饭饭TXT > 海外名作 > 《地球から来た男/最后的地球人(日文版)》作者:[日]星新一【完结】 > 地球から来た男.txt

文章简介

作者:日-星新一 当前章节:15362 字 更新时间:2026-6-16 01:47

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 角川書店

 地球から来た男

[#地から2字上げ]星 新一

目 次

 地球から来た男

 夜の迷路

 改 善

 もてなし

 ある種の刺激

 あと五十日

 包 み

 密 会

 住む人

 はやる店

 ゲーム

 戦 士

 来客たち

 疑 問

 向 上

 ある日を境に

 能 力

  地球から来た男

 気がつくと、おれは野原に横たわっていた。|砂《さ》|漠《ばく》でなく草が

はえているだけ、まだましかもしれないと思った。いや、こうして呼吸していられ

ることに、第一に感謝すべきだろう。

 からだを起こし、あたりを見まわす。小さな丘が並んで、まわりを取りかこんで

いる。おれのいるのは、くぼ地というべき場所だった。どこにも人影はない。当り

前のことだ。丘の上にあがり、むこうを眺めようかとも思ったが、その気にはなら

なかった。どうせ、ろくなものはないにきまっている。怪獣のたぐいに対面して悲

鳴をあげるのは、少しでもおそいほうがいいというものだ。なにしろ、ここは他の

惑星なのだから。

 おれはまた寝そべり、空を見あげた。明るい薄曇りの空。かりに曇っていなくて

夜だったとしても、おれには星座の知識など、まるでない。地球がどっちの方角な

のか、見当のつけようがない。どっちをむいて望郷の念をいだけばいいのか、それ

すらわからないというわけだ。いたたまれない気分。さびしい。なんという残酷な

ことだ。おれをこんな目にあわせやがって。郷愁を持てあましながら、ここでいつ

までもすごさなければならないとは。

 いっそのこと、おれの過去の記憶をみんな消し、その上でこうしてくれたほうが

、まだ人間的なあつかいといえる。まったく、ひどい話だ。おれはなにもかも思い

出せるのだ。

 おれは小さな調査会社につとめていた。商品についての消費者の感想とか、新製

品の購買層とか、地区別の好みの差異とか、経営状態とか、さまざまな依頼を引き

受け、調査するのが仕事だった。

 ある日、上役に呼ばれた。

「出張してくれないか」

「いいですよ」

 おれが承知すると、上役はある大企業の名をささやいてから言った。

「つぎつぎと新製品を出している会社だよ。そこの研究所でどんなものを開発中な

のか、調べてくれ。競争相手の会社からの依頼なのだ」

「ははあ、産業スパイをやれと……」

「早くいえば、そういうことだ。成功したら謝礼をはずむという。たのむよ」

「まあ、なんとかやってみましょう」

 おれはその研究所の所在地に出かけた。ホテルに腰をおちつけ、あちこち聞きま

わったが、さすがに機密保持の管理がゆきとどいていて、情報はさっぱり入手でき

ない。こうなったら、潜入して調べる以外にない。おれは町で知りあった所員のひ

とりに酒をすすめ、酔いつぶし、身分証明証とバッジとを手に入れ……。

 うまいぐあいに研究所の門を入れたというものの、内部の警戒もこれまた厳重。

たちまちパトロールの守衛にとっつかまってしまった。建物の一室に連行された。

保安部門の責任者らしいのが、おれに言った。

「おまえ、産業スパイだな」

「まあ、そんなところで。ちがうと弁解しても、聞いてはくれないでしょう」

「犯行をみとめたな。重罪だ。処罰する」

「処罰ですって。ぶんなぐるかどうかするんですか。暴力はいけませんよ。そもそ

も、そんなことをする権限はないはずだ。警察へ突き出すというのなら、話はわか

ります。しかし、まだなんの情報も盗んでいない。微罪釈放になるにきまっている

「甘く考えるな。企業には自己の機密を防衛する権利があるんだ」

「いったい、わたしをどうしようと……」

「追放の刑に処す」

「なあんだ、大げさな表現ですが、つまりは追いかえすということですね」

「ほっとするな。追いかえしても、またやってくるだろう。それでは困るのだ。二

度と来られないようにする。文句を言いに戻れないところへ追放するのだ」

「そんなところがありますか」

「あるとも、地球外へ追放する」

「まさか……」

 笑いかけるおれに、相手は言った。

「かなり前に、この研究所でテレポーテーション装置を開発した。画期的な発明に

はちがいないが、重大な欠点があった。この地球上で使えればいいのだが、どう改

良しても、近距離ではうまくいかないのだ。ほかの星に送る役にしか立たない。そ

のため、この研究は中止になった。しかし、こういう時の役に立つ」

「なんです、そのテレポとかいうのは」

「物質を電波に変え、到着地で再構成させることだ。あっというまに、ものを遠く

に移してしまう。まあ、そんな原理の説明は、この際どうでもいい。つまり、それ

を使っておまえをほかの星に追放してしまうというわけだ。どんなところか知らな

いが、そこがいい星であるよう祈ってやるよ」

 事態が少しのみこめ、おれは青くなった。

「そんな無茶な。ひどすぎる。わたしには妻子もある。別れの言葉もかわさせない

なんて」

「同情はするよ。しかし、それを許してみろ。たちまち警察ざたになるし、ここの

企業の秘密も守れない。あきらめてくれ」

「いやだ、助けてくれ……」

「じたばたしてもむだだ。テレポーテーション装置にかける前に、まず注射をする

。うまく電波に変りやすくするためにな」

「やめてくれ……」

 必死にあばれたが、おれは押さえつけられ、注射をされた。恐怖と不安のなかで

、しだいに気が遠くなってゆく。まさか、こんな目にあわされるとは。おれは電気

的なショックを感じた……。

 そして、われにかえったら、この野原に横たわっていたというわけなのだ。

 そんなことを、おれはくりかえし回想しつづけた。といって、いつまでも寝そべ

ったままでもいられない。腹もすいてきたし、のどもかわいてきた。なんとかここ

で生きてゆく手段を見つけなければならない。いずれ死ぬにせよ、この未知の惑星

をこの目で見きわめておきたい。

 立ちあがり、歩き、丘をのぼる。どうせ、ろくな光景は展開していないにきまっ

ている。しかし、丘の上にたどりつくと、その思いはいい方に裏切られた。地球と

大差ない眺めだったのだ。畑があり、そのあいだには道もあった。

 ということは、ここにも住民がいるとの証明になる。どんなやつらだろう。善良

であればいいが。しばらくたたずんでいると、人影が見えた。道を歩いてくる。お

れは思わず丘をかけおり、そいつに近づいた。地球人的な服をつけた男だった。し

かし、そこで気がつく。どう話しかけたものかと。言葉の通じるわけがない。

 相手はおれの顔をふしぎそうに見ていたが、やがて口を開いた。

「道に迷ったのですか」

「あ、言葉が通じる……」

「妙なことをおっしゃる」

「もしかしたら、あなたもテレポ装置で送られてきた……」

「なんのことやら、わかりませんな」

 しかし、いずれにせよ、ありがたかった。ここの住民はテレパシー能力を持って

いて、おれの内心を読み、その言語で話しかけてきたのだろうか。相手は言った。

「どこからいらっしゃったのですか」

「驚かないで下さい。決して、驚いたり笑ったりしないで下さいよ。信じられない

かもしれませんが、これは重大なことなのです。わたしは遠くから来たのです。と

てつもなく遠くから。どこからだと思いますか。わからないでしょうね。言いまし

ょう。地球という星からですよ」

 相手はいくらか緊張しかけたが、おれが結論を言うと、もとの表情に戻った。

「あ、そうですか」

「あっけない返事ですね。少しは驚いてくれるかと思っていたのに。宇宙人という

、奇異な目で見られなくてすみ、ありがたいと感じるべきなのだろうか。それにし

ても、わたしはいま、どこにいるのだろう。いったい、ここはなんという星です。

答えてもらっても、どうしようもないことかもしれないが、ぜひ知りたい。ここは

なんという星です」

「地球ですよ」

「地球……」

 おれはその言葉を、口のなかで何回かつぶやいてみた。どういうことなのだ、こ

れは。そして、つまらない質問をしたものだと気がついた。地球とは“自分たちの

住むこの星”という意味ではないか。ほかに表現のしようがない。相手は言った。

「お疲れのようですね。駅まで連れていってあげましょう」

「ありがとう。案内して下さい」

 進むにつれ、人家が見えてきた。そのへんに書いてある文字も読める。ここは地

球と同じといっていい程度の文明を持つ星のようだ。駅のそばに来た時、おれは聞

いてみた。

「あのレストランで食事をしたいのだが」

「なにかお困りのことでも……」

「こんな紙幣しかないんだが……」

 おれがポケットから出した紙入れをのぞいて、相手はうなずいた。

「それだけあれば大丈夫ですよ」

「それは助かった……」

 宇宙には無数の星がある。そのなかには、地球とそっくりの星もある。そんな話

を、おれは何度も聞かされたし、本で読みもしたものだった。どうやら、そこへ来

てしまったらしい。まさに幸運というべきだろう。

 食事はおれの口に合った。また値段もほどほどだった。レストランを出て、おれ

は駅に入る。壁にはってある地図をながめる。なんと、それは見なれたものだった

。おれは驚くと同時に、それでいいのだという気にもなった。ここは地球そっくり

の星なのだ。

 おれは自分の住んでいた都市と同じ名の駅をみつけ、そこまでの切符を買い、乗

車した。窓のそとを流れる|景《け》|色《しき》は、これまた親しい感じのもの

だった。

 これでいいのだと思うものの、一方、異様な気分も押さえきれなかった。なにし

ろ、こんなにまで地球そっくりの星。街を歩いていて、自分そのものに出あったよ

うなものだ。心のなかが、むずむずする。

 都市に着く。おれの住んでいた地球のそれと、まったく同じ。地球にいるのだと

いう錯覚におちいりさえする。大ぜいの人びと。しかし、そのなかに、おれの知り

合いはひとりもいないのだ。そう考えると、浮きあがったとでも形容すべきか、仲

間はずれの悲しい気持ちになる。

 しらずしらずのうちに、足は自分の家の方角に進んでいる。そこでは、自分そっ

くりの人物が、妻子とともに暮しているはずだ。訪れたら、そいつはさぞ驚くこと

だろう。悪いような気もするが、会って見たいという好奇心は押さえられない。夕

ぐれの時刻になっていた。

 そこは、ある団地の二階。おれはドアの前に立ち、ブザーを押す。なかで女の声

がした。

「どなた……」

「ご主人はおいででしょうか」

「いま出張中ですが……」

 あ、そうかと、おれは思った。ここは鏡のむこうの世界のように、地球そっくり

の星なのだ。すると、この家の主人は、おれと同じように出張にでかけ、そこでへ

まをしてとっつかまり……。

「お気の毒なことですが……」

「え、主人の身になにか……」

 ドアが開き、緊張した顔の女があらわれたが、すぐに笑い声となった。

「……なんだ、あなただったのね。おかえりなさい。たちの悪いいたずらは、なさ

らないでよ。びっくりしたわ」

「それが、その……」

 おれは同情した。この女、自分の亭主がこの星から追放されたことを、知らずに

いる。そして、地球から追放されてきたおれを、自分の夫と思いこんでいるのだ。

「そんなとこに立ったままでいないで、なかへお入りなさいよ」

「ああ……」

 おれはそうした。事実を話して相手を悲しませるのも悪い。それに、信じてくれ

るかどうかも、うたがわしい。また、この星で生活してゆくのに、ここの亭主にな

りすますのが最も容易な方法なのだ。

 夕食となる。三歳になるむすこ。おれを父親と思いこんでいる。テレビ。そのへ

んにある雑誌。それらを見ているうちに、おれは地球に残してきた妻子のことを思

い出した。いまごろ、どうしているだろう。

「どうなさったの、涙ぐんだりして」

「いや、その、なんでもないよ」

「きっと出張で疲れたのよ。きょうは早くおやすみになったら」

「そうしよう」

 しかし、その夜、おれはなかなか眠れなかった。他の星での第一夜だ。すぐ安ら

かに眠れるわけがない。

 朝になる。

「あなた、起きなさいよ。会社におくれるわよ」

「そうだな……」

 はるか遠い星へ着いてそうそう、つぎの日から働くことになるとはな。しかし、

それをする以外に、おれの生きてゆける道は思い浮かばなかった。ここは地球と同

じすぎる。いくらかでもちがっていてくれれば、おれは地球についてくわしく話し

、宇宙からの来訪者としての特別な待遇を受けられるのだろうが。

 会社がどこにあるのか、おれはよく知っている。そして、上役や同僚がどんなや

つかも。上役がおれを見て言った。

「どうだった、成果は……」

「だめでした。とてもむりです。警戒厳重、たちまちとっつかまり、ひどい目に…

…」

 それは遠い星、地球でのできごとだ。しかし、ひどい目にあったことは事実。そ

う答える以外になかった。

「ごくろうだった。まあ、いいさ。気にするな。いずれかわりの者を派遣しよう」

「それはやめたほうが……」

 おれのような目にあうかもしれない。

「なぜだね」

「それは……」

 おれは答えに困った。地球にいるような気分で、第二の犠牲者が出ることを心配

してしまったのだ。この星でなら、そうはならないですむかもしれない。

「気にするなよ」

 と上役はくりかえした。おれは仕事に戻る。すべて手なれた仕事だった。地球で

のそれと、なにかちがった点があるかと気をつけて調べたが、まったくなかった。

変化のない毎日がはじまり、つづいてゆく。

 しかし、それはあくまで外見だけのこと。内心は孤独だった。だれもがおれを普

通にあつかってくれる。しかし、だれひとり、おれが地球から来た者だと気づかな

いでいる。すまない気分。だから、親しくされればされるほど、気が重い。理解さ

れない悲しさ。

 同僚が言った。

「いつかの出張以来、なんだか沈んでいるようだぜ」

「ああ……」

「どこか悪いんじゃないのか。医者にみてもらえよ」

 おれはそれに従った。

「どうなさいました」

 医者に聞かれ、おれは言った。

「わたしは孤独なのです」

「だれでもそう感じていますよ。もっと具体的に、くわしくお話し下さい」

「じつは……」

 おれは、ありのままを話した。医者はもっともらしい表情でうなずいてくれた。

しかし、内心では信じていないことが、おれにはよくわかった。医者は言う。

「なるほど、なるほど。で、この星に来られてから、生活上なにか不便なことでも

……」

「べつに。しかし、わたしの言いたいのは、そんな点じゃないんですよ。故郷の地

球が恋しくてならないのです。理屈じゃないんです。わかって下さいよ」

「わかりますよ。しかし、こう考えたらどうでしょう。ここが、すなわち、あなた

の故郷の地球だと。テレポなんとかのことは夢だったと。努力すれば、できるはず

です」

「先生、それは無理ですよ。ちがう惑星へ送られ、そこを故郷と思えだなんて」

「困りましたな。いま、あなたは、ちがう惑星とおっしゃった。どこがどうちがう

のか、その指摘をして下さい。そうなれば、もっとご相談に乗ってあげます」

「はあ……」

 おれは引きあげた。ちがいが発見できるかもしれないと思いながら。しかし、そ

れは、そう簡単ではなかった。この星は、なにからなにまで、地球そっくりなのだ

。にくらしいほど、巧妙にできている。いらいらし、腹が立ちさえする。おれの手

におえないのだ。医者へ行って話す材料もない。

 おれは思いつき、旅に出た。あの大企業の研究所のある場所へだ。それは、そこ

にあった。おれは面会を求め、保安部門の責任者に言った。

「先日はお手数をおかけしました」

「さあ、なんのことやら、よくわかりませんな」

「この建物のなかに、テレポーテーション装置とかがあるはずだ」

「聞いたこともない名ですな」

「企業の秘密なんだろうが、あるはずだ。それでおれを、もとの地球という星へ送

りかえしてくれ」

「ここは地球ですよ」

「おれの故郷の地球へだ。たのみます。なんとかお願いします」

「できることなら、ご希望をかなえてあげたい。しかし、あなたはその、テレポ装

置とかを、ごらんになったのですか」

「いや……」

「お気の毒ですが……」

 とりつくしまがなかった。帰る方法はないのだ。といって、この異境に順応もで

きない。おれは心を持てあましている。

 あれから何年ぐらいたったろう。おれはまだ、地球に帰れずにいる。故郷の妻子

はどうしているだろう。そう思うたびに、どこからともなく声が聞こえてくる。

「住みごこちはどうだい」

 見まわすが、だれもいない。幻聴というのかもしれない。ここの住みごこち、必

ずしも悪くない。しかし、地球はおれの故郷の星なのだ。

 こんなおれにも、少しだけ心の休まる時がある。仲間ができたのだ。いつだった

か、どこかのバーで知りあったやつだ。地球で税務署員だったそうだ。あの大企業

の研究所へ調べに行った時、おれと同様にとっつかまり、むりやりここへ追放され

てしまったという。彼はここでも同じ職についている。

 おれたちは〈地球人の会〉というのをこしらえ、時どき会っている。そのうち、

この仲間もふえるのではないだろうか。

 会といっても、いっしょに酒を飲むだけのことだ。そして、遠くにある故郷、地

球のことの思い出を話しあう。そんな夜は、おれたちの心のなかで、なつかしさが

とめどなく波をうちつづける。

  夜の迷路

 その青年はひとりで暮していた。小さな会社につとめていたが、同僚たちとの仲

はあまり親しいものではなかった。仕事においてとくに優秀というわけでなく、重

要視されていなかったのだ。早くいえば、みなに軽くあしらわれていた。彼はそん

な状態を、なんとか改善しようともしなかった。そんな積極性のないことを、自分

でもよく承知していたのだ。

 また、会社外においても、友人らしい友人はほとんどいなかった。社交的な性格

でなかったのだ。なにか趣味といえるものを持っていれば、それを通じて話しあえ

る仲間ができたかもしれない。しかし、彼は趣味を持たなかった。音楽に関心がな

く、勝負事はへただった。スポーツをやろうかと考え、少しはやってみたこともあ

ったが、すぐ息切れがし、激しい運動が無理なことを知ってやめた。

 青年は小さな部屋を借りて住んでいた。そこの管理人とは時たま口をきくが、単

なるあいさつ、事務的な話、それ以上に発展することはなかった。

 青年の毎日は孤独だった。むだづかいをしないので、金に困ることはなかった。

それを持ってバーへ出かけてみたこともあった。

「あら、すてきなかたねえ」

 そんな言葉に接することはできた。しかし、それは金銭で買った言葉だった。口

先だけのサービス。そのことは青年にもよくわかった。自分はハンサムでも、男性

的でもない。ユーモアにあふれているわけでもない。女性にもてないのも当然だ。

まじめではあったが、ぱっとしないきまじめさというものは、魅力的とはいいがた

い。

 だから、彼の唯一のなぐさめはテレビだった。帰宅すると、それにながめいる。

画面にあらわれるさまざまな人と、彼は親しくなった。しかし、彼のほうがそう思

い込んでいるだけで、むこうが彼をそう思っているわけではなかった。

 その青年は暖かい声をかけられたことがなかった。どんなにそれを望んだかしれ

ない。しかし、実際にそうなったことはなかった。長いあいだ、ずっと孤独だった

 ある夜。青年は眠りにつこうとした。眠ったところで、にぎやかな夢を見られる

わけでもない。だから、眠りもそう楽しいものではなかった。ひとりぽっちの夜。

 その時、彼は声を聞いた。

 くすくすと低く笑う声。若い女の声らしかった。楽しげな感じにあふれている。

彼は目をあけ、身をおこして、あたりを見まわした。もちろん、人の姿はなかった

「気のせいだったようだ……」

 青年はふたたびベッドに横たわり、目を閉じた。すると、またもくすくす笑いが

聞えてきた。いやな感じはまったくない。

「どういうことなのだろう」

 つぶやいてみたが、答えはえられなかった。彼は酒を飲み、酔いとともに眠りに

入った。

 つぎの日は一日中、なんとなく楽しかった。昨夜のくすくす笑いを思い出すと、

心のなかがなにか明るくなる。彼にとって、それほど印象的なものだったのだ。も

う一回あれを聞くことができるだろうか。

 その夜、眠ろうとすると、青年はまた笑い声を聞いた。昨夜のと同じだった。聞

ければいいな、聞けるんじゃないかな。そんな期待にこたえるかのように、声はひ

びいてきた。二回目なので、ふしぎさと驚きは少し薄れている。

 その余裕で、声に含まれている感情を味わうことができた。くすくす笑いには、

好ましさがあった。あざけり、からかい、そんなたぐいのものではない。また、そ

れは自分にむけてのもののように思われた。そのことは新発見だった。なぜという

理由はない。直感だった。自分に好意を持ってくれている存在らしい。

 青年は起きあがった。声はまだ聞えている。だれなのだろう。どこにいるのだろ

う。そう遠くではないようだった。彼は廊下へのドアをあけてみた。しかし、そこ

に人影はなかった。つぎに窓をあけてみる。そこにもだれもいなかった。となりの

部屋からだろうか。それはありえないことだった。そこには、そんな笑い方をする

者など住んでいない。また、これまでに壁ごしに声の伝わってきたことはなかった

 くすくす笑いは、つづいている。彼は服を着て、廊下に出てみた。やはり声は、

そちらのほうからのように思われたのだ。声が少し身ぢかになった。そして、建物

のそとへ出てしまった。青年はそれを追いかけた。といっても、姿は見えない。だ

から、追うというのは正確ではないかもしれない。声に魅せられ、引き寄せられる

形で夜の街をさまよったというべきかもしれない。店のしまった商店街、公園、裏

通り、そんなところを歩きまわったのだ。

 かなりの時間をついやし、青年は部屋に戻った。声との散歩といえた。それは楽

しいものだった。姿は見えないが、声はあるのだ。そして、好意と判断するのは早

すぎるかもしれないが、少なくとも、自分に関心を持ってくれてはいるようだ。彼

にとって、はじめてのことだった。

 いく晩か、そんなことがつづいた。楽しげな、くすくす笑い。声だけだが、それ

でもいいではないか。はじめはそう思ったものだったが、やがてものたりなくなっ

てくる。もう少しでいい、なんとかならないものだろうか。唯一の友なのだ。しか

も異性の。このままではつまらない。彼はいらいらした。

 声といっしょの夜の散歩の時、その思いが言葉となって口から出た。

「ねえ、なんとかならないものかな」

 くすくす笑いが中断し、声となった。

「あら……」

 そしてまた、低い笑い声がつづく。青年は少し驚いた。簡単ではあるが、応答し

てくれたとは。まさかそうなるとは思わず、いままでやってみなかったのだ。

「返事をしてくれたんだね」

「ええ……」

「いったい、きみはだれなんだい」

「さあ……」

 あいまいなものだった。そして、くすくす笑いとなる。それでも、青年はその夜

、かなり満足した。返事があったのだから。無縁のものではないのだ。あれは自分

に対しての答えだった。あの返事の声からみて、若い女のようだった。

 それからも夜ごと、散歩とともに簡単な会話がかわされたのだった。

「もっと、なんとかならないのかい。これじゃあ、つまらないよ」

「あら……」

「ぼくをきらいなのかい」

「いいえ……」

「じゃあ、なぜ」

「でも……」

 とらえどころがなかった。そして、くすくす笑い。それでも、返事はあるのだ。

きらいでないと言っている。青年にとって、いままでに、これほど親しさのこもっ

た会話の体験はなかった。心のなかで、ずっとあきらめていた炎が燃えあがりはじ

めた。それは、もうとめようがない。だから、いっそう彼を苦しめることにもなる

のだった。

 青年は食欲がへった。はじめての恋のようなものだった。対象がはっきりと存在

していないのだから、恋と呼ぶのは正確でないかもしれない。しかし、その感情は

まさしく恋そのものだった。といって、あきらめ無視することもできない。

 くすくす笑いは、それはとても魅力的なのだ。夜それを耳にすると、理性では押

えようがなくなってしまう。幻の声とつきあったって、しようがないじゃないか。

そんな考えは、たちまち消えてしまうのだ。

 夜の街へと、青年はさまよい出てしまう。部屋のなかで会話することはできない

のだ。笑い声は少しずつ遠ざかり、それをはっきり聞きとるには、あとを追う形で

そとへ出なければならないのだ。そして、むなしい会話をくりかえす。

「これ以上は、どうしてもだめなのかい」

「さあ……」

「ぼくは苦しむばかりだ。悩むのはもうたくさんだよ」

「そうしてほしいの……」

 つづいて、くすくす笑い。笑い声はまもなく消えた。青年は夜の道を、ひとりさ

びしく帰らなければならなかった。

 つぎの夜、声はあらわれなかった。青年は、たまらない気分になった。あの、楽

しく好意的な笑い声。それのなくなった損失の大きさを、痛いほど感じさせられた

。あれは自分にとって、最も貴重なものだったのだ。眠れない長い夜。

 もう二度と、あれを聞くことはできないのだろうか。軽率なことを言ってしまっ

た自分を後悔した。あれを聞きたい。耳にしたい。

 その次の夜。笑い声はふたたび現われた。青年はほっとし、心はうれしさであふ

れた。また夜の散歩へ出る。

「もどってきてくれたんだね」

「まあね……」

「もう逃げたりしないでおくれ」

「たぶんね……」

 くすくす笑い。青年は昼間、会話を思いかえしてみる。しかし、声がなにを考え

ているのかとなると、よくわからなかった。好ましい存在であるという以上には。

 もどかしさが残る。彼はそれを持てあまし、食欲は依然として回復しなかった。

恋は体重を減少させる。

「無理なんだろうが、ぼんやりとでもいいから、姿を見たくてならないよ」

 さほどあてにしないで言った。くすくす笑いにつづいて答えがあった。

「じゃあ……」

 ぼんやりとした、白い形があらわれた。よくはわからない。しかし、笑い声から

想像していた通り、やはり好ましい感じの形だった。具体的にどうとは形容しにく

い。だが、楽しさにあふれた動き方だった。青年は恐る恐るさわってみた。なんの

手ごたえもなかった。

 だれかに見られたら変に思われるかなとも思ったが、人と会うことなしにすんだ

。真夜中すぎ、青年は部屋に帰る。姿も声も消える。この奇妙な交際のことを何回

も頭のなかで味わい、彼が眠るのはそれからしばらくたってからだった。

 彼はいくらか満足した。しかし、それもそう長くはつづかない。

「もう少し、はっきりならないものかな」

 依頼というより願望だった。声は言った。

「こう……」

 まだぼやけているとはいうものの、これまでよりいくらかよくなった。白っぽい

服を着た女性とわかるようになった。二十歳ぐらいだろうか。髪の毛は少し長めで

、健康的な感じだった。くすくす笑っている。

 だれかとすれちがったが、奇異な目で見られることもなかった。夜の散歩は、一

段と楽しいものになってきた。

 ある夜、青年は管理人に言われた。

「毎晩お出かけのようですね」

「ええ、じつは親しい友人ができまして」

「女の人ですか」

「ええ」

「変なことにならないで下さいよ。夜おそくの二人での散歩。気をつけて下さい」

 度をすごさないようにとの注意だった。

「誤解しないで下さい。手をにぎったことさえないんですから」

 青年は強く主張し、相手はなっとくした。手をにぎろうとしたことはあったのだ

。しかし、なんの感触もない。いっしょに歩いている。それだけで満足しなければ

ならないのだった。

 つとめ先の同僚から、こう話しかけられたこともあった。

「このあいだの夜、きみが歩いているのを見かけたよ。ずいぶんおそい時刻だった

「見られちゃったか」

 青年はいささかとくいでもあった。自分にも女の友だちがいるのだ。同僚は首を

かしげながら聞いた。

「しかし、ひとりでなにを……」

「ひとりじゃないよ」

 青年はむきになった。同僚はとまどい、しばらく考え、青年をむりやり医者に連

れていった。

「だいぶ疲れておいでのようですな」

 と言いかける医者に、同僚は説明した。

「そんなことじゃないんです。こいつが夜ひとりで歩いているのを、わたしは見ま

した。しかし、だれかといっしょだったと主張するので……」

「では、くわしく話をお聞きしましょう」

 医者は青年と二人だけになり、質問した。青年はありのままを話した。

「というわけなんです。ぼくはそれで楽しいんですが、異常なのでしょうか」

「なるほど、孤独感がうみだした幻影といったところですかな。無人島に漂着した

人、|荒《こう》|野《や》をさまよう人、そんな場合にこのような幻覚を持つと

いう例はあります。いまの社会も、それと大差ないといえるかもしれませんな」

「よくない症状なのでしょうか」

「そうとも言いきれません。あなたはそれによって満足している。他人に迷惑を及

ぼすこともなさそうです。その幻影を無理に消すと、もっと悪い形であらわれかね

ない。とりたててさわぐこともないでしょう。もっとも、他人に話さないよう注意

なさることですね。変に思われます」

「ひとつ、同僚にはなんとかうまく……」

「ええ,ねぼけるという現象の軽度なもの、とでも話しておきましょう」

 いちおう、それで片づいた。

 孤独感のうみだした幻影か。それでもいいじゃないか。青年はそう思った。

 くすくす笑いをともなう幻影は、それからも現われつづけた。それでもいいとは

いうものの、青年はもっとリアルになることを期待した。

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