饭饭TXT > 海外名作 > 《ライズ(日文版)》作者:未知【完结】 > ライズ(日文版).txt

文章简介

作者:未知 当前章节:15401 字 更新时间:2026-6-23 02:43

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附:【本作品来自互联网,本人不做任何负责】内容版权归作者所有!ライズ 1

蓮見潤(はすみじゅん)は公園のべンチで途方に暮れていた。

 大学在学中に就職の内定を取れずに就職浪人となってしまった蓮見は、その後ようやくある会社に就職できたのだが、その会社は俗に言うブラック会社だった。高額な浄水器の営業販売が仕事だったが、最初の1カ月の試用期間はまだ良かった。先輩について一緒に営業に行き、1台売れればその何割かをもらえたからだ。ところが、試用期間が明けた次の月から本当の地獄が始まった。営業の為の残業代も交通費も電話代も一切会社からは出ない上、その浄水器自体を自分で買い取らなければならず、ノルマとして1カ月に5台は必ず購入させられる。勿論売れなければ全額自己負担、給料は形だけで実質売れなければ無しに等しかった。おまけに浄水器は『これで病気が治りました!』などというふれこみだったが、本当に効果があるのかどうか疑わしい、百万近くするようなものとは到底思えないような代物だった。一括ではとても払うことができずにローンにして、そのせいでいつの間にか借金は雪だるま式に膨れ上がりにっちもさっちもいかない状況に陥ってしまった。実家にも頼れない。何しろ、幼い頃に父を亡くしてからは母親がたった一人で、それこそ朝から晩まで働いて、やっとのことで蓮見を大学まで行かせてくれたのだ。就職が決まった時も泣いて喜んでいた母親に、借金のことなど言える筈もない。かと言って、そんな疑わしい品物を人の好さそうな爺さん婆さんに何食わぬ顔で売り付けるという度胸もなかった。ローンの申込書に印を押そうとしてくれた人はいたが、蓮見はその度に郷里の母親の苦労じみた顔を思い出し、逆に「こんなものにお金を使っちゃいけません!」などと言ってしまったりした。最早どうしようもなく、蓮見は浄水器の在庫を抱えたまま途方に暮れるしかなかった。

「はあ……腹へった……」

 項垂れてべンチに座りこみ、蓮見は大きな溜息を吐いた。ここ何日か、満足な食事も摂っていなかった。携帯はとうに止められ、電気やガスや水道も、あと何日かすれば止められてしまうかもしれなかった。

「……寒い……」

 蓮見はコートの襟を立て、がたがたと震えた。

 ……このままのたれ死ぬのかなぁ、俺……などと、すっかりマイナスな思考に傾いていた蓮見の視界の端に、薄汚れた格好のホームレスの男が映った。ぼさぼさ頭の男はこの公園をこれから根城にするつもりらしく、段ボールと青いビニールシートで雨風をしのぐハウスを作り始めた。

 なんとはなしに蓮見はその男をぼんやり見ていた。……俺も近いうちにああなるのかもしれない……そんな思いが頭をよぎる。

 蓮見は急に思い立って、そのホームレスの男に近付いた。男は怪訝そうな顔で蓮見を見た。

「あの……すいません。……これ……差し上げます」

 蓮見は鞄から浄水器の箱を取り出した。

「俺……もうこんなものいらないし……どうぞ使って下さい……」

 差し出した浄水器を、男は変な顔をしながら受け取った。考えてみれば、公園の水道に付けることもできないだろうし、ホームレスには全く必要のないものだった。

「あ……すいません!……あの……捨ててくれてもいいです……」

 蓮見は慌てて言って、ぺこりとお辞儀をして足早にそこを去ろうとした。途端に腹がぐーっと盛大に鳴り、ホームレスの男はちょっと呆気にとられたような顔をして、それからにやっと笑った。

「兄ちゃん、腹へってるのか?……これでも喰うか?」

 薄汚れた上着のポケットから取り出したのは普通にコンビニで売っている三角のおにぎりだった。

「大丈夫、賞味期限は今朝の4時だからまだ全然余裕だよ」

「あああ、ありがとうございます!!」

 蓮見はそれを押し頂くようにして礼を言った。

 先程のべンチにホームレスの男と並んで座り、蓮見は一心不乱とでもいうような様子でそのおにぎりを平らげた。あまりに慌てて食べて途中でむせ、ホームレスの男はペットボトルの水もくれた。

「……す、すいません……」

「中身はこの公園の水道の水だけどよ」

 男はそう言って笑った。

 それから蓮見は問わず語りに一部始終をホームレスの男に話した。母親にも話せない仕事や借金の話を、この名前も知らない、今さっき初めて出会った薄汚れた格好の男に話すことに、蓮見は既に何の抵抗も感じていなかった。むしろ、自分もすぐにこの男と同じホームレスになるのだと思えば妙な親近感すら覚えていた。

「そいつはひでぇ会社もあるもんだな」

 男は話を聞いて真剣な表情で呟いた。

「兄ちゃんも、そんな会社さっさと辞めちまえばよかったのになぁ」

「はい……もう今日で辞めます。……アパートも家賃が払えなくなったら追い出されてしまうし……俺ももうすぐホームレスの仲間入りです……」

 蓮見は細面の青白い顔に気弱そうな笑いを浮かべた。男は蓮見を見て、少し考えてから言った。

「……な、兄ちゃんよ、じゃあ俺んちにでも来るか?」

「は?……えっと……でもおじさん、そこの段ボールで……」

 蓮見が驚いて言うと、男はしかめっ面をした。

「おじさん……って、俺はそんな年寄りじゃねぇんだがな……ま、いいか、ちょっくらついてきな」

 ホームレスの男はべンチからすっくと立ち上がり、すたすたと歩き出した。蓮見も慌ててついていく。

 公園を出て、駅前の繁華街へと向かって大通りをしばらく歩いたところに、一台の黒塗りのべンツが停まっていた。男はおもむろにべンツの後部座席のドアを開けてそこに乗り込んだ。

「えっ……」

 驚いた蓮見が立ち竦んでいると、男はドアから顔を出した。

「どうした?兄ちゃん、早く乗れよ」

「……あ、は、はい……」

 一瞬躊躇ったものの、蓮見は言われるまま車に乗り込んだ。運転席にはきちんとした背広姿の男がいて、蓮見が乗り込むとすぐに車は発進した。

「あ、あの……」

 蓮見はおそるおそる口を開いた。

「これは……一体……」

 男はすっかり寛いだ様子でにやっと笑った。

「心配するな。俺の家に行くだけだ」

「は、はぁ……」

 蓮見はそれ以上聞けずに緊張した面持ちで縮こまってしまった。……ま、まさか、この人ヤクザとかじゃないだろうな……けど、俺なんか拉致したところで一銭の得になる訳でもなし……蓮見はそんなことを考えながら、周りをおずおずと見回した。べンツの窓には黒いフィルムが貼られていていかにもな雰囲気だし、運転手も黒ずくめの恰好で顔は見ていないがさっきから一言も喋らないのも何か異様だ。そして、ホームレスだとばかり思っていた男……よく見れば確かに無精ひげに覆われた顔はおじさんと呼ぶには少し若そうだったが、ぼさぼさの頭に何日も洗っていないような、サイズの合っていない薄汚れた上着とズボン、とてもじゃないがこんな高級車に乗るような男にはどうしても見えなかった。

 車は繁華街を抜け、郊外へと向かった。車内は無言のままで30分程走っただろうか、やがて大きな鉄の門が見えてくる。その門扉が音もなく自動で開き、車はその中へと入っていった。門からもさらに延々と道は続き、周りには鬱蒼とした森のような木立が広がっていた。やがてその木立が途切れてぽっかりと開けた空間に出る。そこにはまるで巨大なホテルと見紛う程の白亜の豪邸が建っており、蓮見は馬鹿のようにぽかんと口を開けてその屋敷を眺めるしかなかった。

 玄関前の石畳の広いアプローチにべンツは静かに停まり、黒ずくめの運転手がさっと降りて、蓮見の側のドアを開けた。蓮見は戦々恐々としながらも車を降りた。すぐに運転手は男のいる側のドアに回り、同じようにドアを開けた。男は悠然と車から降り、おどおどしている蓮見ににやっと笑いかけ、言った。

「ここが俺んちだ。……まあゆっくりしてってくれ」

「……は、はぁ……」

 男は重厚な造りの玄関ドアを開け、蓮見を促しながら屋敷の中に入った。

 入ってすぐのところはホールのように広々とした空間で2階までの吹き抜けになっており、大きくて広い階段があった。その階段を昇ると左右に廊下が伸び、男は向かって右の方へと歩いていった。いくつかのドアを過ぎ、男は立ち止まった。

「兄ちゃん、この部屋でちょっと待っててくれ」

 そう言って開けたドアの先は応接セットの置かれた広い洋室で、蓮見は男に言われるままそのソファに腰を下ろした。蓮見はただただこの屋敷の広さや豪華さに圧倒され呆然としていた。この怪しげな男は何者なのかとか、一体自分はどうなってしまうのかとか、頭の中にはごちゃごちゃと浮かんではいたものの全く思考が追い付いていない状態だった。男はそんな蓮見をそこに残し、部屋を出ていった。

 男が出ていってしばらくしてから、部屋のドアがノックされた。

「は、はい!」

 蓮見がびくっとしながらも返事をすると、ドアが開いて手にお盆を掲げたホテルマンのような格好をした若い男が入ってきた。 男は蓮見の横に立つと恭しく礼をして、蓮見の前のテーブルにコーヒーの入ったカップを置いてもう一度礼をした。

「あ、ど、どうも……」

 蓮見が言うと、若い男はにっこりと微笑んでまたすぐに部屋を出て行ってしまった。

 ……まさか毒なんかは入ってないとは思うけど……蓮見はそんなことを考えながらコーヒーに口を付けた。それは紛れもない本格的なコーヒーで、単純に美味しかった。

 蓮見がコーヒーを飲み終える頃に、別のドアから男が部屋に入ってきた。

「待たせて悪かったな」

 そう言って蓮見の向かいのソファに腰掛けた男を見て蓮見は自分の眼を疑った。

 蓮見の目の前にいるのは先程までの髭だらけの小汚い格好のホームレスではない。いかにも上質そうな濃色の生地で仕立てられたイタリアンクラッシックタイプのスーツに、櫛目も鮮やかに撫でつけられた髪、髭のない引き締まった頬に精悍で余裕のある笑みを浮かべて、男はゆったりと座っていた。

 少し切れ長に近い眼が細められ、男は言った。

「なんだ?洗ってきたが俺の顔にまだ何か付いているか?」

「い、いえ!!……」

 蓮見は慌てて頭を振った。男はふっと笑った。

「そう言えばまだ名前も言ってなかったな。……俺は海堂怜司(かいどうれいじ)、きみは?」

「お、俺は蓮見潤です。……す、すみません、俺……てっきりホームレスかと……そ、それにおじさんなんて言ったりして、本当にすみません!!」

 今蓮見の前にいる海堂と名乗った男は、どう見ても20代後半から30代前半くらいだ。蓮見が謝ると海堂は肩を竦めた。

「そう見えるような格好をしてたんだから当然だろうな。……あれはまあ、仮の姿とでも言うのか、そんなもんだ」

 海堂は蓮見のやややつれた顔を真正面からじっと見つめて言った。

「それより、きみはこれからどうするんだ?」

「どう……って……会社も辞めるし、残ったのは借金だけですし……」

 蓮見は俯いた。

「もうホームレスになるくらいしか……俺にはどうしようも……」

「ふん……そうだろうな……」

 海堂はやや間をおいて言った。

「借金の額はどれぐらいだ?」

「……さあ、正直自分にも分かりません。……どんどん利息が増えてしまって……」

 蓮見はますます項垂れた。……先のことを考えると、もうどうしていいか分からない。

「そうか……じゃあ少し調べさせてもらおう」

 海堂はそう言うと立ち上がり、部屋の隅にあった大きな机の傍に行き、その机の上の電話を取った。

「俺だ。蓮見潤の借金の額を知りたい。……ああ、大至急だ」

 海堂は受話器を持ったまま、蓮見を振り返った。

「生年月日は?」

「あ、ええと、19××年9月18日です……」

 面喰らいながらも蓮見が答えると、海堂はそのまま電話に告げた。

「分かったらすぐに教えてくれ」

 そう言って受話器を置き、海堂は蓮見を振り返り言った。

「俺はいろいろと事業をやっていてな、こういうこともすぐに調べがつく」

「でも……なんで……」

 蓮見は訳も分からないまま海堂に聞いた。海堂怜司……得体の知れない男だった。

 海堂は薄く笑った。

「知り合ったのも何かの縁ってことだ。……そろそろ食事の用意もできただろう。まずは腹ごしらえとしようか」

ライズ 2

 蓮見は海堂に階下へと案内された。そこでも蓮見は眼を剥いて驚くしかなかった。

 まるでホテルの宴会場のような広い空間に、生花の飾られただだっ広いテーブル、四方には大きな窓があって柔らかな陽射しが差しこんでいる。厳かなバロック音楽が静かに流れ、蓮見はなんとなく晩餐会にでも参加しているような気分になってしまった。なにしろ、この広いテーブルで食事をするのは海堂と蓮見だけなのに、先程コーヒーを運んできた若い男の他に5人も同じ服装の男たちが給仕に付き、あれこれと世話をしてくれるのだ。その上蓮見が食べたことは勿論見たこともないような料理が次から次へと運ばれてきて、ナイフやフォークを使い慣れていない蓮見はどうやって食べたらいいのかも分からない。それに気付いた海堂が、傍らに立っていた男に何やら告げると、男はさっとそこを離れ、すぐに箸を持って戻ってきた。

「食べ方は気にしなくていい。マナーがどうとかそんなことを言う奴はここにはいないからな」

 海堂は言い、自らも箸を使って食べ始めた。

 蓮見はその言葉に少しほっとして、とりあえず食べやすそうなものから箸を付けた。傍にいた先程の若い男が、箸では切りにくい料理をナイフで器用にそして綺麗に小分けにしてくれた。

「御馳走様でした」

 すっかり満腹になり、食後のコーヒーを飲んで蓮見もようやく落ち着きを取り戻した。それに伴って、会社に辞めることを言わなくては、とか、ゆっくりしていけと海堂には言われたもののこれ以上迷惑をかけては申し訳ない、とか、またいろんなことが頭に浮かんできた。

 一緒に先程の部屋に戻ると、机の上の電話が鳴った。海堂はそれを取り、頷いて二言三言話すと電話を切った。

 ソファに向かい合って座ってから、海堂が言った。

「きみの借金だが、5千万ほどあるようだな」

「ご、5千万!……ですか……」

 蓮見は驚くと同時にがっくりと肩を落とした。そんなに多額になっているとは思ってもいなかった。立派な家だって建てられそうな金額だ。とても自力で返済できるとは思えなかった。返済できるとしても、30年くらいのローンでもなければとても無理だ。 第一、仕事が無い。考えただけで気が遠くなった。

「は、はは……」

 蓮見は虚ろに笑った。……もう笑うしかないじゃないか。

 虚ろに笑った後は呆然自失の体で、蓮見は腑抜けのように力なく項垂れた。

 そんな蓮見を見つめて、海堂は口を開いた。

「……俺にとっちゃ5千万は大した額じゃないが、きみが返そうとしてもせいぜい利息だけで、元金はほとんど減らないだろうな。……まあ自己破産という手もあるが、そうなると母親の方にも借金の取り立てが行き、持ち家やその他の物も処分させられそれでも足りなければそこでやっと破産手続きだ。その後は少なくとも7年間はローンも組めずカードの類も持てなくなるから、大きな買い物は全くできなくなる」

 海堂の言葉を聞いてはいたものの、蓮見の頭には全くと言っていいほど入って来なかった。自分のこれから先の人生はただただ借金を返す為だけにあるのか、という諦めとか絶望じみたものが蓮見の中を去来していた。

「……そんな情けない顔はするな」

 海堂は言い、不意に蓮見の顎に手をかけて顔を上向かせた。切れ長の瞳がじっと蓮見を見据えている。蓮見はぼんやりとその眼を見返した。

「5千万は、俺が払ってやる」

「は……?」

 一瞬、何を言われたのか分からずに、怪訝な顔で蓮見は聞き返す。

「俺が……何ですか?」

「だから、俺が5千万出してやると言ったんだ」

「はぁ……5千万を……」

 蓮見は海堂に顎を取られたまま頷いて、それからやおら目を剥いた。

「はあ!?」

 ようやく海堂の言葉を理解して慌て出した蓮見を見ながら、海堂は手を離し薄く笑った。

「な、なんで!?あなたとはさっき会ったばかりで……そ、そんな見ず知らずの俺の借金を、なんであなたが!?」

「まあ、乗りかかった船、だな」

 蓮見は泰然と言う海堂を呆気に取られて見つめた。……こんなことって、あるのか!?……なんて奇特な人なんだ、この人!!

「……ただし、条件がある」

 海堂は言い、ソファの背もたれに深くもたれた。

「俺も慈善事業をやっている訳じゃないからな。きみにも借金の分は働いてもらわないといけない」

「な、何をすればいいんですか!?」

 蓮見は身を乗り出した。

「働きます!!……何だってします!!……お願いします、やらせて下さい!」

 蓮見には失うものは何もなかった。縋りつかんばかりの勢いで、海堂に頭を下げた。

「まあそう焦るな」

 海堂はそう言って立ち上がると再び電話のところに行き、受話器を取った。

「書類を持ってきてくれ。……そうだ、蓮見潤の……ああ、分かった」

 そうして、もう一度ソファに座り直して言った。

「アパートの退去と会社への連絡は既に済ませておいた」

「えっ……で、でも着替えとか……お、俺はどこに住めばいいんですか?」

 蓮見は面喰らいながら聞く。

「この屋敷では不満か?……5千万と、きみの衣食住は俺が保証する」

 海堂はこともなげに言い、それから思い出したように笑って付け加えた。

「住み込みだからと言って24時間仕事をしろとは言わないから安心しろ」

「は、はぁ……」

 ……こんな立派な屋敷に住み込みで?……仕事って一体何をするんだろう?……だけど、どんな仕事だって今までに比べたら……などと蓮見が考えていると部屋のドアがノックされた。

 男が入ってきた。銀縁の眼鏡をかけ、細身の紺のスーツ姿のちょっと神経質そうな男だ。

「お待たせいたしました」

 男はA4サイズの紙を海堂に手渡した。

 海堂はそれにちらっと視線を投げ、それから蓮見に向き直り言った。

「こいつは俺の秘書の門脇(かどわき)だ。これから何かと世話になるだろうからな」

「は、はい……よろしくお願いします……」

 蓮見が門脇に向かって頭を下げると、門脇も丁寧にお辞儀をした。

「こちらこそ、よろしくお願いします、蓮見様」

 海堂はその紙を蓮見の前に置いた。

「これは契約書だ。……一番下のところにサインをくれ」

 門脇が胸ポケットからさっとペンを取り出して蓮見に渡す。紙に書かれた文面には難しそうな単語が並んでいたが、5千万の借用とその対価として労働するとかそんな主旨だった。蓮見は自分の名前を書いた。海堂は頷いてその紙を受け取ると、門脇にそれを渡した。

「彼を部屋に案内してやってくれ」

「はい……では蓮見様、どうぞこちらへ」

 門脇は蓮見を先導し、部屋を出た。長い廊下をずっと歩いた突きあたり、一番端の部屋のドアを開ける。

 10畳ほどの洋室、ベッドとロッカー、小さな机と椅子があった。

「こちらが蓮見様の部屋になります。私の部屋はこの隣になりますので用事がございましたらお申し付け下さい」

 門脇はそう言って部屋を出ようとした。蓮見は慌ててそれを止めた。

「あ、あの!……すみません、仕事って一体……」

 門脇は小首を傾げた。

「怜司様からご説明はなかったのですか?」

「は、はぁ……」

「そうですか……おかしいですね、いつもでしたら怜司様からきちんとお話しされる筈ですが」

「……いつも?……」

 蓮見が聞き咎めると、門脇は表情も変えずに言った。

「ええ、このお屋敷で現在働いている者は全て、何らかの事情で怜司様に助けて頂いた者たちばかりです。……私を含めてですが」

「そ、そうなんですか……」

「……蓮見様は今のところお客様としておもてなしするよう言いつかっておりますので、仕事についてはいずれ怜司様からお話があるかと存じます」

 門脇はそう言って、一礼すると部屋を出て行った。

 部屋に残された蓮見は、なんとなく手持無沙汰で部屋の中を見回した。部屋は今まで使われていなかったようで、殺風景で家具も目新しいものだった。ロッカーを開けてみる。食事の前に海堂に預けた自分のコートも掛かっていたが、その他に何着もの新品のスーツや普段着も入っていた。下の抽斗には下着まで入っている。蓮見はスーツを手に取ってみた。既製品のようではあったがタグの類は一切無く、自分の服の上から合わせてみるとサイズは勿論裾の長さまで蓮見の体型に合っているようだった。蓮見は驚きつつも、なんとなく海堂なら何でもあり得そうだと思った。いろいろと事業をやっていると言っていたが、まだ若いのにこれだけの大きな屋敷に住み、何人もの人間を使い、蓮見の事まで短時間に調べがつくような海堂の正体にはまるで見当も付かなかった。その上、ホームレスのような格好をしていたのも訳が分からない。蓮見の借金をあっさり肩代わりして、何をさせようというのかも分からなかった。ただ、働いている人たちがたくさんいて、皆、渋々とか嫌々ながらといった雰囲気ではなかったことが、ほんの少し蓮見の救いではあった。元々楽天的な性格だからなのか、何をするにせよ、事態がこれ以上悪くなることはないような気がした。

 蓮見は机の抽斗を開けてみた。一番上の抽斗には筆記具などの事務用品が入っていた。二段目には鏡とか爪切りだとか細かな生活用品が入っている。それを見て、本当にここに住むんだ、ここが俺の部屋になるんだ、と蓮見は思った。だとしたら、早くここの生活にも慣れなければ……。今はまだ客という立場のようだけれど、すぐにでも働いて借金を返済しなければ……。そんな決意にも似た気持ちを蓮見は抱いていた。

ライズ 3

 蓮見は部屋のドアを開けて廊下を覗いてみた。廊下もまるでホテルのようで、柔らかな間接照明が適度な間隔で床に近い壁についており、人っ子一人いなかった。両側に並んだドアの中には人がいるのかもしれないが、何の物音も聞こえてこない。客という立場上、勝手に他の部屋を見て回る訳にもいかなかった。

 蓮見は少し躊躇った後、隣の部屋のドアをノックした。「はい」とすぐに返事があり、門脇がドアから顔を出した。

「あ、あの……すみません……トイレは……」

 門脇はちょっと微笑んで廊下に出てくると、蓮見を案内した。トイレのドアは他のドアと何ら変わらないもので、蓮見は次に一人で間違えないで来れるだろうかとふと不安になった。

「それと……テレビとか……新聞とか、そういったものは見られないのでしょうか?……部屋にいてもなんだか手持ち無沙汰で……」

 おそるおそる蓮見が聞くと、門脇は困ったような顔をした。

「テレビはありません。……新聞は……そうですね、怜司様に頼んでみましょうか」

「あっ、ええと……門脇さんは新聞とか読まれないんですか?」

 テレビは見ないというのは分かるが、海堂が新聞も読まずに事業ができるとは思えないし、門脇も秘書という役目ならそれぐらいは読むだろうと思っていた蓮見は驚いた。

「必要ありませんから」

 門脇はこともなげに言い、思い出したように付け足した。

「怜司様の書庫がございます。空いた時間にはそちらへ行かれてはいかがでしょう、先程の怜司様のお部屋の隣です」

 門脇とはそこで別れ、とりあえず蓮見はトイレに入ってみた。

「……なにこれ……」

 そこは8畳くらいの広さで、真ん中にぽつんと洋式便器が据えられていた。壁には何点か絵画が掛けられ、至る所にたくさんの生花が飾られ甘い香りが漂っている。便器の後方側にはもう一つドアがあり、蓮見はそのドアを開けてみた。そちらは脱衣所で、透明なガラスで仕切られた先には広い浴室が見えた。その脱衣所にはやはりもう一つドアがあり、蓮見はそのドアも開けてみた。

 そこはだだっ広い寝室だった。きっと海堂の寝室なのだろう。キングサイズというのだろうか、ダブルベッドよりさらに大きなベッドが中央に置かれ、大きな窓には重厚なカーテンが引かれていて部屋の中は薄暗い。壁にはやはり何点かの絵画と、金色の派手な枠の付いた大きな鏡が掛かっていた。ドアの開く音に気付いたのか、寝室のもう一つのドアが開いて海堂が覗き込んだ。

「す、すいません!……勝手に入ってきてしまって……」

 蓮見は慌てて謝った。

「構わんさ」

 海堂は肩を竦めるようにして言い、また隣の部屋へ戻ろうとした。

「あ、あの!待って下さい!」

 蓮見は海堂を引きとめた。

「すいません……俺、客じゃなくて……早く働きたいんです。ただでさえ5千万なんて大金、返すのに時間がかかるだろうし……いつまでもあなたに迷惑をかける訳にはいかないし……だから早く仕事をさせてほしいんです」

「ふん……焦るなと言った筈だが……そうか……」

 海堂はそう言って寝室に入ってきた。

「それなら仕方がない……じゃあ今から仕事をやる」

 つかつかとベッドに近寄るとそこに腰を下ろした。

「脱いでみろ。全部だ」

「……はい?」

 蓮見は一瞬何を言われたのか分からずにきょとんとした。

「裸になれ、と言ったんだ。何度も言わせるな」

 海堂は蓮見をじっと見つめながら脚を組んだ。

「え……な、なんで……?」

 うろたえる蓮見からちらりとも視線を反らさないまま海堂が言う。

「……仕事がしたいんだろう?だったら言う通りにさっさと服を脱げ」

「は、はい……」

 その強い口調に押されるように蓮見はネクタイに手をかけた。

 ……俺を裸にして何をさせようと言うんだろう?

 蓮見の胸に一抹の不安がよぎる。身体検査?……そんな訳ないよな、と自分で考えたことを否定しつつも、それぐらいしか思い浮かばない。

 スーツもシャツも靴下も脱ぎ、最後の1枚で蓮見は躊躇った。

「全部、と言った筈だ」

 躊躇いを見透かした海堂の容赦のない一言で、蓮見は弾かれたようにその1枚を下ろした。

 寝室は暖房が効いていて裸になってもそれほど寒くは感じなかった。前を隠すようにして突っ立っている蓮見を上から下まで眺めて、海堂は言った。

「隣でシャワーを浴びてこい」

「は、はい……」

 先程通ってきたドアから脱衣所に入り、蓮見は洗面台の鏡に映った自分の情けない裸身を改めて見てしまった。何をさせられるのか分からない不安と恐れとで、栄養不良で元々血の気の乏しい顔がますます蒼白になっていた。

「……はぁ……」

 蓮見は項垂れながら浴室に入りシャワーをの栓をひねった。

 シャワーを浴びた後、蓮見は躊躇いつつ備え付けられてあったタオルを腰に巻いて寝室に戻った。いくらなんでも素っ裸のまま戻る気にはなれなかった。

 海堂は先程と何ら変わらない様子でベッドに腰掛けたままだった。ちらりと蓮見を見ると、海堂は言った。

「タオルは取って、俺の前に立ってみろ」

「は、はい……」

 蓮見は慄きながらその言葉に従った。気恥しいのと不安とで、海堂の顔を見ることができなかった。

 蓮見の痩せて肋骨が浮き出た胸に尖った腰骨、無毛に近いすべすべした手足、それらを余すところなくじっくりと時間をかけて海堂は眺め、やがて口を開いた。

「ふん……きみは痩せすぎだ。満足に食事もしていなかったようだしな。……少し肉付きを良くしてからでいいと思っていたんだが……今日のところはまあいいだろう」

 そうして、海堂は自らのズボンの前を寛げると悠然と言い放った。

「跪いて、咥えろ」

「えっ……」

 蓮見は驚いて身体を強張らせた。聞き間違いではない。確かに、咥えろ、そう海堂は言った。

 蓮見はそれまで誰とも性交渉を持ったことがなかった。……咥える……蓮見の脳裏に以前観たことのあるAVのシーンが浮かんできた。……あれを海堂にやれと言うのか?男の俺が……同性の海堂相手に?

「…… きみの仕事は俺の世話係だ。それに対しては月30万の給料を払う。これだけでも破格だとは思うがな。その他に、きみの身体で俺を満足させられたら、一晩につき100万の特別ボーナスをやる。……借金が無くなるまで、14年間この屋敷で俺の世話を続けるか、それともボーナスを50回受け取って、最短なら2か月もかからないで屋敷を出るか、それはきみの自由だ。俺は別に強制しようとは思っていないからな」

 海堂は言い、真っ直ぐに蓮見の眼を見た。

「……金の為にこんなことまでやりたくないと言うならやめても構わないが……どうする?」

 その切れ長の瞳は、蓮見の心の動きまでも見透かしているように思え、蓮見は慌てて視線を反らした。

 14年……言われてやっと蓮見はその途方もない年月を思い浮かべることができた。そうなのだ。普通に働いていたら30年くらいのローンでしか払えないと思われた大金を、その約半分の期間で返すことができ、さらに……もしも海堂を満足させることができたなら……たった一晩で100万もの借金が消えるのだ。海堂の言う通り、たったの2か月で借金も無くなって、俺は元の自由な自分に戻れる……借金さえ無くなれば、フリーターでも何でもして、生きていける!……蓮見は先程までの情けなく惨めな自分を跳ね返すような勢いで、海堂の足元に跪いた。

「わ、わかりました。……俺、なんでも言う通りにします……」

 跪いた蓮見は、海堂のズボンに手を伸ばした。開いたファスナーの先には自分のと同じような肉茎が眠っている筈だった。他人の性器になど触れたことはおろか、間近に見たこともなかった。銭湯などで見たことがある程度で、そんなものをじっと見ることは勿論なかったし、蓮見には父親の記憶もほとんど無く、一緒に風呂に入った記憶もなかった。

 蓮見は意を決して開いたファスナーから海堂の性器を出した。まだ変化のない肉茎はしかし普通の状態でも自分のと比べてかなり大きかった。蓮見はおずおずとそれに触れ、顔を近付けた。ほんのりと石鹸の匂いがした。

 頭の中にAVのそのシーンを思い浮かべ、蓮見はぎこちなく口を開けそれを咥えた。

 屈辱的だとか、何で俺はこんなことをしているんだろう、とか思わないでもなかったが、借金のことや母親のことを考えてその思いはねじ伏せた。犯罪を犯す訳でも、命の危険に脅かされている訳でもないのだ。ただひたすら、これは『こういう仕事』なんだ、と蓮見は自分に言い聞かせていた。

 舌が先端に触れる。まだ柔らかいそれは何か変な食べ物であるかのようにも思えてくる。

「……こういうことは初めてか?」

 頭上から海堂の声が降ってきた。口の中にあるもののせいで返事が出来ずにいると、海堂は薄く笑った。

「そうだろうな。……下手くそだ」

 蓮見の顔がさーっと赤らんだ。こんなことに下手も上手もあるのか、と思いつつも、それ以上何をしていいのかさっぱり分からない。

「……そんなんじゃいつまで経っても俺を満足させられないぞ。……もっと舌を使え。口の中全部を使ってみろ」

 たどたどしく先端だけを含んでいた蓮見はそう海堂に言われて、ようやくそれを口の奥まで入れた。あまり深く咥えすぎてむせそうになる。

「……自分がされて気持ちいいと思うことをすればいい」

 海堂は言い、言ってから少し戸惑ったような声を出した。

「まさか……されたこともないのか?」

 蓮見は咥えたまま上目遣いに海堂を見上げた。その縋るような視線を受け止めると、海堂はふうっと息を吐いた。

「……参ったな。全くの初心者か……」

 そうして蓮見の頭を離すと、衣服を整えてベッドから立ち上がった。

「ふん……それならそうと最初に言え」

「す、すみません……」

 蓮見は跪いたまま項垂れた。……海堂を満足させるどころか、怒らせてしまった。もうボーナスの話は無しにするなんて言われてしまったらどうしよう……。

ライズ 4

 海堂はベッドの枕元にある電話の受話器を取った。

「俺だ、寝室に来てくれ」

 それだけを言い、海堂は受話器を置くと、正座して項垂れている蓮見の前にしゃがみこんだ。

「そう情けない顔はするなと言ったろう?」

「で、でも……俺……あなたを怒らせてしまった……」

 力無く蓮見が言うと、海堂は自分の着ているスーツの上着を脱ぎ、蓮見の肩に掛けた。

「怒ってなどいない。……気にするな」

 蓮見はおどおどと海堂を見上げた。海堂は蓮見の眼を覗き込み、その顎に手をかけるとやおら口付けた。

「……!……」

 それはほんの一瞬の出来事で、すぐに海堂は立ち上がり蓮見に背を向けた。同時に部屋の扉がノックされる。

「失礼します」

 入ってきたのは門脇だ。

「……彼に手ほどきしてやれ」

 海堂はそう言うと、後ろを振り返らないまま寝室を出ていってしまった。

 蓮見は呆然とその後ろ姿を見送って、ふと気が付くと自分の唇に触れていた。……まるで風のような……突然のキスだった。

 門脇は蓮見が裸で正座しているのを見て、この部屋で何が行われ、そして自分が何の手ほどきをすべきなのかすぐに察したらしい。眉根を寄せ、ふうっと溜息を吐くと、小さく独り言を呟いた。

「……全く……怜司様もお人が悪い……」

 そうして蓮見に手を貸し立ち上がらせ、先程まで海堂が腰かけていたベッドに蓮見を座らせた。

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