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作者:日-横沟正史 当前章节:4765 字 更新时间:2026-6-23 05:11

「いや、それで十分だったんですよ」

 と、金田一耕助はお柳さまに聞えるように、大きく声を張りあげて、

「人間を溺死させるには、なにも大海の水を必要としないのです。そこにある耳盥いっぱいの水でも、十分に目的を達することはできます。由紀ちゃんはその耳盥に顔をつけた。そこをご隠居さんがうえからおさえつけた。いや、うえから全身をもってのしかかっていったのでしょう。ご隠居さんは身動きこそ不自由ですが、そのくらいのことはできましょうし、あのとおり肥満していらっしゃるから、由紀ちゃんはそのまま水をのんで死んでしまったんです。ご隠居さん、そうでしょうねえ」

 お柳さまはまた満足そうにまたたいた。その顔には誇らしげな微笑さえうかんでいるように見えたのである。

「しかし……しかし……」

 貞二君はまだ半信半疑の顔色で、

「由紀ちゃんはなぜ、盥のなかへ顔をつっこんだんです。なぜまたそんなバカなまねを……?」

「貞二君」

 と、そのとき、そばからおだやかに言葉をはさんだのは磯川警部である。

「それは君の質問とは思えないね。薬師の湯は眼病に効くというし、由紀ちゃんは眼病を患っていたというじゃないか。由紀ちゃんは隠居のまえで洗眼をしていたんだろう。いや、洗眼をするように隠居がしむけたんだろう。隠居、そうじゃありませんか」

 磯川警部の質問に、お柳さまは満足そうにまたたきをすると、また目玉をぐりぐり廻転させて、窓のほうへ視線を走らせた。

「ああ、そうか」

 と、磯川警部は大きくうなずくと、

「ご隠居さん、あんたはそれから由紀子を素っ裸にして、その窓からうらの谿流へ死体を投げ落したんですね」

 お柳さまの満足そうな微笑とまたたき。……

「そして、由紀子の死体は谿流づたいに稚児が淵へ流れていったんですね。それが八時半から九時半までのあいだの出来事だったんですね」

 またしてもお柳さまの満足そうな微笑とまたたきである。

「金田一先生」

 と、磯川警部は金田一耕助のほうをふりかえると、

「ありがとうございました。これで事件は解決しました。由紀子の全身についていたあの擦過傷は、稚児が淵の岩礁でできたのではなく、いや、それもあったでしょうが、それ以前に谿流をながれていく途中でできたのですね」

 金田一耕助は暗い眼をして無言のままうなずいた。

 とつぜん、貞二君の咽喉から嗚咽の声がもれはじめた。貞二君は腕を眼におしあてたまま、子供のように声を立てて泣きはじめた。

 お柳さまが心配そうにその顔を見まもっているのを見ると、金田一耕助がやさしくその背中に手をかけた。

「貞二君、お母さんがなぜそんなことをなすったか、君にもわかっているでしょうねえ」

 貞二君は腕を眼におしあてたまま、二、三度強くうなずいた。

「ああ、そう、それではあなたはお母さんにお詫びしなければいけませんよ。松代さん」

「はい」

「あなたは貞二君のそばについていてあげてください。警部さん」

「はあ」

「われわれはもう失礼しようじゃありませんか。あなたのご用はもう終ったようですよ」

「ああ、そう、じゃ……」

 ふたりが障子の外へ出たとき、

「お母さん……お母さん……」

 と、貞二君が子供のように泣きわめくのが聞えた。

 お柳さまはその夜しずかに息をひきとったが、おそらくそれは大往生だったことだろう。

 金田一耕助と磯川警部のふたりは、お柳さまの初七日をすませてから薬師の湯をたつことになったが、その間ふたりは貞二君や松代と、しんみりと話しあう機会をもった。

「貞二君、君は松代君と結婚するんだろう」

「はあ、そうしたいと思っております」

「いつ……?」

「できるだけ早くしたいと思っておりますが……」

「そのほうがいいね。お母さんの一周忌を待とうなんて考えないほうがいいんじゃないか。そのほうが故人の遺志にそうというもんだ」

「はあ、わたしもそう思っております。できたらことしのうちにも式を挙げたいと思っているんですが……」

「ああ、それがいいね。そのほうがお母さんも安心なさるだろう」

「ときに、松代さん」

 しばらく沈黙がつづいたのちに金田一耕助が口を出した。

「はあ……」

「あなたのあの腋の下のおできですがねえ」

「はあ……?」

 と、松代の顔にはちょっと怯えたような色が光り、それから頬を真っ赤にそめてうつむいた。

「それ、いちどしかるべきお医者さんに診てもらったらどうかと思うんです。なんなら磯川警部さんにO大のT先生でも紹介しておもらいになったら……」

「先生」

 と、貞二君が真剣の色を眼にうかべて、

「金田一先生はあのおできについて、なにかお心当りが……?」

「はあ、ちょっと考えてることがあるんですが……」

「金田一先生、それはどういう……あなたになにかお考えがおありでしたら、ここで貞二君や松代さんにいってやってくれませんか」

「いやね、警部さん」

 と、金田一耕助はいくらか|羞《はじ》らいの色をうかべて、

「これはぼくの妄想かもしれないんです。しかし、いちおうたしかめてみる価値はあると思うんですよ。松代さん」

「はあ……」

「あなた、小さい時分から由紀ちゃんにたいして一種の罪業感をもっていられた。絶えず妹さんにすまない、すまないと思いつづけてこられたということですが、なにかあなた由紀ちゃんにたいして罪の自覚がおありですか。由紀ちゃんにたいしてすまないことをしたというような……」

「さあ、それがいっこうに……ただ、あたしは長女にうまれたものですから、なにかと両親に可愛がられてきましたから……」

「しかし、それじゃ、ご両親は由紀ちゃんをとくにうとんじてこられたんですか」

「いいえ、べつにそんなことは……」

「それじゃ、そんなことあなたの罪業感の理由にはなりませんね。ねえ、警部さん」

「はあ」

「これはあくまでわたしの妄想なんですが、松代さんが罪業感をいだきつづけてこられたのは、由紀ちゃんじゃなく、もうひとりの妹さんじゃないかと思うんですよ」

「まあ!」

 と、松代はおどろいて眼を見張り、

「だって、先生、あたしには由紀子よりほかに妹はいないんですけれど……」

「いいえ、あなたのその腋の下に顔を出している妹さんですね」

「あっ!」

 と、叫んで磯川警部は松代の顔を視なおしたが、すぐなにかに思いあたったらしく、

「ふうむ!」

 と、ふとい鼻息を鼻からもらした。

「先生、金田一先生!」

 と、貞二君は膝をのりだして、

「そ、それはどういう意味なんです。腋の下に顔を出している妹というのは……?」

「いやね、貞二君、警部さんはいま思い出されたようだが、戦後こういう記事が新聞に出たことがあるんです。あるところのお嬢さん……ちょうど松代さんくらいの年頃のお嬢さんなんですがね、そのひとの腋の下に原因不明のおできができた。それでお医者さんに切開してもらったところが、人間の歯や髪の毛が出てきたんですね。そこでO大のT先生に改めて鑑定を請うたところが、そのお嬢さん、双生児にうまれるべきひとだったんですね。ところが摂理の神のいたずらで、双生児のひとりがそのお嬢さんの胎内に吸収されていたんだそうです。それが生後二十何年かたって、歯となり髪の毛となって、お嬢さんの体の一部から出てきたというんです。松代さんのあのおできもそれとおなじケースじゃないかと思うんですが、警部さん、あなたどうお思いになりますか」

「いや、そうでしょう。きっとそうです」

 と、磯川警部は強くうなずいて、

「それで松代君のもっている理由のない罪業感も説明がつくわけです。松代君はじぶんの体内に吸収されている、ふたごのきょうだいにたいして罪業感をもっていた。つまりそのきょうだいの出生をさまたげたという罪業感ですな。ところが松代君はそういう妹の存在をしらないものだから、それがいつのまにか由紀子にふりかえられていたというわけですな」

「それで、先生」

 と、貞二君はいよいよ膝をすすめて、

「そのお嬢さん、おできを手術したお嬢さんですが、そのご経過はどうなんですか」

「いや、なんともないそうですよ。これ、珍しいケースですからね。こちらへくるまえにT先生にお眼にかかって、そのお嬢さんについてお訊ねしてみたんです。そしたらその後結婚して、赤ちゃんもうまれ、べつになんの異状もないそうですよ。貞二君」

「はあ」

「これ、ぼくの妄想かもしれませんが、いちどT先生に診ていただく価値があるとはお思いになりませんか」

「先生」

 と、貞二君と松代はふかく頭をたれて、

「ありがとうございます。それはぜひ」

 金田一耕助はその翌日薬師の湯をたって帰京したが、それから一週間ほどして貞二君からていちょうな手紙がとどいた。

 その文面によると、T先生に診ていただいたところ、やはり先生のお説のとおりであった。そこでさっそく切開手術をしていただいたが、その結果はしごく良好である。T先生からもいずれ医学的な報告がそちらのほうへとどくはずであるが、とりあえずわたしから、お礼かたがたご報告申上げるしだいである。松代の患部から出たもろもろの諸器官はO大へ保存されることになっているが、われわれはその一部分をもらいうけ、松代の退院を待ってあつく葬るつもりである。これによって松代の罪業感も消滅するであろうと、T先生もいっておられる。松代からもお礼の手紙を差上げるべきであるが、まだ右手が使えないので失礼するが、くれぐれも先生にお礼を申上げてほしいということである云々とあり、さいごに十一月の上旬に結婚する予定であると結んであった。

 本書には今日の人権意識に照らして不当.不適切と思われる語句や表現がありますが、作品執筆時の時代背景や作品の文学性などを考慮しそのままとしました。

[#地から2字上げ](角川書店編集部)

|不死蝶《ふしちょう》

 |横《よこ》|溝《みぞ》|正《せい》|史《し》

平成14年5月10日 発行

小说下载尽在http://bbs.txtnovel.com--书香门第【leileiwuqi】整理

附:【本作品来自互联网,本人不做任何负责】内容版权归作者所有!   

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