でも、ときどき、けんかもしました。それというのが、そいつがときどきズルをするからでした。ビー玉をかしてやったのに、そのつぎにあったとき、そんなもの、かりたおぼえはないといいはるので、それでけんかになるんです。
でもそのつぎにあったとき、すなおにビー玉をかえしてくれるので、また、なかなおりをするんです。ぼくたち、ほんとになかがよかったんです」
そういう話をするとき、剣太郎のほおは、ほんのり染まり夢みるようにうっとりとした目は、いかにも幸福そうだった。
滋はまた謙三と顔を見あわせた。
鬼丸博士と足の悪い津川先生は、やっぱりそうでしょう、へんでしょうというような顔をして、ふたりの顔を見ている。
「それで、そのひとはどうしたんですか。子どものときいっしょに遊んだというひとは……」
謙三がたずねると、剣太郎はかなしそうに目をふせて、
「知りません。ぼくの記憶はそこでプッツリ切れているんです。ひょっとすると、そいつはぼくの兄弟じゃなかったかしら、と思っておじさんにたずねるのですが、おじさんはそうじゃない。ぼくに兄弟なんかひとりもないというんです。その後、ぼくはそいつに一度もあったことがありません。でも、思いだすと、なつかしくてたまらないんです。だから、この家にいるのなら、かくれていないで、出てきていいのに……」
剣太郎はそういって、また、ほっと、ふかいため息をついた。
大サーカス王
その夜、滋はねむれなかった。
ふたりにあてがわれた二階の部屋は、しずかで、おちついて、ベッドのねごこちも悪くなかったのだが、それでも滋はねむることができなかった。
考えれば考えるほど、気味のわるいことばかり。
食事がすむと剣太郎は、やくそくどおり滋と謙三を、動物室へ案内したが、ああ、その時の滋のおどろき!
それは四、五十じょうも敷けそうな、広い、天井の高い長方形の大広間だったが、壁にそって、ぎっちりとならんでいるのは、なんと、どれもが|剥《はく》|製《せい》にされた動物ではないか。
剥製ということばを読者はよくご存知だろう。動物が死ぬと皮をはいで、それに、つめものをして生きているときの形のままで、保存しておくことなのだ。
そういう剥製の動物が、まるで動物園か博物館のように陳列してあるのである。鳥もいた。けものもいた。けもののなかには猛獣もいた。ライオン、とら、ひょう、わに、くま、おおかみ、ゴリラ、そういう猛獣が、声もなく、音もなく、思い思いのかっこうで、うずくまっているところを想像してみたまえ。
しかもここは山の中の一軒家、夕立ちはやんでも、窓の外には、まだ、おりおりいなびかりがしているのだ。
滋はいうにおよばず、柔道三段の謙三まで、あっとばかりに立ちすくんだのもむりはなかった。
「いったい、これはどうしたのですか。まるで動物園みたいじゃありませんか」
謙三が、やっとおどろきをおさえてたずねると、剣太郎は、かなしそうに答えた。
「これはみんな父の形見だそうです」
「おとうさんの形見ですって?」
「ええ、そうです。ぼくの父はサーカス王といわれたくらいで、世界的大サーカスの持ち主だったということです。オニマル.サーカスといえば、ドイツのハーゲンベックと肩をならべる大サーカスで、団員も二、三百人はおり、鳥も動物なども何百種といて、小さな動物園などかなわなかったということです。
そういう大サーカスですから、日本にいることはほとんどなく、いつもヨーロッパからアメリカを、興行してあるいていたのです。父は動物をこのうえもなく愛していたので、かれらが死ぬと、かたっぱしから剥製にして、だいじにとっておいたのです。ただ、象だけは剥製にするには大きすぎるので、ああして、|牙《きば》をとっておいたのです」
なるほど、壁のいっぽうには、みごとな|象《ぞう》|牙《げ》がたくさんかけてあった。
こうして話をきいてみると、かくべつふしぎでもないが、それでも滋は、まだなんとなくおびえた気持ちで、剣太郎や謙三のあとについて、気味のわるい動物の剥製を見てまわった。
「ところで、そのおとうさんはどうなすったのですか。お亡くなりになったのですか」
「ええ、ぼくの小さいうちに。……だからぼくは、父のことはちっともおぼえていないのです」
と、剣太郎が悲しそうにいったときだった。滋がふいに、
「あっ」
と小さいさけび声をあげたので、ふたりはびっくりしてふりかえった。
「ど、どうしたんだ、滋君。なにかあったの」
「いま、あのゴリラの目玉が、ギロリと動いたような気がしたんです」
そのゴリラというのは、六尺ゆたかな巨体(約一.八メートル)で、手をあげて|仁《に》|王《おう》立ち、かっと口をひらいたところは、なんともいえぬものすごさである。
謙三は笑いながら、
「ハハハハ、バカをいっちゃいけない。剥製の目玉が動いてたまるもんか。しかし、なるほどすごいやつですね。まるで生きてるようだ。剥製とわかっていても、なんだかやっぱり、気味がわるいですね」
謙三も気味わるそうに肩をすぼめて、つくづくゴリラを見ている。そのとき滋がシェパードの剥製を見つけた。
「ああ、これがさっきの話の愛犬ですね」
「ええ、そうです、そうです」
剣太郎は、いかにもいとしそうに剥製の犬の頭をなでながら、
「あなたがたもきっと、『家なき|児《こ》』という、フランスの有名な小説をごぞんじでしょう。あの小説のなかに出てくる、いちばんかしこい犬の名がカピでしたね。その名をとってつけたんですが、このカピも、それはりこうな犬でした」
「どうして死んだのですか。血をはいたとかいいましたね」
「ええ、そうです。まえの日まで元気でピンピンしていたのに、十五日の朝、きゅうにくるしみだしたかと思うと、半時間もたたぬうちに、血をはいて死んでしまったのです。おじさんは食あたりでもしたんだろうといっていましたが、ほんとにかわいそうなことをしました。ぼくと、とてもなかよしだったのに……」
剣太郎はそういって目に涙をうかべていた。あとから思えばカピの死こそ、この気味のわるい事件のはじまりみたいなものだったが、そのときだれも、それに気がついたもののなかったのも、まことにぜひないことというほかはなかった……。
こんなことを、とつおいつベッドのなかで思いだしていた滋は、ふいに、はっと息をのみこんだ。
階段をあがって、|誰《だれ》かがこっちへやってくる。
しかも、ああ、その足音の気味わるさ! ピタッ、ピタッとはだしで、|泥《どろ》のなかを步くような足音……。
しかもその足音が、滋たちの部屋のまえで、ぴったりととまったではないか。滋は全身から、滝のように汗がながれるのをおぼえた。
しかし、まもなく足音はドアのまえをはなれると、またピタピタと步いていく。そして三つほど向うの部屋のまえで、ぴったりとまった様子だが、それに気づくと滋は、また、はっと胸をとどろかせた。なぜといって、そこは剣太郎の寝室なのである。あやしいものはどうやらそこへはいったようすだ。
滋の胸は、いよいよあやしくふるえる。
「にいさん、にいさん」
小声で呼んでみたが、謙三は目のさめるようすもない。とはいえ、あまり大きな声をだすこともできないのだ。
滋は泣きたくなってきたが、そのとき、向うの部屋で、ドアのしまる音がしたかと思うと、やがてまたピタピタという、気味のわるい足音がこちらへ近づいてきた。滋はふたたびベッドへもぐりこんだ。
怪しいもの
足音は部屋のまえまでくると、またピッタリととまって、なかの様子をうかがっていたが、やがて安心したのか、あいかわらずピタピタと、気味のわるい足音をひびかせながら、階段のほうへあるいていく。
その足音がドアのまえをはなれたせつな、滋はベッドからすべりおりていた。そしてドアのうちがわに立って、じっときき耳をたてていたが、足音が階段へさしかかったころ、そっとドアをあけて、外へすべりだした。
ろうかを見まわすと、階段のうえに電気がひとつ、怪しいものの姿はすでに見えない。階段をおりていく足音が、ただピタピタと無気味にきこえてくるばかり……。
滋は風のようにろうかを走って、階段の上までくると、てすりの|隙《すき》からそっと下をのぞいたが、そのとたん、全身の毛がさかだつような恐怖をおぼえたのである。
おお、なんと階段をおりていくうしろすがたは、ゴリラではないか。
ゴリラは背なかをまるくして、はうように階段をおりていったが、やがて下までたどりつくと、ふいにこちらをふりかえった。
滋はあわてて首をひっこめたが、さいわいゴリラは気がつかなかったのか、まもなくその足音は、動物室のほうへ消えていった。
滋はぼうぜんとして立っていた。心臓が早鐘をうつようにドキドキして、全身からつめたい汗がびっしょりふき出している。だが、そのうちに、はっとあることに気がついた。もしやあのゴリラが、剣太郎になにか危害をくわえたのではあるまいか……。
そこで滋はいそいで部屋へとってかえすと、謙三をたたきおこして、手みじかにいまの話をかたってきかせた。
謙三も、はじめのうちは、なかなか信用しなかった。たぶん夢でもみたのであろうと、からかったが、あまり滋が熱心なので、それではともかくと、部屋を出て、剣太郎少年の部屋をのぞきにいった。
「剣太郎君、剣太郎君」
小声で呼んでみたが、へんじはない。
「よくねてるんだよ、きっと」
それでも念のためにドアをおしてみると思いがけなく、なんなくひらいた。
部屋のなかはむろん電気が消してあったが、窓にシェードがおろしてないので、ガラス戸の遠くむこうに、浅間の山が火をふいているのがみえる。
そして、その照りかえしで、部屋のようすも、おぼろげながら見えるのだが、剣太郎はむかって左においてある、りっぱな箱型の寝台のなかにねている。寝息がきこえるところをみるとべつに危害をくわえられたようすもない。
「そらごらん、べつにかわった……」
だが、そのとたん滋が、こぶしもくだけよとばかり、謙三の腕をにぎりしめた。
「にいさん、あれ、あれ、ベッドの天井がさがってくる!」
「な、なんだって」
謙三もそのほうを見たが、とたんにあっと息をのみこんだ。
剣太郎の寝ているベッドは、じつにすばらしいものである。四すみに、唐草もようをほった柱が立っていて、それが箱型の天井をささえている。つまり、その天井は箱のふたのようになっており、ふたのまわりにも、すばらしい唐草もようがほってあるのだ。
ところがいま見ると、そのふたが音もなく、四すみの柱をつたっておりてくるのである。
一センチ、二センチ、十センチ……二十センチ……。
ああ、このままほうっておけば、天井が、ぴったりべッドにふたをしてしまうにきまっている。もしそうなったら、ベッドにねている剣太郎は、虫とりすみれにとらえられた虫のように、箱の中で息がとまって死んでしまうにちがいない。
「あっ、いけない!」
謙三と滋は、ベッドにとびつき、剣太郎をゆすぶったが、ねむり薬でも飲まされたのか、眠りはなかなかさめそうにない。
ふたりはあわてて、剣太郎のからだをひきずりだそうとしたが、ああ、もうおそかったのだ。
ベッドのふちと天井のすきまは、もう十五センチほどしかなく、そのすきまから、人間のからだをひきずり出すなどということは思いもよらない。そこでふたりは必死になって、天井を下からささえたが、とてもそんなことで機械の力にはかてない。厚いかしの天井は、ジリリジリリとさがってくるのだ。
「だめだ、滋君」
謙三は絶望の目であたりを見まわしたが、ふいに顔をかがやかせた。
「ああ、いいものがある!」
と、手にとりあげたのは、三十センチばかりの青銅の像、謙三はそれをとって、ベッドのふちにあてがった。天井はいよいよさがって、がっちりと青銅の像をおさえた。
ギリギリギリ……うめくような歯車の音。
ガリガリガリ……ひしめくような機械のうめき。
……しかし、青銅のかたさに勝つことはできなかった。
バリバリバリ……ついに天井のかし板がさけた。
バリバリバリ、かし板がむざんにさけてとびながら、それでもまだ天井はさがってくる。しかし、もうだいじょうぶだった。
「滋君、もう心配はいらん。これだけ大きな穴があいてしまえば、息のつまることはない」
謙三はそういって、流れる汗をぬぐったが、ああ、しかし、そのときふたりは、あまりベッドに気をとられていたので、背後にせまる危険に気がつかなかったのである。
とつじょ怪しいふたつの影が、うしろからふたりにおどりかかったかと思うと、なにやら、あまずっぱいにおいのするものが、ぴったりふたりの鼻をおさえた。
「あっ、なにをする!」
さけんだがおそかった。滋も謙三も、しばらく手足をもがいていたが、やがてぐったり、床のうえにたおれてしまった。ねむり薬をかがされたのだ。
窓の外には浅間の火が、いよいよものすごくもえさかっている。
夢かまぼろしか
それからどのくらいたっただろうか――。
滋がふと目をさますと、窓のすきまからあかるい日光が、部屋の中へさしこんでいた。窓の外にはふるような小鳥の声。
滋はびっくりしておきなおったが、そのとき、妙なことに気がついた。そばには謙三が、大きないびきをかいてねているのだが、いつのまにやらふたりとも、ちゃんとじぶんの洋服をきて、しかも床の上に、じかにねているのだ。
滋はあわててあたりを見まわしたが、そのとたん、キツネにつままれたような気がした。寝台はいうまでもなく、いすもテーブルも窓かけもなく、床のしきものさえも、煙のように消えているではないか。そして、空家のような部屋の中には、ほこりくさいにおいが、いちめんにただよっているのである。
滋はびっくりして、謙三をたたきおこした。謙三もすぐ目をさましたが、あたりのようすを見ると目をまるくして、
「滋君、ここはどこだい。ぼくたちはいったいどうしたというんだ」
「わかりません。ぼくも、なんだか、キツネにつままれたような気持ちです」
謙三も首をかしげて、
「それにしてもへんじゃないか。ぼくたち夕べ、剣太郎君からねまきをかりて着かえたはずだのに……」
謙三のその一言に、滋のあたまには、さっと昨夜のことがうかんできた。
「ああ、剣太郎君……ゴリラ……そしてあの寝台!」
謙三もそれをきくと、昨夜のことを思いだしたらしく、床をけって立ちあがった。そして、むちゅうでろうかへとびだしたが、そこはたしかに、昨夜ふたりが、寝室としてあてがわれた部屋にちがいない。左がわにはゴリラのおりていった階段が、そして右がわには剣太郎の部屋が見える。
それを見るとふたりはむちゅうで、剣太郎の部屋へとんで行ったが、ドアをひらいて、ひと目なかをのぞいたとたん、ふたりともあっけにとられて、立ちすくんでしまった。
部屋の中はからっぽなのだ。寝台もなければ、いすテーブルもない。あの青銅の像がかざってあった台もなければ、床のしきものもなく、ここもまた、空家のようにがらんとして、ただほこりくさいばかりなのである。
しばらく、ふたりはあっけにとられて、ポカンとしていたが、すぐ、部屋をまちがえたのではないかと思って、となりの部屋からとなりの部屋へと、ドアをひらいてみたが、どの部屋もどの部屋も、しきものもなければ道具もなく、ただもうほこりくさいばかりである。
滋と謙三は、びっくりして顔を見あわせていたが、きゅうになんともいえぬ、気味わるさがこみあげてきた。
そこで部屋をとびだすと、ころげるように階段をかけおりていったが、すると、ふたりのおどろきは、いよいよ大きくなるばかりだった。
階下には、夕べ、ふたりがとおされた、居間もあり、食堂もあり、動物室もあった。してみると、ここは、たしかにゆうべふたりが、一夜の宿をもとめた家にちがいないのだが、ああなんということだろう。どの部屋も空家のようにがらんとして、なにひとつ、道具とてはないのである。
いやいや、道具よりも、あのたくさんの動物の剥製はどうしたのか、なにもかもが煙のように消えてしまって、むろん、人影とてどこにも見あたらない。
滋と謙三は、あっけにとられてポカンとしていたが、きゅうにゾッとするような、気味わるさにおそわれずにはいられなかった。
「わっ!」
どちらからともなくそうさけぶと、ころげるように玄関へとびだしたが、見るとそこにはどろまみれになったふたりの自転車がおいてあった。滋と謙三は、それを一台ずつかかえると、むちゅうで外へとびだした。
ああ、それにしても、あのたくさんの道具や動物の剥製。さてはまた、剣太郎やそのほかのひとびとは、いったいどこへ消えてしまったのであろうか。
船から消えた男
「なるほど、するときみたちがねているあいだに、なにもかも煙のように消えてしまったというのですね」
「そうです、そうです。だからぼくたち、キツネにつままれたような気持ちなんです」
それは滋と謙三が、気味のわるい洋館から、にげだしてきた翌日のことだった。
謙三のかりている、貸別荘のえんがわでは、いましも三人の男が、|籐《とう》|椅《い》|子《す》によりかかって話をしていた。
そのうちのふたりは、いうまでもなく、滋と謙三だが、あとのひとりは、ちょっとみょうな人物だった。
としは三十五、六だろうか、白がすりのひとえに、よれよれのはかまをはいた、小がらで貧相な顔をした男。髪の毛といったら、スズメの巣のようにモジャモジャなのだ。そのスズメの巣のような頭を、なにかというと、かきまわすくせがあり、おまけに少々どもりである。
謙三の話によると、この人は、|金《きん》|田《だ》|一《いち》|耕《こう》|助《すけ》といって、こちらで心やすくなった、えらい私立|探《たん》|偵《てい》なのだそうだが、見たところ、ちっとも探偵らしくなく、滋はなんだか心ぼそいような気がしたが、謙三は、とてもこの人を信用しているらしく、おとといの晚から、きのうの朝にかけてのできごとを、のこらず語ってきかせた。
ほんとうならば滋は、きのう東京へかえるはずだったが、あの洋館のことが気にかかって、しばらく出発をのばすことにしたのだ。
金田一耕助はこのふしぎな話をきくと、いかにも、うれしそうに、ニコニコしながら、
「それで、きみたちが目をさましたのは、朝の何時ごろでしたか」
「外へとびだしたとき、腕時計を見たら十時ちょっとすぎでした」
「そして、きみたちがねむり薬をかがされたのは?」
「はっきりしたことはわかりませんが、ま夜中の一時ごろではないでしょうか」
「そうすると、きみたちは九時間あまりねていたことになりますが、そのあいだに、大急ぎで道具をまとめ、外へはこびだしたのではありませんか」
「そんなことは絶対できません。いや、できるとしても、それにはおおぜいの人をつかって、大さわぎをしなければならないでしょう。ところが、その家から三百メートルほどはなれたところに、百姓家があるのですが、そこできいてみたところが、そんなさわぎはなかったし、だいいちその家はながいこと空家になっているというんです。
そして、ぼくがゆうべの話をすると、それはきっと、キツネにでもだまされたのだろうと、笑ってとりあわないのです」
「まさか、そんなことはないでしょうが、ひょっとするときみたち、夢でも見たのではありませんか」
「そんなバカなことはありません。滋君もぼくと同じことをおぼえているんです。ふたりが同じ夢を見るなんて、そんなことがあるでしょうか」
謙三がムッとしたようにいうと、金田一耕助もうなずいて、
「いや、そんなつもりでいったのじゃないが……それにしても妙ですね。動物の剥製がたくさんあったといいましたね。この山中に、どうしてそんなものがあるのでしょう」
そこで謙三が、剣太郎からきいた話をかたってきかせた。そのあとから滋も、タンポポ.サーカスからにげだした、鏡三少年のことを話したが、すると、その話をきいているうちに、金田一耕助の目が、にわかに、いきいきとかがやいてきたかと思うと、だしぬけに大きな声でさけんだのだ。
「なんですって! するとその少年の父は、オニマル.サーカスの団長だというのですか」
「そうです。そうです。金田一さん、あなたはオニマル.サーカスをごぞんじですか」
金田一耕助は、だまってしばらくふたりの顔を見ていたが、やがて夢見るような目つきになって、
「ええ、知っています。話をきいたことがあるんです。ああ、オニマル.サーカス……オニマル.サーカスの団長……」
と、むちゅうになってつぶやいていたが、きゅうに、籐椅子から立ちあがると、
「行ってみましょう。案内してください、その家へ。オニマル.サーカスの話は、道みちきかせてあげますから」
そういったかと思うと、金田一耕助は、はかまのすそをはためかしながら、はや、えんがわからとびおりていた。
「オニマル.サーカスの団長――そうです。ぼくはその名をきいたことがあるんです」
それからまもなく自転車をつらねて、軽井沢を出発した三人だった。
金田一耕助は自転車にのるのにも、和服にはかまというすがただから、かなりへんなかっこうだったが、ご当人はそんなことにはおかまいなしで、自転車を走らせながら、はなしはじめた。
「なにぶんにも古い話で……もう十年も昔のことだから、わたくしもくわしいことはおぼえていないが、オニマル.サーカスの団長のことで、ふしぎなことがあったのです。オニマル.サーカスの団長は、たしか鬼丸太郎といったとおぼえています。そうそう、タロ.オニマルといえば、世界じゅうに知れわたったサーカス王でした」
「その鬼丸太郎がどうかしたのですか」
「そうです。ふしぎな事件でした。いまから十年ほどまえのこと、そのじぶん、アメリカにいた鬼丸太郎は、なにを思ったのかサーカスを人にゆずって、日本へかえってくることになったのです。
たしかそのとき鬼丸太郎は、いったんヨーロッパへわたって、それから日本へかえってきたのでしたが、汽船が大阪湾へはいって、もう少しで|神《こう》|戸《べ》の港へはいろうとするころ、とつぜん、鬼丸太郎のすがたが、船のなかから消えてしまったのです」
「消えてしまった?……」
「そうです。消えてしまったのです。船のなかをどんなにさがしても見あたらなかったのです。それでいて、荷物はちゃんと船室にのこっていたのですよ。そこでこういうことになりました。鬼丸太郎は汽船が神戸へつくまぎわに、気がへんになって、海へとびこんだのではあるまいかと。……そこで、そのへんいったいの海面が、くまなくさがされましたが、とうとう、死体は見つからなかったのです。
そうそう、それで思いだしましたが、そのとき鬼丸太郎の死体をさがしたのは、弟の鬼丸次郎という男でしたよ。そうです、たしか博士だとかききました」
大金塊
「鬼丸博士もそのときいっしょに、アメリカからかえってきたのですか」
「いや、そうじゃありません。鬼丸博士は日本にいたのですが、兄を神戸港へむかえに行ったところが、いまもいったとおり、すがたが見えないので、大さわぎになったのです。
さて、死体はとうとう見あたらず、そこで、いつとはなしにこの話は、世間から忘れられてしまったのですが、それから半年ほどたって、またこの事件がやかましくなってきました」
「なにか、またおこったのですか」
「そうです。たいへんなことがわかったのです。鬼丸太郎のゆくえがわからなくなってから、半年ほどのちに、アメリカからこんなうわさが伝わってきたのです。
鬼丸太郎はサーカスを人にゆずってきたのですが、そのねだんは、そのころの金で百万円だったそうです。ところが鬼丸太郎は、その金を、ぜんぶ黄金にかえ、しかも、それをいくつかの金の|塊《かたまり》にして、こっそり日本へ持ってかえったらしいというのです」
「百万円の金の塊!」
謙三と滋は思わず息をのみこんだ。
「そうです。そのじぶんの百万円ですよ。いまその金塊があったら、何千万円、いや、何億というねうちでしょうね。そういう金塊をもってかえったらしいのですが、それがどうしても、ゆくえがわからないのです」
「鬼丸博士も知らないのですか」
「知りませんでした。博士もいろいろしらべられたらしいのですが、ぜんぜん知らぬ、いまきくのが初耳だというのです。初耳だったかどうかはべつとして、博士はじっさい、金塊のゆくえは知らなかったらしい。知っていれば、取りだして使うでしょうが、そんなようすはすこしもなかったのですね。
それでけっきょく、鬼丸太郎がそのような大金塊を持ちかえったというのは、うそかほんとかそれもわからなくなってしまったのです。そのうちに、そら、戦争でしょう。それでその話は、こんにちまで忘れられてしまっていたわけです」
ああ、何億円という大金塊!
聞くさえ胸のおどる話ではないか。
ひょっとすると、そのことと、こんどのふしぎな事件のあいだに、なにか関係があるのではないだろうか。
それにしても、神戸港外で船から消えた鬼丸太郎は、はたして死んでしまったのだろうか。いやいや、ひょっとすると、どこかに生きていて、大金塊のおもりをしているのではあるまいか。
滋はいまさらのように、じぶんが足をつっこんだ、この事件のなみなみならぬ奇怪さに、血わき肉おどるのをおぼえずにはいられなかった。
それはさておき、三人が丘の上にある、あの洋館へたどりついたのは、それからまもなくのことだった。
「金田一さん、これです。この洋館です」
金田一耕助はだまって外から、この洋館をながめていたが、
「なるほど、これはどう見ても空家ですね」
そういいながら、玄関のドアに手をかけたが、なんとそのドアには、|錠《じょう》がおりているではないか。
三人はそれに気がつくと、思わずギョッとして顔を見あわせた。
「きみたちが出ていってから、誰か、錠をおろしたやつがあるんですね」
滋と謙三は、息をのんでうなずいた。なんだか、いよいよ、気味がわるくなってくるのだ。
金田一耕助は、しばらくドアをおしていたが、
「とてもここからははいれません。ひとつ、裏へまわってみましょう」
三人はぐるりと洋館のまわりを一周した。金田一耕助は注意ぶかく、地面をしらべていたが、
「きみたちがここへとまったのは、あの、大夕立ちの晚でしたね」
「ええ、そうです。しかし、ねるころには雨はやんでいましたよ」
「ええ、私もよくおぼえています。十時ごろには雨はやみました。だから、ま夜中ごろに、だれかがこの家へちかよったとしたら、土がしめっているから、足あとがのこらぬはずはありませんね」
「ええ、それはそうです」
滋は、なんのために金田一耕助が、そんなことをいうのかと、ふしぎに思いながら、あたりを見まわしたが、足あとらしいものはどこにも見あたらない。
「金田一さん、それはどういう意味ですか」
謙三も、ふしぎそうにたずねた。
「いや、なんでもありません。あっ、あの窓からなかへはいれるかもしれない」
そこは洋館のうらがわだった。そこの窓だけ、よろい戸がこわれて、ガラス戸がむきだしになっている。
金田一耕助はナイフをつかって、ガラス戸のかけがねをはずすと、
「さア、なかへはいってみましょう」
三人はすぐ窓からなかへはいった。そこは、食堂のとなりの台所だったが、なにひとつなくがらんとしているところは、きのうの朝のとおりである。
「なるほど、これは空家ですね。ああ、このにおい……。これは長いあいだ空家になっていたしょうこですよ。ところで、剣太郎少年のねていた部屋というのはどこですか」
三人はすぐに階段をのぼって、剣太郎のへやのまえまできたが、そのときだった。とつぜん滋が大きなさけび声をあげたのは……。
「ど、どうしたんだ、滋君!」
だが、滋はそれにはこたえず、まるで石になったように、ろうかの左手にある窓から、外をのぞいていたが、とつぜん、はじかれたように、右手にある剣太郎の部屋へとびこんだ。そして、正面の窓をひらいて外をながめていたが、きゅうに気がくるったようにさけんだのである。
「にいさん、にいさん、これはどうしたのでしょう。おとといの晚、ぼくらがここへきたときには、この部屋の窓から、浅間の山が火をふいているのが見えましたね。それがどうでしょう。いまは浅間山の煙が、ろうかの窓から見えるではありませんか」
ああ、滋のいうとおりだった。
おとといの晚、部屋の正面の窓から見えていた浅間山が、きょうは、はんたいに、ろうかの窓から見えるではないか。謙三もそれに気がつくと、いっとき気がくるったような目つきをした。
ああ、浅間山があれからのちに、ひっこしをしたのだろうか。それとも洋館が、くるりと、むきをかえたのであろうか。
ああ、世のなかに、こんなとほうもない、バカげたことがあるだろうか。
おそろしい顔
あっけにとられて、目をパチクリさせているふたりの顔を、金田一耕助はだまってしばらく見つめていたが、なに思ったのか、きゅうにガリガリ、バリバリ、むちゃくちゃに頭をかきまわすと、
「やっぱり、そ、そうだったのか。わ、わたしの思っていたとおりだったのか」
と、こうふんのためにどもりながら、
「立花君、滋君、この家には、きっとぬけ穴があるにちがいない。さがしてみましょう。ぬけ穴の入口をさがしてみましょう」
ふたりはびっくりして、金田一耕助の顔を見なおした。
「金田一さん、ど、どうしてそんなことがわかるんです。この家にぬけ穴があるなんて……」
「それはね、この家のまわりに、どこにも足あとがついてなかったからです」
ふたりは、いよいよふしぎそうに、
「だって、足あとがないということと、ぬけ穴とどういう関係があるのですか」
「まあ、聞きたまえ、立花君、滋君」
金田一耕助は、ふたりの顔を見くらべながら、
「浅間山がひっこしするなんて、そんなバカな話はありませんね。それかといって、この大きな建物が、くるりと向きをかえるなんて、これまたバカげた話ですね。だから、おとといの晚、君たちが一夜の宿をもとめた家と、きのうの朝、きみたちが目をさました家とはちがっていたのです。そう考えるよりほかに、ひと晚のうちに、たくさんの道具や|剥《はく》|製《せい》が消えてしまったという説明はつかないのです」
「だって、金田一さん、おとといの晚の家と、この家とはそっくり同じですよ。家のなかも、家の外から見たところも……」
謙三は息をはずませていう。金田一耕助は、にっこり笑って、
「だから、これとそっくり同じ家が、もう一軒どこかにあるにちがいありません。人間に双子があるように、家にも双子があるのでしょう。そしてきみたちは、ねむり薬をかがされてねているあいだに、向こうの家からこっちの家へはこばれたのです。
しかし、外からはこばれたとすると、どろの上に足あとがついていなければならぬはずだのにそれがないところをみると、きっとぬけ穴をとおってきたのにちがいない。さア、そのぬけ穴の入口をさがしてみましょう」
ああ、金田一耕助のいうことは、いちいちもっともだ。いやいや、それよりほかに、浅間山のふしぎや、ひと晚のうちに、たくさんの道具や、剥製が消えてしまった説明はつきそうにない。
滋は、いままで心のなかでけいべつしていた、金田一耕助という人を、あらためて見なおさずにはいられなかった。
ああ、この人はほんとにえらい探偵なのだ。じぶんたちが、ひと晚かかって考えてもとけなかった|謎《なぞ》を、この人は、またたく間に、といてしまったではないか。滋のそういう尊敬の念は、それからまもなく、ぬけ穴の入口を発見することによって、いよいよたかまってきたのである。
それからまもなく三人は、家のなかをすみからすみまでさがしたが、やがて大広間のかたすみまできたときだった。
「あっ、こんなところに、ぼくの万年筆がおちている」
そうさけんだのは滋だった。しかも、滋はこの大広間のこんな場所へ、ちかよったことはいちどもないのだ。
金田一耕助はそれをきくと、ふたりをうしろへおしのけて、床の上を注意ぶかくしらべていたが、
「ああ、見たまえ、ここに、なにかひきずったあとがついている」
なるほど、ほこりの上にうっすらと、ひとすじのあとがついているのだが、それはかたわらの壁の下へ、すいこまれるように消えているのだ。その壁というのは、日本ざしきの床の間のように、ほかの壁より、少しおくへくぼんでいる。
金田一耕助は、その壁のまわりをなでていたが、なにを見つけたのか、とつぜん、あっとさけんだ。
「ここに、かくしボタンがついています。これがきっと、ぬけ穴のドアをひらくしかけにちがいない」
金田一耕助は、そのボタンを、いろいろいじっていたが、どういうしかけになっているのか、なかなか思うように開かない。
金田一耕助はしだいにいらだってきたが、そのときだった。とつぜん、滋と謙三が、左右から金田一耕助の手をおさえた。
「しっ、だまって! 壁のおくから、足音がちかづいてきます」
金田一耕助はギョッとしたように、壁のかくしボタンから手をはなすと、じっと耳をすましたが、ああ、ちがいない。たしかに壁のおくの床の下から、ひそやかな足音が近づいてくるではないか。
三人は、さっと左右にわかれると、ピタリと壁に背をつけた。
床の間のように、くぼんだ壁のすぐ向こうがわは、階段になっているらしく、しだいにそれをのぼってくる足音が、手にとるようにきこえる。三人は息をころして、その足音が、階段をのぼりきるのを待っていた。