「でも彼はあっさりと承諾」
菊池は声をあげる。
「払ったのか?!」
「はずれ。自画像を書き終わった放課後、彼女が御手洗にお金を求めていると校内放送で呼び出される。コンテストの絵が入賞したんだ」
若菜は肩をすくめた。
「その賞金がピッタリ百万円」
「……」
「彼が払ったわけじゃない。だから彼女は御手洗にも要求した。けれど御手洗は願いが叶ったならいいだろ、とそれで終わり。……彼女も戸惑ってたみたいだね。偶然にしては出来すぎてるけど、疑うことも出来ない」
「……でもあいつの仕業のはずない。奴は何もやってないだろ」
「そ。でもそんなことが続くから。被害者も現状がよくわからないって言っただろ」
じゃあ何か? 御手洗に何かを頼むと必ず叶うってことか?
「それも2割にも満たないんだけどね。他の人はただ被害を受けただけ」
軽い調子で若菜が言った。……それを早く言えよ。
「でもさ、不思議だと思わない? そんな偶然が多少でも起こるもの?」
菊池は返す言葉につまる。
だったら何だと言うのだろう?
「……彼、何か力を持ってるんじゃないかと思って」
若菜が声をひそめた。
それは馬力があるとかジャンプ力がすごいとかでなくて、もしかして、スプーンを曲げるとか透視するとかそんな力?
「……未来を予知する力、とか」
「……それは無理だろ?」
願いをかなえたのも被害者の未来を予知して行ったって言うのか?
「菊池が狙われたのが”心霊写真”って言ったでしょ。それでなんとなく思ったんだ」
若菜はまたノートをめくった。
「別に断定する訳じゃなくてね。でもそう仮定するとつじつまが合うことが増えるのも確か」
「たとえば?」
「今日の朝の出来事。あれも聴力がいいんじゃなくて、未来を見ることによって菊池がくる時間がわかったってこと。川越のことにしても予め、質問してくるのがわかっていたとか。菊池が狙われたのも、彼なりに何か気になることがあったとかさ」
「記憶力うんぬんはどうするんだ?」
さっきまでそれに酔ってたのはどこのどいつなんだか。
飽きれた表所でみやると恥ずかしそうに笑う。
「あの時はもう、それしか考えられなかったんだよ」
……未来を見る――超能力ねぇ。
そんな胡散臭い力がそうそう転がっているものだろうか。
そりゃ確かに、皆があれだけあいつを怯えたり恐れたりすることに疑問がわかないわけじゃないけど。
「でも、そのうち痛い目にあいそうだよな」
リンチにでもあって、川にでも流されるんじゃないのか?
だけど、どうだろうね、と若菜は首をかしげる。
「彼が学校中に敷いたのは恐れという圧力だよ。……手も出せないんじゃないかな」
うーん……。
そりゃ、背はオレより高いけど、非力そうな体だし、ちょっと殴ればそのままぶっ飛びびそうだけどな。
「ま。なんにしろ彼はそれだけの力があるってことかもね」
若菜は何故か楽しそうに言葉を紡ぐ。
(なんでこんなに楽しそうなんだ?)
「オレ、結構超能力の番組とか好きなんだよねー。」
意気揚揚とす若菜を見ながら、何故か不安になった。
「……あんま入れ込みすぎるなよ?」
しかもあの御手洗なんかに。
「入れ込んでなんかないって。でも放課後オレも残っていいかな」
そう聞く表情も嬉しそうだ。
……なぜか、目の前にいる友人を奴のテリトリーに送り込んでしまったような気分になった。
五話
放課後になると教室はあっという間に人気がなくなる。
いつもならホームルームが終わっても一時間以上女子が残っていたりするのだが今日は既に誰もいない。
広い教室に残っているのは菊池と若菜だけだった。
「皆どとうのごとく帰って行ったよね」
「若菜は帰らないのか」
若菜はにっこりと笑う。
「彼に真実を確かめたいんだっていっただろ」
本気だったのか。
「もし違うのならどうやって行ったのか。教えてくれないまでも手がかりをつかめたらと思ってるんだ」
若菜が楽しそうにいった後、ガラリと音がして教室の前側のドアが開いた。
「……」
菊池と若菜がその場所に視線を向けるが誰も入ってくる気配はない。
と、いきなり後ろ側のドアが開いて御手洗が入ってきた。
相変わらずの白衣とメガネで両手はポケットに突っ込んでいる。
「何の意味があるんだ?」
前側のドアを開いた意味は? 菊池は低くうめた。若菜は何故だか嬉しそうだった。
……何がそんなに嬉しいんだ?
心の中でうめく。
「待たせてしまったようだね、更也」
やけに明るく御手洗が声をかけてくる。
「来ないなら来ないでよかったけどな」
オレが答えると、カタンと椅子がなって若菜が立ち上がる。
「御手洗くんっ。話があるんだ」
ツカツカと奴の目の前まで歩いていく。
御手洗は今はじめて若菜に気付いたとでも言うように、なんだ?という表情を作り、その後心得たように頷いた。
「わかっているよ」
御手洗はゆっくり瞬きする。
「僕が今までどうやってこんなことをしてきたか聞きたいんだろ? それもお咎めもなしに」
口元がかすかに笑みをきざむ。若菜が驚いて目を見開いた。
「……!! やっぱり、君にはなんらかの力があるのかい!?」
勢い込んで若菜が聞くと、やんわりとした微笑みが向けられる。
それは肯定とも否定とも思わせる笑みだった。
だが若菜は肯定と読んだようで
「君はもしかして未来を読むことが出来るとか……?」
若菜は慎重に言葉を紡ぐ。
「……他の人には言わないで欲しいんだが」
御手洗はそれだけ言葉にした。若菜は何度も首を縦に振る。
「言わないよ……! そっか、そうだったんだ」
感動を自分の中に押し込むように若菜は繰り返す。
(……冗談だろ?)
菊池は信じられないと言った表情でそのやりとりを見ていた。
奴の視線がこちらに向う。
「更也、場所を変えよう」
そう言い捨て菊池の反応を待たずに踵を返す。
「ちょっ……」
慌ててカバンとコートを持ちその後を追う。
一度だけ若菜を振り返って声をかけたが若菜の耳には入ってないようだった。
階段を下りる。御手洗はどうやら別棟の実習棟に向っているようだった。
渡り廊下を歩いてから今度は階段を上る。
御手洗はあれから一度も菊池を振り返っていない。
(オレが付いて来なかったらどーすんだ?)
それともそれすら”超能力”とやらでわかるのだろうか?
ってオレまで鵜呑みにしてどうするんだよっ。
菊池はその考えを振り払うように頭を振る。
(そんな力あるはずがない)
三階に辿り着き左手に曲がる。御手洗の背中が見えなくなって、踊り場で足を止めた。
あるはずないのはわかってるけど。
……このままオレが消えたらどうなるのだろうか。
”超能力”とやらでわかるのか?
菊池はさっき御手洗が言ったことを信じるつもりがない。
そんな力を持った奴が身近に現れるわけない。
そもそも本当にそんな力があったら世間が黙っていないのではないんじゃないか?
菊池は階段の上を見上げてから後退する。
……でも本当に力があるんだったらオレがいなくなってもすぐその場所がわかるってことだよな?
心を決めて走り出す。今まで上ってきた階段を全速力で下った。
「はっ……はっ……」
菊池は座り込んで肩で息をする。
(酸素が、足りない……っ)
思い切り走って、体育館の舞台袖にしゃがみこんでいた。
ここならちょっと体育館を覗いただけじゃ見つかることはない。
菊池は極力ゆっくりと深呼吸をする。
さっきのところからここまで全速力で3分。階段を下り終えたとき、耳を澄ましたが足音は聞こえなかった。
(つまり、すぐには追いかけてきてない)
それから思い切り走った。体育館に入る時も後ろを振り返ったが御手洗の姿はなかった。
「はぁ……」
やっと息が落ち着いてくる。これでもサッカー部のレギュラーだ。
足の速さじゃ御手洗には負けない。
息を静めてから考える。
あそこからここまでまっすぐ歩いてきたとして7分。菊池は携帯の時計を見る。今の時刻は16時15分。
目を瞑って天井を仰ぐ。
バスケ部のかけ声とボールをつく音が聞こえた。
来る途中に出会ったのは、1階を通ってきたから知らない1年ばかり。
体育館にも裏側から入ってきたから誰にも見られていないはず。
(……見つかるはずがない)
学校だ。広い学校だ。それでどこに隠れるかなんて予想がつくか?
学校でかくれんぼをしたとして、たった1人の人間をみつけるのに何分かかるだろう。
30分は絶対にかかる。見つかるはずがない。
5分経って安堵感が生まれてくる。自分が何をしているのかを思っておかしくなった。
(来るはずないじゃん)
なにを試したかったんだか。ゆっくりと立ち上がる。
御手洗と話すことがあるのだ。戻らなくてはいけな……
「更也。何故こんなところへ?」
いきなり声がかかった。振り返ると反対側の舞台袖に御手洗が立っていた。
六話
「うそだろ」
まだ5分しか経っていない。
もちろん、体育館まで廊下など通らずに一直線に来たとしたらこの時間でも来ることは可能かもしれない。
でもそれは菊池がここに来てる事がわかって初めて出来ることだ。
後ろを追ってきてなかったのは確か。
体育館を入るところを見られてないのも確か。
携帯を見ても示している時間は変わらず4時21分。
こんちくしょう……菊池は口の中で悪態をついた。
マジかよ……っ。
苦い笑みが浮かんだ。それと憤り。
なんで神様はこんな奴にこんな力を与えてしまったのだろう。
そう、本気で考えた。
今は使われていない化学準備室。実習棟の3階の一番奥の教室だ。
4,5年前までは使われていたらしいが、校舎が増築された時に新しく化学室が作られたので誰にも使われていないらしい。
が、なぜかそこにはパソコンやらなにかの機材やらがごろごろしている。別の机の上には何かがプリントされた紙が散乱している。
カチッ……カチッ……とどこからか奇妙な機械音もする。
この教室で使われていたらしい机は端の方に積み重ねられている。
それと一番目に付くのがどこから持ってきたのか人ひとり眠れそうな固そうなソファー。
それは何故だか部屋の真ん中に置かれていた。
「……なんだよここ」
それに目を奪われながらも周りを見回した。
試験管やら緑色の粉末から青い液体。それからなぜかコーヒーの粉末とポット。
「そこに座って」
示す先は教室でも使われているイス。オレはそれに腰掛ける。
「ちょっと待ってて」
御手洗が更に奥にある部屋に消えた。
菊池はやることもなく部屋をみまわす。さっきからしているこの音はなんだろう。
カチッ……カチッ……。 音の方へ目を向けるとパソコンの近くにメトロノームが置いてあった。
(なんでこんなものがここにあるんだ?)
その動きを追って、目を捕らわれた。
――あれ?
「目覚めはどうだい?」
いきなり天井が移った。雨漏りをしているのか所々しみができている。
菊池は上半身を起こす。
「……?」
ソファーに寝ていた。
……いつソファーに寝たんだっけ?
ゆっくりとあたりを見回すと御手洗と視線が合う。
「今日はもういいよ」
「? ああ」
頭を振る。嫌な感じはしない。むしろすっきりしているくらいだ。
ソファーを降りて携帯を見ると17時を過ぎたところだった。
「オレ……寝てたのか?」
いまいち状況がつかめない。
だが御手洗は不思議な笑みを浮かべただけだった。
「写真のことはまた明日ね」
それだけ言ってまた奥の部屋に戻って行った。
どうしてだ? いつ眠ったんだ?
空白の30分がある。
――その間に何かされたのだろうか。
翌日。
あくびをしながら菊池は校門を通る。昨日は結局よく眠れなかった。
どうやってもあの30分間が思い出せない。
(確か、部屋に入ったところまでは覚えてるんだけど)
と、人ごみの中に御手洗を見つける。
どうやら先生と話し込んでいるようだった。
御手洗はこの季節なのに暑いのかネクタイを緩める。何故か足が止まった。
あれ? と頭の中で思う。
今見たものが頭の中に焼きついた。トクンと心臓が高鳴る。
足がふらりと御手洗の方へ向って動き出す。
行き交う生徒も気にせずに御手洗を見据え近づいていく。
視線に気付いたのか御手洗が菊池の方へ振り返った。
菊池の足が速まる。御手洗が首をかしげて目を見開いた。
「……っ!」
菊池は御手洗の頭をかかえて唇を合わせていた。
七話
「……へ?」
はっとして体を離す。
……な、なにしたオレ?!
御手洗の瞳にも驚きが見える。それ以上に自分の行動が理解できなかった。
オレ今なにした? オレ今なにした?
頭の中を疑問が駆け巡る。
今……?
無意識に唇を抑える。御手洗を見上げると視線があった。
驚きは消えていた。だが菊池は困惑を隠せない。
「……おはよう、更也」
少し笑って、それだけ言って御手洗は背を向けた。
(……なにした、オレ?)
そのまま立ち尽くしたまま動けなかった。
「どーゆーことなの?」
若菜が今日何度目かの同じ質問をする。
机の上に視線をさまよわせながら首を振る。未だに信じられない。
朝、御手洗に会って……自分から――
「なんでだよ……?」
朝の困惑はまだ取れないでいた。
どうしていきなり? そこから考えが進まない。
なんであいつに?
まったく訳がわからない。
そもそもまだ知り合って三日だ。
もし、オレがそんな性癖をもっていたとしても……いや、そんなこと考えたこともない。
じゃあなんでオレはあんなことをしたんだ?
御手洗を見た瞬間……違う。
御手洗が先生と話してるのを見て、その後だ。
いきなり体が動いて、頭が真っ白になった。
気付いたら目の前に御手洗の顔があって、慌てて離れた。
「なんで……」
いくら考えてもこの先に進めない。
訳がわからない。もしあんな願望があったとしてもそれは好きな子に対してだ。
あんな盗撮や不法侵入、その上得体の知れない力を使って、すでに尋常じゃない思考回路の奴に、今朝の様な行為をするほど命知らずじゃない。
「じゃあ、なんでんだ?」
いつのまにかその気になってたとか?
無意識の力であんなことを?
そう考えて首を振る。んなことあってたまるか。
じゃあ、何であいつに……
「なぁ、キスしたって本当なのか? だとしたらなんで?」
若菜はしつこく聞いてくる。
「……いや」
菊池は言葉を濁した。どう答えたら良いのか自分でもわからなかった。
若菜はそんな菊池をみて声を低くして言う。
「もしかして、それが菊池の条件なのか?」
「――は?」
わけわからないことを言われて顔を上げる。
「一部で騒がれているんだよ。菊池が標的にされてるのは皆知ってるからさ。今度はあいつ男にキスする興味でもわいたんじゃないか、って」
菊池はそれを聞いてからまた考える。
――ちょうどいいかもしれない。どうしてあんなことになったのか自分でも分からない。
なにより今は考える時間が欲しい。
それに。まさか……自分から御手洗に仕掛けたなどとは言えない。というか口が裂けても言いたくない。
「まぁ、深くはいえないけどそんなところ」
言葉を濁しながら言うと、バンッと大きな音がして教室のドアが開いた。
菊池も若菜も、教室で昼食をとっていたクラスメートもそいつに注目した。
「それはどうだろうね」
そいつ――御手洗は一言いって教室に入ってくる。音楽でも聞いていたのかイヤホンを外しながら教卓に腰掛けた。
こちらを見て面白そうに笑う。
「どうやら変な誤解が広がってるようなので早めに訂正しておこうと思ってね?」
ぎく。
思わず顔をそらす。
御手洗の腕が上がり人差し指で菊池を示す。
「仕掛けてきたのはあっちだ。僕じゃない」
クラス中の視線が菊池に集まる。
「ち、ちがうっ!!」
咄嗟に声を上げる。御手洗は意外そうに方眉だけあげた。
「オレは……してない」
そう、少なくとも自分の意思ではしていない。
だんじてそんなことはない。
ここできっちり否定しておかないと、とんでもないことになる。
「そうだったかな?」
御手洗は余裕の笑みを浮かべ肩をすくめた。
「もし更也が本気だったなら、僕は受け止めるつもりだったんだけど?」
「ほざけ、馬鹿!」
御手洗の言い分に反射的に怒鳴り声を返す。
それに一体何を受け止めるというのか。それを考えてゾッとする。
「……しないのかい?」
御手洗に聞かれ、菊池の顔が赤くなる。
「誰がっ」
菊池が怒鳴ると、何故か御手洗がネクタイに手をかけた。ネクタイを緩めて――
「あ、ゴキブリ……」
静まった教室に思い切り場違いな女子の声が上がる。
反射的にクラス中が声の方へ振り返る。菊池とて例外じゃない。
……シン。
沈黙が流れて一呼吸。
誰かが咳払いをした。それ境に気を取り直して御手洗へと視線を戻した。
「……」
御手洗は自分の手にネクタイを握っている。
「……?」
菊池が顔をしかめると、はっと気付いたように目を見開いた。そっと俯く。
「……しまった」
ぼそっと呟くのが菊池の耳まで届く。
御手洗の変化を見て、余裕が生まれる。
なんだか知らないがこっちが優位な立場になったらしい。つまり形勢逆転。
「で、なんだっけ? オレがあんあたにキスするとかしないとか?」
御手洗は取り繕うように笑う。
「あー、そんなこともいったかな?」
「誰がてめーにんなことするかっっ!」
菊池は身近にあったものを投げつける。御手洗はそれを軽くよけて教室の外へと逃れる。
「どうやら君の愛の受け取りに失敗したみたいだ」
さっきまでの様子はすっかりなくなっている。にっこりと笑う。
「じゃあ、また放課後!」
思い切り投げつけたペンケースは虚しくも宙をないだ。
「もう、来るんじゃねぇっ!!!」
八話
でも菊池は懲りずに放課後に待っていたりする。
なぜかって? そんなの決まっている。朝起きたことの結論が出たからだ。
左側の開け放っている窓から冷たい風が流れ込んできた。
今日は若菜は委員会の集まりとかでいない。クラスの連中もすでにいない。
席に座って待っていると
ガラリ。
前側のドアが開く。でも案の定そこには誰も居ない。
ガラリ。
今度は後側のドアが開く。……がそこにも誰も居ない。
「……?」
いぶかしんでいると、いきなりどこからか声がした。
「芸人とはかくしも辛いものだと思わないかい?」
くぐもった声がした。菊池が振り返ると後方のベランダ側の窓が開く。
御手洗は焦点の合っていない瞳で教室の虚空を見ながら呟く。
「なんせ同じ芸は二度とすることが出来ないのだから」
菊池は席から立ち上がり、御手洗の前まで歩む。
真向かいに立つと、御手洗はいつものようににっこりと笑う。
「愛がある故に君との出会いも美し――」
ガラッ、カッチャン。
問答無用で窓を閉めた。
「…………どういうつもりかな?」
遠くなった声を聞きながら菊池は髪をかきあげる。
「さて、と」
後ろの黒板の上部にひっかけてある丸い時計を見上げると16時30分を示している。
「帰るか」
もう外は暗くなり始めている。こんなことなら部活に参加していればよかった。
(今から行くかな)
昨日約束もしたし。息をついてから自分の席へと踵をかえす。
「あ、ここ僕もやったよ」
いつの間にか御手洗が席についてノートを広げている。
何故だかひどい徒労感を感じて、菊池はその場にしゃがみこんだ。
目を閉じて心の中で繰り返す。
(相手にするな。相手にするな。相手にするな)
ああいうのは人の反応をみて楽しむ愉快犯なんだから。
自分にしっかりと言い聞かせてから腰を上げる。
よく見ると自分の席の隣の窓は大きく開いている。
そうだった。さっき開けっ放しにしておいたのだ。
……じゃあ、オレが時計を見上げたあの瞬間に窓から入って席についたわけだ。
(なんつーか。……運動神経が良いのか? それともまた”超能力”でも使ったのか?)
歩みを進めながらそんなことを考える。
自分の席の脇にたって御手洗を見下ろした。
「何がしたいんだよ、あんたは」
「愛しているが故に、君と愛を深めたいんだ」
間髪入れずに真顔で返してくる。
「……そうか、今日は寒いしな」
菊池は半眼でバカにしたように呟く。
だが御手洗はそれを気にした風もない。
「君の方こそ僕を待っていてくれたんだろう?」
「そうだよ」
菊池は笑みを作りながら御手洗の胸倉をつかみ上げた。
「本題に入るけどな。お前オレになにかしただろ?」
今日の昼休みの反応。あれはどこかおかしかった。
「何のことだ?」
「ふざけるな。オレに何かしたんだろ、昨日っ! オレはなぁ、男なんかにましてお前なんかにキスする性癖なんかないんだよっ!」
御手洗はそれを聞いてからあからさまにあきれた表情をする。
「何だ。そのことか」
「やっぱり心当たりあるんだな、てめぇ! 何しやがった!!」
御手洗は菊池の手を強引にはがす。ため息をついてネクタイを締め直した。
「……まったく乱暴な」
「いいから話せよ」
菊池はイライラしながら御手洗に詰め寄る。御手洗は軽い口調で言う。
「ほら、この間正月の特番でやっていたろう?」
(特番?)
……話が見えない。それがどうしたっていうんだ?
眉をしかめると、首をかしげながら御手洗が言った。
「催眠術?」
……。
「お……おおおお前はもしかして……えぇ~~?」
「見よう見真似でやったのに成功しちゃって流石の僕も驚いた」
「んなこと見よう見真似でやんじゃねーよっっ」
声を震わせて怒る菊池をよそに御手洗はケラケラと笑う。
「だからちょっとした好奇心だって」
そしてふと真面目な表情に戻って
「人間って恐ろしいよね……」
そんなことを言う。
恐ろしいのはお前だ、ボケ。
「……わかった。もういいからこの術解けよ」
震える拳を抑えながら出来るだけ穏便に言ってみる。
「それは無理だ」
だがあっさりと御手洗はそれを断った。
「お前、俺に殴られたいのか?」
「僕は解き方を知らない」
……。
…………。
だれか。だれかこいつを殺してください。
「それに別に困るものじゃないだろ?」
「困るに決まってるだろっ! そもそもなにをかけたんだよ?!」
それを聞いてなかったことに気付く。
「教えて欲しい?」
余裕ぶって聞く御手洗に、菊池の目が据わる。指を組んで鳴らした。
御手洗は慌てた風を装ってから、言葉を続けた。
「わかった。教えよう」
御手洗が席から立ち上がって姿勢を改める。菊池にも緊張が走る。
「僕を見ていてくれ」
御手洗の方が少し背が高いので見上げるう風になる。
……じぃーーーー。
何故か見詰め合う。
……じぃーーーーー。
御手洗が恥ずかしげに視線をそらした。
「……いいから、真面目にやれ」
「ふむ」
御手洗はネクタイに手をかけてシュッと外す。
菊池の体がビクンと触れてそのまま至近距離から御手洗に口づけた。
次の瞬間、我に返って慌てて離れる。
「……気色悪ぃっっ!」
「失礼な! ……ま、つまりこーゆーことだ」
御手洗は何故かネクタイを結び直す。
「おい……」
反論する間もあたえず、またネクタイを外す。
反射的に菊池が口付けると、御手洗が頭を押さえつけた。
「……んっ」
離れようとする唇に濡れた感触が走る。
驚いて口を開こうとしすると反対に舌が滑り込んできた。
「……っ」
逃げようとしても強引に舌がからまってきて、力が抜けた。
頭の中が真っ白になって、なにをしたらいいのかがわからない。
ひざふが震えてきて、無意識に御手洗の背にしがみついた。
「……は」
解放されると力が一気に抜ける。
ぼーっとした頭のまま、その場にへたり込んだ。
「大丈夫?」
楽しそうな声に菊池は我に変える。慌てて口元をぬぐった。
顔が熱い。
「ふざけんなよっ、てめぇっ」
いつのまにか席に座り直している。御手洗は肩をすくめた。
「つまり、僕がネクタイを解くとこうなるわけだ」
御手洗は外したネクタイを弄ぶ。
「名づけて『お帰りのチュウ』」
「死ねっ」
得意げに言う御手洗のすねを思い切り蹴る。……情けないことにまだ腰が立たなかった。
「足蹴にしないでもらいたいんだが?」
「てめーなんか足で十分なんだよっ」
菊池は隣の机を支えにしながら立ち上がる。
御手洗が弄んでいたネクライを引っ手繰った。
「とりあえず、てめーのネクタイは預かる」
「えーーーーー」
「えーじゃねぇ。明日までに解く方法考えて来いよ」
「それは横暴じゃないか?」
「お前のことだ、それは」
菊池が返すと御手洗はあっさりした調子で返した。
「まぁ、いいか」
「……あっさりしてないか?」
今までの経験からか、警戒心がわく。
「まぁ、また明日も君と出会う約束が出来たしね」
そうして少しだけ微笑む。
「僕、結構本気だよ?」
静まった教室に御手洗の言葉が響く。まっすぐな瞳に見つめられて菊池は言葉に詰まった。
「……何に」
「君をからかうことに」
真顔で言い返されて、菊池の表情が消える。
「じゃあな」
それだけ言ってコートとカバンを持ち歩き出す。
「またねー」
追いかけてくるように御手洗の声が聞こえた。
九話
朝早く学校へ向う。金曜日だけは部員全員参加の朝練をやっている。ちなみに他の曜日は自主制なっている。
昨日結局、部活に顔を出す気分に慣れなくてそのまま家に帰った。そうしたら案の定、夜に電話がかかってきた。
(好きでサボってるわけじゃないのに)
校庭の西の片隅にある部室棟の一室に向う。運動部の部室はほとんどがこの棟にある。
近くまで行くとドアが開いていて、その周りに一年がたむろっていた。
「おはよーございまーっす」
向こうが菊池に気付いて、頭を軽く下げる。
「はよー」
軽く答えてから部室を覗き込む。
「あ、おはよう」
部屋の中にいた部長の本田(ホンダ)が気配に気付いてか振り返った。
「はよ。悪かったな、最近部活でないで」
「ホントだよ。お前がいないと一年の動きが悪いからなるべく顔出してくれ」
「そりゃわかってるんだけど、さっ」
立て付けの悪いロッカーを開いてその中にカバンや脱いだコートやらを押し込む。
「火曜日以来だろ?」
あー、そうだな。火曜の部活後に奴に襲撃されて以来、なんだかんだで顔出してないから。
「なに、不貞腐れた顔してんだよ?」
笑いを含んだ声に眉根を寄せる。
「こっちも大変なんだって」
そらもう、部活のことをすっかり忘れてしまうくらいには大変。
制服を脱いでジャージに着替える。
「御手洗?」
「やっぱ知ってるか?」
本田は苦笑いを浮かべる。
「あいつとは同じクラスだしな」
「あ、そうなん? ……あいつってクラスでもあんな調子なのか?」
人の迷惑を考えないで、無茶苦茶する奴。
運動靴をロッカーの中から引っ張り出した。
「いや、拍子抜けするぐらい普通」
……普通?
「変なとこ全然ない。あの白衣も普段は全然着てないし、授業中も普通に受けてるし。時々ふいにいなくなるぐらいだよ。もう、これが”あの噂の御手洗”とは思えないくらい」
その姿を思い浮かべようとしたがうまくいかなかった。奴の普通がどーゆー状態だか想像が出来ない。
「でもそれって……」
「菊池せんぱーい」
詳しく聞き出そうとしたところで外から呼ばれる。ドアから一年達が顔を出していた。ニヤニヤした笑いを浮かべて。
「なんだよ?」
一年は手招きをする。菊池はロッカーを足の裏できっちり閉めてから部室の外へでる。
頭をつき合わせて4、5人が丸くなってしゃがみこんでいる。座れと示されたので、その輪に加わる。
「で?」
気乗りしないまま聞くと、コソコソと話し始める。
「先輩。あの御手洗先輩とキスしちゃったって本当ですか?」
肩から力が抜ける。
「御手洗ってあの噂の人ですよね?」
「もう、オレ達気になって気になって」
「すっげ心配してたんですよ」
……ってお前ら目が笑ってるんだけどな。
「どこで聞いたんだ、それ」