜、屋敷の|中間《ちゅうげん》が駆け戻ってきて叫んだのだ。
「大変です、大変です……」
「いったい、なにがおこったのだ」
修吾が聞くと、中間は修左衛門の死を告げた。
「ご主人さまが殺された……」
「だれにだ。落ち着いてよく話せ」
「勘定頭のひとり、駒山久三郎にです。料理屋からの帰りのことです。道でたまたまお会いになった。なにかお話をおはじめになった。聞いては悪いと、わたくしは少しはなれて待っておりました。そのうち、駒山さまの声がしだいに激しくなったかと思うと、たちまち刀を抜いて
切りかかり、ご主人さまは身をかわすひまもなく……」
「そういえば、駒山はまだ若く、かっとなりやすい性格だったな。それにしても、むちゃだ」
そばで聞いていた妻は、実の父というわけで、声をふるわせながら言った。
「お父上が殺されるなんて、あんまりでございます。早く、なんとか……」
「わかっている。すぐ行って、しとめてくれる。だれか、三人ほどついてまいれ。やつはそれほどの腕前ではないぞ。それから、ひとりはお城へ知らせに行け……」
修吾は三名の若党を連れ、駒山の屋敷へかけつけた。また、お城からも応援がきた。しかし、もはや駒山の姿はなかった。凶事のあと、馬に乗って藩外へ逃亡してしまったらしい。国境に関所はあるが、家臣が通るのをとめるわけにはいかなかった。
つぎの日、修吾はお城へ出て、城代家老のところへ行った。城代は言う。
「修左衛門は、まことに気の毒なことであったな。当藩にとって、かけがえのない人物であったが……」
「さっそくですが、わたくしは、かたき討ちをいたさねばなりません」
「よく言った。武士はそうあらねばならない……」
城代は大きくうなずき、そのあと、声を低くしてつづけた。
「……まさしく、おもてむきはそうだ。しかし、藩の財政となると、これまた重要。さっき、勘定頭たちの意見を聞いたのだが、修左衛門の後任として勘定奉行をつとめられるのは、そちのほかにいないようだ。金銭関係となると複雑で、普通のものには、なかなかやりこなせない
ものらしい……」
だれも勘定奉行に昇進はしたいが、へたをすると失敗し、あれこれ責任をしょいこむことになる。そこを考え、みな無難な説をのべたらしかった。
「……勘定奉行は欠かせない存在だ。修左衛門はそちにとって、実の父ではない。また、駒山の行為は、私的な犯行でなく、藩に対する反抗とみることもできる。そこでだ、江戸の殿に連絡し、特別なはからいにしたいと思う。すなわち、腕の立つ家臣に上意討ちを命じ、駒山のあ
とを追わせることにする。そちはここにいて、勘定奉行をつとめてくれ。わたしも話のわからぬ男ではないのだ」
「ありがたいおぼしめし。しかし、そうはまいりません。親のかたき討ちを他人にまかせたとあっては、武士の名誉にかかわります。非は駒山にあるにせよ、殺されたというのは修左衛門の不覚。わが赤松家の名折れでもあります。わたくしが自分でやります」
修吾ははっきりと言う。城代は困った顔。
「しかし、財政をゆるがせにしておくことはできないのだ。そちにいなくなられては、藩として不便だ」
「長くて一年、早ければ半年。その日時を下さい。かならずやりとげます」
「そんなことを言うが、かたき討ちとは大変なことなのだぞ。当藩にだって前例がないわけではない。五年か十年で討てればいいほう。大部分は、かたきを追いつづけて一生を終ることになる」
「そんなことにはなりません」
「また、えらい自信だな。かりに、駒山を追いつめたとする。しかし、むこうも必死だ。勝てるとは限らぬぞ」
「負けるかもしれないなど考えていたら、かたき討ちはできません。これは武士の意地にかかわることなのでございます。やつを討ちはたす。わたくしの心にあるのは、それだけです」
「そちが、それほどまでに激しく武士の道に徹しているとは思わなかった」
城代は意外そうな表情だった。
「かたき討ちに出るのを、ぜひ、お許し下さい」
修吾は熱心に主張した。もっとも、これにはわけがあった。修左衛門の死を知った時は、彼もかたき討ちなど気が進まなかった。成功率が一割にもみたず、のたれ死にが多いことなど、もちろん知っていた。
困ったことになったなと思いながら、昨夜、一段落したあと、修左衛門の部屋へ入り、手文庫のなかを調べてみた。要領のいい人だったから、なにか万一の際のためにと書き残したものがあるのではないかと思って。そのたぐいはなんにもなかったが、ひとつの|鍵《かぎ》が出
てきた。
なんの鍵だろう、それはすぐにわかった。かたい材質の木で作られた、部屋のすみの押入れ。そこの錠にぴたりと合った。それをあけてみる。そして、発見したのだ。
いくつもの千両箱。からではなく、いずれも小判がつまっている。
ははあ、商人たちからのつけとどけを、ためこんだというわけだな。修吾にはすぐにわかった。|賄《わい》|賂《ろ》を取るこつを、それとなく教えられていたからだ。
修左衛門について、一部に悪評があったのは、このためだな。しかし、それを一掃するのに、これはまたとない機会だ。赤穂浪士の義挙は、武士たちのあいだで、いまも敬服の念をもって語られている。先日、それをあつかった芝居をする一座が、この藩にも来て、いやに好評だ
った。
ここで親のかたきを討てば、修左衛門の悪評は消える。また、自分の名はいっぺんに高まり、武士のかがみという威信がつく。しかるのちに勘定奉行の地位につけば、どこからも文句が出なくなる。名実ともに藩の重要人物ということになる。しかし、他人にたのんで討ってもら
ったのでは、そうはいかないのだ。
修吾は修左衛門の教育により、いまや金の力をよく知っている。金さえあれば、不可能なことはないのだ。たとえ、かたき討ちでも……。
そんな事情を知らない城代家老は、首をかしげ腕組みをする。
「どうたのんでも決心は変らぬようだな。しかし、それにしても、そちの留守中の財政のことが心配でならぬ」
「出発は四日後にいたします。そのあいだに、数カ月間の金のやりくりについて、指示を与えておきます。また、商人たちにも会い、よろしくたのんでおきます。途中でなにか思いついたら、手紙で対策を命じます」
「それはありがたい。ところで、正式にかたき討ちに出るとなると、家督相続、奉行への就任はそのあとということになる。そちの留守中、わたしが勘定奉行を兼任することにしよう。だれかを任命し、あとで格下げでは当人に気の毒だ」
「大変なお心づかい……」