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作者:日-星新一 当前章节:15405 字 更新时间:2026-6-16 01:47

 大坂城番の同心が鳥を殺して食い、十一人が切腹、その子たちは遠島となった。幕府の直轄地においては、江戸ほどきびしくはないといっても、役人の公然たる殺生は許されないのだ。

 江戸における処罰をいちいちあげていたらきりがない。それにしても、犬を殺す者がなぜあとをたたないのだろう。犬のなかに、いかにもにくにくしげで、みるからに切りつけたくなる種類があったのだろうか。

 中野にお犬小屋ができてから六年後の元禄十四年、浅野内匠頭が江戸城中において吉良上野介に切りつけ、当人は切腹、お家は改易となった。|赤穂《あこう》城は没収。その引渡しの時、目録に犬の数の記載があったという。犬が一匹もいなかったとなると、浅野家再興のさま

たげになる。そこを考え、あわてて書き加え、ていさいをととのえたのかもしれない。

 元禄十五年の暮、安徳寺に四人が集った。みな興奮している。

「赤穂の浪士たち、ついにやりましたなあ。みごとにかたきをうった」

 五平が言うと、良玄が説明した。

「じつは、わたし、手を貸したのですよ。道で犬にほえつかれ、青くなっている者がいた。助けてやると、浅野家の浪人。いかに町人に変装したって、地方から出てきた者は、すぐわかる。犬のよけかたが身についていない。また、武士はすぐ身がまえてしまう。犬についての知識

を、いろいろ教えてやりました。そして、討入りの夜、ここの強い犬を三匹ほど貸してやりました」

「そうでしたか。そうでしょうな。夜中に大ぜいが歩けば、犬がわんわんとほえかかり、すぐ気づかれてしまう。不意うちなど、できるわけがない」

「それにですよ、吉良邸内にだって犬はいるはずだ。はずみでそれを傷つけたら、その罪が優先してしまう。わたしの貸した犬が吉良邸の犬をおどし、おとなしくさせたのが成功のもとです。犬はすぐ返してもらいました」

「本懐をとげ、泉岳寺へ引きあげる途中、よく犬に飛びかかられなかったものですな。血のにおいがしたでしょうに。やはり、天の加護があったのでしょうな」

「いずれにせよ、ひさしぶりに胸のすく事件。江戸中、どこもかしこも、この話でもちきりですね」

「犬を殺して切腹になった武士は、これまでに数えきれぬほどいる。その子息が、父の無念を晴らすためだと、公儀のだれかを切る者が出てこないとも限りませんな」

 山田半兵衛が口を出す。

「そこですよ。幕府として最も痛いところは。だから、いかに人気が高まっても、助命するわけにはいかない。上のほうのうわさですが、やはり浪士たちは切腹でしょう」

「そうでしょうね。ほめて助命したりしたら、犬の役人たち、何人もかたきとして討たれかねない」

「あの浪士たち、現在は大名家におあずけとなり、待遇はいいそうですが、なにを食っているのかな。どうせ切腹なら、その前に、ニワトリとか、白魚とか、ウナギとか、腹いっぱい食わせろと要求すればいいのに」

「それにしても、この犬と生類とのさわぎ、いつまでつづくんでしょう。いいかげんでやめればいいのに。もう犬を見るのもあきあきした。金もうけもあきあきした」

 半兵衛は説明する。

「いまの将軍がつづく限り、むりでしょうな。儒学をはじめ学問好きな性格とくる。がらりと方針を変えることはできないのです」

 依然として、禁令はつづいた。お犬屋敷は喜多見そのほかの地にも建てられた。各所に収容された犬の数は、三十万匹とも称された。もっとも、これは死んだり生れたり、新しく運びこまれたりの延べの合計であろう。

 元禄十五年には、馬に重い荷をつけるなとの禁令が出された。重い荷は人間が汗水たらして運ばねばならない。元禄十六年にも、江戸では犬を切った武士が処罰されつづけている。元禄十七年、宝永元年と改元される。

 宝永二年、これまでは鳥を飼ってかわいがることが許されていたが、それも禁止される。あらゆる鳥が放たれた。放たれたために早く死んだ鳥も多かった。宝永五年、人が馬に乗らなくなる。馬に負担をかけることがいけないのだ。

 宝永六年の一月、やっと将軍綱吉が死去した。六十四歳。生類をあわれんだおかげで、この年まで生きられたのかもしれない。わが死後も生類あわれみの令はつづけよとの遺言を残したが、つぎの将軍の|家《いえ》|宣《のぶ》はそれを無視した。綱吉にはついに男子がうまれ

ず、家宣は綱吉の兄の子、それが養子となって跡をついだ。

 お犬屋敷の犬は、申し出た者に二百文をつけて下げ渡すとのおふれが出た。江戸の者たちは、ぞくぞくと出かける。二百文をもらいその場で犬をぶち殺せばいいのだ。いままでの出費を、いくらかでも回収しなければならない。犬と人間はたちまち地位が逆転した。

 そのころ、四人は舟に乗って、江戸をはなれた。海の魚を運ぶことで利益をあげたこの舟も、もはや利用価値がない。

「山田さん、お役ご免になったのですか」

「犬に関係した役は、すべて廃止です。わたしは親類の子を養子にし、あとをつがせ、仏門に入ると称して出てきたのです。そうでもしないと、旅に出る理屈が立たないのでね。で、良玄さんは……」

「わたしは、|還《げん》|俗《ぞく》すると届けを出し、寺の住職をやめました」

 五平は言う。

「いずれにしろ、おたがい、しばらく江戸をはなれたほうがいいでしょうな。人びとのために力になってやったとはいえ、犬でもうけたとなると、いやがらせをされるかもしれない。そうでしょう、吉蔵さん」

 吉蔵は言う。

「まったくです。ずいぶんもうけましたものな。ずいぶん遊びもしました。みな、いまだに独身ですね。結婚するひまもなかった。犬さわぎがはじまってから、二十年あまり、おたがい、いいとしになってしまいましたな」

「関西にでも腰を落ち着け、遊び暮しましょう。いかに豪遊をつづけても、この金は死ぬまでに使いきれそうにない」

「豪遊をつづけながら、思い出話をしましょうや。思い出話のたねも、死ぬまでつきませんよ。こんな面白い時代を生きられたわれわれは、まったく運がよかった」

  ああ吉良家の忠臣

「た、大変なことがおこったぞ。いま江戸から使いがまいった。それによると、ご隠居の殿さまのお命が奪われたらしい……」

 その話を聞き、良吉は大声をあげた。

「まさか。信じられない。ご隠居さまが殺されるなんて。本当のことでしょうか……」

 ここは海ぞいの地。その三千二百石を管理するための、お屋敷のなか。十数名の武士が、それぞれのつとめにはげむ役所である。年貢の取立て、治安の維持、もめごとの調停、貧困者の救済などである。

 良吉はそのなかで、いちばんの軽輩。二十三歳、武士のはしくれなのだ。武士になりたてといってもいい。

 海産物をあつかう、この地方の大きな商店の三男にうまれた良吉は、幼いころから武士になりたくて仕方がなかった。文武両道に熱心にはげんできた。もっとも、文は寺子屋にかよってであり、武は店の用心棒でもある浪人者に教えてもらった。

 この時代、商人の子が武士になるなど、容易なことではなかった。しかし、父の経営する店、黒潮屋は景気がよく、金まわりも悪くなかった。だから、良吉は武士のはしくれになれたのだ。すなわち、領主である殿さまにまとまったものを献上し、この地の家臣たちにおくりもの

をした。その運動のかいがあって、良吉は名字帯刀を許された。黒潮良吉、年に十石のさむらいである。

 名字帯刀を許されるというこのような場合、普通なら形式的な名誉職。役所につとめることなどない。しかし、良吉は毎日のように出勤し、こまめに働いた。なにしろ、あこがれていた武士になれたのだ。うれしくて、うれしくて、いそいそしている。まわりから重宝がられた。

生活の心配はない。武士として働くことが楽しいのだ。

「残念ながら、本当のようだ。江戸からの使いの話によると、へたをするとお家断絶、領地没収になるかもしれぬとのことだ。幕府の役人たち、権力をふりまわすのが好きだからな……」

「ひどい……」

「そうなると、ここへかわりの武士が来て、われわれは失業となる。今後の生活を考えなければならぬ。どうだろう、黒潮屋で使ってくれるよう、そちの父にたのんでくれぬか。どんな仕事でもする」

 青くなりながらこれからの生活を心配する武士たちに、良吉は言う。

「なんという、なさけないことをおっしゃる。あなたがた、それでも武士ですか」

「しかし、幕府のおえらがたがそうときめたら、従わざるをえないのだ」

「いったい、江戸のお屋敷で、どんなことがおこったのです」

「くわしくはわからない。むりやり押し入ってきた浪人者の一団に、お命を奪われてしまったということだ」

「どんなやつらにです」

「浅野家の浪人たちにだ。夜中の不意うち。防ぎきれず、ご隠居の|義《よし》|央《ひさ》さまは殺され、殿の|義《よし》|周《ちか》さまは、防戦し、傷をおいながら、やっと難をのがれられたとのことだ」

「徒党を組んでの、やみ討ちとは。まるで戦国の世だ。そんなことが、将軍さまのおいでになる、江戸のなかでおこるとは……」

 良吉は、まだ信じられない気分だった。しかし、それは現実に発生した。

 元禄十五年、十二月の中旬。寒い真夜中、江戸じゅうが静かに眠りについている時刻、大石を首領とする浅野家の残党ども四十数人が、予告もなしに侵入し、無抵抗にひとしい老人の吉良義央を殺害した。

 義央は殿中での|刃傷《にんじょう》事件のあと、当主であることをやめて隠居した。その必要はないのだが城内をさわがせた責任を感じてである。

 なお、あとをついだ義周は養子。義央のひとりむすこは、あとつぎのない上杉家へ養子に入った。義周はそのむすこで、吉良家へ養子に来た。だから、義央と義周は、血のつながりでは実の孫ということになる。

 吉良家は|上野《こうずけの》|国《くに》にも千石を領し、合計すると四千二百石。そのため上野介と称しているが、実質的にはここ三河の|幡《は》|豆《ず》が主たる領地といえた。

「いいかたでしたのに……」

 良吉は目をつぶり、ご隠居の殿の、ありし日の姿をしのんだ。義央は礼儀正しく、教養がある上に、ものわかりのいい笑いの好きな老人だった。

 かつて、ここへおみえになったことがある。赤毛の馬にまたがり、領地内を視察してまわられた。その時、良吉は父とともに迎え、名字帯刀を許されたお礼を申しあげた。十石とはいえ、士分の格。直接にお話しすることができるのだ。義央はにこやかに声をかけてくれた。

「そちの名は、なんと申すのか」

「良吉でございます」

「なるほど。たのもしげな若者だな。どうじゃ、ちょっと逆立ちをしてみせてくれ」

「は……」

「遠慮などせず、やってみせよ」

 とまどいながら、良吉はそれをやった。義央は手をたたいて笑った。

「みごとじゃ。そうやっておると、そちも殿さまじゃ」

「は……」

 なんのことやら、その時はわからなかった。あとになって考え、良吉と吉良とを関連させたしゃれとわかった。よそのことはわからないが、あんなくだけた殿さまは、めったにおいでにならないのではなかろうか。忠節をつくさなければと、良吉は心から思った。

 海ぞいのこの地で、塩を産業のひとつに仕上げ、きびしい年貢もなく、だれもが名君とたたえていた。領内に不満の声ひとつない。江戸では勅使の応対とか、東照宮の関係の仕事とか、高級なおつとめをなさっておいでだ。温厚な性格で、お側用人や老中たちの信用もある。その

ため、各方面からいろいろと口ききをたのまれる。その謝礼のたぐいが入るせいか、ひどい年貢を課すことがない。大名からは取るが、領民からはあまり取らない。いい領主だった。

「あんないいかたが殺されるなんて、なぜ、そんなことが……」

「よくわからぬ。浅野の浪人たちは、なき主君の遺志をつぎ、うらみを晴らしたのだと言っているらしいが……」

「しかし、浅野内匠頭は殿中で乱心し、刀を抜いたわけでしょう。幕府はそうとみとめ、公的なおさばきの上で、切腹を命じた。死を命じ、首をはねたのは幕府でしょう。うらむのなら、そっちをうらむべきだ」

「そういえばそうだ」

「遺志だなんていうけど、それは乱心でしょう。だから、それを引きついだとなると、狂気のさた。気ちがいの行動となるわけでしょう」

「理屈の上ではそうだ」

「それなのに、なぜ吉良家が断絶になるのです。被害者が悪人にされるいわれはありません」

「しかし、そこがその、政治というものらしいのだ」

「むちゃだ。気ちがいの集りに侵入され、父を殺され、そのうえお家が断絶とは。責任は、江戸の治安をまもれなかった者にある。ひどすぎる。こんなご政道は、正さなければなりません」

 などと、良吉はまじめきわまる口調で主張した。武士たちは困った顔。

「どうするつもりなのだ」

「すぐに江戸へ行くつもりです」

「行ってどうする」

「殿にお会いし、おけがのお見舞いを申しあげる。また、幕府に対して堂々とわたりあうよう、ご激励してさしあげます」

「むりだよ。おまえのような、十石の軽輩になにができる。軽々しいことをやって、われわれを巻きぞえにしないでくれ」

「そのお言葉は、なんです。武士の口にすべきことではありません。たとえ十石でも、|禄《ろく》をいただいているからには、君臣の間柄です。お家の一大事に際し、忠節のなんたるかを示すべきです。なさりたくないのなら、わたしひとりでもやります。ああ、なんという武士

道の堕落……」

 あこがれてなっただけに、良吉は普通の武士以上に、武士らしかった。たちまち決心をかためた。生家へかけもどり、黒潮屋の金箱からまとまった金をつかみ出し、それをふところに入れ、ただちに江戸へ旅立った。

 本所の吉良邸にたどりつく。

 門の|扉《とびら》は無残にもこわされ、屋敷の内外は片づけがすまず、まだ荒れはてたままだった。ふすまや障子はめちゃめちゃ。あたりに血のあとが残り、そのにおいもただよっている。

 部屋のなかからは、うめき声が聞こえてくる。襲撃された時の負傷者たちのあげる声だろう。顔をしかめながらたたずんでいる良吉に、声がかけられた。

「おい、なにものだ。勝手に入ってきてはならぬ」

「なにものかはひどい。殿の家臣、黒潮良吉にございます。事件を聞き、三河のご領地からかけつけて参ったのです」

「わたしは殿のおそばにつかえる、山吉新八という者だが、そのような家臣の名に心当りは……」

「数年前にお取り立ていただいた者でございます」

「すると、そうか。黒潮屋のせがれであったな。よく来てくれた。しかし、なんのためにわざわざ……」

「殿のご安否が心配で、また、なにかお役に立ちたいと思って……」

「それは感心なことだ。殿は浪人どもと戦い、傷をおわれたが、わたしともども、なんとか脱出できた。重傷ではあるが、さいわいお命には別状ない。十七歳という若さだから、やがておなおりになるだろう。しかし、その養生と、精神的な衝撃もあり、当分はだれともお会いにな

れない」

「わたしになにかご命令を……」

「ちょうど、人手が不足で困っていたところだ。この屋敷の警備をたのむ……」

 と山吉は言った。大石ら四十数名は、義央の首を持って泉岳寺へ行き、そこで自首したという。いまは細川家ほか三家に、おあずけになっている。

 しかし、まだ残党がいるかもしれないとのうわさもある。そいつらが、ご隠居さまの首だけでは満足せず、殿の命をもねらってふたたび来襲するかもしれないのだと説明した。

「かしこまりました。良吉、いのちにかけてもおまもり申しあげます」

 張り切って良吉が門のそばに立つと、そとに集っている町人たちが、からかった。

「やあい、いくじなし野郎……」

「なんだと、町人の分際で。それとも、浅野の浪人か。となると、たたき切るぞ」

「いまさら強がったって、手おくれじゃねえか。討ち入りの時には、逃げてたくせに」

「けしからん。覚悟しろ……」

 刀に手をかけた良吉を、山吉はあわてて引きもどして言った。江戸では、軽々しく刀を抜いてはいけないことになっている。町人たちに切りつけると、ただではすまない。なにしろ、いまは微妙な時期なのだ。お家が存続するかどうかの、重大な場合だ。

 良吉は不満げだった。

「すると、じっとがまんしていなければならないのですか。いかなる悪口雑言にも耐えて……」

「そこが武士たる者のつらいところだ。なにを言われても、決して手出しをするな」

「しかし、あんなことを町人に言わせておくなんて……」

「町人とは、口さがない者なのだ。口先だけで、責任はなしだ。やつらは、かせいだ金を好きなことに使う、その日ぐらし。金なしで楽しめるとなると、やじうまとなって集ってきて、わいわいさわぐ……」

「そういう低級なものですか。では、武士らしく忍耐に徹しましょう。それがご奉公ならば」

 覚悟をきめ、良吉は警備の役にはげんだ。残党の再襲撃にそなえ、緊張の連続だった。いざとなれば討ち死にする決意。しかし、日がたつにつれ、その点の心配はしだいに薄れてきた。

 やっかいなのは、壁の穴のほうだった。|塀《へい》の内側にそって、家臣や若党たちの居住する長屋がある。道に面したその壁に、穴があいている。殿がそこから外部へ脱出したのだとのうわさがあった。

〈弱虫の逃げた穴〉

 と塀に落書きをするやつがあった。何度も書かれ、そのたびに良吉は消した。まったく、町人どもはやることが卑劣だ。なにか不満があるのなら、江戸城の石垣にでも書けばいい。それをやらず、ここの若い殿の内心の苦悩に同情しようなど少しも考えず、残酷なからかいをやる

 そのうち、江戸の街に紙に書いた無署名の狂歌が、各所にはられた。落首というやつだ。こんなのもあった。

〈|吉良《き ら》れてののちの心にくらぶれば、むかしの傷は痛まざりけり〉

 殺されてしまえば、殿中の刃傷で受けた傷など、どうでもいいだろうとの意味。はがしても、またはられる。よく見ると、木版で印刷したものらしい。なんということだと、良吉は腹を立てた。印刷して、被害者の死をからかい、笑いものにするとは。江戸の町人の軽薄さをまざ

まざと思い知らされた。

 良吉は自分でも落首を作り、木版で刷り、夜の町をはりつけて歩いた。

〈|宵《よい》|越《ご》しの|銭《ぜに》は酒色に使い捨て、|浅《あさ》|野《の》さわぎをただで見物〉

 酒と女に金を使い、自分は無関係という責任のない立場にいて、勝手に事件をさわぎたてる町人たちめ。少しは反省しやがれ。

 しかし、町人どもは反省するどころか、浪士たちをほめそやす一方。事件をとり入れた芝居がなされ、大ぜいつめかける。講談にもなる。

 どこでも話題になっている。大石良雄たちをたたえ、まことしやかな作り話が加わり、浪士の美談がでっちあげられ、義士と呼ぶ者もあらわれ、それに比例して、吉良義央が一段と悪者にされてゆく。

 良吉はまたも落首を作り、はってまわった。

〈|吉良《き ら》|吉良《き ら》の玉を無法にうち砕き、大きな石をおがむ江戸っ子〉

 まったく、ぶちこわされたままの門の扉を見ていると、良吉はなさけなくなってくる。弱きを助けるのが江戸っ子と聞いていたのに。

 山吉新八にうかがってみる。

「吉良家は安泰なのでしょうね」

「そうなるよう祈り、いろいろと運動している。しかし、幕府の役人のなかには、困ったやつがいる。こんな意見書を、連名で上のほうに提出したりしているそうだ。浅野の浪士たちの行為は賞賛すべきものである。処罰すべきではない。よろしくないのは吉良家のほう、断絶させ

るべきであると」

「どういうつもりなんでしょう」

「世の中の人気に便乗し、自分の存在を示したいのだろう。そういう役人がふえてきた。あるいは、上のほうの意中をそれとなく察し、上役の動きやすいようにとの準備工作かもしれない。どうやら、上のほうにも浪士たちをほめる意見が多いらしい」

「上役の顔いろをうかがって迎合し、少しでも出世の機会にありつこうというわけですね。信念もなにもない。なんという役人たちだ。おろかで無責任な町人たちならまだ許せるが、幕政に関与する武士がそんなとは……」

 町のうわさによると、細川家ほかの大名家におあずけとなった浪士たちは、けっこういい待遇らしい。忠義の士だとほめられ、ちやほやされての毎日だという。最初は罪人あつかいをしていたところも、細川家につられ、ごちそう競争になってきたともいう。

 それを聞き、良吉はかっとなった。こんなめちゃくちゃなことがあっていいのか。良吉は山吉新八にもだまって、独断で細川家へやってきた。門番に言う。

「こちらに大石がいるそうだが」

「なんだと。呼びすては無礼だ。大石殿は、たしかにここにおいでだ。これこそ、わが細川家の誇りである。で、なんの用だ。どうせ、おくり物でも持ってきたのだろう。あずかってやるから、おいてゆけ」

「大石に会わせてくれ」

「おまえはだれで、用件はなんだ」

「吉良家の家臣、黒潮良吉。なき義央のうらみを晴らさんがため、ひと太刀なりともあびせたいのだ」

「なんだと……」

 門番は引っこみ、やがて、細川家の家臣たち数名があらわれた。

「おまえか、大石殿を討ちに来たというのは」

「さよう。さっさと、大石をここへ連れ出してくれ。ご当家にご迷惑をおかけしたくない」

 それを聞き、みな大笑い。

「さすがに江戸だ。しゃれっけのあるやつもいる。こんな変ったお笑いを持ちこむやつがあらわれた。いい話のたねだ。退屈しておいでの義士のかたがたも面白がられるぞ」

「冗談ではない。本気でござるぞ」

「どうやら、頭がおかしいらしい。いいか、大石殿を渡すわけにはいかんのだ。上意により、ここにおあずかりしているのだ。将軍からの命令がなければ、だれにも渡せぬ。むりに入ろうとすると、細川の家臣は総動員で防がねばならぬ。これが天下の、法と秩序というものだ」

「なにいってやがる。法と秩序を口にしたいのは、こっちのほうだ……」

 しかし、大ぜいを相手に勝目はない。めざすは大石。細川の家臣と戦っての犬死には意味がない。良吉はむなしく引きあげた。

 学者を看板としている者たちは、それぞれ発言していた。なにしろ大事件。これについてなにか言っておくと、自己の存在が目立つのだ。名がひろまると、商売もしやすくなる。意見を求めての来客ぐらい、ありがたいものはない。

「先生、こんどの事件について、お説をひとつ拝聴したいと思い……」

「そうですなあ。これはまさしく、大変なことですねえ。軽々しい判断はつつしまねばなりませんが……」

「早くおっしゃって下さい。あっしは、かわら版を早く作って売りたいのです。お礼はここに……」

「あ、かわら版ですか。それならそうと。浅野の義士たちは、みごとなものです。これぞ忠義のあらわれ、後世に残すべき義挙。江戸っ子の誇り……」

「町人たちの話と大差ない。もう少し変った表現で……」

「わたしは町人の感情こそ、正しく尊重すべきだとの所説なのです。お礼はいただきますよ。しかしながら、みごととはいうものの、吉良家の当主を討ちもらしたのは、いささか残念です。もっともっと派手にやるべきだった。それにしても浪士たち、よく秘密を保ってきたもので

すな。巧言令色すくなし仁といいまして、不言実行の人が少ない時勢、そのなげかわしい世にあって……」

 と、ぺらぺらしゃべりまくる。一方、幕府の上層部から質問されている学者もある。

「なにか意見はないか」

「あなたさまのお立場は……」

「変な前例になってはことだから、やはり処罰すべきだと思うのだが……」

「そ、その通りでございます。なにしろ、徒党を組んでの武力行動。これをみとめたりしたら、まねする者が続出しましょう。豊臣の残党が出たら、ことです。法的にも道義的にも、処罰が当然でございます。しかしながら、感情的には、浪士たちにもかすかに同情すべき点、なき

にしも……」

 べつな学者は、ある大名にこうたずねられている。

「浪士たちの数名を召し抱えたいのだが、学者として、そちの意見はどうだ」

「まことに、けっこうなお考え。わたくしもそう思っておりました。世をさわがせたのですから、責任はある。しかし、その罰は大石ひとりだけ受ければいい。ですから、大石は細川家へながのおあずけ。そのほかは許すべきが当然である……」

「みごとな学説だな。いずれにせよ、大石は細川家が手ばなしそうにない」

「さようでございます。大石のむすこに目をつけたほうが、お家の名をひろめるには適当でございましょう。手をまわすのなら、早いほうがいい。しかしながら、ことは将軍のご決定をまたねば……」

 などと、学者たちは「しかしながら」をくっつけ、うまく話を合わせながら、この時とばかりしゃべりまわっている。

 将軍の綱吉、お側用人の柳沢吉保、老中、どこに決定権があるのか不明だが、幕府の上層部が迷っているように、良吉には思えた。そこがもどかしかった。早いところ、浪士たちを処刑してしまえばいいのだ。ことがのびると、同情論が高まるばかりだ。

 良吉はまた落首を、町にはってまわった。

〈大石に小石を四十余なげこまれ、|義《ぎ》|士《し》|義《ぎ》|士《し》ゆらぐ江戸の城中〉

 これははがされることなく、何日間か残っていた。幕府をからかった点が、町人たちのお気にめしたのかもしれない。ばかなやつらだ。あるいは、無罪の決定促進の意味と受けとったのかもしれない。

 いい気分になり、良吉はさらに印刷して、各所にはりつけた。そのせいばかりではないだろうが、切腹させるべきだとの意見が、幕府のなかで強くなってきた。どうせ、学者たちが方針に迎合し、こんな説ができあがったのだろう。

「切腹とは、まことに妥当な判定。わたくしも以前から、そう申しておりました。切腹は罰ではない。武士にとって名誉です。一方、町人に対しては、秩序を乱すなとの警告にもなる。最良の結論と存じます。しかしながら……」

 方針が切腹に傾いてきたと聞き、良吉は、浪士たちをあずかっている大名家をまわり、門番たちに話しかけた。

「もうすぐ、みなさんのお許しが出るとの、もっぱらのうわさですよ。けっこうなことですね。江戸じゅう、お祝いのお祭をやるそうですよ。みなさんのお耳に、早くお知らせしておいたほうがいいでしょう……」

 かたきを討てないとなると、少しでもつらい死に方をさせてやれ。喜ばせておいて、切腹の宣告という……。

 翌元禄十六年の二月のはじめ、上意により、浪士たちに切腹が命じられた。大石良雄の辞世。

〈あら楽し思いは晴るる身は捨つる、浮世の月にかかる雲なし〉

 しかし、良吉にとって、喜ばしいことではなかった。

 その同じ日、吉良義周の屋敷にも、上意がとどいた。血のつながる祖父であり、名目上は義父でもある義央の首を奪われたのは、武門の恥である。おめおめ生き残ったのは見苦しい。お家は断絶、領地は没収。当人は信州|諏《す》|訪《わ》へながのおあずけと命じられた。

 たちまち厳重な護衛がつき、刀を取りあげられ、かごに押しこめられ、山吉新八ほか一名の家臣ともども連れ去られていった。

 これで吉良家は、すべて終り。邸内にいる者は、みな追い出された。良吉は金があるので、裏長屋を借りて住むことができた。

 江戸の町に落首がはられている。

〈忠孝の二字をば虫が食いにけり、世をさかさまにさばく世の中〉

 浪士への切腹の処置を批判したものだが、この落首には良吉も同感だった。

「こんな決定はひどすぎる。いったい、吉良家が幕府や世の中に対して、どんな悪いことをしたというのだ。以前に浅野を切腹させた幕府の決定は、まちがいだったことになる。朝令暮改だ。このようなご政道を正さなければ、世の中は|闇《やみ》だ」

「まったくだ」

 その場にいあわせた、かつての吉良家での同輩が、あいづちを打つ。金のある良吉に同意していれば、なにかいいこともあるだろうと思ってだ。

「では、連判状を作ろう。殿のご無念をはらし、吉良家の再興のために、命をなげうって行動しよう」

 あこがれてなっただけあって、良吉はまさしく武士だった。あわてたのは同輩。

「ま、まってくれ。そのような大事は、まず、殿のご意見をうかがってからでないと……」

 あたふたと逃げ出し、それっきり来なくなってしまった。へたなさわぎに巻きこまれたら、ろくなことはない。地道な仕事をさがしたほうが賢明というものだ。

 同志が集らず、良吉はひとりで信州へと出発した。殿にお会いし、おなぐさめし、今後の方針をきめるために。

 良吉は諏訪へつき、そこの城へ行く。城門の係に言う。

「ここにおいでの吉良義周さまにお目通りさせて下さい」

「そんなことは知らぬぞ」

 と、そっけない返事。

 義周はこの城の南丸の一室にとじこめられ、だれとも面会を許されない状態だった。二名の家臣も同様。刀は取り上げられている。ひげをそるのも許されない。カミソリでの自殺を防ぐためだ。病気のための|灸《きゅう》をすえたがっても、医師の立会いでないと許されない。

火災を警戒してだ。

 日夜、監視がつけられ、庭への外出もできない。外部へ対しての防備も厳重。浅野の浪士の残りが押しかけてきたら、さわぎが大きくなり、おとりつぶしにされかねない。だから、領内でのうわさも禁じられている。義周の居室の場所は、関係者以外は知らされていない。

「おいでのはずです。わたしは江戸でたしかめて来たのです」

 と良吉が言うと、門の係は身がまえた。

「すると、浅野の浪人か」

「ちがいますよ。吉良家の家臣、しかも、忠実なる家臣です。危害を加えるどころか、おなぐさめのために来たのです。あわれと思って、とりついで下さい。あなただって、自分の主君が遠くへやられたら、なぐさめに出かけるでしょう」

「それはそうだ」

「では、武士のなさけで、ぜひ……」

「その手には乗らん。わが主君は、変な事件にかかわりあって、遠くへやられるようなことは決してなさらない。だめだ。なぜなら、吉良家はすでにおとりつぶし。家臣などありえないからだ」

 ことなかれ主義に追い払われた。山吉新八にも会えない。むりに入ろうとしても、それは不可能。江戸への帰り、峠の上から良吉はながめる。

「あの城内の、どこにおいでなのかはわからないが、ご不自由にちがいない。おいたわしいことだ。殿のご無念は、わたくしがかならず……」

 落涙しながら心にちかった。

 良吉は江戸へ帰った。しかし、ご無念はかならず、と言ったものの、どうやったらいいのか、それがわからなかった。

 江戸では相変らず、切腹してしまった浪士たちの人気が高い。討ち入りの前、義士のひとりがここで働いていたと称する商店がふえた。それで客が集り、景気がよくなる。そんなのが何十軒もあった。浪士の似顔絵が売れ、浪士の名をつけた菓子が売れた。軽薄な町人たちめ。

 ますます良吉は立腹する。忠義をあらわし、武士道を発揮し、平和や繁栄より高度なものが存在することを、世に示したい。それには、どうすればいいのだ。

 大石の遺族の首をはねてやるか。しかし、調べてみると、長男の主税は切腹しており、あとは女子供ばかり。

 当時の規定で、武士の罪は家族におよぶ。事件に参加した浪士たちの遺族のうち、成人男子は、出家した者を除いて、みな遠島となっている。遠島では、手の出しようがない。

 死をもって世間に抗議してやろうか。いや、それはだめだ。江戸の町人たちが、また落首で笑いものにするにちがいない。

 ちらほらと、浅野家再興のうわさが聞こえてきた。浪士たちを義挙とみとめたからには、浅野内匠頭の弟、大学に家を再興させるべきだとの意見。大奥を通じての運動がなされているともいう。

 良吉は、またも落首をはってまわった。

〈|浅《あさ》|野《の》日が西からのぼりめんどりが、時をつげいて論語大学〉

 論語、孟子、中庸、大学を四書と称し、儒教の根本となっている。その落首を、湯島の聖堂にべたべたとはった。儒学を好む将軍の綱吉がたてたもの。

 ここで綱吉は、みずから論語を講じ、大名たちに政治は仁と義でおこなうべしと話した。聖堂の長は、綱吉の信用のある学者、林大学頭。

「この皮肉なら通じるだろう。吉良家をつぶしたうえ、浅野家の再興などさせてなるものか。よし、大学を討ちとろう」

 大学は西のほう、芸州広島の浅野の本家におあずけとなっている。良吉はそこへむかった。途中、三河で生家の黒潮屋へ寄り、また金を借り出した。

 長い道中、そのただならぬ表情を見てか、旅の武士が話しかけてきた。

「こんなことをお聞きしてはなんだが、なにか重大なお仕事のようで……」

「さよう、大望のある身なのです」

「さては、かたき討ち。ご成功を祈ります。それでこそ、武士。助太刀いたしてさしあげよう」

「ありがたいお言葉……」

「で、どなたのかたきを」

「わが主君のうらみを晴らさんがため……」

「それはそれは、ますますいい。こういう時期ですから、成功すると一挙に名があがりましょう。所在はわかっているのですか」

「はい。かたきのいる場所はあきらかです」

「その、貴殿のご主君の名は……」

「吉良上野介義央でござる。みどもはその浪士……」

「うむ、申しあげる言葉もない。めざすは芸州ですな。あいにく、身どもは山陰への旅なので……」

 その武士は、気ちがいとの旅は困ると思ってか、はなれていった。

 芸州の浅野の本家に、大学は妻子とともにおあずけとなっている。信州の吉良義周と同様、一室から出られない。保管を依頼された貴重品あつかい。万一だれかに殺されたら、一大事なのだ。厳重な警戒。大学は、兄のひきおこした|刃傷《にんじょう》事件の四カ月後から、こ

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