った。
かぐや姫のほうも、それに対し、感情を文にしたご返事をさしあげた。木や草の
、四季の変化の眺めなどを和歌にしたりして、手紙のやりとりがつづいた。
さて、ひと息。
ついにミカドのお出ましとは。かぐや姫も、いままでの男たちとは、ちがった応
対をすることになる。
現代の読者だと、五人の男をふみ台として、貴いミカドに近づいたと受け取るか
もしれない。この作者としても、それも計算に入れてはいたろう。
しかし、じいさんとの打ち合せにより、ミカドは姫の顔をまともに見ることがで
きた。姫にすれば、顔を見られてしまったのだ。瞬間的とはいえ、視線が合った。
当時として、これは心を動かす大きな原因になったようだ。会っていなければ、
どんなにも警戒的になれるし、冷たいあしらいもできる。
一目でも会ってしまうと、死ぬの消えるのとの強硬さも、調子が下る。そのあた
りを考え、ミカドはじいさんの協力で、ほかの男とちがう立場に立てた。
あるいは、ミカドは好ましいかただったのかもしれない。いやしくも国をおさめ
る身だから、人徳もお持ちだったろう。これだけ思いがつのれば、部下の兵を動か
せた。
しかし、権力も使わず、ミカドとしての地位もわきまえ、おとなしく宮中へ戻っ
た。かぐや姫も、そこに同情したのだろう。
それにしても、かぐや姫は、まだなにが不満なのだろう。
そう思わせるところが、この物語の作者の巧妙なところ。まさかという人物まで
、登場させてしまった。ここまできたら、読む側もあとをあきらめる気にはならな
い。
これから、どうなるのだろう。ミカドが着物のそでを手にした時、姫は姿を消し
、願うと、また現れた。場所を自由に移動できるのだろうか。そうらしい。そうで
なかったら、そもそもの最初、竹の|節《ふし》のなかにいたのが変だものね。
なにかが起りそうな感じが、ただよっている。はたして。
九、|天《あま》の|羽衣《はごろも》
そんなことで、手紙で歌のやりとりをし、表むき会えないが、内心の親しさをか
わしあった。三年ほどたったろうか。
その年の春のはじめのころから、姫は晴れて月の美しい夜に、普通の時にくらべ
、考え込むようすだった。心も深く沈んでゆくようだ。
そばで世話をしている人が、やめさせようとした。
「月を見るのは、およしになって下さい。あれは夜の暗さのなかにあって、細くな
ったりもする。からだや心に悪いとされていることです」
しかし、ひまがあり、人がそぱにいないと、月を見て悲しそうに泣いている。
七月十五日の夜の月。なお、これは旧暦であり、十五夜は満月。この次の満月が
、中秋の名月で、とくに明るいとされている。
それを眺めるかぐや姫は、悲しがって泣くのが、かなりはげしくなった。そばの
人が、竹取りじいさんに、そのことを報告した。
「姫は以前から、月を気になさるようすでしたが、最近は普通ではありません。心
配です。なにか、よほど思いつめて悩んでおいでのようです。よくない変化がある
といけませんので、ご注意なさって下さい」
じいさんも思い当ることがあるので、かぐや姫に聞いた。
「月を見て、そんなに深く悲しがるのは、どういう気分からですか。生活が苦しい
わけでもないし、男の人たちには思いを寄せられている。楽しがっていいのではあ
りませんか」
姫はそれに答えた。
「べつに、悲しがってはおりません。うまく話せませんが、月を見ていると、なん
となく、この世で生きていることに、むなしいような、さびしいような感じがする
のです。やめようとしても、押さえられません」
かまわないで欲しいらしい。それから何日かして、じいさんが姫のようすを見る
と、やはり元気がない。もの思いにふけり、前よりよくなったようすもない。
「なあ、わたしの宝である姫よ。いったい、なにを考えて、さびしがっているので
す。心配ごとなら、打ちあけて下さい。できるだけのことはしますよ。それには、
話してもらわなければ」
「どうしてなのか、わたしにもわからない。どうしたらいいのか、落ち着かないの
です。もう少し、待って下さい」
「いっそのこと、月を見なければいいのではないかな。おやめなさい、それで悲し
くなるのなら」
じいさんの考えは、それぐらいしかなかった。姫は答える。
「そうもいきません。夜になると、月は空に出ます。つい、見てしまいます。目が
そちらをむいてしまうのです」
それは、だれにもやめさせられない。月の出のおそい時期には、しばらくおさま
っていたが、それも限りがある。旧暦の三日、三日月を見ることができるようにな
り、月が少しずつふくらみはじめると、悲しさをこらえきれず、ため息をつき、泣
いたりする。
そばの人たちは、話しあう。
「なにかなかったら、あんなに涙を押さえたりはなさらぬはずだ。しかし、だまっ
たままでは、どうしようもない」
じいさん夫婦に告げても、それへの案はなにもなく、おろおろするばかり。
八月の十五夜にあと何日と迫った晩。かぐや姫は、|半《はん》|月《げつ》を
すぎてさらにふくらみかけた月を見て、これまでになく激しく泣いた。
これまでは、悲しみをこらえてという感じだったが、いまはあたりかまわず泣い
ている。竹取の夫婦や、そば仕えの人びとも、驚いて聞いた。
「どうしました。わけを話して下さい」
かぐや姫は、泣きながら言った。
「ずっと以前から、いつ本当のことを申しましょうか、何回も考えました。けれど
、それを知ると、おじいさん、おばあさんが、どんなに悩み、悲しむかと思って、
口をつぐんでしまいました。それで、ここまできてしまいました。もう、だまりつ
づけではいられません。いま、なにもかもお話しいたします」
「どういうことか」
「じつは、わたくしは、この世の者ではないのです。しかし、妖怪でも、なにかが
化けているのでもありません。ここでない場所、月から来た者なのです」
「あの、空の月か」
「はい。そのかなたから、月を|経《へ》て送られてきました。なにかわけがあっ
て、この国へと来ることになってしまいました。くわしいことは、おぼえていませ
ん」
「そうとはなあ」
「それが今や、もとの場所へと帰らなければならなくなりました。月の方角から、
そのことが伝わってくるのです。この十五日の夜がその時です」
「なんと」
「その夜に、むこうの国から、迎えの人たちが来るのです。このことは、どうにも
変えようがありません。このお話をしたら、さぞ、おなげきになるだろうと、こと
しの春から思い悩んでいたのです」
姫は泣き、涙にむせんだ。あまりのことに、竹取りじいさんは、息をのんだ。や
がて、考えをまとめるように言った。
「まさかといったお話だ。涙ながらのそのようすは、でまかせとは思えない。そも
そもですよ、わたしは姫を、竹のなかから見つけた。その時には、草の種ほど、小
さな小さな姿だった……」
当時を思い出しながら、つづける。
「……ここでお育てし、いまは普通の人と同じような大きさになりました。わが子
ときめて、悪いわけがない。それを連れ去りに来るなど、だれに許されます。そん
なことが、この世にあっていいことでしょうか……」
不満や怒りがこみあげてくる。
「……そうか、この世のことではないのだったな。ああ、姫がいなくなるのなら、
死ぬのは、わたしのほうだ。生きている気力もなくなってしまう」
じいさんも、泣きながら叫んだ。心の乱れを、押さえきれないらしかった。それ
にむかって、かぐや姫は言う。
「月のかなたの都には、わたくしの父と母がいるはずです。この国には、ほんのし
ばらくということで、送られてきたようです。それが、こんな長い年月、お世話に
なってしまいました。むこうとこちらでは、時の流れがちがうのでしょうか、時の
感じ方がちがうのでしょうか……」
姫は、ひと息ついてつづけた。
「……じつの父や母のことは、なにもおぼえていません。長くここにいたので、こ
この国の人という気持ちになってしまいました。自分の国へ帰れるとなっても、う
れしいなど少しも思いません。悲しさだけしかありません。それでも、帰らなけれ
ばならないようです。わたくしのからだの、なかかそとか知りませんが、見えない
力でそうさせられてしまうようです」
と姫も、じいさんたちとともに、声を高めて泣く。そばで身の回りのことを手伝
っている人びとも、同じようになげき悲しんだ。ずっと親しく、身ぢかにいたのだ
。姫の性格は美しく上品だった。あらためて、そのことを感じさせられた。
それが急に、別れなければならなくなったとは。見なれていたとはいえ、なにご
とにもかえられない存在だった。そうなると、食事ものどを通らなくなるだろう。
またも、涙がこみあげてくる。
竹取の家の人たちが困っているらしいとの話を、ミカドはお聞きになった。使い
の者がやってきたが、出迎えたじいさんは、泣きつづけるだけ。
使いの者には、じいさんが心配のあまり、ひどくふけたように見えた。ひげの白
さもふえ、しわも深く多くなり、腰もまがり、涙で目がただれている。驚きと悲し
みは、人を弱まらせる。
役目として、じいさんに聞いた。
「なにか、ひどく思い悩み、悲しんでいるというが、どうなのか。ミカドはたしか
めてくるようにと、おっしゃった」
そこで、じいさんは泣きながら、いきさつを申し上げた。
「ミカドもお気にかけて下さるとは、ありがたいことです。姫の話によると、この
十五日の夜、月のかなたの都から、連れ帰る人たちが来るのです。もし、お力を貸
していただけるのでしたら、多くの武士を、よこしていただきたいものです。迎え
にやって来た人たちを、つかまえて下さい。お願いです」
「そうミカドに報告しましょう」
使いの者は宮中へ帰って話した。じいさんは疲れはて、急に年をとったような外
見になっている。空から十五夜に来る人たちを、防いでいただきたいとのこと。
ミカドは、うなずいて言った。
「わたしは、一目かぐや姫を見ただけで、忘れられない思いにとらわれてしまった
。じいさんはじめ竹取の家の人たちとなると、朝から夕方まで、長いあいだ姫と暮
していた。それがいなくなるのだから、いかに悲しがるか、わかるよ。できるだけ
のことはしよう」
その、十五日となった。
すでに、ほうぼうの役所にミカドの命令が伝えられていた。武士たちも人数がそ
ろえられ、やるべきこともしらされていた。
さしずする|係《かかり》として、中将の|高《たか》|野《の》の|大《おお
》|国《くに》が当てられた。もともとは宮中を護るのが役目の武士たち、二千人
。それらが、竹取の家へと、さしむけられた。
竹取の家の各所で、守りにつく。まわりの土を盛ったかこいの上、そとや内側な
どに千人。家や倉や小屋の屋根の上、庭、木のかげなどに千人。
すきまもなしに人がいるのだ。そのほかに、家にやとわれている人たちもいる。
弓矢は、その人それぞれに行き渡っている。家のなかでは、女性たちも、姫のため
に働こうと身がまえている。
で、かぐや姫。厚い壁の倉のなかで、おばあさんが姫を抱いている。じいさんは
、きびしく戸締りをした。
「これだけ、守りをかためているのだ。天からやって来る人に負けるわけがない…
…」
窓からそとをのぞき、屋根の上にいる人に声をかける。
「……なにかが空のほうで動いたら、どんな小さなものでも、矢でしとめて下さい
」
その人は答えた。
「やりますとも。われわれは、そのために来たのです。夕方に飛ぶ一匹のコウモリ
でも、うちおとします。それを、さらしものにしますか」
じいさんは、たのもしく思って喜んだが、かぐや姫は言う。
「わたしのために、このようにたてこもり、戦いのための用意をととのえても、あ
ちらから来る人にはかなわないでしょう。忘れていたことが、少しずつ心によみが
えってきます」
「しかし、これだけの守りだ」
「弓矢も、なんの役にも立たないでしょう。いかにとじこもっても、むこうは、た
やすく|開《あ》けてしまいます。いまは激しく戦おうと思っていても、いざとな
ると、その勢いは消えてしまうと思いますよ」
じいさんは、せっかく姫のために人びとが来てくれたのにと、自分をはげますよ
うに言った。
「力のかぎり、やってみます。連れに来た人がここへ来たら、わたしが飛びかかる
。目をこの|爪《つめ》で突いてやる。髪の毛をつかんで、引き倒してやる。着物
を引きさき、|尻《しり》を出して、ひっぱたく。みなにそれを見せて、恥をかか
せてやる」
かぐや姫は、じいさんの気を静めようと、ゆっくりと話しはじめた。
「そんな大声を、お出しにならないで下さい。屋根の上の人たちにも聞かれてしま
います。お気持ちはわかるのですが、あまり取り乱しては、みっともないでしょう
。お別れの時なのですから……」
姫は思い出をふりかえる。
「……わたくしとしても、これまでのご恩のありがたさに、ゆっくりお礼も申し上
げるひまもない。このまま行かなくてはならないのは、心残りでなりません。長く
いてもいいきまりだったら、どんなにうれしいことでしょう。それが、そうでない
のですから、残念でなりません……」
ため息をつき、つづける。
「……育てていただいたのに、なにもむくいてさしあげることができない。むこう
の国へ行くのも、そのことを気にし、苦しい気持ちでの旅になりましょう。春ごろ
から、月の出る夜はそれにむかい、わたくしの願いを伝えようとしました。帰るの
を一年、せめて半年でも、あとにしていただきたいと……」
おわびの言葉でもあった。
「……それは許されませんでした。そのため、なげいた姿をお見せしてしまいまし
た。ここへきて、大変なご心配をかけ、たくさんのお手数もおかけしました。もう
、胸のつまる思いです……」
どうにもならない運命なのだ。
「……月のかなたの、あの都では、だれもが美しく、そこでは年をとるということ
がない。また、心を悩ますようなことも決して起らない。はっきりと思い出せるよ
うになりました。それなのに、帰れるのがうれしくありません。ここの人たちに、
親しみを持ってしまったからでしょう。それに、育ての親のお二人を、そのままに
して帰るのです。余生のお世話もできないまま。心残りですし、こんな悲しいこと
はありません」
またも、泣くのが激しくなった。じいさんは、なぐさめて言った。
「そう、なにもかも悪い方へと考えたりしないで、元気をお出し下さい。どんなに
美しく強い人が来ても、大丈夫ですよ。武士たちがこんなに集まったのは、いまま
で見たこともない」
防げないわけがないと思っている。
そのうち、夕暮れが過ぎ、夜となる。満月がのぼった。中秋であり、空気も澄ん
でいる。
時刻は、真夜中ごろになった。
竹取の家のあたりが明るくなり、満月の光が十倍になったようだ。その明るさが
、さらに増し、昼かと思えるほど。そばの人の髪の毛も一本ずつ、見わけられる。
その光のなかを、高い空から、何人かの人が雲に乗って、おりてきた。そして、
地面から人間の高さあたりの場所に、浮かんだまま並んだ。
これを見ると、家にたてこもった人たちも、そとにいた人たちも、なにかの力で
勢いを押さえられたようになった。戦おうという気持ちが、うすれる。
このままではと、なんとか弓矢を手にしようとしても、にぎる力が出ない。いつ
も勇ましいのがとりえの者が、やっとのことで、矢をはなった。しかし、ちがった
方向へ、少し飛んだだけ。
そんなわけで、だれも、さっきまでの心はどこかへ消え、からだも考えも自分の
ものでないようになり、ぼんやりと顔を見あわせるだけ。
その、地面から浮いて立ち並んだ人たち。身につけている衣服は、たとえようも
なくすばらしい。そばに、空を飛べる乗り物も浮かんでいる。その屋根は、絹の|
傘《かさ》のようだった。
その人たちのなかの、とくに地位の高いらしい人が、家にむかって言う。
「ミヤツコという者、ここへ出てきなさい」
本名を呼ばれ、竹取りのじいさんも、さっきまでの気持ちを失っている。なにか
に酔ったような感じで、前へ出る。ひざまずき頭を下げた。
天からのその人は、告げる。
「よく聞くのだ。おまえは、とくにすぐれた人でも、とくに世につくした人でもな
い。しかし、善良な人であり、小さなことで、多くの人びとを手助けした。そのた
め、姫をしばらくのあいだ、そちらに預けたのだ。それによって、竹のなかから黄
金を手に出来、昔とくらべようのないほど、豊かになった。わかったな」
「はあ」
「そもそも、かぐや姫はだな、われわれの国で、してはいけないことをなさった。
ここの言葉では、罪をおかしたとでも言うのかな。そのむくいとして、この、つま
らない国へと送られたのだ。もともと、おまえたちとは、つきあえない立場なのに
。姫も、それなりに苦しまれたはずだ。もうよかろうと、迎えに来た。めでたいこ
とだ。悲しむべきことではない。おまえには、どうしようもないことだ。早く姫を
出しなさい」
思いもよらぬ話で、じいさんは答えて言った。
「かぐや姫は、ここでお育ていたしました。二十年ちかくになりましょう。しばら
くのあいだとの話ですから、年月がちがうのではありませんか。おさがしのかぐや
姫は、うちにいる姫ではなく、別なところにおいでのかたではございませんか……
」
じいさんは、無理らしいと知っても、できるだけのことは言った。
「……ここにいるかぐや姫は、いま重い病気でございます。出かけることなど、で
きないでしょう」
相手は、そんなことには答えようともせず、家のほうへと、飛ぶ乗り物を近よせ
る。
「さあ、かぐや姫よ。帰れる時が来たのです。このようにけがれた地、おろかな人
の多いところに、とどまっていなくてもよくなったのです。お出になって下さい。
どうぞ」
と大声。
たちまちのうちに、|締《し》めてあった戸がひとりでに開く。各所の|格《こ
う》|子《し》|戸《ど》も、人がさわりもしないのに、みな開いた。
かぐや姫は、おばあさんに抱きしめられていたが、外に出てきた。どうにも防ぎ
ようがない。じいさんは、地面にすわったまま、姫を見つめて泣いている。
かぐや姫は、どうしようもなく泣きつづけている、竹取りじいさんのそばへ寄っ
て言う。
「わたくしだって、帰りたくて帰るのではありません。望むようにできないのです
。せめて、高い空で姿が見えなくなるまで、見送って下さい」
しかし、そんな気分にはなれない。
「そう言われても、見送るというのは別れです。悲しみがつのるだけ。わたしは年
寄りだ。このあと、どう生きればいいのです。連れていってもらうわけには、いか
ないのか」
じいさん、泣くのをやめない。姫も、気の毒と思うが、いい方法も思いつかない
。
「それでは、手紙を書いて、それを残しておきましょう。わたくしを思い出したら
、お読みになって下さい。声を聞くような気持ちに、なれるかもしれません」
そして、泣きながら文を書いた。
[#ここから2字下げ]
わたくしも、この国に生れた普通の人でしたら、こんな別れはいたしません。父
や母を嘆かせ、悲しませながら行ってしまうようなことは。
ずっとおそばにいて、いつまでもお世話をしたいのです。それは、心残りでなり
ませんが、やむをえないのです。
これまで着ていた着物をぬぎますので、思い出の品となさって下さい。また、月
の出る夜は、それを眺めて下さい。わたくしも、そうして悩んだのです。
わがままなお別れなので、気がとがめます。かなたの国へ帰るのではなく、空の
なかへ落ちてゆくような気持ちでございます。
[#ここで字下げ終わり]
それを、そばに置く。
天からの人たちは、二つの箱をここに運んできていた。ひとつには|羽衣《はご
ろも》が入っている。もうひとつには、不死の霊薬が入っている。ひとりが姫に言
った。
「さあ、|壺《つぼ》のなかの、貴い薬をお飲みになって下さい。この地は、けが
れた好ましくない場所です。ご気分も悪くなっていましょう。この薬で身も心も清
めて下さい」
さし出す薬を、姫は少しなめて、ぬいで残してゆくつもりの着物のたもとに、残
りを入れようとした。年をとったじいさん、ばあさんの役に立てばと。
しかし、そばの天からの人は、それをさせなかった。羽衣を取り出して、姫に早
く着せようとする。
「もうしばらく、待って下さい……」
と押しとどめて言った。
「……それを身につければ、ここの人とわかりあう気持ちが、なくなってしまう。
すべてを忘れてしまいます。その前に、もうひとりのかたに、手紙を残したいので
す」
書きはじめた姫に、天からの人が言う。
「そう、ゆっくりしてはいられません」
ここは、いごこちがよくないのだろうか。
「そんな、いたわりのないことを言わないで下さい。ここの人の心を持つわたしと
も、別れるのですから」
静かだが、強い声。そして、ミカドへの手紙を書いた。落ち着いてて、急がされ
ているのを気にしないで。
[#ここから2字下げ]
この家へ、多くの武士たちを、わたくしのためによこしていただきました。お気
持ちは、ありがとうございます。しかし、迎えを防ぐことも、ことわることもでき
ません。悲しい思いですし、心残りでもございます。
このあいだ、宮仕えしないかとのお話がありましたが、おことわりいたしました
。それも、このようになる運命でしたので、強い言葉を使ってしまいました。
わがままとお思いになり、お|怒《いか》りになり、ふしぎがられたことでしょ
う。お会いして、おわびするひまの残されていないのが、気になっております。
今はとて|天《あま》の|羽衣《はごろも》着るをりぞ
[#ここから3字下げ]
君をあはれと思ひ出でける
[#ここから2字下げ]
この和歌は、かけ言葉もなく、そのまま受け取るだけ。もう今となっては、羽衣
を身につけなくてはなりません。すべてとお別れです。ここでの思い出も消えてし
まうでしょう。いろいろのことがありましたが、あなたへの親しさは忘れたくござ
いません。
[#ここで字下げ終わり]
その手紙に、壺に残っている薬をそえて、武士たちをひきいる者、高野の中将に
差し出した。だれも身動きできないので、天からの人が、取りついだ。
そこで、|羽衣《はごろも》が着せられた。
すぐに、心が変った。竹取りのじいさんたちへの、気の毒だ、悲しいことだとの
思いは、なくなった。この国への心残りも消えた。羽衣とは、そういう力をそなえ
ている。
姫が乗り物に移ると、それは上へと浮かび、そばの天からの人たちも、ともに空
へとむかって、遠ざかっていった。
あとに残された、竹取りのじいさん、ばあさん。泣きつづけ、涙に血がまざるの
ではと思われるほどだったが、もはやすべてが終ってしまったのだ。
そばの人が、かぐや姫の残した手紙を読んできかせたが、なぐさめの役に立たな
い。
「姫は、いなくなってしまった。もっと生きていたいなど、少しも思わない。なん
のために生きるのか。つまらない世の中だ」
気力もおとろえ、すすめられても薬も飲まず、寝たままになり、起きてなにかを
しようともしなかった。
中将は、武士たちをひきつれて、宮中へ戻ってきた。ミカドに申し上げる。
「天から迎えがやってきました。かぐや姫を守ろうと、戦うつもりでしたが……」
うまくいかなかったようすを、くわしく話した。別れぎわに渡された薬の壺と、
手紙とをさし出した。
ミカドはそれをお読みになり、そうであったか、いやで断わったのではなかった
のかと、あらためて姫をなつかしがった。なにも食べたくなくなり、音楽や舞いで
楽しむこともなさらなくなった。
ある日、ミカドは地位の高い人たちを呼んで、聞いた。
「最も天に近いのは、どこの山か」
ものごとにくわしい人が答えた。
「|駿《する》|河《が》の国(静岡県)にある山でしょう。|唐《から》や|天
《てん》|竺《じく》は知りませんが、この都から行けるところとなると」
そこで、ミカドは歌を作られた。
[#ここから1字下げ]
|逢《あ》ふことも涙にうかぶわが身には
[#ここから3字下げ]
死なぬ薬もなににかはせむ
[#ここで字下げ終わり]
もう、二度と会うことがない。そう思うと涙が流れ、その海に浮かぶような、さ
びしさだ。べつに長生きしようとも望まない。いただいた不死の薬も、使う気にな
らない。
役目にふさわしいだろうと、|調《つき》の|岩《いわ》|笠《かさ》という者
を呼んだ。月にも竹にも縁のある名前だ。
「この歌をかいた手紙と、壺とを持って、|駿《する》|河《が》の山へ登ってく
れ。そして、火をたいて、手紙と壺とを燃やしてくれ。思いがとどくかもしれない
。ききめがあったとしたら、この国がいつまでもつづく役に立つかもしれない」
その命令で、武士たちを連れて、山の上へむかった。|士《さむらい》に|富《
と》むで、富士の山と書くようになった。それは不死の山であり、不二の山でもあ
る。
煙は雲のなかへ立ち昇り、いまも|頂《いただき》に煙のような雲のかかること
が多い。
あとがき
やっと、ひと息。
物語が完結したので、ページを改めて最後の章について、いくらか書いておく。
かぐや姫は、天空のかなたの世界の人。当時とすれば、まさに夢にも思わなかっ
た展開だろう。あれよあれよと感じているうちに、天へ帰ってしまうのだ。それま
での伏線が、生きてくる。
いくらかの問題点は残るが、それは仕方ない。たとえば、姫が自分の身の上を、
最初から知っていたのか、しだいに思い出したのか。どちらでもいいが、私は後者
をとりたい気分だ。
ラストの光景は、映画「未知との遭遇」を思わせる。UFOに関して、私は昔か
ら関心を持っているが、その実体について、まだ判定は下せない。しかし、目撃談
のなかには、光に包まれ、戸がしぜんに開くような例が、いくつもある。なにか関
連があるのかもしれない。
かぐや姫の帰る先を、私は「月のかなた」と現代訳で書いた。アポロ乗員の撮影
した月面写真を見ては、正直いって、そうしたくなる。
しかし、原文によると、かぐや姫も最初は「月」と話すが、日が迫ると「あの国
」とか「かの都」と言うようになる。迎えに来た人たちも「天人」であり「月人」
ではない。だから、月を経由して来たとも、とれる。
物語の作者も、天のかなたと、ばくぜんと設定したかったのではないだろうか。
月を人に似せた話はあるが、それは神話の形をとってである。住民のいる話は、ほ
かにないのではないか。
このはるかあと、一六〇〇年代の前半、シラノ·ド·ベルジュラックが『月と太
陽諸国の|滑《こっ》|稽《けい》|譚《だん》』を書き、月をアダムとイブの楽
園とした。ドイツの天文学者ケプラーが、太陽系を思考したのは、一五九五年。話
題として、耳にしていたのだろう。
かぐや姫の書かれた時代、月の住民という感覚があったかどうか。満ち欠けもす
るし、月を見つめるなとの文も出てくる。夜空で目立つ月、そのむこうにとすれば
、賢明な進め方となると思う。
その八月十五日だが、少し加筆し 旧暦と説明した。現行の太陽暦より、約一ヵ
月、うるう月がその前に入ると、二ヵ月ちかくあとになる。いまの十月という場合
もある。旧暦だと、十五日は十五夜、満月だ。
もちろん、原文にはない。明治も半ばすぎに「来年の今月今夜のこの月を」との
せりふの小説が書かれた。太陽暦だと、月が出ないことだってあるのだ。
おひまなかたは原文をもだが、気になったのは、竹取りのじいさんの年齢である
。初めのほうで、姫に男性との交際をすすめる時、自分は七十になると言っている
。月からの迎えの人には、二十年間も世話をしたと言っている。
ミカドの使いに会った時には、五十なのにふけ込んでいるとの描写がある。
書きうつす時のまちがいとの説もある。それなら、逆に直されてもいいのに、そ
ういう本はないらしい。なにか意味があってとは、思えない。五十五から六十五ぐ
らいの間の事件と考えたい。二十年間とは、天人への大げさな形容だろう。あるい
は、五、六年とすべきかもしれない。
物語では、ひとり三年ずつで順次にととられる形になっているが、普通なら、五
人が同時にとりかかるだろう。現代なら、他者との競争の話に仕上げるだろうが、
それだと複雑になってしまう。これでいいと思う。
持参した不死の薬。じいさんに渡すのを天人がさまたげ、ミカドになら許す。じ
いさんには富を与えたから、薬はまだ若いミカドになのか。敬意を表わしてか。こ
こも、それでいいだろう。他の世界の人の判断なのだ。
ミカドについては、親しみやすい人間に描かれている。その時代は、人口もごく
少なかったし、気やすく話せる存在だったのだろう。じいさんだって、直接に会っ
て話せたのだ。帝の字を使いたくなかったのは、そのためである。
想像を絶した発想は、羽衣の作用だ。着ると、すべての思考が一変する。けがれ
た世から天界へという仏教思想なら、死の意味になりそうだが、そんな印象を与え
ない。スチーブンソンの『ジキル博士とハイド氏』は、十九世紀後半の作である。
SFの祖、H·G·ウエルズも、タイムマシン、透明人間、巨大生物など、さま
ざまな空想上の装置や薬や生物を作りあげた。前例だのヒントなどなくても、個人
の才能でユニークなものが作れるのだ。
羽衣伝説が先かあとか知らないが、あれは飛ぶ性能が主だ。かぐや姫の作者は、
大変な才能である。
羽衣に着がえるところで、私は適当に訳したが、姫は形見にと着物をぬぎ、ミカ
ドへの手紙を書く。どの程度にぬいだか、気にすると、とまどう。すっと読めてし
まう部分だが。
結末は、地球人を下級人間としていて、SFのそのテーマの元祖ということにな
る。いやな気分の効果をねらったのが多い。しかし、ここでは、あっけらかんと終
っている。あと味も、とくに悪くない。
|寓《ぐう》|意《い》のないのがいい。作者の才能と人柄のせいだろう。ご自
由にお考え下さい。お考えにならなくても、けっこうです。面白い話は、決してな
にかを押しつけない。
娘を嫁にやるのも、天に帰すのも大差あるまいと思うが、それは現代でのこと。
姫はそのまま家に住み、特定の男性が|通《かよ》ってくる形でもよかった時代で
ある。