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作者:日-横沟正史 当前章节:15360 字 更新时间:2026-6-23 05:11

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 不死蝶 他一篇

[#地から2字上げ]横溝正史

目 次

 不死蝶

 人面瘡

 不死蝶

  頬に疵のある男

 汽車がトンネルを出ると急に涼しくなった。まるでそのトンネルが夏と秋の境目だったかのように。

 トンネルのあちらがわでは、まだ夏の雑草がしげっているのに、トンネルひとつ抜けたこちらがわでは、もう秋草が可憐な花をつけている。

 汽車が下り坂へさしかかったので、いくらかスピードも恢復したが、それでも田舎のローカル線のまどろかしくて、ゴトンゴトンと単調なリズムをきざんでいる。

 |金《きん》|田《だ》|一《いち》|耕《こう》|助《すけ》はその単調なリズムに身をゆだねて、ぼんやりと窓ぎわに頬杖をついている。くちゃくちゃに形のくずれたお釜帽の下から、もじゃもじゃの蓬髪がはみ出して、いつにかわらずよれよれの|単《ひと》|衣《え》によれよれの夏袴といういでたちである。ぼんやりと窓の外へ投げた視線がいかにも睡そうだ。

 突然、眼前をさえぎる山がとぎれて、ぱっと視界が明るくなったかと思うと、はるかむこうにうすく光る湖水と、湖水のまわりにたっている家々のいらかが、夕靄のなかにしっとりと落着いているのが見えた。

「あれが|射《い》|水《みず》の町ですよ」

 むかいがわに坐っている、このへんの百姓らしい男がおしえてくれた。さっき金田一耕助が、射水はまださきかと訊ねたからである。

「ああ、そう、有難う」

 金田一耕助はそのほうへ眼をむけたが、すぐまた、線路の両側にそびえる秋草の土手が視界をさえぎって、射水の町は見えなくなった。

 時計を見ると七時五分前。射水着は七時十分の予定である。

 金田一耕助はそろそろ降りる用意をしておこうと、網棚から荷物をおろしていたが、そのとき通路のむこう側に坐っていた男がとなりへ来て坐った。

「失礼ですが射水へおいでですか」

「はあ」

 金田一耕助はちょっとどぎまぎしながら答える。

「射水はどちらへ……?」

 男の言葉の調子にはちょっと詰問するようなひびきがある。

「はあ、矢部さんという家へ御厄介になるつもりです」

「矢部家へ……?」

 男は怪しむように耕助の服装を見直しながら、

「矢部家と御懇意ですか」

「いやあ、全然、一面識もないんです」

 男ははぐらかされたとでも思ったのか、不愉快そうに眉をひそめながら、

「矢部家では、誰もかわりはありませんか」

 と、ちょっと|憤《おこ》ったような声でたずねる。

「いやあ、それが……いまもいうとおり、全然、どなたとも面識がないもんですから。……」

 言葉をにごして、困ったように頭をかいている耕助の様子を、男はなかば呆れたような、なかば怪しむような眼で見直した。

 じっさい、いまどき旅行をするのに、よれよれの着物によれよれの袴といういでたちは、誰の眼にも妙にうつらずにはいない。それに雀の巣のようなもじゃもじゃ頭、小柄で貧相な男振りは、どう見ても、これが音にきこえた名探偵とはうけとれぬ。おまけに多少吃りである。

 男はまじまじと、金田一耕助の様子を視まもっていたが、しかし、そういう相手だって、あんまり怪しくないとはいえなかった。

 年齢は四十五、六だろう、底光りのする眼が鋭く、頬にうすい疵痕のあるのも無気味である。洋服も古くすりきれて、いかにも尾羽打枯らしたという様子だ。

「それじゃ、どういう用件で矢部家へ……?」

 蛇のように底光りのする眼が、しつこく耕助の身分や素性を詮索している。

 それに対して耕助が、答えに窮していると、さっき射水の町をおしえてくれた百姓が、まえの席から助け舟を出した。

「あんた、矢部さんを御存じかな」

「ああ、ちょっとね」

 相手を百姓と見てか、頬に疵のある男の返事には、いやに横柄なひびきがこもっていた。

「矢部さんでは、ちかごろべつに、かわったこともないがな」

「いや、ちかごろといっても、ぼくはもう二十年以上も音信不通になっているんだが……|杢《もく》|衛《えい》さんという御主人がいたが元気かね」

「ああ、杢衛さんなら元気だよ。もうかれこれ七十じゃろうが、まだまだ達者なもんですわい」

「ああ、それは結構だね」

 だが、そういう男の声音には、言葉の意味とは反対に、どこか浮かぬ調子があった。男はしかし、すぐまた言葉をついで、

「それから慎一郎さんという息子さんがあったが。……ちょうどぼくと同じ年頃で、ぼくの知ってる時分はまだ独身だったが……」

「慎一郎さんならお嫁をもろて、都さんという娘がもう年頃になる。慎一郎さんにとっちゃひとりっ子だあね」

「ああ、そう、それじゃ許婚者だった、峯子さんというひとと結婚したんだね」

「そうそう、峯子さんというのが都さんのお母さんだが、あのひとと慎一郎さんと結婚するときは大騒動だったな。あんた、慎一郎さんの弟で、英二さんというのを知りなさらんかな。鐘乳洞のなかで殺されたひとさ」

 鐘乳洞のなかで殺された……?

 金田一耕助はぎょっとして、ふたりの顔を見くらべる。

 しかし、頬に疵のある男は冷然として、

「ああ、知ってる。英二君の死体はぼくが発見したんだ」

 百姓のおやじもぎょっとしたように、相手の顔を見直して、

「ひえッ、それじゃあんたはあの時分、射水にいなすったのかな」

「ああ、矢部のうちにいた者だ。矢部家とは遠い親戚になるもんだから、夏の休暇中逗留していたんだ。ずいぶん昔の話だが、あれから、もう何年になるかな」

「今年が英二さんの二十三回忌だというこってす。もうじきだあね」

「そんなになるかねえ」

 男の顔色はちょっと感慨にくもったが、また思い出したように、

「ところで、|玉造《たまつくり》の娘の……なんとかいったな。英二君を殺した女さ」

「|朋《とも》|子《こ》さんかね」

「そうそう。あの女の死体は見つかったかね。ぼくは英二君のお葬いがすむとまもなく、射水を立ったんだが……」

「見つかるもんかね。あの底なし井戸へとびこんじゃ、誰だって見つかる気づかいはなしさ」

「底なし井戸……?」

 金田一耕助が思わず横から言葉をはさむ。

「ああ、そうだよ。射水には地獄まで続いているという、深い、深い底なしの井戸があるんだ。二十三年まえ、男を殺したひとりの女が、申訳にその井戸へとびこんだんだあね。あの娘も可哀そうなことをしたもんだが、いってみれば身から出た錆というところだ。だいたい、玉造の娘が矢部の息子に惚れるというのが間違っている」

「それはどうしてですか。つまり身分ちがいとでもいうんですか」

 頬に疵のある男が、もう相手にならなくなったので、いきおい、金田一耕助が、言葉がたきにならなければならなくなった。それに好奇心も大いに手伝っている。

「うんにゃ、そういうわけじゃねえ。玉造も矢部も、射水きっての名家でがすがね」

「それじゃ、どうして……? 玉造とかの娘が、矢部の息子に惚れちゃいけないという規則でもあるんですか」

「まさか、規則はねえが……」

 と、百姓のおやじは苦笑しながら、

「つまり、どんなに想いあったところで、うまくいくはずがねえのさ。玉造と矢部、いまもいったとおり、射水でも両大関といわれる名家だが、先祖代々仲が悪くてね。敵同士みたいにいがみあってるんだあね。若いもんがどんなに惚れあったところで、所詮許されるはずがねえ。結局、あんな大騒動になったんだが……それにも懲りずにちかごろまた……いや、若いもんというやつはしようがねえもんさね」

 調子にのってべらべら|喋舌《し や べ》っていたおやじは、そこで急に口をつぐんで、耕助のとなりにいる男に眼をやった。

 頬に疵のある男は、むっつりと唇をへの字なりに結んでいる。百姓のおやじはそれを見ると、いささか喋舌りすぎたと気がついたのか、それきりだまりこんでしまった。

 三人のこの気まずい沈黙をのせて、汽車はいま黄昏の湖畔の町へすべりおりていく。

  新シンデレラ姫

 金田一耕助はいま、大いに好奇心をかきたてられている。

 ほんとをいうと、かれはまだ射水という町にどのような用件が待ちかまえているのか、自分でもよく知らないのだ。

 五日ほどまえのことだ。

 むずかしい事件をひとつ片づけて、ほっとひと息ついているところへ舞いこんだのが、信州の射水という町に住む、矢部杢衛というぜんぜん未知の人物からの手紙だった。

 もっとも、その手紙のなかには、耕助がかつて信州で手がけた事件に関係した、さる信頼すべき人物の紹介状が同封してあって、それによると、矢部杢衛というひとも、十分信用してよい人物らしかった。

 ところで、矢部杢衛という人物の用件というのはこうであった。

 折入ってお願いしたいことがあるから、この手紙つきしだい、当地へお出向き願えまいか。お願いの筋というのは、目下当地に滞在中の、さる人物について調査していただきたいのだが、くわしいことはお目にかかってお話する。費用ならびに謝礼に関しては、万事貴意に添うことができると思うし、また、当地滞在中は当家に宿泊していただいてもいいと、そういう意味のことが書いてあるのはよいが、田舎のひとの気がはやく、かなり多額の為替まで封入してあった。

 金田一耕助はその手紙をまえにして、苦笑を禁じえなかった。

 こちらの都合もたしかめないで、じぶんかってに、引受けてもらえると思いこんでいるらしいこの依頼人に、耕助は腹を立てるより微笑した。思いたったら矢も楯もたまらぬ、田舎のひとの単純さが、おかしくもあり、頬笑ましくもあった。

 それに紹介者の顔も立てなければならぬ。

 そこで、耕助は旅行案内をとりだして、射水という町をしらべてみたが、それで、かれの肚はすっかりきまった。

 射水という町は、あまり世間に知られていないが、ものしずかな湖畔の町で、避暑地としてはまことに恰好のところらしい。付近に有名な射水の鐘乳洞があるということも書きそえてあった。

 ちょうど事件もあらかた片づき、東京の夏をどうして過そうかと思っていたやさきなので、避暑かたがた出向いてみるのも悪くないと考えた。

 付近に鐘乳洞があるというのも面白いではないか。

 金田一耕助はかつて手がけた、『八つ墓村』のあの恐ろしい連続殺人事件のさいの、鐘乳洞の殺人を思い出していた。

 そこで、近日中にお伺いするという、かんたんなハガキを出しておいて、残務整理をしているうちに、耕助はふと、最近新聞で射水という名を、読んだことがあるような気がしてきた。

 はてな、どういう記事のなかで、射水という名にぶつかったんだっけ。……

 物事をはっきり思い出せないということは、奥歯にもののはさまったように気になるものである。そこで金田一耕助は、新聞の綴込みをひっくりかえして調べてみているうちに、非常に愉快な事実を発見したのである。

 それは当時、日本中の話題をひっさらったほどの、大きなニュースに関連しているのであった。

 ことしの五月のおわりごろ、ブラジルのリオ.デ.ジャネイロから日本を訪れてきた、すばらしい珍客があった。それは日系の二世で、日本名を鮎川マリ、ブラジル名をマリーナ.ゴンザレスという二十前後のまだうら若い女性であった。

 この女性がどうしてそんなに大きな話題を投げかけたかというと、彼女が有名なブラジルのコーヒー王、アルフォンゾ.ゴンザレス氏の後継者と目されているからである。

 アルフォンゾ.ゴンザレスというのはスペイン系ブラジル人で、ブラジルでも有名な大金持ちである。サン.パウロ州に広大なコーヒー園を経営しているほかに、有名なダイヤモンド鉱山を持っているといわれる。

 鮎川マリはこの大金持ちの養女になっているのである。

 マリがどうしてそのような大金持ちの養女になったかといえば、それは主として、マリの母親のおかげだといわれている。

 マリの母は鮎川君江といって、ながくゴンザレス家において、家事取締りのような地位にあった。

 アルフォンゾ.ゴンザレス氏がマリを養女にしたのは、君江の献身的な奉仕にたいする感謝と信頼によるものだろうといわれるが、まさか、そればかりではあるまい。ゴンザレス氏がいかに君江に感謝しているからといって、マリを愛していなかったら、あの莫大な財産の後継者にするはずがない。

 じっさい、新聞にあらわれた写真を見ると、マリはすばらしい美人である。しかも、聡明で勇気にとみ、やさしく善良な性質が、ゴンザレス氏のお気に召したのであろうといわれている。

 とにかく彼女の背後には、現代の日本の貨幣価値からいえば、天文学的数字ともいうべき、ゴンザレス家の莫大な財産がぶらさがっているのだ。

 新聞が新シンデレラ姫と書き立てて、大騒ぎをしたのもむりはない。

 そのマリがいま母の君江とともに、射水に滞在しているはずなのだ。

 マリが日本を訪れたのは、独身で自由なからだでいるあいだに、いまだいちども訪れたことのない母国を見学しておきたいという希望もあったが、それと同時に母の君江の、まだ老いくちてしまわないうちに、もういちど故国の土を踏んでおきたいという希望もあったらしい。

 そこでゴンザレス氏の許しをえて、母と娘と手をたずさえて、日本へやってきたのである。

 日本へきた当座、ふたりは東京のホテルを根城として、故国の名所見物によねんがなかったが、そのうちに母の君江が健康を害した。湿気の多い日本の初夏の気候にやられたらしい。

 そこで、どこか静かな健康的な土地で静養したいといっていたが、その白羽の矢が立ったのがすなわち射水の町である。

 マリとその母はいま射水の町のさる素封家の家を一軒かりきって、住んでいるはずなのである。

「おやおや、これはひょっとすると、まるでお伽噺のヒロインみたいな、新シンデレラ姫におちかづきになる光栄に、浴することができるかもしれないな」

 新聞の綴込みで、以上のような事実をたしかめると、金田一耕助は雀の巣のようなもじゃもじゃ頭をかきまわしながら、にやにやと呟いた。なんとなく、くすぐったいような気もしたが、さりとて、悪い気持ちでもなかった。

 しかし、そのとき金田一耕助は、まさかこれからじぶんがまきこまれようとする事件のなかに、マリとその母君江が大きく関係して来ようなどとは、夢にも予測するところではなかったのだが。……

 さて、残務整理もようやく片づき、金田一耕助が東京を立ったのは、七月十五日の朝のことだったが、出発するまえになって、ちょっと妙なことが起った。

 耕助が下宿を出ようとするところへ、一通の手紙が配達された。手紙には差出人の名前がなかった。

 耕助はしかし、べつに不思議とも思わず、なにげなく封を切ったが、なかみを読んでいくうちに、思わずぎょっと呼吸をのんだのである。

 手紙の文句はこうであった。

[#ここから2字下げ]

射水へ来てはならぬ。

生命が惜しいと思ったら射水の町に近寄るな。

[#ここで字下げ終わり]

 一種の脅迫状であった。

 この脅迫状を眼にしたとき、金田一耕助がうれしそうに、ガリガリ、バリバリとめったやたらに、頭のうえの雀の巣をかきまわしたことはいうまでもない。

  幽 霊

 汽車が射水の駅についたのは、七時十分を過ぎていた。

 盛夏の七時といえば、まだ明るい時刻なのだが、四方を山にとりかこまれているこの小さな町は、陽のしずむのも早いとみえて、もうそろそろ、あたりは雀色にたそがれかけている。

 べつに電報もうってなかったので、誰も迎えに来ていない。ばらばらと汽車から降りた五、六人の客にまじって、改札口を出ていくと、頬に疵のある男は、耕助のほうへ会釈もせず、さっさとさきにいってしまった。無愛想な男である。

 百姓のおやじもかるく頭をさげると、これまた、そわそわと駅を出ていった。どうやらかれは、この素性も知れぬ男に、少し喋舌りすぎたことを後悔しているらしい。

 駅員に矢部家へいく道をきくと、うさんくさそうな眼でじろじろと、耕助の風態を見やりながら、それでも、わりにていねいに教えてくれた。

 駅を出ると小さな町としては路幅もひろく、どの店も小ざっぱりとしている。田舎の町としては文化的な匂いがつよく、なるほど、これならコーヒー園の女王が住んでもおかしくないかもしれぬと思われた。

 耕助の風態をみて、うるさくよってくる宿屋の客引きや輪タクの運転手を退けながら、金田一耕助はスーツ.ケース片手に、ぶらぶら步き出した。

 事件に突入するまえに、その事件の背後にある土地の雰囲気を、できるだけ早くつかみたいというのが、金田一耕助のいつものやりかたなのである。

 矢部家は駅からゆっくり步いて二十分くらいの距離だそうで、山の手に位している。教えられただらだら坂をのぼっていくと、しだいに眼下に湖水がひろがってくる。湖水はもうすっかり夕靄につつまれて、鈍い色のなかに沈んでいた。

 東京からくると、湿度がひくいせいか、さらりとした空気の肌ざわりが爽快だが、そのかわり、単衣の襟もとが少し涼しすぎるようだ。

 金田一耕助はゆっくり坂をのぼりながら、いま汽車のなかで聞いた話を、心のなかでくりかえしてみる。

 いまから二十三年まえの夏に、この町で殺人事件があったらしい。そして、その被害者というのが、じぶんがこれから訪問しようという矢部家の一員なのだ。名前を英二といい、どうやらじぶんに手紙をよこした、矢部杢衛の息子らしい。

 しかし、そのことと、こんどじぶんを必要とする調査ごとのあいだに、なにか関連があるのだろうか。杢衛氏の手紙によると、いま射水の町に滞在している、さる人物について調査してほしいということだったが、その人物が何者にもあれ、二十三年まえの殺人事件と、なにかつながりがあるのだろうか。

 しかし、さっきのおやじの問わず語りによると、二十三年まえの殺人事件は、一応解決したことになっているようだ。

 英二という矢部家の息子を殺したのは、矢部家と仇敵のあいだがらにある玉造家の娘で、朋子という女性らしい。

 そして、その朋子という娘は底なし井戸とやらへとびこんで、死骸は見つからなかったとしても、ともかく死んでいるらしい。

 いまさら、その事件を蒸しかえしてみたところで、仕方のない話ではないか。

 たとえまた、なにか疑問の点があって蒸しかえしたとしても、二十年以上もたったいまとなっては、手のつけようのない話ではあるまいか。

 と、すると、杢衛氏が依頼しようという調査は、また別のことだろうか。

 耕助ははじめ杢衛氏の手紙を読んだとき、調査そのものにはかくべつ興味は持てなかった。紹介者の顔を立てる意味と、ちょっと息抜きをしたかったのとで、引受けることは引受けたものの、いずれはくだらない人事調査だろうくらいにたかをくくっていた。

 それが、にわかにこの調査に、興味をおぼえるにいたったのは、けさ受取った脅迫状のせいである。

 誰かがこの調査をさまたげようとしている。しかも生命の脅威をもって威嚇してきたのだ。と、いうことは、何びとかにとっては、この調査が進展することは、おのれの存在をおびやかされることになるのではないか。

 ここにおいて耕助は、俄然、興味と闘志をかきたてられたのである。してみると、あの脅迫状は筆者の意志に反して、まったく逆効果を来したようだ。

 とつぜん、金田一耕助は坂の途中で立ちどまり、ぎょっとしたように頭をあげた。まぢかに鳴りわたる、さわやかな鐘の音にどぎもを抜かれたからである。金田一耕助は頭をあげ、それと同時に眼をまるくした。

 いままでうつむきかげんに步いていたので気がつかなかったが、いまかれののぼってきた坂の正面に、田舎としては珍しい、異国風の教会がたっている。

 夕靄のなかに白くひかる十字架、まるいドームと、ドームのむこうにそびえる尖塔、小高い丘をバックとして、赤煉瓦の建築物が絵のように美しい。

 カトリックの教会らしかった。

 時計を見ると七時半。教会の鐘つき男が半をつげる鐘を鳴らしているのである。

 ジャラン、ジャラン……と、さわやかな鐘の音が、ゆるやかな震動をえがきながら丘から湖水のほうへ流れていく。

 金田一耕助はちょっと異国的な情緒をそそられながら、またゆっくりと坂をのぼっていった。

 坂をのぼると正面に、美しい教会がたっている。その教会のまえに三々五々、ひとがたたずんでいるのを見て、金田一耕助は思わず足をとめた。

「何かあったんですか」

 と、そばに立っている女に訊いてみる。

 女はつれと顔を見合わせたのち、

「いえ、あの……いま、玉造さんのところへ来ていらっしゃる奥さまが、この教会にお参りしていらっしゃるものですから……」

「玉造さんのところへ来ていらっしゃる奥さんというと……?」

「はあ、あの、ブラジルの大金持ちのお嬢さんの、お母さんになるひとですの。とても信心ぶかいかたで……」

 ああ、それじゃ鮎川マリの母親の、君江という婦人がお参りしているのを、物見高い田舎のひとびとが、見ようとして待ちかまえているのか。

 金田一耕助はちょっと苦笑をもらしかけたが、しかし、いっぽう、妙に胸のさわぐのを感じずにはいられなかった。

「あのひとたちのことなら新聞で読みましたが、それじゃ、あのひとたち、玉造さんのところにいるんですか」

 玉造という名は、さっき汽車のなかで聞いたばかりだけれど、依頼人の矢部家と仇敵のあいだがらにあると聞いては、耕助も聞きずてにはならなかった。

 耕助の唇から玉造さんと、なれなれしい発音がもれるのを聞くと、女はちょっと不思議そうにかれの顔を見なおしたが、

「はあ、あの、別館のほうを借りて滞在していらっしゃるんです」

「なるほど。それで、お嬢さんのマリさんというひとも、いまこの教会へ……?」

「いいえ、お嬢さんは御一緒じゃないようです。奥さまと付添いのかただけで……ああ、あそこへ出ていらしたわ」

 女が呟いたとき、そこいらに立っているひとびとのあいだから、かすかなざわめきが起って、

「ああ、出てきた。出てきた」

 と、感嘆とも、羨望ともつかぬささやきと、溜息があたりを占領する。

 金田一耕助はその声に、教会の入口のほうへ眼をやったが、そのとたん、一種異様な戦慄が、背筋をつらぬいて走るのを、おさえることが出来なかった。

 ひとりの婦人がいま、アーチがたの入口をバックにして、教会のひくい階段のうえに立っている。婦人の年齢は三十五、六から四十までのあいだだろう。

 靴もかくれそうなほど、スカートの長い洋服を着て、カトリックの尼さんのように、黒い、大きなスカーフを頭からかぶっている。洋服もスカーフも真っ黒で、そのせいか、スカーフの下にある卵がたの顔が、闇のなかに浮き出した、夕顔の花のように白かった。

 その顔色の異様なまでの白さと神々しさ、しかも、その神々しさの底にしずんでいる、なんともいえぬほどの深い憂いの色が、一瞬、金田一耕助を心の底からゆすぶったのだ。それはこのうえもなく悲劇的で、しかも同時に慈愛に溢れていた。

 教会から出てきた婦人は、そこに群がっているおびただしい群集を見ると、びっくりしたように立ちどまった。それからボーッと顔をあからめながら、かるく一同に会釈をすると、いそいでベールをおろしかけたが、そのときだった。

「と、朋子!」

 と、喘ぐように叫んで、群集のなかから階段の下へ、躍り出した男があった。

 頬に疵のある男だった。

 男はまるで幽霊にでも出遭ったように、大きく眼を視ひらいたまま、婦人の顔を凝視している。婦人はちょっと、戸まどいしたような顔色で、うえから男の顔を視おろしている。

「と、朋子!」

 男はもういちどしゃがれ声で叫んだが、すると、そのとき婦人のあとから出てきた、もうひとりの中年の女が、ふたりのあいだに立ちはだかるようにして、

「お人ちがいではございませんか。こちら、そういうかたではございません。さ、奥さま、まいりましょう」

 付添いらしい女が黒衣の婦人の手をとった。

 黒衣の婦人はベールをおろすと、そっと階段をおりてくる。そして、頬に疵のある男のそばを、肩をすぼめるようにして通りすぎると、群集にかるく会釈をしながら、夕靄のなかを遠ざかっていく。

 頬に疵のある男は、茫然としてそのうしろ姿を見送っていた。

 さっきから、この短い寸劇を見まもっていた金田一耕助は、突然、バリバリガリガリと、もじゃもじゃ頭をかきまわした。

 朋子。――朋子。――

 それは二十三年まえに英二という青年を殺して、底なし井戸へとびこんだという、玉造家の娘とおなじ名ではないか。

  深讐綿綿

 矢部家は教会から二、三丁はなれたところに、教会とおなじように丘を背にしてたっていた。

 いかにも地方の豪家らしく、どっしりとした、厚味のある門構えだ。

 門を入って、もうすっかり暗くなった玄関に立って名刺を通ずると、さすがにちょっとあわてたらしかったが、それでもすぐに座敷に通されて、くつろいでいるところへ、四十前後の婦人があらわれた。

「よくいらっしゃいました。わたくし、当家の家内でございます」

 切り口上で挨拶をされて、金田一耕助はあわてていずまいをなおした。

「いや、どうも……突然、参上しまして失礼しました。まえもって電報でもうっておけばよかったのですが……」

「いいえ。たぶん、きょうあたりお見えになるのではないかと、心待ちにしておりましたものですから。……このたびは、父が面倒なことをお願いいたしまして、さぞ御迷惑なことでございましょう」

「いや、なに」

 みずから当家の家内と名乗り、杢衛を父と呼ぶところをみると、これがさっき汽車のなかで噂にのぼった、英二の兄の慎一郎の夫人で、峯子という女であろう。

 色白の、まずは美人といえるが、愛嬌にとぼしい、見識ぶった女である。

「あとで父にあっていただきますけれど、ちょうどお風呂が立っておりますから。……そのあいだにお食事の用意をしておきますから、さあ、どうぞ」

「ああ、いや、どうも……」

 風呂からあがって、女中の給仕で食事をすませ、一服吸っているところへ、こんどは十八、九の可愛い娘があらわれた。服装や態度からして女中ではなかった。

「あの、失礼ですが、お祖父さまがお眼にかかりたいといってますから、どうぞこちらへ……」

「ああ、そう、どちらですか」

 耕助が気軽に立ちあがると、

「御案内いたしましょう」

 と、娘はさきに立って縁側へ出る。

 外はもうすっかり暗くなって、空にチカチカ星が光っている。しっとりとした夜気が肌につめたく、縁側をふむ足の裏にもひえびえとしたものが感じられる。

「あなた、こちらのお嬢さんですか」

 娘のうしろから金田一耕助が声をかける。

「はあ」

「都さんとおっしゃるんでしょう」

「あら!」

 娘はおどろいたようにふりかえって耕助の顔を見なおす。眼のくるくると大きい、えくぼの可愛い美人である。

「どうして御存じですの?」

「いや、なに、さっき汽車のなかで、こちらの噂が出たものですから。こちらを知ってるって男にあったんですが、あのひと、もしやこちらへ……?」

「はあ、あの、お見えになっております。日本は二十何年ぶりなんですって」

「ああ、じゃ、どこか外国に……?」

「ええ、中国から引きあげて来られたばかりだそうです」

 ああ、引きあげ者なのか。それであの、ひとに心を許さぬ、つめたい表情も理解できそうな気がする。

「こちらの御親戚だそうですね」

「はあ。……古いお識合いだそうですけれど、なんだか気味のわるいひと。……」

 都はそういってから、急に気がついたようにあたりを見まわした。それから耕助の顔を見て、ちょっと頬をそめると、いまの言葉を後悔するように、つよく下唇をかむ。

 若くて、きれいな娘だけれど、どこか沈んで、淋しそうなかげがあるのが、耕助の気にかかった。

 それからあとは無言で、渡り廊下をわたり、離れへくるとだしぬけに、涼しそうな|葭《あし》|障子《しょうじ》のなかから、なにかいい争うような声がきこえた。

「お父さん、いまになってそんなこと、ほじくりかえすことないじゃありませんか。私立探偵をやとって調査するなんて、ひとに聞かれると外聞が悪いじゃありませんか」

 出来るだけ感情をおさえようとしているようだが、どこか激した調子である。

 金田一耕助はじぶんの噂が出ているらしいので、ちょっと困って縁側に立ちすくむ。

「慎一郎、おまえはそういうがの、何年たってもおれの口惜しさは消えやせん。英二を殺した犯人が、まだ、のめのめと生きているようだったら。……」

 老人らしい声が、怒りにふるえるあとから、

「まあまあ、慎さん、御隠居さんの気のすむようにさせてあげたら。……あんたが反対したところで、もう探偵は来ているのだから」

 都もちょっと戸まどいしていたが、話がとぎれたところで、

「お祖父さま」

 と、声をかけ、

「東京からのお客さまが……」

 その声に、葭障子のなかに坐っていた三人の男が、いっせいにこちらをふりかえった。

「ああ、そうか。そうか。それじゃ、すぐにこちらへ……」

「お父さん、ぼくは失礼します」

 三人のなかから、浴衣を着た背のたかい男が立ちあがったが、思い出したように、老人の顔を視おろして、

「ときに、お父さん、古林君はどうします」

「仕方がない。当分おいてやれ。無一物になって引揚げてきたものを、突き出すわけにもいかんじゃろ」

「承知しました」

 老人にかるく礼をして、浴衣の男は葭障子をひらいて縁側へ出てきた。

 もうかれこれ五十にちかいのだろう。小鬢にちらほら白いものが見えるが、色の浅黒い、背の高い、男振りも風采も、申分のないよい男である。これが都の父の慎一郎である。

 慎一郎はむっつりと耕助に会釈をすると、そのままむこうへいきかけたが、ふと都のほうをふりかえって、

「都、お母さんは?」

「はい、お居間のほうで、古林さんてかたと話をしていらっしゃいました」

「ああ、そう」

 慎一郎はそのままさっさと母屋のほうへいってしまう。耕助は何気なくうしろ姿を見送っていたが、その背後からふとい老人の声が聞えた。

「さあさあ、金田一先生、どうぞお入りなすって。なあに、あいつには構わんでください。都や、おまえはむこうへいっておいで、用事があったら呼ぶからな」

「はい」

 都が立去るのを見送って、耕助は葭障子のなかへ入っていった。

 さっき汽車のなかで聞いたところでは、杢衛はもうかれこれ七十だということだが、どうしてどうして、肉付きも豊かで、血色もよく、とてもそんな年齢とはみえない。こまかい藍の竪縞の浴衣に、絞りの三尺をひろくしめた腹が、布袋さまのように出っ張っている。

 杢衛のそばには慎一郎と同年輩の、角帯をしめた男がきちんと膝をそろえて坐っていた。

「いや、はじめまして」

 と、杢衛はあぐらをかいたまま、ちょっと頭をさげて、

「このたびはとんだことをお願いするが、そのまえに紹介しとこ。こちらはいまむこうへいった倅慎一郎の家内の兄で、宮田文蔵というものじゃが……文蔵、おまえからひとつ、話をしてくれんか」

「はあ、それは……?」

 文蔵もさすがにちょっとためらっている。

「まあ、ええがな。おまえの言葉が足らんところは、わしが付け足すことにするで」

「はあ、さようで……」

 と、文蔵は臆病そうな眼で、ちらと耕助の顔色をうかがうと、

「じつはね、金田一先生。あなたは御存じかどうか知りませんが、いまこの土地にブラジルのコーヒー王の養女と名乗る娘が来ておりますんで」

「はあ、そのことなら新聞で読んで知っております」

 文蔵はうなずいて、

「ところが……」

 と、ちょっといいにくそうに、

「こちらの御老人の希望というのは、その娘といっしょに来ているおふくろさんの身許を調査していただきたい。つまり、前身を洗ってほしいとおっしゃるんで」

 金田一耕助にもようやくこの調査の意味がわかってきた。しかし、わざとさりげなく眉をひそめて、

「それはどういうわけで……?」

「いや、それについてはお話せんとわかりませんのですが、じつは御老人の次男の英二さん、つまり、いまここにいられた慎一郎君の弟の英二さんというのが、いまから、二十三年まえに殺されたんです。犯人は慎一郎君に惚れてた女で、朋子というんですが、その朋子というのが、死んだ、自殺したということになってはいるものの、誰もその死骸を見たものがない。そこで、ひょっとすると、死んだと見せかけて、どこかに生きているのではないかという疑いが、ずっと昔からあったわけです。ところが、いまこちらに来ている鮎川君江という女が、たしかにその朋子にちがいないと、こう、まあ、老人がおっしゃるんで……」

「おお、ちがいない。ちがいないとも。わしの眼に狂いのあろうはずがあるかい。可愛い倅を殺した女だ。憎い、憎い倅のかたきじゃ。何年たっても、忘れられるものかい。金田一さん、金田一先生、あの女の面の皮をひんむいてくだされ。そして、あいつを……あいつをしばり首にしてくだされ」

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