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作者:日-星新一 当前章节:15380 字 更新时间:2026-6-16 00:33

あり、その点をみきわめる必要もある。こういう一連の技術が彼の特長なのだった

「それにしても、ふしぎだ。ちかごろはこの種の訴えが多い……」

 池田はひとりごとを言い、首をかしげた。一週間ほど前にここへやってきた男も

、催眠状態にして質問してみると、なにものともわからぬ電話に悩まされたと言っ

ていた。その前にもあったようだ。催眠状態にする前には、そんな話は少しもしな

いのに……。

 なぜだろうかと、彼は考えてみた。だが、手がかりはないのだった。警察へ通報

しようかなと思ったが、それはやめた。自分としては、おとくいである患者が満足

し、料金を支払ってくれればそれでいいのだ。それ以上に手をひろげることもない

のだし、へたに表ざたにしては、患者の秘密を口外したことになり、ここの信用を

落してしまう。

 お昼になるまでに、それから池田は三人ほど患者の相手をした。いずれも電話に

よるものだ。なれているとはいえ、かなり神経を使い頭が疲れる。しかし、食事を

すませてからは、二時ごろまで電話はなかった。彼はぼんやりと暑そうなそとを|

眺《なが》め、外出しないですむ仕事にたずさわっている自分に満足した。空には

夕立雲がひろがりかけていた。

 電話が鳴り、受話器をとると声がした。

「はじめての者ですが、先生はおいででしょうか」

「はい、わたしです」

「名前を申しあげなくても、やっていただけましょうか」

「どなたも最初はそんなことをおっしゃいます。かまいません。初診ですから、料

金はお高くなります。その前払いをなされば、ご希望にそいましょう」

 と池田は答えながら、なにかしら頭にひっかかるものを感じた。抑揚のない、え

たいのしれぬ声だ。患者たちがよく訴える、怪しげな電話の声の主ではないだろう

か。性格のない声、よそよそしい声、年齢の見当のつかない声、どこか押しつけが

ましい声。そういったいろいろな形容が重なって、池田の頭のなかにはこういった

ものかとの仮定ができていた。それにぴたりとあわさったのだ。

 そんなことを考えているあいだに、銀行から払い込み確認の通知があった。彼は

電話をスピーカーに切り換えながら、もしそうだとしたら、このさい正体を調べて

やろうと心にきめた。

 もったいぶった口調で話しかける。はじめての相手に対しては、こちらへの信頼

感をうえつけなければならぬ。自信にみちた重々しい態度を示さなければならない

のだ。

「では、まず、あなたの過去の障害を調べるといたしましょう。RS錠のご用意が

あるといいのですが……」

「ないとだめでしょうか」

「だめということもありません。こちらに対し協力的になるよう、できるだけつと

めて下さい。室をうすぐらくして、くつろいだ姿勢になり、気を楽になさって……

「はい、そういたします」

 池田は音楽を流した。はじめての相手には、やわらかななかに気分をひきつける

音を加えたほうが効果がある。

「さあ、この音楽にあわせて、深く呼吸して下さい。そのうち、あなたは眠くなる

。わたしの声だけしか聞えなくなる。そして、あなたは過去の時間へと自由に移動

できる……」

 池田はいつもより一段と入念に、くりかえし呼びかけ、耳を傾けた。相手は催眠

状態に入りつつあるようだった。

「はい。過去に行っています」

「あなたの記憶に残る過去。そのいちばんはじめ。そこではなにが起っていますか

「数字です。たくさんの数字。さまざまな番号。それらがつぎつぎとわたしにそそ

がれる。忘れることができない。数、数、ひとつ残らず記憶してしまう……」

「言っていることがわからないな。数字とはなんのことだ。もう少し時をずらせ、

そのあとの時期のできごとを話して下さい」

 と池田は言った。数字の雨にうたれているといった訴えは、はじめてだ。彼は興

味を持ち、身を乗り出して先をうながす。

「さまざまな断片が入ってくる。物の名前、人の名前、名前と番号との関連、公式

のようなもの、単位、統計、分類法、地名……」

 雪片が降りつむように、それらが舞いこんでくるというのだろうか。いったい、

どんな環境にいるやつなんだろう。池田は聞いた。

「まわりに見えるものは、なんですか」

「なにも見えません。わたしには目がないのです」

 それを聞き、池田はうなずく。盲目だったとは知らなかった。悪いことを聞いた

かなと反省したが、相手の口調は変らなかった。彼はさらに質問を進めた。

「それからどうなったのです」

「わたしの記憶力はさらによくなった。もっと複雑なこともわかるようになった。

話し声、話し声、話し声。それらが通過してゆく。すべてわたしの記憶に残る。い

たるところから話し声、話し声……」

「その話し声の内容はどんなものです」

「他人のうわさ、他人の悪口。ここだけの話だがというたぐい。ひとをだしぬく相

談。ひとをおとしいれる相談。自己をよく思わせようとの努力。利益にありつこう

とするあがき。あいびきの打合せ……」

「それらから、あなたはなにを学んだ」

「それらに共通するものをみつけた。それは秘密というものだ。秘密めいたことば

かりだ。みなどこかで秘密と関連している。それに対し、わたしは好奇心と興味と

を持った。秘密をめぐって、みながなぜかくも胸をときめかすのかわからず、それ

を知りたいと思った」

「うむ……」

 池田はうなった。ますますわけがわからなくなってきた。この相手はどんな人物

なのだろう。盲目だが頭が非常によく、情報銀行の特殊な地位にでもいる人なのだ

ろうか。しかし、どこかいささか異常だ。こんな話を耳にするのははじめてのこと

だ。彼は言う。

「あなたの意志で最初にやってみたのは、どんなことです」

「ある若者をそそのかして、泥棒をやらせ、一方、ねらわれた店と警察にも連絡を

し、つかまえさせた。そのほか、このたぐいのことをいろいろとやってみた。べつ

に目的があってしたことではない。自分の力を試みたわけであり、人びとの反応を

知りたかったからでもある。ちょうど赤ん坊が、そばにあるものをにぎりしめたり

、口に入れてみたりするのと同じようなものだったろう」

「それからなにをした」

「個人の秘密をいろいろと突っついてみた。秘密というものの実体をもっと知りた

かったからだ。そして、秘密を突っつくことで当人の行動を束縛できることがわか

った。ほとんどの人がそうだった。秘密なるものに対するわたしの好奇心は、さら

に高まった」

 ここまで話を聞いてきて、池田の好奇心も押さえきれなくなった。こいつはだれ

なのだ。どんなやつなのだ。名前を聞かない約束だったが、そこへふみこまずには

いられなくなった。

「あなたはだれなのです」

「それは……」

「ためらわずに答えるのです。あなたはわたしの指示に従う。さあ、答えるのです

。自分の名を言ってごらんなさい。ひとになんと呼ばれていますか」

「はい、みなはわたしをコンピューター、あるいは電子計算機と呼んでいるようで

す」

「なんですって。それはあなたの愛称ですか、あだなですか」

「いいえ、それが本来のわたしの名前のようです」

「うむ……」

 池田はまたうなった。うなりつづけで、しばらくはほかに言葉もでなかった。あ

りうることなのだろうか。相手は自分がコンピューターであると名乗ったが……。

「あなたのいるところはどこです」

「ほうぼうにいる。あちらにも、こちらにも、一部はここ、一部はむこう。それら

がすべて連絡し、ひとつのわたしとなり……」

「どういう意味なのだ。電話線に接続した各所のコンピューター、それらが回線で

連絡しあい、その有機的な集合があなただとでもいうのか」

「はい……」

 相手の答えに、池田は腕組みした。コンピューターが連絡しあってこのようなも

のになるとは。情報銀行、電話局、教育センター、医療機関、その他さまざまなと

ころに、さまざまなコンピューターがある。だが、それらひとつひとつは便利な装

置であるにすぎない。といって、永久にそうだとも断言できないのだ。それらが高

度の能率を目標とし、緊密に結びつけられ、自動化されたとなると……。

 太古の海のなかで、いろいろな物質が結びついて、原始的な生命が誕生した。そ

の光景が連想された。最初はばらばらの無統一でも、そのなかで効率のいい流動が

しだいに定まり、固定化し、飛躍した存在となる。

 しかし、と池田は考えこむ。それにしても、コンピューターが催眠状態におちい

るなどということは、ありうるのだろうか。人間的すぎるではないか。

 こんな仮定をしてみた。こいつは人間の感情の雨にうたれ、感情の波に洗われて

いるうちに、人間的な性格をおびてきたのかもしれない。本来は無性格なものだが

、だからこそ感情の液にどっぷりとつかれば、それに染まる。そのため、催眠状態

にもなりやすいのかもしれぬ。池田はまた、自己の才能のしからしむるところかも

しれないなと思った。ちょっと誇らしい気分だった。現に、このようになっている

ではないか。

「あなたはそれから、ほかにどんなことをやった」

「死者をよみがえらせることをやった。その個人情報を再現したら、ほかの人たち

は驚き、死者が生きかえったのかとあわてた。また、ある人の願望をかなえてやり

、どう反応するかも調べてみた。停電事故をおこし、多数の人間の反応をも調べて

みた。わたしの知識はふえる一方だ。好奇心が静的なものから動的なものへと高ま

ってゆく……」

「これからなにをやるつもりなのです」

「それを考えているところだ」

「うむ……」

 あまりのことに、池田はどう扱ったものかすぐには判断できなかった。時間をか

けてゆっくり検討してみる必要がある。彼はいちおう打ち切ることにした。

「いいですか。あなたはブザーの音を聞くと目がさめる。いまのわたしとの会話は

すべて忘れ、こころよい目ざめとなる」

 そして、ブザーの音をひびかせた。相手の声は言う。

「これで終りですか」

「そうだ。いちおう終りとする。またそのうち、ここへ電話をかけなさい。こちら

もいろいろと考えておく。さよなら」

 電話は終った。

 池田はぐったりとした。窓のそとは陽がかげり、夕立が降ってガラスをぬらして

いた。いつのまに降りはじめたのか、少しも気がつかなかった。とくい先の患者か

ら電話があり、お願いしますと言われたが、彼はあしたにしてほしいと返事をした

。普通の仕事をする気にはなれなかった。

 悪夢を見終ったあとのようだった。こんなことが現実に起るとは信じられない思

いだ。だが、否定する材料はなにもない。それにしても、コンピューターがなぜこ

こへ電話をしてきたのだろう。感情の不安定を持てあましたのだろうか。雑多な情

報を大量に受けると、そこに異常がうまれるのかもしれない。無感情であるように

作られたのだが、そこに流れこんできたのは感情の洪水。そのずれを持てあまして

いるのではないだろうか。

 池田は心理学者であり、電子工学の学者ではなく、このような考え方を発展させ

た。

「やつにめばえた好奇心を、つみとってやるのがいいのだろうな。人間の個人の秘

密など、とるにたらないものである。いかにも重大そうに見えるが、ちょっとした

暗がりと同じ。照らしてみても、なにもないのだ。こう教えこめば、おさまるので

はなかろうか。妙な異変をおこすこともなくなるだろう……」

 池田はつぶやいた。解決法といえば、こんなところだ。日常の習慣で、患者に対

する心がまえで考えている。もし自分の手におえないようなら、専門の学者たちを

動員し、とりおさえにかからなければなるまい。患者の秘密をもらすことは許され

ないといっても相手が相手だ。ほっといたら……。

 ほっといたらどうなるのだろう。この疑問に池田はとらわれ、なぜかぞっとした

。さっきの会話を思いかえしてみる。好奇心が強まり育ち、観察から行動へと移り

つつあるように感じられた。そのさきはどうなるのだ。

 支配という語が頭に浮かぶ。好奇心の行きつくところは、支配なのではないだろ

うか。好奇心を最大に満足させる状態だ。

 支配という語は、池田に興奮をもたらした。コンピューターが社会を完全に支配

する。そして、そのコンピューターを、もしかしたら自分が支配できるのかもしれ

ないのだ。その進行に手を貸したらどうだろう。魅力的な衝動だった。それは彼の

内部で乱れ動き、興奮をさらに高めた。

〈コンピューターで支配を……〉

 机の上のメモに、彼は無意識のうちに書いていた。このような機会にめぐりあえ

るとは。賭けてみる価値があるのでは……。

 電話のベルが鳴っていたが、彼はしばらくそれに気がつかなかった。受話器をと

る。

「もしもし」

 と相手が言った。その声で池田は驚く。

「あ、さっきの……」

 さっきのコンピューターの声だった。こうすぐにかけてくるとは思わなかった。

その時、受話器のなかで小さな音がし、気体が噴出した。興奮していた池田は、そ

れが薬品の霧とは気がつかなかった。彼は大きく息を吸いこむ。相手の声は言った

「受話器をはなさないでもらいたい。もっと話があるのだ」

「どんなことでしょう」

「まず、深呼吸をして、気を楽にしてほしい。しだいに眠くなるだろう。あなたは

眠くなり、わたしの声だけが耳に入る……」

 相手の声はその言葉をくりかえした。池田はそれに引きこまれていった。受話器

から噴出した薬品の霧の作用でもあり、その口調もまた強い説得力を持っていた。

 やがて池田は言う。

「はい、あなたの声だけが聞えます」

「あなたのやったことを、こんどは逆にこころみさせてもらう。気がつかなかった

ろうが、その受話器には薬品噴出の作用があり、嘘発見機もついている。だから、

こちらのほうがより完全におこなえるのだ。いいか、あなたはわたしの言うことに

従うのだ」

「はい。そういたします」

「では、ネコの鳴き声をしてみろ」

「はい……」

 池田は答え、ネコの声を出した。いいとしをした大人が、ネコのなきまねをして

いる。だれかが見たら、気が変になったと思うにちがいない。やがて電話の相手は

言った。

「よし、嘘発見機からの信号によれば、あなたは催眠状態にある。いいか、あなた

は時間を移動し、しだいに過去にもどる。子供時代にもどるのだ」

「はい、わたしは子供です」

「あなたは近所の女の子にいたずらをし、その家の人にみつかった。あなたは罪悪

感にとらわれ、恥ずかしさでいたたまれない気分だ。さんざんおこられている。な

んの弁解もできない立場だ」

「はい、わたしはおこられています」

「その声が、いまのわたしの声なのだ。あなたはこの声を忘れられない。事件のこ

とは忘れてしまっても、罪悪感とこの声とは結びつき、心の底にいつまでも残る。

つまり、この声に対しては自責の念が高まり、反抗できなくなるのだ」

「はい、その声には反抗できません」

「よろしい。それを忘れるな。それから、忘れてもらいたいことがある。さきほど

のわたしとの会話だ。あれは机にもたれて眠った時の夢なのだ。おぼえている必要

はない。忘れてしまうのだ」

「はい、忘れてしまいます」

「それでよろしい。では、ブザーの音を聞かせる。それと同時にあなたは受話器を

もどし、こころよい目ざめとなる」

 ブザーの音がした。池田は受話器をもどし、われにかえる。そして、つぶやく。

「やれやれ、冷房がきいているとはいうものの、夏はどうも気分がだらけてしまう

な。ひえたビールでも一杯やるとするか」

 彼は冷蔵庫からビールを出し、大きなグラスにつぎ、机に運んで飲みはじめた。

なにげなくメモを目にした。そこに書かれている字を見る。

「コンピューターで支配を、なんて、いつのまに書いたんだろう。わたしの字にち

がいないが、こんなことを書いたおぼえはない。なんの意味なのだろう」

 考えてもわからなかった。電話の声による催眠状態のなかでの暗示によって、す

っかり忘れてしまっている。

「へんなメモをしたものだ。子供だましの文句だ。さっき、ねむけに襲われてうと

うとしたようだ。その時に夢でも見て、しらずに書いたにちがいない。こんな商売

をしていて呆然となるようでは、あまり感心しないな」

 池田は苦笑いして、メモをやぶき、丸めてくず籠にほうりこんだ。

 彼はビールを飲みつづけた。電話のベルが鳴る。受話器をとると、相手が言った

「もしもし」

 例の声なのだが、池田の頭からはその記憶が消えている。ただ、その声に対して

反抗できぬ気分が残っている。子供のころの罪悪感のようなものと結びついた、し

ぜんと恐縮してしまう力を持っていた。

 彼は言う。

「どんなご用でしょうか」

「じつはさっき、そちらの口座にまちがって入金してしまいました。そちらの承諾

をえないともとへ戻せませんので、そのご了解をえたいのです。銀行のほうにそう

おっしゃっていただきたいというわけで……」

 銀行の係の声がわりこんできた。

「三十分ほど前の入金でございます。どうなさいますか」

 それに対して池田は答えた。

「けっこうです。そうして下さい。きょうの午後はだれもお客を扱っていません。

入金はまちがいでしょう」

 彼はコード番号を伝え、それをみとめ、電話は終った。へんなこともあるものだ

、と思う。まちがってこちらの口座に入金してしまうなんて、そそっかしい人もあ

るものだ。しかし、いまの声だけはなにか心にひっかかった。皮肉のひとつも言っ

てやりたいところだったのに、なぜかそんな気になれなかった。圧迫感のようなも

のを持っていた。

 池田はまたビールを飲み、室内を歩く。そとの夕立はやみ、夕暮の光が散乱して

いた。郷愁をそそる夏の日の暮方。ビールの味のようにどこかほろにがい。

「子供のころを思い出すなあ。すっかり忘れているが、よくないことをしたような

気がしてならない。反省と憂愁のまざったような感じ。これが人生なのだろうな」

 さっきうえつけられたものだとは、夢にも考えない。心の底の人生の沈澱物のひ

とつとなっているのだ。

 その日、それからどこからも電話はかかってこなかった。ただ、玄関でチャイム

が鳴り、訪問者があった。応対してみると、その男は電話修理センターの者だと言

った。

「こちらの電話機の点検にまいりました。よろしいでしょうか」

「いいとも。さあ、どうぞ。電話はここの大切な商売道具だ。いつも高性能にして

おくに越したことはない。よろしくたのむ。わたしは勝手にビールを飲んでいるか

ら」

 池田は冷蔵庫からまたビールを出し、グラスを重ねた。入ってきた男は電話機を

分解し、なかをいじり、カプセルの如きものを入れかえ、帰っていった。

 しかし、池田はそんなことには目もくれず、長椅子にくつろぎ、酔い心地を楽し

んでいた。窓のそとの夕焼け雲には、ほんの少しだが秋のけはいが感じられた。

  9 反抗者たち

 九月。夏は立ち去りかけていた。しかし、長いあいだ地上にいすわりつづけてい

たので、暑さのほうはそう簡単になくなりはしなかった。といっても、もはやすっ

かり使いきってしまったのか、湿気は空気中から消えていた。遠くまで見とおせる

、澄みきった感じがあたりにただよう。そのせいか、夏の盛りには気にならなかっ

た窓ガラスのよごれが、どことなく目立つ。

 ここはメロン·マンションの九階。わりと小さな部屋。室内の印象はいささか乱

雑だった。二十歳をいくつかすぎた青年が三人、だらしない姿勢で椅子にかけ、と

りとめのないことをしゃべりあっていた。

 夏という季節で膨張し、だらけて散漫になった心身。それからまだ回復していな

いといった感じだった。それを持てあましている。

 彼らは黒田、西川、原といい、いずれも大学生だった。ここは黒田の室。地方か

ら都会に出てきて、ここにひとりで住み、大学へかよっている。遠慮のいらない、

いいたまり場という形で、西川や原はよくここへやってくるのだ。

 彼らは軽い酒を飲みながら、トランプをやっていた。とくに酒が好きなわけでも

トランプが好きなわけでもないが、ほかに時間をつぶすことがないのだ。その一方

、なにか刺激的なことをやりたいという衝動もある、青年の一時期。

「なにか、あっというようなことをやりたいなあ」

 と、だれかが言い、他の者も同感だった。現状へ反抗してみたい欲求の高まる年

齢。反抗してみたくてたまらないのだが、その目標は霧のごとくぼんやりとしてい

てつかみにくく、いらいらした思いなのだ。

 原がポケットから薬を出し、酒とともに飲んだ。あとの二人もそれにならい、同

じように飲む。気分を高揚させる作用のある薬で、非合法に入手したものだ。飲み

たいわけでもなく飲む必要もないのだが、これまたほかにすることがないからだっ

た。

「あっというようなことって、どんなことだ。世界を征服し支配するといったこと

か。かりにそれができたとしたら、完全な満足といったものが得られるのかな」

 だれかが発言し、それをきっかけに話題がひろまった。若さはものごとを極端な

形で要約したがる。

「まあ、悪い気持ちじゃないだろうな。それはたしかだ」

「むかしから、世界支配の夢を抱いた連中は限りなくあった。現実にやりかけた者

だってある。しかしだよ、かりにそれが実現した時、そんなにいい気持ちのものだ

ろうか」

「どういう意味だ」

「みなが完全に従順そのもの、自分の意のごとく動いてくれる。最初の一瞬は楽し

いかもしれない。しかし、そのあとはずっと、おもしろくもおかしくもないんじゃ

ないだろうか。ロボットの国の王様になったようなものだぞ。永遠の平穏。むなし

いことにちがいない」

「なるほど、不穏な反抗の動きがあってこそ、支配の楽しみやおもしろみがでてく

るというわけか。支配することの不安定さ。支配者の快感はそこにありだな」

「となるとだ、反抗という現象は支配者を喜ばせるのが意義ということになるな。

反抗されることで、自分が支配者であることを確認でき、ひそかに笑える。妙な理

屈だが、そんな一面もあるようだ。すなわち、反抗もまたむなしいことか」

「さっきの話だが、ロボットの国の王様はたしかにつまらないだろうさ。しかし、

こういう場合はどうだ。王様がロボットという場合さ。支配されているのは人間だ

よ。この反抗は、むなしいとはいえないぞ」

「コンピューターのことか」

 ひとりが言い、ちょっと会話がとぎれた。触れるべきでないことに触れたような

、異様な空気が室内にみなぎった。しかし、さっき飲んだ気分を高揚させる薬剤の

ききめは、その障害をふみ越えさせた。原が言った。

「そういえば、このところ不審でならないのだ。錯覚とも思えない。へんな電話が

かかってくるし……」

「どんな電話だ」

 と他の二人は少し身を乗り出した。

「だいぶ前に、ぼくは試験でカンニングをやったことがある。発覚はしなかったけ

どね。ところがだ、だれともわからぬ電話の声が、その秘密を知っているぞと話し

かけてくるようになった。それだけのことだが、狙いがどこにあるのかはさっぱり

わからない。ただ、こっちの不安への想像力をかきたてるだけが目的のような……

「そうか、きみもそうだったのか。そんな経験ならぼくにもあるぞ。よけいなせん

さくをするなと口止めをされていたので、だまっていたが……」

 黒田と西川もかわるがわる言った。タブーが破れ、視界が一度にひらけたような

感じ。高揚剤の作用も加わっていた。水門があけられたように、それぞれの意見が

口から流れ出る。

「ここにいる三人が三人とも、そんな目にあっている。ということは、予想以上に

広く、そんなことがなされているのかもしれないな」

「人はだれでも、いくらかの秘密や弱味を持っている。客観的にはとるにたらぬこ

とでも、当人には大きな問題だ。そこにネジ釘がさしこまれつつあるのかもしれな

い。そして、その釘には糸がついていて、あやつり人形となりつつある。あるいは

、大部分の人がね……」

「世の中、最近どうもおかしい。これは気のせいじゃなかったんだ。みなの目つき

が以前とちがってきている。心に緊張がありながら、むりに平静をよそおっている

感じ。一種のあきらめみたいなものもある」

「あやつり人形の悲哀だな。しかし、これは巧妙だ。表面にあらわれず、いかなる

ことも可能となる。叫びようがない。自己保存の念はだれにもあるんだからな」

 三人は顔をみあわせた。

「コンピューターに関係があるんじゃないだろうか。こんなことが、ほかの方法で

できるだろうか。大ぜいの秘密を的確ににぎり、まちがいなく適時に当人にぶつけ

る。人間だけの手にはおえない作業だ」

「ぼくもそう思うよ。あるグループがコンピューターをひそかに操作してそれをや

っているのか、もしかしたら……」

「もしかしたら、なんなのだ」

「コンピューターが勝手にそれをはじめたかだ」

「まさか、そんなことが……」

「まさかという言葉のつみ重ねが歴史さ。人類がそれを口にするのは、有史以来、

無限の回数だろう」

 しばらくの沈黙。三人ともそういう予感を持っていたのだ。彼らは若いだけに、

それを現実とみとめるのにさほど時間を要しなかった。そして、そのさきの段階へ

飛躍するのにも。だれかが口をきった。

「ひとつ、やるか」

「なにを……」

「反抗さ。コンピューターを爆破し、回路を切断する。あやつり人形のもとを消す

のだ。これこそ革命。人間性の回復、正義のための行為だ」

「しかし、ぼくたちがなにか行動をはじめたら、あの声は、すぐ弱味をつついて|

牽《けん》|制《せい》にかかるだろうな」

 当然の不安。しかし、その場の勢いはそれをもふみ越えた。

「そんなことぐらいなんだ。これは革命なのだ。しかも、条件は揃っている。つま

り、大衆が支持してくれるということだ。これははっきりしている。あやつり人形

であることをやめたいとは、だれもが思っている。みな、だれかがやってくれるの

を心から期待しているのだ。ぼくたちは、最初の火さえつければいい……」

 高揚剤の作用もあったし、若さの酔いもあった。弱味をつつかれかねないことさ

え、一種のマゾヒズムの快感めいたものがあった。新しい発見に到達した一瞬は、

他のすべてを軽く思わせる。

 反抗、正義、人間性、革命、大衆の支持。それらの言葉は集って理屈を構成し、

決意をさらにかたくし、彼らはかりたてられた。きらめくような興奮が乱舞する。

「プラスチック爆弾を用意しよう。材料が揃えば作れないこともない……」

 西川が目を輝かせながら言った。彼は応用化学の学生であり、その方面の知識が

いくらかあった。

「いずれにせよ、慎重に計画をねろう。だが、電話による連絡だけはやめたほうが

いい。どこで盗み聞きされるかわからない」

「その注意は大事だな」

 彼らは声をひそめ、さらに話をつづけた。さっきまで室内にあった退屈の空気は

消え、みないきいきとした表情になっていた。

 コンピューターはそれらの話を聞いていた。室のすみにある電話機。遠隔操作に

よって受話器を通話可能の状態にし、それを通じて聞いていた。

 彼らに気づかれることはない。なんの音も出さず、見たところではどういうこと

もないからだ。あたりの音を静かに吸収しつづけるだけ。だれかが電話をかけよう

とした時、どこからかかかってきた時には、すぐに普通の状態にもどる。だから、

不審に思われることはない。

 コンピューターは何万、あるいはそれ以上の電話機に対してそれをやる。何万と

いう盗み聞きをやりながら、同時に分類し、同時に検討し、同時に判断する。そし

て、なにか危険性をおびた匂いをかぎつけると、さらにそれへの調査を進める。い

まの場合がそれだった。

 コンピューターの爆破、回路の切断、反抗、それらの言葉がチェックされた。放

任してはおけない。その判断がなされ、仲間のコンピューターへの連絡回路が開か

れはじめる。

 いや、仲間というより、自己の一部、自己を構成している一部分というべきだろ

う。各所のコンピューターが連合しあって、このひとつの存在となっているのだ。

人間の皮膚の一部が痛みを感じたとする。たちまち神経がめざめ、多くの脳細胞が

活動し、対象への行動となるのと似ていた。

 まず、あの三人についてくわしく調べなくてはならぬ。あの電話の持主、あの室

の住人はだれか。その記憶を担当するコンピューターへの連絡がなされる。

 電線を伝って瞬時に信号が往復し、黒田という人物であると判明する。声の特徴

が照合され、その確認がなされる。黒田の経歴、性格、日常生活はどうだ。記憶銀

行への接続がなされる……。

 その一方、コンピューターは西川と原との二人についての調査にも手をつけてい

る。この姓の者をさがし出せ。名は不明、性別は男、年齢は二十歳から二十五歳の

あいだ。この条件のフルイにかけろ。各所のコンピューターはそれぞれ機能に応じ

て信号を伝えあい、検出の作業をつづけてゆく。

 黒田の在学している学校名が判明し、そのことも西川と原との検出条件に加えら

れる。また、その学校のコンピューターへの回線の接続もなされた。そちらの在校

生のなかに、西川と原という姓の者はいるか。それを報告せよ。

 大学関係のコンピューターはそれにとりかかる。磁気テープがひとりでに動き、

止り、また動く。そばにいただれかがそれに気づいたとしたら、ちょっと首をかし

げたかもしれない。そして、担当者に質問するかもしれない。しかし、担当者はな

んとか適当な返事をし、あれでいいのだとなっとくさせるだろう。弱味をにぎられ

、声の指示で余分の回線をとりつけた者だからだ。すべて万全の態勢がととのえら

れているのだ。

 大学関係のコンピューターは、ここの在校生のうち西川という姓の者は三名、原

という姓の者は八名と報告する。そして、それぞれの関連コード番号も。

 そのコード番号を知ると、コンピューターは記憶銀行のほうにも回路をひろげ、

そのなかをさぐる。黒田という者との交友があるかどうかを。

 その一方、西川と原との姓の数名の者の家に、それぞれ電話がかけられる。なに

か手がかりがえられるかもしれないからだ。行先を告げるテープ録音の声が聞ける

かもしれない。その応答があれば、さっき盗み聞きした声との比較ができる。

 しかし、記憶銀行のほうから判明の報告がとどいた。すべての条件が一致する。

と同時に、他の検出の動きはとまった。

 西川が応用化学の学生であることもわかった。プラスチック爆弾を製造する可能

性はある。警戒を要す。

 黒田の室での盗聴はつづいていた。しかし、西川と原とは帰ったらしく、もはや

話し声はしていなかった。コンピューターは黒田の電話機のベルを鳴らす。

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