その担当の家臣があらわれ、武具庫の点検をおこない、さだめ通りの数がそろっていたことを報告する。殿さまは言う。ごくろうであった。武具はきわめて重要である。点検は念には念を入れねばならない。見おとしを防ぐため、ある日数をおき、もう一回やってみる慣習がある
ように聞いているが、どうであろうか。
家臣は、ははあと頭を下げる。これですべてが通じたのだ。そんな慣習など、これまではない。しかし、あからさまにそれをやれと命じると、|叱《しっ》|責《せき》した印象を与えないまでも、相手は自分の不注意を感じかねない。すべては質問の形で、それとなく言わねば
ならない。わたしは事情をなにも知らないのだ。だから勉強しなければならぬ。そのための質問だ、という形をとるのがいいのだ。わたしはそれでずっとやってきた。なんでもいいから質問していると、しだいに事情がわかってくるものだ。また、そうなると、いいかげんな報告は
できないと家臣たちも思ってくれる。しかし、とことんまで質問ぜめにしてはならない。家臣の説明がしどろもどろになりかける寸前でやめておく。そうすれば相手の立場も保て、つぎの報告の時は形がととのっている。やりこめるのが目的ではないのだ。
質問できることは、藩主の持つ唯一の特権かもしれない。途中からお国入りしたのだから、知らなくて当然。少しも恥でない。そして、質問のなかに指示を含められる。
もっとも、わたしがこの種の立場になることもある。江戸の城中においてだ。参勤交代で江戸にいるあいだは、毎月、きまった日に登城する。べつになにもするわけでなく、大広間で、ほぼ同格の他の大名たちとあいさつの短い会話をするぐらい。しかし、時たま、幕府の役人に
話しかけられる。それがたいてい質問の形だ。くわしく答えなくてもいい内容のことだ。これこれについて注意するようにとの意味なのだ。また、藩政を家臣にまかせきりはよくない、藩中のことはあるていど知っていなければならないとの、忠告でもある。幕府の意向が、それと
ない形でわたしに伝えられるというわけだ。
そして、わたしは藩の者に、幕府からこんなことを聞かれたが、どう思うかと言う。わたしが将軍や幕府に対して感じているようなもの、それに似たものを家臣たちはわたしに対して感じているのではなかろうか。他人の心まではわからないが、その仮定はまちがっていないよう
だ。いままでのところ。
お側用人が取次ぐ。城代家老が藩の財政についてご報告したいといっております。この藩の家老は全部で七人。そのうち江戸づめが二人、この城には五人ということになる。城代家老とはそのなかの筆頭であり、殿さまの参勤の留守は全責任者となる。
前へ来て平伏した城代家老に、殿さまは言う。まもなく参勤交代で江戸へゆく時期となる。いちおう財政のあらましを、頭に入れておくほうがいいようだ。城代家老は持参した書類を見ながら、説明をはじめる。直接の担当である勘定奉行を列席させ、それに報告させてもいいの
だが、それだと城代の頭を通過しないことになる。城代の口からしゃべらせたほうがいいのだ。城代もここ数日、勘定奉行を質問ぜめにしたにちがいない。
この一年の財政は、まあまあだといえた。大赤字を出してないという意味で、決して黒字ではない。黒字などありえないことだ。借金の額が少しふえた。利息は半分だけ払い、あとの半分はくりのべにしてもらった。ずっとこのような状態がつづいている。殿さまもこれをまあま
あだと感じるまでに慣れてきている。
といって、平然たる心境になれるわけもない。だが、赤字をへらすため、家臣の数をへらしたらなどとは、考えたこともない。家臣とは|股《こ》|肱《こう》、困ったからといって自分の手足を切り売りできるわけがない。また、領内の一部分を隣の藩が買ってくれればいいと
も考えたことはない。土地は幕府からあずかっているものなのだ。参勤交代の行列を簡略にしたいとは考えるが、きまりによってそれは不可能。考えてみてもしようがない。
もう少し収入がふえればいいのだがな、と殿さまは言い、それはむりなことだが、とつけ加える。この言葉をつけ加えないと、殿の意志として|年《ねん》|貢《ぐ》の増加の実行へとつながりかねない。藩の収入はほとんどが米の年貢であり、それを無理に高めようとすると、
ろくなことにならない。
五十年ほど前、幕府から修理工事をおおせつかり、その赤字を年貢の引き上げでしまつしようとしたことがあった。たまたま平年作を下まわる凶作でもあり、ひとさわぎがはじまった。農地を捨てて逃げ出そうとする領民もあり、|一《いっ》|揆《き》も起りかけた。農地を捨
てられては、つぎの年から年貢はまるで取れなくなる。そうなったら、泥沼に落ちこんだのと同様だ。一揆となると、もっとことだ。さわぎが大きくなり、幕府に直訴でもされたら、おとりつぶしのいい口実となる。おとりつぶしにならないまでも、お国がえで、もっと条件の悪い
地方へ移される。幕府はそれを待ちかまえているのだ。
おとりつぶしになっても、農民たちはつぎの新領主を迎えればいいだけのこと。しかし、家臣一同は一挙に禄を失うのだ。藩の記録によると、その時はみな青くなったという。戦いで落城するのならあきらめもつくが、こんなことで離散では、あわれをとどめる。恥をしのんで城
下の商人から金を借り、さらに江戸づめの者が奔走し、江戸の商人からまとまった金を借り、なんとか無事におさめることができた。これが借金のはじまりだった。
一方、一揆の処罰もうまいこと片づけた。おとりつぶしによって発生した他藩の浪人が領内に入りこみ、一揆さわぎに知恵を貸していたことが判明し、その処刑だけですんだのだ。名主や関係者に対しては、おとがめなし。藩の家臣もだれも責任をとらずにすんだ。万事が丸くお
さまったのだ。それ以来、領内を通る浪人者には、監視をおこたらぬようというきまりができた。
記録ではそうなっているが、はたして真相はどうだったのかな。時どき殿さまはそのことを考える。浪人たちは、たまたまそこにいあわせただけだったのかもしれない。あるいは現実に、自分の藩がおとりつぶしになった時の話をし、一揆でがんばれば、これ以上に悪くはならぬ
ぐらいは言ったかもしれない。いまとなっては、調べようがないことだ。しかし、いずれにせよ、それを機会に領内の和はとり戻せたのだし、うまい解決だったことにまちがいはない。処刑された浪人たちは気の毒なものだが、お家の安泰にはかえられない。
それ以来、非常識な年貢は課さないことになっている。領民のほうも賢明になった。一揆によって藩主を追い出すことはできても、つぎの新藩主に対しては反抗できないと知ったからだ。その反抗をやったら、幕府の威信にかかわることで、なにをされるかわからない。一揆とは
、やりそうなふりをすれば、それでいいのだ。
年貢は、収穫高に応じて無理のない取り立てをする以外にない。その収穫高の査定は、うまくいっているのだろうな。殿さまにとっては最も気になることだ。農民に甘く見られても困るが、あまり厳正にやって働く意欲を失わせても困る。といって、殿さまには農作物のできぐあ
いは、まるで見当がつかぬ。
その解決策として、収入担当の部門と支出担当の部門とで、人事の交流をしばしばやっている。そのしきたりがいつのまにか確立した。収穫高の査定の手かげんをして農民に人気のある者は、支出を担当する側に移った時、もっと収入をふやせと大きな口はきけなくなる。武士た
る者、あまり矛盾した言動はできないのだ。
収入と支出の係を何回かくりかえしているうちに、しぜんと人材がふるいにかけられる。ここで才能を示すことができれば、たとえ家柄がいくらか低くても、そのご他の役職をへて家老に昇進することもできる。げんに、この城代家老もその経歴の持ち主なのだ。けっこう苦労を
したのだろうな、と殿さまは思う。これまでの人生はどんなだったのだろう。しかし、それについては城代も話さないだろうし、かりに話したところで、殿さまには十分の一も理解できないことだ。
城代家老は言う。家老の一人が老齢と病気を理由に、お役ごめんを申し出ております。最年長の家老のことで、先代以来ずっとその職にある。ぐあいはどうなのだと聞くと、あまりはかばかしくないようでございます、と城代は答える。
きのどくなことであるな、と殿さまは言い、回想をする。いつのまにか年月がすぎさっていったな。その老いた家老は、なにかというと先代の殿、つまりわたしの亡父のことだが、それを引きあいにだしてわたしに意見をしたものだ。最初のうちはうるさく感じ、腹の立つ気分に
もなったが、そのまま家老をつとめさせた。わるぎがあっての意見ではないのだし、わたしに対する忠告の道を藩内に作っておいたほうがいいと考えたからだ。わたしもなるべく彼が意見したがるようにしむけた。老いた家老はその状態に満足し、いろいろとしゃべったものだった
。もっとも、わたしを直接に批難するのではなく、いつも、先代はえらかったとの間接の形をとってではあったが。
その話を聞くことで、わたしは亡父の人となりを知ることができた。父と子とはいっても、江戸では一年おきにしか生活をともにしなかったし、その期間でさえ、藩内のくわしいことは話してくれなかった。父はわたしに、武術と学問と修養のみをやらせた。わたしがもう少し成
長したら話すつもりだったのだろうか。だから、わたしは父が国もとでどんなふうだったのか、まったく知らない。
わたしは父の生前のことを知るために、その老いた家老をその職にとどめておいたようなものだ。しかし、もはや知りつくした。老いた家老は何度も何度も同じことをくりかえして話すようになった。そして、ぐちっぽくなった。武勇の気風がうすれたとなげく。また、支出の増
加、とくに江戸屋敷の費用の増加については理解できないらしく、むかしはよかったと、なにかにつけて言うようになった。
たしかに、江戸での費用はふえる一方だ。江戸での一般の生活は派手になり、体面を保つための金もそれだけかかる。参勤で江戸にいる時、幕府の役職につけない外様大名は、派手さを示して気分のはけ口とする。たとえば、屋敷およびその近所の火災にそなえ、火消し組を持っ
ているが、その衣装に金をかけたりする。どこかがそれをやると、それに釣り合せないと、体面が保てない。
体面などどうでもいいとは思うが、あまりにまずしげだと評判が落ち、幕府から|軽《けい》|蔑《べつ》される。いい家柄との婚儀もととのわなくなる。そうなると、万一の際に見殺しにされるおそれがある。まったく、なんだかだと、江戸づめの家老は苦労している。お家安
泰のために、幕府の役人をもてなさなければならぬ。進物、時候見舞い、冠婚葬祭、なにかと金を使わなければならない。赤字財政と知りつつ、それをつづけなければならぬのだ。
商人から借りた金の、返済くりのべの交渉も、手ぶらではできぬ。屋敷に火事が起きたら大損害だから、火消し組を置いておくようなものだ。火消し組の費用がむだだからと廃止したら、より大きな損害の危険をまねくようなことになる。江戸屋敷の人員もふえざるをえない。人
員がふえると、つまらぬことで事件をおこす場合がふえる。江戸屋敷の者が他家の者とけんかでもしたら、一大事だ。国もとならどうにでもすませられるが、江戸ではそうもいかない。穏便にすませるため、もみ消しにまた金がかかる。
なにしろ、出費はふえる一方なのだ。わたしが悪いわけではない、だれが悪いわけでもない。わけのわからない世の流れなのだ。たしかに、流れをさかのぼった昔はよかったにちがいない。江戸の生活も質素ですんだし、武事のほうに重点があった。さらにその前の、参勤交代な
どなかった時代なら、もっとよかっただろう。戦いをやってるほうが、金の心配より楽だったかもしれない。しかし、そんなことを論じてもしようがないのだ。
老いた家老のお役ごめんをみとめることにしよう、と殿さまは言う。亡父のなごりが消え、ひとつの時期の過ぎ去ってゆくのを実感する。城代家老は、後任のことについてはいかがいたしましょうと言う。よきにはからえと答えるわけにはいかない。あの老いた家老のところには
、亡父の腹ちがいの弟が養子にいっている。そのことでのわたしへの遠慮から、自動的にそれが推薦されかねない。悪い性格ではないのだが、経験豊富とはいえない。お家のためには、もっと有能な人材をえらぶべきだ。
しかし、老いた家老のあの養子、わたしの叔父といえる者、かりにわたしの亡父が幼くして死んでいたら、いまは領主となっているわけだな。世が世ならと考えたことがあるのだろうか。ないだろうな。だれもがそんなことを考えたら、どの藩もお家騒動の連続で、すべておとり
つぶしになってしまう。それに、藩主の生活が決して楽しいものでないことは、藩士ならだれでも知っている。そういえば、わたしだって、もっと別な人生を持てたかもしれないなど、考えてもみたことがない。そういうものなのだ。
殿さまは城代に言う。多くの役職を経験し、大過なく仕事をしてきた者のなかから選ぶのが順当なのではなかろうか。候補者を三名ほどあげてくれれば、そのなかから選べるのではないだろうか。なにも急ぐことはないようだが。
数日中にその答えが出るだろう。だれが見ても順当という一人は、わたしにも想像がつくし、城代も承知のはずだ。その名が第一に読みあげられる。あとの二人は形式上のつけたりだけ。だが、わたしが選んだということで、当人は喜び、それだけ藩のために熱心に働くというし
くみなのだ。
これで報告は終りかと思うと、城代家老は頭を下げ、はなはだ申しあげにくいことでございますが、と言う。殿さまがうながすと、さきをつづける。城下の材木問屋の主人が、たまたま仕事のことで、この表御殿に来ている。殿さまがお目通りを許し、お声をかけて下されば、ど
んなにかありがたがることでしょう。
殿さまは理解する。その店から藩が借金をしているのだな。利息を一部だけ払うことで、借金返済のくりのべをしてもらったのだろう。その仕上げに、わたしへの目通りが必要という意味なのだろう。やむをえないことだろうな。金には敬意を払わなければならない。商人に対し
てではないのだ。それにしても、あの利息なるものは、だれが最初に考え出したのであろう。年に何分かの割合で、しぜんにふえてゆく。休むことなくふえてゆく。藩でも収入をふやそうと、新しい農地を開墾したり、特産品を作って江戸や他藩へ売る努力もしている。しかし、利
息のふえかたに追いつけないのだ。あの利息さえなければ、藩士たちの禄を毎年少しずつでもふやしてやることができるのだが。
殿さまは城代に言う。借金だの利息だのは、いつまでもふえつづけてゆくのであろうか。このままだと、どういうことになるのだろうか。そのへんのことがよくわからぬ。慣れてきているとはいえ、殿さまにとって気になることなのだ。精神的には慣れていても、理屈の上では慣
れにくいことなのだ。金銭のことを口にしても、いまや恥ではない。敵を知らなければ、百戦あやうからずと言えない。もっと知っておきたいのだ。
城代は答える。そうご心配なさることはありません。そして、その解説をつづける。江戸づめの家臣には、これについての情勢をとくに注意して報告するよういいつけてある。それによると、どこの大名もかなりの借金を持っている。しかし、借金によってお家が破滅したという
藩は、これまでにひとつもない。金を貸している商人たちは、そのことで大名家をおどかすことはできる。おそれながらと幕府へ訴え出ますと、すごんでみせることもできる。しかし、現実に訴え出てまで、貸金を取り立てようとした者はない。訴え出れば、そのお家はおとりつぶ
しになる。そして、貸した金は消えてしまい、まるで返ってこない。商人はこんなばかなことをやるわけがない。農民一揆なら新領主を迎えることができるが、商人の貸金はだれも引きついでくれない。返済請求の訴えは、一揆よりさらにわりが悪い。
借金でつぶれた藩はひとつもないが、大名に金を貸しすぎてつぶれた商人はたくさんある。どうせ返ってこない金ならばと、貸すより遊びに使おうとする商人もあるが、そういうのは分不相応なおごりということで、幕府に財産を没収されたりする。あるいは、借金のさいそくに
腹を立てた譜代大名あたりが、幕府の役人に巧妙に働きかけ、財産没収をやるようしむけるのかもしれない。そうとすれば、きのどくなものです。財産没収を防ぐには、大名からの借金申し込みに、少しずつ応じておかなければならない。このへんが虚々実々のかけひきというとこ
ろです。
万一、借金のために藩がつぶれはじめたとなると、幕府だって平然としてはいられないでしょう。幕府の役人には、すぐれた人がそろっている。ほうっておくはずがなく、なにか手を打つにきまっています。将来において、借金でつぶれる藩が現実に出るかもしれない。しかし、
その最初につぶれる藩にならなければいいわけです。その注意さえしておけばいい。いまのところ、わが藩にその心配はございません。
なるほど、そういうものかな、と殿さまはつぶやく。むかしの武士たちは、敵を恐れず死をも恐れなかった。敵も死も恐るべき対象ではあったが、それをなんとか克服してきた。借金もまたかくのごとし。城代の言うような考え方で克服せねばならぬのだな。しかし、それにして
も、なんというちがいだろう。わたしにはまだ実感として克服できない。そのうちまた同じ質問をし、城代は同じ説明をすることだろう。
殿さまは城代家老に言う。その商人とやらには会うほうがいいようだな。お側用人が立ち、商人を連れて戻ってくる。商人は四十歳ぐらいの男。城代のななめうしろのほうにすわり、殿さまにむかって平伏する。いつも見なれている家臣の平伏とは、ずいぶん感じのちがう平伏だ
な。硬軟の差がある。
城代が商人を紹介し、殿さまは声をかける。いつも藩のために働いてくれているとか、うれしく思っておる。商人は恐縮した身ぶりをしたが、殿さまにはそれがどのていど本心からのものか、見当がつかない。家臣であれば大体のところはわかるのだが、商人とのつきあいはまる
でないといっていいのだ。
殿さまはいくらか好奇心をおぼえ、ちとたずねたいことがあるが、と言う。そちは江戸へ行き、さまざまな商人とつきあいがあるだろうが、あの江戸の商人たち、どうやって店を持つに至ったのであろうか。
意外な質問に商人は驚きながら、城代のほうを見る。しかし、城代にうながされ、いちがいにはいえませんがと話しはじめる。知りあいをたどって、十歳ぐらいから店に住みこむ。朝はやくから夜おそくまで、どなられひっぱたかれ、ひっきりなしに使われる。給金も休日もなく
、頭の下げつづけ働きつづけ。そうしながら、少しずつ商売をおぼえ、才能がみとめられると、商売をまかされるようになる。そして信用がつくと、やがて、のれんを分けてもらい、自分の店を持てるようになるというわけでございます。
のれんとはなんのことやらわからないが、容易なことではなさそうだな、と殿さまは感じる。まるで別の世界だ。とても武士にはつとまりそうにない。いまの話が本当とすれば、藩主にしろ家老にしろ、商店の主人のようなひどい人の使いかたはしていない。かたくるしい武士を
やめ、きままな商人に、とかいう文句があると江戸で耳にしたが、とても武士の割り込める世界ではない。きままなものであれば、武士や農民がわれがちに商人になっているはずだ。だいたい、この世の中に、きままな仕事などあるわけがない。
そういうものであるか、こんごも藩のためにつくしてもらいたい、ごくろうであった、と殿さまは言う。商人はまた平伏し、城代家老とともに退席する。
殿さまはそれを見ながら、ああ、あの話をしておいたほうがよかったかなと思う。江戸で手に入れた植物の種子のことだ。桜桃という果樹の種子だが、長崎を経由して南蛮からわたってきた種類で、味のいい実がなるのだという。城内にその|種《たね》をまかせたところ、芽が
出て何本か育ちはじめているという。話どおりだったら、やがて美味の実がなることになる。この藩の特産品になるかもしれない。借金の返済に役立つことになろうし、商人も少しは安心したかもしれない。いや、家老か勘定奉行かが、すでに大げさに話していることだろうな。な
にもかも借金のいいわけに結びつけ、利用しなければならない時勢なのだ。わたしが話したら、商人は腹のなかで笑ったかもしれぬ。桜桃とやらの苗が育ったとして、実をつけるまでに何年、それの種をまいて育つまでにまた何年、特産品といえるほどの量がとれるまでに合計何年
、いっぽう利息のふえかたを計算し、その比較まですぐにやってのけるのが商人というものらしい。商人たちの頭のなかがどうなっているのか、わたしにはさっぱりわからぬ。将来の利息なんて、とれるかどうかわかったものでない。そんな不確実なことの計算をやってみて、どう
だというのだ。
それにしても、南蛮というのは、どんなところなのだろう。いや、こんな想像をしてみたところで、どうにもならない。わたしは江戸と国もと以外には行けないのだ。商人の世界すらわからない。南蛮とはそれよりも、もっともっとちがった世界にちがいない。縁のないものだ。
しかし、ぜんぜんほうっておくのもどうかな。藩士の子弟の頭のよさそうなのを、長崎とやらに勉強に行かせたほうがいいかな。はたして役に立つのやら、何年ぐらいかかるものやら、これまたわからない。さっきの桜桃の苗と同じようなものだ。おりをみて、家老たちの意見を聞
いてみるとするかな。
また、殿さまはべつなあることを思い浮べる。いまの商人、まさか幕府の|隠《おん》|密《みつ》ではないだろうな。幕府が各藩の動静をさぐるために使っている連中のことだ。どういうしくみになっているのか、これまたさっぱりわからない。しかし、おそらく各藩につねに
駐在している隠密と、定期的に巡回しそれらの報告を集めるのとの、二つから成り立っているのだろうな。それを継続的にやっていれば、各藩のようすのあらましはつかめるにちがいない。そして、なにかこみいった問題が発生しているらしいと思われた時だけ、すぐれた経験者を
派遣するのだろう。
その、各藩に駐在している隠密だが、商人をよそおっているのが多いのではないだろうか。そしらぬ顔でその地に腰を落ち着けるには、商人が適当だろうな。かごかきや農民では、記録や報告のための文字を書いてるところを、他人に見られたらおしまいだろう。しかし、あんま
り大きな店を持った商人でもぐあいが悪いかもしれない。小さな店を持って商売でもしているのだろうな。だが、任務と商売を両立させるのは大変なことにちがいない。目つきが鋭かったら、お客が寄りつくまい。商売が順調だったら、いつまでも結婚しないでいると周囲に怪しま
れる。おれは隠密だからと縁談を断わるわけにもいくまい。
怪しまれないために結婚するわけだろうが、たとえ夫婦のあいだでも、隠密であることは秘密なんだろうな。子供にもそうだろう。うっかりしゃべったら、子供はよそで、うちは隠密なんだぞといばるにちがいない。報告書は、妻子の目を盗んで夜中にこっそり書くのだろうか。
一揆さわぎの時には、いっしょになってさわぐのだろうか。けんかに巻きこまれても、おれは隠密なのだといなおることもできないのだろうな。といって、決してけんかに巻きこまれないとなると、これまた、まわりから変な目で見られるのだろうし。どんな生活をし、毎日なにを
考えているのか、わたしには想像もつかない。だが、慣れてしまえば、それなりに案外なんということもないのかもしれぬ。巡回の隠密が来た時だけ、異状なしでござると言っておけば、あとはほどほどでいいのだろう。緊張の連続で一生をおくるなど、人間にできるわけがない。
はたして隠密なんて実在するのだろうか。|天《てん》|狗《ぐ》や鬼婆のごとき伝説上のものではないかと思うこともあるが、なんとなくいるような気もするな。藩内に対して、どこかで幕府の目が光っているようだ。ただの気のせいではないだろう。隠密の話を最初に聞いた
時は恐ろしく思ったが、いまではわたしも慣れてきた。借金と似たところがあるな。
藩内があまりに混乱してくると、幕府はお国がえやおとりつぶしを命じる。あまりに景気がいいと、修理工事を命じて金をはき出させる。しかし、さっき城代家老が言っていたように、どこの藩もそうだろうが、ほどよい貧乏さを意識して作りあげているところでは、隠密はどう
報告し、幕府はどう感じるのだろう。いやいや、それが幕府の思うつぼなのかもしれない。外様大名は、生かさず殺さずの形にしておくのが、最も望ましいところなのだろう。面白くないが、外様大名にとっても、腹八分目ぐらいの空腹つづきが、お家安泰の|秘《ひ》|訣《けつ
》といえそうだ。
正午を告げる太鼓の音がひびいてくる。お側用人は、きょうはほかにございませんと言い、殿さまは立ちあがる。そして、奥御殿へと戻る。昼の食事のためだ。食事の間の座ぶとんの上にすわり、毒見役を経由してきたひえた料理を、小姓の給仕で食べる。すまし、野菜の煮つけ
、いわしのひもの、めし。食事というものには、楽しさなど少しもない。それでも、江戸屋敷での食事は、ここにくらべたらいくらかいいかな。わずかだが種類に変化がある。
たまには変ったものが食べてみたいが、それは無理なことだ。わたしがそう言い出せば、料理係がいままで怠慢だったことになり、責任をとらされる。そんなことで武士に責任をとらせては気の毒だ。また、わたしがそれをやると、藩のなかにその風潮がひろがりかねない。食費
がふえれば、それだけ生活が苦しくなる。欲望がふくらみはじめるときりがない。よからぬことで収入をふやそうなどと考える者も出るだろう。ろくな結果にならない。わたしががまんすることで、それが防げているのだ。江戸の風習は、なるべく持ちこまないようにしなければな
らぬ。
ここの国もとの生活と、江戸での生活と、どっちがいいだろうか。一長一短だな。ここでは自分で藩政をやっているのだとの実感がえられる。江戸では、人質として滞在しているのだとの、ひけめのようなものを感じての生活だ。しかし、江戸においては、わりと自由に外出でき
る。単独行動はもちろんできないが、下屋敷すなわち別荘に行ったり、遠乗りをしたり、時には|親《しん》|戚《せき》の屋敷を訪れることができる。江戸では大名が珍しい存在でなく、それだけわたしも気が楽だ。
江戸の町人たちは舟遊びや芝居見物を楽しんでいるらしいが、どんなふうに面白いのか、わたしにはわからない。やったことがないし、それらは大名にとって許されないことなのだ。おしのびでひそかに楽しんだ大名のうわさは聞いたことがあるが、事実ではないだろうな。舟が
沈んで死んだり、芝居小屋でさわぎに巻きこまれてばかな目にあったりしたら、お家はおとりつぶしだ。藩士たち何千人の生活にかかわることだ。江戸屋敷の者が許すわけがない。
わたしは子供時代を江戸ですごしたためか、藩主となって参勤交代をはじめた最初のころは、江戸のほうを好んだ。江戸につくと、帰ったという気分になれた。しかし、このごろは、なんだかこの国もとのほうが好ましく思えるようになった。田園的な素朴な光景がいい。いった
い、わたしの故郷はどっちなのだろうか。
いま、江戸屋敷では、江戸家老や留守居役たちが、大過なく仕事をやっている。けっこう大変な仕事のようだ。幕府の役人の人事異動にたえず気をくばり、あいさつをつづけておかねばならぬようだ。他の各藩の評判なども聞きまわっておかなければならない。まあ、わが藩の隠
密といったところかもしれぬな。時には、つきあいで派手に遊ぶこともあるようだが、仕事につながっていては、心から楽しむわけにもいかないだろうな。
わたしはまもなく参勤交代に出発し、あとは城代家老にまかせる形となる。これまでのところそれで大過なくやってきたし、これからもうまくゆくだろう。となると、わたしの存在する意味はどういうことになるのだろうか。江戸にいなくても江戸はやってゆけ、藩にいなくても
藩はやってゆける。時たまこのことを考えると、むなしくなる。
わたしは渡り鳥のようなものだ。北から南へ、南から北へ、そのくりかえしで人生がすぎてゆく。渡り鳥の故郷は北なのか南なのか。故郷はないことになるのだろうか。江戸ではどことなく自分がやぼったい存在に思え、気がひける。国もとにいる時は、自分があか抜けた存在に
ならぬよう気を使わなければならぬ。
もしかしたら、藩主などいなくても、すべてはやっていけるのかもしれぬ。しかし、藩主のない状態など、考えられない。お飾りのないお祭りが想像できないのと同じようなことだな。藩主はお飾り。しかし、なぜお飾りが必要なのであろうか。そういえば、さっきの商人は、の
れんがどうのこうのと言っていた。のれんとはなんのことやらわからないが、やはり一種のお飾りのようなものではなかろうか。
へんなことを考えはじめてしまったな、と殿さまは思う。お飾りとは、人体における顔のようなものか。顔つきなんてものは、生きてゆく上に絶対に必要とはいえぬ。しかし、顔がなかったら、だれがだれやら区別がつかず、混乱するばかりだ。
顔というより、もっとぴったりの言葉がありそうだが。表徴とか標識とか。そんなところだろうな。なにしろ世の中には、さまざまな職業があり、それぞれに特有の生活様式というか型というか、そういうものがある。それが組み合わさって世の中となっている。いいか悪いかは
別として、これが現実。そこで標識が必要となってくる。
みんなが同じ服装だったら、どうなる。なにげなく道でぶつかったとたん、相手が武士に対して無礼だと怒り出したら、目もあてられない。武士なら武士らしく、刀をさしていてもらわなければならない。刀は、武士という身分に属しているとの標識なのだ。
家紋も標識。|譜《ふ》|代《だい》と|外《と》|様《ざま》との見分けがつかなかったら、江戸城内で収拾がつかない。医者、坊主、神主などが、同じ服装で同じような建物に住んでいたら、どうにもならぬ。服装や髪形での標識がなくてはならぬ。字の読めぬのが多いのだ
から、一目でわかるように。
独身でない女は、歯を黒く染めなければならない。これも標識。それがなかったら、ひとの女房をくどいたのどうのと、けんかが絶えない。この城なんてものも、一種の標識といえそうだな。城がなかったら、それこそお飾りのないお祭りだ。形にはなっていないが、正室なんて
のも標識のようなものだな。どこと縁つづきだということで、なにかと役に立っている。標識をまるで持たない者はいるだろうか。隠密はそうかもしれないな。罪をおかして処刑される時、おれは幕府の隠密だと叫んでも、だれも信用してくれない。だまって死ななければならない
わけだ。標識があるからこそ、世の中がうまく流れてゆく。
世の中における最大の標識はなんだろう。金銭かもしれないな。わたしにはよくわからぬが、商人たちはそれをねらって熱心に利益をあげ、その金を大名たちに貸す。利息がふえ、それをめぐってなんだかだと起るが、けっこうなんとかなってゆく。つぶれる商人がいても、その
あと、べつな商人があらわれ、あとをおぎなう。それなら、それと同じことを金銭という標識なしでもやれるかというと、まあ無理だろう。
標識、お飾り、これはかなり重要なもののようだな。藩主というお飾りであるわたしも、そう考えれば、むなしいどころか、大いに誇りと自信を持っていいはずだ。そうとでもしておかなかったら、どうにもならぬ。
考えごとが終り、殿さまは食事を終える。小姓がタバコ盆を出す。それが慣習になっているのだ。殿さまは江戸で親戚の屋敷を訪れた時、はじめてタバコなるものを見た。それはいかなるものであるかと聞くと、説明をしてくれ、のちほどタバコ道具がとどけられた。それ以来、
吸っている。うまいものとは思わないが、煙の流れるのをながめていると、気分がやすらぐ。
そういえば、けさのあけがた、なにか夢を見たようだな。雲だか霧だかのなかを、飛びはねたようなのを。勝手に飛びまわれたら、さぞ楽しいことだろうな。しかし、わたしにはできないことだ。存分に飛びはねようにも、どうしていいのかわからぬ。ひとりで動きまわろうとす
れば、霧のなかをさまようようなもので、すぐに足をふみはずすだろう。
殿さまは何服かタバコを吸う。横になりたくても、足をくずしたくても、身のまわりの世話と護衛の役である小姓が、そばにしかつめらしく控えている。それもできぬ。この奥御殿は、わたしにとっては私的な場所だが、小姓たちにとっては公的なつとめなのだ。
もっとも、殿さまはもの心ついてから、ずっと正座のしつづけなのだ。そういうものだと思っているので、なんということもない。
食事のあと一時間ほどたつと、日課である武術の|稽《けい》|古《こ》の時刻となる。殿さまはまた座敷に立つ。小姓たちが稽古着に着かえさせてくれる。わたしは自分で着物をきることができるだろうか。できそうな気もするが、自信はない。なにしろ、やったことがないの
だから。
まず、弓術。的にむかって矢を射かける。さほど本数が多いわけではない。武術とは毎日休まず、少しずつつづけるところに意味がある。気のむいた時にだけたくさんやるのでは、娯楽になってしまう。それでは上達しないのだ。殿さまは、少年時代に弓に熱中した時のことを思
い出す。あれは娯楽だったのだな。見る人が見ると、すぐにわかる。だから注意され、わたしはわけもわからず恥ずかしさをおぼえた。たしかに、的に当てることだけに熱中したものだ。
しかし、いまはそうではない。修養、いやいや、そんな意識もない。ただ弓を引きしぼり、矢をはなつだけだ。的に当てようと思ったからといって、当るというものでもない。心の澄みかたと身体の調和との一致の結果として、的に当る。きょうは、最初のうち矢が乱れる。これ
ではいけない。邪念が残っているからだろう。姿勢を正すようにつとめる。すると、しぜんに邪念が消えてゆく。邪念というやつは、消そうとしても消えるものではない。追い払おうとすればするほど、まとわりついてくる。だが、的にむかって精神を集中し、姿勢を正すと、邪念
は薄れていってしまう。ふしぎなものだ。矢がつるをはなれた瞬間に、すでに手ごたえを感じるようになる。いつのまにか、さきほどまで心のなかでもやもやしていたものが、なくなってしまっている。なにをあれこれ悩んだのかさえ、もはや思い出せない。
弓術の指南番が、よろしゅうございます、と言う。へつらうのでもなく、はげますのでもなく、殿さまの調子のととのったのを見きわめ、それを声に出したのだ。殿さまにもそれがわかる。毎日毎日つきあっているのだから、へつらいのたぐいの入りこむ余地はない。この指南番