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作者:日-星新一 当前章节:15361 字 更新时间:2026-6-16 01:47

「勘定奉行の地位は、保証しておく。そればかりではない。帰国のあかつきには、加増は確実だぞ。藩としてもめでたいことだし、殿もお喜びになる。そうだ。旅費がいるだろう。好きなだけ持って行くがいい。なにかと金がかかるものだぞ」

「ありがたいお話ですが、武士のたしなみ、いくらかのたくわえはございます。それに、勘定方をつとめる者が、かたき討ちという私的なことに金を持ち出したとあっては、ひと聞きがよくございません。よくない前例を作ることにもなります」

「それもそうだな。なにからなにまで、みごとな心がけ。感心のほかはない。そちは修左衛門にまさる人物のようだな」

「おそれ入ります。お願いは、あだ討ちの免許状のことだけです」

「わかっておる。江戸屋敷を通じ、すぐ幕府へとどけさせる。その控えと、事情を書いてわたしの印を押した書類とを作って渡す。それがあれば、どこからも文句は出ない。どこの関所も通れる」

「ありがとうございます」

「かたきにめぐり会えぬようだったら、途中で帰国してもいいぞ。上意討ちに切り換えるようにする。藩の財政のほうが重要なのだ」

 いたれりつくせりの条件だった。普通だと、わずかのせんべつだけで追い立てられ、目的をとげるまで帰国は許されないのだ。

 この修吾の場合は、もっともっと条件がよかった。留守中の注意を勘定頭たちに指示して帰宅すると、毎晩のように、城下の大商人たちがやってくる。

「修左衛門さまには、ひとかたならぬお世話になり、もうけさせていただきました。惜しいかたです。これは少しですが、香典として供えさせて……」

「かたじけない。じつは、わたしは、そのあだ討ちに出かけなくてはならない」

「そのうわさは、もっぱらでございますよ。なんという勇ましいこと。めでたく本懐をとげて帰国なされば、勘定奉行とか。そうなったら、先代さま同様、よろしくお引き立てのほどを……」

「承知しているよ」

「その日が一日も早いようにと、ちょっとした品を持ってまいりました。きっとお役に立ちましょう」

 ずしりとした手ごたえで、小判の包みとすぐわかる。

「かたじけない。かならず期待にこたえてごらんに入れます」

 かなりの金が集ったのだった。戸棚にためこんであった修左衛門の金と合計したら、ひと財産。一生遊んで暮せるほどになる。

 商人のなかには、こんなのもあった。

「かたき討ちとか。ご成功を祈ります」

「うまくやりとげるつもりだ」

「なにか、せんべつの品をと思いましたが、重くてお荷物になってはと思い、こんなものを持ってまいりました。どうぞ……」

「書状のようですな」

「はい。各地の同業者への、わたくしからの紹介状です。お金にお困りになりましたら、これをお示しになって下さい。いくらでも用立ててくれるはずです。あとは、わたくしが始末しますから、ご遠慮なく借用証をお書き下さい。これは、全国の地図に、同業者の店の所在地をし

るしたものです」

「それはそれは、便利なものを、ありがたくいただいておく」

「そのかわり、勘定奉行にご就任のあとは、よろしくお願いしますよ」

「わかっているよ」

 もっとすごいせんべつをくれた商人もあった。

「かたきの駒山久三郎の似顔絵を、各地の同業者にくばってあります。姿を見かけたらすぐ連絡がとれるように手配しております。大きな町にお寄りの時は、わたくしの同業者をおたずね下さい」

「それこそ、なによりのご好意、利用させていただくよ」

「その似顔絵を少し余分に刷りましたので、持参いたしました。旅のお荷物にお加え下さい。必要になる場合もございましょう」

「かさねがさね、かたじけない」

 商人たちは、話のわかる勘定奉行をなんとか早く実現させたいと、みな、わがことのように熱心だった。

 赤松家は千二百石。使用人として若党十二人、中間八人、下女六人がおり、それに馬四頭をそなえていた。中間とは荷物を運んだり、馬のせわなどをする雑用係。刀を差すことは許されていない。若党はそれより少し格が上、大小を差すことができ、武士なみの服装。邸内にあっ

て、取次ぎ、身辺のせわなど、秘書のような仕事をしている。

 修吾はそのなかから、若党三人、中間四人を連れてゆくことにした。いずれも健康な若いやつ。馬は二頭、一頭は乗用、一頭は荷物用。資金は充分。途中で不足すれば、手紙を屋敷に出し、若党に持ってくるように命じればいい。また、商人の紹介状を利用してもいい。

 まったく、かたき討ちとして、たぐいまれな好条件の出発だった。

 修吾は馬にまたがり、供をひきつれ、ゆるゆる街道を進みながら言った。

「まず、かねてからあこがれていた江戸へ出ることにしよう。こういう機会でもなければ、江戸見物もできぬ。考えてみれば、十九歳で養子となり、二十歳からお城づとめ、いま三十五歳。十五年間、働きどおしだった」

「さようでございますな」

「かたき討ちが終れば、勘定奉行。そうなったら、江戸づめの仕事になることもなく、藩で人生をすごすことになる。心おきなく遊ぶのは、いましかないわけだ」

 江戸に入り、いちおう藩の江戸屋敷にあいさつ。それから一流の旅館に滞在することにした。さしあたり、各所を見物。さすがは花のお江戸。にぎやかであり、なにを見ても珍しかった。半年はたちまちのうちに過ぎる。

「江戸には、吉原とかいう面白いところがあるそうだ。ひとつ、出かけてみよう」

 そこには、たくさんの美女がいた。修吾はけっこうもてた。だが、ばかではない。それは金があればこそだぐらい、自分でもわかっている。それがわかって遊んでいると、とめどもなくおぼれることもない。毎日かよいつづけのせいもあったが、半月もすると、いいかげんにあき

てきた。

「女遊びも悪くないが、おなじことのくりかえしのような気がしてきた。なにか、もっと変ったことはないものかな」

 すると、店の者が言った。

「では、たいこもちでもお呼びになったら。芸ができ、話し相手のうまい男のことです」

「そんなのがいるのか。たのむ……」

 やがて、たいこもちがやってきた。

「おや、殿さま。昼間からお遊びとは、さすがけっこうなご身分で……」

 いやになれなれしかった。しかし、うまれてはじめて殿さまと呼ばれ、これはなかなか刺激的なことだった。

「いやいや、殿さまというほどのものではない。ただの、いなかざむらいだ」

「これはまた、なんと奥ゆかしいこと。それでこそ殿さまですよ。江戸には、殿さまなんて、はいて捨てるほどいる。下っぱの旗本なんか、直参であるというだけで、殿さまと呼ばないと怒るとくる。あっしはね、そんなやつらは、決して殿さまなんて呼びやしませんよ。たいこも

ちだって江戸っ子だ。殿さまらしい風格をそなえた人しか、そう呼ばないんです」

「なかなかいいことを言うな。面白い。金をつかわそう」

「や、拝領品をいただけるとは。殿さま、ありがたきしあわせ……」

「なんだかんだ言っても、おまえは金にさえなれば、だれでも殿さまと呼ぶんだろう。旗本だろうが商人だろうが……」

「ま、そんなとこで。さすがは殿さま。頭が鋭い。うわさにたがわぬ名君……」

「調子のいいやつだな」

 その時、たいこもちは急にまじめそうな口調になった。

「しかしねえ、殿さま。あなたには、なにか普通の人とちがったところがございますな。人生のかげといいますか、悲しみといいますか、暗い情熱といいますか、なにかを内心に秘めておいでだ。そこが魅力的だ。なぞめいている。江戸の軽薄な連中とはちがいます。なぜでしょう

なあ。考えさせられますな」

「じつはな、父のかたきを追って、藩から出てきたのだ」

「え、えっ。それは本当ですか。まさか……」

 たいこもちは、びっくりした。本心から驚いた。きまり文句のおせじを言ったら、こんな答えが出てくるとは。吉原で豪遊しているかたき討ちなど、聞いたことがない。二の句がつげなかった。

「ふしぎかね」

「いえいえ、もしかしたらそうじゃないかなとの予想が当って、われながら感心したというわけですよ。こちこちに意気ごんだりせず、まず英気を養う。余裕があります。大石内蔵助も敵の目をあざむくため、京都で豪遊をなさったとか。その作戦でもあるわけですな。遠大にして

大がかりな計画……」

 修吾は気がつき、頭をかく。

「つい、つり込まれ、よけいなことをしゃべってしまったようだな。こいつ、よそへ行ってぺらぺら話しそうだな。どうしたものだろう」

「そんなお疑いは、ひどいですよ。殿さま、あっしも男だ。口は固い。決して他言はいたしません。といっても、信じちゃいただけないでしょうな。こうしましょう」

「どうしようというのだ」

「本懐をとげるまで、あっしは殿さまのそばをはなれない。それならご安心でしょう。きょうからは同志となります。血判を押しましょうか。あたしゃ、殿さまにほれこみました。それに気前がいい。かたき討ちとは、武士道の花。お手伝いさせて下さい。人生の語りぐさになる。

で、討入りは、いつ、どこなのですか」

「相手がどこにいるのか、まだわからんのだ。これから旅をしてさがすのだ」

「おやおや、そうでしたか。じゃあ、そのお供をさせて下さい。旅のあいだ、決して殿さまを退屈させませんよ。いえ、お金なんか、どうでもいい。宿泊費さえ出していただければ。じつは、打ちあけたところ、旅をしてみたいと思ってたとこなんですよ」

「面白いやつだ。おまえには妙に正直なところがある。気に入った。少しは旅も楽しくなるだろう。連れていってやる」

 たいこもちは、ひたいをたたいて大喜び。

「しめた。ありがたい。きびだんごをいただいて、桃太郎のお供になれた動物の気分がわかりますな。で、べつなお供、女はいかがです。きれいなのをひとり、お連れになりませんか」

「女なら、各地にいるだろう」

「各地の名産をお楽しみになるってわけですな。それもよろしゅうございましょう。じゃあ、商売女じゃない、よく働くまじめなのをひとりどうです。洗濯、ほころびなおし、食事のお給仕など、なにかと便利ですよ」

「そういわれてみると、いたほうがいいかもしれぬな。適当なのを手配してくれ」

「だんだん具体的になってきましたな。そうときまったら、きょう限り吉原遊びはおやめ下さい。お金がもったいない。うまくいってから、また大いに遊びましょう。その時には、ご祝儀をいただきますよ。本懐をとげたあとの祝杯。いいもんでしょうなあ」

 たいこもちのほうが熱心になってきた。そして、旅じたくをし、いかにも働きものらしい女をみつけて、修吾の旅館に移ってきた。せかすように言う。

「では、出発といきますか。殿さま」

「そうだな。けっこう江戸で遊んだし」

「かんじんな点。かたきに会った時、勝つみこみはあるんですか」

「そうだ、そのことを忘れていた」

「おうようすぎますよ、殿さま。用心棒をおやといになりなさい。江戸には、金に困っている浪人者がたくさんいる。よりどりみどりです」

 江戸には道場がいくつもあった。修吾はそれをまわり、推薦をたのんだ。用心棒と聞いて、そんなくだらぬ仕事はいやだとの反応もあったが、かたき討ちの助太刀と知ると、だれもまじめな表情になり、あとで仕官できるかもしれないとにおわすと、志願者の数はふくれあがった

。浪人にとって、こんなうまい話はめったにないのだ。

 修吾は彼らに試合をさせ、強いのをえらび出した。また、かたきとつながりがあってはと、身もとを調べ、保証人をつけさせた。かくして、剣術と柔術の達人を、それぞれ一名ずつやとうことができた。

 準備がととのった。

「そろそろ出かけるとするか。まず、東海道をゆっくりと西へだ……」

「けっこうですな、殿さま。弥次喜多道中以上に楽しくやりましょう」

「楽しむのはいいが、かたきらしい人物に注意してくれ。それから、旅行中は殿さまと言うのをやめろ。関所の役人に変に思われたら、やっかいだぞ」

「ごもっともで……」

 のんきな旅だった。若党や中間が荷物を持ってくれる。用心棒がいるので身は安全。たいこもちのおしゃべりがつき、金は充分にあるのだ。連れてきた女はよく働き、遊ぶ相手の美女はどの宿場にもいる。

 かたきの人相書をくばりながら進んだ。

「この人物を見かけたら、大坂へ知らせてくれ。飛脚代は当方で出す。あとで必ずお礼をするから」

 途中、すりに金を取られ、困りきっている老人の旅人を見かけた。修吾は金をめぐんでやり、老人は伏しおがむ。

「なんと情けぶかいかた。もしかしたら、水戸の黄門さまでは……」

「そんなにえらくはない。だいいち、時代がちがうよ」

「すると、黄門さまのご子孫で……」

「おじいさん、黄門さまの信者かい。それとも、本の読みすぎかな……」

 あれこれ話題にはことかかなかった。

 ある宿場に着くと、国もとの藩からの使いが待っていた。修吾は聞く。

「なにか起ったのか」

「大坂の両替店から、藩に対する貸金の、さいそくの話があった。その金を返済すると、お蔵の小判がほとんどなくなってしまう。どうしたものか、だれもいい知恵が浮かばず、貴殿のご意見を聞きたいと思い……」

「まかしておきなさい。そのうち大坂へ行くから、その時に相手に話して、期限をのばしてもらうことにする」

「よろしくお願いします。かたき討ちという重要なお役目の途中、お手数をかけて申しわけありません。あ、それから城代家老が、がんばるようにと申しておりました」

「まもなく目的をとげて帰国するとお伝え下さい」

 修吾は伊勢まいりをし、京をまわって大坂へ入る。藩からたのまれた仕事は簡単だった。利息を払い、そのうち景気がよくなるという話をしておけばすむことだ。元金について安心でき、利息さえとれれば、貸し主は承知するものなのだ。

 それを片づけ、修吾たちは大坂で遊ぶ。また、藩内の商人からもらった書面を持ち、かたきさがしの手伝いをしてくれるという同業者を訪れてみた。歓迎してくれた。

「よくいらっしゃいました。万事はうけたまわっております。いつおいでかと、お待ち申しておりました」

「で、かたきについての手がかりはわかったか。そろそろ、討ちはたさねばならない」

「少々お待ちを……」

 さすがに全国的なつながりを持つ同業者の組織。いろいろな情報が集っていた。かたきの駒山久三郎は、まず長崎へ逃げたとわかった。それから大坂へ戻ってきたが、いつのまにか姿を消してしまったと。それを聞いて、修吾はがっかり。

「すると、消息不明か……」

「ずっと監視はつけてあったのですがね。いっそのこと、しびれ薬でも酒にまぜて飲ませ、とっつかまえてしばりあげ、倉庫にでも閉じこめておいたほうがよかったかも……」

「いや、そんなことをしては、あとで評判が悪くなる。やはり堂々と討たねばならぬ。しかし、これからどうしたものか……」

「そうご心配なさることはありません。大坂からの各街道の要所要所に、似顔絵をくばって手配してあります。いずれ、報告が入りますよ。まあ、のんびりとお待ち下さい。料理屋へでも、ご案内いたしましょう。前祝いという意味で……」

 と宴会になるのだった。すべては時間の問題なのだ。金銭による網からのがれきれるものではない。まったく、駒山久三郎としては、とんでもない相手を殺してしまったものだ。

 一月ほどがすぎた。商人が修吾の旅館にやってきて言う。

「あれ以来、どの街道からも見かけたという連絡が入らず、変に思っていたわけですが、やっと報告がありました」

「どこへ逃げたのだ」

「海路です。船に乗りこんで大坂を逃げたのです。しかし、当方だって、その点ぬかりはない。各地の港へ懸賞金をつけて手配をしておいたのです」

「すまんな、そこまで手数をかけて」

「いいえ、これぐらいのこと。しかし、勘定奉行になられたら、よろしくお願いしますよ。まず、山林の材木の件を。その実現の早いことを期待すればこそです」

「わかっておる。それより、かたきのゆくえはどうなのだ」

「江戸から飛脚で知らせがありました。船で江戸へ着いたというわけです」

「そうだったのか」

「吉原でさかんに遊んでいるとのことですよ。とまっている旅館もわかっています。見張りもつけてありますから、今度は大丈夫です。しかし、逃げそうなようすもないとのこと。だいぶいい気になっているらしい。油断しているようですよ」

「いろいろと、世話になった。このお礼はきっとする。では、江戸に出かけて討ちとるとするか。みな、出かけるぞ……」

 大編成の一行は、ふたたび江戸へ。しかし、また東海道を戻るのはつまらないと、木曾のほうをまわり、山々を見物しながら、江戸へむかう。

 万全の準備と、順調な進行。あとは、かたきを討つばかり。供の若党のひとりが言う。

「もっとゆっくり歩きましょうよ。討ってしまえば、それで終り。こんなふうな、期待にみちた旅ぐらい楽しいものはない」

 修吾だって同じ思いだった。すべては確実なのだ。こっちには腕の立つ用心棒がいる。失敗はありえない。そして、討ちはたして帰藩すれば、栄達が待っている。

 そうなれば、自分に対して、そろばんと口先だけの人間だというかげ口など、だれも口にしなくなるだろう。武勇にひいでたさむらいだとの名声、人気があがる。勘定奉行という地位、加増もある。まさに藩内随一の実力者。なにもかも思いのままにできるのだ。

 その内心を察するかのように江戸へ着くとたいこもちが言った。

「どうせ勝つんですから、はなばなしくやりましょう。あっしが行って、うまいこと相手を日本橋まで連れ出してきます。そこでお討ちなさい。評判になりますよ。かわら版にもなるでしょう。大げさに、うまいぐあいに書いてくれるにきまっています。少しは金をつかませておい

たほうがいいかもしれない。それを何枚も持って帰国すれば、こんないいおみやげはありませんよ」

「そうかもしれぬな」

「助太刀のお二人がおいでなんですから、負ける心配はない。ね、そうでしょう」

「よろしくたのむ」

「お祝いの会は、盛大にやりましょう。楽しみですな。まだお金はあるんでしょう。残ったお金は、ぱあっと使ってしまいましょうよ」

 打合せはすみ、かたきの駒山久三郎は日本橋へとおびき出されてきた。べつに用心棒も連れていない。待ちかまえていた修吾は声をかける。

「やあやあ、なんじは駒山久三郎だな。半年前、わが父、赤松修左衛門を殺害して逃走。ここで会ったからには、逃がしはせぬ。覚悟しろ……」

 その大声で、人だかりができた。助太刀の二人は、すぐにでも飛びかかれるようにと、そばにいる。しかし、なんということ、相手の駒山は平然としていた。

「わかっているよ。覚悟はできていた。だからこそ、長崎へ見物にも行ったのだし、思い残すことのないようにと、吉原で遊んだのだ。ついに金がなくなり、つけがかなりたまってしまった。ちょうどいいところへ来てくれた。もう、どうもこうもならないのだ」

「えらくあきらめがいいな。なんとなく、張り合いがなくなる。しかし、武士の意地、討たねばならぬのだ。覚悟しろ……」

「覚悟のことなら、それ以上はくどいよ。しかし、なぜわたしが赤松修左衛門を切ったのか、知っているか」

「そんな理由、いまさらどうでもいいことだが、聞くだけは聞いてやろう。しおらしさに免じて……」

「なにも知らぬようだな。商人からの賄賂の分け前をめぐっての争いのあげくだ。わたしがまとめた商談だった。だから、半分ずつという約束だったのに、三分の一しかくれなかった。そこで、かっとなって……」

「そうとは知らなかった」

「考えてみれば、乱脈をきわめた話さね」

 修吾には事情がわかってきた。この豪勢なかたき討ちに出られた、あの千両箱の山の意味が。そういえば、修左衛門は勘定奉行をなかなかやめたがらなかった。金をためる面白さにとりつかれてしまったのだろう。ありうることだ。自分だって、藩に帰ったらそれをやるつもりな

のだ。修吾は言う。

「そういう藩の秘事を知られていては、なおさらためにならぬ。ここで見のがすことはできない。覚悟しろ……」

「またか。くどいね。わかっているよ、わかりすぎている。金にものをいわせて、貴殿がかたき討ちにやってくることもね」

「だから、どうだというのだ」

「覚悟はできているが、なにも死にたくはない。つまり、文書を作ってあるというわけさ。藩の内情についてだ。それを読まれると、藩内の取締り不行き届きということで、お家はとりつぶしになりかねない。殿さまはじめ家臣一同、みな困ることになるぜ」

「いったい、なにを書いたんだ。教えろ」

「知りたいだろうな。それは簡単なことだ。わたしを殺してみるんだな。わたしが死ぬと、それが幕府の評定所にとどくしかけになっている。そこで表ざたになり、知れわたるというわけさ。さあ、どうぞ、ご遠慮なくお切り下さい。それとも……」

  藩医三代記

 海ぞいの地方に、小さな藩があった。とくに問題をかかえこんではいない。江戸の幕府からにらまれてもいず、まあまあといった状態でおさまっていた。

 そこの藩医に平山宗白というのがいた。|禄《ろく》|高《だか》は五十石。医師であっても身分は家臣で、その点ほかの武士と変りはない。|苗字《みょうじ》もあり腰に大小をさしている。もっとも、頭はちょんまげでなく、くわい頭という、なでつけたような髪形にしてい

る。彼は下級武士むけの医師だった。

 藩医は、あと二人いた。いずれも百石で、おめみえ以上、すなわち殿にお目通りできる資格を持っている。そして、坊主頭。殿の側室や侍女たちの住居、奥御殿にも出入りするので、情事に発展するのを防ぐため、こんな習慣となっているのだろう。

 ひとりは殿の専属。定期的に殿の健康診断をやり、参勤交代の時は、いっしょに江戸へ行く。もうひとりは、上級家臣たちの担当だった。

 この三人、いずれもそう忙しい仕事でなく、のんびりした毎日だった。藩医は世襲であり、他の家臣たちのように、お城づとめをして各種の役目を歴任することはない。

 藩内の医師は、この三人だけ。領民むけの医師などいなかった。町医者がいるのは、よほどの大きな町だけで、そこにおいても数はしれている。そういう時代だったのだ。

 宗白のむすこに、元服を二年ほど前にすませた、宗之助という少年がいた。彼の不満は三つあった。

 元服の時を境に、それまでやっていた剣術の|稽《けい》|古《こ》をやめさせられてしまったこと。剣術ぐらい面白い遊びはないのに。仲間たちからばかにされているように思えてならない。

 第二に、勉強ばかりやらされること。藩校にかよって本を読み、帰宅すると、父に与えられる本を読まされる。これはなかなかつらいことだった。

 第三に、父の頭がちょんまげでないこと。わが家だけがなにかのけ者あつかいされているようで、みっともない気がする。

 宗之助がこれらを父に言うと、宗白は答えた。

「いいか、おまえはやがて、わたしのあとをつがねばならぬ。患者の脈をみなければならない。木刀を握ったふしくれだった手では、ありがたみがない。また、皮膚が厚くなっていては、脈の微妙な変化を判定しにくいのだ」

「そういうものですか」

「勉強をしなければならないのは、患者に文句を言わせないためだ。相手の読めないような字を読み、相手の理解できないような理屈をしゃべれば、みな恐れ入ってくれる。それから頭のまげのことだが、これはこういう習慣なので、どうしようもないことなのだ」

「わかりました」

 宗之助は、なっとくせざるをえなかった。いかに不満であっても、勝手に人生を選べない時代だ。商人や坊主になれるわけでもない。他の家臣の養子になることはできるが、長男ではそれも許されない。宗之助はこれらを知っており、父の仕事をみならうべく努力した。

 時どき、父から薬草の調合をやらされる。|薬《や》|研《げん》という舟の形をした金属製の器具を使い、粉砕と混合をやる。さまざまな妙なにおいがたちのぼるが、幼少のころからなれていることで、さほどには感じない。

 しかし、このにおいはわたしの衣服にしみこんでおり、すれちがう他人の注意はひくだろうな。しかし、くわい頭で医師だとはっきりさせておけば、ああそのためかと、妙な目つきで見られなくてすむ。そのための髪形なのだろうな。宗之助はこう考え、ひとりうなずく。

 宗白父子の住居には、ひきだしのたくさんついた棚がある。各種の薬草が分類されてしまわれているのだ。また、さまざまな|呪《じゅ》|文《もん》を書いた紙片も用意されている。他の人には、なにやら怪しげなものを感じさせるかもしれない。

 宗白はむすこの宗之助に、学問のほか、骨つぎ、ハリ、キュウ、あんまをも教えこんだ。そして、ひまがあると、宗之助に自分の肩をもませた。

「これで、おまえに大体のことは教えた。あと二年もしたら、家督をゆずって隠居する。そのつもりで、しっかりやってくれ」

「しかし、まだ自信がありません。薬草の使用法はなんとかおぼえましたが、呪文の紙の使いかたがよくわかりません」

「本を読んでおぼえこむことだな。天地は木火土金水の五行と、六つの季節すなわち六気の運行で成り立っている。それが五臓六腑に影響をおよぼし、病気となるのだ。これが原則だが、呪文は病気に応じ、いろいろある。まあ、わたしのやっているのを見ていれば、そのうち身に

つくだろう」

「しかし、手当てのかいなく患者が死んでしまった時のことを考えると、心配でなりません」

「それを気にすることはない。いまだかつて、病人が死んだ場合、治療法が悪かったせいだと、おとがめを受けた医師はいないのだ。将軍が死んだって、医師に責任はおよんでこない。なにかのたたりで発病した時など、その原因はつかみにくく、助けようがない。その責任まで押

しつけられては、医師のなりてがない」

「その点は気を楽にしていいわけですね」

「まあ、その点だけだな。あとは、あんまりいいことはない。禄高は低いし、普通の武士にくらべて、軽く見られている。しかし、これが祖先からわが家が代々やってきたつとめなのだ。この仕事をはげまなければならない」

 藩医は、いまでいう軍医。上からの命令の「だれそれを診察してやれ」との指示に従って、それをおこなう。もちろん無料。もっとも、そのために使用する薬草類の費用として、禄高のほかにいくらかをもらっているのだ。このたぐいの患者の数は、そう多いものではなかった。

 大部分は非公式の患者。上役に申し出る手続きをうるさがり、藩士が直接に宗白の家をたずねてきて、実費を払って手当てしてもらう。

「手にとげをさしてしまった。上役に言うと、気のゆるみだとかなんとか、あれこれ意見される。なんとかなおしてくれ」

「いいですとも。薬草の汁をつけておきましょう。その上から、このおふだをはる。これはですな。江戸のとげ抜き地蔵からとりよせた、非常にききめのあるものです」

「これはありがたい」

 江戸からとりよせたのは一枚だけで、それに似せて版木を作り、複製をたくさん印刷して用意してあるのだ。複製でもいくらかきくだろうと宗白は信じていたし、また、たしかに効果はあるようだった。

 藩士ばかりでなく、その家族についての相談もうける。

「じつは、五歳になるむすこのことだが、いまだに寝小便をするので困っている。武士の子としてみっともない。きびしくしかるのだが、いっこうになおらない」

「それはそれは、さぞお悩みでしょう。しかし、どなるだけではだめです。それなりの手当てをしなければ。まず、寝小便を半紙にしませ、それを黒焼きにし、甘草を加え、それに湯をかけて飲ませるのです。はい、これが甘草。それと同時に、この字を寝る前に筆で腹に書くこと

です」

 宗白は紙に書いて渡す。

「妙な字でござるな。なんと読むのか」

「読み方などありません。これは、まじないの記号なのです」

 べつな藩士は、こんな相談をもちこむ。

「このたび海上警備の役をおおせつかったが、わたしは船酔いするたちで、うまくつとまるかどうか心配でならない」

「それはですな、へその穴に塩を入れ、その上にこの紙をはりつけなさい。それで大丈夫です。よほどの大波の時には、ヘイコクコウボウと呪文をとなえなさい」

「お教えいただき、かたじけない」

 そのほか、子供の虫封じとか、乳の出の少ない女性とか、それぞれ病気に応じた治療法を教えてやる。いずれも、まじないと薬草との併用だった。

 宗白は性格がまじめであり、それが巧まざる演出となっていた。親切と自信にあふれた口調。患者たちはみな、それなりに満足していた。けっこうなおったし、なおらない場合も、それは宗白が悪いのでなく、自分の病気のほうが悪いのだろうと思う。

 時には急病で呼ばれることもある。

「宗白どの。すぐ来てくれぬか。隠居している父のようすがおかしい」

「食あたりか……」

「いや、そうではないようだ。胸が苦しいと言っている。早くたのむ」

「よろしい。参りましょう。おい、宗之助、薬箱を持ってついてきなさい」

 宗白はかけつけ、横たわっている病人を見て、首をかしげながら言う。

「いささか手おくれのようだが、できるだけの手当てをしましょう。宗之助、これとこれの薬草を調合しなさい……」

 それを飲ませてから、患者の耳もとで大声で告げる。

「……しっかりして、この呪文をおぼえなさい。オンハラダハントメイウン。|如《にょ》|意《い》|輪《りん》観音のまじないで、悪事災難を防ぎます。しかし、声に出すことなく、口のなかでとなえるのですよ」

 と指示を与えて帰宅する。つぎの日、薬石効なく死亡したとのしらせがあるが、宗白はあわてない。

「ずいぶんとご高齢でしたからな。気力がつづかず、呪文をとなえつづけられなかったのでしょう。お気の毒に……」

「そうでしょうね。これも天寿でしょう。いたしかたありません。お手当て、ありがとう存じました」

 遺族はお礼をおいて帰る。金は受取らなければならない。使用した薬草を補充しておかないと、たちまち品切れになってしまう。

 宗之助は父に質問する。

「急病人の時の心得はなんでしょう」

「食あたりかどうかを、まずみきわめる。それだったら薬草によって、はかせるか下痢させるか、なにしろ早く体外に出すことだ」

「食あたりでなかったら……」

「むずかしい。正直なところ、運を天にまかせる以外にない。そもそもだな、前もって相談を受けていれば、薬草によって体調をととのえることができなくはない。しかし、急に飛びこまれたのは、どうしようもないのだ」

「あの呪文、なぜ声に出してとなえてはいけないのです」

「声に出していながら、みるみる悪化したのでは、効果について怪しまれる。声に出していなければ、口のなかでとなえるのをやめたから死んだのだろうと、遺族もあきらめてくれるのだ」

「本当に呪文はきくのですか」

「本にも書いてあるし、どの医師もやっていることだ。となえないよりはききめがあるはずだ」

「そうかもしれませんね」

「そのため、助かるかどうかをみきわめることが、なによりも先決だ。これは経験をつむとわかるようになってくる。それによって、力強くはげますか、本人をやすらかに死なせ遺族に悔いを残させないようにするか、方針がわかれるのだ。ここが医師の才能であり、存在価値だろ

うな」

 こういうことを、宗白は無責任で言っているのではなかった。これが当時の医術。|腎《じん》|虚《きょ》なる言葉があり、腎臓と性的なものの関連が常識となっていた。その腎臓がどこにあるのかさえ、多くの医師は知らなかった。

 江戸城の将軍も、大奥の女性も、なにかからだに異常があると、すぐに|加《か》|持《じ》|祈《き》|祷《とう》をおこなった。医師よりも神仏が優先。だから、寺社へ寄進する金額のほうが、医師への支出よりはるかに大きかった。

 これは地方の藩においても同じこと。寺社奉行となると大変な重職だが、医師はせいぜい百石ぐらいの格しかない。

 そもそも、人体がどうなっているのか、だれも知っていない。かりに知ってたとしても、細菌性の病気への薬がなかった時代。すなわち、肺炎、赤痢、伝染病など、なおしようがない。|天《てん》|然《ねん》|痘《とう》が流行すれば、赤い色の布を身にまとって防ぐ以外に

ない。肺病になれば、黒ネコを飼い、背中に四角い紙をはり、その四すみにキュウをすえるという手当てを受ける以外にない。

 いかに全国最高級の将軍専属の医師でも、さらに的確な治療法を知っていたわけではないのだ。将軍が他の者にくらべ特に長寿をたもってもいない。なおらぬ病気にかかったら、それが運命であり、だれもやむをえないとあきらめる。

「文句なくきくという薬があるといいでしょうにね」

 宗之助が言うと、父の宗白は答える。

「わたしもそう思うな。しかし、そんなものはほとんどない。みごとにきくのは、毒の薬草しかない」

「そんなのがあるのですか」

「毒殺用の毒などは、みな、てきめんにきく。人を殺すのは命を助けるより、はるかに簡単だ。しかし、わたしが言いかけたのは、そのたぐいではない」

「なんのことでしょう」

「わたしがむかし、山の森のなかである薬草を発見した。そこのひきだしに入れてあるやつだ。これを飲ませると、たちまち熱が出て頭痛がおこる。まあ、一種の毒草だ」

「なおるのですか」

「いまのは葉っぱのほうだが、根の部分をせんじて飲むと、それがおさまる。まず、ネズミに飲ませて調べ、わしも少しずつ飲んでたしかめてみた」

「ふしぎな作用ですね」

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