21
この町はほそながい町だよ。日向にでてきたみみずに蟻がたかるみたいに、軍用道路に土地をなくした住民が、しゃぶりついてできた町だよ。ぼくはヒクヒク泣きながら町を横切った。町のうしろには、すぐにいも畑がひろがっている。ほこりをかぶった生垣にかこまれた農家や、畑のうらにかくれた豚小屋や……。
海にいく近道の農道は、月明りにてらされて、いしころのひとつひとつが見えるくらいに明るかったから、なんにもこわくなかった。
ポクポクしたほこりの中に、足をふみ入れると、昼間のあつさがまだこもっていてあったかい。ポクポクふむのに熱中しているうちに、涙はかわいた。
安田村にぬける切通しのところまできて、ぼくはなぜかしら寒気だったよ。崖の両側には木がおいしげって、くろぐろとした闇がさがっていた。たぶん、そこには魔物がたっていたんだろう。ぼくの魂がそれを感知したんだろう。「守護魂《まぶり》よ、守護魂《まぶり》! 追うてこいよ!」
そういってぼくは、闇のなかをまえばかり見てはしりぬけた。こわいことやおどろかされたりしたことがあると、からだの中の魂がとびだして迷ってしまうから、そう唱えなければならないとおっかあがいつもいっていたんだ。
坂をおりると、ちいさな盆地があって、ずっとまえに……そう、終戦直後に犬蚤宿《いんのみやど》という収容所があったところだ。
22
そこには、たくさんのテントがならんでいたんだよ。そして、サイパンから帰ってきたばかりのぼくたちを迎えるために、そこのテントからおじいが飛びだしてきた。「おおっ、ぜんきちぃまつこぅ! 無事帰《ぶじけえ》て来《く》られゆたんなあ?!」「あいよな! おじいもよう頑丈しおったえさやあ?!」
「おおっさ! 南洋も玉砕と聞《ち》ちおったしが、ようまあ帰《けえ》ららったさ! して、誰《たあ》ん戦《いくさ》にまけらんたんな?!」「はいなっ、兵隊《ひいたい》にん行かんでまことしおったれえ、親子もろとも皆無事《んなぶじ》やせえ!」「ううっ、良《よう》しやさ! ようしやさ!」
そういって三人がだきあって泣いていたのは、ほんのこの前のことのような気がする。六つぐらいになっていたぼくも、涙で目をグルグルさせながら、おとなが泣くのをはじめてみたのだった。それは、これまでの生活のクライマックスのような光景だったよ。けれどもそれも、もうずっと前のことだ。ずっとむかしの……。もうおとうもおっかあも泣いたりなんかしない。
23
今は、盆地には土地をとりあげられた伊佐浜の人たちが引越してきている。雨水をためてつくった田圃がうちならんで、田のあぜには掘りだしたコンクリや石がつんである。田圃のむこうの肩をすぼめたような農家の庭からは、犬がやかましく吠えた。まだ、こんなに遠いのに……きっとやせほそって神経のとがった犬なんだろう。ぼくも遠くから親しみをこめてポチポチとよびなだめてみた。けれどもいっこうにききめがない。うるさいから忙しく村をかけぬけた。盆地のとっぱなまでくると、海の匂いのする風がふきあげてきて、美里村の屋根々々が月の光にほのじろんでみえたよ。海には軍艦のイルミネーションが、入用もないのにギラギラしていた。
24
浜にひきあげられたサバニ舟に寝てるとね、舟底の板が心地よく背中を温《ぬく》ためたよ。海のはるか沖ではドーンドーンと潮がなって、月は西へ移ってちいさくなっていた。
舟の上では潮風がすずしく吹いていた。が、舟の中の風のよどみには、護岸のうしろの沼地からやぶ蚊がとんできて、もうチヲクダサイ、チヲクダサイ、耳のまえでいっしょうけんめいに鳴いたよ。 ウトウトとしては蚊を追いはらい、ハッと気づいては蚊をたたいてると、どこかで人の声がしたようだった。首をもたげてそこを見すかしていると、護岸の上に櫂をもった男の影がうきでた。そのあとからも、もう一人、帆布をまいた棹をかついだ男の影がついてきた。
(どうしよう! こっちへ歩いてくる! みつかったら、この盗《ぬす》っ人童《とわらば》あは! といって首筋をとっつかまえるにちがいないんだ。もし帆や櫂が舟にのこっていたら、ぼくはそれで沖にこぎでていたろうからね……いいや、みつかっても寝たふりしていよう!) ぼくは、そう決めて石のつもりになってかたくした体を舟底においた。(どうしても首筋をつかまえるんなら、ぼくはワッと泣いたっていいんだ) ………………。
「……浜上地のひろこもよ……」 と漁師はいっていた。
「……ああ……」 と、もうひとりの漁師がこたえていた。 水の中をあるく音がして、浅瀬にもやってあった舟の方へいったようだ。「……浜上地のひろこも、ブラジルかへ立つんといいよるもんやあ……」「……せいきちの傍《はた》かへな?……」「……ああ……」 底にたまった水をかいだしているのであろう。ジャボッ、ジャボッと音がする。「……あんすしが増しよ。あれん姉さん如《ごと》うし、アメリカーと偶《ぐう》になってハーニーになゆる場合かやと思ったしが……」「……ああ……フッフッフ、よごれハイカラーやったんやあ……」「……ああ……フッフッ、おしろい塗りたっくわしてやあ……」
ひとの声をなつかしく聞いていたのに、それが途絶えてしまったので、もういっかい首をもたげてみると、小さな帆をふくらませたサバニ舟は沖のほうへむかっていた。勝連半島の上の空がむらさき色になって、朝はちかい。海の上の軍艦のギラギラもきえている。
25
「うわっ」 目がさめてみると、陽がたかくのぼって、ぼくの首や腕をやいていたよ。とびおきて汗ばんだ首をぬぐうと、蚊のくいあとに汗がしみた。
潮はとおく沖の方へひいて、あたりはすっかり干あがった砂浜になっている。ぼくは一瞬間だけ、あの憧れの無人島にきているんではないかと思ったんだ。いそいであたりを見廻すと、潮風にふきさらされて白くなった護岸や、見覚えのある緑の山なみがそのむこうにつづいていて、がっかりだったけれど……。
「あれえ?」 バンドの間にはさんでおいた果物ナイフがなくなっている。だれかが寝こんでいるぼくをゆっくり観察したのかも知れない。おお口をあけて寝入っている。それだから……ナイフをとっていったんだろう。 クワッと目もくらむばかりに輝いた砂浜だ。よし、きょういちにち、ロビンソン?クルーソーのように生活してみよう。そう思って、ぼくは浜へ歩いていった。もう、無人島にきているつもりになって……。
(シオマネキについて) 無数のシオマネキが、口から泡をだしてブツブツ呪文をとなえながら、はさみをあげたりさげたりして、潮をまねいていたよ。ぼくはその団地めがけて、タッタッと駈けていった。シオマネキはとっぴな出来事に右往左往して、自分の穴をさがすいとまもない。とまどって動けないでいるやつや、他所の穴にもぐろうとして、大きなはさみがつかえて入口のところでじたばたしているやつ。シオマネキをつかまえるのは簡単だ。つかんだやつをすっぽり掌でくるんで、それからしずかに開けるといつまでもとどまっている。とても清らかな小蟹だよ。背中はみどり、足はかっしょく。体と同じくらいに大きい片方のはさみは、みどりからだいだいに変り、さらにそのさきはまっかだ。もう一方の萎えたようなはさみは黄色い。家にもって帰りたくなった。けれど……この小蟹は……潮気のないところではすぐに死んでしまうんだ。
(イソフグについて)
|踝 《くるぶし》くらいまでの浅い潮だまりが、浜の方々にのこっている。そんな潮だまりにはイソフグが餌をあさっているんだ。バシッバシッバシッと水しぶきでズボンがぬれてしまうのもかまわずに、フグを追いかける。とても逃げおおせなくなったフグは、きゅうに身をひるがえして、足でにごした砂の中にかくれる。目敏くかくれるところを見つけないと、どこでかくれたのか見失ってしまうんだよ。
足でソッとにごった砂をふんでいくと、ヌメヌメしたいきものをふみつけることができる。それを手でつかめばいい。フグはタンタンと口を鳴らしながら、腹をふくらませる。腹をさかさにこすって、さらにもっと精いっぱいふくらまさせてやる。フグは毒だからたべられない。風船のようにふくらんだフグを潮だまりにはなしてやると、しばらく浮いて死んだふりしていて、ひとの足音がとおざかると、スッと空気をはいて逃げていくんだ。浜にいるとちっとも退屈しないよ。
(ガザミについて) 潮だまりに頭をだした石をひっくりかえしてみると、たいていガザミがかくれている。この蟹は満ち潮といっしょにりくだなから出てきて、餌をあさってはかえっていくのだが、ときには帰りおくれるのもいる。ひしがたの甲羅の両端にはとげがあり、はさみにもとげとげがある。はさまれると痛い。自分のはさみがもげてとれるのもかまわずに力いっぱいはさむんだから。
屋根をうばわれたガザミはおこって、はさみをひらいていどみかかる。片手でそのはさみをおびきよせながら、もう一方の手でうしろからすばやく甲羅をおさえてしまう。腹がへってならなかったので、甲羅をはいで白い肉を潮水で洗ってたべてみた。あまりいい気味ではなかった。
(ウニについて)
ウニは砂浜のはずれ、ずっと沖の方のゴツゴツした岩の間に、その針ではさまって住んでいる。いつか、おっかあといっしょにウニをとりにきたことがあった。投げてよこすウニを割って、中身を匙でこそぎとっては瓶につめたよ。ごはんにかけてたべると味濃うてうまかった。そう思ったらぼくはなつかしくなって、ひとつだけとったウニを海になげすてた。カモメがゆるやかに飛んでいるこんな、遠浅のはてまできていることが恐ろしくもあった。岩場であそんでいるうちに潮がとりまいて、そのままのこされて溺れてしまうこともある。潮が満ち潮になっているか、どうかを調べるには海面に浮いているものの動きを見ればいい。おっかあがそういっていた。浮いてるものがない場合には、唾をすればいい。唾の泡はノッタリノッタリ陸の方へ流されていた。これは一大事! ぼくはびっくりしてひきあげてきた。
「あっ」
新聞配達のことをいい心持ちで忘れていたんだ。「波照間のおじさんに叱られるがねっ」
黒いナマコが砂の上をのんびり進んでいる。いそぎ足でふみつけてやると、ブッとまっ白い糸をはきだした。「いいや、叱られたらやめるといってやろう。安心して家出もできないんだからなあ」 ぼくはもう、勇みたって、元気よく護岸によじのぼりながら自分にいっていた。「そして手間賃をもらったら、無人島にいく時につかういろんなものを買っとこう、ナイフや擬餌鉤《ぎじばり》や、ビタミン剤や……それから本を読んで、航海のしかたや、体に必要な栄養素のことや……。そんな、いろんなことを頭につめこんでおく必要があるだろう」
26
《一六五九年九月三十日。私、というのは、これを書いている哀れなロビンソン?クルーソーは、この島の沖で嵐にあって難破し、瀕死の状態でこの島に漂着した。私には食物も家も、着物も武器も、又避難する場所も、ここから救出される望みもなく、猛獣にくわれるか野蛮人に殺されるか、あるいは餓死するか、いずれにしても死よりほかにはないと考えて、その日、一日中嘆いて暮らした》 本を読んでいると、「すまんしが、またベッド貸らしちょんかんな?」
とおっかあがいった。「またんなあ、勉強しちょるもんならんよ!」 ぼくは顰《ひん》をかまえてから読みつづけた。《十月一日。朝になって、私は船が満ち潮にのって、前よりも近いところに運ばれてきているのを見て驚いた。もし、私たちが船を離れずにいたら、船を救うことができたかも知れないし、少なくとも誰も溺死せずにすんだかも知れないのだ。仲間を失ったことが前にもまして悲しくなったが、一方、私は船のことでは喜んでいた。船は解体もせず、転覆もしていないので、嵐がやんでからは毎日、船にかよって、運べるものをすべて陸に運んだ》「おばさん! 準備はまあだな?」
ミチコーが店の方で声をあげている。「はい、今すぐ!」 おっかあがそういいながら、ぼくの部屋を割りあけてはいってきた。「つねよし! 早くせえよ! 十五分ぐらいやろもん、ただいますぐやさ!」「はあもう! やめれえ、あん如《ごと》うる女《おなご》商売は!」「ふん!
商売やめてまた、今日《きゆう》は暮《く》らしたしが明日《あす》は如何《いかあ》にするかやの生活にもどゆんな? 四苦八苦し、銭《ぜに》も無《ね》えんだれや学校にん行からん……」「学校いかんで済むるもん、銭《ぜに》はいらんよ!」「ふん、云《い》ゆたんや、よう覚《おぼ》えておりよ!」 ぼくはベッドにながべったらと寝て、両手を組んで頭の下にしくと、天井をみつめながら、ぼくだけの空想にもどっていった。
(ロビンソン?クルーソーは好都合だったね、難破した船から生活に必要ないろんなものをとってくることができたんだから。ぼくは、そういうわけにいかないだろう。何もかも持っていかなければ……いや、何もかも持っていくことはできないさ。必要最低限のものしか持っていけないだろうさ)「おばさん、もうこのお茶の間で済ますさ」「え? お茶の間でな? あんすりゃテーブル片付《かたじ》きらな!」「うん、早《へえ》くど!」「はいはい、いますぐ!」
(必要最低限のものとしては何がいるだろう。まず、いちばんはじめに擬餌鉤と糸だ。航海中は、ずっと魚ばかりたべることになるだろう。食糧は持っていけないからね。魚の肉は蛋白質、骨はカルシウム、内臓にビタミンA。にばんめに水だ。水を入れる一斗罐。たぶん、それだけでは水は足りないだろう。雨をふらせてくださるように、神さまに頼むよりほかはない。魚の肉をしぼって水分をとることもできると読んだけれど……。さんばんめにビタミン剤。魚の肉にはビタミンBやCは、含まれていないそうだから。ビタミンBが不足すると脚気になる。昔の水夫は野菜をたべないで、よく脚気になって足腰がたたなくなったと、どれかの本に書いてあった)
茶の間の電燈がきえて、ミチコーがヘイヘイ、ユーと兵隊をよんでいる。
(よんばんめにナイフだ。料理にも使うし、護身用にもだよ。ごばんめにマッチ……というより火打石の方がいいだろう。マッチは水にしめって、使えなくなることもあるし……) ぼくは空想にふけりながらも、隣りの茶の間にきき耳をたてていた。バンドをはずす音がカチャカチャして……それからあけすけに笑いあっている声であった。そしてゆかいたがギチギチなり……荒い息づかいや……うめきや……ぼくはたまらなくなって……すぐに終えてしまった。チーコ姉のことを空想するひまもなかった。あふれでたものを毛布にふいた。「おばさん! 洗浄の湯は?」
「あ、仏壇のそばに置ちあんど!」 おっかあは台所にかくれて、声だけで命令している。
茶の間に電燈がついた。ぼくは、さっきのおっかあの言葉が気になって出ていった。新聞配達の手間賃を全部かりられてしまっているのだ。「おっかあ、本|買《こ》うゆるもん、我《わあ》が銭返《ぜにけえ》せえ」「えっ? 何の銭《ぜに》よ?」 敷ぶとんをあげながら、うすらとぼけている。「この前、新聞配達の手間賃十二ドル貸らしたえさに?」「あれや、返《けえ》さんたんな?」 どこまでうすとぼけるつもりか、むしろの上がぬれているのを見つけて、雑巾をとりに台所へ逃げていく。「まあだよ。知っちょるくせに!」 ぼくも癪にさわりながら、台所へ追いすがった。「よう!」「何の本|買《こ》うゆる場合かっさ! 本は学校の本し、たくさんやあらんな?」「何の本やってん、我《わあ》が勝手よ。返《けえ》せえ!」「おとうがよ、無駄使いするはずやろもん、童《わらべ》に銭《ぜに》は持たすな、とよ!」「無駄使いさんさ。返《けえ》せえ!」「あんすりゃ、あとから返《けえ》すさ、待っちょれえ!」「べろやあ、いますぐに返《けえ》せえ!」
ぼくは癪にさわったばっかりに、目から涙がわいた。「だあ、銭《ぜに》は足らんせえ、あとから返《けえ》すさ!」「べろやあ! すぐに返《けえ》せえ! 返《けえ》せえ! 返《けえ》せえっさ!」 ぼくは、うしろからおっかあのふくらはぎを蹴りとばした。「はあもう! ほれはい! 取れえ! 強情にはかなわんさ!」
おっかあは、前かけのポケットにおしこんであったミチコーからの金を、そっくり投げてよこした。ぼくは、その一ドル札をひろうと、ふたつに裂いた。それから、めちゃくちゃにひきちぎった。「あいなっ?!」
おっかあはそんな叫び声をあげて、こぼれてちらばった札をかき集めようとしていた。
27
それからのぼくは、もう毎日忙しく暮らしていたよ。琉米親善センターの図書室にいって、ヨットの本を読んだり……あ、ヨットが風上にも走れるのは、あれはジグザグに走るからなんだね。ぼくは不思議でならなかったんだ。風を帆に受けて風下に走るはずのヨットが、どうして風上にも走れるんだろうってね……。そして、百科事典で「やきもの」のことも調べたりしたよ。島でいつまでも、原始的な生活を送るのでは大変だろうから、せめて、やきものの器ぐらい作ってやろう、と思ったんだ。
──ねばり気のある土で器を作って、十日ほど陰干しする。すっかり乾燥したら八百度の熱で焼く(作品が火の中であかく焼けていたらそれでよい)、以上が素焼き。つぎに石英をくだいて骨灰とまぜあわせ、水でドロドロにといて作品にぬり、乾かしてからもう一度やきあげる。するとスベスベしたやきものができあがる──
ぼくが自分からすすんで、こんなにまじめに勉強したことは、かつてないことだったんだよ。
28
火打石もみつけてきた。コザ小学校の前の山で……。お墓のそばを通って、山のてっぺんにのぼると、そこに岩をけずりとって簡易水道のタンクがそなえつけてある。ぼくはいつだったか、けずった岩の割目にガラスのような石がつまっているのを見たことがあったんだ。
山の上にとびだした岩には、どの岩にも波がくいけずった切れ目が水平にのこっている。この島が大昔の地殻運動で隆起した島である証拠なんだろう。風雨にさらされてすっかりトゲトゲしくなった岩にのぼってたちあがってみると、ああっ、大昔海の底であったところに、今では家々がひしめいている!
一本の軍用道路にしがみついているコザの町全部が見下ろせる!
どの店にも大きな看板がたてられて、前をかざってうしろを隠しているけれど、ここからはまる見えじゃないか! さびたトタン屋根やすすくった瓦屋根の間に、ものほし台や便所や、煙突や水タンクがゴチャゴチャして、ぼくは恥かしい部分をみてるような気がして、チョオッと嘲りたくなっていた。
通りのあっちこっちには、夏季清掃週間のごみがつんである。だれかが山の上のぼくをわらっているような感じがして、周囲を見まわすと、さっきそばを通ったお墓の庭に男のひとがうつぶせに寝ているきりであった。
岩のくぼみには大昔の貝がらであろう、白いボロボロの貝がらがつまっている。
石英のような石でポケットをふくらませて山をおりると、お墓の庭にはアメリカ兵がたって、髪の毛から枯草をとっているハーニーのような女をみていた。
29
「つねよし、げんのう知らんな? おとうが使ゆんで尋《と》めたしが……」
ぼくは、石とりに持っていったげんのうをベッドの下からだした。「やっぱりや……おとうんかへ持っち行けえ。あれ、目があかあし居《お》せや、ごみろ入《い》ったんな?」「うん……細石《こまいし》がグリグリしならんさあ」「だあ、面持《つらも》っち来《く》うわよ」「………」「うち向けて、見しれえっさ!」「こん如《ごと》うしな?」 ぼくは横にころがりながら、おっかあの膝の上に頭をのせた。おっかあはしなびたお乳をつかみだして、白い汁をひきしぼっては二滴三滴ぼくの目にたらしこんだ。「パチパチせえ、すぐ取りゆさ」
かわった匂いがするおっかあの膝から離れて、天井を見ながら目をパチパチしていると、目尻から乳が涙のように流れた。「なおたらや?」「うん、なおたん!」 おとうは何枚も板をきっている。ポチがゆかしたに罐詰がらや古下駄、その他なんやかやくわえこんで散らかすから、かこいをうちつけようというのだ。「かこゆるもん、ポチよびいださんな」「ポチ! ポチ! いでて来《く》うわっさ!」
この犬は、自動車につきとばされてからは臆病になって、ゆかしたの奥深くもぐって用がない限り出てこない。ぼくはごはんに煮干しのはいった味噌汁をかけてもっていった。「ポチ! 煮干しの入《い》っちょるものど!」
ムクムクした毛はどろまみれで、くさくてかなわない。おとうは、そのすきにかこいをうちつけようとしたけれど、ゆかしたにはまだ塵がちらかったままだ。「つねよし、レーキでちりかきいださんな?」「レーキはとどかんもんな?」「這いこんで行っち、かきいだせえ!」
「べろやあ! 糞器《はご》やろもん!」「バカ、糞器《はご》やこと掃除する場所やあらんな? 早《へえ》く入れえ!」「………」 ぼくはおとうがうらめしくなって、あかくなった目でにらんでいた。「早くいれえ、口ばかりとがらち、聞《ち》からんな!」 ゆかしたは、洗浄のときにこぼした水でジメジメしてもいるんだ。「親《うや》のいゆし聞《ち》からんな!」 ぼくは、もうはっきりと決心してうしろ手に柱をつかまえてからいった。
「聞《ち》からんよ」「この、横着もんや!」 おとうは、サッとたちあがると、持っていたげんのうでぼくの頭にうちかかった。ぼくは目をつぶった。つぶった目からは火花がとんでもう即死だ、と思ったけれど……げんのうは髪の毛にふれただけでくいとめられていた。これが間一髪というのだろう。
「親のいゆし聞《ち》からんだれや、誰がいゆし聞《ち》かれゆがっさ!」 おとうはぼくを殴っては、愛《かな》さぬならん殴ゆる場合るやんど、といったりするけれど、それは嘘だ。憎くて、腹がたってなぐるんだ。
「ちかごろ、反抗ばっかりし……」 ぼくは柱を離れながら、声もなくないていた。(げんのうでうちかかるなんて! まかりまちがえれば即死じゃないか。もう、こんな家にいてやるもんか!
なんだい、ひとをいつも厄介者あつかいにして……そうだ、ぼくは知ってるぞ、おとうだっても兵隊みたいに、あれがやりたくて、やりたくてのしかかったら余計なものが出てきたというんだろう? 厄介な……お荷物のぼくがさ……ちぇっ!)
30
ぼくは鉄砲が欲しくなっていた。航海中にサメにおそわれたら、パンパンと鉄砲でうち殺してやろう。ぼくに意地悪くするやつは、誰でもパンパンとうち殺してやるんだ。うち殺してやりたいと思っているうちに、鉄砲が欲しくなったんだ。
そうだ、いつのことだったろうか。滑走路のむこうはしの青小森で山羊の草刈りをしていると、お墓の石垣の中に草をかぶせた木箱をみつけたんだ。なんだろう、かんづめでもはいっているのかな、と思って開けてみたら、それは油紙につつまれた十挺ばかりの鉄砲だったんだ。ぼくはおそろしいものを見たような気がして、元どおりに草をかぶせて逃げたのだったが、あの箱はまだ、かくされてのこっているだろうか。いってみよう。
31
まなつの、真夏の太陽が、なんにもさえぎるもののない空から、まっすぐに滑走路のうえを照らしていたよ。 なんにもない、わらくずひとつ落ちていない、ひともいない、ただひろいだけのアスファルトの滑走路は、グラグラとした熱気がゆらめいて、ずっと、ずうっと向う、はしっこの青小森が蜃気楼のようにゆれていた。
滑走路のわきにひろがった畑にも、おじいの畑があったあたりにも、誰もいなかった。いま午後のいちばん暑い時刻なんだ。農夫たちは昼めしをたべに帰って、それから陽がなえるまで休んでいるんだろう。ただの鳩が畑のうえをよそみしながら飛んでいったよ。
ぼくは目をほそめ、カンカンに火照ったアスファルトに足をむらされながら、ゆっくり歩いていった。 そうだ、陽炎にもえて目もくらむばかりに熱いこの滑走路のしたには、おじいの畑があるんだった。 そうだそうだ、サイパンから引揚げてくる船のなかでぼくたちは、「おじいの家についたら、きなこのプクプクふきでちょる芋を噛《か》ん割《わ》い、かんわい喰《く》おうな。掌程の肉《しし》をシイシイ喰おうな」
と、云いいいしながら帰ってきたんだよ。ところが帰ってみると、おじいはテント小屋に住み、畑は滑走路の下敷きになっていて、呆っ気さめ、呆っ気さめ!
というわけだった。 そうだ、おじいのはなしではね、この滑走路は本土進撃に備えて、一週間のうちにつくられたということだったよ。けれどもここから爆撃機がとびたつまでもなく、日本は原爆で降伏して、その後この滑走路は海からふきつける潮風で飛行機をさびつかせることが判ったので、使われないままに放っておかれている。ひところこの滑走路には、ふきんから集められた武器弾薬がやまづみされ、テントをかぶせられ、それがいくつもいくつも禾堆《にお》のように点在していたことがあったんだ。 おじいもアメリカ軍に雇われて、弾薬ひろいの仕事にいき、手間賃にかんづめやタバコをもらってきたといってた。そしてその仕事がなくなってからは、滑走路にそってたがやせるだけの空地をヨイヨイたがやして、砂利をのぞき石をおこして芋をうえてみたけれど、そこからは朝鮮にんじんのようなひげだらけの芋しかとれなかったんだよ。いまその畑に目をやると、小学校のうらにわの実習地のように、こまぎれの笑止千万な畑なんだ。
そういうわけで、畑はおっかあがつくり、おじいとおとうは軍作業にでて、ぼくも山羊を束《つか》なって学校から帰るとまいにち草刈りだったんだ。 あの鉄砲はそのころ、だれかが武器弾薬の山から盗みだしてかくしたものにちがいない。その後弾薬の山はもちさられて、海のふかみに沈められたということだった。 岬の青小森にたどりついて、お墓のなかをさぐってみたけれど、もうなにものこってはいなかった。のこっているはずがないんだ。それをみたのは、ずっとまえのことだったんだから……もうなんねんもまえの……。
浜へでてみると千鳥がチューイと鳴いてはとまり、チューイと鳴いてはとまりしていた。 どこにむかって小便してもかまわないくらいに人里はなれたところだ。 そうだ、そのころ、この浜いったいも屍にむらがる蝿のように、むらがりついた上陸用舟艇であかさびた鉄のいろだったよ。それも日本のサルベージ業者があっという間にかたづけてしまったのだけれど……。
目のたかさにひろがっている海は、なないろに輝いている。湾のいりぐちにあるホワイトビーチ軍港の空母がまぼろしのように浮かんでいる。湾内をひとが乗っているとも思われないヨットがしずかに流れている。 ぼくは護岸のコンクリートのうえに坐って、海をわたってきた風にやわらかくうたれながら、どこへいこうか、どこへもいくところがない、家にもかえれないと思ってぼんやりしていた。
32
もう暑さにやられ、人里がおもわれて、ぼくは漁師部落までかえってきたんだよ。部落といっても、ここにはたった八戸ばかりの家があるきりなんだ。のきの低い家がメリケン松や仏桑華やバナナなどにかこまれてうずくまっている。道のうえにも濃い木蔭がおちていて、ぼくはよろけながらそこにたどりついたよ。木蔭にはいると、スッとするような涼しさが体をつつんで、頭のうえでは潮風にふかれる松の枝が鳴っていた。
のどがかわいて、のどがかわいて、どこかで水を飲もうと木蔭をえらびえらび渡っていくと、サバニ舟を作っている家の方からは、木をけずる音がしたよ。生垣のすいたところから中を見ると、屋根だけの小屋のしたで小さなおじさんがかんなをかけていた。そばの台には竜骨とあばら骨だけの舟がねかしてあった。
家のうらには雨水をためたコンクリート製のタンクがそなえつけられている。ぼくはそこからどんどん入っていって水をのんだ。タンクの水はぬるま湯のようになっていた。けれど口にはとっても甘くて、ぼくはすきっぱらにいっぱいのんでやった。 そして、舟のつくりかたには興味があるので、庭へまわっていったんだ。「何《ぬ》やが!」
おじさんはびっくりした目でぼくをみすえた。まつ毛のないあかい目は、病んででもいるのだろうか。漁師は海にもぐるからよく目やみするそうだ。「何の用がっさ!」「ううん、別に……ただ」「用も無えんだりゃ、他所《よそ》の門にへえるな!」 いっかつされた。ぼくは石をなげつけられた犬のように、しっぽをまいて庭をでた。
砂のうえにひっくりかえされて、防腐剤をぬられたサバニ舟を足でけってみた。こんな舟でとおい海をのりきることができるだろうか。そう思って足でけってみたけれど、サバニ舟は動かない。それでもういちど、強くけってみた。ひきあげられた舟は、意外に重くて動かない。動かなくてもぼくは、こんな舟!
といってけりころばそうとしていた。防腐剤の臭いが鼻にツンツンする。 モーターボートが白い波の線をひきずりながら湾内をまわっている。その向うには、外海からかえってきたのだろうか、ひとがのっているとも思われないヨットが流されてきている。そうだ、漁師部落のさきにはアメリカ軍人軍属がつかっているヨットハーバーがあるんだった。
33
やわらいだ日に黄色く照らされた一本の桟橋が海へつきでて、その先には浅瀬をさらってつくったみどりの水路が、赤いブイにまもられてのびていたよ。桟橋の両側にはみがきたてられたヨットやハイカラなモーターボートが、十四、五艘もきょうだいのようにならんでいた。ぼくはメリケン松の葉が散りしかれた涼しい護岸に坐って、ためいきをつきながらヨットらをながめたんだ。 桟橋のいりぐちには監視小屋がある。鉄砲をもった警備員がたっている。それこそいっかつされるだけではすまされないだろう。それだからぼくは、気にもとめなかったのだが……。
海藻をうかせて泡だった満ち潮が、足のしたまでよせてきていた。満ち潮はピチャピチャとヨットらの底をなめて小気味よくゆすってもいたよ。 釣竿をもった小学生ぐらいのこどもたちが桟橋のうえを走っている。あの突端でつるのだろうか。するとあそこは入れたんだ。「あれ、しげちゃん……おーい、待てえっさ」 六年生までいっしょだったさちこの弟のしげるが大将になって、みんなをひきつれているではないか。
警備員のおじさんは、鉄砲を戸口にたてかけて弁当をつつんできたような新聞をよんでいた。
「あ、つねよしにイにイ!」 いもをたべたべ歩いているしげるたちにはすぐ追いついた。「わけれえ!」「ちびの端《はた》し済むんな?」
「うん!」 ………………。 いり陽のなかにうきでたヨットらを間ぢかにみているぼくは、興奮していたといっていい。そして、なんどもなんども、よおーしよおーしとつぶやいていたんだ。
満ち潮が頂点にたっしたのか、湾の内の海が一枚のかがみのようにしずまってきた。大きなだいだい色のかがみだ。ピチャピチャする満ち潮の音もいつしかきえている。風もそよがなくなっている。すべてのものがひっそりと、何かをまっているような夕暮れの一瞬だ。 だいだいに染まっていたヨットらや海や、その向うの半島の山はだが火のような色にかわってきて、それがだんだん、あかくあかく、さらにあかく燃えてきたよ。なんの予兆だろう!
ぼくたちはおびえたように、あかい顔をみあわせた。もうだれも浮標などに目をくれない。息をつめてあたりの気配をうかがっていると、地球最後の日がきたような……不思議な……なんとはなしに天にむかって泣きたくなるような、そんな感じがした!
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「惚れてん惚れてん、チーコが合点《がつてん》さんもん、ワジワジしる投げたえさに?!」「いかにワジワジしても、まさかバーんかへ手投げ弾な?! 面《ちら》んかへ大火傷やれえ、チーコもやあ、ほんに哀《あわ》れすさやあ!」
「あーあ、台風が近さこと風がやな暑《あち》さぬ、気いがクサクサしならん、洗濯すませや久しぶりに映画にでも行かなや、兵隊《ひいたい》も出《いで》てこんはずやろもん!」「また、風が暴れゆんとな?」「うん、昼方《ひるがた》のラジオが云ゆたし、おばさん聞《ち》かんたん?」 おっかあとミチコーがはなしこみながら洗濯しているうしろを、ぼくはすりぬけていった。ミチコーがぼくに気づいて、ひじでおっかあに知らせた。
「あいな! さってもさってもつねよし!」 ぼくはものもいわないで台所にはいると、サンダルをぬぎすてて部屋にあがった。雑巾がけしてある中廊下のゆかいたに、白い足あとがついた。おっかあはせっけんのあわがついたままの手で、追ってきた。「学校で勉強しおるもんとばっかりに思うておれや、今ごろノコノコ帰《けえ》て来《き》ちよ……ゆうべはけいぞうの家に泊《とま》ったんな?」
ぼくはこの前みたいに浜のサバニ舟に寝て、桟橋の方へ二度もようすを見にいったりしたんだ。だからおどろかしてやろうと思って、ありのままにいってやった。「浜に!」「浜?! 迷わさってろおろうさに!」 おっかあはほんとうにおどろいて、心配してくれている。
「浜にゃ、迷わせもんが居《お》し判らんな? こぞの夏も小渡《おど》さんの童《わらべ》が海に添うていかって、溺《うぶ》らさったし判らんたんな?」
不慮の事故で溺れ死んだものが、くやしさのあまりに悪い亡霊になって浜をさまよい歩き、だれかを迷わせて海にひきずりこむという迷信がこの島にはあるんだよ。そうしなければ浮かばれないというんだ。だからでもないだろうけど、浜には時々死人がでる。ぼくもすでに迷わされてるかも知れない。「ああ、恐《おと》ろさぬ胆《きも》もホトホトすさ! ゆうべの夜烏《よがらし》やその知らしろやったえさや。おかあは外《ほか》んかへ飛《と》ん出《いじ》て、他所《よそ》の上どよその上ど! と声浴びせたしが……早く食物《もの》嚼めえ、蝿帳におかずが取って置《う》ちあさ。してから学校んかへ行《い》きよ、今からでん遅《おそ》くは無《ね》えんはずやろもん!」
はやく食物《もの》かめえ、というのはおっかあの労《いたわ》りだし、これからでも学校にいきよ、というのはおっかあの諌《いさ》めであったろう。けれどもぼくは固く決心していたから、もう心をうごかされなかった。ぼくはただ、航海に必要な道具をとりにきただけのことだ。おっかあはもっと何かをいいたげに、ぼくの顔をみていたが、「やあほんに! 哀れなもんや!」 そうつぶやいていってしまった。
ぼくはいそいで抽出しをあけた。釣ばりや糸や、ナイフやビタミン剤、カボチャやトウモロコシの種の包みをポケットにつめた。ポケットはふくらんだ。水筒を手にとってぼくは困ってしまった。ポケットには入らない。水筒のふたには磁石の針がついて、これは羅針盤がわりなので、どうしても持っていかなければならないんだ。ぼくはかばんの教科書をとりだすと、水筒も、それからポケットのものもぜんぶつめかえた。海図につかう社会科地図帳もいれた。それから、箪笥から帆布にするシーツカバーをだした。毛布に着物、ベッドのしたから手斧、井戸の水くみに使い古したロープ、ぜんぶ必要なものばかりだ。ぼくは台所へいってメリケン粉をとってきた。茶の間のちゃぶ台にはごはんとおかずが置いてあって、おっかあは洗濯ものをほしに裏庭にいってるようすだ。「ヨーコ! 風呂かへ行かんな!」 裏庭でミチコーがよんでいる。「うん、いますぐ!」