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作者:日-星新一 当前章节:15381 字 更新时间:2026-6-16 01:47

「そこでだ、それならばと、発熱頭痛の病気にも、この草の根の部分が解毒剤としてきくかなとやってみたが、まるでだめだ。皮肉なものだな。新しい薬の発見とは、かくのごとくむずかしい」

 宗之助が二十一歳になった時、父の宗白は隠居を願い出て許され、宗之助が家督をついだ。生活にたいした変化はない。髪をくわい頭にし、父のやっていたことを彼がつづけるだけのことだ。薬箱を運んだり、薬を調合したりする役は、下男がやった。

 なにかぱっとしたことをやって、みなに腕前を見せたいものだな。若い宗之助は、そう考えたが、こればかりはどうしようもない。

 しかし、ある日、お城から急ぎの呼び出しがあった。

「すぐにお出かけ下さい。城下で切りあいがあった。旅の他藩の武士と、わが家臣とが、酒を飲んだあげくお国じまんをはじめ、たがいにゆずらず……」

「わかりました」

 宗之助は出かける。父の宗白もついてきてくれた。傷ついているのは、他藩の武士。民家のなかに運ばれ、腕から血を流して横たわっている。

 いざとなると身ぶるいがしたが、宗之助はかねて習った通りをやった。傷にやきごてを当て、|焼酎《しょうちゅう》をぶっかけ、おふだをはり、布を巻きつけて血をとめた。麻酔薬などない時代。大変な痛みだろうが、手当てする宗之助には関係ない。

 そばで見ていた宗白は、終ってからうなずいて言う。

「いいだろう。うめいたり血が流れたりですさまじいが、手足の傷なら、たいていなおる。胸や腹も浅い傷ならなおる。おふだのききめで、化膿しなければだがね」

「おふだ、焼酎、やきごて、どれがきくのでしょう」

「まるでわからん。戦場での必要と体験から、この方法ができあがったのだ……」

 鎌倉時代には主従が義によって結ばれており、だれも死をいとわなかった。しかし、戦国時代になると、やとわれ武士が多くなり、傷をなおせる医者がいないと、部下が逃げてしまう。そのために外科がいくらか発達した。

 細菌の存在など、だれも知っていない。熱やアルコールに消毒作用があるなど、知らないでやっていたのだ。

 宗之助は父に言う。

「しかし、江戸幕府ができてから、ほとんど戦乱はない。進歩もとまったままですね。負傷者が続出すれば、あれこれ、こころみられるのに」

「それ以上は言うな。不穏な言動だとおこられることになるぞ」

 その他藩の武士は、温泉で休養し、なんとか全快した。宗之助はいちおう仕事を片づけることができた形だった。しかし、これが職務なので、とくにほめられることもなかった。もっとも、死んだとしても、責任を問われるわけでもない。このへんを考えると、自己の役割りがぼ

やけ、宗之助はちょっと面白くなかった。

 しばらくして、またお城から呼び出しがあった。出かけると、上役がこう言う。

「じつは、内密で相談がある。先日の|刃傷《にんじょう》事件のことについてだが……」

「あれはなおったはずですが」

「それがよかったのかどうか、わからなくなったのだ。あの武士、帰国して、ここでひどい目にあったと報告したらしい。そこの領主から、わが藩に厳重な抗議があった」

「はあ……」

「むこうは大藩、こっちは小藩、無理とわかっていても頭を下げざるをえない。ほっとくわけにいかず、切りつけたわが藩の者に切腹させて、ことをおさめることにした」

「ひどい話だ。それなら、助けるのじゃなかった。しかし、わたしの責任じゃありませんよ。やつが勝手になおってしまったのです」

「わかっておる。しかし、切腹を命ぜられた者、わが藩の無事のためであり、あとの家族の面倒はみると話しても、うけつけない。不平をこぼしている。このままだと、みぐるしい切腹にならぬとも限らぬ。他藩の使者の前で、恥をさらしかねない」

「困りましたな」

「なんとかならぬか。堂々と切腹する気になる薬草か呪文はないか」

「医師としての仕事からはみ出ますが、やってみましょう」

 宗之助は酒を持って出かける。その家臣は刀を取りあげられ、上役の家に閉じこめられていた。宗之助は酒をすすめた。

「ご同情にたえません。こうと知ってたら、他藩のやつの手当てをしなければよかった」

「わたしも、こんなことで切腹とは、くやしくてならぬ」

 よほど不満なのか、やけ酒のごとく、あっというまに飲んでしまった。

「しかし、ここはわが藩のために、覚悟をきめるべきではないでしょうか。どっちにしろ、あなたは助からないんですよ」

「なんのことだ」

「これは内密ですが、いまの酒に毒を入れておいた。一日たつと、頭が痛み熱が出てくる。しだいにひどくなり、そして終りです。いっそのこと、はなばなしく腹を切って、後世に語りつがれたほうがいいでしょう」

「なんだと、卑怯な」

「まあ、落ち着いて、落ち着いて。ここのところをよくお考えに……」

 宗之助は逃げ帰る。

 しかし、数日たって、その家臣がみごとに切腹したと聞かされた。発熱し頭痛がおこり、どうやら本当に毒を飲まされたらしいと知り、どうせ助からないのならと、思い切りがついたのだろう。内心、家老たちをあざ笑いたい気分だったかもしれない。微笑を浮べ立派な最期だっ

たという。その家臣の家は形式の上で断絶となったが、むすこは新規召し抱えとして藩士となった。丸くおさまったといえる。

 宗之助は、父の発見した薬草のききめをみなおした。頭痛と発熱をひきおこす作用があるらしい。毒も使いようで役に立つぞ。

 そのうち、またもそれを使う機会にめぐまれた。

 宗之助が城下を散歩していると、みすぼらしい少年武士にであった。空腹らしい。めしを食わせて事情を聞くと、父のかたきを追ってここまで来たという。

「それで、かたきをみつけたのか」

「はい。このさきの旅館にとまっています。しかし、相手は強い武士。わたしには討てそうになく、困っているのです」

「なるほど。しかし、安心しなさい。わたしは当藩の医師。かたきを討てる薬をあげよう。これを飲んで三日目にやりなさい。かならず勝てる」

 そして、にがいだけの、ただの薬を少年武士に飲ませた。一方、かたきのとまっている旅館に行き、女中にたのんで、例の毒草を飲ませる。翌日、近くをうろついていると、かたきの武士から声をかけられる。

「医師とおみうけする。みていただきたい」

 宗之助、あれこれもっともらしく診断し、そっと言う。

「これは、わたしの手におえない。のろいです。あなたに殺された人の霊がとりついている。頭が痛く、熱っぽいでしょう。だんだんひどくなり、しまいには狂い死にをする。なにか原因に心当りは……」

「ないこともない。同僚の武士をやみ討ちにし、逃げまわっているのだ。それかもしれぬ。で、なおらぬというのか」

「むずかしいでしょうな。これは、あの世に行ってもなおらず、成仏できません。霊魂ののろいが消えれば、あなたの死後の魂は救われるでしょうが」

 おどかして帰ると、ころあいをみはからって、少年武士が乗りこむ。

「やい、父のかたき、尋常に勝負しろ」

 かたきのほう、こうなると、ここで討たれて、せめて死後の成仏だけはしたいという気になっている。かえり討ちにしてもいいが、死後まで狂い死にがつづいてはかなわん。勝敗はあきらか。

 少年の感激といったらなかった。宗之助にお礼を言って、故郷へと帰っていった。その帰途、ほうぼうでこの話をしたにちがいない。

 何カ月かすると、宗之助の家に武士の訪問客があり、こんなことをたのむ。

「うわさによると、こちらに秘伝のかたきうち薬があるとか。大変なききめだそうで。ぜひ、おゆずりいただきたい。かたきを討たぬと帰参できない身の上なのです」

「ははあ、あのにがい薬のことですな。よろしい、おゆずりしましょう。かたきにめぐりあった時に、お飲み下さい。それから三日後に、たちあうのです。代金はけっこうですよ。みごと本懐をとげられたあとで、おこころざしだけお送り下さい」

「かたじけない」

 相手は大喜び。にがいだけの薬だが、あるいは、いくらか気力を高める役に立つかもしれない。立たなかったとしても、あとで文句をつけられる心配はない。

 宗之助は、だんだん要領を身につけてきた。毒とハサミは使いようだ。

 しかし、平凡な毎日。家臣の家族たちの、せきがとまらぬとか、犬にかまれたとかの手当てをし、まじないをくりかえす。実費はもらう。しかし、そう大金を請求するわけにいかず、金額はしれていた。

 もっと派手なことをやりたいものだ。宗之助は武芸をやらず、内心のもやもやの発散することがなく、それは妙な空想となる。

 そもそも、医師のありがたみなるものを、みなが知らないのがよくない。ありがたみを示さなければならない。戦乱の世となればいいのだが、それは期待できない。医師への信用と需要とをかきたてる、なにかいい方法はないものか。

 考えてたどりついたのは、例の毒の薬草。

 宗之助が目をつけたのは、藩内の大波屋という商人。海運業をやっており、金まわりは悪くなく、藩にも金を貸している。その見返りとして、苗字帯刀を許されている。

 宗之助は茶店の主人にたのみ、お茶にまぜて大波屋に飲ませることに成功した。あの人は病気のようだ、これを飲ませてあげなさいと言うことは、医師として不自然でない。

 二日ほどし、大波屋を訪れ、薬草の注文を江戸へとりついでくれないかと言う。応対に出た番頭が言う。

「じつは、主人が病気になりまして、苦しんでおります。みていただけるとありがたいのですが」

「いいですとも。こちらのご主人は、苗字帯刀を許されている。家臣と同格です。手当てしてさしあげましょう……」

 部屋に通り、横たわっている主人に言う。

「……ははあ、頭が痛く熱っぽいのでしょう」

「はい。よくおわかりですね。驚きました。なおるものでしょうか」

「金まわりがいいと、木火土金水の五行のつりあいが狂い、からだにそれがあらわれるのです。火、すなわち熱が出る。むずかしいですが、できるだけのことをやってあげましょう。土の精の産物である薬草を、水にとき、木製の容器で飲まねばならぬ」

「ぜひ、お助け下さい。お礼はいくらでもお払いします。むずかしい理屈より、早く手当てを……」

「わかっています」

 宗之助は父から教わった例の薬草の根の部分をせんじ、もっともらしく飲ませる。翌日、当然のことながら、症状は消える。

 あまりのあざやかさに、大波屋の主人は感嘆する。宗之助をまねいて、全快祝いのごちそうをした上、多額の金銭をさし出す。

「これを受けとっていただきたい」

「ずいぶんありますな。しかし、わたしはお城から禄をいただいており、生活はなんとかなる。そこでです、じつはわたしに、ひとつの計画がある。この金は、それに使っていただきたい」

「どんなご計画で……」

「お城にはわたしのほかに、あと二人の医師がいるだけ。わが藩に三名というわけです。しかし、家臣はまだいい。領民たちは、医師にかかることができないでいる。小さな診察所を作り、わたしがひまな時には、そこで手当てしてあげようというのです」

「それはご立派なことです」

 宗之助は、藩の上役に許可を求めた。これができれば、殿さまへの尊敬も高まる。他藩に移ろうなどと考える領民もいなくなる。金は大波屋が出すので、藩の出費はふえない。もちろん、家臣の手当てが優先で、そのひまな時を利用してやるのであると。

 その計画は許可になった。小さな建物が作られ、江戸からとりよせた各種の薬草がそろい、使用人がひとりつけられ、なんとか体裁がととのった。

 かくして、領民たちははじめて医療の恩恵を受けられることとなった。これまでは町医者がいなかったのだし、かりにいたとしてもそれに金を払える余裕などなく、まじないのほうを医師より信用している者が大部分だった。なんという進歩。貧しさゆえの悲劇はなくなったのだ

 もっとも、金を湯水のごとく使える将軍だって、たいした治療を受けていたわけではない。この程度の医療なら、受けても受けなくても大差なく、うらやむことなどなにもないのだが。

 しかし、ことは気分の問題。これは、すべてにいい結果をもたらした。領民たちは、信じられないような喜びよう。殿さまへの感謝も高まる。金を出した大波屋の人気もあがる。そして、いうまでもないことだが、宗之助は神さまあつかいされた。依然として禄高は五十石だが。

 こういう仕事があるのは、退屈しているよりいいことだ。宗之助はひまがあると、診察所へ出かけて仕事をした。領民たちはありがたがっており、どんな手当てでも喜んでくれる。おふだ一枚と安い薬草をやれば、だいたいなおる。やまいは気からなのだ。

 なおらなくても、文句は出なかった。手当てを受けられたのだからと、感謝しながらあきらめてくれる。それをいいことに、宗之助は各種の薬草をこころみた。飲ませるとからだがぐったりし、飲用を中止するともとへもどる薬のあることを知った。煙にして吸わせるとおかしく

なる薬の存在も知った。

 宗之助は、大波屋の娘を見そめた。主人を病気に仕上げ、熱心に看病してなおし、そこにつけこんで申し出る。

「娘さんを嫁にいただきたい」

「そちらさえよろしければ、どうぞ。なにしろ命の恩人なのですから」

 商人ではあるが苗字帯刀を許されていて、家臣の格だ。身分上の問題はなく、許可になり、その婚礼がおこなわれた。

 宗之助は経済的にゆとりができた。金のある商人たちからの、診察の依頼がふえたのだ。請求しなくても、かなりのお礼を持ってくる。

 やがて、父の宗白が死んだ。海へ釣りに出て、舟がひっくりかえったためだ。葬式のあと、宗之助は襲名して宗白となった。これは代々の習慣なのだ。

 そのあと長男が出生した。宗太郎と名づけ、注意して育てた。当時の幼児死亡率はきわめて高く、注意も意味ないわけだが、宗太郎は無事に成長した。幸運のおかげというべきだろう。

 宗白、すなわち襲名した宗之助は、まじめな父がいなくなって、さらに欲が出てきた。これだけ才能があるのに、下級武士相手の医師とは。殿や家老を診察できる地位につきたいものだ。彼はその計画にとりかかった。

 しかし、殿に毒の薬草を飲ませるのはむずかしい。そばに毒見役がいて、殿の口に入るものを調べているからだ。

 宗白は薬草をとかしこんだロウソクを作った。外側を美しくいろどり、大波屋を通じ殿へ献上させた。

 殿は夕刻、机にむかって読書をすると聞いている。つまり、殿は灯のそばにあり、側近の小姓ははなれている。薬草の煙を吸うのは、殿だけとなるはずだ。

 待ちかまえていると、城から呼び出しがあった。お側用人が言う。

「じつは、殿がご病気だ。いまの医師の手当てではなおらぬ。知恵を貸してくれ」

「しかし、診察をいたさぬと、なんとも申しあげられません。わたしはおめみえ以下、殿のおそばに出る資格がございません」

「では、その手続きをする」

 宗白は昇進し、禄高は百石となった。坊主頭となり、診察をする。責任重大だが、なおすのは簡単。きく解毒剤はわかっている。まず自分で飲んでみせ、殿にすすめる。たちまち全快、お言葉をたまわる。

「宗白、そちの腕はみごとだ。これからは、わしのそばにいてくれ」

「しかし、いままでのかたの役を奪っては申し訳ありません。必要に応じて、お呼び下さるということで……」

「遠慮ぶかくて感心であるな。そのうち、医学についての講義を聞かせてくれ」

「はい……」

 数日後、宗白は講義をした。

「そもそも、天地人と申すごとく、人間は天地のあいだにあって、その霊気の影響を受けている。人体は、空気が出入し、水が通過し、血液が循環している。空気は天に感応し、水は地に感応す。血液は当人の運勢にかかわっている。お脈をみるのは、そのためでございます。これ

をととのえ健康にするため、まじないで天の霊気を助け、薬草で地の霊気をおぎなう。その微妙なるつりあいをきめるのが、医学なのでございます。これについて、ご不審な点はございましょうか」

「よくわからぬが、立派な説のようだな。ほめてとらすぞ」

 宗白は面目をほどこした。この信用をさらに確実なものとしなくてはならぬ。彼は昇進の御礼として、霊験あらたかな線香なるものを献上した。そのなかの一本に、毒の薬草がしませてある。いつかはそれが使われるだろう。

 待っていると、またも殿は発病。宗白が呼ばれ、手ぎわのいい治療。ますます殿はごきげんがいい。そのうち、こんな相談を持ちかけられた。

「なかなか世つぎがうまれぬ。わしのからだがいけないのであろうか」

「殿はご健康です。しかし、子孫の問題となると、天地陰陽、相性がからんで……」

「どうすればいいというのか」

「新しいご側室を迎えられては……」

「だれか適当な女性がおるか」

 うまくいけばもうけものと、宗白は妻の妹を推薦した。

「大波屋の娘などよろしいかと……」

「ふむ。そういうものか。では、わしから家老に話してみよう」

 その件がきまった。世つぎの誕生を望むのは、どこの藩でも同じ。大名が正夫人をきめる時は、格式や幕府の許可で大変だが、側室だといとも簡単。

 宗白は、こんどは真剣に殿への薬を調合した。祈祷もおこなった。やがて、これこそ偶然の幸運だろうが、その側室が懐妊し、男子の誕生となった。殿も大いに満足なさる。

「宗白、そちのおかげであるぞ」

「いえ、殿のお力であり、神仏のお加護のおかげでございます。寺社への寄進をなさるとよろしいかと……」

「そうであったな」

 藩内の寺社が、少し不景気になっている。病気の領民たちが、宗白の診察所へ行ってしまうからだ。さいせんのあがりがへっている。このさい、その不満をやわらげておいたほうがいい。

 寄進がなされ、寺社の関係者たちが宗白の意見と知って、お礼に来た。彼の人気はここでもあがった。

 宗白は世つぎや側室の診察もやった。すなわち、奥御殿のどこへも出入りが自由。だれだって病気で死にたくはないのだ。

 宗白は殿のお気に入りとなった。なにかにつけて呼び出され、話し相手をさせられる。普通の家臣だとこうはいかないが、医師なので文句のつけようがない。

 これをこころよく思わない者も、もちろんあった。しかし、宗白の腕はあきらか、病気になった時に手を抜かれたらと思うと、表だって意見もできない。

 宗白にしても、他人の反感を買いたくはない。家臣たちの欠点はしゃべらなかった。

 宗白は、重臣たちの家から、診察をたのまれるようになった。医師なら堂々と呼べるし、金も渡せる。殿の前でよけいなことを言わないでくれとの、つけとどけの意味もある。

 現実に、その家族たちを診察することもあった。気を静める薬草を大量に飲ませると、内心のことをしゃべりだしたりする。なかなか面白かったし、参考にもなった。いずれ、なにかの時に役に立つだろう。

 年月がたち、むすこの宗太郎が少年になった。宗白は彼を長崎に留学させることにした。その費用は充分にある。また、西洋医学がすぐれているとのうわさを、耳にしてもいた。自分の代のうちは、いまのやりかたでなんとかなるだろう。しかし、そのあとの準備をしておいたほ

うがいい。宗太郎は出発していった。

 宗白は殿から、人事についての相談を受けるようになった。彼は各家臣の家庭の事情にまで通じており、だれが有能かを知っている。しかし、あからさまに言っては波乱のもとだ。健康状態にことよせたり、相性や占いにことよせたりして、それとなく進言する。それは採用され

、藩政の向上に役立った。

 一方、そのあとしまつもやる。人事で格下げになった者は、病人に仕上げ、こんなふうになぐさめるのだ。

「あなたは運がいい。いままでのような激職にいたら、疲労で助からなかったでしょう。いまなら、わたしの手当てで、一命をとりとめます」

「そうだったか。よろしくたのむ」

 また、新しく家老となった者の子息を病人にし、高額の治療費を請求する。

「入手しにくい高価薬を使ったのです。お支払いの金がないとは、困りましたな。では、こうしましょう。城下のある商店が、営業の許可を求めています。それをなんとかしてあげて下されば……」

「うむ、努力してみよう」

 そして、商店のほうから金をもらう。

 かくして、宗白は藩内で隠然たる勢力を持つに至った。殿から領民に至るまでの信用をえている。商人たちという資金源もある。

 ある時、家臣のひとりが、宗白に陰謀を持ちかけてきた。二人で組めば、お家のっとりも可能だ、それをやろうと言う。

 宗白はその相談に乗るふりをし、油断させて薬を飲ませ、治療の手を抜き、死なせてしまった。藩の害虫とは、こういうやつのことだ。生かしておいて、ろくなことはない。

 それに、なにもあんなやつと組まなくたって、その気になれば自分ひとりで……。

 ところで、と宗白は考えた。いつのまにか、これだけの実力が身についた。なにをやったものだろうか。

 しかし、なにも思いつかない。殿になれるわけでもなく、家老にもなれない。また、その必要もなく、いますべてが意のままだ。

 この勢力をとなりの藩に及ぼすこともできない。もっと大きな藩に仕官しなおすこともできない。

 考えられるでかい計画といえば、参勤交代の殿にくっついて江戸にあがり、殿を幕府の要職につけるよう、運動してみることだ。薬を使い、殿を老中にのしあげ、それに進言して国政を動かすか。しかし、江戸には頭のいい連中もいるだろうし、発覚したらみもふたもない。それ

に、国政を動かしたって、あまり面白いことではあるまい。

 平穏第一で幕藩体制がかたまっており、やれる限界は目に見えている。そういう時代なのだ。江戸時代になってからの大事件といえば、せいぜい|由井正雪《ゆいしょうせつ》、|忠臣蔵《ちゅうしんぐら》、|天《てん》|一《いち》|坊《ぼう》ぐらいのもの。いずれも最後

は悲劇的な幕だ。幕府にたちむかっても勝てないのだ。

 将軍のお気に入りとなって、出世して実権をにぎった者もある。しかし、やはりそれも長つづきしない。たいしたことのできる時世ではないのだ。

 宗白は自分の実力を持てあましながら、日をすごした。いや、こういうのを実力とはいえない。ひずみをうまく利用できただけのことなのだ。

 なにもたくらまなかったのは、賢明といえよう。藩内での宗白の人望は低下せず、失脚もしなかった。

 また年月がたち、長崎へ留学していたむすこの宗太郎が帰ってきた。知識を頭につめこんできましたといった表情。宗白はたのもしく思いながら迎えた。

「どうだった。うるところはあったか」

「大いにありました。わたしは目が開けたような思いです」

「それはよかった。どんなふうにだ」

「父上の医学はまちがっております。これは絶対に改革しなければなりません。それがわたしの使命です」

 宗太郎はまだ若く、頭がよかった。西洋医学に熱中し、外国人に激励され、のぼせあがって理想主義になってしまった。子供の時から甘やかされて育ち、不自由なく金が使え、金のありがたみを知らない。理想主義にでもなる以外に、人生の興味を発見できなかったのだろう。

 宗太郎は長崎で購入してきた、西洋医学の本、医療器具、薬品などを並べ、あれこれ熱っぽくしゃべった。宗白にはなんのことやらわからなかった。しかし、変ったことが見物できるかもしれぬと、自分は隠居し、家督をゆずった。

 宗太郎の代となる。いわゆる科学的にすべてが切り換えられた。彼はおせじを言わず、なおるなおらないをはっきり言い、人事に口を出さず、|賄《わい》|賂《ろ》もとらなかった。

 藩内はなんとなく、ぎこちなくなった。あいそのいい会話がなくなり、だれもうまい汁にありつけなくなり、領民たちへの救いがなくなり、新医学がきくのかどうか見当がつかず、迷いの空気がみちてきた。宗太郎がはりきればはりきるほど、それがひどくなる。

 しかし、父の宗白への遠慮もあり、すぐには表面化しなかった。しかし、やがて宗白が死んだ。腹が痛くなったのに対し、宗太郎は手術の必要があると主張し、むりやりおこなった。外国人から、西洋ではわが子を実験台にした医師があると聞かされ、それにあやかろうと先駆者

をきどったのだろう。その結果、症状は悪化し、死んでしまったのだ。

 西洋医学といっても、当時のものはたかがしれている。まともなのは解剖学だけで、これは治療の役には立たない。ききめのあるのは、ジェンナーが偶然に発見した種痘法ぐらい。石炭酸消毒がイギリスで発見されたのは明治維新のころ、コッホによって細菌がはじめて発見され

たのが明治十一年。現代的な薬品のたぐいは、なにもなかった。

 たちまち宗太郎の信用は落ちた。宗白が死んだため、風あたりもひどくなる。人気はなくなる一方。つまらない失敗をたねに、禄を下げられ、もとの五十石にされてしまった。患者はだれもよりつかなくなる。宗太郎がいかに叫べど、ひとりも相手にしない。残りの人生を、むな

しくすごした。

  紙の城

「おい、平十郎。大名が領内において土木工事をした。その結果、川の流れが変り、となりの藩に水害がおこった。かつてそんな事件があったかね。あったら、どう処理したか書類を見たいとの、老中からの依頼なのだ。どうだ……」

 上役から聞かれ、平十郎は言う。

「はあ、三回ぐらいあったようです。何回目の書類がご入用で……」

「わからん。すまんが、みんな持ってきてくれ」

「はあ……」

 平十郎は上役の前をさがり、書物蔵のなかに入ってゆく。いたるところにつみあげられている書類、書類、書類。そのなかから命じられたものをさがし出し、持ってゆくのが仕事だった。

 平十郎は三十五歳。江戸城へ出勤するのが日課だった。書物方同心の職にある。書物方とは、書物の管理や資料の編集整理をおもに分担している部門だ。なんといっても天下の実権をにぎっている幕府、さまざまな珍しい古書を、大量に収集している。数万冊、いや、もっとある

かもしれない。それに、書画のたぐいもある。

 火災にあってはいけないというので、城内のもみじ山に何棟もの土蔵を作り、それにしまってある。ここの管理者が書物奉行で、七人ほどいる。学問や文章にすぐれた頭のいい旗本たちだ。就任して数年間その職にいるが、やがて昇進して、もっといい地位へ移ってゆく。彼らに

とって書物奉行という地位は、出世の途中の一段階にすぎない。

 その下に同心が、約二十人いる。同心とは下級職員のことで、禄高の低い武士がなる軽い役。つまり、手伝いだ。世襲が慣例ということになっている。

 十七歳の時から、平十郎は父にともなわれてここに出勤し、仕事の見習いをさせられた。それ以前の幼年のころ、彼は子供らしい望みを持っていた。努力をすれば出世できるにちがいないという期待。そのため習字の勉強をやった。それが栄達の条件のひとつだろうと思ったのだ

。けっこう上達した。器用すぎると、父親が顔をしかめるほどの才能だった。

 父のそばで仕事をおぼえるのも早かった。どこになにがあるのか、それを頭におさめるのは大変なことだったが、彼には若さと熱心さがあり、苦しむことなく身につけた。

 二十五歳のとき父が死亡し、平十郎は家督を相続し、正式に書物方の同心となった。さて、実力によって昇進の夢をはたそうと考えたが、あらためてあたりを見まわすと、それはむずかしいようだった。同僚の同心に言う。

「わたしたち、書物奉行にはなれないのか」

「つまらんことを考えるなよ。そんな前例はない。いい地位につけるのは、家柄や親類の立派な旗本たち。われわれ下っぱは、親代々この同心さ。しかし、気楽じゃないか。出世もしないかわり、へまをしなければ、子供にこの職をうけつがせることができる。無難なものさ」

「すると、同じ毎日をくりかえす一生か」

「だから平穏に生活できるのさ」

 同僚は平然としていたが、平十郎は現実を知ってがっかりした。せっかくの字を書く才能も発揮できなかった。書物奉行たちは、自分で文章を考え、自分で報告書や意見書を作りたがる。同心の入り込む余地はない。

 幕政に関する書類作成は、奥|右《ゆう》|筆《ひつ》と表右筆とがおこなっている。表右筆は機密にかかわらない調査、記録、法令などの文書を作る。奥右筆はもっと重大で微妙な、請願受付け、事件調査、人事決定などをやる。この奥右筆の権威と実力はかなりのもので、こ

とを早く進めてもらうよう、自己に不利な決定にならぬよう、各所から進物や賄賂がとどけられる。あの一員になりたいものだと平十郎も思うが、できるものではない。

 そんなことはともかく、作られる書類の量は、幕府ぜんたいで大変なものだった。数年間は各部門で保管されているが、置き場がなくなるにつれ、古いのから順に書物奉行のほうへ回ってくる。

「資料として保存しておいていただきたい。必要があったら、見せてもらいに来る」

「よろしい、ひきうけた」

 書物奉行は気軽に答える。ことわって相手の感情を害したくないのだ。当人はいずれ昇進するつもりでいるし、それに、同心にそのまま命じればいいのだ。いつごろからこんな慣例になったのかわからないが、これが現状だった。

 ほかの同心たちもそうだが、平十郎はまさに紙くず屋だった。ほうぼうの役所から、書類の束がとどく。どれもご用ずみのものばかりで、秘密のものなどあるわけがない。また、興味ある秘密はないものかと考え、読みふけったりしていたら、仕事は片づかない。

 同心たちは、なれたもの。ぱっぱっとよりわけ、重ね、油紙に包み、目印として簡単な見出しの文字をつけ、蔵に運んでつみあげる。親代々うけつがれてきた仕事だけあって、みな手ぎわがよかった。

 そして、時どき、前例を知りたいと、書類さがしを依頼される。平十郎はとくに重宝がられた。同心たち、それぞれ癖のある字で見出しを書いているわけだが、彼には文字への感覚があるので、それを読みわけることができるのだった。また、いかに達筆な文書でも、さっと内容

を読みとれるのだ。同僚は同情してくれる。

「すまんなあ。いつも、おまえばかり命じられているようだ」

「まあ、これが仕事ですから」

「適当にやってればいいんだよ。そんな文書はありませんと答えればいい。自分でやろうとしても、上役にはできっこないんだ」

「そうしたいんですが、なにがどこにあるのか、すぐ頭に浮んできてしまう」

 というわけで、平十郎は蔵のなかに出たり入ったりして、毎日をすごしていた。古びた紙のにおいにも、いつしかなれてしまった。夏はいくらかすずしかった。冬も、風の当る戸外の仕事よりましだろう。

 しかし、これといった役得は、まるでなかった。この文書を早くさがしてくれと、つけとどけを受けることなど、年に一回あるかないかだ。

 値うちのある書画を持ち出せないことはないが、発覚したら自分ばかりでなく、同僚たちまで処罰されるだろう。定期的に虫干しがあり、その時に点検がなされるのだ。蔵のなかで、そっとながめることは可能だが、それ以上のことは無理だ。

 そして、平十郎はいつのまにか三十五歳になってしまった。

 十歳とししたの妻がいる。まだ子供はなかった。妻は内職として印判を彫る仕事をやり、それがいくらか家計のたしになっていた。最初は趣味として、小さな木彫りの人形を作っていたのだが、やがてその人形を売るようになった。だが器用さをみとめられ、印判を作るほうが金

になるとすすめられ、印判屋からその仕事が回ってくるようになったのだ。

 こういう地味な部門の同心のくらしは、ささやかなものだった。

 平十郎の気ばらしは、つとめの帰りに、時たま酒を飲むことぐらいだった。行きつけの店は、梅の屋という小料理屋。ほぼ同年配のそこの主人とは、なぜか気があい、冗談を話しあったりすることもある。

 その日、ひとりで飲んでいると、平十郎は店の給仕女から、こんなことをたのまれた。

「郷里の父母にたよりを出したいんですけど、手紙を書いていただけないかしら。あたし、字が書けないんです。元気でいると知らせ、お金を送りたいの」

「感心だな。書いてあげるよ。紙と筆を持っておいで」

 平十郎は代筆をしてやった。それをのぞきこんでいた主人は、感嘆の声をもらした。

「うまいもんですな。じつに、みごとです。この字だけ見ていると……」

「同心とは思えないと言いたいんだろう」

「まあ、そんなところで」

「奉行や老中にだって、ずいぶんへたな字のやつがいる。将軍だって……」

 いつも扱っている古い書類の署名を思いだしながら言い、苦笑いしてつづけた。

「……しかし、いかに字が巧妙でも、出世の役に立たぬことがわかってきた。字なんかより、そろばんを習っておくべきだった。勘定方だと、そろばんの腕でかなりの地位までゆけるらしい。だが、いまさらどうにもならぬ。十日に一回、ここへ来て酒を飲むだけが生きがいだ」

「いかがでしょう。ここの座敷に飾る字を、なにか書いていただけませんか。酔ったお客によごされたり、持ってかれたりで、困っているのです。なにか、もっともらしい感じのを書いて下さい。表具師にたのんで、安い掛物に仕上げる。どうされても惜しくないものがほしいので

す」

「ばかにされてるような気分だぞ」

「これは失礼。しかし、お礼として、お酒を一回だけ飲みほうだいにしますから」

 主人のこの提案を、平十郎は承知した。これは悪くない取引きかもしれない。

 だが、武士だけあって、平十郎はまじめだった。いいかげんなものを作る気にはなれない。つとめのひまを見て、書物蔵に入り、一休和尚の書を出してながめ、特徴を研究した。そして、帰宅して書きあげた。われながら、うまいできだった。

 日光にさらしたり、天井裏のほこりをこすりつけたりして、古びた感じをつけ、梅の屋に持ってゆく。

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