もう十一時前であるが、階下ではまだガチャガチャと丁合機が動いているし、カチカチという表紙くるみ機の音もきこえている。みんな疲れきって残業をやっているのだ。汗をながし、くたくたになりながらも頑張っているのだ。ぼくは二階でくつろぎ……いや、そうではない。ただ、仕事をしないで坐っているというだけのことで、気持としては苦痛におちいっている。 一日に十時間も十二時間も働くのは、ばかばかしいと反抗的に考えて、ぼくは六時定時(これさえも、もう一時間は残業していることになるのだ)にしまって部屋にかくれたのだ。もし社長《おやじ》が二階にかけあがってきて、(よう、お前、なぜ残業出ないんだ。どこか悪いのか?)ときいたら、ぼくはすなおに(毎日残業ばっかりじゃ、耐えられないですよ)そういおうと思って、かたく身がまえてじっとしていたのだが……。
その結果ぼくは本を読むこともできなかったのである。白秋詩集とノートを机の上にひろげたまま、坐ってみたり寝ころがったりして、何も考えられず何も書くことができなかった。十一時になってみんなが二階にあがってきた時にも、すまないようで顔があげられない。みんなに合わせる顔がなくて、心が安まらない。勉強には不適当な四、五時間がすぎてようやくいま、このノートに向かっている。
下着をとらんとする者には、上着をも与えよ。一緒に一里行くことを強いるなら、ともに二里行け、という福音書の言葉が、ぼくを考えこませる。社長《おやじ》は働くことを強いる。ぼくは働くべきか?
働くことを肯定し、それを喜び受けいれるべきか。それとも、働くことを否定的に考えて、やむなく、消極的な気持で、むしろ苦痛に思いながら働くべきか。そしてチャンスあるごとに、怠けたり休んだりする。ぼくはどっちの考えにつくべきだろう。
上着をも与えよ、ともに二里いけ、という言葉からおしはかると、銃をとれ、と強制される時には、銃をとるということにもなるし、御輿をかつげと強いられたら、強いられるままに、それをかつぐということにもなる。いったいそれでいいのだろうか?
銃をとれと強制されて、戦争は始められたのではなかっただろうか。殺せと命じられたら殺してもいいのだろうか。イエスがいったことと、このこととは別の問題だろうか?
わからない。 社長《おやじ》が仕事に出ることを望むのだから、いやではありながらも、働いた方がよさそうだ。働いてぐったりげっそりして、二階へあがってくる。(いったいこれでいいのだろうか)という考えを抱きながら、あがってくるのだ。古畳の上にごろりと寝ると、もう活発な思考がはじまっている。一日に十三時間も働くのは耐えられないことだが、しかし泣きたくなるのを我慢して、いや泣きながらでもいい働いて、苦しい、つらいと叫びながら、考え深くするのが、いいのかも知れない。
疲れている。あしたは土曜日。あさっての日曜日は出勤なので、仕事を休んで街をうろついたり、遠い郊外へいったりしたいと思っていたが、そんなことを思っているぼくとは関係なく、新助さんは仕事に追われどおしで困るといった。ぼくは休めなくなった。そんな新助さんを放っておいて、彼だけに苦労を負わせるのはわるいことだ。
夜もだいぶふけた。十一時半ごろから米軍放送をきいている。黒人のうたうポップソングが流れてくる。電燈は消してあって、暗やみに目をみひらいてポップソングにききいっている。こういう夜に、ぼくは思い出がある。
ふるさとの家で、ほんのこの前まで毎晩のように夜ふかししながら、KSBKという米軍放送をきいていたのだ。いや、きいていたかどうか、ラジオの音楽は深夜の部屋にひとつの雰囲気をつくっていたにすぎなかったとも思うのだが、とにかくぼくはラジオをつけっぱなしにして、本を読んだり筆記したり思いにふけったりしていた。
KSBKでは日がな一日、そんな音楽をきかせていた。胸の苦しみを忘れるために、ひっきりなしに酒を流しこむ酒飲みがいるとするなら、兵士に兵士たる苦痛を忘れさせるために、ひっきりなしに音楽をきかせていたのだろうか。新しく流行った歌を、とっかえひっかえしてきかせるのだった。ぼくは苦笑しながら、ときにはそれにききいって頭を休めるのだったが……
考えるのにも疲れて、ついうとうとしたり寝入ったりすることがあって、隣りの部屋の甥たちの泣き声にはっとしてめざめてみると、ラジオはやはりかすかにポップソングを流しつづけていたのだ。これはいかんとねむけを払って本に向うのだったが、そのころから、ぼくが日夜考えていることは、何とかして小説が書けるようになりたいということだった。そしてそれはきわめて具体的な追求でもあったが、また激しい思いつめでもあった。
ぼくは午後から仕事を休んだ。佐藤さん渡部さんと三人で、仕事についてちょっとした真剣な会話をしたばかりだった。あんまり働く気持がないとぼくがいったのに対して、困るねえ、そんなことではと佐藤さんはいう。なぜ困るのであろう。佐藤さん自身が困るというのであろうか。社長のために困るというのであろうか。あるいはぼくのためによくないというのであろうか。
困るという言葉のなかには、半強制的な含みもあった。いまは忙しい。仕事はいちだんらくはしているが、それでも何やかやと雑多な仕事がつまっている。それを早く仕切ってしまわなければ、次の仕事がまたつかえるわけだ。仕事がつかえると社長が第一に困る。儲けが少なくなる。働いている人達も困ることは困る。とどこおった仕事をかたづけるために遅くまで残業しなければならないからだ。
そんなことを書いてから、ぼくは気持を変えて外出した。窓からぬけだして風呂屋へいき、貸し手拭いと五円石鹸で体を洗い、神保町をうろついた。そのうちにまた気が変って映画をみることにした。「野のユリ」はいい映画だった。さて映画をみ街をさまよって帰ってきてみると、九時すぎだというのに田中製本には蛍光燈が白くかがやき、戸はあけはなたれていて機械が動き、みんなは汗みどろで残業していたのだ。社長《おやじ》はぼくに怒っているであろうか。体がわるいからでもなく、ただ怠けたいというだけの理由で、ずらかったぼくに腹をたてているだろうか。それにしてもどれだけ社長《おやじ》に甘えれば、ぼくは気がすむというのだろう。(いまどき月五千円で部屋を貸してくれ、夜具を貸してくれ、一日三度の食事の世話もちゃんとやってくれるところがどこにある?
風呂にも月に十五回はいかせてやり、テレビも見たければ食堂で見せてくれる、そんな設備のある家がどこにある?
こんな設備のある家にお前を飼っているのは、遊ばせるつもりがあるからではないのだ。お前の労働が欲しいから、こんな設備を整えておいてやってるんだ。お前に生活を楽しませたいからそうしてるんではない。こっちはただ、お前の労働がほしいだけなんだ。それを何だね、仕事を怠けてみたり休んでみたり気ままにして。午前中働いて、どこも悪いというのでもないのに午後からにげたりして、お前にどんないいわけがある?)
社長はぼくにそういってつめよってくる。ぼくはただうつむくだけだ。ゆるしてください、しかしゆるしてくれないというのなら、ここを出ていかなければならないのだが……。出ていくとなると、また寝る場所と食事を出してくれるところ、つまり働かしてもらえる工場をさがしてあるくことになる。仕事はどんな仕事でもやるつもりだから、すぐに見つかるとしても、しかし気苦労ではある。ぼくは宿なしの風来坊として街をさまよう。そんなときのぼくの心は荒れている。自分が情ない身の上であることを、そのときほど思いしらされることはない。ああ寝場所と食物を与えてくれるところはどこだ? 寝場所と食物!
とつぶやきながら、落ちぶれはてたような気持で歩くだろう。そして生皮をはがされたいなばの白うさぎのように、ちょっとした風にもひりひりと心身を痛めるだろう。
街歩きをすると、美しい女性をよくみかける。そしてぼくは思うのだが、どうして恋人ができないのだろう。一緒に街を散歩したり、気持のいいおしゃべりをしたり、自分の心底をさらけだして語ったり、愛する女性の心の真実の姿を知ったり、実際の生活をのぞいたりしたいのだが、これはいけない気持であろうか。
公園のベンチに美男美女が、まるでひとつがいの文鳥のようによりそって坐っているのをみたり、人混みのなかを、お似合いのカップルが、流れに遊ぶ白さぎのように歩いてるのをみたりすると、ぼくの気持はたかぶるのである。ああ、あんなふうに手に手をとって、甘い気持になって夢中で歩いてみたいものだ。ぼくはそんなに〝嫌《や》な影《かあぎ》?というわけでもないだろうに、いやぼくには自分の〝影《かあぎ》?がわからない。いったい十人並みであろうか。それともそれ以下であろうか。
歩きながら、ショーウインドのガラスに映った自分をちらっとみると、ポケットに手をいれて気さくな風体をしていたが、顔に生気がなかった。とがった頬骨、狭い額、貧弱そうな唇で、ことごとく自分を失望させたのである。そのうえ、自分をはっとさせるような異様な目があった。片眼が白くひかってやぶにらみであったのだ。
田舎の町で毎夕、ぼくは小学校の鉄棒にぶらさがりにいったものだが、学校の近くの家の小学五年生のあけみちゃんは、ぼくのことをすぐろほまれに似ているといったのである。また、ぼくの叔父の洋裁店に働いているそのこさんは、いしはらゆうじろうに似ているといってくれたのだ。ぼくは(そんなに清《ちゆ》ら影《かあぎ》かな)と思って、鏡をみるようになってしまったのだが、そういえばそうにもみえた。 そんなことがあって、東京へ出てくる時には恥ずかしいような気がしたのだ。ゆうちゃんに似たぼくが、ゆうちゃんのいる東京にのりこむのである。しかしここでは、ゆうちゃんのことは何も知らないふりをしていた。口にもださなかったのだが、工場の新助さんは、みはしたつやに似たいかす男だというのだ。どうもわからない。このやぶにらみは気にならないのだろうか。
ぼくの兄はとても清ら影であった。東京のどんな男にくらべても、見おとりしないほどの美男であった。さだけいじに似ていると皆はいったが、ぼくはむしろ、もっと繊細で知性的な顔をしていると思っていた。長髪をぱらりとたらして町を歩くと、はっとする人もいたようだ。兄は少年の頃から、皆から愛され可愛がられていたが、無口でおとなしい性格で、それは青年になっても変らず、自分で恋人もみつけきれないほどであったのだ。
兄のことが出たついでに、祖父のことも持出さねばならない。ぼくの祖父は、七人も嫁を取っかえひっかえしたほどの美男で、祖父が七回も嫁を取りかえたのは、子宝がほしいからであったのだが、最初の妻に一子があったのみで、何度取りかえてみても子ができず、ついに自分に欠陥があることがわかったらしい。〝小便破れ?で死んだのである。兄はこんな祖父を嫌っていた。いつもひっこんでいようとしたのには、そのことが原因でもあったようだ。そして見合い結婚をしたのである。
ところで父は、花肝《はなじむ》のおじいといって祖父のことを自慢していた。しかし容貌の点では、似ていなかった。祖母方に似て、ずんぐり骨太の百姓タイプであった。男性的ではあるが、ぼくは不運にもこの父に似たと思っている。そして祖父に似た兄を好運だと羨んだものだ。祖父の花肝と父の骨太さは、ぼくに合わさったと見なしたくもあるが……それでもぼくにはまだわからない。自分は嫌《や》な影《かあぎ》であろうか。それとも清《ちゆ》ら影《かあぎ》であろうか。
ある日ぼくは山羊の草刈りにいって、山でさびた拳銃をみつけたのだった。野山にはまだたくさんの弾薬がちらばっている時代だったから、拳銃などめずらしくもなかったのだ。夏になって日中の気温が三十度以上にもあがると、土に埋もれた弾が熱しられてはじけることもあったし、山火事があるときまってパンパンと銃弾の破裂する音がきこえるのだった。畑をたがやしているとさびた銃剣がでてきたり、田をうっているとまがった鉄砲がひっかかったりする、そういう時代だったのだ。
拳銃はずしりとした重さでぼくの手にこたえた。ひきがねにようやく指がとどくくらいに大きかった。松の木にねらいをつけて口でパンパンとうった。母にみつかるとしかられるのだが、ぼくは拳銃をもっこの草のなかに隠して家にもちかえった。友だちの誰かをびっくりさせてやろうと思ったのだ。山羊小屋のうらでこびりついた土を落そうとして、鎌の頭でたたいているとバンとほんものの音がして、拳銃をつきはなすひまもなかった。土がはねとんで目にはいったのか、右目がおかしいのでさわってみると血がでていた。井戸へいって顔を洗ってもなんだか目がへんなのだ。部屋にはいって鏡をみたら右目は白くにごっていた。すぐに母にみつかって騒ぎになり、父は自転車をかりてきて町の病院へつれていってくれたのだったが、右目はそれっきりなおらなかった。
そして村のなかま達とけんかするたびに、(目っ切れ軍曹、戦《いく》さの先走《さちば》い)とはやされることになるのだ。戦争がきらいなのに、戦さの先走《さちば》いなんて!
ぼくにとってそれはいちばんの侮辱なのだった。なかま達は少年の鋭敏さで、けんか相手のもっとも痛いところを見ぬき、いちばんいやがる悪口を考えだして、逃げながらそれをあびせるのだ。ぼくは胸をやかれるようなくやしさで、いかりの涙をながしながら見境いもなく石をぶんぶんなげるのだった。中学生になるとその村をでて、コザ市へ引っ越したので町ではけんかはしなかったし、くやしい悪口もいわれずにすんだ。が、けんかをすればいつでも悪口をいわれ、くやし涙をながすことはわかっていたので用心もしていたのだ。そのころからぼくは内気になり引っ込み性にもなったと思う。
「おきなわは、行かないのか?」
佐藤さんの奥さんは、床をあげているぼくにそういった。みんなは、製本会社対抗の野球試合に行くというのだ。朝の七時に起きて物音たてて支度するやら、足音たかく廊下を走るやら、大声で話しながらの食事やらで、騒がしくて寝てもいられない。たまの日曜日なのに、起床ベルがなったりして。野球にいかない人もいるのだ。そして寝惚けまなこで床をたたんでいると、この言葉だ。おきなわから出てきたぼくのことをそう呼ぶのだ。何という、ぶっきら棒で教養のない言葉であろう。ぼくは腹がたっているうえのことであったから、ぶすっとして見向きもしなかった。「あら、おにいさんは答えないよ!」
笑いながら奥さんは向うへいったのだが、あきたはいくのか? という言葉が、喉もとにまで出かかっていた。奥さんは秋田から出てきて、この会社に勤め工場長の佐藤さんと結婚した。子供が一人あって、二階のもの干し場の向うのひと部屋に、三人で住んでいる。そして賄いの仕事をひきうけているのだが、文句がたえないのだ。朝起きてみると台所が汚れているだの、テーブルに灰が落ちていただの、みんな子供みたいにわからずやだのというのだ。賄いの仕事を嫌っているようで、誰もやってくれる人がいないから、仕方なくやってあげているという顔をして、栄養に配慮のない食事をだしてすませている。 秋田なまりの残った声で、(あらとしくん帰ってきたの?)と、幼稚園児の自分の子にいったり、(佐藤さんをちょっと呼んで)とか、自分の夫のことをそういったりする。自分の子供をくんで呼び、自分の夫にさんづけをして、身内を敬う気持はよくわかるが、他人を敬って、その上で身内をも敬うというのではないから、いや味だ。もう半年以上もここに勤めているというのに、いまだにぼくの名前も知らず、ぼくを呼ぶときには、(おきなわ)とか、(あまみの人)とかいうのだ。
いったいに、ここに住んでいる人は、社長《おやじ》をはじめ、みんなそうだ。社長《おやじ》もぼくのことを名前で呼んだことはなく、(課長)とか、たんに(よう)というのだ。ほかの人もみんなそれにならって、(だんな)というのだ。(せめて若だんなと呼んでくれ)と注文をつけたら、(え? ばかだんな?)といいかえされて、まいってしまった。仕事をする人の出入りがはげしく、半年もしないでやめていく人がたくさんいて、そんなことで新しい人を無愛想にとりあつかうのだろう。それに耐えて二年三年と勤めたら、はじめて名前を覚えてやるというのかもしれない。そんな空気が、この工場にはあるのだ。
心に秋風がしのびこんだ。近頃めっきり肌寒い。やがて冬がくるであろう。口から白い息をはき、おおさむ、おおさむ、といってえりをたてる。手足をちぢかめる。外には寒風がふきすさみ、家も樹も犬も道も、ちぢこまって、じっとしている季節だ。ぼくは静かな部屋にいて、何かわけのわからない感慨にふける。
布団をひっくくって、大山のブロック工場の住込み部屋へ逃げこんだのは、ちょうど今ごろの季節であったような気がする。最初の十日ほどは、仲間と共同で自炊したが、彼は不潔であったから、ひとりになった。米をとぎ洗っていると水がつめたかった。食事をおえると電燈を消して、むしろの上にあお向けに寝て、消化を待ちながら思いにふける。耳をすますと遠い海鳴りがきこえ、ほのぐらい戸口からは海風がふきこんだ。蚊や羽虫も入ってきた。原始にかえったような気持で、自分をみつめ、空をみ、海鳴りをきいた。肌寒いと思いながら、それにもかまわずに……。
そんな生活で感じとった不思議な感慨が、いまになってふっと心によみがえるのだ。それは初めて家を出たころの気持でもあった。働いては自分で炊いた雑炊《ぞうすい》をたべ、たべては寝るという生活のなかで味わったある気分だった。
それからぼくは大山ブロックをやめた。夜逃げのような、せっかちな移転だった。おやじさんが、住込みは火元があぶないから、もうおきたくないというのだ。せっかく決心して家を出たぼくは、半年もたたないうちに、家にまいもどるのがつらかった。それで貸間をさがして歩き、仕事も玉本ブロックに変えることにして、その近くの村に家をみつけて引っ越した。貧家であった。ぼくは傾いた便所を修繕したが、井戸水がどぶくさくて、どうしても使えない。それで二日目には家に帰ってしまった。
めまぐるしい生活であったが、ぼくは一途《いちず》に生きたのだ。思いつめて、自分の前途をきりひらこうと、あくせくしていたのだった。その時に感じた何かが、今ごろになってよみがえってきたかのようなのだ。なつかしいような、いたましいような、わけのわからない……。
田中製本では、近ごろ、また新聞に求人広告をだしたようだ。その広告をみて、新しい人達が入ってくることだろう。車から〝りんてん?をおろす手伝いをしていたら、田中製本というのはこちらですか?
ときく女性がいた。どぎつい化粧をして、すこしとがった目をした二十四、五歳の女性だ。目のふちを黒くぬっているから、きつくみえたのだろうか。事務所へ面接を受けに入っていったが、たぶん広告をみてやってきたのだろう。もうちょっと、清楚な感じのする女性はこないものかな。髪をひっつめにした、高校を卒業したてのような娘がくればいいのにな。それとも、いなかの貧しい家から、ぽっと出てきたような……しかし、そんな思いとは関係なくぼくはだんだん暗い気持になった。仕事をさがして歩く人達のことを考えたら、そうならざるをえないのだ。
仕事口をみつけたいとしている人の身になってみると、あの人たちは必死なのだ。働きたい。生活は困窮している。働かねばもはや生活できないどたんばまできている。どんな職場でもいい。給料が安くても、仕事がきつくても、早く働こう。とにかくいそいで仕事につかなければ倒れてしまう。そう思って切羽つまっているのだ。そんな経験はぼくにも何度かある。金のあるあいだは、いい職場をみつけたいといって落着いて歩きまわっている。遊び半分の気持でぶらぶらし、場末の映画館なんかに入ってしまう。どうせ、いい職場なんてみつかりゃしないよといってみたり、なぜ奴隷みたいにつながれなければならないのかと考えたりして、なかなか仕事口はきまらない。そんなことをしているうちに金はなくなって、切迫してくる。心は焦って、もう遊び半分ではいられない。何が何でも働かねばならない。どんなところでもいい、とにかくとびこまなくては……。そして、首をうなだれていきあたりばったりの工場にとびこみ、頭をさげて哀願したいような思いで、面接をうける。もはや職にありつきたいという以外に、何の要求もなく、わずかの金で雇われて唯々諾々と働くのである。
ぼくには、人間のそんな安っぽさが痛ましい。いっぽう人間の労力をやすやすと奪うチャンスに、めぐまれているこの社会制度が癪にさわる。
十時まで残業をして足も膝関節も痛く、体はかわききって、労働のあとの熱いほてりが残り、全身は気だるく、二階へやっとの思いではいあがって、もう何をする気もおこらない。部屋にはいるなりごろりと畳の上にころがり、体をなげだし深く息を吸い、それからゆっくり息をぬく。と、その瞬間に胸にうずくような痛みがきて、心臓はだくだくとなり、なぜだか涙が流れるのだ。
そうして草臥《くたび》れきって寝ていると、憑《つ》かれたように想念が動いて、きりのないもの思いに沈んでいく。それはもはや仕事がきついとか、残業がいやだとかいうことではなく、こんな生活をどうにかしたいとか、胸の苦情をうちあけられる恋人がいたらいいとかということとも関りなく、それよりものんきだった昔のあれこれを思いうかべたり、どこか知らない遠い土地を歩いていたりするのだ。
丘のうしろの日だまりに茅葺きの屋根があつまっていた。碁盤わりにつくった狭い村道にそって建つ二百戸ばかりのとんがり帽子だ。どの家もトウバイホーの柱にベニヤ板の壁、六畳一ト間の母屋にトタンのひさしを付けたして台所にしている。収容所から解放されてもどってきた村人たちが共同で建てた標準小屋だ。台風をまともにくらうと飛ばされてしまうので、風があたらない丘の陰にかたよせてつくってあるのだ。「春夫《ハーロー》、山羊の草刈《くさか》いが行《い》いかんな?」
門口か家に向かって唄うように呼びかけると、半ズボンをはいてまっくろい膝小僧をむきだしにした春夫がとびだしてくる。「おおッ行くいく。待っちょれヨ、としあきヨーイ!」「としあきもナ?」「うん、追うて行くんとヨ。いい場合《ばあい》やサ、道具はあっ達《たあ》に持たせえ。オーイ、出発どオ」「あいッ、待てまてッ」
丘はうねりながらうちつづいて、小さな森と谷をつくり、くねくねと曲った舗装道路が縦横にはしり、赤瓦と白壁のハウスが点在している。そこはアメリカ人の家族が住んでいる住宅地域だ。いたるところに芝生の庭と花壇があった。芝生の庭では子供たちが金色の髪を風になびかせて遊んでいた。花木の中からは茶色の髪をリボンでたばねて、白い手足をかがやかせた奥さんが顔をあげたりする。道ばたには自転車が乗りすててあり、庭にはおもちゃが転っていた。そこは通りぬけるだけでも胸がわくわくする別世界だった。歩きながら道ばたの草を刈った。草の中にバスケットボールが落ちていることもあった。ひろってきてアメリカの手ざわりを楽しんでから、そこらの生垣の中にほうりこむ。どのハウスの庭先にもごみバケツがあった。ぼくたちはもっと胸をわくわくさせて走りよる。
「我《わん》や、いちばーんッ」「我や、にイばーん」
まっさきに声をあげた者が、一番よさそうなごみバケツに駈けつけて蓋をとるのだった。パンの切れっぱしにタバコの吸いがら。野菜のくずにコーヒーのかす。蓋をあけると同時にアメリカの匂いにむせてしまう。汚れた人形やこわれたおもちゃ、写真がいっぱい載った雑誌や古くなったズックシューズ。これらは捨ててあるのだから取ってもいいのだ。吸いがらは父のためにひろった。パンの切れっぱしは鶏のえさ。ズックシューズは洗ってはけるかどうかを調べ、汚れた人形は妹へのおみやげだった。 そんなふうにして草を刈りながら、家族部隊の奥へ奥へと入っていくと、何やかやたくさんの収穫があったのだ。P?X(共同売店)の前のごみ箱には、もみがらといっしょにリンゴやぶどうがあった。ふくらんでしまった罐詰や古くなった枕パンがあった。|庭 師《ガーデンボーイ》として働いている大人でさえもそこはねらうのだ。「いちばーんッ」「にイばーんッ」「さんばーんッ」「あれーッ、何《ぬう》ン残ってや無《ね》えらんもんなッ」「あーア、先にやららったんや!」「誰《たあ》がやら、なア、さぐったるはずヨ」「リンゴ一つん、見《み》つからんな?」「あッ、まるまるのチキンがッ」「えッ? おいッ本当《ふんとう》なッ」「ンだ、見しれッ」「紙袋《かんぶくる》に包まって、すみにあったんデ」「ひゃあ、儲けたんやッ」「分《わ》けて、食《か》まなッ」「食《か》むん?」「皆《ンな》し食《か》まなヨ」「皆《ンな》し、な?」「山の草の中かへ持《も》っち行んじ」「見つからかんや?」「隠っくせえッさ!」「あの水タンクの下や増しよッ」「豚のものにせんな?」「ばかひゃあ、もったいないッ」「水タンクの下ンかへ持っちいけエ」「美味《まあ》さかや?」「美味さんよ!」「油《あんだ》ジイジイし居《お》んデ?」「油は栄養に成《な》ゆんッ」「下痢やせんかヤ?」「心配やれや、食《か》まんけ」「いい香気《かば》やア」「アメリカーは毎日《めえにち》こん如《ごと》うる食物《もの》かや?」「ステーキや毎日、チキンはクリスマスによ」
絵や写真がたくさん載った雑誌は好きだった。それを眺めて毎夕を楽しくすごすことさえできたのだ。蔦のからんだヨーロッパの城や黒光りするマホガニーの家具。空想のうちにぼくはそれを自分のものにした。赤いスポーツカーが枯れ葉のちりしかれた森の道にとめてあった。スポーツカーに乗ってその道をいった。少年時代のリンカーンが炉端に腹ばって、本を読んでいる絵では、ぼくも一緒になって本を読んだ。炉の火がほんとうに頬にあついので顔をあげると、おふくろが竃《かまど》の火をかきだしている。気にいった絵や写真は、切りぬいて壁にはりつけることにしていた。ベニヤ板の壁はどこを見ても埋まっているので、たんすの横にはることにした。「おっかあ、ご飯はまあだナ?」「なアすぐド、待っちょれヨ」「ご飯粒くれエ」「蒸《うぶ》さんとならんもん、まあだ蓋は取られん、待っちょれエ」
ご飯にはさつま芋が切りこんであった。それを煮干しの味噌汁でながしこむ。空腹と疲労でねむくなってしまい、何を食べても味がわからない。「あれ、つねヨ。鼻や汁ンかへつっこまんけよッ」「トロトロせえならんド?」「とよは煮干しは好かんナ?
ようく捏《かな》アせや味濃《あじこ》うやろもんに」「あーア毎日、煮干しの汁ばっか」「はあ、また文句たれれヨ」「好かんだれや、兄さんに食《か》ませエ」「我《わ》にンかへは?」「あい、今《なま》さっきまでトロトロし居《お》る者《もん》が」「ああ、我や足らんさア」「食物は、腹八分が大事ド」「……しても、まあだ八分に満たんもんにナ?」「はあこの餓鬼は、皆《んな》、平等の等分やあらんな?
文句はいわん」「…………」「あれッまた、すぐ面ふくれてシクシクするか? ンだ、おかあヨ物置きから棒もって来う」「暗さるもん、灯籠点《とうろち》きてろ行かれゆんテ」「…………」「長棒が増《ま》しか短か棒がましか。長棒で短か追われすシと、短か棒でなが追われすシと、どれが増しかや?」「……長棒も、短か棒も、いらんヨ」
そんなことをいってしまったので、棒も持たずに追われるはめになったのだが、おやじの手から逃れて、便所と生垣の間のすきまをすりぬけると、外はずいぶんと寒く、そして暗いことがわかった。
あるいは疲れきった体をなげだして、夢想の幻影ばかりを追いかけていたせいだろうか。寝入りばなにぼくは、肉体を離れて空中に浮遊している自分に気づくのだ。その瞬間にスッともどってしまうのだが、いままさに眠りに落込もうとするその夢現《ゆめうつつ》のはざまで、いつしかまた浮遊していて、天井も屋根もなくなり、闇の底からゆっくりと薄明りの世界へわけいって行くのがわかる。恐くはなかった。想念によってふるさとの浜辺を歩いたり、懐かしい人に話しかけたりするぼくには、むしろうれしいことだった。
気がついた時にはすでに一つの場所に立っていて、眼前にひろがる光景を眺めていた。草のじゅうたんに被われた平野があって、それに足をふれることもなく進んでいくと、草の中に黒人の少女が安らかな顔で眠っている。寝顔があまりに愛くるしいので、立ちどまって見とれていたが、彼女の眠りを邪魔してはならないからと先へいった。向うの木立ちのそばを四、五人の男女が語りあいながら逍遥している。ああそれは何と美しい姿であったことだろう。それを目にしただけで恍惚となってしまうような、駈けよっていきたいけれど自分が穢れているので出来ないような、それほどまでに清らかな存在であったのだ。
ぼくは顔をふせてしまった。すると奇妙なことに自分の足が見えなかった。自分には自分の姿が見えないというのが、この世界の法則であるらしかった。だから美しいもの清らなものには、無我夢中で駈けよっていけばよかったのだろう。躊躇する者はこの世界にふさわしくない。自らを意識することさえ、ここではゆるされない。そのことがわかったので、すでに躊躇してしまったことが悲しかった。
目をあげて右手を見ると、小高い丘にひかり輝く宮殿があった。太陽を透かした雲のように、全体がまぶしく輝いているのだ。黄金色《こがねいろ》のひかりのためにこの世界は美しかった。そしてぼくには一瞬のうちに次のことがわかった。宮殿に住まわれる方がひかりそのものだから、それが光源となって宮殿も輝いているのだ、と。(有《あ》られたのだ)とぼくは思った。それを知ってどんなに胸が安らいだことか。それだけでぼくには充分だった。
これ以上なが居してはならないような気がして、そこを離れた。闇が広がっている世界へ向かって、流星のように落下していく。大気と摩擦して体が燃えるくらいにあついのだ。ズシーンとした衝撃を感じてぼくはとび起きた。住込み部屋の垢汚れた布団の上に坐っていた。胸はまだ高鳴り、額からも腕からも汗がふきだしてくる。窓からさしこむ街灯の薄明りで、壁の釘につるされた仕事着やタバコの煙ですすけた天井などがはっきりと見えた。
新入りの渡辺明(通称P公、彼は前にもここで働いていたとのことで、みんなにそう呼ばれる)が精神病看護の本を買ってきて、テーブルごたつに足をつっこんでいるぼくに見せにきた。
彼は精神病患者で順天堂病院を退院したばかりである。言語障害があって、耳はまるっきりきこえないらしい。手紙やはがきは書けるけれど、長い文章になるともてあましてしまって支離滅裂になる。そんな手紙文を歯がゆさのあまりに、直してやったことがあったのだ。 その時、この人は本当に頭がわるいのだと決めてしまって、ぼくはつきあうのもほどほどにしようとしてきたが、彼のほうではぼくになついてしまった。新聞雑誌は読めるし、それにこんなふうに自分の病状を知って、それを何とかしようと本をみつけてくるところなどを考えあわせると、いじらしくもあってまんざらでもないと思うのだ。
仕事中に「看護の本あるか」と、筆談できたからぼくは何のことかわからずに困った。そんな本を持っているかときいてるのか、それとも本屋にそんな本があるだろうかときいてるのか、どっちだろうと「何の看護の本か」と筆談でききかえした。けれどもそれは適切な質問ではなかったらしく、彼は金をだしてみせ口頭で「本買いたい、どこか」と質問したのだ。こんどは即座に理解して、医学書を専門に売っている本屋を地図で教えておいたのだ。彼は残業を休んで本屋へいった。
彼はこたつの向い側に坐って、精神病看護の本に首をつっこんで読んでいる。苦しそうに頭をひねったりするので、本をちょっと貸してもらって頁をめくった。(1)妄想幻覚のある患者、(2)無為閉居患者、(3)拒絶症状のある患者、(4)興奮患者、(5)自殺企図のある患者、(6)不潔患者、(7)逃走企図のある患者、(8)放火弄火行為のある患者、(9)発作のある患者、(10)合併症のある患者。
ぼくはくすくすと笑ってしまった。小説の題材にはもってこいではないか。たとえば上林暁の「絶食の季節」には、そんな症状をもった若い男女が登場する。伊佐子という娘は農家の長男のところに嫁入りするのが嫌なのに、周囲が何やかやいって嫁がせようとするから祝言《しゆうげん》の前日から(4)の興奮患者となり、それから(3)の拒絶症状をあらわし、つぎには(2)の無為閉居となりその間に(5)の企図を持ったり(7)の企図を持ったりするのだ。賢一という青年も大学へいきたいのに、農家の跡取り息子であるばかりに大学へ行かせてもらえなくて寝込んでしまう。
心の中に激しい念願や希望を抱いているにもかかわらず、周囲の者がやいやいいって邪魔したり、それにそぐわないことをさせようとしたりして、ついに無為閉居や拒絶自閉の状態におちいり、それにおちいってまでも心の願望をおし通そうとする、そんな行動にぼくは一種のあこがれをもっている。何もかもうち捨てて、言語障害のようになって口をとざし、目はとろんと一点をみつめて何もしないという、そんな人間に賛同したいのだが、ぼくにも精神病の気があるというのだろうか。
きょうの昼食時に、社長《おやじ》はみんなを二階の食堂に集めて、演説をした。最近の製本業界とでもいうべき内容の演説で、なぜそんなことをするのか、ぼくにはよくわからない。とにかく義理人情では、仕事の取引きもできなくなったとか、義理人情だけでは、人を使うこともできないというのだ。そして最近の業界の不況をいい、工場の経営の不振をのべた。製本費は値下げされるのに、給料は値下げすることができないといった。五年前は、四十名の給料は八十万で済んだのだが、今では二十数名そこそこで、百二十万かかるのだといった。そして最後に、みんなに精勤を乞い、何か不満な点があれば、意見をのべてくれといった。
ぼくは給料を一万五千円もらっている。これを少ないなどと文句をいうのはやめて、みんなの給料を平均に、気前よく三万円払うとして、当工場の全従業員二十六人で七十八万になる。それなのに、なぜ百二十万の支払い額なのだろう。四十二万は社長《おやじ》の収入であろうか。事務所のタイムカードには、田中裕五郎だの田中アイだの、田中久子だのその他知らない人の名前も二、三見出された。それは社長《おやじ》のおじいさんだとか、おばあさんだとか奥さんだとかの名前であろう。こんなふうに不在勤務者の名前をかかげて、税務署をごまかしているのだろうが、この不在勤務者には高額の給料を支払っているのだ。つまりそれらの勤務者は、社長《おやじ》の身内人なのだから、それは社長《おやじ》の収入になっているのであろう。もちろん、この収入に文句をいうのではない。それは彼らが、工場を持っているから、当然のことなのだ
。 ぼくはここにきて、こんな演説は初めてなので、社長《おやじ》に対して親密感を持ち、心ひそかに協力をちかったのである。今後仕事をずる休みしないでおこう。残業も十時までであろうと、十一時までであろうと、ちゃんとやりとげよう。勉強は寸分の余暇をみつけてするとしよう。どんな環境にもなれることだ。そして自分を生かしていく。環境になれないあいだは、どこへいっても駄目であろう。そんなことまで思ったのである。しかしこんなことを書いているいまは、ぼくは社長《おやじ》に対してむしろ不信感を抱いている。彼らは自分の私腹を肥やしているだけじゃないか。そんなことに協力を要請するなんて、何というお人好しだろう。また、何という労働者への見くびりだろう。働く者のことを無知蒙昧とでも思っているのだろうか。もっともそうであるならば、それは彼らがたえずふきこみ、いいきかせ、だまくらかしてきたことによるのだ。